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統計学上では80歳まで生きられる人は10人に一人。一番苦痛の少ない老衰死を迎えられる確率は厚労省発表では男性は約3%、女性は約7%だそうです。もし、老衰死を望むならば、好きなものを食べ、好きな時間寝るというようなストレスフリーの日々を送るしかないようです。

65歳以上の高齢者が3千万人を超え、史上類を見ない超高齢社会に突入した日本。医療の進歩とともに病を克服し、長寿化を成し遂げたいま、増え続けているのが「老衰死」だ。
戦後一貫して減り続けてきた「老衰死」の割合が、近年増加に転じている。背景にあるとみられているのが、点滴や胃ろうなど、徹底的に治療を尽くして延命を図るのではなく、“苦しまず穏やかな最期を迎えたい”という考えの広がりだ。番組では、入所者の平均年齢が90歳を超える都内の特別養護老人ホームを舞台に、半年間に渡って看取りの現場を記録。さらに、欧米諸国の研究機関を受け止め、より良い最期を迎えるにはどうすればいいのか。長寿社会のいまを見つめる。訪ね、老い衰えがもたらす穏やかな「老衰死」とは一体どのような死なのか、そのメカニズムに迫った。いつか必ず訪れる死をどのように受け止め、より良い最期を迎えるにはどうすればいいのか。長寿社会のいまを見つめる。
引用元:http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150920




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テーマ : シニア(60歳以上)の日々 ジャンル : 日記

葬送の儀における価値観が半世紀前と180度変わった昨今、親やパートナーのもしも・・のときに訃報を知らせる縁戚関係者の範囲は? それから、夫婦の本来の姿とは、どちらかに人生の枯れ死の時期が訪れたら、静かに看取り看取られることなのだと思うようになりました。
今年も例年のごとく、変わり映えのしない日々が始まり、
相変わらず、いつものプールに通い始めました。

そして、昨日、「否応なく脇目も振らずに老いへの道」を
一直線に進まなくてはならないプー友のおばさま方と
ギャラリーでの昼食中に他愛のない井戸端会議をしていると、
昨年秋に、ご尊父様(99歳)を亡くされたA子さん(68歳)が、
亡きご尊父様の葬儀の様子を話し始めました。
彼女が一番迷ったのは、何親等まで知らせるべきなのか?
だったそうです。
亡きご尊父様は8人の兄弟姉妹の中で唯一の生き残りで、
他の兄弟姉妹は既に亡くなっており、A子さん自身も、
従兄弟(いとこ)や従姉妹(はとこ)とは、
ここ半世紀以上も付き合いはなく、顔もほとんど覚えていないそうです。
ですが、ご尊父様が残されたセピアに変色した住所録には、
従兄弟や従姉妹の名前と住所だけは載っているけれど、
今更、知らせても、あちらに迷惑がかかるかも(ーー;)・・と考えて、
敢えて葬儀日時は知らせず、A子さん姉妹とその配偶者、
そして、その子供たち(故人の孫たち)だけの家族葬で、
ひっそりとあの世へお見送りしたそうです。

その話を聴きながら、異を唱えたそうにしていたB子さん(64歳)。
彼女の御母堂様(95歳)は特養に入居されていて、
超高齢のため、容態急変時には点滴や救命措置等の治療はせずに
そのまま看取っていただき、医者には死亡診断書を
書いていただくだけになっているそうです。
既に葬儀社の下見も済ませ、いつ亡くなっても良いように
万端の準備を整えています。

そして、B子さんは断言したのでした。

『葬儀に来る来ないは別にして、故人の親戚関係全員に訃報を
知らせるのが世間の常識じゃないの!』と。

私は夫が先に逝った場合、両親は既に鬼籍に入っているので、
知らせるとしたら、夫の姉3人(長姉は既に故人)が該当しますが、
すぐ上の義姉は同市内に住んでいるため、
姉妹代表としてすぐ上の義姉だけにお知らせをして、
収骨だけにでも来ていただこうかな?
程度に考えていたのですが、
B子さんの常識に従うとしたら、
遠隔地に住んでいる次姉と三姉にも知らせなくてはならず、
もし、老体に鞭打って、2人の姉が来てしまったら、
直葬を望んでいる夫の葬送の儀は、
火葬場集合、火葬後は参列者全員で懐石料理の食事でもして、
ハイ解散!だけでは済まず、宿泊の手配やらなんやらで、
病弱な私が倒れてしまうような気が・・

いったい、どしたらよかんべか??(ーー;)
と帰りのバスの中で、どうでもいいい思案をしつつ帰宅したのでありますが、
私の切なる思い?がテレパシーとなって届いたのでありましょうか?(笑)
その日の夕食時に、おひとりさま暮らしが寂しくなると、
必ず誰かに電話をしたくなる次姉(未亡人:75歳)から電話が・・
スピーカーフォン機能にして、お茶を飲みつつ夫が話し相手になったのですが、
転倒して腕を骨折したらしき姉の老いの道への愚痴を30分ほど聞き、
最後に夫が「無理しないでね。姉さん。」と慰めて電話を切ろうとしたら、
義姉が再び話し始めました。
「わたしも、もう後期高齢者なのよねぇ。
膝も痛いし、腰も痛いし、血圧も高いし、
万が一だけど、○○さん(夫の名前)がわたしより先に亡くなることがあったとしたら、
悪いけど貴方のご葬儀に行けそうにもないわ。悪く思わないでね・・。」
との声が聴こえてきました。

夫は、「いいんだよ姉さん。そんなこと気にしなくて!
この辺では家族葬と言って、パートナーと子や孫だけの
シンプルな葬儀しかしないのが主流になってるし、
僕もそうするつもりだから。わざわざ、来なくていいからね。」
と答えていました。

それを聴いて、私の心の中では、夫の葬送の儀は、遠隔地に住んでいる
義姉二人には夫の直葬の日時は知らせず、
日帰り可能な人たち(子ども夫婦と孫たち)だけでの
「火葬場集合、収骨後に日を改めての散骨のために葬儀社に遺骨を預け、
皆で故人を偲びながら食事をしてハイ終わり!」
で済ますことにしたのです。

ただ三姉は、夫以上に口から先に生まれてきた女かい!?
と思うほど口煩い小姑で、
更には、世間の常識とやらに絡め取られている人間性を持っている人なので、
「なぜ、知らせてくれなかったのよっ!?」との苦情が来るかもしれませんが、
私は夫が死んだら、夫の姉たちとはもう親戚付き合いをする気は一切無く、
通り過ぎる嵐は2.3分だけ、そのぐらいは、夫とのあれから4?年に渡る
夫婦生活の中で、数え切れない程見舞われた豪雨や嵐に比べたら、
痛くも痒くもないことでしょう。(笑)

それでも、お子様と同居されている方、ご夫婦だけの方、既におひとりさまの方、
確固たる死生観をお持ちの方、キリスト教、イスラム教、仏教、
また数多の新興宗教等々の信仰に身を委ねていられる方もいます。
事情はそれぞれであり、地域の慣習に従わないと村八分にされる方も
いることとは思いますが、無宗教の私にとっては都合の良いことに
我が地域の葬儀形態は、20年程前から、家族葬と直葬が主流になっています。


それにしてもです。
なぜ次姉は自身より8歳も年下の弟が
自分より早く死ぬ・・と決めつけたのでしょうか?
スピーカーフォンから聴こえてくる義姉の話に、
思わず笑い出したくなりましたが、
我慢に我慢を重ねてお腹の皮だけで笑いを堪えたので、
今日は腹筋が筋肉痛です。(笑)

私も、このブログ上だけですが、
夫のエンディング・ノートの代筆の都合上、
何回も夫をあの世の住人にしていますが、
女性は自分だけは身近な男性よりは長生きできる!
と思い込んでいる節があるようですね。(^_^;)
私の身近でも、期せずして、「おふたりさま」から
「おひとりさま」になってしまった割合は、
確かに女性が多いですが、奥様を亡くされた高齢男性も多くいます。

それにつけても思うのは、夫婦とは、
あれから40年・・であろうが、あれから50年であろうが、
山あり谷ありを乗り越え、個の人生の樹が熟し、
そして、枯れ死の時期が訪れたら、片一方が片一方を看取るのが、
夫婦の本来の姿なのだと思うようになりました。

そして、残された者は、近い未来に子どもや他の親族に看取られ、
メンタル面は無そのものになり、残された遺骨産業廃棄物になり、
故人に一番近い親族の死生観一つでお墓に入れられたり、散骨されたりして、
此の世からは完全に消え去り、想い出として誰かの心に生き続けることでしょう。


中には、思い出したくもない夫や妻、或いは死んでくれて嗚呼!良かった!と
口には出さずとも、心の底で思われる人もいるかもしれません。
それは生前の生き方に左右されますので、仕方のないことです。
例えばですが、
国内の社会保障費は削減、弱者は切り捨て、格差は拡大させながら、
中東という遠い遠い国の安定化とインフラ整備に新たに25億ドルの支援表明をしたり、
財界人の更なる利益を求めて、国内の大企業の幹部を50名も従え、
中東諸国の首脳に平和だの安定だのと、
嘘八百を並べ立てのおべっかを言いに行っている、
極東の国独裁者気取りのトップリーダーがいます。
彼とても、いずれは100%の確率で死ぬという事実からは逃れられません。

人の命というものは、死刑囚であれ、近所の因業爺婆であれ、
利権しか目に入らない腐れ切った政治屋であれ、
かけがえのない唯一無二のものです。
死んでくれて嗚呼!良かった!と思うことはないですが、
ただ、現首相に対しては、どうしようもない最低最悪の首相だった!
と、後後に思うことは確かです。(笑)

老老介護殺人のニュースが続いています。
もし、25億ドルもあったら、何棟の特養が建つのかは分かりませんが、
介護職員の給料を公務員並にすれば
特養待ちの高齢者と介護離職までして老親を介護している人が
どれだけが安心できることか・・と思うのです。

時の流れとは残酷なもので、望むと望まぬに関わらず、
今、若さを謳歌している人たちでも、いずれは老いて死にます。
今年、前期高齢者になる私ですが、
よくもまぁ、事故にも遭わず、自然災害の犠牲者にもならず、
全身麻酔による大手術を受けても、なんとかこの世に蘇り、
細々とながらも、なんとかこの齢まで生き延びられたものだと思っています。
さて、私自身は死んでくれて嗚呼!良かった!と思われる類のヒトでしょうか?
それとも、いついつまでも、誰かの心の中に生き続けることになるのでしょうか?
死んでしまったら、どうでもいいことではありますが・・。

全国的にインフルエンザが流行っているそうです。
私はインフルエンザの予防接種は受けませんでしたが、
幼いお子様はもちろんのこと、
シニア、シルバーの皆様は加齢で免疫力が落ちています。
くれぐれも、お体をご自愛くださいませ。♥

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 福祉関係予算 中東諸国 極東の国 独裁者気取り 中東の安定化 自然災害 遺骨 産業廃棄物

メール、SNS、ウェブの閲覧履歴……。インターネット上に様々なプライバシーが散らばる時代。あなたが死んだら、誰に消してもらいますか。妻?夫?友人?業者?それともドリル優子女史のように身近な人にハードディスクをドリルで破壊してもらう?

■死後のネット消去、悩み

 何の気なしに眺めていたパソコンの画面。
東京のシステム開発会社で管理職をしている
松本修一さん(52)は、あるサイトに目をとめた。
「ラストメッセージ」という名のホームページ。
死後、インターネット上の個人情報を消す終活サービスの一つだ。

 ネット上には、膨大な個人データが、日々蓄積されている。
ツイッターの投稿や、ウェブの閲覧履歴、メールの送受信。
松本さんも、数年前からフェイスブックをやり始めた。

 もし突然、自分の身に何かあったら、
自分の「影」がネットを漂い続けることになる。
フェイスブックには自分だけが読める設定にした日記も書き込んでいる。
思いつきや感情を気ままに記しているが、仮に死後、家族が読んだら、
変に受け取られないだろうか。それを誰かが消してくれるなら。
これは面白い。

 早速、名前やメールアドレスを登録した。
でも、「バディ」の項目で松本さんの指が止まった。
バディとは相棒のこと。自分が死んだ後、
消してほしいメールやSNSなどのID、パスワードを受け取り、
自分に代わって消去してくれる相手を決めなければならないという。
説明には「友人、家族、後輩。誰でも構いません」とあった。

 死後とはいえ、誰かに自分のデータをすべて委ねられるだろうか。
あれこれ顔を思い浮かべた。
結局、バディは空欄のまま。関心が薄らいでいった。



↑は先日の新聞に載った記事の一部です。

自分の身に何かあったら・・というのは、
急病で入院を余儀なくされてしまったとか、
もしくは、交通事故等で期せずして昇天してしまった。
等々だと思うのですが、
どうして、悩むんでしょ?
私はPCの初期化の方法をプリントアウトして
エンディング・ノートに貼り付け、
夫専用ノートPCの初期設定+インターネット接続さえも、
私に頼むほどのメカ音痴の夫にも分かるようにしています。


夫が私よりも先に亡くなったとしたら、
そのときは、子どもや孫に頼むことになりますが、
息子は仕事がシステム管理技術者なので、
PCの扱いはお手の物。
簡単に初期化してくれると思っています。
それに、私のPCには、フリーの画像ソフトぐらいしか
ダウンロードしていない上に
保存しているのは家族写真だけで、、
見られて恥ずかしいものは何も保存してありません。

ブログやツイッターの管理画面に入るパスワードは暗記しているので、
全く心配なし。
ネット通販のアマゾンや楽天のパスワードも暗記しているので、
こちらも問題なし。
そして、ウェブの閲覧履歴は自動で消える設定。

ネットバンキングなんてもってのほか!なので、
口座登録などする気もない。

メールに関しては、
少しは家族に見られては困るようなドキドキメールも欲しいけれど、
届くのはフィッシング詐欺サイトへ誘導するメールばかり・・
ゆえに、true crypt等で暗号化するほどのものでもなし・・。



そこで、ハタと思い付きました。
私の死後は、今使っているPCは既に型落ちしていて、
多分、マイクロソフト社のサポートも終了していることでしょう。
そんなPCを捨てるのにもお金がかかります。

いっそのこと、
証拠隠滅にハードディスクをドリルで壊すのがお得意な、
小渕ドリル子さんのように、ドリルでハードディスクを破壊してもらい、
他の部分は何でも切れる万能ノコギリで小さく分解して、
ゴミの日に一緒に捨ててもらうように遺言しておこうかと・・。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : フィッシング詐欺サイト 小渕ドリル子 ネットバンキング

「“最期のとき”を決められない」を観て・・人生の最期のときに延命措置を希望するかしないかは、自分で意思表示が出来るうちに決めておいて、健康保険証サイズのもしもノート(リビング・ウィル)を財布に必携していれば良いだけの話なのではないでしょうか。
今年は例年になく喪中はがきが多く届く我が家です。
それでも、亡くなられた方々の年齢を見ると、
98歳、96歳、92歳、86歳等々で、
友人知人のご両親様が多いのですが、
その中に一枚だけ、今では年賀状だけのお付き合いになっていた、
夫の大学時代の友人(66歳)が亡くなったとの喪中はがきがありました。
すると夫が、
「問題は亡くなった年齢じゃないよ。最期の日までお元気だったのか?
それとも長患いで寝たきりだったのか?それが一番の関心事だよな・・。」と、
今までは自分の死及び終末期医療についてはタブー視していた夫が珍しく、
老いと死について自分から、そういう話をしてきました。
少しづつですが、自分の死に付いて考え始めたようです。

そこで私は、これはチャンス!とばかりに、夫がゴロゴロしている居間で
わざとらしく録画しておいたクローズアップ現代
“最期のとき”を決められない」の視聴を始めてみました。


録画機器は居間にしかないので、嫌でも見ざるを得ない夫。
「またそんな番組かい?」と言いつつも一緒に観ていて、
観終わってから夫が言いました。

「僕はあんな風になってまで生きていたくないな。
面倒なので書面に残す気は無いけど
無駄な延命治療はしないで、
死んだら使える臓器は必要な人に全部上げてくれていいよ。」

