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「自分で食べられなくなった時の選択」をどうするか――。考えよう、高齢者の死の迎え方。


 超高齢社会を迎え、90歳を超える人口が今後さらに増えることも予想されます。

 「『90歳の死の迎え方』を考える」(19日)で、鳥取のホスピス医、徳永進氏は、食べ物を飲み下す「嚥下(えんげ)という、ふだんは何でもないこと、それができるかどうか」が今後、国民的、国家的な課題になるだろうと予測します。

ログイン前の続き 胃へチューブを挿入し、そこから栄養を補給する「胃瘻(いろう)栄養」という方法もありますが、「誤嚥(ごえん)性肺炎のきっかけを作ること」になる場合もあり、悩ましい。

 「自分で食べられなくなった時の選択」をどうするか――。徳永氏は「子どもたちがつらい問題の答えを出さなくていいよう、当人が決めておく方がいい」と助言しつつ、「『決意』というのは意外と人間の腑(ふ)に落ちないもの」だともいいます。

 私たちはどうすべきでしょうか?

 「揺れないとたどり着けない。その動揺のそばで、相談に乗り、決断し(略)留(とど)まり、一歩後退し、少し休憩し、また相談しあい、実践するのが、医療や、看護、介護の人たちの、これからの大きな役割だろう」

転載元:http://www.asahi.com/articles/DA3S12578772.html
 


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テーマ : 伝えたいこと・残しておきたいこと ジャンル : 日記

死は誰にも平等に訪れるにも関わらず、数多の日本人は人生の最期を考えることを忌避しすぎ。最期を迎えるにあたっておろおろする時間がもったいない。
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Before__wind

RT @UniMistery: 『だって戦争に行きたくないじゃん!』というSEALDsに対して「自己中心、極端に利己的考えだ!」と激しいディスりをするけど、徴兵を匂わす発言が自民党から出ると、専門分野化した現代の軍隊ではメリットがないと自説を述べて戦争に行きたくないのは自分達だ…
02-21 15:21

RT @ohnojunichi: 小泉純一郎氏が総理大臣任期中、大手代理店がシンクタンクとなってつくられたという日本人の区分けです。有名になった『B層』という概念もここから生じました。 https://t.co/nHVuNV2Ed2
02-21 15:22

RT @nikapitch: 避難しないなんて愚かだ、死にたいのか、命が惜しくないのかって言葉。私はすぐ避難出来た訳じゃないから、何度も目にした。でも私に深く突き刺さったのは被曝が怖いなんて頭おかしい、ここは安全だっつうの、何食べても平気だってばw狂った母親で子ども可哀…
02-21 15:24

RT @boroboro2015: 美しかった国、日本安倍と小泉、そして官僚と日本会議、松下政経塾の皆様のおかげで、日本のよい点は完全に失われつつあります。もう何年かで戦後の60年ほどの時代のよさに気づくでしょう。 https://t.co/XeJZEzE7Sp
02-21 15:25

RT @bettybeat: バーニー・サンダース氏が学生の頃の抗議運動で逮捕された写真。本物なんだな。 https://t.co/oRtsx45egq
02-21 15:30

RT @tomzt1026: サンダースの健闘の報道を見聞きするにつけ、アメリカは日本より遥かに健全だと思ったりする。 https://t.co/ShY2SlNuon
02-21 15:33

RT @pavlova9655: 国歌 NO❗️国立大、続々表明。『そもそも税金は国民が拠出したもの。政府は分配者でしかない。予算の締め付けは厳しいが、各大学は、研究は人類のためにあることを忘れず、今後も踏ん張って自主性を発揮し続けなければならない』東京新聞 https:…
02-21 15:35

RT @mitsuru_kuroda: 赤旗日曜版(2月21日号)にも、拙著『マイナンバーはこんなに恐い!』の広告を載せていただきました。大竹しのぶさんのインタビュー記事の下とは光栄です。 https://t.co/kpzQa0h2kl
02-21 15:36

RT @raindrops98: みんなで合唱しています!辺野古首都圏アクション https://t.co/uM1x4C3E6K
02-21 15:37

RT @ukifune1974: https://t.co/U5nIpeZ5fehttps://t.co/1eufJuvrta>「放送法遵守を求める視聴者の会」>特に小田村四郎、加瀬英明、小堀桂一郎、西岡力の四氏は日本会議系論陣の中枢にいる人物>なおかつ「安倍晋三総理…
02-21 15:38

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テーマ : シニア(60歳以上)の日々 ジャンル : 日記

人は死ぬ・・。この事実から逃れることはできません。そして、歳を重ねれば重ねるほどその日は近くなります。故に、自分の人生の最終段階を元気なときに自己決定して文書にしたためておくと、残された家族も自責の念が軽減されるのでは?
前回の記事では、友人のS子のことを書きましたが、
今日はY子(64歳)の置かれている状況についてです。

Y子のご主人様は現在70歳。
一年前に町内の老人会の日帰りバス旅行からの帰宅後に
気分が悪いと言って倒れ、すぐに救急車を呼んで、
近くの救急病院に運んでもらいましたが、診断は脳内出血だそうで、
残念ながら、そのまま意識は戻らず、急性期が過ぎたとかで、
療養型病院に転院して、現在に至っているそうです。

Y子はその日から、
雨の日も雪の日(ほとんど降らないけど)も毎日面会に行き、
奇跡が起こって、早く意識が戻る祈りながら、
また、後遺症が残っていても良いから、
「目覚めてあなた~」と神に縋る思いで
ご主人様に話しかけていたそうです。

それが、Y子言わせれば、
そういう状態が一年も経つと人間は変わるそうです。
今では、病院のベッドで昏昏と眠り続けているご主人様は、
どこかの知らない男性に見えてきて、
「もういいわ」的な気分になってきてしまったそうです。
「主人は私の人生のパートナーとして生きている人間じゃなくて、
胃ろうで肉体の機能だけが動いているただの肉塊にしか見えないの・・」
と言います。
面会から帰るときに、
胃ろうの管を抜きたい衝動に駆られることも度々有り、
「もうっ!早く死んで私を楽にしてよ!」
と思うこともあるのだとか。
そして、長年連れ添ったご主人様に対して、
そう思ってしまった自分に対して自責の念に駆られ、
苦しみ悩む日々が続いているのだとか。

