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エンディングセミナーに参加して思ったこと・・今あなたは何を探して生きてるの今というこの無二の瞬間を
それぞれのグループに分かれたエンディングセミナー参加者は、
次々に一番最初に集まったIFのセミナールームに戻り、
今回のセミナーの最後のプログラムである、
精進落とし料理の試食が始まった。

テーブルに並んでいた各種飲み物。
何でも好きなものを飲んで良いのだが、
彼の陽気で明るい左卜全似の翁は、
「とりあえずはビールだんべさ。」と言いながら、
すっかり仲良しこよしなっていた岡田嘉子似の媼に
さっそくビールを注いでもらっていたが、
同じテーブルのグループのオババサマとオバサマ方にも、
「よぉ、ベッピンさんたちも飲まねぇかい?」
と、太鼓持ちよろしく、ビールを注いでいた。

私はアルコールが入ると胃痛と頭痛が同時に襲ってくる体質なので、
固く辞退してペットボトルの緑茶を頂いたが、
他のオバサマたちは、これから夕方のパートに行くという人以外は
皆アルコール飲料を所望しておりましたとさ。
それから、精進落とし料理の試食とはいえ、
仏式における実際に提供される料理とのことであったが、
どこでも出るような代わり映えのしない料理であり、
それに・・・お一人様4000円、7000円、
10000円の3コースがあるが、料理見本写真を見ると、
こんなもので?と思うほどで、価格的にはボロ儲けとしか思えなかった。
加えて、参加者が頂いた精進落とし料理の費用も、
以前にこの葬儀社で葬儀を執り行った方々から得た利益から出ていると思うと
少しばかり複雑な気持ちになった。


コース料理の説明を受けていた或るオバサマは、
「参列者が10人程度の家族葬であれば、
葬儀後に外のレストランに食べに行ったほうがいいわ。」
と言っていた。葬儀社側は通夜料理も精進落とし料理も
オプションのメインを占めるほどのボロ儲けの商品だ。

葬儀社側は、「喪服で行かれると嫌がれますよ。当社の喫茶レストランを
ご利用されたほうが、余計な神経を使わなくて済むと思いますよ。」
とPRに必死である。
オバサマは「それじゃあ、私服に着替えて行けば済む話しでしょ?」
と譲らない。

そうは言いつつも、
全員、出された飲み物と精進落とし料理とデザートのケーキを平らげ、
セミナーはお開きとなった。
この後は希望者だけが、
葬儀見積もりを出してもらうために残ることになるのだが、
あんなにも、セミナープログラムに入っていない入棺体験を強引に希望し、
ご自分の葬儀見積もりも希望していた左卜全似の翁は
月一回開催される、お寺の住職をお招きして開催される
「仏教について」の中の「戒名の話」の予約だけをして、
「オイラはよぉ、まだまだお迎えが来そうにもねぇからよぉ、
葬儀見積もりは今度来た時にお願いするさぁな。」
と、お上品な岡田嘉子似の媼と連れ立って、
さっさとセミナー会場を出て行ってしまいましたとさ。


うーん・・・あの二人は、元々から知り合いだったようには見えなかったし、
やはり、期せずして、終活という直接的な場において、
茶飲み友達関係が成立したのでありましょうか・・。


なお、この葬儀社は葬式仏教用の後飾り一式(5万円)も
レンタルではなく買取なので
49日以後にはゴミとして自分で処分しなくてはならないそうな。

後飾りに付いては、
或るオバサマは葬儀は無宗教の家族葬希望だが、
この国では嫌でも葬式仏教が浸透しているので、
葬儀後の不意の弔問の際の備えとして、
家にある机やテーブルに白布を掛けて代用し、
既に家にある仏壇の副葬品を一時的に後飾り段に移して、
備えておくと言っていた。

葬儀にお金をかけるか、かけないかは、
地域の慣習と遺族の世間体に対する認識で決まる。
お金をかけて、自己満足するのも良し。
故人の遺志に従って簡素にするのも良しではあるが、
個人的な思いとしては、地域の慣習などない都会の
無料のエンディングセミナーは葬儀社のPRの場でしかなく、
更には見栄と世間体に付け込み、
無駄なオプション追加に誘導する手口が妙に巧いと思っただけだった。
もし、葬送の儀式は人並みにと考えているならば、
葬儀の基本料金は明示してある金額の2倍から3倍の費用が
オプションとして必ず必要になることを覚悟しておかなければならない。
                     
葬儀社の人間は言葉遣いだけは慇懃なほどに丁寧ではあるが、
ご遺体はただの金儲けの物体にしか見えてはいないのだ・・
との思いが今も消えてはいない。



今日も、最近新築された大葬祭ホールを数ホール持つ葬儀社の
内覧会参加者募集の折り込みチラシが入ってきたが、
私がセミナーに行った葬儀社と基本プランの中身はほぼ同じながらも
総じて基本プランが約3割も高い。

とにもかくにも、大きな葬祭ホールを所有し
新聞に良質の紙での折り込みチラシを入れる大手葬儀社は
得てしてオプション料金で経営維持をしていると思われるので
高額な葬儀費用がかかるのだろう。
やはり、宣伝もせずに、昔から地域に根を張って
地道に経営している小規模葬儀社のほうが
安心できて良いのかな・・と思う。

昨日、エンディングセミナーに参加した葬儀社から、
「仏教について」の中の「戒名の話」の参加ご案内と称したハガキが届いた。
どうせ、なんたらかんたらと戒名の必要性を強調する話しだろうと推測できる。
葬式仏教からは決別宣言した私が行くわけがない。

でも・・「戒名の話」よりも左卜全翁と岡田嘉子媼の
その後の進展度合いが気になるので、
行こうかどうか迷っている最中でもある。(笑)

冗談はさておき、私は金儲けのために意図的に作られた
葬儀という儀式にはつくづく意味はないと思った。
火葬だけは市の条例で規定されているので、
必然項目として受け入れるしかないが、
単に葬儀業者に踊らされての意味のない葬儀をするくらいなら、
特定の宗教の熱心な信者でもない限りは、
「お別れ会」という形での故人を偲ぶ食事会で十分だと思った。


初めてのエンディングセミナー体験では、
参加された一期一会の方々に
大いに笑わせてもらい、とても楽しかった。
そして、刻々と死に向かって秒読み段階に入った私同様、
偶然隣り合わせた彼らには、
自らと、身近にいる大切な人々の有限の命を慈しみながら、
二度と訪れることのない今という唯一無二の瞬間を
やがて必ず訪れるその日までは悔いなく愉しく生きていって欲しい・・
と願っている。

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テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 戒名 無宗教 葬式仏教

爆笑エンディングセミナー体験記 其の6。ご遺体面会室見学と我が母の納棺の儀の際の思い出話。
さて、ここは24時間ご遺体との対面が
可能であるというご遺体面会室です。
ここにもオプションランクがあって、
一ご遺族だけが24時間専有できる個室面会室は、
一泊2万円増し。
葬儀が重なった場合に各ご遺族が
交互にご遺体と対面できる面会室は
狭い別室で基本プランに入っています。


セミナー参加者一同、お棺の廻りをぐるりと取り囲みました。
もしかして、葬儀待ちの本物のご遺体が入っているのか?
と思うほどに、冷房がガンガン利いていて、
寒くて寒くて、一分も我慢できず、
毛皮の防寒着でも着ていなければ、
ゆっくり面会などしていられないほどで、
「ここは南極か!?」と思った。
(行ったことも、死ぬまで行く予定もないけど・・)

オバサマA
「ところで、こんなに寒いところで
24時間もご遺体に付き添う人がいるの?」

案内人
「夏場でしたらいらっしゃいますが、
この時期ですと、さすがにお一人で何時間も・・
という方はあまりいらっしゃいませんが、
遠方からお越しのご親族の方々は
先ず初めにご遺体にご対面されることが多いので、
一般葬のご遺族の方には重宝されておりまして、
それなりに出入りは多いです。」

オバサマA
「あら、そうなの?わたしは家族葬希望だから、
参列者も家族だけで出入りは多くないし、
一般面会室でいいってことね。
でも葬儀が複数重なったら順番待ちで面会するわけね?」

案内人
「さようでございます。」

オバサマA
「ところで、この面会室がこんなに寒いってことは、
このお棺には本物のご遺体が入ってるの?
だってさ、この○○市では、現在の火葬待が平均4日から5日だって、
さっき言ってたじゃない?
だから、火葬待ちのご遺体が入っているのかと思って・・」

案内人
「とんでもございません。こちらの棺は見本でございますので、
空の棺でございます。」

オバサマA
「それならなぜこんなに寒くしてるの?」
としつっこく訊いている。
「ヾ(@¬_¬@)ノあやしいわ.........絶対にあやしいわ!
わたしだったら、棺に布がかけられていても、
見学者なんかに遺体を晒されたくないわ!」
と、今現在見学者であるオバサマAは腑に落ちないご様子・・。

一同、とにかく寒くて居られないので、
早々にご遺体面会室を後にして、
次に家族葬と一般葬のホール内部見学に
向かったのでありますが、
家族葬と一般葬のホールは祭壇もない
どおってことのないただの部屋・・。
だれからともなく、「次行きましょ。」と、
セミナーの最後のプログラムである、
一番最初に集まったIFのセミナールームに戻り、
精進料理とケーキの試食を頂くことになるのであります。


寒いご遺体面会室を出て思うに、
納棺に際しての、映画「おくりびと」に見るような、
あんなにも丁寧で、死者への尊厳と礼の篭った納棺の儀
現実には一度も見たことがない。
映画の中の納棺の儀・・。
あれはきっとものすごく高額なオプションなのだろうな・・と思った。

また、私の亡き母の納棺の儀の際には、
仏式の旅支度の後に納棺をするときに、
誰かが布団に付いてる持ち手を離したか、
もしくは手を緩めたのか、母の遺体が転がり落ち、
納棺の儀の指揮をしていた若い葬祭ディレクター氏が真っ青になり、[
おまけにパニック状態になっていた。

母の遺体は再び布団に寝かされ、大げさに言えば、
二度も納棺の儀を行ったことになる。
そのとき、親戚の男性が「今度は○○さん(母の名)を落とすなよ。
二度も落っことしたら仏さんに成れなくて、
地獄に落ちるといけないからよ。」
と冗談を言ったので、一人が思わず笑い声を上げたら、
その笑いが伝染しあちこちから笑いが漏れて、
厳かな納棺どころか、笑いに包まれた
バタバタとした中にも笑いの溢れる納棺の儀になってしまった。

後で葬祭ディレクターの方に「こんなことって、よくあるのですか?」
と訊いたら、超小規模の家族葬での納棺の儀の場に、
足腰の弱った高齢女性が3人しかいないときがあって、
3回目でやっとこさ、棺に納めたこともあるそうな。



生前は宴会とカラオケが大好きで、友人知人からは
「宴会部長の○○ちゃん」と言われていた母・・
あのバタバタした笑いの溢れた納棺の儀は、
私には母の意に沿った葬送だったと今も思っている。

それらのドタバタ納棺を見ていた私の孫娘
(当時小学校低学年)が、
「ねぇ?ひいおばあちゃんは地獄に落ちちゃうの?」
と心配そうに私に訊いてきた。

孫たちが幼かったころの夏休みに我が家に来たときに、
キーキーと煩い孫たちを黙らせるためと、私の単なる好奇心から、
絵本地獄」を見せた際の反応を見たくて、
私が紙芝居を見せるように感情を込め、
さらにはおどろおどろしく声色を使い分けて朗読して見聞きさせたのだが、
それを思い出したのだろうか・・?(^^;
もしかして、トラウマになっていたりして・・と思ったのだが
成長してからも、我が家に来るたびに、楽しそうに読んでいるので、
絵本地獄の意図するところは理解したのだ!と私は思っている。

爆笑エンディングセミナー体験記は次回で最後の予定です。

地獄って本当にあるのと孫が問ひあると思えばあると答へむ
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tag : 納棺の儀 絵本地獄 おくりびと

爆笑エンディングセミナー体験記 其の5。「葬儀に必要なものだけをバラ売りしてくれる葬儀社求む!」
本気で買う気もないのに、あれがいい、これがいい、
と言いながら、仏事副葬品のウィンドーショッピングを楽しみつつ、
仏事副葬品展示室をコマネズミのようにウロチョロしていたオバサマ方が、
基本プランの見本祭壇を品定めを始めた。

「この家族葬の基本プランの送り花(見本なので造花)だけじゃ、
みすぼらしくてなんか寂しいわね。
それに、出棺前にお棺の中を花で埋め尽くすには
とてもじゃないけど足りないわね。
ええと、オプションの供花は幾らなのかしら?」
と言うので
私もパンフレットを見たら、
お棺を生花で埋め尽くすために必要な「別れ花」は、
家族葬の場合はオプション費用10万円を出して
わざわざ買わなくてはならない。

すると、ある一人のオバサマが、
「ねぇ、お棺の中を花で埋めるってことだけど、
葬祭関連業者の陰謀なんじゃない。
特に花屋の!と言い出した。
言われればごもっとも。
私の記憶では、10年ほど前までは
お棺の中を花で埋めた記憶はない。


本来、棺の中のご遺体の周辺を生花で飾る行為は献花といい、
日本のクリスチャン独自のキリスト教式葬儀の葬送の儀式らしいが、
流石に多神、多仏の国、ニッポン。
仏式でも無宗教式でも、金儲けに繋がるなら、
なんでも取り入れるように洗脳してしまうのねぇ・・。(^_^;)


オバサマの一人が、
「何でもかんでもオプションという追加費用が必要なのね・・
これじゃそう簡単に死ねないわ!
必要なものだけをバラ売りしてくれる葬儀社があればいいのにね。」
と、独り言ちていたら、

「それいい考えね。」と他のオバサマ方も賛同の意を表明していた。

このエンディングセミナーを開催している葬儀社の説明では、
現在、一番ニーズの多いセットプランは
儀式なしで僧侶を呼ばない直葬だと言っていた。
葬儀社としては一番利益率の高い一般葬を挙げて欲しいのだろうが、
地域の慣習で葬儀を執り行わなければならない地方の集落と違い、
都会では人間関係が希薄であり、葬儀の形態は自由に選べる。
隣家の人が亡くなっても、数年間も知らなかった・・
のも普通のことになってしまっている。
ゆえに、時代が移り変われば、葬儀の形態も変わって当たり前だ。

だが、大手葬儀社の新聞の折り込み広告や、
我が地域の葬儀社をネットで調べても、全部セットプラン販売だ。
バラ売りでは、セットプランのように、
不必要なものを押し付けられないから
儲けに繋がらないのが理由なのだろうか?