これで、夫の意思を確認できました。
私よりも先に夫が終末期を迎えても、
“最期のとき”は決められる」ことになりましたが
臓器移植について、年齢制限はないのだろうか?
との疑問が持ち上がりました。
使い古した臓器でもお役に立つのかしら?と思って調べたら、
「提供者の年齢は、おおよそ「心臓=50歳以下」、
「肺=70歳以下」、「腎臓=70歳以下」、
「膵臓=60歳以下」、「小腸=60歳以下」とされています。
しかし個人差がありますので、この年齢を越えていても
医学的判断により提供可能な場合もあります。」
だそうですので、もちろん検査して貰って可能であれば、
夫の遺志でもあるので、ヨレヨレ臓器であっても臓器提供をします。

ところで、話が逸れますが、
私と親交のあるシニアorシルバー世代の皆様方は、
日本人の平均寿命が2013年度では、
女性は86.61歳、男性は80.21歳なので、
自分たちもその年齢前後までは確実に生きられる!
と思っている人が多いようですが、
これは数字に因る単純なマジックで、
約半数の人は平均寿命までは生きられずに死を迎え、
残りの約半数の人は平均寿命を超えても生きていられるということです。
ですが、老いの現実として、上記の動画「“最期のとき”を決められない
の中の人のような状態で生かされることも覚悟しておかなければなりません。



人生の最期は、比較的苦痛がないと言われている
老衰(自然死)で死ぬのが一番幸せな死に方だとは思いますが、
それに当て嵌る人は、平成17年都道府県別生命表の概況によれば、
男性で2.1%、女性では6.29%です。
ということは、男性で運良く老衰で死ねるのは100人に2人です。
お気の毒さまですが、こればかりは自然の摂理で、
致し方がありませんですわね。(^_^;)

極端な死に方(虐待死や死刑等)で無くても、
病気、事故、自死・・のどれかで、半数の人間は
平均寿命まで生きられずに死んでゆかねばなりません。

その昔、私と同い年のいとこ(一人息子でした)は
20歳で交通事故で亡くなりました。
3年前には知り合いのご夫婦の一人娘が幼子を残して交通事故で亡くなり、
夫の甥は40歳でガン死し、最近では先週、娘のママ友(30代後半)が、
小学生の子二人を残して自死(世間には心不全で死亡と発表)しました

これが、老若男女を問わず、死の現実なのです・・。


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上記画像は私の運転免許証(裏面)、健康保険証(裏面)、
終活セミナーで貰ってきた健康保険証サイズの「もしもノート」の
リビング・ウィルのページ(個人情報の都合上、加工してありますが、
自筆署名部分には、日付、本名、住所、生年月日を署名)ですが、
いつも財布のカード入れに入っています。
私は献体登録をしているので臓器提供はできませんが、
一つの案として、前期高齢者と呼ばれることになる65歳以上の人には
健康保険証や運転免許証の裏面に臓器提供の意志の有無の他に、
延命治療の意志の有無も表示して貰えれば・・と思いました。
「□ 延命してほしい □ 延命しない」にチェックさえしておけば、
どんな状態でも生きたい!と願う人は生かされますし、
延命用の管類に繋がれてまで生きていたくない・・と思う人は、
自然死ができます。

ところが、第三者から視て植物状態と思われていても、
患者の耳は聞こえていて、意識もあるが、体を動かせない・・
だけの人もいるかもしれませんが、それらは運命と思いましょう。(^^;)

また、延命するかしないかは自分で意思表示が
出来るうちに決めておくことが前提条件となりますが、
医療機関も、残される家族や親族も
延命するかしないか?の壮絶な葛藤の淵に立たされることもなく、
死にゆく人の遺志を尊重できると思うのです。

今回は喪中はがきから、我が夫婦の終末期と死を考えさせられましたが、
ときどきでも、自分や身近な人の死を見つめ、考えることは、
限りある生の時間を有意義で豊かにしてくれるのではないでしょうか。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 臓器提供の意志の有無 延命治療の意志の有無 リビング・ウィル “最期のとき”は決められる “最期のとき”を決められない

『抗がん剤について調べれば調べるほどに、人々はアホであることを思い知らされる。しかしアホであることを自覚して勉強しない限り、ずっとアホのままであり最後は医学によって殺されるしかなくなるのである。』だそうでございます。
昨日の午前中、いつもの市営プールで、
ここ半年ほど姿を見せなかったM子さん(61歳)が
ガンで亡くなったらしいわよ・・と聞かされました。

その帰り道、複雑な想いを抱えながらも、某病院に寄って、
予てから予定していた特定検診(メタボ検診)の予約をして来ました。
昨年は夫婦ともに、特定検診+オプションとして
大腸がん検診とピロリ菌検査を受け、
私は中性脂肪が基準値よりやや高め(治療不必要)以外は、
血液検査の数値的には何処にも異常は見当たらず、
判定結果はAだったのですが、
我が夫は過去にピロリ菌がいた可能性が高い、ということと、
大腸がん検診(2回の検便)では一回目の検便で潜血反応が出て、
要精検の通知が来ました。
夫は「潜血反応なんて毎度のことだよ」と精検には行きません。
そういえば、ここ10年ほど、夫は毎回、検便で潜血反応がみられ、
「大腸の内視鏡検査をお受け下さい。」との
要精検通知が郵送されてきますが、一度も精検には行ってません。
もし、大腸ガンで10年も放っておいたら、
体のどこかに異常を覚えるはずですが、そんなこともなく、
「あなたは育ち盛りの中学生なの!?」と思うほど、食欲は旺盛で、
快食、快眠、快便を維持しており、代謝が良いのか20歳のときと同じ、
体重(細身の体)を保ちつつ、毎日元気いっぱいに、
都会の中の里山で百姓仕事に励んでいます。

早期発見にも関わらずガン?で
亡くなったM子さんのことが頭を過ぎりましたが、
M子さんのことを振り払い、
「今年も特定検診と大腸がん検診しか予約をしない!
早期発見だろうが末期発見だろうが死亡率は同じよ!」
と思って病院の検診受付窓口に行ったら、
担当職員の方が、「ガンは早期発見で治りますよ。受けたほうが良いですよ。」
と、他のがん検診オプションをしつっこく勧めてきました。

ここでまた、早期発見なのにガン?で
亡くなったと聞いたばかりのM子さんのこともあり、
心がすこしだけ揺らぎ、
やっぱり、がん検診オプションを受けよかな・・・どうしようかな・・・
とほんの少しだけ、迷ったのですが、
今、気になるのは3年越しの加齢による腰痛だけ。
さらに、前日に独自の理論を展開している医師、
内海聡氏のフェイスブックの抗がん剤に関する記事を読んだばかり・・

ガンが見つかって、抗がん剤治療をされるのも嫌だし、
我が夫のように、10年間も精密検査を受けなくても
なんでもない人もいるし、高いオプション料金を払ってガンを見つけてもらい、
また高いお金を払って、辛い抗がん剤治療なんかされたら、
副作用で死んでしまうかもしれない。

もし、ガンもどきであっても、
どうしても、疑わしきは切開しないと判らない!とばかりに、
メスで患者を切り刻みたくて仕方がない外科医もいるらしい。
(先日読み終えた外科医の書いた本にそのようなことが書いてあった)

そして、やっぱり、ガン検診のオプションはや~めよ。(笑)
と、昨年と同じに特定検診+大腸がん検診(検便)だけを
することにし、検便容器と申告用紙をもらってきたのでした。
今回も夫は潜血反応が出るかもしれませんが
それでも、自覚症状がない限り、精検は多分受けないでしょう。
ガンが見つかって治療をしても、治療をしなくても、
人は必ず死ぬという事実に抗うことはできません。
それなら、抗がん剤の副作用で辛く苦しい思いをしなくて、
自然死を全うしたいものです。
我が夫婦は六十路で、すでに死亡適齢期に入っています。
お金持ちにも貧乏人にも死だけは平等に訪れます。
そして、命の終え方は人それぞれです。
お金持ちで、且つ生への執着を捨てきれないない人は、
あらゆるガン治療に立ち向かうのもいいでしょう。
ですが、WHOまでもが、抗がん剤の使用を止めるように言いだしている中、
「何も判らないので主治医にお任せします」ではなくて、
ガン検診の在り様と、その後に控える治療や抗がん剤という毒に潜む、
裏側をもっともっと患者及び患者予備軍が勉強せねば!と思った日でした。



なぜ日本でも抗がん剤を勧め、
かつ抗がん剤が効果があるようにのたまうのか。
抗がん剤は猛烈な発がん剤物質であることは、
公式添付文書にさえ書いてある。
その大きな理由はカネであるが、
ここでも「彼ら」の思惑を忘れてはならない。
「彼ら」の目的を砕いて述べれば「アホは死ね」である。
抗がん剤について調べれば調べるほどに、
人々はアホであることを思い知らされる。
しかしアホであることを自覚して勉強しない限り、
ずっとアホのままであり
最後は医学によって殺されるしかなくなるのである。
確かに代替療法をしても必ず助かるとは限らないかもしれない。
しかし助かる可能性があるというだけマシなものだ。

近年の抗がん剤の「流行り」が分子標的剤である。
さてこの非常にお高い分子標的剤とやらで、
一体何人が癌から治癒したのであろう。
実際私の狭い世界の中ではまったく聞いたことがない。
これもまた古典的抗がん剤と同じように、
一時的に腫瘍が縮小するのがせいぜいだ。
仮に効果があったとしても現在の医学論文でさえ、
かすかな延命が主という程度である。
この分子標的剤に限らないが、
日本における薬認可の遅さを
「ドラッグラグ」と評して批判する人々が多数いる。
これは気持ちはわかるのだがはっきりいって愚かな行為の代表格だ。
つまりその薬が結局は何のために開発され、
実際はどの程度の意味を持つかということがはっきりわかっていれば、
そもそも西洋医学全体の抗がん剤を使いたいと思うことがないからだ。
抗がん剤研究の論文などは
捏造が主体であることもわすれてはならない。
ここでいう捏造というのが
一般人にはほとんど見抜くことができないレベルである。
ものすごく単純に説明する。
たとえばある抗がん剤を使って癌が検査上半分になったとする。
一般人はその薬は効く薬だと誤解するだろうし、
論文も効く薬だと書くのだ。しかしその後、
癌は前の倍のスピードで増殖するスピードを身につけ、
その後どんな抗がん剤も効かなくなる。
結果的にどうなるかというと、
何もしなかった人よりも
抗がん剤を使った人々の方が早く死ぬという事態になる。
おかしいではないか?と良心的な一般人は思う。
抗がん剤を使ったほうが早く死ぬのなら、
なぜその薬が認可されるのだと。
なぜ医師たちはその抗がん剤を使うのだと。
しかしその質問をすること自体が、
自分がカモだということにまだ気付いていないのだ。
基本的に政府の認可というものは、
癌が一時的に小さくなったということが証明されれば通るわけで、
結果人々が早く死のうが遅く死のうが知ったことではない。
そして日本の医師ほど洗脳し易いバカはいないので、
彼らは捏造かどうかも考慮することなく、
ガイドラインに沿うことしか頭にないわけである。
そのガイドラインが殺人教科書であることに気付かない。
まあ、自己を全否定することになるので、
認めたくないのも当然だろう。
だってあなた方だって
自分の存在や覚えてきたものを全否定できないだろうから。

内海聡医師のFBより引用

↑の医師はトンデモ医なのでしょうか?それとも医は仁術の実践医なのでしようか?
                             (ーー;)う~ん.......

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テーマ : 備忘録的なもの ジャンル : 日記

葬式仏教は死後もぼったくられる!ご主人様亡き後に妻である自分が死んだら、その後には墓守が誰もいなくなることに今頃気付き、檀家契約を解約しようとしたら、強欲坊主が経営するぼったくり寺から離檀料100万円を請求された友人の話。
一年前にご主人様(享年70歳)を亡くした友人(65歳)がいる。
その友人A子の話によると、ご主人様は、
「墓というものは生前に準備しておけば長生きできるらしい。」
との迷信を信じて、生前に○○寺と檀家契約をして、
墓地を使用する権利を取得たらしい。

「やれやれ、これで安心して極楽浄土に行ける。
後は墓石を建立して、100歳ぐらいでお迎えが来たら入るだけだな・・」

などと言っていた矢先に特定検診のオプションで受けたガン検診で、
大腸にガンが見つかり、リンパ節転移もあり、
辛く苦しい治療(外科手術と抗がん剤治療)の甲斐もなく、
治療開始後6ヶ月目で帰らぬ人になったのだという。

A子曰く。「どうも・・主人はガンが原因で死んだのじゃなくて、
抗がん剤の副作用で死んじゃったみたいなのよね。
今更どうすることもできないけれど、
せめて亡き主人の希望通りにお墓に納骨をしなくては!」

ということで、寺と提携している石材屋を訪れた際の世間話で、
「ところで奥さん、墓守は息子さんですか?」と訊かれて、
「えっ?墓守?墓守は私ですけど」と答えたら、
「やだな~奥さん。奥さんの次の代の墓守のことですよ。」
と言われ、ハッと気が付いたのだとか。

(一度も外で働いたことのないお嬢様シニア主婦でも
気が付くのが遅すぎるわよね........)

A子夫婦は子どもに恵まれなかったので、
当然、彼女が死んでも墓守(祭祀継承者)はいない。
彼女も65歳の前期高齢者。
体のあちらこちらが壊れてきているのを実感している。
それに、あと何年生きられるかも分からない。
そこで、特定の寺の檀家でいるよりも、
維持費や管理費不要で宗教不問の納骨堂や霊園にでも
主人と自分の遺骨を入れてもらうほうがいいのではないか?
との思いが強くなってきたそうな。
それに、まだ納骨もしていないし、
墓石も建立していない。
すぐにでも離檀できるだろうと、お寺さんに行き、
檀家契約の解約を申し出たところ、
寺側は祭祀継承者としての彼女に
離檀料100万円を請求してきたのだという。
(もしかして、離檀を防ぐための寺の作戦?で吹っ掛けた?)

亡きご主人様は5人兄弟の末っ子で、
兄たちは全員があの世の住人となっており、
甥や姪との付き合いは何十年もなく、
住所も電話番号も知らない。
近隣との付き合いも、夫婦の終の棲家として定年後に買った
新築マンションなので、近隣は若い人ばかりで親しい人もほとんどない。

更には亡きご主人様は地方の農家の5男坊として生まれたが故に、
自分名義の寺の墓所を所有することが
彼の人生のステータスでもあったらしい。

そして・・
家族葬で執り行った葬儀に参列したのは
A子の姉3人(全員が未亡人で高齢者+自力での移動が困難な
長姉の付き添いで付いてきたその長女)だけ。
そんな5人だけの小さな家族葬でも、
火葬場の空き待ちの遺体保管費用が思いのほかかかり、
葬儀社から請求された葬儀費用は約100万円で、
当然のごとく、別途費用として、
通夜と葬儀での○○寺のご住職の読経とお布施と戒名代(信士)で100万円。
たった5人だけの「おくりびと」の葬儀費用が計200万円もかかったらしい。

これけでも常軌を逸したぼったくり葬儀よねぇ。

加えて、墓所の引越でもなく改葬でもなく、
まだ、お墓に納骨もしていないのに、離檀料が100万円・・。
住職も人間である。強欲な人も、
清廉潔白な人もいるだろうけれど、
離檀料が100万円って高すぎない?
そのぼったくり寺だけかもしれないけれど、
葬式仏教専門のお寺って、いったいどうなってるの?

A子は今、自分の死後に墓守のいないことに気付いたことに端を発し、
仏壇を買う予定だったがそれも止めにして、
離檀料の費用に当てるべきか?
100万円を払わずにそのまま檀家として残るべきか?
の選択で死ぬほど悩んでいる。
そして......................

お寺って何?
お墓って何?
仏壇って何?
供養って何?
お布施って何?
極楽浄土って本当にあるの?