ちなみに、現在の療養型病院に移ったときに
「延命治療を望む、望まない」を訊かれたときには、
死の話はタブーの傾向が強い夫婦だったため、
そういうことを夫婦で話し合ったことは一度もなく、
ましてや、一年間も意識が戻らないとは夢にも思わず、
即座に「何があっても延命をお願いします!」
と答えてしまったことも後悔しているのだとか。
そして、「お互いの終末期医療や延命治療の有無は、
精神的にも身体的にも夫婦が元気なときに話し合っておくべきだったわ」
とも言っていました。
そして、彼女は自分の人生の最終段階についての要望書を書き上げて、
子どもに託し、ご主人様のことも含め、
「気持ちが少しだけ楽になった」と言ってました。

更には、Y子は最近では、
彼女の脳内では肉塊と化した人生のパートナーのベッドの傍で、
99%は自分の健康のため、残りの1%はご主人様が、
ただの肉塊から元の生きている人間の姿に戻るかもしれないという
儚い希望に賭け、ご主人様の耳元で声を出して本を読んでいるのだそうです。

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人は死ぬ・・。この事実から逃れることはできません。
そして、歳を重ねれば重ねるほどその日は近くなります。
夫婦ともに健在ならばパートナーに、
おひとりさま、もしくはパートナーが認知症ならば、
信頼できる肉親の誰かに、
天涯孤独の身ならば成年後見人に、
自分の人生の最終段階の希望を書面に記して、
信頼できる誰かに託しておけば、
死にゆく本人はもとより、
残された家族も自責の念が軽減されるのでは?と、
Y子の話を聴いてつくづく思いました。
そして、ときどきでも死を意識すれば、
限りある生の残り時間を、
ほんの少しでも悔いなく過ごせるような気がします。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 人生の最終段階の希望

桜の季節に期せずして両親を亡くした子どもに対する世間の冷たさと人の命の儚さを想う・・「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
40年来の知人から久しぶりに電話がかかってきた。
はてさて?彼女の身に何かあった?と思ったら、
案の定、彼女の身に重大事件が起こっていた。

彼女(A子65歳)は、脳梗塞に因る重度の後遺症で
長年寝たきりだった主人様を今年の2月に亡くされ、
晴れて介護から解放されて「おひとりさま」になり、
我が世の春を謳歌しようとしていた矢先に、
孫3人を引き取り親代わりになるかもしれない・・と悩んでいる様子だった。

事の始めは、
嫁いだ一人娘(K子)が、当時小学生と中学生の子ども3人を残して、
交通事故で3年前に即死した。
それでも、嫁ぎ先の姑(80代)が孫の面倒を見てくれているので、
亡き娘のK子ちゃんのご主人様(S男さん)は会社勤めを継続することができた。

ところが、3ヶ月前のある日、S男さんが、
体調が悪い・・と病院へ行ったら、
すい臓ガンでステージを5を言い渡され、即入院。
3ヶ月後には還らぬ人となってしまった。

両親が亡くなり、
「残された子ども3人の面倒は私がみますからご心配なく!」
と言い張っていた気丈な姑だったが、
如何せん、寄る年波には勝てず、
S男さんの葬儀の前日に室内で転倒して大腿骨を骨折して入院。
A子は亡き娘の家に泊まり込み、
孫たちの面倒と葬儀やら相続の書類集めやらで大忙しの中、
マンションの自治会長から、
「保護者であるご高齢のお姑様の回復もいつになるかわからない状態で、
このマンションに子どもだけで置いておくことは出来かねます。
お孫さん(現在小中高生)を引き取ってください。」と言い渡されたとか。


私は今後どうすればいいの・・?との電話だった。
「ねぎらいの言葉と共にいい方策が浮かんだら電話するわ」で、
その場は電話を切った後に、
20年程前に同じケースがあったことを思い出した。
そのときは、会社の男性上司が突然の病気で奥様を亡くされ、
当時小中高生の子ども3人を育てながら、
5時になると脇目もふらずにすぐに帰宅していた。
奥様を亡くされて一年後、その上司もやはりガンで亡くなった。
そのときにも町会長から、
「子どもだけでこの町内に住んでもらっていては困る。
親戚に引き取ってもらえないか?」と言われたそうな。
一番上が女の子が、「私は来年高校を卒業しますので、すぐに働きます。
弟二人の面倒は私が責任を持ってみます。
今まで通り、この家に置いてください。」と頼み込み、
渋々了承してもらったそうな。

自治会や町会の立場としては、無理からぬことかもしれない・・とは思うものの、
何か手立てがないものなのでしょうか?


ところで、私はA子にはなんと答えたらいいのか?
を模索中なのですが、立場が違えば、価値観も違う、
結局、答えはその人の来し方と置かれた立場の現実にあるので、
私には何のアドバイスもできず、ただただA子の心の内を忖度して、
彼女の葛藤を聴くのみに徹しましたが、
相続時の必要書類と手続きに関しては経験者なので
そういう事務的なことは知る限りのことは伝えたのでした。

それにしても、親を喪った子どもに対する世間の冷たさは、
昔から変わらないのもののようです。


幼子を残し、30代や40代で死ななければならない人もいれば、
私が通っているプールでのプー友のC子さんのように、
90歳の手習いで水泳教室に参加して半年で、
なんとか25Mは泳げるようになった♪と喜んでいる人もいます。

その人の生の時間を決めるのは、神でも遺伝子でも生活習慣でもなくて、
運命というものです。プー友の90歳のC子さんは、
飲酒(日本酒とワイン)は毎晩の喫煙者(一日20本)でもありますが、
認知症も現れず、いたって元気な超高齢者です。


マハトマ・ガンジーの遺した言葉に、
明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい
というものがあります。

私は60代ですが、この年まで生かされていることに意味がある。
と思いつつ、残り少ない生の時間を有意義に過ごしたいと思う
ソメイヨシノがチラホラ咲き始めたある日の午後の独り言でした。

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テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 明日死ぬと思って生きなさい。 永遠に生きると思って学びなさい

間近に迫り来る死に正面から向き合っている神経学者の想い・・「がんの転移がわかって 残りの時間、濃密に生きる」(ニューヨーク・タイムズから)
昨日の新聞記事で、死が目前に迫っている米国の神経学者の記事を読み、
自称、生半可なメメント・モリ研究家?としては、
備忘録として残しておくべき文言だと思いました。

1カ月前、私は自分が健康で、至って丈夫だとさえ思っていた。
81歳のいまでも、毎日1マイル(約1.6キロ)を泳いでいる。
だが、運は尽きた。
数週間前、肝臓にがんの転移がいくつもあることが分かったのだ。

 9年前、眼内黒色腫というまれな目の腫瘍(しゅよう)が見つかっていた。
腫瘍を切除するための放射線とレーザー治療を受け、
結局、そちらの目は見えなくなった。
私の場合、転移する可能性は低いと言われていたが、
運がなかったというわけだ。

