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葬送の儀における価値観が半世紀前と180度変わった昨今、親やパートナーのもしも・・のときに訃報を知らせる縁戚関係者の範囲は? それから、夫婦の本来の姿とは、どちらかに人生の枯れ死の時期が訪れたら、静かに看取り看取られることなのだと思うようになりました。
今年も例年のごとく、変わり映えのしない日々が始まり、
相変わらず、いつものプールに通い始めました。

そして、昨日、「否応なく脇目も振らずに老いへの道」を
一直線に進まなくてはならないプー友のおばさま方と
ギャラリーでの昼食中に他愛のない井戸端会議をしていると、
昨年秋に、ご尊父様(99歳)を亡くされたA子さん(68歳)が、
亡きご尊父様の葬儀の様子を話し始めました。
彼女が一番迷ったのは、何親等まで知らせるべきなのか?
だったそうです。
亡きご尊父様は8人の兄弟姉妹の中で唯一の生き残りで、
他の兄弟姉妹は既に亡くなっており、A子さん自身も、
従兄弟(いとこ)や従姉妹(はとこ)とは、
ここ半世紀以上も付き合いはなく、顔もほとんど覚えていないそうです。
ですが、ご尊父様が残されたセピアに変色した住所録には、
従兄弟や従姉妹の名前と住所だけは載っているけれど、
今更、知らせても、あちらに迷惑がかかるかも(ーー;)・・と考えて、
敢えて葬儀日時は知らせず、A子さん姉妹とその配偶者、
そして、その子供たち(故人の孫たち)だけの家族葬で、
ひっそりとあの世へお見送りしたそうです。

その話を聴きながら、異を唱えたそうにしていたB子さん(64歳)。
彼女の御母堂様(95歳)は特養に入居されていて、
超高齢のため、容態急変時には点滴や救命措置等の治療はせずに
そのまま看取っていただき、医者には死亡診断書を
書いていただくだけになっているそうです。
既に葬儀社の下見も済ませ、いつ亡くなっても良いように
万端の準備を整えています。

そして、B子さんは断言したのでした。

『葬儀に来る来ないは別にして、故人の親戚関係全員に訃報を
知らせるのが世間の常識じゃないの!』と。

私は夫が先に逝った場合、両親は既に鬼籍に入っているので、
知らせるとしたら、夫の姉3人(長姉は既に故人)が該当しますが、
すぐ上の義姉は同市内に住んでいるため、
姉妹代表としてすぐ上の義姉だけにお知らせをして、
収骨だけにでも来ていただこうかな?
程度に考えていたのですが、
B子さんの常識に従うとしたら、
遠隔地に住んでいる次姉と三姉にも知らせなくてはならず、
もし、老体に鞭打って、2人の姉が来てしまったら、
直葬を望んでいる夫の葬送の儀は、
火葬場集合、火葬後は参列者全員で懐石料理の食事でもして、
ハイ解散!だけでは済まず、宿泊の手配やらなんやらで、
病弱な私が倒れてしまうような気が・・

いったい、どしたらよかんべか??(ーー;)
と帰りのバスの中で、どうでもいいい思案をしつつ帰宅したのでありますが、
私の切なる思い?がテレパシーとなって届いたのでありましょうか?(笑)
その日の夕食時に、おひとりさま暮らしが寂しくなると、
必ず誰かに電話をしたくなる次姉(未亡人:75歳)から電話が・・
スピーカーフォン機能にして、お茶を飲みつつ夫が話し相手になったのですが、
転倒して腕を骨折したらしき姉の老いの道への愚痴を30分ほど聞き、
最後に夫が「無理しないでね。姉さん。」と慰めて電話を切ろうとしたら、
義姉が再び話し始めました。
「わたしも、もう後期高齢者なのよねぇ。
膝も痛いし、腰も痛いし、血圧も高いし、
万が一だけど、○○さん(夫の名前)がわたしより先に亡くなることがあったとしたら、
悪いけど貴方のご葬儀に行けそうにもないわ。悪く思わないでね・・。」
との声が聴こえてきました。

夫は、「いいんだよ姉さん。そんなこと気にしなくて!
この辺では家族葬と言って、パートナーと子や孫だけの
シンプルな葬儀しかしないのが主流になってるし、
僕もそうするつもりだから。わざわざ、来なくていいからね。」
と答えていました。

それを聴いて、私の心の中では、夫の葬送の儀は、遠隔地に住んでいる
義姉二人には夫の直葬の日時は知らせず、
日帰り可能な人たち(子ども夫婦と孫たち)だけでの
「火葬場集合、収骨後に日を改めての散骨のために葬儀社に遺骨を預け、
皆で故人を偲びながら食事をしてハイ終わり!」
で済ますことにしたのです。

ただ三姉は、夫以上に口から先に生まれてきた女かい!?
と思うほど口煩い小姑で、
更には、世間の常識とやらに絡め取られている人間性を持っている人なので、
「なぜ、知らせてくれなかったのよっ!?」との苦情が来るかもしれませんが、
私は夫が死んだら、夫の姉たちとはもう親戚付き合いをする気は一切無く、
通り過ぎる嵐は2.3分だけ、そのぐらいは、夫とのあれから4?年に渡る
夫婦生活の中で、数え切れない程見舞われた豪雨や嵐に比べたら、
痛くも痒くもないことでしょう。(笑)

それでも、お子様と同居されている方、ご夫婦だけの方、既におひとりさまの方、
確固たる死生観をお持ちの方、キリスト教、イスラム教、仏教、
また数多の新興宗教等々の信仰に身を委ねていられる方もいます。
事情はそれぞれであり、地域の慣習に従わないと村八分にされる方も
いることとは思いますが、無宗教の私にとっては都合の良いことに
我が地域の葬儀形態は、20年程前から、家族葬と直葬が主流になっています。


それにしてもです。
なぜ次姉は自身より8歳も年下の弟が
自分より早く死ぬ・・と決めつけたのでしょうか?
スピーカーフォンから聴こえてくる義姉の話に、
思わず笑い出したくなりましたが、
我慢に我慢を重ねてお腹の皮だけで笑いを堪えたので、
今日は腹筋が筋肉痛です。(笑)

私も、このブログ上だけですが、
夫のエンディング・ノートの代筆の都合上、
何回も夫をあの世の住人にしていますが、
女性は自分だけは身近な男性よりは長生きできる!
と思い込んでいる節があるようですね。(^_^;)
私の身近でも、期せずして、「おふたりさま」から
「おひとりさま」になってしまった割合は、
確かに女性が多いですが、奥様を亡くされた高齢男性も多くいます。

それにつけても思うのは、夫婦とは、
あれから40年・・であろうが、あれから50年であろうが、
山あり谷ありを乗り越え、個の人生の樹が熟し、
そして、枯れ死の時期が訪れたら、片一方が片一方を看取るのが、
夫婦の本来の姿なのだと思うようになりました。

そして、残された者は、近い未来に子どもや他の親族に看取られ、
メンタル面は無そのものになり、残された遺骨産業廃棄物になり、
故人に一番近い親族の死生観一つでお墓に入れられたり、散骨されたりして、
此の世からは完全に消え去り、想い出として誰かの心に生き続けることでしょう。


中には、思い出したくもない夫や妻、或いは死んでくれて嗚呼!良かった!と
口には出さずとも、心の底で思われる人もいるかもしれません。
それは生前の生き方に左右されますので、仕方のないことです。
例えばですが、
国内の社会保障費は削減、弱者は切り捨て、格差は拡大させながら、
中東という遠い遠い国の安定化とインフラ整備に新たに25億ドルの支援表明をしたり、
財界人の更なる利益を求めて、国内の大企業の幹部を50名も従え、
中東諸国の首脳に平和だの安定だのと、
嘘八百を並べ立てのおべっかを言いに行っている、
極東の国独裁者気取りのトップリーダーがいます。
彼とても、いずれは100%の確率で死ぬという事実からは逃れられません。

人の命というものは、死刑囚であれ、近所の因業爺婆であれ、
利権しか目に入らない腐れ切った政治屋であれ、
かけがえのない唯一無二のものです。
死んでくれて嗚呼!良かった!と思うことはないですが、
ただ、現首相に対しては、どうしようもない最低最悪の首相だった!
と、後後に思うことは確かです。(笑)