独り言のように抽象哲学的なことを訊いてきたが、
私には私の・・A子にはA子の価値観があるので、
離檀料の費用のことで頭がいっぱいのA子に向かって、
「あなたは葬式仏教の餌食にされてるのよ。
人は死んだら無そのものじゃないのかしら?
それに、霊なんて存在しないのよ。」
などと無碍なことは言えない。

「そういう質問は、
そういうことの専門職であるご住職様に訊いてみたら?
ところで檀家契約書には離檀料について何て書いてあるの?」
と訊いたら、
「えっ?契約書?そんなものあるの?
主人の遺品整理をしたけど檀家契約書なんて無かったわよ。」
との答えが帰ってきた。

私は心の中で、
「あの世なんて、死んでみなくちゃ、誰にも分からないわよ。
ほとんどの宗教では来世の存在を説くけれど、
それは、肉体の機能停止に因って絶対無になる恐怖を
和らげるための単なる方便でしかないのよ。
ご主人様は運悪く、たまたま強欲坊主が経営する極悪寺を選択しちゃったのね。
そしてあなたもあなたの亡きご主人様も、
今もこれからも葬式仏教のただのカモネギでしかないのよ。」

と思ったが、そんなことは口には出せないので、
「とにかく、契約書が無いのなら、もう一度ご住職様に会って、
100万円の根拠を訊いてきなさいよ。
そして、契約書のコピーを見せてもらうことね。」
としか言えなかった・・。

そして、少数派でいることを厭い、
大多数の人々と同じ行動を取ることが
人生最良の道だと思い込んでいるA子が、
もし、意を決して、
仏教の初歩のそのまた初歩(仏教における死とはなにか?)
を住職に訊いたと仮定して、
結局A子は訳のわからない仏教用語で丸め込まれ、
ぼったくり寺側からの、生から死への移行に必要な
葬送の儀式とその後の供養の必要性、
そして、永眠の場(墓)と来世の存在を信じ込まされ、
本来ならば払う必要のない離檀料を払うだろうな・・」
と思ったのでした。

葬送の儀式の必要性の有無や永遠の眠りの場は人それぞれの死生観なので、
何が何でも必要と思えばお金をかければいいし、
お墓が先祖の霊の住むところと考えていて
心の癒しの場ならば、お墓参りをするのも否定はしない。

逆に必要と思わなければ火葬だけして、
遺骨を灰にして山や海に散骨してもいいと思う。

「死者は残された人の記憶の中で、その人が死ぬまで生き続ける・・。」
私のように社会的地位も財産もない無名の民ならば、
葬送の儀式の有無には関わらず、
子どもや孫の記憶の中で生かされ続ければ
それだけで十分なのですが・・・。


離檀料
近年、墓所の引越しなど改葬に伴う離檀に関し、
寺側から檀家が数百万円~1000万円以上もの高額な「離檀料」
を請求される例が増えている。寺側の言い分は、
遺族が墓参りに来ないときでも、寺は毎日のように供養したり、
年忌法要、月命日にも読経を上げるなどを寺が自主的に行っているというものである。
離檀料は、契約書に謳っていない限り法的請求根拠はないが、
改葬の手続きにおいて「改葬許可申請書」に
引っ越し元の墓の管理者(宗教法人)の署名・捺印が必要になるために、
寺側が強気に出るケースが見られる。



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tag : 葬式仏教 離檀料 檀家契約書 ぼったくり寺

「臨死体験 思索ドキュメント死ぬとき心はどうなるのか」を観て・・臨死体験とは誰もが死の間際に見る可能性がある奇跡的な夢らしい。そして結論は死んでみないと分からない。
録画しておいたNHKスペシャル「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」
(2014年9月14日放送)を観た。

『私』という存在は死んだらどうなるのか、
死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――。
20年余り前、臨死体験について徹底的に取材し
考察を深めてきたジャーナリスト/評論家立花隆さん。
74歳を迎え、がんや心臓の病を抱えて死を間近に感じる今、
再び臨死体験の最新研究の現場を見つめ、
“死”について思索しようとしている。
死の間際に一定の人が見る臨死体験
臨死体験が世界で注目され始めた1980年代以来、
その解釈としては、脳内現象として科学で説明できるとする
「脳内現象説」と、肉体が死んでも“魂(もしくは自我を感じる「意識」)”
が存在し続けるという「魂存在説」―――これら二つの説が互いに相容れない、
激しい議論が続いてきた。そうした中、
立花さんは新たな臨死体験の掘り起こしをすると同時に、
そもそも「意識(魂)」と呼ばれているものの正体とは何なのか、
最新の脳科学・心理学・哲学にいたるまで、
徹底した取材に基づいて正面から挑もうとしている。
科学的に見て、死後の世界があると言える余地はどれくらいあるのか。
死後の世界がないとしたら、『私(自分)』という
意識(魂)はどう生まれどう消えていくのか。
私たちが当たり前と思っている『私』という存在はいったい何なのか。
有史以来、人類が答えを追い求め続けてきた生と死にまつわる壮大な謎―――
その謎に挑む立花さんの思索の旅を通じて、
大震災や紛争などで多くの命が失われる今、
命や『私』の存在する意味を考える。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0914/index.html



ご興味のある方はこちらで全編視聴可能です。

私は幼児の頃に心停止を宣告され、臨死体験をしたことがある。
当時は臨死体験と言う言葉などもちろん知らず、
臨死体験者のほとんどが体験するという
トンネル」も「光の存在」についての知識も見聞も無かった。

それでも体外離脱状態で見た光景は今でもはっきり覚えているし、
トンネル」も「光の存在」も脳裏に焼き付いている。

半世紀以上を過ぎてもなお、「あれは夢だった」
とはどうしても思えないほど鮮烈な体験だったが、
ヒトが死を迎える際に対して「トンネル」や「光の存在」が、
太古よりDNAに組み込まれているような気がする。
番組では、臨死体験とは、どうやら生と死のボーダーラインにおいて、
脳が防衛本能をフル回転して起こす奇跡的な夢であるらしい・・
と結論付けていた。

また、交通事故や脳内出血で数日から6カ月ほど昏睡状態が続き、
生と死の境界を経験した数人の友人知人に
臨死体験があったかどうかを訊いてみたら、
一人もそのような体験はおろか、記憶にも無いと言う。
どうやら臨死体験をする、しないには個人差があるのかもしれない。

番組では「死ぬときの心の行方」をメインテーマに据えていたが、
人が死に瀕するときには
死に至る苦痛と恐怖を回避するために脳内麻薬(エンドルフィン等)
が多量に分泌されて、多幸感に包まれた夢や幻覚を見るという
防衛本能が脳に組み込まれていると或る本で読んだ。

ゆえに、死に至る直前に肉体的には決してもがき苦しむことはないらしく、
あとは、科学も宗教も関係なく、あの世を信じるか?信じないか?
の個人の心の問題だけになる。
そして結論としては、「死んでみないと分からない」
ということになる。

私自身は来世も生まれ変わりもあるとは思っていないが、
否が応でも、もうすぐ確実に逝かなければならないあの世。
皆さま方は信じますか?

それにしても、知の巨人といわれる立花隆氏のような方でも、
生の残り時間が短くなったことを意識するようになると、
オカルト的なものや哲学的なものに救いを求めるようになるものなのでしょうか・・。



『臨終が近づいたら、たまたま地上に生まれさせられ、
いま死んでいかなければならないこのすさまじい残酷さをまっすぐ見つめ、
「わからない、わからない」とわめきながら、もだえ苦しんで死んでいきましょう。』
哲学者:中島義道『ぐれる!』より


『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 
死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候』
曹洞宗の僧侶: 良寛


相反するがごとき死生観ですが、
死に対峙しようとするときの思いは人それぞれ、
そして、生き方も人それぞれです。

人生というものに確たる正解がないように
生きる意味などというものも存在しない。
そして、ただひとつ言えることは「死ぬときは独り・・」ということだけであり
あの世を信じるも信じないも自由である。

また、他人(例えば医師とか宗教家)の言うことには、
或る程度は耳を傾けても、最後は自分自身の決断になる。
元気なときから自分の想う死の形をイメージしておけば、
最期はそれで事が済むのではないかと思う。

私は・・できるならば、多量の脳内麻薬の分泌で多幸感に包まれながら、
全身麻酔で数を5まで数えて意識を失ったような状態で、
この世からおさらばできたら・・と願っている。

最近、己が死については、念じて考える!ことが唯一の救いであり、
受容への近道なのだと思えるようになってきた。
どんなにもがいても、あがいても、死ぬほど悩んでも、
やがてはみんな必ず死ぬ、という事実は老いが深まれば深まるほど、
眼前に迫ってくる。
死の向こう側とは、今を生きている人間には
その瞬間が訪れるまで決して知ることのできない未知の領域である。
あの世があるかどうかは別にして、
臨死体験をした身から言えば、死の瞬間は決して怖いものではなかった!
と今は、はっきり断言できる。
ただ、余計な延命措置がなければ?かもしれないけれど。

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テーマ : 備忘録的なもの ジャンル : 日記

tag : 臨死体験 トンネ 光の存在 体外離脱 脳内麻薬 オカルト的

医学の限界を知り「人は必ず死ぬ」という事実を受けとめる覚悟を・・そして、最期まで自宅で自分らしくある天寿を迎えたいけれど・・現実は?
先月、我が家から約300mの場所に待ちに待った
「24時間訪問診療」のクリニックが開業しました。
午前中は外来診療で午後からは訪問診療とのことなので、
もし、風邪でも引いたら、一度診察を受けに行こう。
そして、必ず来る我が夫婦の最期のときのために、
院長先生の人物像を把握し、顔繋ぎでもしてこようか・・。
などと、失礼で不埒なことを考えているのですが、
若い頃から、決まって季節の変わり目である5月か6月に
必ず酷い風邪を引いていたのですが、
この数年は水泳にかなりの時間を割いているせいか、
風邪も引かず、なかなか診てもらう機会がない状況にいます。

そして今日、新聞で
(インタビュー)在宅医療で見えたもの・・
医学の限界を知り「人は必ず死ぬ」受けとめる覚悟を・・
最期まで自宅で自分らしくある天寿を支える 

の記事を読んだのですが、
私は『医学の限界を知り「人は必ず死ぬ」という事実を受けとめる覚悟』は
既にできていますが、
「最期まで自宅で自分らしくある天寿」を迎えるには、
在宅介護してくれる家族が必要になります。
今の時代、私と同世代の知人友人の間では、
同じ屋根の下で暮らす複数の家族がいる人は、
数組の夫婦二人暮らしを除き、ほとんどがおひとりさまで、
2世代同居の人は数える程しかいません。

私は夫を先に見送ってから死ぬつもりでいますが、(^^;)
人生は想定外の連続であり、逆のパターンも視野には入れています。
ゆえに、近い将来、我が夫婦のどちらかが確実に一人暮らしを余儀なくされます。
そのとき、独りになった者は、認知症や寝たきりになった場合、
いったい誰に在宅で介護をしてもらえばいいのでしょう?
我が家の場合で言えば、役所窓口での要介護認定(要支援認定を含む)等への
介護保険の申請などは子どもたちも協力はしてくれるでしょうが、
共働きの子どもたちには、家事や介護等はこちら側からは頼めません。

更には、介護度が重度と認定されても、
24時間に渡り、生活援助と身体介護で、
代わる代わるヘルパーさんに来て頂くことは
経済的に無理があります。
また、訪問看護師さんも忙しいらしく、
10分ぐらいしか居てくれない・・
と近所の人がこぼしてました。
2025年には、おひとりさまの高齢者が都市部では爆発的に増え、
地域の数少ない24時間訪問診療医
地域のヘルパー派遣事業所から派遣されるヘルパーだけで、
すべてのおひとりさまの高齢者を支えるのはとても無理です。
言葉のあまり通じない外国人ヘルパーが家事援助に訪れたり、
訪問看護師の滞在時間も数分間になることも否めません。

また、在宅で終末期を過ごすとなると、緊急の場合に
24時間訪問診療医」に連絡をしてくれる
家族の誰かが常時家にいることが必須となります。
結局は、家族の誰かが傍にいなければ、
「24時間訪問診療」のクリニックが近くに開業していても、
最期まで自宅で自分らしくある天寿を迎えることは、
なかなか難しいことのようです。

団塊世代とその前後の世代の方々は、
今から孤立死野垂れ死にの覚悟でもしておいたほうが
いいのかもしれません。
世間では孤立死野垂れ死には、
最悪の最期と捉えられているようですが、
私は必ずしも、そうだとは思っていません。
「人は死に場所を選べず、必ず何処かで息絶えなければなりません。」
そのときのために、折あるごとに自分の最期の時を頭の片隅に
イメージし、また知人等の訃報に触れたときなどに
メメント・モリを思い起こせば、余命宣告されたときなどには
それほど最期のときにジタバタしないように思うのです。
家族に看取られながら「最期まで自宅で自分らしくある天寿」を迎える・・。
これほど幸福な死はないとは思いますが、
全員が全員にそのような最期は望めません。
先日、友人の従兄弟に当たる方(一人暮らしの60歳男性)が
九州から東京に出稼ぎ中にアパートで孤立死していたそうです。

お子様のいらっしゃらない一人暮らしの高齢者は、
体を自由に動かせるうちに兄弟姉妹と行き来をして、
仲良くするしかないでしょう。
兄弟姉妹とも疎遠な方や、子どもも兄弟姉妹も無く、
天涯孤独の高齢者は今からサ高住グループホームを見学して、
場所や入居費用等を調べておくのも、
より良き死を迎えるための一つの手段かもしれません。

人間は老いも若きも、いつかは必ず死ぬのです。
集団的自衛権行使が生きがいの安倍総統閣下も、
御所内でどうなのかは、私には知ることはできませんが、
公の場ではお優しく温かみのあるお言葉がけで、
下々の民たちが平和で健やかなることを祈ってくださる今生天皇も、
私には騒音にしか聴こえない歌もどきらしいものを歌っているらしい
ヲタクのアイドルのAKB48の乙女たちも、
そして、下々の名も無き貧乏婆さんの私にも・・・・
死は平等に訪れます。

若い人は交通事故で死の淵を彷徨いながら息絶えるかもしれません。
高齢者は抵抗力が落ちているため、ガンそのものは縮小しても、
抗がん剤の副作用で重篤な状態に陥り、
そのまま命を落としてしまうことも多々あります。
結論として・・・・
やはり、インタビューで大田医師が述べておられるように、
『医学の限界を知り「人は必ず死ぬ」という事実を受けとめる覚悟』
を持つことが最重要なのではないのでしょうか。
そして、己の死を考えることは、
限りある生の時間を更に豊かにし充実させることでもあるのです・・。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 訪問看護師 家事援助 24時間訪問診療医 孤立死 野垂れ死に メメント・モリ サ高住 グループホーム

大往生のピンピンコロリで逝った友人二人のそのご尊父様と配偶者様のあやかりたい死に方とその遺族の潔いあの世への見送り方に想うこと。
しばらくプールにこなかったプー友(プール友達)二人・・。
約一ヶ月半ぶりにプールに来た二人が言うことには、
A子さんはご尊父様が亡くなり、B子さんはご主人様が亡くなって、
その後始末に追われていたらしい。

以下はその二人が詳し話をしてくれた内容です。

先ずはA子さん(60代後半)のご尊父様(大正2年生まれの101歳)は、
足腰はだいぶ弱くはなってきたものの、認知症もなく、
朝は散歩と称して普通に電動三輪車に乗って、
ゆっくりと近所の大きな公園を散策し、花木を愛でながら家に帰ってきて、
純和風の朝食後は午前中をかけて新聞を隅から隅まで読み、
昼食後は短歌と俳句を趣味とされていて、新聞への読者投稿を楽しんいるという、
ご長寿老人だったそうなのですが、
4月の桜満開の頃に、普通に夕食を済ませ、
好きなテレビを見て、8時頃に床に付いたのですが、
翌朝、いつもの電動三輪車散歩の時間になっても起きて来ない。
不審に思ったA子さんが様子を見に行くと、
体にはまだかすかな温もりは残っていたが、
既に息をしていない状態だったという。
急いで救急車を呼んだが、救急隊員の方からは、
もう死亡してますね・・と言われ、
不審死扱いという理由で警察が呼ばれたそうですが、
さすがに年齢が年齢なので、形式上の検視の結果、事件性は無し。
ということになったそうです。
歌詠み人でもあり、西行に心酔していたA子さんのご尊父様は、
願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃」に亡くなり、
A子さんは「父は本望だったと思うわ。」と言い、
父の兄弟姉妹は皆死に絶えてしまっているので、
家族だけでの直葬の際には、ご尊父様が復員後に庭に植えたという桜の木から
桜花を集め柩に花びらを敷き詰めて、お見送りしてあげたそうです。
そして、生前にご尊父様がA子さんも知らないうちに予約しておいたという、
桜の下に眠る「桜葬」と言われる墓地に折を見て遺骨を埋葬する予定だそうです。
毎年桜の咲く頃には、お花見と命日の墓参と日帰り旅行を兼ねて行けるので、
A子さんは父は良い選択をしてくれたと思うわ。「桜葬」オススメよ。
と楽しそうに話してくれました。