 がんの最初の診断から9年という、
健康と実りある時間を与えられたことには感謝している。
だが、いまは死と正面から向き合っている。
がんは私の肝臓の3分の1に広がっていて、
その進行を遅らせることはできても、食い止めることはできない。


 残された月日をどう生きるかは、いまや私次第である。
力の及ぶ限り豊かに、深く、生産的に生きなければならない。
この点で私を勇気付けてくれるのが、
大好きな哲学者の一人であるデービッド・ヒュームの言葉だ。
彼は65歳で、死を避けられぬ病と知るや
たった1日で短い自伝「私の生涯」を書き上げた。
1776年4月のことである。

 「あっという間に消えてなくなるのだろうと、
いまは考えている」とヒュームは書いた。
「私は病の痛みにほとんど苦しまなかった。
さらに不思議なことに、私の体は著しく衰えたにもかかわらず、
生きる気力がそがれることは一瞬たりともなかった。
研究にはこれまでと変わらぬ情熱を抱き、
仲間といるときも同じように陽気でいられる」と。

     *

 私は幸運にも、80歳を過ぎるまで生きてこられた。
そして、ヒュームの享年65を過ぎて以降の15年間も、
同じように仕事と愛情に恵まれた。この間、私は5冊の本を出し、
自伝も書き上げた。ヒュームの自伝よりかなり長いもので、
今春出版の予定である。
ほかにも完成間近の本が数冊ある。

 ヒュームはこうも書いていた。
「私は……気質が穏やかで感情を抑えることができ、
開放的で、社交的で、陽気で愛情深いけれど、
悪意を覚えることはほとんどなく、
あらゆる感情が非常に中庸である」

 この点で、私はヒュームとは異なる。
愛情に満ちた人間関係や友情を謳歌(おうか)したし、
悪意を持つことはないけれど、
気質が穏やかだとはとても言えない。
私を知る人で、そう言う人は誰もいないだろう。
それどころか気質は激しく、過激なまでの熱意を持ち、
あらゆる感情がこの上なく過剰である。
 それでもヒュームの次の言葉は、
私にはことのほか真実に思える。
「いまほど自分の人生から距離を置いたことはないだろう」

 ここ数日、私は自らの人生をものすごく高い所から、
まるで景色でも眺めるように見つめてきた。
そして人生のすべての要素のつながりが深まるのを感じた。
これは私が人生を終えたということを意味するわけではない。

 その逆で、私は濃密に生きていることを感じる。
そして、残された時間の中で友情を深め、愛する者たちに別れを告げ、
執筆を進め、体力が許せば旅をし、
理解や洞察の新たな次元に到達したいと願っている。

 それには、大胆さや明敏さ、
気持ちを率直に言葉にすることが必要になる。
この世への借りを返そうというのだから。
でも、何か楽しいことをする時間もあるだろう。
何か馬鹿げたことも含めて。

 焦点がピタリと合い、視界がクリアになった気がする。
無駄なことをする時間はない。
心を向けるべきは自分自身であり、仕事であり、友人たちである。

もはや毎晩、ニュース番組を見ることはないだろうし、
政治や地球温暖化の議論に目を向けることもないだろう。

 関心がないというのではない。距離を置くということなのだ。
いまでも中東情勢や地球温暖化、
格差拡大は大いに気にかけているが、もはや私の課題ではない。
未来に属する事柄である。
才能ある若い人たちとの出会いが私にはうれしい。
たとえ、それが私にがんの転移を診断した人であってもだ。
未来は確かな人たちの手に委ねられているように思う。

     *

 この10年ほど、私は同世代の死をますます意識するようになった。
我が世代は風前のともしびであり、
その一つ一つの死に、ある種の剥離(はくり)、
我が身の一部が引き離されるような思いを抱く。
私たちが亡くなれば私たちのような人はいなくなるが、
そもそも、ほかの誰かと同じような人などいない。
人が死ぬとき、その代わりとなれる人はどこにもいない。
人が残した穴を誰かが埋めることはできないのである。
なぜなら人は誰もが、かけがえのない個人であり、
自らの道を見つけ、自らの人生を生き、
自らの最期を遂げる定めにあるのだから。
それが遺伝子や神経というものの運命なのだ。

 恐れていないふりなど、私にはできない。
ただ、私の心を大きく占めるのはある種の感謝の気持ちである。
私は愛し、愛されてきた。
多くを与えられ、お返しになにがしかを与えてきた。
本を読み、旅をし、考え、書いてきた。世界とのかかわりを築いてきた。
それは著者と読者との、かけがえのない交流だった。


 何より私は、この美しい惑星で、感覚を持つ存在であり、
考える動物であった。そしてそのこと自体が、
とてつもなく大きな恩恵であり、冒険だったのである。

 (NYタイムズ、2月19日付、抄訳)


 ◇神経学者 オリバー・サックス

 ニューヨーク大学医学部神経学教授。
映画「レナードの朝」の原作者としても知られる。

引用元:http://digital.asahi.com/articles/DA3S11635046.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11635046







一昨年、弟が59歳で亡くなり、私の友人たちも此の世から、
一人づつ消えていっている昨今、
やがては私を含めて全員が、此の世から消えゆく身なのだ。
ということをなんとなく実感はしているけれど、
どこか他人事に考えているもう一人の私がいることも事実です。

もがいてもあがいても、誰の身にもやがては訪れる死。
だが、その死が目の前に迫って来なければ、
その気持ちは例え家族であろうとも理解はできないと思います。


人体の神経については隅々までを知り尽くしているであろう、
神経学者のオリバー・サックス氏の
迫り来る死を前にしての気持ちを端的に現した記事を読んで、
私の人生の最終段階には、こんな風に思考を持っていけるだろうか?
と考えてしまいました。

此の世で何かを成し遂げたこともなく、今後も成し遂げることもなく、
やり残した研究の続きをせねば!のごとき仕事も欲も探究心ない。
何もない分、此の世への心残りも少ないはず。
と主観のみで自分自身を納得させていますが、
それでも、折に触れてときどき読み返しながら、
「人が死ぬとき、その代わりとなれる人はどこにもいない。
人が残した穴を誰かが埋めることはできないのである。
無駄なことをする時間はない。
心を向けるべきは自分自身であり、仕事であり、友人たちである。」