「葬儀に必要なものだけをバラ売りしてくれる」のが
一番消費者のニーズに合っているのではないか?
と私を含めたエンディングセミナーに参加した
オバサマ方は言うのだが、私もオバサマ方も、
葬儀社が一番儲かる多死時代に死にゆく身・・
葬儀社がわざわざ、儲けに繋がらないことをするわけないか・・


それから、「爆笑エンディングセミナー体験記 其の3。
80代のおひとりさまの男女・・
終活セミナーで老いらくの恋?が始まる?」

左卜全翁と岡田嘉子媼ですが、とても相性が良いようで、
まるで何十年も苦楽を共にした
仲のいい老夫婦のようにぴったりと寄り添い、
愉しそうに語らいながら、いい感じで
エンディングセミナー会場を移動しております。
たかだか、数時間のセミナーではありますが、
どんな場所でも思わぬ出会いがあるのですねぇ。

シニアとシルバーたちよ!
「パソコンを捨てよ!終活に行こう!」
かもしれませんね。(^_^;)

死ぬための準備に訪れたエンディングセミナーで
80代の男女が恋に堕ちる・・
それが現実になったら「素晴らしき哉我が人生」
になるはずだと思いますので、
応援したくなりますが、思うように事が進まないのが人生です。
まだまだ爆笑エンディングセミナーは続きますので、
後期高齢者男女の「老いらくの恋の行方」の結果発表は
もうしばらくお待ちください。(^^;
131106r
老いらくの恋に怖るるものはなく儚く消ゆる冬花火なるや
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tag : 直葬 家族葬 一般葬

爆笑エンディングセミナー体験記 其の4。爆笑の中に隠れていた辛く悲しく重い或る女の人生の哀愁秘話物語・・
さてと、場所は前回の記事と同じ副葬品展示室です。

葬式仏教からは決別すると誓った日から、
夫の葬儀を無宗教で執り行うつもりの私は、
位牌の代わりになりそうな名前入りクリスタル遺影写真を見て、
これがいいかな?
と思って価格を見たら3万円と書いてある。
葬式仏教の戒名代を考えると安いものだが、
クリスタル遺影写真とはいっても、
重く分厚いクリルタル製写真スタンドに
写真を埋め込んであるだけの代物である。

値札の下に「文字彫りは無料」と書いてあるが、
どうせ、初めから文字彫り料も価格の中に入っているんだろうさ。

見た目は綺麗だが、同じような形状の記念品二つが家にあって、
(娘が学生時代に何かの賞で貰ったのと、夫が会社員だったときに
会社創立100周年記念で全社員に配られたもの)
今も処分できずにクローゼットの中の引き出しに押し込まれている。

「やっぱり、こんなものはいらんわ!止めよっと・・。」
と我が単細胞が即思考転換していたら、
隣で一緒に見ていた、初めからあまり言葉を発せず、
私のように大笑いもしなかった物静かなオバサマFが、
声をかけてきた。

「こんな割れやすく重いガラス製は危ないわよ。
地震のときに頭にでも落ちてきたら、あなた!そのまま彼の世行きよ。
100円ショップで売ってる落としても割れない
軽いプラスチック製の写真スタンドの外枠に
レースのリボンテープでも貼って、
スタンドの上枠にレースで作った薔薇でも貼れば、豪華に見えるわよ。
それにね、こんな生々しくて、わざとらしく悲しみを誘うような写真を
仏壇やサイドボードの上に置いてたら、
目に入る度に泣きたくなって、喪失感がなかなか消えないわよ。
寿命を全うして亡くなった方だったら良いかも知れないけど、
そうじゃない場合は、
家の中には死者を思い出すものは何も置かないに限るわよ。」
と忠告?してくださる。

「はぁ...そんなものなのですかぁ・・?」と気のない返事をしたら、
オバサマFが訊きもしないのに、彼女の過去を語り始めた。
なんでも、30年ほど前に彼女と幼いお子様を残して、
当時40代のご主人様を不慮の事故で亡くされたとか・・

「あらあら、まぁまぁ、、、、そうなんですか。
随分とご苦労なされたんですねぇ?」
と、ありふれたねぎらいの言葉をかけたら、
オバサマFは突然、驚愕することをおっしゃる。

「ウウン・・あんな人には早く死んで欲しかったのよ。
アルコール依存症で、暴力は振るうわ、会社は無断欠勤するわで、
私の勤務先の給料日のときに
わたしが汗水垂らして稼いだわたしのお給料を取り上げて、
酒屋に行こうとして車に跳ねられて、あっけなく即死したのよ。
わたしね。世間や主人の親族からどんなに薄情者と思われようと、
そのときはとても嬉しかったのよ。
命の価値の基準ってなんなのかしらね?
今も判らないけど、時間薬という薬は良く効くわね。
ときどき、あの悲惨な家庭状況を思い出すと辛いけど、
今は何の感傷も無く、初めて遇った知らない人にも
話せるようになったんですもの・・。
それにね。わたし今、ガンで闘病中なのよ。
ここのすぐ近くの○○総合病院で通院での抗がん剤の治療中なのよ。
治療をしないと余命は約一年なんだって。
もし、抗がん剤治療が効けばもっと生きられるらしいけど、
副作用の辛さに耐えられなくて、治療の一時中断をお願いして、
ここのエンディングセミナーに参加したのよ。
私には時間がないの。だから、私の葬儀はお金の問題に関係なく
ここの直葬プランに決めるわ。
来月からまた抗がん剤治療を始めるんだけど、
その前にホスピス探しに駆けずり回るつもりよ。
だって、受験生を二人も抱えた一人息子夫婦に時間的余裕も
経済的余裕もないし、いくら実の息子とは言え、
心配と迷惑はかけられないでしょ?
だから、自分の人生の後始末は最後まで自分でつけたいのよ。
でも、最後の最後まで希望を持って尊厳を保ちながら生き抜くつもりよ。」

だそうです。

立て続けにものすごく重い話のダブルパンチなので、
返す言葉もなく、呆然としていたが、
ふと言い知れぬ疑問が湧き、
「どうして、私に話をする気になったのですか?」
と訊いたら、
「こういう不幸話はみんな嫌がるでしょ?
今日のエンディングセミナーに来ている人たちでも、
本当ならば死を考え、自分の死を受容するために来ているはずなのに、
皆さんの目を視ると、死は他人事のようでもあり、
とても本気で参加しているようには見えないし、
リアルな死から目を背けているような人ばかりじゃない?
でもあなたなら、女の直感で耳を傾けてくれそうな気がしたのよ。
それにね。死期を宣告されたり、死が迫っている人間って、
感覚が尋常でないくらい鋭敏になるものなのよ。
あなたは、楽しそうに笑いながらも死に対して真剣そうに見えたから、
つい聴いてもらいたくなったのよ。傾聴ボランティア、ありがとうね。
もしかして、ご迷惑だった?それとも嫌な気分にさせてしまったかしら?」

私は、「いいえ、迷惑だなんてとんでもないです。
残り時間の少ない有限の人生をもっともっと有意義に生きるために
大いに参考になりました・・。
重いお話でしたが、聴かせていただき、ありがとうございました。」
と答えるのが精一杯だった。

お互いに名前も知らない、そしてもう二度と出会うことのない、
一期一会の人なので話してくれたのだとは思うが、
明るく大笑いしながらのエンディングセミナー参加者の中にも、
過去の悲しく切ないトラウマに支配?され、
更にはガン闘病という重圧に耐えながらも、
今を懸命に生きている人が存在していることと、
その心の強靭さと生へ希望を捨てていないことに胸が熱くなった。

私などは夫への不平不満をペラペラペラペラと尾ひれを付けて
友人たちに喋りまくりながらも、現実には夫に頼り、
甘え切ってることをそのときだけ(^^;は反省し、
そして、このエンディングセミナーに
そのとき初めて参加したことを心から良かったと思った。

実際の葬儀にかかるぼったくりオプション料金のことは別にして・・。 
131105r
秋牡丹耐える女の化身かと想わせるごと夕映えに燃ゆ

(※秋牡丹 別名:秋明菊 花言葉:忍耐)
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tag : 葬式仏教 クリスタル遺影写真 傾聴ボランティア

爆笑エンディングセミナー体験記 其の3。 80代のおひとりさまの男女・・終活セミナーで老いらくの恋♥が始まる?
エンディングセミナーも半分のプログラムをこなし、
いよいよ佳境に入って参りました。

さてと、次なる見学先は、
葬儀とその供養のために必要な副葬品展示室ですが、
くまなく見て回ったにも関わらず、
そこはすべてが、仏式葬儀とその供養の為の副葬品ばかり。
棺展示室にあったキリスト教式の棺・・
あれが展示してあった意味はいったいなんだったのでしょうか?

それはさておき、
先ず初めに説明されたのは死装束で、
基本プラン内であれば、安っぽいペラペラの無地サテン生地の死装束。
一万円から10万円のオプションで付きでは、
サテン生地の刺繍入り、シルク無地、シルクの刺繍入り、
といろいろ選べるのだが、
オバサマ方のご意見としては、「どうせ、燃えちゃうんだから」
と言うだろうことは察しが付く。

案の定・・

オバサマC
「どうせ、燃えちゃうんだから、
基本プランに入っているサテン生地の無地でいいわよね!
でもね。わたし、成人式のときに
一度だけ袖を通した晴れ着を死装束にしたいわ。
主人のときはスーツを着せてあげたいのよ。
どうしても、死装束を着ないとダメなの?」

オバサマD
「主人のときは、生前の本人の希望で死装束の上から
お気に入りだったスーツを着せたけど、
ものすごく着せずらかったわよ。
それにね。スーツ姿にはアンバランスな足袋とわらじを履いて、
おでこには白い三角布の天冠でしょ。
本来なら、ヨヨヨヨヨ............と主人の遺体にすがって
泣き崩れなきゃいけないのに
その姿を見ているとね。
( ̄m ̄* )ククククク....と笑いが止まらなかったわ。
人間って、ここは笑っちゃけない場だと思えば思うほど、
笑いを堪えきれなくなるものなのよね。
主人の親戚にはわたしが下を向いて、
悲しみを堪えながら泣いているように見えたらしいから、
一応はセーフだったけど、
今でもあの姿を思い出すと、笑いがこみ上げてくるのよ。
だから、ああいうのが良い葬儀じゃないかと思うのよ。
主人はわたしが泣かないで笑うことを想定して、
スーツを着せて欲しいと遺言したのかもしれないわ。
だから、今考えると、わざわざお仕着せの死装束なんて
着せなくてもいいんじゃない。」

そのオバサマDがつかつかと案内人の傍に行き、
「ねぇ?死装束は要らないと言ったら、
その分は値引きしてもらえるのかしら?」と訊いたら、
案内人は
「死装束は基本プランでは、棺とセットになっておりますので、
値引きは致しかねます。」

とぴしゃりと撥ねつけられたとさ。




既にセミナー参加者はオプションという言葉にマヒしており、
夜でも鉄砲でも持ってこい!的な感覚になっていて、
たかだか、5万や10万のオプション金額を聴いても
驚かなくなっており、自分、もしくは親や配偶者の葬儀を
迫り来る現実問題としての
葬儀シミュレーションをする気も失せてきたようで、
言いたい放題になっております。



次は骨壷展示ガラスケースの前で骨壷の説明と品定めです。
こちらも、基本プランに入っているのは白磁無地の大きい骨壷ですが、
花の絵柄入りで分骨用の湯呑程度の骨壷付きの2個セットでは
オプション金額は1万円から10万円まであります。

オバサマC
「ねぇ?わたしはお墓は買ってあるんだけど、
この骨壷のままお墓に入れるの?
それとも、骨壷から出して遺骨だけを入れるの?」

オバサマD
「主人の納骨のときは、土に還らせるということで、
骨壷から出して入れたわよ。」

オバサマC
「じゃあ、その骨壷の処分はどうしたの?」

オバサマD
「えーと・・・
骨壷はお寺さんが引き取って処分してくれたわよ。
もちろん、有料だったけどね。」


オバサマC
「ということは、処分代を払って処分してもらって、
結局は割って捨てちゃうの?
それなら、絵柄付きの高い骨壷じゃなくて、
基本プランに入っている一番安い骨壷でいいってことよね。」

オバサマD
「わたしもそう思うわ。社会的地位の高い人とか、
有名人だったら別だけど、
わたしのような知人も親戚も少ない人間が死んだとして、
骨壷にお金をかけるって意味があるとは思えないわ。
それに、死者が生き返るわけでもないしね・・。」

オバサマE
「あのね。わたしの友人のご主人様なんだけど、
陶芸を老後の趣味にしていてね。
自分の入る骨壷を自分で作っておいたんだって。
そして、そのご主人様が亡くなったときに
友人が故ご主人様自作の小さいサイズの骨壷を持参したら、
その火葬場は全遺骨収容が基本らしく、
持参した骨壷は分骨用の骨壷だと思われて、
火葬場の売店で特大サイズの骨壷を買わされたそうよ。」


その話を聴いていて、
私の亡き母の火葬場での出来事を思い出した。
前にも書いたが、
もちろん、東日本なので大きい骨壷(もちろん白磁無地)であったが、
火葬場の係員が熱々の焼骨を一片も残さずに骨壷に入れるように。
と言うのだ。

「あの~、入りきらないのですが・・訴えると、
火葬場の係員が手に持っていた、鉄製の長い棒で
骨壷の上から、ジャカジャカと棒で叩いて骨を砕き、
約半分の容量にしてくれた。
そこで再び母の焼きたての遺骨を入れ始めるのだが、
直ぐに満杯になる。
すると再び係員が棒で叩いて骨を砕く。
その繰り返しで、灰になった分以外の
母の焼骨のほとんどを、なんとか骨壷に収めることができた。

火葬場を後にして、自家用車で火葬場に来た人以外は、
マイクロバスでお斎会場に向かったのだが、
喪主で施主でもある今は亡き体の大きかった我が弟が
骨壷を持たされたのだが、
「重い!重すぎる!超重てぇーー!それに熱いぜ!」
と言いながら、
母の遺骨を胸に抱いていた姿がなぜか今も忘れられない。(  ”)
その弟も昨年、59歳で鬼籍に入ってしまったのでありますが・・
生まれて初めて西日本在住だった弟の葬儀に参列した
東京在住の叔母は、東日本に比べて、あまりにも小さい骨壷を見て、
「○○(弟の名前)のお嫁さんったら、骨壷代をケチってるの?
もし、お金が無いんならわたしが出してあげてもいいわよ。」
と言っていたほど、東日本の骨壷はデカくて重いのだ。



さて、個人的な我が親族の感傷に浸るのはこのぐらいにして、
骨壷の説明の後はご自由に・・
ということで各自、展示室内をてんでんばらばらに
見て回っていたのだが、
彼の左卜全似の翁は、神仏は信じていない、
と皆の前で宣言しつつも、
お上品な岡田嘉子似の媼とお棺展示室からずっと一緒に行動し、
なにやら楽しげに戦時中の苦労話などを語らいながら、
二人して、展示してある仏壇に鎮座されている
釈迦如来仏像に仲良に手を合わせていたのであります。

これって、もしかして・・・老いらくの恋の始まり???