もう一人の友人B子さん(70代後半)も、
やはり桜が満開の頃にご主人様(80歳)を亡くされたのですが、
ご主人様はその日も普段通りに朝食を食べ、普段通りに食後のお茶を飲み、
普段通りの台詞を言い、
「さぁ、俺よりもイイモノを食ってるお犬様に引きずられて
散歩にでも出かけるか・・・・・」
と椅子から立ち上がろうとしたその瞬間に、
B子さんの目の前で、まるでスローモーション動画を見ているごとく、
フワ~~~~~~ッと椅子から崩れ落ち、
ピクリとも動かなくなったので、
B子さんはこれは尋常ではないわ!大変だわ!と急いで救急車を呼び、
救急病院に運んでもらったのですが、
到着した時点ですぐに死亡宣告(心筋梗塞)をされたそうです。

B子さん曰く。
「主人は望んでいたピンピンコロリで逝けてさぞかし満足していると思うの。
介護でわたしの手を煩わすこともなく、
主人は潔い良い死に方をしてくれたと思ったわ。
わたしもあやかりたいけど、こればっかりはね・・・」
と言っていた。

「それで、どのような規模のご葬儀をしたの?」と、
我が夫のもしも・・・のときのための参考までに訊いてみた。

「えっ葬儀?葬儀とは言ってもね、
主人は、俺が死んだら、欲ボケ坊主のお経、戒名、仏壇、供養、お墓も不要!
火葬だけで良い!近所も友人も兄弟は呼ばんで良い!
世間には知らせずに、ひっそりと逝かせてくれ!が口癖だったから
わたしと隣町に嫁いだ娘とその家族だけの見送りで荼毘に付してきたの。
遺骨はね、まだ家にあるけど、近々海に散骨するつもりなの。
散骨も主人の遺言だったんだけど、そういう人生観だったのよ。
それから、常識的に考えて、主人の兄弟には知らせたほうがいいかしら?
それとも主人の遺志を尊重して知らせない方がいいのかしら?
と迷いに迷ったけど、結局知らせなかったわ。
だって、主人には兄がふたりいるけど、80代の高齢者で北海道に住んでてね。
一人は半寝たきり、一人は認知症で、ここ何十年も付き合いも電話もないのよ。
だから訃報を知らせたら、主人の兄のご家族にご迷惑かと思って・・。
散骨が終わったら、死亡通知書を書くわ。
故人の強い遺志により、香典、お供物はお断り致します。
の文面を添えて・・・」

だそうでございます。

そこで一緒に話を聴いていた、
命の灯が消えるのは今日か?明日か?
の御母堂様(施設入居中の92歳)のいる
C子さん(60代前半)は、前々から、故人となった人の兄弟姉妹には、
本人、もしくはその代理である血縁者が来る来ないは別にして
知らせるのが世間の常識であるというスタンスを絶対に崩さない人である。
ちなみに、C子さん御母堂様は、
常々、「家族だけのこじんまりとした葬儀でいいよ・・」
と言っているらしいが、
B子の母親の兄弟姉妹は彼女を除いて全員が亡くなっており、
その子どもたち・・つまり付き合いはほとんどないが、
世間の常識として、母親のもしも・・・のときは、
B子の従兄弟と従姉妹に知らせるつもりでいるのだという。
そして、B子は一般葬を執り行うべく、葬儀場も会員として会費を払い、
お寺様の紹介もしてもらう旨の登録を済ませて来たそうである。

しかし・・・・A子さんとB子さんの話を聴いているうちに、
C子さんの、御母堂様のもしも・・・のときは何が何でも葬式仏教で!
の信条が少しづつではあるが揺らいできているのが見て取れたのでした。
それは、B子さんが、C子さんに対して、
「そうねぇ、C子さんのお母さんは、地域の有力者かなんかだったの?
それだったら、超豪華なお葬式でも、遠くの親戚もみんな呼んで、
なんでも好きにおやんなさいよ。
でも、この辺は人間関係も、地域のしがらみも、なぁ~んにもない都会なのよね、
主人のときも、火葬場で見送る人が2.3人の直葬が多かったわよ。」
と言い添えた言葉が揺らがせたのだと思うのです。
そして、私の心の中ではC子さんの予定している葬送よりも、
A子さんとB子さんの葬送に軍配を上げていたのでした。

私自身、母の葬儀のときに約55年ぶりに逢った、
超忙しい個人病院経営の従兄弟(母の妹=故人の息子)に
「母の闘病中には伯母さんには毎日通って貰って、
大変お世話になりましたので、
お知らせを受けて、お線香だけでもと思って診療を抜け出してきました。
午後から手術があって、すぐに戻らなければなりませんので、
申し訳ありませんがすぐにお暇(いとま)します。
それから、僕の母も無くなっていますし、伯母さんも亡くなりました。
伯母さんへのご恩は忘れていませんが、
できれば、今後はこういうお付き合いはもうお互いに止めませんか・・」
と言われたことに、何十年も付き合いがない親戚よりも、
近くの他人のほうが大事と考える私は、大賛同したことがあったので、
私的には、もし夫の「おくりびと」になったなら、
世間体や葬儀費用の問題などではなく、
故人の人生観及び死生観を尊重したいと思ったのでした。
ところが、我が夫からは「直葬でOK!」以外の意思は伝えてもらっていない。
それに、「あなたの直葬のときに、
もし姉さんたちが生きていたら、呼ぶ?それとも呼ばない?」
なんて、あれから4?年の夫婦であっても、
そんなことは口が裂けても訊けない。(^_^;)

それにしても、
「夜、普通に床に入ったら、朝には苦しんだ様子もなく亡くなっていた。」
「食後、フワ~~~~~~ッと椅子から崩れ落ち、そのままコト切れた。」
これぞまさしくピンピンコロリ!究極のまた最高の死に方ですね。
ホント、私もあやかりたいと思いました。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 欲ボケ坊主 不審死 検視 願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃 直葬 桜葬 ピンピンコロリ 死亡通知書

回復の見込みがなくなった時に治療の中止を認める、いわゆる尊厳死法案の提出が検討されている。人生の終わりに、どうすれば尊厳は守られるのか。

■ 深く悩み納得するのが先 映画監督・周防正行さん

 「患者に良かれ」と思い、治療をやめたお医者さんが、告発される。
一度つけた呼吸器は外せない。そんなことがあるのなら、
何らかの法律が要るんだろうなと漠然と思っていました。

 でも、2012年に公開した映画「終(つい)の信託」
をつくるため終末期医療を調べるうち、
「待てよ」と感じるようになりました。
死の迎え方は、人がどう生きてきたかと同じように、
一律ではない。経済的な理由から治療をやめざるをえない場合もあり、
社会システムの問題でもあると気付いたのです。

 取材してわかったのは、
食べられなくなった時に栄養を直接いれる胃ろうをつけた家族も、
つけなかった家族も、どちらも「正しかったのか」と悩んでいること。
そこに正解はなく、あんなに考え、話し合って決めたのだから、
という思いがせめてもの救いになるのでは。
その質と量によって納得するしかないんですよね。

 今の医療現場では、患者や家族と医師らの間で信頼関係を築きにくい。
お互い忙しく遠慮もあるのでしょう。患者や家族がいつでも、
これからのことや不安を相談できる人が病院にいる態勢づくりが、
大事だと思う。患者と医師を結びつけてくれる窓口のような存在がいると、
患者や家族は深く考え、きちんと悩めるようになるのです。

 この人が望む道は何なのか。共通認識を持ち、それを実現するのが
「尊厳ある治療」なんじゃないかな。まずはそれが大事。
良い医療かどうかって、患者や家族がいかに納得できるかにかかっている。
コミュニケーションがうまくとれないとだめなんです。

 法って、社会秩序を維持するためのものですが、
私たちはいちいち、法律を考えて行動はしません。
「人としてどうあるべきか」という倫理によって動きます。

 一方で法律ができると、要件がそろったから、
と深く考えずにすぱっと物事が決まってしまう恐れがある。
治療をやめる結論が簡単に得られ、議論の質も量も薄まってしまう。
極めて個人的な「死」についての考えが、
法律に引っ張られる怖さもあります。
だから医療に司法は介入しないほうがいいと思うようになりました。

 法律ができたら争いはなくなるんですかね? 
これとこれを満たしているから、絶対罪に問われませんと進めても、
患者の家族から「おかしかったのでは」と問われることは、
出てくると思います。
逆に、この患者にとって何がベストなのかを話し合うことができれば、
法律に頼らないですむ。

 尊厳死法案に障害者の団体が反対していると聞きます。
「受けたい治療が受けられず、切り捨てられるんじゃないか」
といった不安の声に耳を傾け、その思いを反映させないといけない。
そういう声をきちんと聞けない社会は、良い社会とは言えないでしょう。

 一方で多くの人は、死の迎え方について、深くは話し合っていないですよね。
僕も「無理な治療はやらないでいい」と妻には言ったつもりでいたんです。
なので、ある会見で「彼女はわかっていると思います」と言うと彼女は
「えっ。聞いてない」と言い、周囲は大爆笑。
「そっか。やっぱり文書にしないとだめなんだな」と思いましたね。
でも今も、文書は書けていません。

 彼女がそうなったらどうするか。
追い詰められないとわからないですが、
お医者さんとやりとりをして、
彼女にふさわしい治療や死の迎え方を一生懸命考えて決断する。
そうするしかないですよね。(聞き手・辻外記子)

     *

 すおまさゆき 56年生まれ。妻は俳優の草刈民代さん。
代表作に「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」。
最新作「舞妓(まいこ)はレディ」は今秋に公開予定。




■ 静かな看取り、条件整備を 内科医・日本尊厳死協会副理事長、鈴木裕也さん

 救急車で急病人が病院に運ばれてくる。
医師は人工呼吸器などをつけて全力で治療をし、助けようとする。
その結果、回復して退院する人もいれば、亡くなる人もいる。
しかし、救命治療がいつしか延命治療に変わり、回復の見込みがなく、
意識のない植物状態になってしまう人もいる。
私は「不自然な生」と呼んでいます。

 「治りません。(呼吸器などは)外せません」。
医師がそう言い、治療が延々と続く。家族は途方に暮れる。
医学の発達と高齢化により、こうした存在はどんどん増えています。

 北海道や富山の病院で医師が患者の呼吸器を外して死亡し、
殺人容疑で書類送検された事件の後、
不起訴にはなりましたが現場は萎縮したままです。
医師が患者や家族に治療の内容や今後について説明し、
治療の中止を患者側が望んでも、医師は治療をやめない。
そのほうが安全だから、と「ことなかれ」が横行している。
患者にとって不幸なことです。

 一定の条件のもとでは治療を中止しても医師は罪に問われない、
と明確に法律で位置づけることが重要です。法律ができれば、
静かに看取(みと)るための知識や技術を全ての医師が真剣に学び、
取り組むようになります。

 障害者にとっても必要な法律だと考えています。
難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の診断時に医師は、
「進行したら人工呼吸器をつけますか? つけると外せません」
と患者に問うと聞きます。
どうしたいかはつけてみないとわからないことが多いのですが、
途中で治療方針は変更できない。そう宣告されているのです。

 「終末期の医療における意思の尊重に関する法律案」という名称なのに、
尊厳死法案と呼ばれるのが誤解のもとです。
尊厳死を皆に勧めていると勘違いされがちですが決してそうではありません。

 意識がなくなった時に備え、
終末期医療への希望を残しておく書面、リビングウイル(LW)を広め、
それぞれの思いを尊重することがとても重要です。現在の日本尊厳死協会のLWは、
治療への拒否を示すものですが、
これはしてほしいという選択肢も含む内容への見直しの検討を始めました。

 自身の最期を真剣に考え、LWを書く人が増える。
医師がそれを受け止め、患者は安心して望む最期を迎えることにつながる。
そのために必要な法律だと考えています。(聞き手・辻外記子)

     *

 すずきゆたか 43年生まれ。慶応大医学部卒。
埼玉メディカルセンターなどに勤める。元埼玉社会保険病院長。
日本尊厳死協会副理事長・同関東甲信越支部長。



■ 死への誘導にならないか 鳥取大学医学部准教授(宗教学)・安藤泰至さん

 現代医療には、正反対の二つの方向性が混在しています。
ひとつは「不死」へのベクトルです。
新しい臓器に取り換えられないか。老化を止められないか。
「死なせない」ための研究には巨額の予算が割かれます。

 一方で、必要な治療すら受けられない患者がいる状況は深刻です。
経営的に割が合わなければ重症でも追い出される。
そのうえ「尊厳」の有無で線引きをし、
それ以下は切り捨てようとしています。これらは「死なせる」ベクトルです。
仮に「尊厳のない状態」というものがあるとして、
じゃあ、死なせてしまうしか尊厳を保つ方法はないのでしょうか。
医療やケアの問題点をそのままにして、
死にたい人を死なせてあげるのが人道的という考えは危険です。

 もがき苦しむ。チューブだらけで延命させられる……。
「悪い死」のイメージばかりが共有されるようになっています。
「そうなったら死んだほうが幸せ」という幻想を、
医師も患者側も信じようとしているかのようです。
早い段階で割り切ってしまい、「苦悩する力」が弱くなっていないでしょうか。

 尊厳死というレトリックは「たちの悪い宗教」のようなものです。
脅し文句みたいに「そんな姿で死にたいですか」
「事前に自分の意思を表示しておけば悪い死に方はしなくてすみますよ」とささやく。
一方の手で人の不安をあおり、もう一方の手で救いを約束するわけです。
意図的ではないにせよ、結果として死への誘導になっている。

 尊厳死を肯定する側は「死の自己決定権」ということを言います。
米国の一部の州や欧州の中にはすでに、
安楽死や医師幇助(ほうじょ)自殺を合法化したところがあり、
さらに「自殺権」の主張にまで議論は拡張されています。

 もともと自己決定権は米国の公民権運動のように、
社会的に弱い立場の人たちが生きるうえでの選択権として勝ち取ってきたものです。
それは患者の権利運動と結びついていきました。
ところが「死」を選ぶというのは、自分の可能性を開くのではなく、
閉ざす決定です。
しかも医療者が「死なせる」方向で患者や家族に
恣意(しい)的な説明をする恐れも捨てきれません。

 日本には、患者が尊厳を持って生きる権利を保障する法律もありません。
それなのに尊厳死法なんて本末転倒です。
いまの医療のあり方や制度を前提にして発想してはいけません。
広い意味での医療文化を根本から変えていくことが先のはずです。
(聞き手・磯村健太郎)

あんどうやすのり 61年生まれ。
宗教学のほか生命倫理や死生学も専門とする。
編著「『いのちの思想』を掘り起こす」、
共編著「シリーズ生命倫理学第4巻 終末期医療」など。





・私に介護が必要になっても子どもの時間を奪わない。

終末期医療については、望まない延命治療は受けない。


私の近未来の姿と死を自己決定する上で、
上記の二つは外せない必須要項として、
エンディング・ノート終末期医療の要望書に自筆で記し、署名捺印をしている。
それはあくまでも私という人間の個人的な自己決定の権利であり、
現時点では、私の死に関しては、
法による国家の介入は一切望んではいない・・。


「尊厳死法制化を考える議員連盟」の議員たちの名前を見た。
超党派と言いつつ、彼らは、名も無き人々の終末期における命の尊厳よりも、
社会保障費医療費の削減など、
経済的なことしか考えていないと思わざるを得ない人たちばかりだった。
結局は「重度障害(児)者や認知症の高齢者などの、
金(税金)食い虫でもある社会の役に立たない人間のお荷物おろし」
という構図しか見えてこない。


もし、尊厳死法が法制化されたりしたら、まだ見えてこない背景として、
いずれは、臓器提供など、死に関するあらゆる分野に
多大な影響を与えることになるだろうことは、
私のようなど素人でも簡単に予測ができる。