老老介護殺人のニュースが続いています。
もし、25億ドルもあったら、何棟の特養が建つのかは分かりませんが、
介護職員の給料を公務員並にすれば
特養待ちの高齢者と介護離職までして老親を介護している人が
どれだけが安心できることか・・と思うのです。

時の流れとは残酷なもので、望むと望まぬに関わらず、
今、若さを謳歌している人たちでも、いずれは老いて死にます。
今年、前期高齢者になる私ですが、
よくもまぁ、事故にも遭わず、自然災害の犠牲者にもならず、
全身麻酔による大手術を受けても、なんとかこの世に蘇り、
細々とながらも、なんとかこの齢まで生き延びられたものだと思っています。
さて、私自身は死んでくれて嗚呼!良かった!と思われる類のヒトでしょうか?
それとも、いついつまでも、誰かの心の中に生き続けることになるのでしょうか?
死んでしまったら、どうでもいいことではありますが・・。

全国的にインフルエンザが流行っているそうです。
私はインフルエンザの予防接種は受けませんでしたが、
幼いお子様はもちろんのこと、
シニア、シルバーの皆様は加齢で免疫力が落ちています。
くれぐれも、お体をご自愛くださいませ。♥

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 福祉関係予算 中東諸国 極東の国 独裁者気取り 中東の安定化 自然災害 遺骨 産業廃棄物

大往生のピンピンコロリで逝った友人二人のそのご尊父様と配偶者様のあやかりたい死に方とその遺族の潔いあの世への見送り方に想うこと。
しばらくプールにこなかったプー友(プール友達)二人・・。
約一ヶ月半ぶりにプールに来た二人が言うことには、
A子さんはご尊父様が亡くなり、B子さんはご主人様が亡くなって、
その後始末に追われていたらしい。

以下はその二人が詳し話をしてくれた内容です。

先ずはA子さん(60代後半)のご尊父様(大正2年生まれの101歳)は、
足腰はだいぶ弱くはなってきたものの、認知症もなく、
朝は散歩と称して普通に電動三輪車に乗って、
ゆっくりと近所の大きな公園を散策し、花木を愛でながら家に帰ってきて、
純和風の朝食後は午前中をかけて新聞を隅から隅まで読み、
昼食後は短歌と俳句を趣味とされていて、新聞への読者投稿を楽しんいるという、
ご長寿老人だったそうなのですが、
4月の桜満開の頃に、普通に夕食を済ませ、
好きなテレビを見て、8時頃に床に付いたのですが、
翌朝、いつもの電動三輪車散歩の時間になっても起きて来ない。
不審に思ったA子さんが様子を見に行くと、
体にはまだかすかな温もりは残っていたが、
既に息をしていない状態だったという。
急いで救急車を呼んだが、救急隊員の方からは、
もう死亡してますね・・と言われ、
不審死扱いという理由で警察が呼ばれたそうですが、
さすがに年齢が年齢なので、形式上の検視の結果、事件性は無し。
ということになったそうです。
歌詠み人でもあり、西行に心酔していたA子さんのご尊父様は、
願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃」に亡くなり、
A子さんは「父は本望だったと思うわ。」と言い、
父の兄弟姉妹は皆死に絶えてしまっているので、
家族だけでの直葬の際には、ご尊父様が復員後に庭に植えたという桜の木から
桜花を集め柩に花びらを敷き詰めて、お見送りしてあげたそうです。
そして、生前にご尊父様がA子さんも知らないうちに予約しておいたという、
桜の下に眠る「桜葬」と言われる墓地に折を見て遺骨を埋葬する予定だそうです。
毎年桜の咲く頃には、お花見と命日の墓参と日帰り旅行を兼ねて行けるので、
A子さんは父は良い選択をしてくれたと思うわ。「桜葬」オススメよ。
と楽しそうに話してくれました。

もう一人の友人B子さん(70代後半)も、
やはり桜が満開の頃にご主人様(80歳)を亡くされたのですが、
ご主人様はその日も普段通りに朝食を食べ、普段通りに食後のお茶を飲み、
普段通りの台詞を言い、
「さぁ、俺よりもイイモノを食ってるお犬様に引きずられて
散歩にでも出かけるか・・・・・」
と椅子から立ち上がろうとしたその瞬間に、
B子さんの目の前で、まるでスローモーション動画を見ているごとく、
フワ~~~~~~ッと椅子から崩れ落ち、
ピクリとも動かなくなったので、
B子さんはこれは尋常ではないわ!大変だわ!と急いで救急車を呼び、
救急病院に運んでもらったのですが、
到着した時点ですぐに死亡宣告(心筋梗塞)をされたそうです。

B子さん曰く。
「主人は望んでいたピンピンコロリで逝けてさぞかし満足していると思うの。
介護でわたしの手を煩わすこともなく、
主人は潔い良い死に方をしてくれたと思ったわ。
わたしもあやかりたいけど、こればっかりはね・・・」
と言っていた。

「それで、どのような規模のご葬儀をしたの?」と、
我が夫のもしも・・・のときのための参考までに訊いてみた。

「えっ葬儀?葬儀とは言ってもね、
主人は、俺が死んだら、欲ボケ坊主のお経、戒名、仏壇、供養、お墓も不要!
火葬だけで良い!近所も友人も兄弟は呼ばんで良い!
世間には知らせずに、ひっそりと逝かせてくれ!が口癖だったから
わたしと隣町に嫁いだ娘とその家族だけの見送りで荼毘に付してきたの。
遺骨はね、まだ家にあるけど、近々海に散骨するつもりなの。
散骨も主人の遺言だったんだけど、そういう人生観だったのよ。
それから、常識的に考えて、主人の兄弟には知らせたほうがいいかしら?
それとも主人の遺志を尊重して知らせない方がいいのかしら?
と迷いに迷ったけど、結局知らせなかったわ。
だって、主人には兄がふたりいるけど、80代の高齢者で北海道に住んでてね。
一人は半寝たきり、一人は認知症で、ここ何十年も付き合いも電話もないのよ。
だから訃報を知らせたら、主人の兄のご家族にご迷惑かと思って・・。
散骨が終わったら、死亡通知書を書くわ。
故人の強い遺志により、香典、お供物はお断り致します。
の文面を添えて・・・」

だそうでございます。

そこで一緒に話を聴いていた、
命の灯が消えるのは今日か?明日か?
の御母堂様(施設入居中の92歳)のいる
C子さん(60代前半)は、前々から、故人となった人の兄弟姉妹には、
本人、もしくはその代理である血縁者が来る来ないは別にして
知らせるのが世間の常識であるというスタンスを絶対に崩さない人である。
ちなみに、C子さん御母堂様は、
常々、「家族だけのこじんまりとした葬儀でいいよ・・」
と言っているらしいが、
B子の母親の兄弟姉妹は彼女を除いて全員が亡くなっており、
その子どもたち・・つまり付き合いはほとんどないが、
世間の常識として、母親のもしも・・・のときは、
B子の従兄弟と従姉妹に知らせるつもりでいるのだという。
そして、B子は一般葬を執り行うべく、葬儀場も会員として会費を払い、
お寺様の紹介もしてもらう旨の登録を済ませて来たそうである。

しかし・・・・A子さんとB子さんの話を聴いているうちに、
C子さんの、御母堂様のもしも・・・のときは何が何でも葬式仏教で!
の信条が少しづつではあるが揺らいできているのが見て取れたのでした。
それは、B子さんが、C子さんに対して、
「そうねぇ、C子さんのお母さんは、地域の有力者かなんかだったの?
それだったら、超豪華なお葬式でも、遠くの親戚もみんな呼んで、
なんでも好きにおやんなさいよ。
でも、この辺は人間関係も、地域のしがらみも、なぁ~んにもない都会なのよね、
主人のときも、火葬場で見送る人が2.3人の直葬が多かったわよ。」
と言い添えた言葉が揺らがせたのだと思うのです。
そして、私の心の中ではC子さんの予定している葬送よりも、
A子さんとB子さんの葬送に軍配を上げていたのでした。