    続く・・・


その清く静かな刻(とき)はつかの間の喜劇なのだと二人は知らない
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爆笑エンディングセミナー体験記 其の2。「神も仏も信じていないので、男のロマンでドラキュラの棺(キリスト教式の棺)に入りたい!」
さて、前回の続きですが、
エンディングセミナーの内容にはない入棺体験の例外許可をいただいた
左卜全翁がオズオズとお棺に入り、
一番高い超豪華な布張りお棺(10万円のオプション付き)に仰向けになり、
モソモソと動いていたが、やっと落ち着く定位置を探しあてたのか、
微動だにしなくなった。
それが3分ほど続き、
同グループのオバサマ方が、
次々に寝心地の感想を訊くのだが左卜全翁からは何の返事もない。

或るオバサマは、
「あらやだ、この方、願いが叶ったのでホントに亡くなっちゃったのかしら?
それとも眠っちゃったのかしら?
ちょっとー!生きているなら起きてくださ~い!」
と口々に耳元で声をかけた。

すると左卜全翁が、パチリと小さく細い目を開け、
「寝心地が良くてよぉ、つい居眠りしちまっただよ。
まぁなんだな。寝心地はいいけどよぉ、ホントにおっ死んじまったら、
寝心地なんてどうでもいいっつうことだけは良く分かったからよぅ。
さぁ、彼の世から此の世に戻ることにすっか。」
と言ってお棺から出てオバサマ方を笑わせ、
その後は、お上品な岡田嘉子媼
を筆頭に、次々にオバサマ方が約30秒ほど(時間の制約上)の
入棺体験をしたのであります。
私の感想としては、ただの長方形の箱入ったというだけで、
布団が敷いてあるわけでもないので、
体の背面の骨が痛かった・・ただそれだけでした。(笑)
他のオバサマ方も大した感想は無かったようで、
「死んじゃったら痛いも痒いもないし、あんなもんでしょ・・」
と、入棺前の興奮感はどこへやら、あっさりした感想しか出て来なかった。

皆で急いで、一番高い超豪華な布張りお棺(10万円のオプション付き)
を元の位置に立てかけ、
案内人の指示でグループ員が次の場所へ移動しようしたら、
すると、またまた左卜全翁が、
「この一番端っこにある十字架が貼り付けてある黒いお棺は
キリストさんのお棺なんだろ?」
と案内人に訊いていた。

案内人
「さようでございます。
こちらのお棺はクリスチャンの方のお棺でございます。」

左卜全翁
「さっき入ったお棺は仏式、もしくは無宗教だんべ?
ここは日本だで、は極楽に行くことになるわな・・
するってーと、この黒いお棺に入ると天国に行くことになるんだよな?
オイラのガキの頃の話だけどよぉ。ドラキュラの映画を観て、
一度でいいから、この黒いお棺に入ってみてぇ!と憧れていてよぉ。
どうせ、一度しか入れねぇんなら、オイラこのドラキュラのお棺に入りてぇな。
幾らするんだい?んっ?2万円増しかい?よし!オイラはこのお棺に決めたで、
後で見積もりに入れてくんな。」

案内人
「あの~、クリスチャンでいらっしゃるのですか?」

左卜全翁
「うんにゃ・・オイラの宗旨かい?実家は曹洞宗だけどよ。
徴兵で実家を出て以来、
戦地でな、仲間が次々死ぬのを目の前で見てからはよぉ。
オイラ、天皇さんとこの神さん(伊勢神宮)も仏教も含めてよぉ。
世界中の神仏はどれもこれも信じちゃいねぇよ。
だからよ。葬式の宗教も儀式にもなんの拘りもねぇからよ、
オイラの葬式はドラキュラのお棺で、無宗教で頼むわな。
まぁ、なんだな、ガキの頃に夢見た男のロマンってぇものかもしれねぇな。」

だそうな・・

その後も延々と話を続けたがり、
オバサマ方も面白がって大笑いしていたのだが、
何しろ時間が迫っているらしく、
案内人が割って入って強制的に話を打ち切り、
次のエバーミング室に向かった。

そこには一般家庭の洗面台を横に長~く伸ばした形状の、
シャワーと排水口がひとつづつ付いただけの代物が置いてあり、
案内人が、
「ここでは香りの良いボディソープとシャンプーを使いまして、
ご遺体を丁寧に湯灌させていただき、
ご希望でエバーミングもさせていただかせております。」と言う。

そこでまたオバサマ方がやいのやいのと言い出す。

「ええっ?湯灌もエバーミングも基本料金には入ってないわよね。
オプション費用はいったい幾らなの?」
と事前に渡されていた詳細なパンフレットを開くと、
そこには驚愕のオプション金額が書かれておりましたとさ。

おひとりさまのオバサマA
「ええっ?湯灌だけで○○万円なの?
だってさ、ご遺体を寝かせてシャワーするだけで、
どうして○○万円なのよ?
えっ!技術料なの?それだったら、この場所だけ借りて、
家から石鹸を持ってきて娘にシャワーしてもらうことはできないの?」

夫有りのオバサマB
あのね。あたしの母が病院で亡くなったときは、
看護師さんが丁寧に体を消毒をしてくれてたわよ。
あれだけでいいんじゃない?
○○万円も出して香りの良いボディソープとシャンプーを使って湯灌をして、
更にエバーミングをしても、
どうせ、火葬場で焼かれちゃんでしょ・・
まぁね。若い女性が事故で亡くなったんだったら、
エバーミングも必要と思う遺族もいるかもしれないけど、
あたしはいいわ。もう歳だから・・」

おひとりさまのオバサマB
「このパンフレットに書いてある葬儀の基本料金というのは、
今日亡くなったとして、明日ここで家族葬を執り行ってすぐに
市営の火葬場に移動して火葬にしておしまい・・
という家族葬の基本中の基本プラン。
つまり最低限のプランというわけなのね・・。
でも、葬儀後に近親者で食事ぐらいしないわけにはいかないでしょ?
それに、もちろん、お寺さんへの費用も入ってないし、
香典返しもお通夜料理も精進落とし料理も全部オプションなのよ・・。
あらやだ!ちょっと~!役所への死亡届けもオプションらしいわよ。
それに、もし火葬場が混んでて予約が取れなかったら、
更に遺体安置料として、
一泊○万円の追加料金が必要ってことなるわけね。
結局、安く見積もってもパンフレットに書かれた基本料金の
2倍の費用が必要ってことになるわね。
葬儀社ってさ、なんだか家族の死と遺族の悲しみを利用した
いけずなボッタクリ会社だと思わない?
わたしも、湯灌もエバーミングも必要ないわ。
なんだか・・そう簡単には死ねないわねぇ。
皆さん、もっともっと元気で長生きしなくちゃね!(*^^*)」

そのとき、傍で黙って聴いていたセレブ?な岡田嘉子媼が
案内人に素っ頓狂な質問をした。

「あの~質問がございますの。
その湯灌でございますけれど、
希望した場合は男女どちらの方にしていただけますの?」

案内人
「普通でしたら女性のご遺体は女性が担当致しまして、
男性のご遺体ですと、男性が担当致します。」

岡田嘉子媼
「さようでございますか・・。
わたくし、冥途の土産として、
是非とも若くて美男子の男性に湯灌をしていただきとうございますが、
それは可能ですかしら?」

案内人
「はい。ご希望でしたら可能でございますが、
美男子かどうかはお客様の好みによりますので、
今ここでは、なんとも申し上げられませんが、
見積もりのときにお言いつけくださいませ。」

私を含めたセレブとは思えないオバサマ一同が
「あら~!その手があったわね~。
だけどさ、イケメンに湯灌してもらっても、
もう死んじゃってて、感触が分からないんじゃ意味ないわよね。」
それに、○○万円のオプションじゃとても無理だわ。
と大笑いしていると、
彼の左卜全氏が口を挟みたくて、
舌と声帯がウズウズしていたようで、
「オイラもよぉ、是非とも湯灌は若い姉さんにしてもらいてぇな。
それからよぉ、そこの姉さんの言ってた
金のかからねぇ葬儀なんて簡単にできるさ。
そだな・・この○○市では火葬場の予約だけは
個人ではできねぇみてぇだからよぉ。
先ずはどこかの葬儀屋に遺体の搬送とお棺だけを頼んで
自宅に搬送してもらってだな、
その葬儀社に火葬場の予約を取ってもらってよぉ、
予約した日時にまた火葬場まで搬送だけを頼めば
それだけで、いいんでねぇかい?
そしたらよぉ。搬送費とお棺代と火葬費用だけで済むってぇわけだよ。
役所への死亡届けなんざ、家族にしてもらえばよぉ、
10万円もかかんねぇと思うがなぁ・・」

「あら、いろいろなことをよくご存知ですのね。」
と岡田嘉子媼が感心しておりましたら、
左卜全翁がポッと顔を赤らめたのを、私は見逃しませんでした。(笑)

実際、私の知人のご主人様(80代男性)には、
左卜全氏がおっしゃったように葬儀に関する遺言を残した人がいて、
ご遺族はそのようにした・・と言っていました。

世の中、葬儀の形態も様変わりしました。
葬儀社に言われるがままにしなくても、
死者を悼むことは可能なようです。







人間の命は明日、否、今から一秒後にははどうなっているかすら解らない。
ことをも視野に入れながら
私は死をタブー視する我がパートナーのもしものとき・・
のことを考えて具体的な葬儀の流れと費用を知りたい、
と思ってエンディングセミナーに参加したのですが、
参加者の多勢を占めたおひとりさまの方々は、
もちろん、自らの死の後始末を考えて参加されたようです。
いろいろな思いで集まった人たちではありますが、
あまりにも、今を生きている人特有の人間臭い思いに、
涙が出るほど笑わせていただきました。

もちろん、他人様の死を笑うことは不謹慎であり、
また不届き千万なことであることは重々承知の上ですが、
エンディングセミナーに参加された皆様は、
全員が元気で生き生きとしていました。
(多分今現在もお元気のこととは思いますが・・)
我笑うゆえに我あり・・であり、未来の己が死を、
今生きている自分が笑うことは、あの空間では大いに許されていました。

あれから、一週間近く経ちますが、私のノート型日記帳の中では
彼らは、一緒に笑い、一緒に考え、また愉しいひとときを過ごした
己が死を真面目に考える名も知らぬ終活友として、
今も元気に生き続けています。



この後も爆笑エンディングセミナーは続きます。
次回は、遺影、骨壷、後飾り、仏壇等(もちろん全部オプション)
の葬儀と仏事における供養の為の副葬品展示室での笑えるお話です。
31030rr
もう二度と逢うことのなき人なれど幸多かれと祈る秋の日
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爆笑エンディングセミナー体験記 其の1。入棺体験をさせてくれたら、この葬儀社で葬儀をしてもいいけどよ・・高齢者はゴネ得で生きるべき?
今回、生まれて初めて、
葬儀ホールを所有する某葬儀会社のエンディングセミナーに参加してきた。
参加者の年齢層は40代~80代と思しき男女28名(男性10名、女性18名)。
本来は事前予約申し込み制なのだが、或る80代男性は
事前予約申し込み制ではなくて、当日受付でもいいのかと思った。
と飛び込み参加していた。

葬儀会社にとっては事前予約申し込みであろうが、
飛び込み参加であろうが、
80代の男性であれば近い将来において
確実に葬儀という金儲けの対象である。
飛び込み参加を断るわけがないわよね・・。(^_^;)





先ずは、葬祭ディレクターの司会で
厳かな雰囲気で始まったエンディングセミナー
開口一番、講師である葬祭ディレクターは
「人は嫌でもいずれは死ななければなりません・・。
元気なときにご自分や親御様のエンディングの準備をしておくことで、
そのときに慌てなくて済みます。
もし、エンディングに関して何の準備をしていないときに、
ご親族やご家族の方がお亡くなりになって、
気が動転しているときにですね。
病院と提携している葬儀業者にご遺体搬送を任せてしまうと、
そのままずるずると葬儀までお任せして、
後々、とんでもない料金を請求されることが多いのですが、
当社は明朗会計ですので、そういうことは絶対にございません。」
と強調する。

その後、延々と当社は他社に比べて
如何に良心的な葬儀社であるかということや、
他社との違いを繰り返していたが、
参加者はと見渡すと、
ご夫婦で参加した数組も含めて、他の人たちも初対面にも関わらず、
隣り合わせた人とのコソコソおしゃべりに熱心で
半数の人は講師の話など聞いちゃいない。
それでも、30分ほどの直葬家族葬一般葬の基本費用の話の後、
「オプションについては実際に
皆様の目で見てみないと分かっていただけないでしょうから・・」
と、7人づつのグループに分かれて、
ゾロゾロと死出の旅路へのリハーサルを兼ねた
館内見学へと歩を進めることになるのであります。


その飛び入り参加の80代男性は左卜全氏似で、
見た目にはおとなしくて優しそうなご老人に見えたのだが、
テーブルを挟んで私の前に座ったときから、
両隣に座っていたオバサマたちに話かけ、
誰も訊きもしないのに、自分からペラペラと生い立ちなどを話し始め、
風貌とイメージに似合わず、
チャキチャキの江戸っ子で話し好きな人だということと、
年齢は87歳であるということが分かった。
偶然にも飛び入り参加の左卜全翁は私と同じグループに入ったのだが、
彼にとっては身に迫っている真面目?な終活であればあるだけ、
3時間のエンディングセミナー中、
最後の最後まで笑わされっぱなしだったのであります。
そして、本来ならば厳かな雰囲気の中で受講を受け、
行動すべきであるはずの
エンディングセミナーは真逆の方向性になり、
この後も見学先の各部屋で爆笑の渦が巻き起こるのでありました。


ちなみに私が振り分けられたグループは、
男性は左卜全翁が一人で他は50代~80代の
オバサマたちでした。
中には、見るからにシワクチャなお婆様もいたが、
お婆様とて、私にとっては人生の先輩なので
敬意を表してオバサマにしておきます。

そして、適当に振り分けられた私を含むグループの7名は
人生の大先輩である左卜全翁を先頭にして、
館内見学へと出発したのでありますが、
最初に見せられた部屋は見本のお棺置き場だった。

案内人が、「パンフレットに表示してある基本料金のお棺ですと、
このお棺になります。」と桐の棺の説明をする。
他にも布張りの棺が数棺立て掛けてあったが、
布張りお棺になると、
オプションとして1万円~10万円の追加料金が発生するらしい。
そりゃあ、見た目は布張りのほうが高級に見えるが、
オバサマたちは口々に同じ言葉を発した。

「どうせ、燃やしちゃんだから、私はこの桐のお棺でいいわ。
布張りのお棺を選ぶのって
わざわざ、一万円札を燃やすのと同じことじゃない?」

「そうよそうよ!どうせ燃えちゃうんだから、
有り合わせのレースのカーテンでもお棺の上に被せておけばいいのよ!」
とオバサマたちが言いたい放題の賛同の意を表しているとき、
傍らでは左卜全翁が案内人になにやら訊ねていた。

「兄さんよぉ。ここでは、
よくテレビで観る入棺体験つうのはさせてもらえねぇのかい?
オイラが死んだら兄さんの会社で葬儀をすっからよぉ。
どうでぃ?特別サービスとして入棺体験をさせてくれねぇかい?
それに、この中ではオイラが一番先に彼の世に逝くことは間違いねぇべ?
今日、ここに来たのも何かの縁だでョ、どうしても入棺体験をしてみてぇんだよ。」
それに、帰りによぉ、オイラの葬儀見積もりを出してもらうからよぉ・・」
と、切々と懇願していたが、
案内人は額に大粒の汗をかきながら、
「申し訳ございませんが、
当社のエンディングセミナー入棺体験は入っておりませんので・・
誠に申し訳ございません・・それは出来かねます。」
とひたすら頭を下げるのみ。
 

その傍で見本のお棺の値踏みをしていたオバサマたち・・

「あらやだ、身長が175センチ以上の人は
普通サイズのお棺じゃ入らないから、
オプションで3万円増しの大型サイズのお棺でなきゃダメらしいわよ。」

「やだ~!なんでもかんでもオプションばかりなのねぇ!」

「大丈夫よ。背の高い男性だって、膝を曲げさせて入れれば
普通サイズの一番安いお棺でも入るわよ。」

「じゃあ訊くけど、死後硬直しちゃってたら、どうすればいいのよ?
無理矢理に膝を折るの?」

などと、初対面にも関わらず、旧知の友のごとくに
ワイワイガヤガヤとやっていたオバサマたちではあったが、
自然に耳に入ってくる案内人と左卜全翁の話を聞き付け、
案内人に向かって、