サミエル・ウルマンの「青春の詩」の一節である、
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。」
に老いることへの救いを求める人も多いが、
それは決して叶えられぬ、見果てぬ願望でしかないのである。
老いるという現実は非常に厳しく無残で残酷で、
誰しも、高齢者と呼ばれる年齢になれば、
加齢による種々の死に至る身体的病や認知症に罹り、
末期高齢者ともなれば、完全寝たきりになることは避けられない。
介護を必要とする老親にそれなりの資産がある上に、
介護離職でもなんでもしてくれる子どもでも居れば別だが、
大多数の高齢者はなけなしのお金で介護サービスを買って、
嫌でも他者の手を借りなければならなくなる。


日本女性は世界一の長寿らしいが、その世界一の大半を支えているのは、
胃ろうのチューブを付け、紙おむつを当てられ、
一日中、天井を向いたままで、
生きているのか、死んでいるのかさえも分からないような、
完全寝たきりの女性高齢者たちである。
介護保険が始まる直前、県主催の介護ヘルパー資格取得の実習で、
或る特別養護老人ホームへ行ったときに見た光景であるが、
6人部屋の彼女たちに、死の尊厳はおろか、生の尊厳もあるとは、
私には100歩譲ってもそうは見えなかったし、思えなかった・・。
そして、そのときから、これが私の成れの果てか・・
と背筋に寒気が走ったものだった。

「自宅で家族に看取られながら穏やかに死んでいく........」
と言われると、理想的な死に方のようなイメージを想起させられるが、
それは、三世代同居が普通であった昭和30年代頃までの話であり、
夫婦、もしくは親子単位の核家族どころか、
独居者が増え続けている平成の世においては、
(今上天皇が生身の人間なら、いずれは平成の世が終わることも避けられない事実としてある)
「自宅で家族に看取られながら穏やかに死んでいく........」
のは到底無理な話になる。

厚生労働省のホームページの「在宅医療の推進について」のページには、
『できる限り住み慣れた家庭や地域で療養することができるよう
在宅医療提供体制を整備するための施策を講じています。』

などと嘘ばかり書いてある。
私は政令指定都市に住んでいるが、半径5キロ以内に
在宅医療をしてくれる医療機関は一件もない。

近未来に我が夫婦に待っているのは、
老々介護の厳しさの果てに、どちらかがパートナーを見送り、
残された片割れが、もし私であったなら、
「美しい国、日本」(風景は美しいが、国家は腐りきり、社会は少しも美しくない)
の片隅で、誰にも看取られずの孤立死するのだろうと、今から覚悟をしている。
あと、40年後ぐらいに・・。(^_^)
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法制化への動きが進んでいる尊厳死法案について考える--人生の最後をどう生きるか。「自分の最期は意思表示できるときに自分で決めておく?」それとも「自分の最期は家族の意思と国家に任せる?」
4月17日の新聞で、記者有論「尊厳死法案 人生の最後をどう生きるか」
の記事が目を惹いたので切り抜きをしておいた。

 終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案。
いわゆる「尊厳死法案」が、早ければ今国会に、議員立法として提出されそうだ。

 私は「延命治療が患者の苦しみを長引かせることがある」と考え、
法案が早く提出されれば良いのにと思ってきた。
だが、超党派の議員連盟ができて9年。いまも反対の声が根強い状況を見るにつけ、
何かが足りないと感じるようになった。

 この法案は、本人が延命治療を望まないことが書面などで明らかで、
回復の見込みがなく死期が間近と2人以上の医師が判断した場合、
延命治療をやめても、医師は責任を問われないというものだ。

 しかし、事実上「死を急がされるのではないか」という不安は消えない。
中でも障害者団体は「生きる権利が奪われる」と強く反対する。
患者本位というが、一部の患者の意思が尊重されるだけではないか。
そんな疑念が、この法案への理解を妨げている。

 米国で始まった「エンド・オブ・ライフケア」という考え方がある。
人生の最終段階を迎えた患者が、どんなケアを受けたいか。
看護師らのチームが、本人の希望の把握に努める。
価値観を重視するため、同じ病状であっても、人によって選択は異なる。
国内でも採り入れる病院が出てきたが、まだ少ない。

 「尊厳ある死」の前に、「尊厳ある人生の最終段階」を担保する、
こうしたケアを広めることが重要だ。

 厚生労働省が昨年度、「終末期」という呼び方を
人生の最終段階」に変えようと提案したのも、
医療行為だけでなく、個人の生き方に着目すべきだとの考えからだろう。

 医療技術の進化と共に、私たちの選択肢は広がる一方だ。
「もう治療は不要。穏やかな最期を迎えたい」という願いと同時に、
「もっと生きたい。頑張る」という思いをかなえる道も必要だろう。
患者に必要な情報を伝え、様々な選択をサポートする態勢づくりを急いでほしい。

 意識障害や認知症のため、本人の希望がわからないという難題もある。
回復の見込みがなくなった時にどこまで治療をしてほしいか、
家族らと事前に話し合い、思いを共有しておくことも大事だ。

 よりよい最期は、それぞれの思いが反映されてこそ。一般の人に、
この法案にもっと関心を持ってもらいたい。
そして様々な場面で、患者の意思が尊重される工夫を、ひとつひとつ積み重ねたい。

(つじときこ 科学医療部)
引用元:http://digital.asahi.com/articles/DA3S11086585.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S110865854






七十歳安楽死法案可決」という近未来を舞台にしたSF小説があるが、
決して空想科学物語などではなく、今まさに、猛スピードで目の前を走り抜けている
現実を想定しているかのような内容だ。


人口が突出している団塊世代とその前後生まれの人々が死に絶えるまでは、
死に関するあらゆる場所の混乱や国家の社会保障の負担増や避けられない。
それなのに、解りきっていたことを、なぜに今まで放っておいたのか。
それは、歴代政府の目線が、名も無き国民などには向いていないことの
確たる証拠でもある。

思えば、団塊世代とその前後の年代とは、
なんと、時代というものに翻弄され続けてきた年代なのだろうか。
戦後において、復員兵が次々と結婚し、とてつもないベビーブームが到来した。
ポスト団塊の私でさえも、異常ともいえる人数(高校は一クラスに56人もいた)
の中に生まれ育ち、日本の高度成長に多大な貢献をしたにも関わらず、
老いを迎え、国家の役に立たなくなったら、終末期の意思を明確にしておき、
社会保障費削減のためにも、尊厳死法の助けを借りて、
お国のためにも早く死んでもらいたい・・という算段なのだろう。

しかし、私は極めて個人的な問題である「死の決定権」に関しては、
国家が介入することには違和感を覚える。
個々人の死の在り方については、個別に決めるのが本来の姿であり、
国家に介入される「尊厳死法案」は現段階では必要ではない。
その理由として、日本はまだまだ、障害者差別、高齢者差別、人種差別が堂々と
まかり通っており、すべての「命」や「人権」に関する限り、
成熟国家の域には達しておらず、むしろ後進国であり、
命の大切さについての認識は決して高くはないからである。


「生きる権利が奪われる」と反対している障害者団体の方々のお気持ちは、
「アシュリー・トリートメント事件」の概要をお読みになれば、
ある程度はお分かりになられるはずなので、
興味のある方は下記リンク先をご参照ください。


アシュリー・トリートメント


Ashley事件から生命倫理を考える



アシュリー・トリートメント事件が尊厳死法案問題と
非常に類似していると思うのは私だけだろうか。
つまりは、意思を表示できない人間は、人間の尊厳の欠片も認められず、
国家の応援による他者(家族や後見人)の判断一つで、
生かすも殺すも自由という危険性を孕んでいます。

現在問題視されている、出生前診断も、経済至上主義社会においては、
国家と社会に利益をもたらさない人間は、
生育過程における保護者の多大な心身の労苦と、
国家及び地方自治体の税による金銭的負担ばかりが多いゆえに、
生まれる前に種を断ってしまえ!という人間の身勝手さとともに、
国家による人権無視の側面も見え隠れしています。


また、私の身近な高齢者(老人)と呼ばれる層に属する人々の多くが、
老いてもなお、死は他人事であり、葬儀やお墓も含めて、
「死に関連する話なんて縁起でもない!
自分が死ぬことなんて考えたくもないわ。そのときはそのときよ。」
と言って避ける傾向にあります。
中には少数派ですが、
「常にメメント・モリを意識している。限りある生をより良くいきるために。」
という人もいます。

死をタブー視するしないも個人の自由ですが、
今は、自分の意思で自由に体を動かせる高齢者でも、
時間の経過とともに、いつなんどき死ぬか、
また運良く?延命チューブに繋がれて生きながらえることができたとしても、
個体自体は既に死の準備段階にはいっており、
臨終のときが訪れるまでは、2度と自分の意思で自由に体を動かせない
状態になることは、避けられない現実となります。


延命チューブに繋がれながら水ぶくれになったまま、
苦痛に苛まれながら死に至るか。

臨終の際には、脳内麻薬エンドルフィンの分泌により、
ほとんど苦痛は感じないという自然死状態で死に至るか?

もちろん、決めるのは個々人の生前の意思に委ねられていますが、
老いも若きも、また、性別年齢に関わらず、自然災害や事故や病気や老衰で
必ず一度は死ななければなりません。


運良く、健康体に生まれ、自然災害や事故にも遭わずに
高齢になるまで生き延びられたとしても、死は必ず訪れます。


そのとき・・皆様は下記のどちらを選択なさいますか。

「もっと、もっと、もっと、もっと、生きていたい。
 どんなに苦しくても延命をして欲しい。」

「もう辛い延命治療はして欲しくない。
 眠りに入るような穏やかな最期を迎えたい。」

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抗がん剤投与で10人に1人は腫瘍が縮小するが、残りの9人は変化なし・・腫瘍縮小が視られた1人だけを取り上げて厚労省は「効能有り」ということにしているという話は本当か。
2014-01-25の「私の嫌いな10の人びと」を読んで。
どうせもうすぐ死んでしまうのに・・
良い人を演じ続けることに疲れ果ててしまっている人には気分転換になる稀書かも?

の記事中で取り上げた、がん闘病中だった友人が、
治りたい一心で受けていた抗がん剤治療の甲斐も無く亡くなった。
享年62歳・・でありました。

最近、友人、知人の死が相次いでいる。
季節柄、人の命も桜花のように儚いことが身に染みてならない・・。

一昨日、花散らしの雨がそぼ降る中、
某斎場で執り行われた一般葬の葬儀から帰ってきて、
確か、過激なタイトルに惹かれて買ってしまった本の中に、
抗がん剤の真相なるものが書いてあったはずの本。
(日本の真相 船瀬俊介著 2013年2月15日 第一刷)
を思い出して開いてみたら、
PART1「抗がん剤で殺されている日本人」の章に
次のようなことが書いてあった。



「猛毒抗がん剤ではがんを治せない」

2005年のことだ、私は抗ガン剤を告発する著書の取材で、
忘れられないほどの衝撃を受けた。
厚生労働省(電話 03-5253-1111)に電話取材したときのことだ。
抗がん剤って、がんを治せるのですか?」
電話口に出たK技官(あえて実名は秘す)は、私の質問に明快に答えた。
抗がん剤が、がんを治せないのは周知の事実です。」
私はあまりのも驚いて、一瞬言葉を失った。
「・・・・・・抗がん剤は毒物だとも、私は聞いたのですが?」
「大変な猛毒物質です。」これも、実にあっさりと答えた。
私は絶句しながらも、「がんを治せないのに、
そんな猛毒をがん患者に打っているのですか?」
「そのとおりです。」
「猛毒だったら、患者さんは死んじゃうじゃないですか?」
するとK技官は、少し声を落し、こう答えた。
「そういう方が、大勢いらっしゃるんですよね・・・・・・」

これでは、もはや治療ではない。たんなる"毒殺"じゃないか!
気をとりなおして、わたしはさらに聞いた。
「抗がん剤には、発がん性があるとか?」
「大変な発がん物質です」とK技官はきっぱり言い切った。
「ええっ、がん患者に強烈な発がん物質を打っているの!
それでは新しいがんが発生してしまうのでは?」
「そういう方が大勢いらっしゃる・・・・・・」
抗がん剤担当のK技官が、あまりに平然と答えるのに驚愕した。
"かれら"にとっては、以上の事実は当たり前のことなのだ。
     ・
     ・(省略)
     ・

K技官の説明では、「抗がん剤を投与すると、
10人に1人くらいに腫瘍縮小が見られるんです。」という。
それを"効いた"と判断して、医薬品(抗がん剤)を認可するのだという。
10人のうち残りの9人のがん腫瘍はピクリとも変化しない。
それでも「効能あり」とする、わが国の薬の認可制に唖然とする。
悪辣なペテンというしかない。
それも、観察期間は投与後わずか「4週間以内」だという。


抗がん剤は無力」というデヴュタ証言

実は、抗がん剤が有害無益であるということは、
海外ではとっくの昔に常識になっている。
1985年、米国立がん研究所(NCI)のデヴュタ所長が、
米議会でこんな衝撃的な発言をした。
「抗がん剤による化学療法は無力だ」というショッキングな内容だ。
デヴュタ所長の証言はこうだ。
「抗がん剤を投与すると、一部の患者には腫瘍縮小がみられる。
しかし、がん細胞は
自らの遺伝子を変化させ、たちまち抗がん剤の毒性に耐性を獲得してしまう。
だから抗がん剤はがん細胞に対してまったく効力を失う。
がん患者はただ、抗がん剤の毒性をこうむるのみだ。
わたしは深く絶望している。
これは害虫が農薬に対して耐性を獲得する現象とまったく同じだ。
デヴュタ所長は、がん細胞が耐性獲得する遺伝子を
「アンチ・ドラッグ・ジーンズ」(ADG:反抗がん剤遺伝子)と命名している。
NCIはアメリカ政府の最も権威のあるがん研究機関だ。
その最高責任者が、「抗がん剤は無力だ」と、
議会という公の場で認めたのだ。まさに衝撃の大ニュースである。
しかし・・・・・・、アメリカのマスメディアも、日本のマスメディアも、
完璧なまでにこの重大証言を黙殺した。
その背景には、超巨大スポンサーである製薬会社や医療利権の圧力があることは
いうまでもない。日本ではがん学会までもが嵌口令を敷いた。
だから、日本のがん専門医ですら、
このデヴュタ証言やADGの存在を知るものは極めて少ない。
(P52~55)

他にも、

多剤投与で死亡率は7~10倍に跳ね上がる

がんの3大療法を否定した「OTAリポート」

20年は遅れている日本のがん治療

1グラム=3億3170万円の抗がん剤

医師271人中270人が抗がん剤を拒否

論文を破り捨てた医学部長

「添付文書」に恐怖の副作用群

etc...............