私自身、母の葬儀のときに約55年ぶりに逢った、
超忙しい個人病院経営の従兄弟(母の妹=故人の息子)に
「母の闘病中には伯母さんには毎日通って貰って、
大変お世話になりましたので、
お知らせを受けて、お線香だけでもと思って診療を抜け出してきました。
午後から手術があって、すぐに戻らなければなりませんので、
申し訳ありませんがすぐにお暇(いとま)します。
それから、僕の母も無くなっていますし、伯母さんも亡くなりました。
伯母さんへのご恩は忘れていませんが、
できれば、今後はこういうお付き合いはもうお互いに止めませんか・・」
と言われたことに、何十年も付き合いがない親戚よりも、
近くの他人のほうが大事と考える私は、大賛同したことがあったので、
私的には、もし夫の「おくりびと」になったなら、
世間体や葬儀費用の問題などではなく、
故人の人生観及び死生観を尊重したいと思ったのでした。
ところが、我が夫からは「直葬でOK!」以外の意思は伝えてもらっていない。
それに、「あなたの直葬のときに、
もし姉さんたちが生きていたら、呼ぶ?それとも呼ばない?」
なんて、あれから4?年の夫婦であっても、
そんなことは口が裂けても訊けない。(^_^;)

それにしても、
「夜、普通に床に入ったら、朝には苦しんだ様子もなく亡くなっていた。」
「食後、フワ~~~~~~ッと椅子から崩れ落ち、そのままコト切れた。」
これぞまさしくピンピンコロリ!究極のまた最高の死に方ですね。
ホント、私もあやかりたいと思いました。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 欲ボケ坊主 不審死 検視 願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃 直葬 桜葬 ピンピンコロリ 死亡通知書

隣組の家族葬・・御焼香に行くべきか?行かざるべきか?
今から約2カ月ほど前、自宅前の道路を掃除をしていたら、
救急車が入って来て、3件隣のMさん(80代後半・・母娘二人家族)
が耐えがたい頭痛に見舞われたとかで、
娘さん(50代後半?)に付き添われて救急病院に運ばれて行った。


そして・・今日、買い物に行く途中に我が家の玄関前で
隣の奥様と出会い、しばらく井戸端会議をしていたら、
買い物帰りの風体でMさんの娘さんが通りかかった。

挨拶をしながら、「その後、お母様のお具合はいかがですか?」と声をかけたら、
あらま!びっくり!
10日程前に亡くなられて、葬儀は3日前に家族葬で執り行い
今は遺骨となられて自宅に戻って来ているという。

隣の奥様と二人でありきたりなお悔やみの言葉を言っていたら、
隣の奥様が突然、「あの~御焼香に伺ってもよろしいでしょうか?」
と訊ねられた。Mさんの娘さんは「ありがとうございます。
亡き母も喜ぶと思います。どうぞ・・」
と言われたのでそのまま二人でMさんの仏前への御焼香に伺った。

帰り際に、Mさんの娘さんが、口コミで母の死を知った御近所の方が
ご焼香に見えてくださることはたいへんありがたく思いますが、
なにぶん私は仕事で留守にする時間帯が長いので、
御無礼になることも御承知おきくださるようにお伝え願います。
と付け加えられた。

束の間と言えるほどの滞在時間ではあったが、
Mさんの最期の様子などをお伺いしながら、
そそくさとM家をおいとまし、隣家の奥様と別れて
買い物に行く途中にハタと考え込んでしまった。

M家は隣組の組長(たまたま隣の奥さん)にはもちろんのこと、
町会にもMさんの死を知らせてはいない。

家族葬ということは、もしかして、隣組の人であっても
本当は御焼香にも来てほしくないのではないか・・?

などと・・・つらつら考えながらスーパーへの道を歩いていたら、
顔見知りなら誰にでも分け隔てなく笑顔で挨拶をしてくれる、
とっても愛想の良い、地元生れで地域の通夜や葬儀への弔問の経験も豊富で
町会のエライさんをしている地域の長老に出会った
これ幸いとその人(男性80代?)に聴いてみたところ、
彼は言った。
「そうだねぇ。時代が移れば、葬儀のやり方も変わるからねぇ。
昔はね。とは言っても戦後すぐの話だけどね。
この辺でも大家族が多かったから葬儀も隣組で協力しあったものだけどねぇ。
今はどこの家も核家族になっちゃって、
おまけに近所付き合いもほとんどなくてせいぜい会釈程度でしょ?
だからね。家族葬のときは、
隣組の中で特に親しかった人やお世話になったと思う人が
遺族が落ち着いてから御焼香に伺うのは
個人の気持ちだから致し方のないことだとは思うけど、
義理で御焼香に行こうと思われる人には知らせないで、
何もしないで、ただただそぉ~っとしてあげておくのが
最善のお悔やみになるんじゃないのかなぁ。
あっ、それから、実は僕も家族葬を望んでいるのでね。
僕の死後は美人奥さんのあなたであっても、御焼香は遠慮して頂きたいな。
僕は本当は嬉しいんだけど、仏様になった僕の前で、
内のシワクチャ婆さんがあなたにやきもちを焼くと厄介だからねぇ。」
との真摯な助言と少し笑える感想を頂いた。


私が30年近く前にここに越して来た頃には
葬儀は自宅で執り行う家が多く、
町会の組長によるお触れも回って来たので
通夜には喪服に身を包み御香典を持ち、
隣組が連れだって弔問に行ったものだった。
だが、過去20年間で葬送の儀は180度と言っても良いほど様変わりした。
我が隣組でさえ、「○○さんの家のお爺ちゃんって、
しばらく見ないと思っていたら
一年前に亡くなっていたんだってね?家族葬だったの?」
などと訊かれたりすることが多くなった。

近頃では、病院で亡くなっても自宅で亡くなっても、
自宅に遺体安置はせずに、自社ビルに霊安室を所有している大手の葬儀社か、
小さな葬儀社でも提携している霊安室専門会社にご遺体を預け、
火葬場の予約日に葬儀ホールで、ひっそりと家族葬や密葬を執り行って、
隣組にも知らせずにそぉ~っとご遺骨だけを家に持ち帰る人が
大半を占めるようになった。
(私自身も夫のもしも・・のときにはそのようにしようと考えている)


ここで、夫の「もしも・・のとき」を考えてみた。
当然のことだが夫亡き後に遺族である私がこの地域でこれからも
生活をしていく上で、夫の死を隠し通すことはできない。
また御焼香に見えた方々を、亡き夫の遺志のせいにして、
無碍に追い返すことなどは到底不可能なことでもある。

我が夫婦はお互いの「もしも・・のとき」には
葬式仏教の儀式は一切取り入れないことを約束しているので、
夫の「もしも・・のとき」には、
遺影写真なし、戒名なし、後飾りなしを遂行すると考えていたが、
直葬後に御焼香に訪れるであろう地域の知人や友人の数も
頭の中で明確に想定できるので、
どうやら、私が代筆している夫のエンディング・ノートに
遺影写真後飾りの追加という修正を迫られそうだ。

いや・・・でもやっぱり、後飾りはレンタルで済むが、
遺影写真は買い取りになる。
死者を悼む、弔うという気持ちは今は別問題として横に置いといて、
たかだか近所の方々の一時期の御焼香の為だけに、
遺志に反して、平均3万円もする四つ切サイズの遺影写真
作るってどうなのだろう・・。

我が家にも故義父母の遺影写真があるが、
居間に遺影写真を飾っておく趣味はなく、
それにいつも見張られているようで嫌だ!
という夫の意見で仏間も仏壇も無い我が家では、
遺影写真は押し入れの奥に入れたままになっている。

その昔、私の趣味の保存の為に使っていた
四つ切の額縁が捨てるに捨てられずに取ってあるので、
その額縁を利用して、終活の一環として今の内に
スナップ写真を組み合わせたアート感覚の遺影写真を手作りしておこうか・・。

などと考えつつ・・・ここで本日の本題に戻る・・。

「隣組の家族葬・・御焼香に行くべきか?行かざるべきか?」については
故人になられた方と生前に親しく、また遺族の方から直接知らされたら行く。
会釈程度の挨拶しか交わしたことのない人で、
遺族の方から直接知らされなかったら行かない。