の言葉を、自身に何度も何度も言い聞かせたいと思います。

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テーマ : 備忘録的なもの ジャンル : 日記

tag : メメント・モリ オリバー・サックス

単身高齢化社会。そして、人間ならば避けられない死。あなたやあなたの親の最期はどれがお望みですか?孤独死、孤立死、それともアベ様の広報機関NHKが喧伝している国策のひとり死?
昨日、いつものプールでひと泳ぎした後に、
たまたま時間帯が合ったプー友数人でギャラリーで昼食中に、
生涯おひとりさまのY子さん(67歳)が、
先週のNHK「金曜eye」「ひとり死に備える高齢者ひとり死”への備え。」
を観たらしく、その内容を話し始めました。

番組で取り上げていた「ひとり死」が、
「私のような行かず後家にもなれず、行けず後家で人生を終えてしまう女には
誰にも迷惑をかけない潔い死に方だと思わない?」と番組を褒めちぎり、
私もひとり死するわ。と息巻いていました。


そこで、そんなにいい番組ならと、
帰宅後に録画しておいた「ひとり死に備える高齢者」を、
一週間遅れで観てみました。

現在「おひとりさま」の高齢者数は600万人だそうですが、
私の年代(60半ば)には生き地獄のような2025年問題が待ち構えています。
あまりにも人数が多すぎて、

① 特別養護老人ホームには入居できない。

② 治療しても治らないと判断されたら、病院からは追い出される。

③ 私の年金額では高額な有料老人ホームには入れない。

④ 在宅で介護してくれる家族はいない。

⑤ 子どもはいるが同居ではなく、仕事を持っている。

⑥ 仕事を辞めさせてまで、子どもに負担をかける気はサラサラない。

⑦ 緩和ケア病棟もホスピスも希望者が多くて対応できない。

では、どうするか?

私も番組で紹介していたNPO法人に100万円を払って、
介護保険の申請から、成年後見人の選定、遺品整理まで、
ひとり死するまでお世話になるしかないのかしら...(ーー;)
などとついつい乗せられそうになったのですが、
何故に、番組では“ひとり死”の利点ばかりを上げ連ねているのか?
の疑問が持ち上がりました。

単細胞の頭で考えましたら、
これって、アベ様のNHKが放つ、
介護が必要な高齢者とその家族に向けての国策の広報番組じゃん!
ということに気が付きました。

国は介護が必要な高齢者や重度障害者に対しては、
膨らみ続ける社会保障費を抑制すべく、
在宅介護推進に舵を切ったわけですが、
自宅で介護してくれる人がいなくては、どうすることもできません。
そこで、国としては、そういう人たちには、
在宅でひとり死をして欲しいわけです。
ところが、在宅でのひとり死を決断しても、死に至るまでの終末期にも、
在宅訪問医、訪問看護師、薬剤師、ヘルパーさんなどのお世話にならなければ、
“ひとり死”は迎えられません。

住み慣れた我が家で“ひとり死”をするには、
それなりのおカネが必要となります。
番組に出ていた在宅訪問医はおカネが無い人には無い人なりの
ひとり死も可能です。と言っていましたが、
おカネを払わなくちゃモルヒネも処方してもらえませんよね。
どういう意味で言ったんでしょ?
医療費を払わなくてもいい生活保護でも受けなさいという意味なのでしょうか?

番組では、92歳の末期ガンの女性を取材していました。
末期ガン特有の耐え難い痛みや不安が襲ってきたら、
手元のボタンを押せば、管を通してモルヒネが体に注入される
場面を紹介していましたが、臨終期にはボタンを押す力も無くなります。
ひとり死も結局は孤立死と同じなのね・・と思いました。




今現在の私には、100万円は出せない金額ではありませんが、
多死時代を迎える2025年前後にはNPO法人にとっても儲けどきですから、
多分、金額は上がっていることでしょう。
それでも、PPK(ピンピンコロリ)で逝けずに、
体を自由に動かせない状態になってしまったら、
行き場がなくてはどうしようもありません。

もし、期せずして「おひとりさま」になってしまい、
子どもの世話にもなりたくないのなら、
ひとり死しか選択肢はなく、番組で紹介していたような
NPO法人にお願いするしかないのでしょうか・・。

団塊世代の人々がこの世から死に絶えるまでは、混乱は必須です。
そして、彼の世に行くまでは、介護期も臨終期も生き地獄です。

できますれば、私としては夜間の睡眠中に、
意識を失ってしまうので、臨終時には苦痛を感じないらしい、
急性心不全でPPK(ピンピンコロリ)で逝きたいものいです。

哀しいかな、美人薄命と言われる時期は遥か彼方に過ぎ去りました。
しかたがありませんので、今から30年後にPPKが希望です。(^^;)
その後の事(行政検視の立会い等)は子どもか孫にお任せです。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : ひとり死 孤独死 孤立死

モルヒネでもコントロールできない激痛に苦しみながら、家族や友人を認識することすらできなくなる。そんな最期の姿に耐えられない・・11月1日、私は安楽死します。と宣言している脳腫瘍の米国人女性(29)の決断に想うこと。
昨日、プール友達のA子さん(59歳)から、「しばらくプールに来れないから・・」
と言われました。彼女は2年前から大腸がんを患い、再発を繰り返しつつ、
今までの3回は一泊入院の内視鏡手術で済んでいたらしいのですが、
今回は腫瘍の出来た場所が内視鏡手術では取れない場所にあるため、
開腹手術になるそうです。

そのときに、彼女が日曜日の夜に観たというTV番組、Mr・サンデー
の「スイスの安楽死ツアー」の話を始めました。

私もたまたま観ていたのですが、今週手術を受ける彼女に、
何も言うことはできません・・。観ていなかったことにして、
A子さんの話に静かに耳を傾けるだけにしました。

「私は再発を繰り返してやがては死ぬのよね・・。
前に入院したときに、最期はモルヒネでも痛みをコントロールできなくて、
激痛でのたうち回りながらそのまま絶命した人もいた、って聞いたことがあるの。
考えただけで怖くて怖くて・・わたしも、スイスでの安楽死も選択肢に入れたいわ。」

と言います。

私には、開腹手術を前にしたA子さんにかける言葉も思い浮かばず、
成す術も無く、ただただ、
「大丈夫よ!また元気になってプールに来れるわよ。
今までだってそうだったじゃない?」
と励ますことしかできませんでした。

ところで、私は今まで、がんの末期でも、緩和ケア治療でのモルヒネ投与で、
肉体の痛みは完全にコントロールできると思っていましたが、
「11月1日、私は安楽死します。」の米国人女性の言うことが
本当のことだとしたら、がん末期ではモルヒネでも
腫瘍の発現した部位に因っては、
コントロールできない激痛があるということですか?
どうせ死ぬなら「がん」がいい」などという本も人気があるようですが、
「がんは手出しをしなければ、痛まず穏やかに死んでいける。」
は本当なのでしょうか。