等々が載っている。


著者はそこそこに世間に名を知られているジャーナリストではあるが、
厚労省技官ともあろう者が、電話取材に対して、
果たして、こんなにも簡単に
「抗がん剤が、がんを治せないのは周知の事実です。」
などとあっさりと口に出すのだろうか・・?それも電話で・・?
また、一口に抗がん剤と言っても、いろいろな種類が有り、
がんのできた場所やステージによっても、
副作用も毒性も多岐に渡るのではないだろうか?
との疑問も多いに残るが、わざわざ、検証する気持ちも時間も、
またその術も持ち合わせていないので、
話半分として書き進めることにする。

著者はトンデモジャーナリストなのか?
それとも、本当に日本社会の暗部に巧妙に隠された真相を明確にすべく、
孤軍奮闘している真のジャーナリストなのか?
それらも私には検証できないが、
もし、真のジャーナリストだとすれば、
(著者は本当のことを言うので、各マスコミからは
蛇蝎のごとくに嫌われていると本人が言っている)
本に書かれている、「猛毒抗がん剤ではがんを治せない」については、
がんが発見されたが最後、死に至るまでは金儲けの道具として、
病院で命の操作をされることになる。

また、「がん放置療法」で有名な近藤誠医師も、
白い巨塔である医学会では当然のごとく異端視され、
反論者が跡を絶たないことは言うまでもない。


今現在、アメリカでのがん治療の主流は抗がん剤ではなく
ほとんどが代替療法に変わっているそうである。
その治療結果は?というと、
患者数も死亡率も下がり続けているらしい。
そして、先進国の中で、がん患者数とがん死亡率が上がり続けているのは
日本だけなのだそうです。

日本の患者様方は治りたいがために医師にすべてお任せし、
抗がん剤をバンバン欲しがる金の成る木・・なのでしょうか?
さすれば、製薬会社や医療利権に群がる人々は笑いが止まらず、
原子力ムラのような抗がん剤ムラは2025年問題を迎え、
今後もますます、儲かって!儲かって!笑いが止まらないことだろう。

ところで、がんに罹っても、
日本では絶対に抗がん剤を使わない人種がいると聞いた。
それは、言わずと知れた、医療現場の関係者と
製薬会社の人々らしい。


先日、持病の薬(コレステロールを下げる薬)の
処方箋を書いてもらいに病院に行ったついでに、
よく判らなかったピロリ菌の検査結果を持ち、
医師に詳しい説明をお願いした。
幸い、私はピロリ菌には感染していないという。
これで胃がんのリスクは少しは回避できたが、
私の死因は多分・・もちろん直感でしかないが、
心臓関係の病気で死ぬのだろうな・・と思っている。


↑の動画によると主催者は「統合医学医師の会」と
「統合医学健康増進会」となっている。
西洋医学の標準的な治療法に限定せず、
効果的な代替医療を組み合わせる医療を目指している会らしい。



思い起こせば、私が50代のとき、民間の小さな総合病院に
約2か月間の長期入院を2回ほど経験したことがある。
そして、同室に乳がんを患っていると言う人が入院してきた。
見た目には「何処が悪いの?」というほど元気であったが、
それから一年後、私の2回目の入院のときに再び彼女も入院してきた。
そして、何度目かは判らないが、再びの抗がん剤治療が始まった途端、
瞬く間に体が衰弱していったようで、
あれよあれよという間に頭髪が抜け落ち、
たった一ヶ月半で帰らぬ人(享年46歳)になってしまった。
あのときの情景を思い出すと、今でも抗がん剤治療の恐ろしさが蘇る。
そして思う・・彼女がもし、抗がん剤治療を拒否していたら、
細々とながらでも、今も生きていたのではないかと・・。

そしてもう一人。
数年前、姪が体調が悪い・・と病院に行ったら、末期のすい臓がんで、
もう治療はできません、さらに余命は半年です。
と宣告されたことがあった。
彼女は仕事を辞めて実家に戻り、両親の協力を得て、
代替医療(コーヒー浣腸による腸内洗浄等々)に専念したが、
一年後、43歳でその一生を閉じた。

さらにもう一人。
私の会社員時代の同僚が会社の定期検診で、
検診車で肺のX線検査を受けたら、
肺がんが見つかり即入院を言い渡された。
本人には何の自覚症状もなかったが、
病院は側は彼女に抗がん剤治療を施した。
彼女は日に日に痩せ衰えて、寝たきり状態になった後、
入院5ヶ月目で47歳であっけなく息を引き取った。


冒頭に記した享年62歳で逝った友人は、
抗がん剤治療をしないほうがよかったのか?
それともしてよかったのか? 私には判らないが、
今の時点では、抗がん剤治療も代替医療も効く人には効くが、
効かない人には効かない・・としか思えない。





それにつけても、今の世の中、雨後の筍のごとくに
数多の種類の健康本が出版されており、
TVでも健康バラエティ番組が毎日のように放送されている。
私のような大凡人は、健康寿命を保持するためには、
いったい何に気を付け、誰のいうことを信じたらいいのか?が、
判らなくなってきている。
きっと、タレント医師や専門バカのおエライセンセイ方の言うことや、
それらのセンセイ方の書いた本の中身を鵜呑みにするのではなく、
結局は、自らの直感を信じるしかないのだろう。
そして、人間であれば、いつの日にか、避けられない運命として、
もがいても、嘆いても、泣き叫んでも(そのときにそんな体力があれば)
死は必ず訪れることを自覚しておくしかない方法はないような気がする。
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ポロリ、ポロリと死んでゆく。みんな別れてしまうのだ。 呼んだって、帰らない。なにしろ、此の世とあの世とだから叶わない。
今日、唐突に友の死を知らされた。
今、私の心の中は哀しみと無常観で覆い尽くされている。
そして、中原中也が弟の死に際して悼んだとされる詩。

「ポロリ、ポロリと死んでゆく。みんな別れてしまうのだ。
呼んだって、帰らない。なにしろ、此の世とあの世とだから叶わない。」
が身に滲みる・・。

その人は花友と呼ぶにふさわしい花好きな女60代性であった。

私がプールに行くために、バス停に向かう途中の路地に
色とりどりの花に溢れるその人の庭と家はあった。

ある日、その彼女から突然声をかけられ、
「あの~、お近くの人ですよね?
増えすぎて捨てるに忍びなくて・・
ご迷惑でなかったら、この花をを貰っていただけませんか?」
と、ポットに植え替えられた水仙を手に、声をかけられた。

どうやら、彼女は2階の窓から、
私が週に2、3回、往路と復路に同じ時間帯に
彼女の家の前を通り過ぎるのを見ていたようであった。


知り合って約3年。
その後、彼女とは庭友、花友として、
彼女には色々な花の名前や育て方を教えてもらったりしていた。

その彼女が一年ほど前のある日、
「私ね・・難病の宣告を受けちゃったのよ。今度入院するの。」
と言い、その日以来、
彼女が庭でガーデニングを楽しむ姿を見ることはなかった。

あんなに元気だったのに!と驚いたが、
急激に病状が進行する難病らしく、
「もうガーデニングは無理らしいわ・・。」
と今にも泣き出しそうだった顔が今も忘れられない。



その後は、ときどき水やりのために庭に出てきているらしい
ご主人様に偶然逢ったときの話によれば、
「もう家には帰れないだろうと思うよ。」
とご主人様は寂しげに話をしてくれた。





そして、今日彼女の家の前を通ったら、
ご主人様が植木鉢やプランターに水やりをしていた。
世間話の後で、訊いていいものかどうか迷いに迷ったが、
思い切って訊いてみた。
「その後、奥様の具合はいかがですか・・?」と。


「ああ、女房ね・・・・
今年の正月に亡くなってさ、
家族だけで見送って、女房の希望で海に散骨したんだよ。
今頃は千の風になって、その辺を吹き渡っているんじゃないかな・・
あなたにはいろいろ、お世話になったらしいね。ありがとうね。」と、
意外にもあっさりした口調で彼女の入院生活のことなどを
お話してくださった。

永別のためのグリーフケアには息を引き取るまでに
十分過ぎるほど時間を割いたので、亡くなられた直後も現在も、
世間で言うところの喪失感はそれほど湧いてこないのだとも、
おっしゃっていた。

そして、彼女の一番好きだったという菫を一鉢、
形見として貰って欲しいと言われ、
彼女の化身のような気がして、ありがたくいただいて帰ってきた。

彼女とは、庭や庭越しに話をするだけで、深く濃い付き合いはしなかったが、
同い年の花友として、綺麗で美しい思い出だけを残してくれた。

「この庭の桜の木から花びら舞う季節が来たら、この庭テーブルでお茶しない?
お茶に桜の花びらが入ったら、自然の桜茶になるわよね。♪」
と、楽しげに笑っていた彼女。

その約束も果たせずに彼女は千の風になってしまった。
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3年前、我が家の狭庭辺に植え替えた水仙が可憐に咲き誇っている。
その隣に今日形見としていただいてきた菫を置いた。
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彼女は難病に罹る前に自身の手で、
死後に自身の姿を花に変える準備をすでに済ませ、
人の命の儚さとともに、人を悼むということの本当の意味を
教えてくれているような気がしてならない・・。
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tag : ガーデニング 千の風

生前に記しておいた終末期の事前指示書は何の役にも立たなかった・・日本のホスピス以外の多くの病院の終末期ケアはまだ哲学の域で滞っている?
今日、約半年久しぶりにプールに来たプー友(プール友人)がいる。
半年も顔を見せないと、彼の世に逝ってしまったと思われてしまうので、
「わたし、まだ元気で生きてるわよ!」と顔を見せにきたとのことだった。

彼女の話によると、脳内出血で約2年もの間、
植物状態であったご主人様を亡くされ、
その後のすべての事後処理も片付き、
やっと自分の時間が取れたと言う。

約2年前の冬、ご主人様が自宅の風呂場で倒れているのを発見後、
救急車で運ばれてからの約2年間。
彼女は雨の日も雪の日も、声も出せず、
体も自力では微動だにも動かせず、
また意思も表に現せないご主人様の元に毎日通い続けていた。
これ以上の回復が望めないのなら・・と考えて、
倒れて一年目の頃に、主治医に延命措置等を巡る
終末期ケアのことで相談を持ちかけたら、
「ご主人を即身仏にしたいのなら自宅にお連れくださって構いませんが、
当病院ではそれは出来ません。責任を取らされるのは僕らですからねぇ・・」
と一方的に拒否され、生前のご主人様の手書きに依る
リビング・ウィルも何の役にも立たなかった・・。
と嘆いていた。

更には、看取りも間に合わず、電話で呼び出されて病院に着いたときには、
医師が心臓マッサージ(胸骨圧迫)の真っ最中であり、
邪魔だからと廊下に出されたという。
彼女としては、「早く主人を楽にしてあげてください!」
と言いたかったそうだが、
医師という権限力のある人にとてもそんなことは言えなかったそうな。

死にゆく夫の手を握りながら、
倒れる前に好きだったお酒を唇に湿らせてあげたりとかの、
静かで穏やかで厳かな看取りを・・と、
事前に思い描いていた彼女には不平不満だけが残ったという。


結局は、元気なうちに自身のターミナル・ケアの意思表示を!
などと専門家と称する人たちに言われて、
事前指示書に記しておいても、ホスピスならいざ知らず、
普通の病院や、後に移った療養型病院においては何の意味も為さなかった。
日本の終末期ケアはまだまだ哲学の域そのものであると、
彼女は実感したのだという。

そして、彼女が喪主となり執り行った家族葬についても、
「お線香を上げに伺ってもいい?」
と訊ねる世間の常識なるものを重んじる善人を地で行くオバさま方には、
「家族葬というのはね。葬儀にもその後の自宅へのお悔やみ訪問も
家族以外の人には来て欲しくないという強い意思表示の見送り方なのよ。
だから、分かってね。」と我らプー友たちに念を押していた。


すでにこの国は超高齢化社会に突入している。
2025年問題も迫ってきている中、
死の自己決定権に関する論議が活発化しているようには見えない。
加えて、症状が重く手厚い看護が必要な
入院患者向けのベッド(急性期病床)について、
厚生労働省は、全体の4分の1にあたる約9万床を
2015年度末までに減らす方針を固めた。
高い報酬が払われる急性期病床が増えすぎて
医療費の膨張につながったため、抑制方針に転換するらしい。

2025年前後の多死時代に政府はどのような施策を行使するか。
本人自筆のリビング・ウィルに因る尊厳死希望を、
個々の担当ドクターの死生観に任せるタンスを貫き通すのか?
それとも、法整備に向けて何らかの考え方を示唆するのか?
難しい問題だが、世の高齢者たちには悠長に待つ時間はない。
前述の彼女のご主人様のように、また私の亡き母のように
ある日突然に、何の前兆もないままに倒れることも有り得る。

今日は元気な高齢者でも、明日には命に関わる病を発症して倒れ、
命だけは助かったとしても、重篤な後遺症で排泄は紙おむつ、
栄養は胃ろうという姿で、瞬きしかできないような姿で
延命装置に繋がれて、生きているのではなく、
無理に生かされるだけなのもしれない。
それも在宅で。

そして、多くの医師たちは、
あの川崎協同病院事件のような結果になるのを恐れ、
例え、リビング・ウィルに因る尊厳死希望でも
受け入れてはくれない医師のいる医療機関も多いらしい。

やはり前述の彼女から聞いた話で、
療養型病院内の他の病室から漏れ聴いた声の中には、
「私には自由に死ぬ権利とあってもいいと思う。」
と胃ろうや点滴を拒む人もいたという。
そして、
「もうこんな辛くて苦しい状態から解放されて楽になりたいのです!
無駄な点滴はしないでください!あなたの目的はなんですか?
お金儲けだけなのですかっ!?」
と、やっと出せるか細い声で喚いていた老女もいたという。
その老女は3日後、病院の裏口から、
○○病院と名の書かれた転院先の病院の車に担架のまま乗せられて、
走り去って行ったという。


なお、ベルギーでは2002年に成人の安楽死を認める法律が既に成立しており、
ベルギー下院は今月13日に18歳未満の子どもにも安楽死を認める法案を
86対12(棄権12)の賛成多数で可決したそうな。

もちろん、オランダやベルギーとは文化も宗教も違い、
死に対する決定権に至っては日本とは雲泥の差があることとは思う。
それに、わが国では数多の日本人の死生観からして
法で認められた安楽死というものは受け入れられないような気がする。
日本人とて死への考え方も千差万別ではあるが、
それは目前に己が死に晒されていないか、
また、迫っていないときの願望でしかなく、
そのときにならなければ、
そのときの気持ちは誰にも分からないことなのかもしれない。

それでも、老若男女に関係なく、あなたにも、私にも、
老いと死は避けては通れない道であり、
終末期ケア及び死の自己決定の行使とは、
一人称の死(死にゆく人の生前の意思)と、
二人称の死(愛する者の死を家族が受け容れられるようにするために
        医療機関側が施す適切なケア)
三人称の死(仕事として死亡診断を下す医師が終末期に関与する死)を含めて、
三者三様のそれぞれの思惑が入り乱れ、そして、二人称の死の場合は、
揺らぎに揺らぐことを想像するとなんとも悩ましい問題であることだろうか・・。
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tag : 延命措置 ターミナル・ケア 超高齢化社会 リビング・ウィル 急性期病床 尊厳死 川崎協同病院事件 安楽死

いつまで経っても終わらない義父母の墓問題。お墓をそちらの大きなお寺に移したらいかが?と義姉が・・。
昨日、義姉(夫の次姉)のから電話があり、
両親のお墓参りに行ってきたとの報告があった。
たまたま夫は留守にしており、私が相手をしたのだが、
ありきたりな話題から、
次第に義父母のお墓の移設に話が及び、
義姉の言うことには、
あんな小さな貧乏寺の納骨堂では
両親が可愛そうでならない・・と言い始めた。
だから、現在墓守の立場である○○さん(夫の名前)が動いて、
本山であるお東さん(自慢ではないが私は行ったことも、今後も行く気はない 笑)
に納骨するとか、他の案として、
あなたの家の近くの大きなお寺さんの墓地を買って
移したらどうかしら・・と私に言う。
私に言われても困るので、
夫が帰ってきたら報告だけはしておきます。
と言って話題を変えようと思ったのだが、
義姉はその話に食い下がり、なかなか話題を変えようとしない。
それに長姉は亡くなっているので、
次姉である自分が弟と他の姉妹の親代わりのつもりでいるのよ。
とのこと・・。

私は心の中で、「親代わりが聴いて笑わせてくれるわよ。
本当に親代わりのつもりでいるのなら、
義姉さんが動けばいいじゃん!」と思ったが、
そんなことは口には出せないので、
のらりくらりと話を合わせながらも、
あまりにも、鬱陶しいので、
たまたま手元にあったケータイの呼び出し音を鳴らし、
「あら、ケータイに電話だわ。申し訳ありませんが、お義姉さん失礼します。
○○さん(夫の名前)が帰って来ましたら話をしておきます。」
と言って、受話器を置いた。


我が夫が遺産分割調停の申し立てをし、
同市に住むすぐ上の姉と二人だけが、
○○地方家庭裁判所まで毎回でかけていた。
今回電話してきた義姉に至っては一回も出席せず、
わたしは嫁に行った立場だから、と称して
「お墓は長男である○○さんにお任せするわ。
でも頂くものは頂くわ。」の態度を貫き通し、
ちゃっかり法定相続分を相続している。
調停中に義父母の遺骨と位牌を預けているお寺には、
故義母の残した遺産から、
今後30年間の維持管理費を一括で払いたい。
という夫の申し出を姉たちは、
「わたしは嫁に行った立場だから・・」
という錦の御旗を振りかざして拒否し、結局、同意には至らなかった。

結果、墓守費用は、女の中の男一人として生まれた・・というだけで、
墓守をやむ無くされ、遠~~~くのお寺から届く、
維持管理費と檀家会費とお東さんの別院修繕寄付金も含めて、
姉たちが今後もお墓参りに堂々と行けるようにと、
夫が母の遺産の中から、毎年、滞りなく払い続けている。
ちなみに姉たちは一円足りとも負担はしていない。

また、遺産分割調停終了後に、義姉さん方には、
故義父母のお墓参りは、夫が何度も何度も念を押して、
「行きたい人が行きたい時に行くこと。それでいいですね!」
で、話は付いているはずなのだが、
次姉からは、たびたび上記のような電話がかかってくる。

もしかして、お義姉さん(夫の次姉)ったら、
認知症でも始まっちゃったのかしらん?(笑)

もし・・いつの日にか、我が夫が私よりも先にお迎えがきたら、
ボケ田姓を名乗っている私が墓守を引き継がなければならない。
悪いが、私はそれだけはごめん被りたい。

では、どうするか?