なんだかドライな気がしないでもないが、
私が住む地域ではそれが今の家族葬の後の隣人の御焼香の常識らしい。
私もこのブログに気が向くままに終活記を書いてきて、
葬儀に対する考え方があまりにもマイノリティ過ぎはしないか?
と思うことも多々あったが、どうも、そうではないらしい。
なにしろ、私のようなよそ者ではない地元生れの人生の大先輩である
町の長老も肯定しているのだから・・。

人ひとりいなくなりても何事もなかったごとく薫風そよぐ
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テーマ : 今日のつぶやき。 ジャンル : 日記

tag : 家族葬 遺影写真 後飾り

「ハローワークで募集、見習い僧侶が通夜なんて」を読んで思うこと。
今朝の新聞記事、「ハローワークで募集、見習い僧侶が通夜なんて」を読んで、
葬儀を執り行った遺族の方々には申し訳ないが、その対応に苦笑いしてしまった。

何に苦笑いしたかと言うと、
『高野山真言宗の寺が、ハローワークで募った僧侶見習いに、
1人で死者を弔わせていた。わからない儀式は勝手に省き、遺族の怒りを買っている。』

の「遺族の怒りを買っている。」部分についてである。

僧侶見習いがわからない儀式を勝手に省略したこと等について、
遺族が怒りを覚えているそうな。

其の1
「ひどい。やり直してほしい。」
※納骨の儀式を省かれた女性(52)

其の2
「妹は成仏できたのか。随分ばかにしている。」
※妹を亡くし、布施と寄付金計200万円を払った女性(80)

其の3 
父親を亡くした50代女性は遺言通り戒名を「大居士」
「居士」に準ずる「信士」を希望したら、住職に
「恥ずかしくないのか」と罵倒され嫌な思いをした。



今も多くの日本人は葬式仏教というビジネス戦略によって創られた
極楽浄土とかいう異次元世界を信じているのだろうか?

大多数の日本人の死生観から鑑みて、
遺族にとっては葬式仏教での葬送儀式は大事なこと。
であることは、致し方のないことだとは思うが、
死者の魂を利用してのビジネス葬式仏教を全面的に肯定してありがたく思い、
多額のお布施で読経を依頼し、戒名ソフトで作った高額な戒名を授かり、
祭壇の立派な葬送の儀式をしたからといって、
物言えぬ肉塊と化してしまった死者にはなにも通じない。
それに、自分には縁のない無名の死者のことなどすぐに忘れてしまう世間に対して
ただのビジネス用に創られた様式に乗っ取った
儀礼だけの葬送を行う必要があるのだろうか?


「本人の意思で仏教に帰依して真面目に修行した
僧侶であっても法力があるわけではなく、
煩悩深きただの人間です。もちろん、私もそうですが・・・」と、
故義父母の菩提寺の僧侶が雑談中に自らの口で語っていた。
もちろん、私も初めから僧侶の法力など頭から信じていなので、
もしも、「Buddhism exorcismus」(仏教のエクソシスト)
のような法力のある僧侶に遭遇でもしたら、
少しは葬式仏教に対する考え方が少しは変わるかもしれないけれど、
まぁ、無理でしょ・・。

昨年、その僧侶の魂抜きの儀式(お経だけ)によって、
夫の実家の仏壇を閉じたが
その報酬=お布施が3万円と聴いて唖然とした。
銭欲の煩悩ばかりで何の法力もないのにさ・・(ーー;)


思うに、ハローワーク募集で雇った僧侶見習いの経文だから、
死者は成仏できないわけでもなく、
また、戒名が「大居士」だからといって、魂の格が上ということでもない。
それに、お布施と寄付金計200万円を払ったからといって、
あの世で高い位に行けるわけでもない。


ビジネス葬式仏教の金儲けに利用されて遺族が怒っても、
死者にはそんなことは知る術もなく、
あくまでも、遺族の世間に対する見栄でしかない。

この歳になるまで、何回も葬儀に参列してきたが、
僧侶3人が経文を唱えていた大枚をかけたであろう、
立派な葬儀といわれる葬送はあまり心に残らず、
僧侶のお経無しで、火葬のみの質素で
倹しい葬送のほうが心に残る場面が多く、
死者を悼む気持ちも強かったと記憶している。

来世の存在とは宗教家の金儲けの手段のために創られた
想像上の世界でしかない。

要は、本当に遺族が死者を真摯に悼む気持ちさえあれば、
高額な戒名も必要ないし、
立派な祭壇での葬送儀式や僧侶の形式だけのお経などなくても、
死者は安心して成仏?できるのではないだろうか。


だが、成仏という言葉も生きている人間が勝手に
願望しているだけのことであって、お布施の額や僧侶の経文だけで、
死者が仏に成ることはあり得ない。


ハローワーク募集で雇った僧侶見習いに、
わからない儀式は勝手に省かれても、
また、怪しげなお経であの世に送られたとしても、
死者は何も答えず、二度とこの世に戻ることはない。

新聞記事の怒りの中にあるのは、成仏という仏教用語に名を借りた、
これからもこの世で生きていかねばならない、
遺族たちの世間体と見栄でしかない。

私ね・・・もし夫が先に逝ったら、誰もいないところで怪しげなお経を読み、
聖書もコーランも読んであげようと思ってるの。(^^ゞ
西方浄土、天国、完全無の世界・・どこでも好きな処に行けるように。(^_^.)

誰一人戻って来られぬその場所はきっと無常の雪降るところ
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テーマ : つぶやき ジャンル : 日記

tag : 葬式仏教 死生観 葬送儀式 ビジネス葬式仏教 戒名 Buddhism exorcismus 法力 魂抜きの儀式 来世の存在

懺悔と後悔と怨念と・・昔のお嬢様たちの葬送のときのためのBGM候補曲
今日も市営プールで水中歩行中にプー婆友とプー爺友と、
相変わらずの他愛のないおしゃべりをしていたら、
もうすぐ100歳になられる御尊父様と二人暮らしをしている未亡人のA子さんが、
御尊父様が書き留めたというエンディング・ノートの中身について話を始めた。

わしはもうすぐ100歳じゃて。
老稚園(デイサービスのことをそう呼ぶらしい)に行くのはもう飽きた。
それに、どんなに頑張って老稚園に行っても、
そんなに長い命ではないだろう・・。

わしは多分、老衰で死ぬだろうから、苦しまずに逝けるだろう。
なので、終末期については延命措置は一切無用である。
ところで・・わしの葬儀であるが、自分の葬式代は現金で準備してあるので、
その範囲内で、残された者たちの世間体も考慮して好きにして欲しい。
だけど、線香臭い仏式だと、先に極楽に行って、
わしを待っている婆さんの処へ行かされるかもしれない。
それは死んでも嫌だ。
できれば、「酒が美味いし、ねえちゃんは綺麗だ。」の天国に行きたいので、
葬送の曲は「帰ってきた酔っ払い」を流して、
献花方式のキリスト教風な無宗教の葬儀にして欲しい。



とのことであった。




婆様たちは、
「ずいぶんとハイカラでおしゃれでユーモア感覚のあるお父様なのねぇ。」(*^_^*)
と、大絶賛しながらも大爆笑していたが、
爺様たちは、フン・・(;一_一)という顔をして、
「やっぱり、普通の仏式でないと往生できないんでないかい?」とか、
「世間並みが一番でないかい?」的な、葬式仏教から刷り込まれた
ステレオタイプな葬儀形態から抜けられない人が多いようだ。
それでも、中には葬式仏教に疑問を感じている爺様たちもいるようで、
希望する自身の葬送の話で大いに盛り上がり、
その後は自分たちの葬送のときに流して欲しいBGMの話でもちきりになった。



取りあえずの葬送のときのBGM候補曲 (年齢は50代後半から70代後半まで)

A子(未亡人)・・千の風になって


B子(未亡人)・・忘れな草をあなたに


C子(夫在り)・・今日でお別れ


D子(夫在り)・・恨みます


E子(夫在り)・・ざんげの値打ちもない

F男(妻帯者)・・ゴッドファーザー 愛のテーマ


G男(やもめ)・・枯葉


H男(妻帯者)・・ロッキーのテーマ



葬送のBGMに相応しい曲もあれば、
悲しみを装わなければならない場において、
まったく合わない曲もあるが、それらの曲には何かしらの拘りか、
今も脳裏に燻る忘れ難き思い出のある曲なのだろう。