「あーら、そんなケチなことを言わずに
入棺体験ぐらいさせてあげれば~!」

「わたしたちだって体験ではなて、
いずれは本当に入るのを承知の上でこのセミナーに参加しているんだから、
一番お迎えの近いこのお方(左卜全翁)のご希望を叶えてあげたら!」

などと好き勝手なことを言い始め、左卜全翁の肩を持ち始めた。

そして極めつけは、左卜全翁に次いでの高齢者であろうと推測される
高そうなブランドスーツを着こなし、美しい銀髪を靡かせながら、
常にお上品な風情を醸しだしていて、
今まで言葉少なに理路整然と構えていた岡田嘉子氏似のオバサマが、
「皆さま。わたくしたちは、こちらの会社のご好意で
セミナーに参加させていただいている身分です。
そのような、無理なことをおっしゃってはいけません・・
ということは、重々に分かってはおりますが、
でも・・そうは言いましても、
わたくしもこちらの方(左卜全翁)の次ぐらいに
彼の世にいく身と致しましてはですね、
この方(左卜全翁)はこちらで葬儀をするとおっしゃっているのですから、
生前サービスの一環として、
この機会に入棺体験ぐらいさせておあげになったら・・と思いますの。」
と口を挟んできた。

案内人は、しばらく考え込んでいたが、
主任の地位にある葬祭ディレクターらしく、独断での判断も可能なのか、
「それでは今回だけは特別ということで、
この方だけには入棺体験をしていただきますが、
他のグループの案内人とセミナー参加の方々には
くれぐれもご内密にお願いします・・。」
と私たちのグループに釘を刺し、左卜全翁だけの例外入棺体験が可能になった。

グループの中では、多分・・あの世からのお迎えが一番近く、
また入棺体験をさせてくれたら、
口先では確実にこの葬儀社で盛大な葬儀上げると言い張る
左卜全翁の為にだけ、案内人が基本料金に入っている
一番安い桐のお棺に手をかけたら、オバサマの中の一人が・・・

「あ~ら、あなた、商売っけがないわね。
せっかくだからこのお棺にしてあげなさいよ。」

と言って、壁に立て掛けてある
一番高い超豪華な布張りお棺(10万円のオプション付き)を
勧めるのでありました。

案内人にとっては、煩いオバサマたちと左卜全翁は、
いずれは自分の勤める会社で葬儀を上げてもらうための宣伝を、
エンディングセミナーと巧妙に名前を変えて呼び込んだ餌に、
自ら食いついてきた大事な未来のお客様でもある。(笑)

そのとき、お上品な岡田嘉子媼が、優雅な身のこなしで、
他の人に見られにようにとの配慮だろうか・・
ササッとお棺ルームのドアを閉めた。
さすがに年の功でありますね。(^^;)


案内人は「そうですか・・・・」と既に諦め顔になり、
オバサマたちもウンショ!ウンショ!と掛け声を掛けながら協力し、
超豪華な布張りお棺を部屋の床にそっと置いたのでした。

オバサマたちは、左卜全翁に
「さぁ!早く入ってみて、寝心地を教えてね!」
などと、近い未来に彼が誰かの手で入れてもらうであろう超豪華な布張りお棺に
左卜全翁が靴を脱いでシズシズと自分の足で入棺するのを見守るのでした。

そこへ、彼(か)のお上品を絵に描いたような岡田嘉子媼が、
コホン・・とお品のある咳払いをしたかと思うと、

「この際ですもの・・
わたくしも入棺体験をさせていただきとうございますわ。
お願いできますかしら?」

と言いいだしたからさぁ大変。

他のオバサマたちも「わたしも!わたしも!」
と挙って入棺体験を希望したのでした。
もちろん、私も・・(笑)


この辺から某葬儀社の参加無料のエンディングセミナーに
参加させて頂いているのか?それとも参加してやっているのか?
が分からなくなってきたようで、
偶然私が入れさせられた即席のグループに
ある種の群集心理が芽を吹いたのでしょうか・・。

今回はまだ序章であり、館内見学における行く先々での
大笑いと喧騒の絶えないエンディングセミナーは次回に続きます。

終わりとは始まりの日なのかもしれぬ終活の場は笑顔に溢れし
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終活に大忙しの団塊女性と終活など一切しない後期高齢者女性・・果たしてどちらが幸せな人生?
昨日、いつものプール仲間4・5人と他愛のないおしゃべりをしながら、
水中ウォーキングをしていたら、
A子さん(団塊世代)が、
「来週ね、○○葬儀社でエンディング講座があるっていうから
行ってみようと思うのよ。
ほら、あたしの主人は脳梗塞の後遺症で軽い半身マヒの体でしょ。
相変わらず血圧も高いし、今後もいつ何時、何があるか分からないから、
一度は家族葬の詳しい話を訊いておかなきゃ・・と思ってるの。
それにエンディング・ノートももらえるって言うし、
家に帰ったら参加申し込みをしようと思うのよ。
あたしもこんな歳になったのねぇ・・」

などとA子さんのシミジミ話を聴いていたら、

途中から一緒に並んで水中ウォーキングを始めたB子さん(団塊世代)が、
「あら、わたしなんかね、この間、エンディング講座よりも先に
○○葬儀社へ家族葬の見積もりをしてもらいに行ってきたわよ。
見積もり書によるとね、参列者は10人前後と想定して
ホール使用料と香典返しから通夜料理、精進落とし料理、
火葬費用を含めて総額で50万円前後だって。
でもね、寝台車の費用は距離によって変わるらしいけど、
お坊さんを呼ばない無宗教なら50万円程度で収まるらしいわよ。
お墓のことも訊いてきたけど、
今はお寺の墓地を買う人はほとんどいなくて、
市営の合祀墓が多いらしいわよ。わたしは散骨希望だけど、
○○葬儀社ではクルーザーをチャーターしない委託散骨なら、
粉骨費用を含めて約5万円なんだって。」

そこでA子さんがB子さんに訊いた。

「ところでさ、誰の葬儀の見積もりに行ったの?」

B子さん
「もちろん、主人の葬儀の見積もりをしてもらいに行ったのよ。」

A子さん
「ねぇ、とっても聴きにくいんだど、
 あなたのご主人様だけど・・
 今、どこか身体の具合でも悪いの・・?」

B子さん
「ウウン。主人は体も下半身も元気ピンピンよ。」


私を含む一同
「下半身も元気ピンピンよ」を聴いて笑いを堪えつつ、 
「?エッ? (;゚⊿゚)ノ マジで葬儀の見積もりをしてもらいに行ったの~!? 」

B子さん
「下半身が元気ピンピン!の話は冗談だけど、
今の世の中、どうしても女性のほうが長生きするでしょ?
だから今のうちに家から近いあちこちの葬儀社に行って、
葬儀社と葬儀の規模とお墓を決めておこうと思ったのよ。
わたしか主人か、片方が認知症になったり、
体の具合が悪くなってからじゃ自由に動けないし、
遠くに住んでる共稼ぎの息子夫婦に
会社を休ませることもしなくて済むでしょ。
誰の世話にもなりたくないけど、認知症や寝たきりになったら、
嫌でも誰かのお世話にならなきゃいけないし、
ピンピンコロリで死んでも、
最期とその後のことは嫌でも誰かのお世話になるわけでしょ?
だから、都合のいい話だけど、ピンピンコロリで死ぬと仮定して、
最低限のお世話しかしてもらわなくて済むためには、
自分たち夫婦の人生の後始末は元気なうちに自分たちで手配して、
エンディング・ノートに書いておこうと思ったのよ。
あと2件ほど葬儀社に行くつもりだし、
その後は終末期医療に関する講演会にも行くつもりよ。
それから、言っておくけど葬儀の見積もり書は
全部無料で出してくれるわよ。」

そこへ、人生の大先輩であられる御年84歳になられる
故淡谷のり子の歌しか歌わないカラオケ好きな
シャキシャキ後期高齢者のC子さんが口を挟んできた。

「あらやだ・・あなたたちったら、
わたしより20歳近くも若いのに、もうそんなことまで考えてるの?
わたしなんて一度もそんなことを考えたこともないし、
これからも考えたくないわ。
そうよねぇ・・考えたくない・・というか
この歳になると死の恐怖が先に立って、
そういうことを考えるのを避けているのか、
もしくは気力がないのかもしれないわね。
だから、わたしはそういうことは死ぬまで考えないし、
終活なんて絶対しないわ。」

ときっぱりと宣言していた。


元気なうちに死に支度を考える団塊女性と、
そんなことは考えたくもないという後期高齢者女性・・。

人の命の明日は分からない・・は一応無視するとして、
平均寿命から考えると、運良く災害死などに遭遇しなければ、
あと20~30年以上は生きられる可能性が高い団塊女性が
自身とパートナーのエンディングのために行動している。

また、運良く災害死などに遭遇しなくても、
団塊女性よりは確実に生の残り時間短いであろうと思われる
80代の後期高齢者女性はそんなことは考えたくもないという。

笑いを交えながら終活を進める団塊女性と
死はタブーにしている80代女性の
どちらが充実した生の時間を過ごすことができて、
どちらが幸せなのかは私には分からないが、
団塊世代には嫌でも2025年問題が待っている。
名も無き数多の人々にとっても、国家にとっても、
早急になんとかしなければならない懸念材料でもある。

2025年問題
団塊の世代が2025年ごろまでに後期高齢者(75歳以上)
となることにより、医療費など社会保障費の急増が懸念される問題。




それにしても、私とほぼ同世代で終活を行動に移し、
エンディング・ノートを活用している女性が
身近にいることを初めて知ったのは大きな収穫でもあった。
次回、プールで会った日はB子さんの彼女なりの考える
終末期医療についての詳しい話をしてくれるそうである。
多分、適度な笑いを交えながらも大真面目に・・。

さて、私も手始めとして、
新聞のチラシで時々入ってくる某葬儀社主催の
参加費無料のエンディング講座(家族葬について)
に申し込んでみようかしら。
今をより良く生きんがために・・。

エンディング・ノートを独り書き直す窓辺の机に黄昏迫る
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tag : エンディング講座 合祀墓 委託散骨 2025年問題 終末期医療

日本人の死生観はアニミズム信仰のDNAから抜け出せない?・・М様からの「仏教をどうお考えですか」への返答も兼ねています。
北海道のМ様からメールフォームを通して、当ブログの
葬式仏教からの決別宣言には同感の意を表明していただきましたが、
「その昔釈迦が興したといわれる仏教という宗教については
どのようなお考えを持っておられるのか、
何かのついでのときでよろしいですから、
お示しいただければ幸いです。」
との、ご丁寧なお言葉遣いでの真摯なご質問を頂きました。

私は仏教については葬式仏教における死者への儀式程度しか知りませんし
また、仏教史についても、
高校時代に日本史で習った程度の拙い知識しかありません。
それでも最近では歳のせいなのか・・?
「大法輪」という仏教系の雑誌を読みたい特集記事のあるときだけは購入したり、
bible
聖書」「コーラン」「チベット死者の書」も一応は時間をかけて読みましたが、
無知無学の所以でありましょうか、ほとんど理解不可能でありまして、
未だに「仏教を含む宗教とは何ぞや?」に対して私なりの正解は出ていません。


また、今までも仏教について深い思索を重ねたこともなく、
確固たる信仰を持っているわけでもなく、
現在は「人は死ねば無になる、霊や魂は存在しない」
との考え方から抜け出せないでいます。

そういう理由から、拙い知識に因るイメージと直感だけで
私の仏教についての思いを述べさせて頂きます。

私の実家には、私が生まれる以前から古い仏壇があり、
戒名の判読もできないほど色褪せた位牌が仏壇に置かれていました。
私が物心が付いた頃からは母に頼まれて、毎朝、朝炊きたてご飯とお味噌汁と
野菜の煮物やお漬物を仏様に供えるときには、
当たり前のように毎朝仏壇に手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えていました。
ですから、知らず知らずのうちに我が家は仏教徒なのだろうと思っていました。

ところが、今になって遠い記憶を掘り起こしますと、
祖父母も父母も熱心に仏教を信仰している様子でもなく、
お寺に頻繁に行くわけでもなく、
お盆やお彼岸に住職を呼ぶこともありませんでした。
つまり檀家には属しておらず、父が亡くなって初めて、
母が曹洞宗のお寺と檀家契約をしたようです。

今思えば、我が祖父母も父母も敬虔な仏教徒には程遠く、
仏教伝来以前の日本人に古代から連綿と続く、
アニミズム信仰(生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、
もしくは霊が宿っているという考え方)
でしかなかったのだと思えてならないのです。


そして、ここからは、私の仏教に対する思いを、
代弁してくださっているかのような
日本の著名な宗教学者の山折哲雄氏の
著書「地獄と浄土」から一部を引用させていただきます。

ご周知のように、日本人の間に今日も色濃く存在し、
しかも大きな影響力を持っている信仰として祖先崇拝があります。
この祖先崇拝というのは必ずしも普遍的な信仰形態ではなくて、
たとえば世界の文明国家のそれと比較しても考えてみましても、
ヨーロッパ世界におきましては、はるか昔のローマ時代を最下限として、
この祖先崇拝というものはすでに消滅している。ところがこれに対して、
アジアにおいては、祖先崇拝は非常に根強く伝承せられているのですが、
そのなかでも特に日本の祖先崇拝は、その細密な儀礼体系からいっても、
また共同体と深く結びついたあり方からいっても
ある意味で世界に冠たる文化的特徴を
示しているのではないかと思えるほどであります。
 



そういう祖先崇拝の根底には必ずその民族や社会に
特有の霊魂観というものが潜んでいると思うのです。
とすれば、日本に仏教が輸入される以前の日本の社会、
あるいは日本人にとりまして、
いったい人間の霊魂というものはどのように
とらえられていたのかという問題がでてくるわけであります。
端的に申しますと、肉体と霊魂というものは
分離したり結合したりするのだという観念が非常に強くあったと思います。
これは「万葉集」をはじめ「古事記」「日本書紀」などに、
色濃く現れている思想でありまして、
いわば遊離魂に関する問題であります。



いずれにしても記紀・万葉の古い時代におきましては、
日本人に固有の霊魂観のなかに、霊魂と肉体は分離したり、
結合したりするのだという考え方が、
重要な前提としてあったのだと思うのです。

ところが、そういう日本人の霊魂観のなかに仏教の思想が入ってまいりますと、
当然大きな変化が起こるはずであります。
と申しますのは、仏教は言うまでもなく霊魂の存在を、
建て前として認めておりません。
釈尊の教えによりますと、
霊魂があるかないかという問題を単に形而上学的にのみ議論するな、
という意味のことを言っている。
釈尊はけっして、そもそも霊魂は存在しないのだとは
言っておらないのですけれども、
とにかく存在するかしないかということを
いくら議論してもこれは結論は出てこない。
結論が出てこない問題に執着するのは本来の仏教の立場ではない。
こういう見解だろうと思います。
しかしとにかくそういう霊魂というものを建て前として
正面から認めていないのが仏教の根本的な立場であります。
とすれば、そういう霊魂を認めない思想としての仏教が日本に移植されますと、
それ以前から日本人が生活の根底に強く持っていたところの、
今述べましたような霊魂観と、それは激しくぶつかり合うことになる。
異質の文化の衝突が発生するわけでありますが、
そこでは当然日本人の固有の霊魂観も変わってこざるを得ないし、
同時にインドから中国を経て伝来してきた仏教の固有の思想も、
これまたそういう日本の風土において、
その霊魂観とぶつかり合うことを通して変化せざるを得ません。