結婚して約1年が過ぎ、夫と家族を作ることを考えていたとき。
彼女は数カ月間の頭痛による衰弱に苦しんだ後、
今年の元旦に、脳に腫瘍があることを知らされました。
そして、 腫瘍の増殖を抑えるために、
部分的な開頭術による脳の側頭葉の部分切除を行いました。

 ところが4月、脳腫瘍の再発だけでなく、
腫瘍がもっと急速に進行していることを知りました。
そして医師から、もはやその進行は止められない状態であり、
このままだと余命がわずか6カ月以内であるという
残酷な事実を告げられました。
多くの脳腫瘍治療には放射線照射が必要ですが、
医師は、彼女の脳腫瘍が非常に大きいため、
「全脳照射」という治療を推奨しましたが、
彼女は、それによって脱毛、皮膚炎、
さらに通常の日常生活が送れなくなるなどの
深刻な副作用があることを知りました。

 その後彼女はいくつもの病院、医師の診察を受け、
数カ月かけて自らの病状と治療方法について出来うる限りの情報を集めました。
その結果、病気が治癒することはないこと、
医師が推奨した治療は自分に残された時間を破壊することになると知ります。
さらに、仮に自宅のあるサンフランシスコ湾岸地域の
ホスピスケアで緩和治療をしても、
そのうちにモルヒネでもコントロールできない激痛、
それに伴う人格の変化、
そして身体を動かすこともままならないどころか会話もできず、
愛する夫や家族、友人などを認識することすらできなくなる
苦しみに陥ることも......。
しかも、そんな見るに忍びない自分に何もしてやれず、
ただじっと見守ることしかできない家族のことを考えました。

引用元:http://www.huffingtonpost.jp/foresight/euthanasia_b_6039600.html


11月1日まで後4日・・・
米国人女性、ブリタニー・メイナードさんは、
自らの意思で、死ぬことを自己決定した日に神の身許に逝かれるのでしょうか。

死の自己決定権に端を発しての生きる権利と死ぬ権利の議論は、
団塊世代の多死時代を迎えても、死をタブー視する日本の死生観からして、
今後も日本では盛り上がることはないでしょう。



私が50代のときに入院していた病院での話です。
同室の女性(当時30歳位)は乳がんでしたが、
肉体的苦痛ではなくて、精神的苦痛からだと思うのですが、
突然、死の恐怖に苛まれたらしく、病棟中に響き渡る悲鳴を上げ続け、
翌日強制退院させられました。
一時的な鎮静剤や精神安定剤の投与でなんとかならなかったのか・・?
と、あのときは何度も思いました。

そして今は、もちろん、ブリタニー・メイナードさんのことにも興味はありますが。
プール友達のA子さんが、再び明るい笑顔で
プールに来られることを願うだけです。


私が行くプールは時間帯にも寄りますが、昼帯はシニアorシルバー層が多く、
無断で一ヶ月も休むと、一様にあの世の住人=仏様にされてしまいます。
私も指の怪我(キャベツスライサーで指まで削ってしまった)で、
治癒まで約一ヶ月間程休んだら、
仏様にされてしまっていたことがありました。
ええ、ええ、私は何度でも黄泉の国から蘇りますわよ。


そして今夜は、この泡沫ブログに、
いつもお心優しいコメントをくださるX様からのお勧め番組、
NHKクローズアップ現代『難病新法 改革に揺れる患者たち』を観て、
次に、Eテレの“みとりびと” ―看取(みと)りの時間に伝えあうこと―
を続けて観て、その後に入浴し、録画しておいた映画を観ながら、
ストレッチ体操をして、眠りに着くまで読書
里山資本主義― 日本経済は安心の原理で動く― )です。

今夜は冷えるそうです。
老若男女の皆様。くれぐれも風邪にはお気を付けて。
そしてエボラ出血熱感染にもね・・。

老若男女の皆様。と言いましたが、
こんな、老いと死の話ばかりのブログは血気盛んな若い人はスルーでしょうね。
でも、死は老若に関係なく訪れるものです。

そして、この歳(ポスト団塊)まで生き長らえていると、
人生なんて邯鄲の夢のごとし....でしかないように思えます。
結果、もがいても、あがいても、
死が刻々と迫り来るのを実感せざるを得なくなります。

臨終時にはエンドルフィンが分泌されて、多幸感で満たされるはずですが、
腫瘍の部位や個体差によっては、死に至るまでの前段階では
モルヒネでもコントロールできない激痛に苛まれることも、
覚悟しておかなければならないようです。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : ブリタニー・メイナード スイスの安楽死ツアー 安楽死 モルヒネ どうせ死ぬなら「がん」がいい エボラ出血熱感染 里山資本主義― 日本経済は安心の原理で動く― 邯鄲の夢

「医者の嘘: 医者は自分の都合でウソをつく」の派手派手広告を見て・・自分の健康寿命の終焉を知覚したら、ピンピンコロリを願う高齢者にとって、医学とはなにか?医者とはなにか?いったい何が真実なのか?私たちはどうしたらいいのか?
数日前の新聞広告欄に一段と目を引く本の広告が載っていました。
ええっ!医者は自分の都合でウソをつくのぉ~!?
私はいったい何を信じたらいいのぉ~!?

などと、わざとらしく驚いた振りをしてみましたが、(笑)
実は医者は初めから、
自分の都合でウソをつくのではなく、
診断を下すのが難しい症例がたくさんあるので、
医者の都合のいいようにウソをつくしかないのだと思うのです。
数年前、或る箇所の痛みで、2ヶ所のクリニックの医者に診てもらったところ、
診断には大きな差があり、いつも空いているクリニックの医者は、
すぐに投薬を勧めましたが、
私は患者数が多く、「西洋医学の薬はほとんどが毒だから、
あなたのその程度の症状では薬を飲む必要はないですよ。
それから今後、他の医療機関で薬を処方されたら、
ジェネリック薬は値段は安いけれど、
体へのリスクが大きいのでやめたほうがいいですよ。」
との診断と助言をくださった医者の方を信じたことがありました。

img23i.jpg
健康に不安を持ち、効いているのかいるのかどうかも判らない
各種サプリメントを多飲していたり、
医師から処方される薬を服用しているシニアの皆様には、
すぐにでも手が出そうな本だと思いました。
(斯く言う私自身も、加齢には勝てず、今はそのような状態なので・・(^^;))