それにしても、未亡人や奥様を亡くされた方々は、
それなりの葬送に相応しいBGMを選んでいるが、
妻帯者と夫在りの人は、どちらかと言えば、
葬送には相応しくない?BGMを選んでいる傾向にあるのが面白い。

自分の葬送のときにD子の「恨みます」とか、
F子の「ざんげの値打ちもない」などを流されたら、
遺族、特にご主人様はどんな顔をしてどんな気持ちになるのだろうか?(^_^;)
まるで、長年の結婚生活を全否定するような、
怨念ダイイング・メッセージに聴こえるのではないだろうか・・。

だが、懺悔後悔怨念の歌を葬送のBGMにしたいというお婆心理は、
今現在の日常生活の反映なのだろう。
「恨みます」を選んだD子さんなどは、
プールで会う度に「私は家族の中では家事をするためだけの奴隷なのよ・・・(ーー゛)」
といつも嘆いている。


ちなみに私(6?歳)は死亡後は即○○医科大学解剖学教室への
献体希望なので葬儀はしないけれど、
もし、遺骨が返還された後の海洋散骨の折りには、
別涙「わかれ」雪が降るEkseption の The 5th、
パラノイドの4曲を交互に流して葬送の曲として流して欲しいな。
多分、パラノイドは却下されるとは思うけど・・。(^_^;)







限りある時間であらば残り火は憎悪の灯より愛の灯にしたき 
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tag : 老稚園 ステレオタイプ 葬送のBGM候補曲 懺悔 後悔 怨念 ダイイング・メッセージ 別涙「わかれ」 雪が降る Ekseption

パートナーの「もしものとき・・」のエンディング・プラン

NHKクローズアップ現代「お葬式が出せない どうする“葬送の場”」
葬儀の常識が覆されている。去年の死亡者数は126万人と10年前に比べ30万人増え、
斎場や火葬場は各地で混雑。亡くなった後、葬儀まで1週間以上待つ遺族が増えているのだ。
遺体をどこに安置するか?忌引きの休みは足りるか?驚き戸惑う遺族。
「安置室の費用がかさんだ」
「自宅で遺体が変色し可哀想だった」「心の整理がつかず疲れきった」。
背景として、都市部では低価格・短時間での葬儀にニーズが高まり、
通夜から火葬まで行える「火葬場併設斎場」に予約集中。
一方、高齢化するベッドタウンなどでは火葬場そのものが不足する。
近隣の迷惑施設である火葬場の新設や改築は難しい状況も見えてきた。
葬送の場をどうするのか?長く待つ遺族や各地の実態を取材、対策を考えていく。



録画しておいた『NHKクローズアップ現代「お葬式が出せない どうする“葬送の場”』を観た。

我が夫は団塊世代。
「お葬式が出せない どうする“葬送の場”」の時代にぴったりと合致する。
今後、昭和22年~24年の第一次ベビーブームに生まれた人たちと、
その前後に生まれた私を含む人たちが死に絶えるまでは
葬祭ホールも火葬場もフル回転どころでは済まなくなり、
特に火葬場などは3交代制で24時間操業にしないと、
とてもご遺体をさばき切れないんじゃないかと思ったりもする。


今日、プールに行ったら、プー婆友のF子さん(72歳)が、
彼女の自宅近くの○○公会堂で開催された、
エンディング・プランセミナーに行ってきたそうな。
F子さんの御主人様は先月に○○ガンの手術を受けた。
今後・・他の部位への転移や再発も有り得るので、
もしもの時のことを考えたら、彼女が喪主に成らねばならない。
そのときに慌てないようにとの思いから、ご主人様には内緒で
エンディング・プランセミナーに参加してきたそうである。


またもう一人のプー婆友(63歳)は、特養に入所されている御母同様(91歳)が、
最近嚥下力も弱くなりつつあり、頭の中も、クリアなときよりも、
ボケている時間が長くなってきて、お見舞いに行っても「あなたはどちら様?」
と訊かれることが多くなってきたと嘆いている。
多分近いであろう、御母同様のお迎えの時を想定して、
数社の葬儀ホールの見学に行ってきたそうな。
そして、一応は第一候補となる葬儀社を見つけてきたそうである。



夫婦の場合、夫よりも妻のほうが長生きをする確率が高いという
厳然たる生物学的事実は覆すことができない。


先日、私は弟の葬送を経験してきたばかりである。
弟の妻(50代前半)は、自分たち夫婦の老後や
エンディングのことなど全く考えていなくて、
ましてや配偶者の死など論外中の論外の出来事であったらしい。
50代前半ではしかたのないことかもしれないけれど、
私はそのとき、弟のエンディングにおける弟の妻のパニック振りを見るにつけ、
我が夫の「もしものとき・・」のエンディングの知識を身につけ、
また経済的準備も早めに!と思うしかなかった。



第一に、我が夫が亡くなったときには、
果たして何日間火葬を待たされるのだろう?
その間の遺体安置はどうする?と考えてしまった。

それに、夫は「自分のエンディングなど考えたくもない。
どうせ僕が君よりも先に死ぬんだから、
僕のエンディングはあなたが勝手に決めてやってくれ。」と言っている。


先ずは死亡後に遺体を自宅に安置するかどうか?を考えた。
家ねぇ・・・。道路から玄関まで階段もあるし、
玄関ドアまでの通路も狭いし、居間も狭いしちょっと無理だわ。
2階に運ぶという選択肢もあるが、階段が直線ではないのでそれも無理・・。

で・・・安置費用のかからない葬儀社を探したら、
火葬の日まで何日間でもご遺体の保管料金がかからないサービスが売りの
葬儀社が同じ区内にあったので、
現段階での第一案として、夫の死亡時はその葬儀社に頼むことにした。
そうすれば公営斎場で火葬にできる。

次に葬儀はどうするか?
直葬という葬送のしかたが注目を集めだした頃に、
「俺も直葬でいいよ。遺骨は海に撒いて欲しいな。」と言っていたので、
子どもと夫の姉たち3人に夫の死亡を知らせ、
故人(まだ死んでないけど。(^_^;))の遺志を尊重して
直葬のみで執り行いたいと思う。

そして、後日、爽やかな季節を見計らって、散骨クルーザーのチャーター予約をして、
海洋葬という本葬で東京湾に遺灰を撒いてこようと思っている。
そして、その後海の見えるレストランで会食をして散会とする。
海洋葬=散骨の場合、近隣の船への配慮で喪服は禁止であるそうな。)

ちなみに海洋葬プランの料金は、クルーザーへの乗船人数により変動するが、
15人前後の場合は仏教式葬式の戒名代とお布施の合計額の半額程度しかかからない。


経済的に余裕のあるご遺族の方々は、
立派な祭壇と位の高い戒名を選択して葬式代に何百万円もかけ、
「ご立派なお葬式だったわねぇ。」
と、世間様に褒めちぎられるのも良し。

経済的に余裕のない私のような貧乏人は、
残された私の老後の生活のために火葬だけの地味な葬儀を執り行い、
「ボケ田さん家は随分と質素な葬儀だったそうよ。」
と言われるも良し。

「人の噂も75日」と言うが、
地域のコミュニケーションも希薄というか、
ほとんど無いに等しい我が地域(一応は都会)では
地味な葬儀をしたボケ田家のことなど「人の噂も7.5日」程度で、
完全に忘れ去られることだろうて・・。(;一_一)

そして、火葬後は、ほんのひと握りの遺灰を私の手元に置いておき、
夫が会社を定年退職してから毎日出勤している、
大好きな野良仕事の場(畑)から風に乗せて、千の風になってもらおうと思う。
夫のお墓は大海原と吹き渡る風・・。
海を見るたびに、また、頬を過ぎる風に気付いたら、
いつでも故人になった夫を思い出すことができる。