阿弥陀仏のような超越的な仏が行者の前やわれわれの前に現れてくるのは、
現実のこととしてあり得ない。具体的なこの実在の世界、
現実の世界に阿弥陀仏が近づいてくるということはあり得ないわけです。
現実的には絶対にあり得ないそういうことが、
どうして可能かというと、
夢のごとくに現れてくる。そして夢のごとくに仏と邂逅できる、
というのであります。
ところでこのような考え方がさらに徹底しますと、
われわれの心身が浄められた時、そこに仏が宿る、
映発するという考え方が出てまいります。
仏は外部にあるのではない、われわれの心身の中に内在するのである。
あるいはわれわれの心そのもののなかに存在している。
それはわれわれの外部に超越しているのではない。
われわれの心と身体の統合体のなかに潜在している。
ただ問題なのは、それが実際にわれわれのうちに現れてくるか、
現れてこないかということである。
それでは現れてくるためにはどうしたらいいのか。
そこから、自分の心、全体としての心身の活動を浄化するほかに
方法はないという態度が出てくるわけです。
そしてこのような考え方は、実はインドにおける仏教の発展のなかで、
ずっと古い以前から言われてきたことです。
心が清浄であれば、そこに浄土が自然に現れる、宿るという考え方は、
インド以来伝統的な考え方なのであります。
それを、日常的な経験世界における心理的な事象に結びつけて考えたところに、
この「如想念」という宗教思想の独自性があると私は思うのです。


現代の日本社会は明らか「地獄嫌い浄土好き」の傾向を示しはじめている。
この高齢化社会にあって安楽のうちに死を迎えたいという願望が
うなぎのぼりに高まっているためなのだろう。
癒しという言葉が流行っているのもおそらくはそのためだ。
誰でも地獄のイメージの中で癒されたいとは思っていない。
癒し願望というのは、要するに現実世界を浄土に見立てて、
その中で自己を回復し開放しようとする切実な思いのことなのであろう。


Aなるものは、そもそも存在するのか。
単純な設問である。
それに対する応答の第一はAは存在する、である。
これを有の立場という。
第二のパターンはいうまでもなく、
Aは存在しない、であろう。
これを無の立場という。
そして第三に、Aは存在するのでもなく存在しないのでもない、がくる。
これを非有非無の立場という。



神話や絵画や文学に登場する数多くの地獄の描写は、
一面では永遠を祈求する人間の裏返しにされた意識を表していますが、
他面では醜なるもの、グロテスクなものに対する
切実な関心とコンプレックスを含んでいます。
美の中に醜を見、醜の中に戦慄を嗅ぎわけようとする快感に、
それは似ていないでしょうか。
われわれの心のうちに潜んでいる悪意や殺意や怖れの感情は、
美や極楽の世界ではけっして安定しないのであって、
醜と戦慄の万華鏡のなかではじめて鎮静することができるという洞察が、
東西の地獄学の系譜のうちには底流しているようであります。
引用ここまで----


引用による前置きが長くなりましたが、
他宗教ながら、イエスの逮捕時に逃亡した若者がいる。
墓でイエスの復活を告げる若者は果たして同一人物なのか?
という本も出版されています。

果たして釈迦も実在の人物だったかどうかは疑問の残るところですが、
日本の仏教各宗派による経典の解釈の違いは無視するとして、
私は釈迦は宗教家ではなく、鋭い洞察力と直感力を持ち合わせた
偉大な思想家だと捉えています。


また、釈迦が興したといわれる仏教という宗教ですが、
釈迦が本当に説いた教典が存在しているのかどうかは私ごときには分かりませんし、
一方、現代の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には、
「釈迦は輪廻説を前提としておらず、
インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を
直接的に否定することをせず、方便として是認したに過ぎない」
と主張する者も少なくないそうです。

如何様にでも解釈は自由ですので、
本来の釈迦の教えは歪曲されている可能性も否定はできません。

また、アンブローズ・ビアスは悪魔の辞典の中で、
宗教とは「希望」と「恐怖」の間に生まれた娘で、
「無知」に向かって不可知の性質を説明する。
お前さんや、お前さんの宗教はなんじゃな」リームズの大司教がたずねた。
「お赦しください、大司教様」ロッチェブリアントは答えた。
「お恥ずかしい次第です」
「では、なんで無神論者にならんのかな」
「そんなことはとても。無神論なんて滅相もない」
「それならばじゃ、プロテスタントになるがよいぞ」

他にも劇作家の別役実氏は「当世悪魔の辞典」の中で
宗教とは「結婚式と葬式のためのドラマツルギー」
マルクスは「宗教は民衆の阿片である。」
     「神が人を創ったのではない。人が神を作ったのだ」
レーニンは「宗教は毒酒である。」
ニーチェは「キリスト教は弱者の宗教であり負け犬の遠吠えでしかない」
と簡単に切り捨てています。




M様は「墓の掃除をし、燈明と線香をたき静まり返った
静寂の中で手を合わせしばし墓前に佇づんでいると、
思いかけず心が澄み渡り悠久の時の流れと空間を感じます。
大げさに言えばこれがもしや仏国土とやらを垣間見ているのかも、
と思ったりします。この墓参のときのこの感覚がとても好きです。」
また「仏教という宗教は線香臭いことを抜きにすれば
ひとつの宇宙観を持った宗教であるといえます。」
と述べられています。

確かにM様がご指摘のように、宇宙は全体として、ひとつの生命体です。
そして、仏教の教えの基本は、この世に偶然に起こることは何もない、
すべての原因を変えることでより良い結果を生み出さなくてはならない、
仏教ではこれはカルマの法則と呼び、
現代科学では原因と結果の法則と呼ばれています。

M様のように心身の浄化のために日々精進され、
そして癒され、心が安寧をお感じになるのでしたら、
私のような不信心者には到達し得ない境地であるところの
全体としてひとつの生命体である宇宙そのものになる神秘体験を得る能力を
会得されたのではないでしょうか。

それとも・・・私の想像でしかありませんが、
もしかして、お釈迦様とご先祖様の霊に
ご加護される域に到達なされたのかもしれません・・。
その根拠としては、
脳の側頭部の深い場所には神の領域と言われる部位があるそうです。
この部位の神がかりな体験は理性をも制圧し、
恍惚感及び神仏との一体感と思しき確信をもたらすそうです。



例え、イエスも釈迦が架空の人物であろうとも、
私は思想家としてのイエスと釈迦の思想=教えそのものを
否定するつもりは毛頭ありません。

生まれも育ちも日本である私のDNAには、
古来よりのアニミズム信仰がどこかに存在していると思っています。
それに、信仰問題は別にしても、
日本人である私には仏教が一番しっくりくることだけは確かです。

とは言いましても、来世があるかどうかについては今現在は、
超ひも理論による来世という異次元界は存在しない・・
と考えておりますが、もし、今後、命に関わる大病に罹り、
ホスピスに入るようなことがあったら、
来世を信じるかもしれません。
また、そのホスピスがキリスト教系だったら、
あるかないかも解らない天国に行きたいがために、
取引として迷わずに洗礼を受けるかもしれません・・。

チベットの死者の書が言ふ中有(バルドゥ)は己の生前の生き方に在りと
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「死を見つめることは生を見つめること」を実践し、抗がん剤治療を拒否して逝った友の潔き死にざまを思う・・。
蒸し暑い日はプールに限る!といつものノー天気な感覚でプールに行ったら、
約3カ月ほど前から姿を見せなくなっていたSさんご夫妻(お二人とも70代前半)
のご主人様だけに入り口で出会った。

いつも仲睦ましくプールに見えていたSさんご夫妻。
奥様は私同様に腰痛があるといっていたので、もしかして悪化でもしたのかな?
程度に考えていたのだが、
必ずペアで見えるご夫妻なのになぜか今日は奥様の姿が見当たらない・・。
不思議に思いながら、「こんにちは。お久しぶりです。
ところで、?今日は○○○さん(奥様の名前)は?」と訊ねたら、

なんと・・・ガンで一ヶ月前に亡くなられたとのこと・・。




茫然自失状態でおかけする言葉が浮かばない私・・。


そんな私を見て、Sさんが「ロビーの椅子に座りませんか?」
と優しく声をかけてくださり、横並びで座った私とSさん。


そのSさんがおっしゃることには・・・・


『実はですね。今だから言えますが、
女房にはね。五年前に受けたガン検診で
転移性のガンが見つかったていたんですよ。
医師からは手術は無理なので抗がん剤でも・・
という話があったのですが、
女房は「今はどこも痛くも痒くもないのに
体力気力精神力を奪う抗がん剤治療を受ける必要はない。
私はその日が来るまではで、この家で今のままの生活を続けたい。
それに、歳を取れば二人に一人がガンで死ぬ時代なのだから、
私はガンもいずれ必ず来る死も受け容れます。
やがて、そのときが近づきつつあったらホスピスに入ります。」
と言い張りましてね。
僕と娘は何度も何度も「あなたの命はあなただけのものではない。」
だから、抗がん剤治療を受けて欲しい!と頼んだのですが、
女房は「60歳を過ぎたらもう余生であって、私の命は私ものものなのだから、
私の命の終わらせ方は私が決めます!」
と普段から穏やかで物静かで僕には従順だった女房が、
頑として抗がん剤治療に同意せずに自分の意思を貫き通したのです。
あんなに自己主張をする女房を見たのは初めての経験で、
僕には抵抗すらできませんでした。

そういうわけで、ホスピスに入るまで何事もなかったような
顔をして、二人でプールに通い続けていたのです。

それでも、ガンは緩やかに穏やかにですが、
着々と進行していたのでしょう。
ちなみに女房は医師にも僕にも「余命は知りたくない!」と言うので、
僕だけが訊きましたが医師は一年から数年と言っていました。

もちろん、娘も初めのころは、
「もしかしたら、抗がん剤治療が効果を発揮するかもしれないじゃない?
だから、お母さんお願いだから治療をけて!」と、
しつっこく抗がん剤治療を進めていましたよ。
でも、あまりにも自分の意思を曲げないので、
途中からは「お母さんの選んだ人生なのだから・・」と
抗がん剤治療のお願いも説得もしないようになりました。

ガン告知を受けて、何の治療も受けず、また余命も知らずに
約五年間も当たり前の生活を続けられたんですから女房も本望でしょう。
力ずくで抗がん剤治療を無理強いしていたら、
女房の死期を早めていたかもしれないな・・。
と今は考えるようにしています。


亡くなる二か月程前には女房が自分でホスピス入院の手続きをしてきましてね。
そのときにはすでに自分の死期を悟っていたのでしょう・・
僕はいざとなれば在宅で最期をと考えていたので、
寝耳に水の話で驚きましたが、
女房の意思は固くて覆すことはできませんでした。
後に、僕に迷惑をかけたくない一心でのホスピス入院だと知って、
女房の生き方にも最後の締めくくり方にも、
今は堂々と自慢の女房だったと言い切ることができます。

また、ホスピスに入ってからもですね。
思ったほどの麻薬に因る緩和ケアを受けることも少なくて、
尊厳を持って最期に至る日々を過ごしていたように見えました。
そのときには、自分の死を100%死を受容していたのでしょうかねぇ?
鈍感な僕には女房の葛藤や本音は判りませんでしたけどね。
最期の日の昼ごろには「わたし、もうすぐ永遠の世界に行きます・・。
あなた、○○ちゃん(娘さんの名)、今まで幸せな人生をありがとう。」
の言葉を残して、その後は意識混濁状態になりましたが、
夕方には穏やかな顔をして凛とした最期を迎えてくれました。
僕にはとても真似できそうもないですがね。
それに、世間で言うほどには僕に喪失感がないのも
女房が僕と娘宛てに書いておいてくれていた
感謝の言葉に溢れた「思いやりノート」のおかげだと思うのです。
世間ではエンディング・ノートと呼ぶそうですが
僕には「思いやりノート」なんです。

僕なんかは女房のような「潔いな死にざま」は絶対無理だな・・
抗がん剤治療が命を縮めるかどうかは僕には判りませんが、
医師に言われるままの治療を受けるでしょう。
そして、最期には「まだ死にたくない!」とか叫びそうな気がしますよ。
叫ぶ体力があればの話ですがね・・。
それにしても、女性は最後にはあんなにも強くなれるものなんですね。
女性は死ぬのって怖くないんですかね?ボケ田さんもそうですか?』


と訊き返された。


ありきたりのお悔やみの言葉のあとに、
「男女に関わらず、死に対する考え方は人それぞれだと思います。
奥様の○○○さんとはよくメメント・モリに関するいろいろな話をさせていただいておりました。
他の皆様はそういう話は縁起でもない。
と嫌がる方が多いので私とだけしかそういう話はしていなかったと思いますが、
奥様は「死を見つめることは生を見つめること」と常々おっしゃっていましたので、
この方は凛とした生き方をしている人だわ。とはいつも感じておりました。
ですから、まさに身を持って、凛としたエピローグをも実践されたのだと思います。
それから、人生に対する考え方にも共感できることも多くて、
もっともっといろいろなことをお話したかったです。
生死に対する考え方が私と似ている人生の先輩を
失ったことは私にとっては非常に残念なことです・・。」

と答えるのが精いっぱいだった。




家に帰ってきてから、改めて遠藤周作「死について考える」を読み返してみた。


諦という字、これはあきらめで、日本では普通ギブ・アップと同じ意味だけど、
仏教ではこれは悟りであるわけですね。
我執とかエゴとかあらゆる執着から脱却することらしいのです。
あの松川裁判を書いた広津和朗さんは、晩年、道徳なんて若い者には必要だろうけど、
年をとると必要なくなるね、体力気力が衰えて来ると、
別に道徳を説かなくても、人減なんて自然に道徳に従うようになるものだ、
と言っておられたそうです。
年をとればそうなるかもしれませんが、若くたって、長い入院生活をしていると、体力が衰え、
病室で毎日苦しい思いをしているから、別に解脱したくなくても、
もうこんな世界なんてどうでもいいやという気持ちになりまして、執着も煩悩もなくなります。
執着する体力気力がなくなるのです。
私はそういう経験を三度目の手術のときにしたことがありますが、その時は、面白くもなく、
苦しいだけの世界からのがれて、早く次の次元に行きたい、と考えるようになりました。
何度か入院して、元気なときは死というものが怖かったけれど、
次第にそんなものは怖くないという気持ちになったものです。
でも、ドストエフスキーの作中人物が言っているように、
人類が死を恐れるのは死の瞬間がピクッと痛い、そのピクッが恐ろしいからかもしれません。
でもピクッのあとには・・・・・・。
私は先輩や肉親の死に顔を真夜中によく思いだします。
どんな死に顔にもかすかな微笑が漂っているか、安心したような翳がありますね。
あれはピクッを過ぎたあとの表情だと思います。
「入る時は冷たいが入ってしまうと・・・・・・」とセスブロンは死について言っていましたが、
死に顔はその「入ってしまった」安心の顔なのですね。
あの顔の中には永遠が隠れています。ピクッのあとにその海が広がっている。
                      P120~122より抜粋

友人の○○○さん 享年7X歳 永遠の世界に旅立ちました。
私と彼女が共通して好きな曲「G線上のアリア」を亡き友に捧げます・・合掌

歳を取るのは容易くも重ねることは難しと思ふアリア聴きつつ
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延命治療を止めて欲しいのですが・・と相談したら、「ミイラにする気ですかっ!」
約半年ほど前、知人のA子さん(70代前半)のご主人様(70代前半)が
脳内出血で倒れ、某病院に救急搬送された。