檀家規約書には、
5年間に渡って維持管理費と檀家会費を払わない場合は、
寺の敷地内の合祀墓に合祀する。とあるので、
そのようにしてもらおうと思う。

それにしても、生前の義母が吟味して買った納骨堂なのに、
義姉の頭の中では、なぜに自分の父母の眠る場所が、
地方の貧乏寺のマンション式の納骨堂ではダメなのか?
私には全然理解できない。

でも話の端々から察すると、東本願寺に行ってみたいだの、
歌舞伎を観たいだの、スカイツリーに登りたいだの、
東京オリンピックも観たいだの・・
と言っていたので、
現在華道教授で元官僚の未亡人で、同居する一人娘は医者で、
時間とお金がタンマリある義姉は、お墓参りに託けて、
東京見物やらの旅行三昧を楽しみたいだけなのだろう。

それにしても2020年の東京オリンピックねぇ・・。
そのときには80代になっているお義姉さん。
それまで足腰は丈夫かしら?
それにホテルの予約も一人できるのかしら?(笑)


我が地域の大きなお寺でも墓地を売り出している。
チラシを見ると、面積180×180で永代使用料が850万円、
入檀料が50万円、檀家会費年間12000円、墓地管理料年間10000円。
と書いてある。

夫と姉たちが相続したお金の全額を改装費として出せば、
面積180×180の墓地は買えない金額ではないが、
全員が墓地代を含め、改装費用や維持費である檀家会費墓地管理料として
既に手に入れてしまった相続遺産を、改装費として出す気など、さらさらない!
ことは、初めから分かりきっている。

故義母はきっと、自分の残した遺産は、大寺院に立派なお墓を建立するよりも、
自分の子供たちが自分の人生のために有意義に使ってくれるのを望んでいるはずだ。


それにしても、いつも夕食作りの一番忙しい時間帯に電話をかけてくる、
見栄っ張りで世間知らずのお義姉さん(夫の次姉)の
電話の内容には毎度のことながら、ホント疲れるわ。フゥ..............
いっそ、着信拒否設定でもしようかしら。(笑)
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tag : 納骨堂 遺産分割調停 スカイツリー 東京オリンピック 永代使用料 入檀料 檀家会費 墓地管理料 東本願寺

『がんもどき』で早死にする人の養生訓と『本物のがん』で長生きする人の養生訓
新聞の新刊本広告と書評を読むのを密かな楽しみにしている。
最近の広告で目を引いたのは
近藤誠氏の『がんもどきで早死にする人、本物のがんで長生きする人』
さすがは幻冬舎。キャッチコピー(雨ニモマケズのパロディ)に大笑いすると同時に、
パロディ詩だけを読んで、一理あるかも・・と思ったので早速切り抜いておいた。
そのうちブックオフで150円で売っていたら買いましょうかねぇ。



ところで皆様は『「がんもどき」で早死にする人』派でしょうか?
それとも、『「本物のがん」で長生きする人』派でしょうか?
私の理想としては
『「本物のがん」で長生きする人』派に入りたいとは思うのですが、
このブログで、これだけ死について書いてきても、
まだまだ己が死を納得させられず、
リアル問題として「がんもどき」と診断されただけで、
今の時点ではパニックになってしまい、
きっと『「がんもどき」で早死にする人』派を
選択してしまうかもしれません・・。(^^;

私の友人B子(60代後半)は現在、
たまたま受けた特定検診で大腸がんが見つかり、
入院して抗がん剤での治療中なのですが、
以前は「本物のがんで長生きする人」派でした。
人の心は移ろいやすく揺らぐものです。
お見舞いに行ったら、
「なぜ私ががんなの!!?自覚症状なんて全然なかったのよ。
これって神の試練なの?
わたし、抗がん剤の副作用で命が縮まりそうだわ!」
と、キリスト教徒でもイスラム教徒でもないのに、
唯一神が出てきて驚いたと同時に、繰り返し否定の言葉と
抗がん剤の苦痛を訴えていました。
まさか、死の5段階説で有名なエリザベス・キュブラー・ロス
死の瞬間」を読んでみる?とも言えず、
そそくさと病院を後にしましたが、
日本人の二人に一人ががんで生の終焉を迎えなければならない昨今、
否定しようがしまいが、彼女にも私にもそのときは嫌でも訪れます。


本物のがん」であろうが、「がんもどき」であろうが、
美人であろうが、それなりのお顔の人であろうが、
また有名人であろうが、名も無き人々であろうが、
いつの日にか・・100%の確率で死んでいかなければなりません。
この歳になって思うと、家族や他人様の手を煩わせての
寝たきりによって生かされる長寿よりも、
やはり潔い死に方を選びたいものです。
それには、やはり普段から折に触れて、
死についての想いを巡らせていることが重要であり、
告知された後の動揺の度合いは軽減されると今は思うのです。

我が夫のように死をタブー視する人間が
がんもどき」、もしくは「本物のがん」と診断されたら、
と考えると、とても私の手には負えないほどの
パニック状態になることでしょう。まぁ、覚悟はしていますが・・




人間心理を深く突いた稀に見る的確な名文である養生訓の引用元
http://saisentannomizude-zennojyunkanwo.blogzine.jp/kagomekagome/2013/12/post_4ca3.html



「がんもどき」で早死にする人の養生訓

がんにも負けず



   がんにも負けず

   老いにも負けす

   検診も人間ドックも必ず受ける

   強い意志を持ち

   すべてに一生懸命で

   いつもがんばっている

   一日に玄米と豆腐と野菜を食べ

   肉、酒、砂糖は遠ざけ

   あらゆる健康情報を

   ひまさえあれば

   よく見聞きしわかり

   そして忘れず

   のんびり落ちつける

   時間や空間が少ない

   メタボと言われれば

   ダイエットに励み

   高血圧、高血糖と言われれば

   薬を欠かさず

   コレステロールが高ければ

   ウニ、トロ、タマゴは言語道断

   東に「笑えばがんが消える」という

   識者がいれば無理やり笑い

   西に「体を温めればがんにならない」という

   医者がいれば、のぼせるまで長風呂

   PSA値が上がればオロオロと

   前立腺がんを恐れ

   予防切除術のニュースを聞けば

   乳房を切ってしまえと思い立つ

   日照りのときもジョギングし

   寒いときも野菜ジュースを飲み

   みんなにマジメと言われ

   がんになったらとことん闘いぬく

   そういうふうに

   わたしは生きたい





「本物のがん」で長生きする人の養生訓

医者にも行かず

      


   医者にも行かず

   クスリも飲まず

   検診も人間ドックも受けぬ

   変わった考えをもち

   欲はあるようなないような

   あまりカッカせず

   いつも冗談を言って笑っている

   毎日好きなものを食べ

   酒も甘味も楽しみ

   カロリーや血圧を

   細かく勘定しないで

   よく楽しみ、出歩き

   そして安眠し

   ひとり気ままにすごせる

   時間と空間がある

   がんや不調があっても

   年だものとつぶやき

   手術と言われたら

   切りたくないと言い

   ワクチンも抗がん剤も

   副作用がイヤだと拒み

   どこかで倒れても

   救急車を呼ぶなど言っておく

   日照りのときは出歩かず

   寒いときは無理をせず

   みんなにのんき言われ

   いよいよのときには

   ありがとうと笑い

   そういうふうに

   わたしは死にたい



              近藤 誠




LPのマタイ受難曲聴く夜はどこかで死者も耳を傾けており
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tag : がんもどき 本物のがん キリスト教徒 イスラム教徒 死の5段階説 エリザベス・キュブラー・ロス 死の瞬間 告知

パソコンのデータを見ずにわたし診て・・「がんは放置してもいい」は本当か?主張と反論
12月15日の朝日新聞に、ベストセラー「医者に殺されない47の心得」
の著者である近藤誠医師(慶應大医学部講師)と
第一線の抗がん剤専門医(日本医科大武蔵小杉病院教授)勝俣範之医師の
「がん放置 大丈夫?」についてのお二人の主張が載っていた。
(対談形式ではなくて、各氏が聞き手の取材者に語る形式)





医師の近藤誠さんが書いた「医者に殺されない47の心得」は、
今年のベストセラーとなりました。
しかし、近藤さんの「がんは放置してもいい」という考えには、
ほとんどのがん専門医が「助かる命も救えなくなる」と批判しています。
近藤さんの主張と、第一線の腫瘍(しゅよう)内科医である勝俣範之さんの反論を紹介します。

 

■「医者に殺されない47の心得」の著者 慶応大医学部講師・近藤誠さん

【主張】
・がんは発見時に転移が潜む「本物」と、


転移しない「がんもどき」に二分類される
・「本物」は手術でも抗がん剤でも治らない。「もどき」は治療が不要。
  よって、無症状なら治療はしなくてよい
・検診を受ければ死亡数が減るという根拠はない
・抗がん剤の臨床試験の生存曲線は形が不自然で、人為的操作があったと推測できる
・生活の質を上げるための治療は必要

慶応大医学部卒。83年から同放射線科講師。
米国留学後、乳房温存療法を国内に広めた。65歳。


■自覚症状なければ治療は不要

 がんは検診で早期発見されても、その時点で転移が潜む「本物」と、
転移しない「がんもどき」に分けられます。本物は基本的に抗がん剤で治らず、
手術はがん細胞の増殖を速める恐れがあるから治療は無意味です。
「もどき」は転移しないから治療の必要がありません。
どちらにしても、自覚症状がないなら何もしなくていい。
これが「放置療法」です。
 今のがん診療は、早期発見して治療したら治るという前提で組み立てられています。
しかし、根拠がありません。
 外国の研究で、肺がんの検診を受けた人の方が、
受けていない人より死亡数が多いとの報告があります。
早期発見で余計な手術や抗がん剤治療を受けたせいでしょう。
ほとんどの国では肺がん検診は行いません。乳がんも、
検診を受けても亡くなる人の数が減らないという報告があります。
前立腺がんは死亡数の差がありません。
 一般的に早期だと「もどき」の割合が多いのです。
マンモグラフィーで見つかる乳がんは99%「もどき」なので、
私は「診断を忘れなさい」と言って帰します。
これまで検診でさまざまな部位にがんが見つかった150人以上を様子見してきたが、
ほとんど転移が出ません。
 まれに「本物」の場合もあります。
5ミリの乳がんを放置した私の患者さんは、数年後にがんが大きくなり、
その後転移も出てきて、18年後に亡くなりました。
がんの成長速度から、初発病巣が0・04ミリのときに転移していたと推定されました。
 ただ、すべてのがんを放置するわけではありません。
大腸がんによる腸閉塞(へいそく)など、
生活の質を下げる自覚症状があるなら、治療すれば長生きできることもある。
肝がんは「もどき」でも早期発見に意味がないとはいえません。
乳がんの「もどき」も乳房の皮膚を破る場合は部分切除を勧めることもあります。
 抗がん剤に延命効果があるとした臨床試験の結果には、
人為的操作の疑いがあります。多数の患者さんをきちんと追跡すると、
生存曲線は下に凸になるはずですが、不自然に持ち上がっている。
移患者は多くが数年以内に亡くなるのに、
追跡できなくなった人を「生存」とするから生存率が落ちないのです。
 乳がんの抗がん剤ハーセプチンも生存期間は延びません。
臨床試験の生存曲線に人為的操作が疑われます。
薬が効いて元気なのではなく、「もどき」だったのです。
ほかの分子標的薬も、肺がんなど固形がんには無力です。

ただし、血液のがんや睾丸(こうがん)のがんなどは、
抗がん剤で治る可能性があります。
 国内外の論文分析と、患者さんの症例をもとに主張しています。
症例報告は科学的根拠が低いと批判されるが、
放置しても転移しない例が一つでもあれば強力な反論材料になるのです。
 4月にセカンドオピニオン外来を開き、1300人来院しました。
無症状の人は治療しない方がいいと伝え、

生活の質が向上しそうなら治療方法を示します。決めるのは患者さんですが、
最良の結末になることを願います。
 (聞き手・小林舞子)


 ■第一線の抗がん剤専門医 日本医科大武蔵小杉病院教授・勝俣範之さん

【反論】
・がんは「がんもどき」と「本物のがん」に二分類はできない
・過剰治療の側面はあるが、治療しなくていいがんかどうかは見極められない
・検診による過剰診断を示すデータはあるが、検診の全否定にはつながらない
・「臨床試験の生存曲線は人為的に操作された」という主張に科学的根拠はない
放置療法により助かる命も助からないこともあり、この主張は危険


 富山医科薬科大卒。
国立がん研究センター中央病院乳腺科・腫瘍内科外来医長を経て現職。50歳。


 ■一部患者に当てはまる「仮説」

 近藤先生は、がんには「がんもどき」と「本物のがん」しかなく、
積極的な手術や抗がん剤は不要、と主張しています。面白い説ですが、
これは一部の患者さんに当てはまる「仮説」です。
 がんの治療には色々な考え方、選択肢があるということを提案した点では、
近藤先生の主張は評価できると思います。
ただ、医学的データを近藤先生の個人的な偏った見解に基づいて極端に示しており、
患者に混乱をもたらしている点は注意が必要です。
近藤先生が本で書かれている主張を「すべて正しい」と判断するのではなく、
「一部の患者さんに当てはまる」と
読むと、理解しやすくなると思います。
 がんに積極的な治療が行われているのは、
こうした治療に効果のあるがんが確実に存在するからです。
一部の患者さんには、過剰治療になるかもしれませんが、
どんながんなら手術や抗がん剤が不要なのか、
まだよくわかっていないのが現状です。
 検診による過剰診断を示すデータがあることも確かです。
それでも、一部の研究結果をもって、
検診の有効性をすべて否定することにはなりません。
最近、乳がん検診で過剰診断が行われていることがわかってきましたが、
検診をすべてやめた方がいいとの見解にまでは至っていません。
 現在、遺伝子のタイプを調べて積極的な
治療の必要の有無を見極めようという研究が進んでいます。
例えば、乳がんの抗がん剤ハーセプチンは特定の遺伝子に変異があるがん患者さんには
非常に有効で、生存期間が大幅に延びました。
 近藤先生がハーセプチンの臨床試験について「生存曲線がおかしい。
人為的操作が加わったと思われる」と主張しているのは、全く根拠がありません。
承認に関わる臨床試験(治験)のデータは国による立ち入り調査も行われるため、
人為的操作を行える隙がありません。
 「放置療法の勧め」という言葉を聞いたときは、本当に驚きました。
近藤先生の元に通う患者という一部の偏ったデータに基づいているわけで、
それは科学的根拠になりません。
 インフォームド・コンセントは、患者さんの自己決定が大切と言われますが、

正しい情報を提供されることが大前提です。
5ミリの早期の段階で乳がんが見つかった近藤先生の患者さんも、
手術をすれば、90%以上の確率で治ったはずです。
正しい情報をしっかり伝えられた上での自己決定だったのか、疑問です。
進行がんにやみくもに抗がん剤を使うのは、私も反対です。
そういう意味では放置療法もやはり、一部の患者さんには当てはまるのです。ただ、
「放置すべきだ」という一方的な言い方ではなく、正しい情報提供と、
患者さんの意向を尊重する良いコミュニケーションが大切です。
 放置療法は、近藤先生の個人的な考えによる「仮説」です。
患者さんやその家族は、放置することの危険性を十分に理解してほしいと思います。
 (聞き手・岡崎明子)