今日現在の夫のための第一案のエンディング・プランで、
「お葬式が出せない どうする“葬送の場”」
はなんとかクリアできそうだが・・・

それにつけても、我が夫。
先の特定検診では、どこも要注意箇所はなかった。
夫のためのエンディング・プランもしばらくは実行することはないだろう。
でも、転ばぬ先の杖はないよりはあったほうがいい。

それに、現在では超高齢化社会の多死を見込んでか、
次から次に直葬家族葬専門の葬儀社が新規開業しているので、
半年に一回程度は見直しをしようと思う。


そのときは突然にやってくるもの。
気が動転しているのをいいことに、初めに決めた葬儀プランとは別料金の
オプションを次から次に勧められて、
世間体や見栄で余分なオプション契約をしてしまい、
予算がとてつもなくオーバーして、
「こんなはずではなかった・・。なんなのよ!あのぼったくり葬儀社は!?」(>_<)
と怒っても泣いても、後の祭りだものね。

葬送で大事なのは、豪華な祭壇より、また参列者の人数より、
心から故人を悼む心よ。
と思うのは貧乏人の僻みなのだろうか・・・・・・。


だけど、夫のためのエンディング・プラン実行前に
私が先に逝っちゃったりしてね!(^_^;)

雪が舞う麗月の真夜に人知れずわたしは静かに永眠(ねむり)たいのです
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tag : エンディング・プラン 直葬 家族葬 葬儀社 安置費用 葬式仏教 海洋葬 千の風

献体すれば葬式代も墓代もかからないという世間の常識は間違い。
つい先日、一人暮らしの知り合い(70代前半女性)が、
「お墓は買えないし、葬式代もかけたくないので献体しようと思うのよ。」と言う。

世間では献体は葬儀代節約のための手段のように思われているらしいが、
そのような、葬儀代の節約のための安易な動機で献体登録を希望するのは、
死に対する心構えとともに献体という厳かな趣旨をはき違えていると思う。

私が登録している大学から、年に2回送られてくる献体登録者の投稿冊子には
登録されている方の献体に対する崇高なボランティア精神の思いや、
ご遺族の方々の故人の献体に対する思いなども載っているが、
その中では、ほとんどの方々が通常の葬儀(家族葬、密葬、一般葬)を執り行い、
その後に献体をしている。
ただ単に葬式代を浮かすためだけの安易な気持ちで献体登録をしている人はほとんどいない。
つまり、通常の葬儀後に献体をしている人が多いということになる。
そして、ただひとつだけ通常の葬儀に欠けている部分は「火葬」だけである。

それでも、おくりびとが葬儀代金が無い・・という場合は死亡した病院から、
大学の解剖学教室(24時間体制)に電話をすれば、
係の者が提携している葬儀社に連絡をして車で遺体を引き取りに来てくれるが、
故人となられた方とご遺族の方が事前に話し合い、又は書面に書き記して、
葬儀はしないことを納得しているのなら、そういう場合はなんの問題もなく、
世間で言われるように「献体すれば葬式代はかからない」は当て嵌まる。

葬儀は故人ではなく遺族の世間体や義理や心の収め方のため執り行う儀式である。
果たして、どれだけの遺族が
「病院からそのまま献体登録をしている大学の解剖学教室の安置室へ直行!」
のごとき、そのような見送り方に納得ができるだろうか。

生きているときは憎たらしかった意地悪爺さんや意地悪婆さんも、
または認知症で手に負えなかった人でも、
故人になれば言葉の上では急に良い人になる。(^_^;)
見送り方も迷うかもしれない・・。

私の場合、今まで家族以外の人のため、また世のためには何ももしてこなかった。
そして、多分これからも、経済的、時間的、また身体的理由で
自分のことだけで精一杯で、世のため、人のために身を捧げることはない。(^^ゞ
そうなると、死んでからの自らの身を持ってしか、
人のため、世のために身を捧げる方法はない。


献体は、防腐処置の関係で、なるべくなら活きの良い遺体がいいらしいので、
私が死んだら、何が何でも死亡した病院の霊安室から、
そのまま大学からの引き取りの車に乗って、大学の解剖学教室へ!」と
エンディング・ノートに書き記しているが、
残った家族が私の希望通りにしてくれる保障はない。


ちなみに、献体登録をしていても、
登録先と遺体の搬送先が大学病院だと勘違いしている人も大勢いる。
登録先と搬送先は大学病院ではなくて、
医科歯科大学及び医学部のある大学の解剖学教室が正しい。


献体から2~3年後に解剖実習が終わり、
火葬をするときに火葬場に遺族が呼ばれる。
火葬費用は大学負担でお見送りをするが、
その時に柩の中の遺体を見ることはできない。
そして、骨上げした遺骨は遺族が引き取ることが原則である。
だが、身寄りがいない人や、生前に親しくしていた人も一人もいない、
という場合だけに限って、合祀してくれる大学もあるらしいが、
私が登録している大学は遺骨は遺族が引き取ることになっていて、
合祀などはしてくれない。


それに、家族の同意(自署での署名と捺印・・
私の場合は兄弟姉妹と配偶者の同意が必須だった)
が必要なので、自分の意思だけでは登録できないシステムになっている。
独り暮らしでも、戸籍上の配偶者、同居別居を問わず親、子、兄弟姉妹が居れば、
それら全員の同意が必要になる大学もあるらしいので、
献体を希望しても、血縁関係が疎遠になっている人は、
先ずは関係の修復が必要になる。

経験上、献体希望者は、先ずは親族の同意を得てから、
登録申し込み書を送って貰う方がいいと思う。

福祉切り捨てが加速している今、
超高齢化の多死時代に死ななければならない私の世代・・
「献体をすれば葬式代がかからないし、
お墓も買わなくていいという世間の間違った常識」
も、個々のエンディングのひとつの選択肢として否定はしないけれど、
今現在、献体登録希望者は掃いて捨てるほどいるらしいので、
死ぬまでに登録できるかどうか判りませんぞ。(^_^;)

前述の知り合い女性は、数件の大学から、
「現在は間に合っております。」と言われているらしい・・・。
20617r
狭庭辺に青きあじさゐ咲き乱る優しき雨に初夏のさざなみ
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tag : エンディング・ノート 多死時代 献体登録 解剖学教室 火葬場

葬式仏教からの決別宣言
ひとつひとつ確認しながらの人生最後?の身辺整理が遅々として進まない。
今日は日記類の整理中であったが、
「母の葬儀の記・・死亡連絡から三回忌まで」が目に付いたので
改めて読み返してみた。

私が母死亡の連絡を受け、新幹線とローカル線を乗り継ぎ、
やっと実家に駆け付けたときには、
喪主も葬儀社も葬儀ホールも葬儀の規模もすべてが決まっていた。

母は20年近くも特養に入っていたので、
親戚付き合いはほとんどなかった。
なので・・家族だけで、こじんまりと自宅で葬儀をするとか、
母と付き合いのあった親戚はどの範囲まで連絡をするか?
などのことを少しぐらいは私の意見も聞いて欲しかったが、
実家の近くに住む妹とその夫が葬儀社の手配から
お寺への連絡までのすべて仕切っており、
死亡連絡から通夜、葬儀、火葬、初七日、精進落しまで、
私の出る幕は一切なかった。
名家でもなく、由緒正しい家でもない我が実家である。
地方都市とはいえ、昔ながらの地域の慣習による葬儀形態も消滅してしまった今の時代に、
何が何でも、世間の常識に右に習えの仏教式葬儀は今の時代にそぐわないと私は思った。

それから、我が実家のある地方紙では地域版に無料で死亡広告が出せるので、
一応は掲載だけはしてもらった。
そして、葬儀の翌日に、「死亡広告を見ましたのでお悔やみに・・・」
と訪ねて来た人がいる。私は亡き母の知り合いかと思い、
丁重にお相手をしてお茶まで出したのだが、
その人の正体は地元の仏壇と墓石のセールスマンであった。(^_^;)
仏壇も墓石も既にあるので早々にお引き取りを願ったが、
後にも先にも、新聞の死亡広告を見て訪ねてきた人は
そのセールスマン一人しかいなかった。
結局、母の遺骨は母が生前に準備しておいた墓に当然のごとく納骨された。