単細胞の私は、ついつい、この本は明日にでも絶対買わなくちゃ!と
そのときは思ったのですが、発行元を見たら、
いつも派手で衝撃的なキャッチコピーを得意とし、
健康に自信のない人々の目をくぎ付けにさせる幻冬舎だったので、
アマゾンのレビューを参考にしてからでも遅くは無い・・
と思い直して買うのを止め、そのうちブックオフオンラインで
150円になったら買っても良いかな・・
程度の本として購入予定本リストに入れました。

そして、アマゾンレビューを見たら、
あら!やっぱり、この本はご自分の経営するクリニックの宣伝本だったのね...
の結論に至り、購入予定本リストから外しました。

私には、広告の宣伝文よりも「著者も嘘をついている。」
と書かれた方のカスタマーレビュー文のほうが
説得力があるように思ってしまったからです。

私が最も参考になったカスタマーレビュー


著者も嘘をついている
投稿者 ロビーナ 投稿日 2014/10/22
形式: 単行本
著者も嘘をついている。

嘘その1
免疫療法の99%は効果なし。
(ただし自分がやってる免疫療法だけは正しい)

事実 免疫療法は100%、効果が証明されていない。

欧米では、ちまたで免疫療法の看板を掲げてお金をとる医者は
詐欺師として医師免許をはく奪される。
NK細胞が人体内でがん細胞を
殺すことを実証したエビデンスはなく、
免疫療法はまだ、人体実験段階にすぎない。

嘘その2
コラーゲンには粗悪なものが多い。
(ただし自分が売ってるコラーゲンはすばらしい)

事実 コラーゲンサプリは、天然の肉や魚に比べたらぜんぶ粗悪

→コラーゲンはタンパク質だから、すべて腸に入ると
いったん分解されてアミノ酸の形で利用される。
どんなコラーゲンサプリも微量のタンパク質にすぎず、
さまざまな添加物が使われている。

アミノ酸をしっかりバランスよく摂りたいなら
アミノ酸スコアがパーフェクトな
肉、魚、卵、乳製品を、なるべく天然に近い
調理法で食べるのがいちばん安全で効果的。


ロビーナ氏と同感
投稿者 impeccable 投稿日 2014/10/22
形式: 単行本
今、医療不信を煽る本が巷をにぎわせていますが、2匹目3匹目のドジョウとされる本が
予想通り複数出現してきました。
思い起こせばコンヴェンショナルな近代医療行為の発信も、あるいはその医療行為の疑念や矛盾の提言もそれなりのエビデンスに立脚している故読者を獲得してきたわけです。
しかしながら本書は既存の書物のコピーアンドペーストならぬコピーアンドプロセスといった軽い趣の仕上がりにすぎません。
この分野の読者の目は節穴ではありません。
ちゃんとウラをとった重量級かつ本物の書物か半可通のそれか多くの読者は厳しい選別眼を持っているのです。
国民にお金を出させて読んでいただくためにはどうすればよいか再考を促す所存です。

枠内引用元:http://www.amazon.co.jp/product-reviews/434402656X/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending


アマゾンで感想を述べられたロビーナ氏とimpeccable氏が、
医療関係の方なのか?
また、医学的知識を豊富にお持ちの方なのか?
は私は全く存じ上げませんが、
「医者の嘘・・医者は自分の都合でウソをつく」の派手派手広告よりも、
かなりの共感を覚えたのでありました。

また勝手に転載しましたことを、ここでお詫び致します。<(_ _)>

アベコベノミクスの失敗に因る最近の物価高の折り、
年金生活の其処ら辺の名も無きシニア主婦としては、
「売らんかな!」が見え見えのキャッチコピーに踊らされての
書籍の衝動買いは贅沢品でしかありません。

そこでいつも思うのですが、本当に信じるに値する書籍であるならば、
私が週に4回行くプールでの水中ウォーキング中に、
新聞は購読しているけれど、PCやスマホはおろか、
ガラケーさえ持っていない、現実社会での本好きシニア層の知り合いたちから、
クチコミで勧められそうなものですが、
この類の本は一度も勧められたことはありません。

買う買わないは皆様のご自由ですが、
藁にも縋りたい状態に陥っている重篤患者にとっては、
医師という職業の方は神にも相当する絶対権力者でもあります。
そのような方々の中で、立て続けに本を何冊も書く時間がたくさんある
自称臨床医の本は信じられなくなってきました。
内科専門の開業医やホスピス医、お歳を召されて半隠遁生活の医者、
ボランティア活動や講演中心の医者、
また、緩和ケア病棟の看取り専門医であったなら、
執筆時間はそれなりにあるとは思いますが、
某医学部附属病 院救急部・集中治療部部長までもが、
死後の霊性に関する本を立て続けに出版していることが
私には不思議でなりません。
それは単に、私ごときが全く関知し得ない未知の世界の話
だけなのかも知れませんが・・。

それから、アップル社の共同設立者の一人で、
世界的大金持ちのスティーブ・ジョブズ氏でさえも、
56歳にして、天国とやらへ旅立ちました。
死因は膵がんに伴う呼吸停止と言われているようです。
がんが発生した部位にも因るのでしょうけれど、
お金を腐る程持っていても、人は死にます。
この世に不老不死、及び、ブラック・ジャックやドクターXのような
ス-パードクターも存在しません。

どうあれ....団塊世代や私の世代(ポスト団塊)の最期は、
病院もベッド数が足りずに急性期が過ぎればすぐに追い出され、
特養にも入居できず、野垂れ死に孤立死が多数を占めるのでしょうから、
まぁ、そんなに健康!健康!と気に病んでストレスを溜め込むよりも、
巷に溢れかえる嫌韓本同様に、医療不信を煽る本をたくさん読んで、
自分に当て嵌めて、一喜一憂するよりも、今日一日を愉しく、また悔いの無いように、
穏やかに過ごせればそれでいいか・・・どうせその日は確実に来るのだから。
の気持ちが強くなってきた昨今なのであります。
それでも、そのときのための心の準備だけは必要不可欠だとは思います。

今日の横浜地方は師走のような寒さです。
皆様、お風邪など召しませぬように・・。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : アベコベノミクス 野垂れ死に 孤立死

女は年老いるすべを早くから学ぶべきである。しかもそれは並大抵な才能でできることではない・・「今日は私の記念日ね。」と老いと認知症を受容した老女。「新宿"人情"保健室 ~老いの日々によりそって~」