転載元 http://apital.asahi.com/article/gan/2013121600003.html





「本物のがん」と「がんもどき」の違いなど私には解るはずもなく、
また、どちらの医師のご主張が正しいのか・・なども、
私にはさっぱり解らないが、
通常、病院勤務のの医師たちにとって患者の死は敗北であり、
患者の生存への道の可能性を求めて、
ありとあらゆる治療を継続したい気持ちはなんとなく解かる。
また逆に、どうせ人間はいずれは死ぬのだから、
心身の苦痛や経済的な面でも、余計で過剰治療はしないほうが良い。
という気持ちも解らないでもない。

だが、「がん、もしくはがんもどき」が見つかっても、
『治療をする。または放置する。』を決めるのは
患者と患者予備軍である私たちの生と死へのスタンスが重要視されなければならない。
と思うのだが、肝心の専門医の主張が対立していては懸命な選択もできない。

加えて、がん治療は、たまたま主治医となった医師が白い巨塔に組み込まれているか、
もしくは学閥に組みせず医師として異端であることも影響するのかもしれない。

私の勝手な推測だが、近藤誠医師は65歳にして講師であり、
勝俣範之医師は教授の肩書きを持っている。
近藤誠医師は医学会では余程の異端児なのだろうか・・・。





結局は、もし、「がん、もしくはがんもどき」が見つかった場合、
多くの日本人は、私を含め、「がん=死の恐怖」から逃れたいがために、
がんマフィアと言われている巨大な利権構造の中に飲み込まれ、
主治医の言うがままに、製薬会社を儲けさせる無力な羊の群れとして、
がん治療を受け容れるのだろうか・・。

その前に、患者も遺伝的にがん家系の人も、主治医にお任せではなくて、
医師やがん産業に良いように振り回される前に、
少しは自分で勉強し、生と死に関するスタンスを決めておかないと、
過剰治療や放置療法で本当に医師に殺されてしまうかもしれない・・。

またひとりガンに臥せたと友の報聴きて更けゆく眠れぬ夜が
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tag : 近藤誠 勝俣範之 がんもどき がんマフィア 放置療法 過剰医療

夫の「もしも・・のとき」の葬儀は「火葬場集合!火葬場解散!の直葬」・・お墓は「海洋葬」で海にすることを具体的に決めた。
先日行ったプールで、今現在は元気ピンピンであられるご主人様の
葬儀見積もりをしてもらいに行った私と同世代の女性の
「主人はもう68歳。既に死亡適齢期よ。避けられない老いと死は先手必勝よ。」
の言葉と行動に触発され、
私もやっと夫の「もしも・・のとき」見送り方を具体的に決めた。


結婚生活4?年の中で、今まで病気といえば軽い風邪程度で
入院に至るような病気は一度たりとも無縁であった夫(団塊世代)が、
最近になって「なんだか、体調が悪いなぁ・・」という言葉が増えた。

エンディング・ノートなど見るのも、言葉にすることも厭い、
「僕の分はあなたが書いておいてくれ・・」とのたまい、
先月、私が某葬儀社のエンディング・セミナーに出かけるときにも、
「そんな死のことを考えるような暗い人生は僕は好きじゃないな・・」
と出かけようとしていた私に露骨に嫌な顔をした夫ではあるが、
どのような死生観を持っていても、老いと死の前には現代医学も
無力であり、嫌でも誰にでも死は訪れる。
己が終末期や葬儀のことを元気なときに決めて置けば、
認知症になっても、ターミナルケアが必要なときになっても、
そして・・やがて、そのときが訪れても慌てふためくこともなく、
訳も分からずに葬儀社にオプション攻めでボッタくられることもなく、
喪主と施主にならねばならない私の思いと
予算内での見送り方を貫き通すことができる。





また、私が住む○○市では下記の4点が揃えば、
自分でも火葬予約をすることもできるらしい。
(1) 火埋葬許可証…区役所に死亡届を提出すると交付されます。
(2) 防水加工が施されている棺…葬祭業者等から購入します。
(3) 市営斎場内でも販売しています。
(4) 棺を搬送する車…霊柩車等(一般車でも可)


(1)は私が区役所に行けば済むし、
(4) の棺を搬送する車は(一般車でも可)とあるので、
私がレンタカーを借りるか、もしくは娘と息子に頼めばなんとかなるが、
(2)と(3)は今からネット通販で棺や骨壷を買って家に置いておくことは
死をタブー視する夫の手前、100%不可能だ。
まさか、「あなたのために買っておいたのよ。」
などとは口が裂けても言えない。(笑)
徐々に体が弱っていき、もう2度と病院から自宅には生きて戻れない・・
ような状態になったときにネット通販(注文から納入まで早くて3日)
で買っておいてもいいが、
もし、PPK(ピンピンコロリ)で逝かれたら棺も骨壺も間に合わないかもしれない。
それに、そのときの私の体調にも因るので、やはり、葬儀社に頼むことにした。
なので・・葬儀とはいっても、市の条例で火葬だけは避けて通れないため、
今の時点では、地元の某葬儀社の直葬プランで火葬のみの葬儀をし、
後日、改めてクルーザーを借り切って、カジュアルな服装での遺族参加型の海洋葬で、
(20名まで15万円、粉骨料、献花、海図に散骨場所を記した散骨証明書付き)
既に購入してある夫の好きなジャズと、
「おくりびと」としての私が選んだレクイエム曲が奏でられる中、
厳かに夫を見送ることにしたいと考えている。



また、聴くところによると、船酔いする人も多いらしいので、
酔いやすい人には乗船前に酔い止め薬を飲んでもらうつもりだが、
船酔いしながらの海洋葬って、
一生忘れられない「おくりびと」体験になるかもしれないかも・・(笑)
などと勝手に夢想している。
クルーザーの下船後はハーバー近くのレストランを予約しておき、
故人(夫)を偲んで参列者全員でフランス料理でも食べようと思っているが、
そのときの私の体調次第では、委託散骨(35000円 ※粉骨費用含む)
も選択肢に入れておくことにした。



このような「火葬場集合!火葬場解散!の直葬」で見送り、
(基本料金15万円。※火葬料金は別途 
※遺体保管料は火葬日まで基本料金内に入っている)
そして、日を改めての「海洋葬」の見送り方だと、
遠隔地に住む夫に似て口煩い夫の姉二人(現在70代前半)が、
もし参列できる身体状態だと想定して
「二回も行かなきゃいけないの?」とか、
いろいろ不平不満を言われそうだが、
私は事前に海洋葬への参列可否の案内状は出すが、
来られる状況でなければ、欠席していただくしかない。

それでも上記の義姉の内の一人は海への散骨希望と聴いているので、
今まで、仏式の葬儀にしか参列したことのない彼女には
海洋葬」は興味深々であるはずだ。

なお↓の動画はあくまでもイメージであり、
私が依頼する予定の葬儀社ではありません。





それから、私が住む○○市には、4つの市営火葬場があるが、
現在は平均4日~5日待ち(エンディング・セミナーで知った)らしい。
なお、1月1.2日と友引の日は基本的に火葬場は休場となっているが、
1つの火葬場は友引の日でも開場していて、
友引でも構わなければ、また開場日は希望時間帯が一番多い
午前11時頃と午後1時頃を避けて、一番早い時間帯の午前9時頃か、
もしくは一番遅い時間帯の午後2時頃なら、死亡翌日の火葬も、
運が良ければ可能であるらしい。
とは言っても、夫は団塊世代。
まぁ、火葬の一週間待ちは覚悟しておこう。

なお、葬式仏教に関わる気は一切ないので、香典は頂かない。
もちろん香典返しもしないし、お坊さんも呼ばない。



そうは言っても夫よりも私が先に行く場合も想定している。
私のもしも・・のときのことは終末期から死亡後までの希望を
エンディング・ノートに記し、遺言書及び現金の在り処を教えてあるので、
私亡き後は、夫と娘と息子が私のエンディング・ノートを読んで
希望通りにしてくれることを願うのみだ。
なお、私の見送り方の希望はここに記してある。

しかし、あくまでも今の時点での案であり、
人間の明日のことは誰にも分からないことを踏まえつつ、
ここに第一案として記しておきたい・・。

記憶する者が途絶えしその日まで真(まこと)の死者にはなれぬものらし 
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tag : エンディング・ノート エンディング・セミナー 認知症 ターミナルケア 海洋葬

墓標に故人のありのままの人生を記し死を笑うことで弔う、世界一陽気なお墓
録画しておいた「地球イチバン ~世界一陽気なお墓ルーマニア」を観た。



ルーマニアの北のはずれにある「死者が語りかけてくる場所」。
立ち並ぶ墓標には、「酒におぼれた人生」、「姑との確執があった」など、
ちょっとドキッとする言葉が刻まれている。
しかし、これらは故人のありのままの人生を記憶し、
その死を「笑う」ことで弔う独特の文化だという。

独特の「死を笑う」文化が生み出した陽気な墓の数々。
マラムレシュの豊かな森の中にある、
「この世とあの世をつなぐ不思議な世界」へ、
樹木希林さんの語りでご案内します。
番組HPより



日本では嫌われ者の頑固爺さんも鬼姑も、
亡くなったとたんに、「良い人だったわね・・」
と褒めちぎられるのが常だが、ここマラムレシュでは、
墓標「酒におぼれた人生」、「姑との確執があった」などと刻まれるので
死者に対する心にもない見え見えの上辺だけの褒め言葉やお世辞は通用しない。
そして、とにかく明るく陽気でカラフルなお墓が並んでいる。
日本も暗く寒々しく線香臭く今にも幽霊が出てきそうなお墓ではなく、
ペンキでカラフルに塗られた陽気で明るい墓標があっても良いのではないか?
と思うのだが、葬式仏教が根強く、
また世間の常識というものにこよなく甘んじることで、
心の平静を保ちたがる日本では無理なのだろうか・・。

私は全遺骨を粉骨して海への散骨を希望しているが、
万が一にでも家族の誰かが、一部の遺灰をこの地上に埋め、
墓標を建てたいと願ったとしたならば、マラムレシュ墓標のように、
誰が見てもクスッと笑えるような赤裸々な人生模様を刻んで欲しいものだ。
そこで、私の場合にはどんな言葉が一番似合うか?と考えてみた。
できれば、「美人薄命であった」と刻んで欲しいところだが、
もう年齢的に間に合わなくなってしまった・・。
それに、現実はそんなに甘くはない。
実際には「屁理屈だけで人生を駆け抜けた生涯」などと刻まれることだろう・・。
31210r
人の死を弔うためのセオリーは悲しみの中の笑ひにもあり
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tag : マラムレシュ 散骨 墓標 葬式仏教

「主人とお墓をご一緒するなどとは畏れ多くございます・・。」と皇室の終活を見習う平民のオバさま方の話。
いつも行くプールに、いつもの時間にいつものごとく
「おはようございま~す♪」と挨拶してドアを開けたら、
今日は5人ほどのオバさま方が着替えをしながら、
大笑いしながら楽しげに話をしていた。
毎日が日曜日のオバさま方である。
プールに来るのが仕事よ。というオバさま方ばかりなので、
急いで着替えて帰らなければ!という人はほとんどいなくて、
室温が約30℃に設定されている暖かい更衣室で、
のんびりと井戸端会議に花を咲かせている。

はてさて、今日はどんな楽しい話をしているのかしら?
と耳を澄ませば、
「ご主人様と同じお墓に入るか?それとも入らないか?」
の話で盛り上がっておりましたとさ。





A子さん
(誰にでも歩調を合わせる小心者の未亡人の70代)

「わたしはね。亡き主人が入っているお墓に入るつもりよ。
だって・・他に入るところが無いもの・・」


B子さん
(あの人嫌い!と実名まで出してズバズバとものを言う
デラックス・マツコ似で夫有りの60代)

「お墓はあるけど、酒、女、ギャンブルで、散々わたしに苦労させといて、
お墓まで夫と一緒だなんて、絶対に嫌だわ。
わたしは樹木葬にするつもりで、すでに申し込んであるわよ。」


C子さん
(夫有りのいつも物静かな50代)
「わたしはね。死んじゃったらお墓なんて、
一緒だろうが、別々だろうがどうでもいいわ。
どうせ何も分からないんだから・・」


D子さん
(椅子に座るたびにドッコイショ!
立ち上がるときにもドッコイショ!と言い、
一仕事(着替え一枚)が終わるたびにハァ~(;´ρ`)と、
ため息を付くのが口癖の小太りで未亡人の70代)

「あら?みんな、いろいろ考えてるのねぇ?
わたしはね。なんか死なないような気がするから
お墓のことなんか考えたこともないけど、
でもいつかはお墓に入らなきゃいけないのよねぇ。
そうねぇ・・わたしもできることなら、
酒飲みでおまけに金銭面で苦労させられた主人と同じお墓は嫌だわ。」


E子さん
(今が良ければそれでいいと、
自らの終活にも地震等の災害の備えにも全く興味のない夫有りの60代)

「あらやだ~、またそんな暗い話なの?なんか明るい話はないの?」


B子さん
「あらやだ~!はこっちのセリフよ!
あーたね、わたしたちの世代にとって
明るい話なんてあるわけないでしょ?
年金は削られるわ、消費税は上がるわ、
入院しても病院に長く置いてもらえないわ、
在宅訪問診療してくれるクリニックは近くにはないわ、
老健や特養には入れないわ、
おまけに子どもたちは親の介護をする気はないわ、
どこに明るい話があるのよ。
せめて健康寿命を延そうと、
こうやってプールに来てるんじゃない。
あーただってね。いずれ死ぬのよ。
お墓をどうするか?も何も考えてないの?
わたしだって、そういうふうに
生きられるものならそう云うふうに生きたいけど、
お墓問題は間近に迫ってるから、考えないわけにもいかないのよ。
それでさ、わたしね、思うんだけど、
あの皇室でさえも終活をしてんのよ。
あらやだ、そんなことも知らないの?
NHKのニュースぐらい観なさいよ。
それにさ、皇后の美智子さまが、今生天皇の希望する合葬を、
「畏れ多くて・・」とお断りになられたんだってよ。
なんと奥ゆかしい美智子さまなのかしらね。
あーたも皇室の終活を見習いなさいよ。もう若くないんだから。」


D子さん
「でもね。わたし思うんだけどね。
菊のカーテンの裏側なんて、
わたしたちには窺い知ることもできないでしょ?
テレビでは両陛下の仲睦まじい姿しか放映しないから、
真から理想の夫婦象に見えるけど、
あの姿を国民に見せることが
両陛下の国家公務員としての大事な仕事なんでしょ?
それでさ、もしかしたらの話だけどね、
どんなに高貴な方々でも、そりゃあ夫婦だもの・・
長い夫婦生活のその間には男と女としての誰にも言えない
苦労や忍耐の日々がいろいろあったと思うのよ。
特に民間から嫁がれた皇后さまにね・・。
だから、今上天皇が、美智子皇后に、
『もし、君さえ良かったら一緒のお墓に入らないかい?』と訊いたとして、
皇后さまが、心の中では『こんな人とは嫌です!』と思っていても、
立場上、そんなことは口が裂けても言えないでしょ?
だから、『陛下とお墓をご一緒するなどとは畏れ多くございます。』
とオブラートに包んだように言った可能性もあるんじゃないの?
ハァ~(;´ρ`)」

とD子さんは、しゃべり終わりのため息を付きつつ、
今上天皇と美智子皇后に対して、
不敬且つ畏れ多いことを申しておりましたですが、
私に気づくと、
「あーら、ボケ田さん、あなたはお墓はもう用意してあるの?
亭主と一緒のお墓に入るの?」と訊いてた。

私は「はぁ・・そうですね。
皇后さまとは別な意味で、
できれば、主人とは畏れ多くて一緒に入る気にはなれませんけど・・(^^;」
と答えたのでしたが、
ご主人様と一緒のお墓には絶対に入りたくないと公言していた、
B子さんとD子さんは、
「それいいね。使えるよね。さすが皇后さまよねぇ。
わたしも、『とても畏れ多くて・・・』と言おうっと!」
と心なしか晴れ晴れした顔で更衣室を出て行きましたとさ。
131119r
静寂に抱(いだ)かれていし無縁墓に誰が植えたか白菊の咲けり
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Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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