私は叔父と一緒に会計役を仰せつかり、確認し合いながら、
収入(香典)や支出を一円も間違えることなく記載していたので、
お金の流れと用途が一目瞭然であり、
葬儀費用で一番多い支出は
お布施や戒名料に代表される寺に払うお金である。」ことに唖然とした。
たかだか、通夜と葬儀、火葬後に執り行う
初七日に各10分程の読経で各3万円也(事前に住職がお布施額を言った)を払い、
住職に来て頂く度に御膳料(5000円)とお車代(5000円)も払った。
そこに戒名料が加わる。
遺族は最低ランクの「○○○○○信女」でいいと考えていたが、
住職は頼みもしないのに、「○○○○○大姉」の戒名を付け、
戒名料は30万円であった。
世間相場から言えばかなり安いとはいえ、
葬式専門仏教宗派の御本尊様であらせられる釈迦牟尼仏様は
戒名料で差別する御存在であらせられるのでありましょうか・・(^_^;)

そして、四十九日に納骨をしようと思っていたら
お寺の隣の墓石屋さん(80代のヨボヨボ爺さん)が急病とかで、
カロートを開けることができずに、
納骨は一回忌にすることにしてお寺に預けることにしたが、
そこにも預け料(年間一万円)がかかる。
さらに、四十九日、一回忌(納骨)、三回忌はお寺の本堂を使わせて貰ったが、
そのたびに、3万円+御膳料(5000円)とお車代(5000円)を払った。
他には花とお供えの果物も必要と住職の奥さんが言うので、
その代金(5000円相当)もかかったが、
花とお供えの果物(高級メロン2個)はお寺の御本尊様のお供えとして
置いてくるものだと聞いたのでそのままお供えをしてきたが、
御本尊の釈迦牟尼仏様がメロンを召しあがるわけもなし、
食べ頃の高級メロン2個は住職とその家族が食べたのだろうか?
と気になった。
私も食べたことがないような高級メロンだったことを
思いだしたのでありました。(笑)

考えると、こちらがお寺まで車で行ったのに、
どうして住職にお車代(5000円)も払わなければいけないのか?
実際の葬儀代金の約半分は、領収書の出ない寺の収入になることに、
私は今も納得がいかないでいる。

そして、檀家会には強制的に入会しなければならず、
維持費(年間一万円)も払わなければならない。
奉仕活動(墓地の清掃作業等)もあり、
実家が檀家契約している寺は、本堂が今にも崩れ落ちそうなので、
そのうち多額の寄付を募ることがあるかもしれない。
一度檀家になってしまったら、こちらから檀家契約を破棄をするまでは、
子孫代々まで、あるんだかないんだか、誰にも判らない「死者の霊」というものを
利用した寺の住職とその家族に給料を払っているようなものなのかもしれない。

実家に負けず劣らずに我が家も名家でも旧家でもなく、
金目のものなど何もない都会のウサギ小屋に住む私と夫が、
どちらが先にあの世に行くかは判らないけれど、
死に因ってこの家から居なくなっても、
家としての歴史も守らなければならないモノも尊厳もなにもない。
古くなった家は子どもたちの意思で解体され、
土地は更地にされて売り飛ばされ、
土地の売却額は法定相続分で分けるのがオチだろう。
親の死はそのときは悲しく?ても、老いて寿命で死んだのだから、
当たり前の自然の摂理と受け止め、相続の面では子どもたちは喜ぶだろう・・。( 一一)

いやちょっと待って・・。親の死が悲しいかどうかなんて判らないわよね。
例えば私が認知症で紙おむつをしていて、そこらじゅうを徘徊しながら、
何回も交番の御厄介になっていて、100歳ぐらいまで生きたとしたら、
親を亡くした喪失感よりも、「やれやれ、やっと逝ってくれたわ。ヽ(^o^)丿」と、
心の中では大喜びをし、安堵感のほうが大きいかもしれないわね。
ホントにボケたら周りは迷惑この上無いかもしれないけど、
本人は死の恐怖からも解放されて楽に死ねるかもね。

想像上の我が将来のことはさておき、
寿命を全うして亡くなった人の葬儀や供養は、
残された遺族がやりたい方法でやればいいと私は思う。
昨今、私の知り合いや親戚でも、葬儀は家族だけでの無宗教葬が増え、
仏式にこだわる人たちでも、法事は家族だけですることが多くなった。
格のある名家で、どうしても仰々しい葬儀や法事でなければならない家は、
豪華にやればいいし、私のような名も無く貧しき者は、直葬の後に
「故人を偲ぶ会」として食事会でも執り行えば、
私の実家の場合で計算すると4万円(お布施3万、御膳料5000円、
お車代5000円)が浮く。
4万円もあれば、家族だけでの自宅での「偲ぶ会」は
食事だけでも立派に開催できるはずである。


しょうもない思い出話と世迷言ばかりが長くなったが、
ここからが今日の本題である。


一昨日、我が夫が、孤独死孤立死の新聞記事を読んでいて、
「明日はわが身だなぁ・・・・・
死んでしまった者に葬儀で大金をかけるのもなぁ・・
そうだな・・俺のときは、
あなたと子どもたちの今後の生活と社会生活を優先してくれれば、
直葬でも、平均的な葬儀でも、無宗教葬でもなんでもいいよ。」

と自分から終活話を持ちだしてきた。

やっと夫自身の終活に対する思いを言葉で確認できたので、
夫が先に逝った場合は葬式仏教からは決別し、
直葬or無宗教葬で永別の儀式を執り行うように腹積もりをした。

将来的に子どもたちが、檀家の維持費や寄付等を払ったりの金銭的負担や、
寺への奉仕活動や手間とは無縁になることだろう。

そうは言っても個人の宗教に対する価値観の違いを否定はできないので、
極楽浄土を信じる人や、信じたい人。
また世間体でどうしても仏式での葬儀をしたい人は葬式仏教ですればいい。
それで心の安寧と安らぎを得られるのなら・・。


歴史的には、葬式仏教は曹洞宗が始めたらしいが、
まさに死者を利用した集金システムでしかないように思える。
そして、私から見れば皮肉なことに、我が実家は曹洞宗の寺の檀家なのである。



昨年の大震災の際にも、
位牌を取りに戻って大津波に吞まれて亡くなった方々もいたと聞く。
位牌さえなければ、大津波にまれることなく生き残れた人もいたかもしれない。
戒名ソフトで作成されたであろう?戒名が書かれた位牌と称される単なる木片に
生死まで分けられてはたまったものではない。

位牌や仏壇に開眼法要(魂入れ)をしたから、その木片には魂が宿っているとしたら、
仏教者は全員が超能力者ということになるが、そんな事実は誰が考えても有り得ない。
私には死者を利用した、総本山から末端の寺までの集金システムという
葬式仏教に組み込まれているご都合主義な儀式などは必要ない。

たまたま、期せずして検索に引っかかったお坊さんのブログを読むことがある。
そこには、「葬儀という別れの儀式をして、戒名を付けて、
読経をしないと死者の魂が成仏できない。」
などと書いてあるが、仏陀(釈迦)の本来の教義とかなりずれていることは否めない。
ということは、枝分かれした多数の仏教の宗派という存在における、
自分の宗派に都合よく誇張拡大された経済的問題なのだろう。

若くして不慮の事故や自然災害で亡くなれば、死別に伴う苦痛は大きく、
なかなか喪失感や悲嘆は癒えないだろうとは思う。
そういう時は、日本人の特性として、どうしても宗教者に、
祈りや供養を頼みたくなる心情は理解はできる。
だが、死者への鎮魂の祈りとは言うが、
実際は理不尽な死を遂げた死者たちへの鎮魂の祈りではなく、
愛する家族の理不尽な死を認められない残された家族への鎮静の祈りのように思う。

私のようにいつ死んでもおかしくない死亡適齢期に入った婆さんならば、
「彼女の寿命だったのよね・・。」程度で、私の死は簡単に片づけられるだろう。

いつになるかは判らないが、私は確実に死ぬ。
そして、そのときに真実が判るだろう。
日本の宗教文化の中での「成仏」とは、Wikipediaでは、
『死後に極楽あるいは天国といった安楽な世界に生まれ変わることを指し、
成仏」ができない、ということは、
死後もその人の霊魂が現世をさまよっていることを指していることがある。』