A子さんはご主人様の開頭手術後に半身マヒ等の後遺症は残っても、
なんとか命だけは助かって欲しいと願った。
願いが叶い、ご主人様は命だけは助かった。

ただ、意識不明の植物人間のような状態として・・。




そして今日、バス停で遇ったA子さんが
その後のご主人様の病態を語ってくれた。

療養型病院に移されたに後に
如何ともし難かったのが胃ろうによる栄養補給だったそうな。
なぜか、胃ろうで食物を摂ると高熱が出るらしく、
仕方なく経鼻胃管栄養法に戻したという。

ご主人様の意識が無くなって約半年。
心臓だけは規則正しく動いているものの、
自発呼吸ができないために、
フェイス・マスクによる酸素投与器も付けられている。

彼女は一日も欠かさず病院に通っているが、
意思疎通ができるわけでもなし・・
最近では、彼女にとって目の前のベッドで昏々と眠っているのは、
長年生活をともにした自分の夫ではなく、
まったく知らない人がベッドに横たわっているかのような、
なんとも奇妙な感覚に襲われることが多くなった・・。
と、心の変化をも淡々と語ってくれた。



そして、先日、意を決して、
夫の意識が戻る可能性がないのなら、
延命治療を止めて早く楽にしてあげたい・・。」
と思い、既に家庭を持っている一人息子とも相談して、
双方が納得し、主治医に「延命治療を止めて欲しいのですが・・」
と、おそるおそる相談したら、
「酸素投与と経鼻胃管栄養法延命治療ではありません!
ご主人様をミイラにする気ですか!」
と怒鳴られたそうな。

ご主人様も倒れる前は延命治療はしないで欲しいと
常々言っていたことも伝えたが、
「今の措置は延命治療ではないので
お身内の方の意見であっても止めることはできません!」と
医師は首を縦に振らず、A子さんの頭の中では延命治療
医師の頭の中では延命治療ではない治療が今も続いている。

A子さん曰く、現役医師が書いた
「延命治療を拒否し、自然死をしましょう」的な本が
たくさん目に付くが、現実の医療現場では
まだまだ受け入れられていないと思う。
それに、延命治療の線引きは病院の経営方針によって
大きく変わってくると彼女は力説していた。

人生の先輩であるA子さんの話は重かったが、
私にとって、今まさに老いは現在進行形であり、
明日は我が身かもしれない。
老いと死を見つめる上でものすごく参考になった。

バス停でのたかだか15分程の会話だったが、
この話を聞いて、他の似た事例で、両極端とも言える
医療機関の延命治療に対するスタンスの違いを思い出した。

約20年ほど前、
友人B子のご主人様(当時40代前半)が脳内出血で倒れ、
やはり意識不明の植物人間状態になり、
そのときに運ばれた東京の大学病院では、
倒れて3日後には、主治医がB子に、
「このまま延命治療を続けると経済的負担がかなりの額になります。
このまま続けますか?・・それとも止めますか?」
と訊いてきたのでB子は考えた末、「止めます」と答えたら、
すぐにフェイス・マスクによる酸素投与器
経鼻胃管栄養管を外したくれたと言っていた。
(数時間後にB子のご主人様は亡くなられた・・)



延命治療の線引きと、その在り方について、二つの事例を載せたが、
もの言えぬ患者の家族による延命治療の可否は20年前は可能で、
現在は不可?なのだろうか・・。

知人や友人の親たち(現在80代~90代)が入院する際には、
どこの病院でも必ず、延命治療の是非を訊かれると、
皆が口を揃えて言っている。

自然死で静かに夫を逝かせてあげたいと望む老妻と、
なんとか患者の命を繋ぎたいとの使命感?からか、
治療に燃える医師との心のすれ違いはどこからくるのだろう。

もしかして、A子さんのご主人様の治療方針は、
医師個人の死生観から来ているのだろうか?
それとも・・・・
130707r
病棟の七夕飾りに書いたとう早く目覚めて夢でもいいから・・
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tag : 延命治療 胃ろう 経鼻胃管栄養法 酸素投与器 療養型病院

世の中、めあき千人、めくら千人、残りの8千人はバカである。市場とは、このバカによって構成される。
「世の中、めあき千人、めくら千人、残りの8千人はバカである。
市場とは、このバカによって構成される」これは某広告代理店の
社長が言い放った言葉。まさに顧客をバカと見下し、卑下しきっている。」

この本の「はじめに」の冒頭に書かれている言葉である。

私自身も「残りの8千人はバカ」に入ることは間違いない。

なるほど!と思う部分も多く、いろいろ紹介したい項目があるが、
今現在、私の一番関心のある部分から徐々に紹介していこうと思う。



私は来週、持病の薬を処方してもらうために、某病院に行く。
そのときに、特定検診の予約もしてこようと思っているが、
もし特定検診以外のガン検診を希望するならば
オプションとして同時に申し込まなければならない。
う~ん。ガン検診ねぇ。どうしよう・・・(;一_一)
と悩んでいたところ、この春に読んだ「日本の真相」という本に
『有害無益な”5大検診”病人狩りキャンペーン』P82
と書いてあったことを思いだした。

その内容はというと・・

(1)人間ドック、(2)脳ドック、(3)がん検診、(4)メタボ健診、(5)定期健康診断―
これらを5大検診と呼ぶ。
これらは受けても有害無益である。
これら“5大検診”は、表向きは「国民の健康を守る」という建前になっている。
しかし、ホンネは巨大医療産業の利益を守るために存在する。
手っ取り早く言い切ってしまえば、これらは医療マフィアによる“病人狩り”の罠なのである。
まさか・・・・・・と、あなたは、またもや絶句するだろう。
とにかく、日本人ほど検査好きな国民は、世界でも例がない。
検査をきちんと受けていれば、病気を予防でき、病苦を免れ、長寿ができる・・・・・・
と信じきっている。
しかし、それは、まったく逆の残酷な結末にあなたをもちびくのだ。
つまり検査を受けるほどあなたは病気になり、病苦に苦吟し、なんと早死にしてしまう。
あなたは耳を疑うかもしれないが、それは私が言っているのではない。
取材に応じてくれた日本で最高レベルの学者が、
詳細な統計数値を駆使した多数の国際的な論文を根拠に、そう結論付けているのだ。
「しかし・・・・・・」とあなたは、言葉を失うだろう。
「政府がこれらの検診を推奨しているじゃないか!」そのとおり。
「新聞やテレビでも、検診が有害無益なんて一行も書いていない!」まさに、そのとおり。
あなたは、いまも「政府が言っている」「メディアが書いている」ことを信じるのか?
それなら馬鹿正直もきわまれり。
3・11で明らかになった原発事故の目のくらむ虚妄を、もう忘れたのですか?
原発は「絶対事故を起こさない」「クリーンエネルギーだ」「もっとも安上がり」・・・・・・
赤子でも気づくような嘘が、戦後60余年にわたって垂れ流されてきた。
P82

・・中略・・

  つまり、「検査」「クスリ」「医者」「病院」が病気を治してくれると信じきっている。
これは根本的な誤りである。致命的な考えちがいである。
 病気を治すのは、生まれながらみずからの内に備わった自然治癒力である。
それは、古代ギリシアの医聖ヒポクラテスが、すでに喝破している。
「医者の務めは、これら自然治癒力を助けることにすぎない」と断言している。
 なのに、現代医学教育は、自然治癒力について一言も教えない。なぜか?
 人間はほうっておいても、ひとりでに病気が治ってしまうという真実を教えたら、
「医者も、薬屋も、オマンマの食い上げ」となるからだ。
 だから、権威とされる『南山堂医学大辞典』ですら「自然治癒力
の項目は削除されている。それどころか「治癒」という項目すら抹殺!
わたしは現代医療は、国際的な医療マフィアに完全支配されていると断言する。
P84

と書いてある。


夫が会社員だった頃は健康保険組合の補助があったので、
各種のガン検診を受けていた。そのたびに必ずどこかが
要精密検査を言い渡されていた。
痛い思いをしてマンモグラフィによる検査を受け、
精密検査のために県立ガンセンターに行かされ、再び痛い思いをして、
精神的苦痛も何回味わったか数えきれない。
もう、痛い、苦しい、辛い思いをして各種のガン検診を受ける気はないが、
1年に一度ぐらいはメタボ健診の血液検査だけでも受けて、
今の体の状態を知っておきたい気持ちもある。
もしかして、運動と食事で高脂血症だけでも少しは改善されているかもしれないし・・。
などと、意志の弱さがボケた頭を揺れさせる。

私が予約しようとしているメタボ健診も有害無益らしい。
上記の本の書かれていることがすべて真実ならば、
私は「残りの8千人はバカ」の中に今後も居続けることになる。

世の中というものは、
何が真実で何が嘘だか判らない世界だということは
人類が存在する限り、永遠に不変なのだとつくづく思う・・。

タレントの病を見つける番組をつい見てしまふ我が狭き心は
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tag : ヒポクラテス 自然治癒力 医療マフィア

刻々と我が死はちかづきつつありぬ眠れぬ夜のとばりの中に
私が行く市営プールは平日の日中の時間帯は約90%が中高年であり、
その中で年金生活者、つまり60代以上が約80%を占める。
我が家の前の道路は年金通りと言われて久しいが、
安価な利用料で一日中泳げる市営プールにも高齢化の波は押し寄せていて、
高齢者御用達年金プールと呼ぶ人もいる。

ゆえに、もし一ヶ月もプールを休めば、
「彼、死んだのかしら?」「彼女、重い病気で入院中かしら?」
等々の噂が飛び交う。


私も昨年夏に指を怪我して長期間プールに行かなかったら、
すでに仏様にされていたことがあった。
そこでの久しぶりの挨拶はといえば、
「なんだ、まだ生きとったんか?」
「えっ、やだ~!死んだって聴いてたわよ」
などと特に親しい間柄の人からは冗談半分で言われることもある。

私も「あの世に行きかけたけど、
未練があり過ぎてまたこの世に戻って来ちゃった。」
などと言い返して大笑いしているが・・・
そんなときはこれが高齢化社会なのだわねぇ。とシミジミ思う。

そして、今日のプールでの話。
この一ヶ月ほど姿を見せなかったKさん(60代前半女性)が
げっそりした面持ちで久しぶりにプールに現れた。

私と同様に、Kさんも
「大病を患っているらしいとか、もう死んでいるんじゃない?」
とか冗談めかして言われていたが、
プール仲間一同は私にかけたと同様の言葉をかけ、
大笑いで事無きを喜んでいた。

Kさんの言うことには、
特定検診で家族に勧められてオプションで各種のガン検診を受けたら、
5か所もの臓器と気管の要精密検査を言い渡され、
その検査結果を待つ間中・・。

「もしかしてわたしガンなの..........?
5か所も要精密検査だなんて、
もしかして体中に転移してるっていうこと?
抗がん剤治療ってものすごく辛いって聴くし、
それより、わたし、もうすぐ死ぬのかしら......?」

と、考えれば考えるほど何も手が付かなくなり、
家で悶々としていたのだという。
結果、5か所の臓器と気管は悪性のガンではなく、
老化によるもので、特別の入院治療は必要無し。
との結果が出て一安心して、やっとプールに来たそうな。

思えば、私も人間ドックに行くたびに必ずどこかの部位の
要精密検査を言い渡されたものだった。
そして、Kさん同様に死への恐怖によって眠れぬ幾夜を過ごしたか数知れない。

今現在私は特定検診でも、検診機関独自の無料サービスである肺のX線検査と
検便だけで済む大腸ガン以外のオプションのガン検診は受けていない。


どうせ、やがては必ず死ななければならないのだから、
受ける必要のないガン検診を受けたが為に死ぬほどの精神的苦悩を味わいたくない。
いずれは確実に訪れるその日までは・・・。


余談だが、一昨夜、暑さのせいか?体調不良のせいか?一睡もできなかった。
そんな眠れぬ夜に脳裏に浮かぶことはといえば、
振りはらっても、振り払っても、
怒濤のごとくに押し寄せる
「私はどのような状態でどのように死んでいくのか?」
のことだけであった。

確かに死から目を背けるほうが心身的に楽ではあるが、
もがいてもあがいても人生の一大イベントである死を避けられはしない。
私は今後も死を見つめ続けたいと思う。
こういうことを考えるのも老化なのかしらねぇ?

刻々と我が死はちかづきつつありぬ眠れぬ夜のとばりの中に
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テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 特定検診 高齢化社会 ガン検診

団塊男性、半数が「介護は妻に」内閣府調査、女性と意識差

 団塊世代の男性の半数以上が、妻に介護を頼みたいと考えていることが30日、
内閣府の調査で分かった。
夫による介護を希望する女性は4人に1人にとどまっており、
男女の意識には大きな隔たりがある。
調査結果は6月に閣議決定する2013年版「高齢社会白書」に盛り込まれる。

 調査は1947~49年生まれを対象に実施し、
男女ほぼ半々の計約3500人から回答を得た。
団塊世代は昨年から65歳を迎え始め、高齢者の仲間入りをしつつある。

 自分が要介護状態になった場合、誰に介護を頼みたいかを尋ねると
「配偶者」と答えた男性は54・7%に達したが、女性は約半分の26・6%だった。



我が夫も団塊世代・・
ラジオでこのニュースを聴いた直後に
「介護が必要な体にったら私に介護して欲しいと思ってる?」
と訊いたら、ニヤッとしただけで明確な答えはなかったが、
40数年も夫婦でいれば、きっとそのつもりでいるだろうことは容易に推測できる。

old
注:平均寿命は厚生労働省「平成22年完全生命表」


あくまでも統計上の話であり、個体差もあるが、
上の図によると、男性は9.13年間、
女性は12.68年間をNNK(ネンネンコロリ)で生かされるしかないようだ。

心疾患や脳卒中でPPK(ピンピンコロリ)で逝きたい・・と思っていても、
独り暮らしで尚且つ家にいた場合ならば可能かもしれないが、
倒れたときにたまたま家族がいた場合などは、すぐに救急車を呼ばれたりして、
なかなかそう簡単にPPKで死なせてはもらえない。


会社での仕事中に何の前触れもなしに突然に意識を失い、
気が付いたら病院のICUにいて、「あなたは3日前に脳梗塞で倒れたのです。」
と言われてびっくりした!
と話をしてくれた知人(50代後半女性)がいる。
彼女は軽い左片マヒという後遺症が残ったが、
「倒れたのが会社だったから今こうして生きていられるけど、
家で独りのときに倒れていたら、
今頃ここにこうしていられなかったかもしれないわね。」
と苦笑いしていた。

今日は当たり前にできていることが、
明日はできなくなっている確率が高くなるのが老化ということだ。

ある本によるとPPKの確率は或る意味奇跡に近い数字だとか・・。
この際PPK願望は考えずに、老いの事実のみを見つめることにすると
大多数の高齢者は交通事故等の不慮の死に遭遇しない限りは、
他者の手で介護されて生かされるしかないのが現実だ。

統計上の数値に私も入っていると仮定して、
私の健康寿命は後10数年、夫は団塊世代なので約5年・・

私は夫に介護してもらうつもりは一切ないが、
もし、私自身が介護が必要な体になったら、夫の性格から見て、
初めだけは張り切るだろうが、いつ終わるともしれない妻への介護が
長続きしないことがありありと予測できる。

逆に夫に介護が必要になったら・・と考えると、
口煩く亭主関白、おまけに体が大きい。
そんな夫への老々介護は腰痛と肩関節周囲炎、
その他諸々の持病を合わせ持つ私には絶対無理・・。


そのときになったら、介護は介護のプロに任せるとして、
傾聴等の精神面での介護は喜んで?するつもりでいるが、
今から、お互いが悩まないように事前に考え、
また配慮をしておく必要性を痛切に感じた、
『団塊男性、半数が介護は妻に 内閣府調査、女性と意識差』のニュースでありました。

その体何年使って来ましたか 老化ですねと医師は言い切る
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tag : PPK NNK

隣組の家族葬・・御焼香に行くべきか?行かざるべきか?
今から約2カ月ほど前、自宅前の道路を掃除をしていたら、
救急車が入って来て、3件隣のMさん(80代後半・・母娘二人家族)
が耐えがたい頭痛に見舞われたとかで、
娘さん(50代後半?)に付き添われて救急病院に運ばれて行った。


そして・・今日、買い物に行く途中に我が家の玄関前で
隣の奥様と出会い、しばらく井戸端会議をしていたら、
買い物帰りの風体でMさんの娘さんが通りかかった。

挨拶をしながら、「その後、お母様のお具合はいかがですか?」と声をかけたら、
あらま!びっくり!
10日程前に亡くなられて、葬儀は3日前に家族葬で執り行い
今は遺骨となられて自宅に戻って来ているという。

隣の奥様と二人でありきたりなお悔やみの言葉を言っていたら、
隣の奥様が突然、「あの~御焼香に伺ってもよろしいでしょうか?」
と訊ねられた。Mさんの娘さんは「ありがとうございます。
亡き母も喜ぶと思います。どうぞ・・」
と言われたのでそのまま二人でMさんの仏前への御焼香に伺った。

帰り際に、Mさんの娘さんが、口コミで母の死を知った御近所の方が
ご焼香に見えてくださることはたいへんありがたく思いますが、
なにぶん私は仕事で留守にする時間帯が長いので、
御無礼になることも御承知おきくださるようにお伝え願います。
と付け加えられた。

束の間と言えるほどの滞在時間ではあったが、
Mさんの最期の様子などをお伺いしながら、
そそくさとM家をおいとまし、隣家の奥様と別れて
買い物に行く途中にハタと考え込んでしまった。

M家は隣組の組長(たまたま隣の奥さん)にはもちろんのこと、
町会にもMさんの死を知らせてはいない。

家族葬ということは、もしかして、隣組の人であっても
本当は御焼香にも来てほしくないのではないか・・?