東京新宿区の団地の中に、
お年寄りが相談に訪れる「暮らしの保健室」はある。
東京都の支援を受けているため、誰でも無料で利用出来る。
この日、買い物に出て自宅がわからなくなった女性が訪れた。
近所の人の情報を手がかりに調べて、自宅まで連れて行った。
続いて、保健室の常連がやってきた。
この日壊れた夫の位牌を持ってきた彼女とともに、
仏具店へ向かった。保健室では彼女の一人暮らしを見守り、
サポートしている。
「暮らしの保健室」で働く杉本さんは、
ベテラン看護師である。
この保健室の母体は訪問看護ステーションで、
杉本さんはそこの訪問看護師でもあり、
在宅ケアの相談にものっている。
この日は半年前保健室で相談を受けて
在宅療養の環境を整えた家を訪れた。
この家のご主人は肺がんを患っている。
体調は安定していて外出も出来るが、
余命は一年と告げられていて気持ちは沈みがちだという。
杉本さんは彼に日々を楽しむ気持ちを
取り戻してもらいたいと励ましている。
彼は退院以来、家に閉じこもりテレビを見ている。
杉本さんはデイサービスの利用を勧めた。
半世紀前庶民の憧れの的であった団地。
超高齢社会を迎えた日本の縮図といわれている。
「暮らしの保健室」にはお年寄りならではの相談が持ちかけられる。
一人でいると余計なことを考えて塞ぎこんでしまう、
数多くある相談である。
一人暮らしで家事などをこなしていたが
体がつらくなってきたという女性には、
公的サービスを使って負担を減らすことを薦めた。
お年寄りの中には介護保険の使い方を
わかっていない人が多いという。
保健室には時折、踏み込んだ相談も持ち込まれる。
終末期のがん患者の家族が、
自宅で看取りたいがどうしていいかわからないという相談。
妻は杉本さんに、映画の試写会に行きたいという相談をした。
杉本さんは車椅子で映画を見るサポートなどを行った。
この3日後、自宅で息を引き取った。
誰にでも訪れる最後の時を笑顔で
迎えられるように支えたいというのが、杉本さんたちの思いだ。
軽度の認知症と認知されている女性が相談に訪れていて、
テレビとエアコンのリモコンを取り違えて混乱しているようだった。
さらに一週間後、女性は生活費が見つからないと保健室にやって来た。
生活費はいつもの決まった場所に置いてあり、
これまでよりも物忘れがひどくなってショックを受けていた。
杉本さんたちは認知症と向き合うお年寄りの姿を数多く見てきて、
自分たちに出来ることはどんなことがあっても
その傍らに寄り添い続けることだという。
肺がんになってから家にこもりがちになっていた男性は、
デイサービスをきっかけに少し外出するようになっていた。
男性は4ヶ月ぶりに顔を見せた長男と一緒に
退院以来飲む気がしないと言っていたビールを飲み、
その10日後には病院で今の状況を見てもらった。
検査の結果に落ち込んでいた男性は、
死ぬのを待つしかないと言っていた頃のパジャマ姿に戻っていた。
杉本さんは男性を励まし、
話にも応じたくない状態の男性に杉本さんは話し続けた。
すると、杉本さんに外で会いましょうと少しだが元気を取り戻していた。
暑い夏、軽度の認知症と認知されている女性は
保健室に頻繁に訪れるようになっていた。
通帳を探している相談に、
杉本さんと一緒に家に行くと決まった場所に置いてあった。
さらに4時間後、女性は4時間後の出来事も覚えていなかった。
落ち込んでいた女性に杉本さんは励まし、
女性は吹っ切れたように笑っていた。
暮らしの保健室の杉本さんは、
軽度の認知症と診断された女性と将来慌てないための準備として
一緒に老人ホームを見学に行った。
杉本さんが対応している認知症の男性は
パジャマからシャツに着替えるようになり、
デイサービスにも通うようになった。
団地の片隅にある暮らしの保健室は今日も笑顔であふれていた。




認知症、脳疾患、ガンだけには絶対に罹りたくないと思っても、
老いては誰にでも明日突然に宣告される病かもしれない・・。

番組では或る初期の認知症の女性が、
炊飯器に入っていたご飯を誰が炊いたのか判らない。
ご飯を食べたかどうかも判らない。
実際にはご飯はヘルパーさんが来て炊いていってくれたのだが、
それすらも判らないと言う。
更に、エアコンのリモコンがない。
通帳がない。生活費として置いておいたお金がない。
と、一日に何回も「暮らしの保健室」に足を運ぶ。

そして、その高齢女性は、
いつもの場所にリモコンも通帳も生活費もちゃんと置いてあることを
指摘された後に、畳に突っ伏してしばし落ち込む。
しばらくして、起きあがり「今日は記念日ね。」と笑顔で言う。
彼女にとっては自分が認知症であることを自覚した日として、
その日を記念日にしたのだ。

老いとそれに付随する病を受容するということは、
すぐ先に待ちかまえている死をも受容することに繋がる。

介護保険が適用されてもおかしくない身体状態にある高齢者(女性)は、
介護保険の申請の方法すら全く知らないと
「新宿"人情"保健室 」の職員に話していた。


国はODAや軍事費(防衛予算)には湯水のごとくお金を使うが、
福祉には使いたくないらしく、
介護給費の抑制を目指して、介護の受け皿を「施設」の増設ではなく、
「在宅」「予防」中心へと、大きく舵を切った。

都会の一人暮らしの高齢者は誰に介護をして貰えばいいのか?
また、今はおふたりさまでも、いずれはおひとりさまになり、
やがては介護が必要になる老人たちが、都会には無数に存在することになり、
今以上に徘徊孤立死も増えるだろうことは誰の眼にも明らかであり、
多死社会格差社会を迎えている今、悩みを聴いたり、
必要とあれば、行政や地域包括支援センターに橋渡しをしてくれる
「新宿"人情"保健室 」のような「よろず相談所」や「 よろず保健室」を
行政主導で区に一ヶ所ではなくて、
徒歩や車椅子でも行ける場所(各町内に一ヶ所)設けることが、
今の時代に急務だと思った。



番組は派手な音響効果もなく、
新宿の団地に生きる名も無き老いた人たちと
彼らを支え、日々奮闘する訪問看護師の姿を淡々と放映していたが
NHKの体質として、しかたがないのだろう・・とは思うけれど、
「だから、今後の対策としてこうすべきでは?」
のような指針を示さないのが毎度のことながら、少々不満でもあった。
そして、自身の認知症を受容し、「今日は記念日ね。」
と笑顔で言う独り暮らしの高齢女性に、
私が更に老いても、また寝たきりになっても、
子どもと同居する予定などまったくないゆえに、
つい明日のわが身を重ね合わせるしかなかった番組だった。