と書いてある。
仮に死が『絶対無』ではないのであれば、できれば死後は成仏などしないで、
霊魂になって現世と来世の間をゆらりゆらりと自由に永遠に彷徨っていたいものである。

冬春を分かつメロディ奏でつつ弥生の空に温き雨降る
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tag : お布施 御膳料 お車代 終活話 葬式仏教 成仏 釈迦牟尼仏 孤独死 孤立死

超高齢化社会で献体希望者が増加
献体とは、医学および歯学の発展のため、
また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、
死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、
遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに提供することである。


独り暮らしの友人B子から電話で「献体」の相談を受けた。
今現在エンディング・ノートを作成中なので、
この際思い切ってあなたのように献体という選択肢も視野に入れて考えたい。
何処に、どのように申し込むのか?と・・


「今現在は希望者が多すぎて登録できないかもしれないけど、
できれば家から近い医学部のある大学か医科大学に一応電話で聞いてみたら?」
と答えた。
 
彼女が言うには「えっ?大学病院に申し込むんじゃないの?」
との答えが返ってきた。

世間では献体というものはその程度の認識でしかないのだろうか・・。




ところで、「何故献体をしたいのか?」を訊ねたら、

子供に多大な負担をかけたくないのと、葬儀費用の節約を考えてのことと、
今現在臓器移植を待ち望んでいる人々の為に少しでもお役に立ちたいから。
と言う。

返事を聞いてまたまた唖然・・・

『「献体」と「臓器移植」とはまったく別次元のことであり、
それに葬儀費用の節約とは言っても、
葬儀とは残される者が自分たちの世間体や気持の整理のためにするわけだから、
献体遺体は火葬はできないだけのことで、葬儀を済ませてからの献体もOKなのよ。』

と、詳しく説明したが「献体」のなんたるかを理解して貰えたかは不明・・。




いつ見たかは忘れたが、タイトルのインパクトで売る週刊誌の広告見出しには、
「葬式を出すお金もない貧乏高齢者が続々と献体登録!」
などと書いてあったが、おいそれと登録できるものではない。

その昔は医学部学生の解剖実習用遺体が不足し、
死刑囚を解剖実習していたという噂話も聞いたが、
類のない加速度で進む超高齢化社会を迎えた今、家族関係も希薄化し、
献体でもして一切の葬儀関係をしない!と考えている人々も増えている。

友人B子も今申し込んでも満員(安置室の保存設備関係で・・)
だと断られるかもしれないが、
もし、献体登録への意思が固いのなら、
すぐに諦めずに登録希望申し込みを継続して欲しいものだ・・。


献体を受け入れる解剖学教室では、
防腐処置の必要性から出来る限り新鮮な遺体を望んでいる。
故人となった人が生前に希望しており、
その遺族の方も、通夜も葬儀も希望しないなら、
病院の安置室から電話をすれば、
解剖学教室の係の人が24時間対応で指定葬儀社の車で遺体の引き取りに来てくれる。
ただ、事故死、自死等で遺体の損傷が激しければ献体は無理になる。


私自身は十数年前に既に献体登録を済ましてある。
あの時も1番目と2番目に連絡した大学の解剖学教室では
「現在は満員に付き登録はできません。」と断られ、
3番目に連絡した医科大学でやっと空きがあると言われた。

ただ、配偶者と兄弟姉妹の自署による署名と捺印が必要であり、
兄弟姉妹はすぐに署名捺印をしてくれたが、
我が夫は署名捺印を約一年間渋った末にやっとOKしてくれた。

子供は私の希望通りにしてくれるとは思うけれど、
私が夫よりも先にあの世へ逝くことになった場合には、
その時点での我が夫の胸先一つでどうなるかは判らない。
献体登録先に遺体引き取りの連絡をしなければ献体はできない。

私が献体登録をした理由は別な機会に書くとして、
是非とも綺麗な遺体?で献体に望みたいと思う。
それに、手術で身体のパーツを切ったり貼ったり縫ったりしているので、
医学生の為にも、今後の医学の発展にも、少しはお役に立つとは思っている。

お断りしておきますが、献体はあくまでもボランティアであり、
登録しているからといって、その医科大学や大学の医学部が入院の際に
特権などは与えてはくれません。

私の献体は、私が生きた証としての最後のボランテァアであり、
私の生を支えてくださった皆様への恩返しと次世代へのご奉公だと思っています。
110303r
振り向けばそこはピエリス続く道永久(とわ)の眠りを惑わすような
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

「おくりびと」と「おくられびと」の狭間で・・
地方に住む親戚の90代の男性が亡くなりました。
との訃報電話が入り、泊まりがけで葬儀に行ってきた。

いつ会っても好々爺であった故人は、
「ワシは戦争中に憲兵をしていたときに、
自身を含め人間と言う生き物の本質はすべて見てしまった。
だから、ワシが死んだら、通夜、葬式、戒名、墓は一切不要だ。
火葬だけして、火葬後の遺骨は粉にしてからワシ所有の山に撒いてくれ・・
と遺言書に書いて置いたよ。」
と話をしてくれたことがあった。

だが、彼の遺言通りに事は運ばなかった。

施主であり喪主でもある故人の息子(60代)は、

「ナス代さんのような都会暮らしの人には判んねべと思うけんど、
このような農村部では遺言が有っても無くても、
葬式だけは地域の慣習に従わねぇと、村八分状態とまでは言わねげんじょも、
肩身さ狭くなって、此処で堂々と胸を張って暮らすのは難しいんもんだがらなっす・・」

と言う。


そして故人の遺志は無視され、かくも盛大な葬儀が営まれた。

だが高齢化の波には勝てず、昔ながらの隣組(皆高齢者)の人々の
手伝いによる振る舞い料理作りはできなくなり、仕出し屋に頼んだと言う。


葬儀中・・地域の人たちの話声が漏れ聞こえてきた。

「まっだくもって、立派な葬式だなや!」

「んだんだ!こんな立派な葬式は久しぶりだなっす!」

「国会議員のセンセイからの弔電も山ほど来てたみてだなっす。
 さすが○○家だんべや!」

「弔問客が300人を超えたんだど!死んだ爺ちゃんの人徳だべな!」

等々、人々は立派な葬式であることを口を揃えて褒めそやす。

このように、
弔問客の数と葬儀用花輪の数、国会議員のセンセイからの弔電の数等で
その家の格と故人の人生の集大成が決まる社会も在る。


逆に私が住む地域のように

「ねぇ・・○○さん家のお爺ちゃんだけど、
毎日同じ時間に犬に引っ張られて転びそうになりながら、
ヨロヨロしながら散歩をしていたのに最近全然姿を見かけないわねぇ。
体調が悪いのかしら?」
などとゴミ集積所で井戸端会議をしていると、

「あら、知らなかったの?この間亡くなったみたいよ。
それで、ご家族数人でひっそりと火葬だけの葬儀をしたらしいわよ。」


で終わる・・・。



人の世はそれぞれ、送り方もみんな違って当たり前・・。
バカボンのパパじゃないけれど、「これでいいのだ!」
と思いつつ・・・
今私が模索している、
生前に決めておく夫の為のフューネラル・スケジュール(葬儀予定表)について、
夫は「もう現役じゃないし、家族だけで見送ってくれる火葬だけでいいよ。
そして君が落ち着いたら、お別れ会形式で、会場には俺の好きなジャズを流しながら
笑い溢れる食事会でもしてくれたらそれでいいよ。」
と言っている。
自身の手で書いては貰えなくても、
生前に言葉で意志表示をしてくれるだけでも家族は助かる。
ではそうさせて頂こうと思う。




今年は11月までに喪中はがきが5通も届いた。
40代一人。60代一人。70代二人。80代一人。
それもなぜか全員が男性・・。


私もいつの日か夫を送る「おくりびと」から、子供に送られる「おくられびと」になり、
「母ナス代が享年100歳にて永眠致しました。」
と喪中はがきに印刷されるのだろう。

100歳まで生きられればの話だけど。
101202r
彼の人の訃報知らせる音がして郵便受けに枯れ葉舞い落つ
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Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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