などと・・・つらつら考えながらスーパーへの道を歩いていたら、
顔見知りなら誰にでも分け隔てなく笑顔で挨拶をしてくれる、
とっても愛想の良い、地元生れで地域の通夜や葬儀への弔問の経験も豊富で
町会のエライさんをしている地域の長老に出会った
これ幸いとその人(男性80代?)に聴いてみたところ、
彼は言った。
「そうだねぇ。時代が移れば、葬儀のやり方も変わるからねぇ。
昔はね。とは言っても戦後すぐの話だけどね。
この辺でも大家族が多かったから葬儀も隣組で協力しあったものだけどねぇ。
今はどこの家も核家族になっちゃって、
おまけに近所付き合いもほとんどなくてせいぜい会釈程度でしょ?
だからね。家族葬のときは、
隣組の中で特に親しかった人やお世話になったと思う人が
遺族が落ち着いてから御焼香に伺うのは
個人の気持ちだから致し方のないことだとは思うけど、
義理で御焼香に行こうと思われる人には知らせないで、
何もしないで、ただただそぉ~っとしてあげておくのが
最善のお悔やみになるんじゃないのかなぁ。
あっ、それから、実は僕も家族葬を望んでいるのでね。
僕の死後は美人奥さんのあなたであっても、御焼香は遠慮して頂きたいな。
僕は本当は嬉しいんだけど、仏様になった僕の前で、
内のシワクチャ婆さんがあなたにやきもちを焼くと厄介だからねぇ。」
との真摯な助言と少し笑える感想を頂いた。


私が30年近く前にここに越して来た頃には
葬儀は自宅で執り行う家が多く、
町会の組長によるお触れも回って来たので
通夜には喪服に身を包み御香典を持ち、
隣組が連れだって弔問に行ったものだった。
だが、過去20年間で葬送の儀は180度と言っても良いほど様変わりした。
我が隣組でさえ、「○○さんの家のお爺ちゃんって、
しばらく見ないと思っていたら
一年前に亡くなっていたんだってね?家族葬だったの?」
などと訊かれたりすることが多くなった。

近頃では、病院で亡くなっても自宅で亡くなっても、
自宅に遺体安置はせずに、自社ビルに霊安室を所有している大手の葬儀社か、
小さな葬儀社でも提携している霊安室専門会社にご遺体を預け、
火葬場の予約日に葬儀ホールで、ひっそりと家族葬や密葬を執り行って、
隣組にも知らせずにそぉ~っとご遺骨だけを家に持ち帰る人が
大半を占めるようになった。
(私自身も夫のもしも・・のときにはそのようにしようと考えている)


ここで、夫の「もしも・・のとき」を考えてみた。
当然のことだが夫亡き後に遺族である私がこの地域でこれからも
生活をしていく上で、夫の死を隠し通すことはできない。
また御焼香に見えた方々を、亡き夫の遺志のせいにして、
無碍に追い返すことなどは到底不可能なことでもある。

我が夫婦はお互いの「もしも・・のとき」には
葬式仏教の儀式は一切取り入れないことを約束しているので、
夫の「もしも・・のとき」には、
遺影写真なし、戒名なし、後飾りなしを遂行すると考えていたが、
直葬後に御焼香に訪れるであろう地域の知人や友人の数も
頭の中で明確に想定できるので、
どうやら、私が代筆している夫のエンディング・ノートに
遺影写真後飾りの追加という修正を迫られそうだ。

いや・・・でもやっぱり、後飾りはレンタルで済むが、
遺影写真は買い取りになる。
死者を悼む、弔うという気持ちは今は別問題として横に置いといて、
たかだか近所の方々の一時期の御焼香の為だけに、
遺志に反して、平均3万円もする四つ切サイズの遺影写真
作るってどうなのだろう・・。

我が家にも故義父母の遺影写真があるが、
居間に遺影写真を飾っておく趣味はなく、
それにいつも見張られているようで嫌だ!
という夫の意見で仏間も仏壇も無い我が家では、
遺影写真は押し入れの奥に入れたままになっている。

その昔、私の趣味の保存の為に使っていた
四つ切の額縁が捨てるに捨てられずに取ってあるので、
その額縁を利用して、終活の一環として今の内に
スナップ写真を組み合わせたアート感覚の遺影写真を手作りしておこうか・・。

などと考えつつ・・・ここで本日の本題に戻る・・。

「隣組の家族葬・・御焼香に行くべきか?行かざるべきか?」については
故人になられた方と生前に親しく、また遺族の方から直接知らされたら行く。
会釈程度の挨拶しか交わしたことのない人で、
遺族の方から直接知らされなかったら行かない。

なんだかドライな気がしないでもないが、
私が住む地域ではそれが今の家族葬の後の隣人の御焼香の常識らしい。
私もこのブログに気が向くままに終活記を書いてきて、
葬儀に対する考え方があまりにもマイノリティ過ぎはしないか?
と思うことも多々あったが、どうも、そうではないらしい。
なにしろ、私のようなよそ者ではない地元生れの人生の大先輩である
町の長老も肯定しているのだから・・。

人ひとりいなくなりても何事もなかったごとく薫風そよぐ
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tag : 家族葬 遺影写真 後飾り

そのときにアタフタ、ドタバタしないように夫の「もしも・・のとき」のことを考えておく。
我が夫は団塊世代・・・
自分の親の相続では弁護士を頼んで遺産分割調停の申し立てまでしたが、
いざ、自分の終活については、
直葬でいいよ。あとは全部あなたに任せるよ。」としか言わず、
自身の終末期医療に関する要望も、
被相続人になった場合のこともほとんど意思表示を避ける。

一昨日のNHKの「団塊スタイル」は終活がテーマで
「家族の不安を解消!自分で決める葬儀と墓」だったので、
録画しておいて先ほど観てみたが・・
司会者もゲストも、どこか死は他人事のようであり、
内容もありきたりな一般例しか示さず、あまり参考にはならなかった。

番組のアンケート結果では、家族葬(家族、親族)を希望する人が多数を占め、
墓も地上にと考えている人のほうがまだまだ多数を占めている。
やはり昔ながらの葬儀と墓は必要!と思っている人が多いということなのだろう。


我が夫の「もしも・・のとき」の予定については、
本人の希望通りに宗教無しの直葬で見送り、後日、日を改めての
クルーザーでの海への散骨で、一連の葬送の儀式は終わる。

もし夫が現役ならば会社関係の人が義理で弔問に来られるだろうから、
嫌でも一般葬を選択したかもしれないが、
今は毎日が日曜日の年金生活者なので、世間体にこだわる必要は皆無になった。
それゆえに直葬+散骨希望なのだが、現在、市営斎場は年間を通して混み合い、
火葬については5日~1週間は待たなければならない。
先ごろ亡くなった知人のご主人様の葬儀は、
民間斎場の葬祭場を借りての一般葬であったが、
火葬までに8日間待ったと聞いた。

今は超元気?に見える我が夫でもその日は必ず訪れる。
そして、その時期には、突出して人口の多い団塊世代と
ポスト団塊の世代の私をも含めた人々の多死時代を迎えており、
火葬に至っては2~3週間待ちも想定される。
そのときに経済的に最も負担になるのが遺体の保管料だ。
近隣の規模の大小を含めての葬儀社を調べても、直葬プランでの
遺体の保管料は一泊で設定してあり、追加保管をすれば、
更に一泊毎に一万円~1万5千円ほどかかる。
自宅での保管でもドライアイス代(一日分として通常10キロで5千円から1万円)がかかる。
ゆえに、葬儀社が追加費用無し!と提示していても、基本プランの額で賄えるはずもない。
だが、近隣の葬儀社で一軒だけ、「遺体の保管料は火葬まで何日でも無料です」
を売りにしている葬儀社があるので、夫のもしも・・のときはそこに頼もうと思って
夫のエンディング・ノート(代筆を頼まれているので私が書いた(^_^;))に記入し、
我が夫婦のエンディング・ノートの在り処を子どもに教え、
出来れば書いてある通りに実行して欲しい旨を年に一回は伝えている。

夫の葬送のときには、もちろん、誰からも香典は受け取らないが、
それでも通夜振舞い兼精進落とし代わりの食事ぐらいはするつもりでいる。

家族と親族だけでの「葬儀社の霊安室前集合!火葬場解散!」
直葬では味気ないと言う人もいるかもしれないが、
障害者や高齢者、また社会的弱者の為の社会保障費が削られ続けている昨今、
資産家でもない限りは、残された夫、もしくは妻の最晩年の暮らしの安心の為には
葬儀費用をも削るしかないのが倹しい年金生活者の現実である。




誰しもに訪れる「もしも・・のとき」がいつなのかは誰にも判らないのが
人生ではあるが、終活が進むにつれて、残り少ない私の生の時間において、
不思議と余裕を持って残生を愉しむことができるようになってきたような
気がすることも終活のひとつの成果なのかもしれない。


その日は100%の確率で必ず訪れる。
夫の希望による直葬というささやかな見送り方ではあるが、
そのときには、共白髪になるまで寄り添った夫が人生を卒業して死者となった....
という状況に、敬意と畏怖の念、そして故人となった夫の人間としての尊厳とともに
個人の尊厳をも守りながら、静かに厳粛に、また真摯な気持ちで見送りたいと考えている。


などと・・考えてはいても、私の「もしも・・のとき」
のときのほうが夫よりも早く訪れるかもしれない。
それもまた、今ここに在る人間として受け容れざるを得ない。
130519r
喪って初めて気付く愛さえもレテの川面は吸い取ってしまふ
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tag : 直葬 家族葬 レテの川

我が生のエンディングのためのセオリー

NHKスペシャル「家で親を看取る その時あなたは」

現在、日本人の8割が病院で亡くなり、“在宅死”はわずか2割ほど。
超高齢化が進む中、国は「看取りの場所」を「病院」から「在宅」へと転換する政策を打ち出した。
2012年を「地域包括ケア元年」と位置づけ、年老いても住み慣れた地域で暮らし、
最期を迎えられるよう、在宅医療や看護、介護サービスの整備を進めている。
「治療は終わったので病院以外で療養を」と早期退院を求められる高齢者と家族。
しかし24時間対応できるヘルパーや在宅医など、在宅医療を支える社会インフラは不足し、
家族は“老い”や“死”を受け入れられず、苦悩を深めている。横浜市で診療所を開く在宅医は言う。
「これまで医療は命を延ばすためのものだった。これから必要なのは“死に寄り添う医療”だ」と。
人口に占める高齢者人口の増加率が全国一の横浜市を舞台に病院や在宅医療の現場をルポ。
「在宅の看取り」に何が必要なのかを探っていく。



最近、抗うことのできない老病死の現実に向き合っているせいか、
この手の番組を録画して観る機会が増えた。

我が家の場合、夫婦ともに既に親はこの世にはいないので
「家で親を看取る その時あなたは」には該当しないが、
「家で夫を看取る その時あなたは」
「家で看取ってもらうとは そのとき私は」
の参考にしようと思った。


病院というサービス業においては、長期の入院患者では
徐々に点数が減って儲からない仕組みになっている。

そこで国は、病院を儲けさせるために、
これ以上の回復の見込みがないと思しき末期高齢者の患者には
「治療は終わりました。国の方針なので退院を!」と迫り、
今後は在宅で介護せよ!と言う。

介護する意思があり、尚且つ、介護者として体力のある家族がいて、
懸命に介護をしてもらって、そして、看取ってもらえるのであれば、
それは、世間的には天寿を全うした。ということで、
ある意味ハッピーエンドな最期と言えるかもしれない。

だが、終末期を介護してくれて、そして看取ってくれる人間がいない場合、
「家には誰もいない・・その時あなたはどうするのか?」
のほうが重要な問題提起のような気がした....。

前にも書いたが、死生観の違い?だろうか。
欧米諸国では嚥下力が落ちて、口から食べられなくなったら、
日本のように苦痛を長引かせるだけの延命治療はほとんどの場合はしない。

私の母の場合などは、嚥下力のなくなった母に対して、
近くに住み、尚且つ緊急連絡先になっている妹が、
医師からの胃ろうの是非について、
母の意思を確認せずに何の疑問も抱かずに胃ろうを承諾した。
胃ろうを付けてまで生かされる母の苦痛などは眼中になかったかのように・・・。

そして、母が胃ろうを付けて数年後・・・
何度も胃ろう設置後の逆流による誤嚥性肺炎に罹り、
ある日、その誤嚥性肺炎で呼吸が止まり、心停止してもなお、
妹の希望で蘇生措置として電気ショックによる心肺蘇生措置を施したが、
医師の努力も虚しく、あっけなく還らぬ人になった。
妹は、母に胃ろうを付けたことで数年間長く
母を生きながらえさせたことを誇らしく思っている。
最後の最後まで私が母を生かしてあげたのだと・・。


結局母は、「死はタブーである」と考えている、
世間の一般的常識というものを重んじる前向き指向の妹に
苦痛を強いられ、ただただベッドから天井を見上げるだけの
「自らの意思で生きている」とは言えないような、
「他者により生かされている」だけの状態で
無理矢理に肉体だけを生き長らえさせられた?
のかもしれない。



団塊世代の人々の多死時代を迎えつつある今、
病院では看取って貰えず、特養などの年金収入だけでも
なんとか入所できる介護施設も満員で入れない。

もし、私が運よく生きていればと仮定しての話だが、
2030年頃には私は死に場所のない後期高齢者になっている。
ゆえに戻れるところは朽ちかけたこの家しかない。
だがそこには家族はいない・・。
では、誰に看取ってもらえばいいのか?

介護保険での生活援助ヘルパーに来てもらっても、
生活援助の現行の45分では短すぎるし医療行為もしてもらえない。
また、30分延長すれば、その分は全額自己負担しなくてはならないし、
経済的負担ものしかかって来る。
訪問看護師も来てはくれるが、介護保険の支給限度額内で収めようとすると、
週に1~2回程度しか来てもらえないのが実情だ。

なので、24時間介護してくれる家族=看取ってくれる家族がいないときには、
45分間だけ滞在するヘルパーが看取りの綱だが
ヘルパーがいないときに突然容態が急変したら、
自力では電話も出来ない状態なのだから選択の余地はなく、
いわゆる孤独死をするしかない。


私自身は孤独死をそんなに恐れてはいない。
病院で苦痛極まりない延命治療をされながら死んでゆくよりも、
自宅で苦しまずに逝けるのならばそれでも良いと思っている。

遺体はいずれは発見され、孤独死として処理されて行政解剖されるかもしれないが、
そのような死に方も、国民の大多数が社会保障費がますます削られるのを承知で
低福祉社会を推進する政権を選択したこの国では人生のエピローグの迎え方として
孤独死を否応なく受け容れざるを得ないのかもしれない。

死に方のセオリーさえも拒否されし連続体としての生をもまた 
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tag : 終末期 団塊世代 多死時代 特養 介護施設 訪問看護師 孤独死 行政解剖 低福祉社会

年金パラサイト疑惑が原因の遺産分割調停が終わる
やっと、夫が申立人遺産分割調停が終わった。
というか、やむなく終わりにした。

結局は故義母が介護老人保健施設に入居
(本人の意思ではなく無理矢理に入れられた)
した時点から義母の預貯金の出し入れをしていた自称成年後見人
を名乗っていた故義姉の夫(遺産分割調停における重要関係人)が、
裁判所からの質問状に対して、最初から最後まで
「何も知らぬ存ぜぬ!」のスタンスを崩さないため、
しかたなく遺産相続調停を終了せざるを得なくなったのである。

夫は更なる真実を知るために審判まで持ち込みたかったらしいが、
弁護士が「ボケ田さん。審判に訴えても、相手の今までの態度からして、
これ以上の真実が明らかになる可能性は限りなくゼロに近いと思われます。
真実を知るために審判に持って行きたい気持ちはわかりますが、
これ以上長引かせるのはあまり意味がないように思います。
それにますます弁護料が増えるだけです。
この辺で折り合いを付けたほうが良いと思いますよ。」
と提案してきた。

夫は母の遺産をもっとくれ!ではなく、
いつも蚊帳の外に置かれていた立ち場としては、
母は本当に幸せな老後だったのか?
という事実を知りたかっただけなのだが、
既に死人に口なし。方や同居していた自称後見人はダンマリを決め込むだけ。
これ以上の真実も事実も引き出せないと判断して、
今回をもって、遺産相続調停の幕を引くことにした。

過去10年の取引履歴から故義母が、
本人が自分で預貯金を引き出して自分のために使ったとは到底考えられない、
と調停委員が認めた使途不明金は合計で○千万円ほどあったが、
相手側の代表として裁判所に来ていた代襲相続人の一人が
「父に訊きましたところ、一つの引き出し項目だけに関しては、
「そのお金は使っちゃいました」と認めていますが、
他の引き出し項目については全く知らないと言っています。
父が使ってしまったウン百万円だけは私がすぐ返します。」
ということになった。

無断借用を認めた一つの引き出し項目だけは弁済してもらうが、
頑として認めない他の引き出し額(横領分)は、
返済する気などまったくないと判断して、不問とすることにした。
そして、その弁済分の○百万円を遺産総額に組み入れ、
法定相続人全員で法定分で分けることにした。


「私は嫁に行った立場だから」と言いつつも、
生前の母を訊ねては、子どもの大学入学準備金だとか、
その他諸々の御祝い金、また、おねだりをして
百万単位の金額を貰っていた3人の姉たちは
遺産争族調停中には特別受益として、
自分たちの相続分から差し引かれるのではないか?
と戦々恐々としていたようだが、
夫はそのお金は生前の母の気持ちから出たお祝金として、
遺産争族の再燃と今後の姉弟間のわだかまりを避けるために、
特別受益としては繰り入れないことにした。
ただ弁護料だけは夫とその姉三人で負担することに同意してもらった。

故義母名義の土地については、
自称後見人を名乗っていた代襲相続人である二人の娘の内の一人が、
年金パラサイト父がそこに建っている家に住み続けてもらうために、
代償分割を申し出て来たので代襲相続人が相続することになった。

結果、今回の遺産分割調停で一番得をしたのは
故義父母と同居していた故義姉とその夫
(一番事情を知っていて年金パラサイトをしていた人物)
代襲相続人である故義姉の子ども二人だけであった。

という思いが拭い切れないが、世間でもそんなものなのだろうか。


夫は長姉が亡くなったときに、嫌でも代襲相続人になる長姉の二人の娘と
3人の姉たちに高齢の母が亡くなったときのことを話合っておきたい。
と声をかけたが、忙しいから・・の理由で全員に断られた。
という経由がある。

老親名義の土地に中高年の子ども(またはその配偶者)が
自分名義で家を建てるときは、
法定相続人が一人ならば何も問題は起きないが、
兄弟姉妹がいる場合は、親が亡くなった場合のことや
代襲相続人が発生した場合の相続のことまでを想定し、
そんなこと縁起が悪い!などと言わずに、
第一順位の法定相続人になり得る人たちが納得するまで徹底的に話合って、
署名捺印した同意書を残しておくべきだわね。


夫と一緒に常に調停に同行した隣の町に住む3番目の姉は、
「もう実家も無くなったことだし、
二度と、あんなに遠い故郷にも墓参にも行くことはないわ・・。」と言う。
かくして、夫も実家を失い、還りたいときに還ることのできる故郷も失い、
故長姉の家族との縁も切れた。
そして、故義父母の遺骨だけが今も故郷のお寺で
目覚めることのない永遠の眠りについている。

故郷の風の匂ひよ父母(ちちはは)よ 手をのべたくももう届かない
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tag : 申立人 遺産分割調停 成年後見人 法定相続人 特別受益 代襲相続人

それでも“延命”を ~揺れる人生最期の決断~
一昨日、NHK 特報首都圏 『それでも“延命”を ~揺れる 人生最期の決断~』を観た。


内容

介護とは異なり、人工呼吸器や詰まった痰(たん)の吸引など24時間付きっきりで、
家族からは「夜眠ることができない」「自分が病院にも行けない」といった悲痛な叫びが。
患者と家族をどう守るか。本人に意識がある…


病気でも、住み慣れた自宅で暮らしたい”。
人工呼吸器や胃ろうなどの「医療依存度の高い患者」でも在宅医療が可能になった。
家族は、どうするのか。
医療の大きな流れは病院から在宅へ向かい、
今後、どの家庭も直面する課題だ。
介護とは異なり、人工呼吸器や詰まった痰(たん)の吸引など24時間付きっきりで、
家族からは「夜眠ることができない」「自分が病院にも行けない」といった悲痛な叫びが。
患者と家族をどう守るか。





番組に取材協力をしていた患者と家族を
この国のお粗末な福祉制度では安心させることも守ることもできない。
厚労省は、高齢者医療も介護も病院から在宅へ!を推し進めているので、
介護者が「夜眠ることができない」「自分が病院にも行けない」ことなどは
重々承知の上なのだから・・。

患者が亡くなるか、もしくは介護者が倒れるかでもしない限り、
いつ終わるともしれない悲痛な叫びのみが聴こえて来るだけだろう。

更には番組を見ていて思ったことは、介護者全員が患者に対して
「延命しない」という選択肢は毛頭なく、
迷いもなく「100%延命をして欲しい」「後悔はしていない」
と答えていたことだ。
私が介護者の立場になったら到底無理だとは思うが、
患者本人と介護者の双方が「延命」を選択して、
24時間付きっきりの介護を覚悟の上で、
また患者が苦痛に耐える覚悟があるのなら、
死に対する考え方も人それぞれなので
否定するつもりは、これっぽっちもないけれど、
時が経つにつれて、あまりの負担の大きさに
1秒たりとも耐えられなくなる時が来るのではないだろうか。

そして、時が満ちてそのときが来たときには、
心の中では「私は最期まで介護したのだ!」という充足感とともに
親しい婆さん友達たちからよく聞く話として、
「やっと死んでくれてホッとした・・」とも思うのだろうか。


大多数の人は、それなりに元気なときには、
口先だけでは家族には迷惑をかけたくないので、
延命はしないで欲しい。などと口を揃えて言う。
本当にそう思うのならば、家族の意向はどうあれ、
固い決意で延命措置は拒否すべきであると思うが、
意識は鮮明で、身体的に延命措置をしなくては
生を維持できないと知ったときには死の恐怖には抗うことができずに、
延命措置を懇願する人も多いらしい。

事故や自然災害による不慮の死以外では、
人は迫りくる死の恐怖に打ち勝つことはできないのだろう・・。


交通事故で頭部に外傷を負って脳内出血を起こし、
医師にも家族にも、もうこのまま死ぬか植物人間状態にしかならない。
と思われながらも、鼻腔栄養補給をしながらの4ヶ月間の意識不明状態の後に
無事にこの世に生還した知人(50代後半男性)がいる。

その間、本人は体をピクリとも動かせず、声も出せなかったが、
微かな意識はあったという。
彼は家族の要望による延命措置の中で、最も苦痛だったのは
咽喉に詰まった痰の吸引だったと言っていた。
あのときだけは、「早く死なせてくれ!お願いだからもう楽にしてくれ!」
と何度も神に祈ったという。


明日は我が身でもあるが、何が何でも死に至る前の心身の苦痛だけは避けたい。
家族愛という分厚い衣で装飾された家族のエゴ(家族の要望による延命措置の選択)
で耐えがたい心身の苦痛(自身の体の痛みと家族に迷惑をかけているという精神的苦痛)
を強いられながら、無理矢理に生かされることに私は耐えられそうもないので、
人工呼吸器や胃ろうなどの延命措置はごめん蒙りたい。

と、今は思っているけれど、
そのときになったら私も心変わりするのだろうか・・・。



愛というオブラート紙に包まれた家族のエゴで繋がれし生よ
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tag : 延命措置

“凜とした生の日々”から“凜とした最期”を迎えるためには・・
録画しておいた、2013年4月3日(水)放送のNHK「クローズアップ現代」
「“凜(りん)とした最期”を迎えたい ~本人の希望をかなえる医療とは~」を観た。

医療によりただ命を長らえるのでなく、
自分らしい生き方を守りながら最期を迎えたい。
いわゆる「平穏死」や「自然死」を扱った本が
ベストセラーとなるなど大きな関心を集める中、
高齢者たち自身が自分の死に方・医療のあり方についての意志を表し、
行動を起し始めている。
多死社会の到来が目前に迫り、
医療費削減への国民的議論も高まる中で、
高齢者の意志をどう実現するかが、今大きな課題だ。
しかし、終末期医療の現場では、
高齢者本人が書面で意志を残していたとしても、
延命措置の是非を巡って親族間で意見が対立したり、
医師の側にも裁判で訴えられることへの懸念も強く、
延命措置を拒否するのは難しいのが現状だ。
高齢者の「最後の希望」をどうかなえるのか、
最先端の事例を交えながら考える。




超高齢化社会に老後を迎え、超高齢化社会の中で
生のエンディングを迎えなければならない我が夫婦。
近い将来(明日かもしれないけど)の
私または夫の死という出来事に、
自分の意思で体が自由に動かせるうちに、
また、認知症になる前に凜とした最期を迎えるための
終末期医療の意思表示を書面に残す大切さを痛感した。


だが、私の意に反して、我が夫は相も変わらず「死はタブー」であり、
終末期医療のことも、死んでからのことも
「そういうことを考えるのはネクロフィリア的で僕は好まない。
僕はバイオフィリア的な生き方を信条としているので、
終末期と死後のことの一切合切はあなたと子どもにお任せします。」
的な態度を貫いている。

そりゃあ、誰でも自分と家族の死などは考えたくもない。
だが、私が死以上に恐れることは死に至る前の苦痛である。
近い将来に確実に訪れる死に向かって生きている身としては、
嫌でも終末期医療を考えないわけにはいかない。



昨年、今の医学では助かる見込みは99%ない!と断言されながらも、
延命用のチューブに繋がれた死に至る約一週間前の弟の姿を見たとき、
こんな生かされ方は嫌だな・・と本気で思ったものだった。

弟の妻は、「今まさに死にゆく夫も苦しいでしょうが、私も苦しいのです。
夫は一年365日、生のエネルギーに満ち溢れていた人で、
自分が死ぬ。などということは、一度も考えたことの無い人でした。
入院してからも、退院後の楽しい話ばかりしていました。
なので、終末期医療についても一度も話したことがありませんでした。
このような延命治療を夫が望んでいたのか、望んでいなかったのかは、
今となっては、私にはわかりません。
でも、もしかして奇跡が起きるかもしれません。
たった1%でもいいのです。その微かな奇跡を信じて、
また悔いを残さないために、
私は夫の延命措置を受け容れました。
と言っていた。
しかし、その口調からは、私たち血縁者である者たちに対しての
「妻として、私は出来る限りのことをしたのです。」のごとき、
或る意味、弟の死への責任回避のための罪のない意図も感じられた。

当たり前だが、私も親族も誰も弟の妻を責めてはいないし、
責める気など毛頭なかった。
59歳が弟の寿命だったのだろうから。

そして今、そのときのことを振り返ると、子どもも無く、
たった独りで残された弟の妻は心身ともに辛かっただろうな・・。
ただただ、「59年の生涯を自分の意思で自由奔放に楽しく、
また豪快に生きた弟に寄り添い、最期を看取ってくれてありがとう。」
の思いしかない。

そのような経験の許に、或る程度の年齢になったら、
死にゆくときの自分の苦痛回避のためと、
残してゆく遺族の自責の念の回避。
そして、延命措置について遺族間で意見が対立しないためにも、
元気なときに終末期医療の要望書として、
書面に記しておくことは必要だと強く思った。


それでも、事前に本人が書き置いた終末期医療の要望書が
確実に実行されるとは限らない。

ある家族は本人の自筆による終末期医療の要望書があろうとも、
どんな状態でも生きていて欲しいと延命措置を懇願するかもしれない。
また、ある家族は本人の自筆による終末期医療の要望書がなくても、
早く死に至る苦痛から解放してあげたいと思うかもしれない。
そこには誰しもに共通した正解などはないが、
私は本人の生前の意思が優先されるべきだと思う。

結局は、「凜とした最期」を迎えるには、
今まさに死にゆく人間の気持ちを忖度することはできないが、
老若男女に関わらず、生と死は常に隣り合わせに存在している。
ということをときどきは自覚しつつ、
高齢者においては、死は隣り合わせどころか、死は目の前にある。
という事実から目を背けずに常に死を覚悟をしておくことが
最善の策なのかもしれない。
残り少なくなった「凜とした生の日々」を送るためにも・・・。

人生は楽しまなくちゃね♪だからこそ死を見つめるのと微笑む老女
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tag : 終末期医療 ネクロフィリア バイオフィリア 延命措置 自責の念

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Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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