女は年老いるすべを早くから学ぶべきである。
しかもそれは並大抵な才能でできることではない。 by セヴィニエ夫人


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テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 多死社会 格差社会 徘徊 孤立死 よろず相談所 よろず保健室 地域包括支援センター

「スイスへ相次ぐ自殺(安楽死)ツーリスト」を読んで、友人二人の死を考えながら、死から逃げれば逃げるほど、死の不安と恐怖が駆け足で追いかけてきて、死に立ち向かえば向かうほど、不安と恐怖は逃げてゆく・・ような気がしてきました。
今月、友人二人が相次いで亡くなりました。

一人は地域の友人A子さん(60歳)で、
一年ほど前から婦人科系のガンを患っていましたが
抗がん剤の効なく全身に転移したそうです。

一ヶ月ほど前のこと、
A子さんの家のブロック塀を伝うように歩いている老婆を見かけました。
えっ?確かA子さんの家はご主人様とお二人様のはず。
あんなに頭髪が真っ白で痩せこけた
ヨボヨボヨロヨロしたお婆さんなんかいないはず・・
もしかして、実家の御母堂様かお姑様がいらしているのかしら?
などと思い、そのままA子さんの家の前を通り過ぎてから3週間後、
A子さんのご主人様が我が家に訪ねて来られ、
「女房がもう長くないと主治医に宣告されましたので、
できましたら女房と最後のお別れをしていただけますか?」
とのことだったので、翌日すぐに某病院にお見舞いを
兼ねて最後のお別れをしてきました。
お見舞いとは言っても、A子さんは既に昏睡状態で、
話をするどころか、点滴でブヨブヨプクプクになった体をベッドに横たえ、
昏昏と眠っている姿を見せていただいただけで帰途に着きました。

もうひとりはかなり親しくしていたプール友だちのB子さん(69歳)で、
一ヶ月ほど前まで元気にプールに来ていたのに、急に姿を見せなくなったので
心配になりそろそろ電話でも・・と考えていたら、
本人から電話があり、夏風邪をこじらせて軽い肺炎に罹っているので、
しばらくプールは休むけど心配しないでね。とのことでした。

B子さんからの電話が来て2週間後、ご主人様から電話が来て、
「女房の両肺が真っ白状態で、もう長くないと主治医に宣告されましたので、
できましたら女房と最後のお別れをしていただけますか?」
と、A子さんのご主人様と同じことを言うのでした。

早速、他の親しくしている友人のC子さんと某病院に駆け付けましたが、
彼女もA子さん同様、
点滴でブヨブヨプクプクになった体をベッドに横たえているだけで、
目も開かず、意識があるのかないのか分からない状態で、
とても話ができる状況にはありませんでした。

帰り際に同行した友人C子さん(65歳)が言うのです。
「もうすぐ死ぬと判っている人にどうしてあんなに点滴をするのかしらね?
とても苦痛らしいわよ。早く楽にしてあげればいいのにね・・・。
それに彼女、枯れるように自然死で死にたい・・っていつも言ってたわよね。
わたしが死ぬときはあんな状態になりたくないわ。
安楽死が合法化されているオランダにでも行って
薬で苦しまずに眠るように死にたいけど、パスポートも持ってなくて
日本の格差社会の底辺にいるわたしには到底叶わない死の形よね....」
IMG15_0001

確かに、死ぬと判っている人にどうして無駄な点滴をするのか?
それは、病院という処は看取りの場ではなく、病気を治すところであり、
加えて、訴えられないために、最後まで全力を尽くしました!と
家族に見せなければならない処なのでしょう・・。
そして、点滴の中身は鎮痛剤や医療用の麻薬なのでしょう。
59歳で死んだ私の弟も、「時間の問題です。」と言われながらも
最後の最後まで医療用麻薬と思われる点滴に繋がれていました。


74歳の彼女は重い病気のため、安楽死を望んだ模様です。
日本では自殺幇助(じさつほうじょ)は認められていませんが
海外ではそれを手助けする団体もあるようです。
延命について考えさせられる動画です。
LiveLeakより転載。
※日本での安楽死は条件付きで認められているようです。
1995年の横浜地裁の判決では

1. 耐え難い肉体的苦痛がある
2. 死期が差し迫っている(余命6か月以内)
3. 死以外に苦痛緩和の手段がない
4. 患者本人の文書による明示的意思表示

以上4つの要件が認められました。
これらの要件を満たさなければ
基本的に日本では安楽死は認められません。
※投稿者様の説明書きより


そこで思ったのですが、団塊世代多死時代を迎える今後、
普通の病院に一人程度のホスピス医を兼ねた死生学専門医
もしくはあらゆるサナトロジーに通じた内科医か心療内科医が居れば、
死にゆく人も、看取る家族もパニックになることもなく、
少しは安寧な気分で「おくりびと」と「おくられびと」になれるのではないか。
と思うのです。
そして、広島の集中豪雨による表層崩壊で亡くなられた方や
ガザのニュースを見ていると、
人の命は儚いものだとつくづく思います。

人間は年齢に関係なく死の確率は100%なのですから、
高齢者であれ、若者であれ、また、子どもであっても、
死という事象から目を背けて逃げれば逃げるほど、
死の不安と恐怖が駆け足で追いかけて来ます。
普段から一日の数分間でも死を意識すればするほど、
死への畏れと不安と恐怖は逃げてゆきます。

最近、死は決して恐怖の対象などではなく、
人間が抗うことのできない自然の摂理そのものとして受け容れることが
出来たような気がしています。(まだ100%ではありませんが・・・(^_^;))

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 安楽死 鎮痛剤 医療用麻薬 団塊世代 多死時代 ホスピス医 死生学専門医 サナトロジー

代理出産ビジネスに想う・・代理母になる女性の妊娠、出産における母体のリスクと代理母から産まれた子ども将来を考えると、すべてお金で解決できない問題も孕むので、もし子どもが産めない体だったら、自然の摂理(産めないのなら産まない)に従うべきなのでは?

オーストラリアのテレビ局は10日夜、
この夫婦のインタビューを放送し、この中で夫婦は「代理母から
『男の子を引き取ろうとするなら警察を呼んで女の子も連れて行く』
と言われ心配になった」として、女の子だけを連れて帰ったのは
代理母の女性が男の子を手放さないと強く主張したからだと述べました。

そして夫婦は、代理母が赤ちゃんを育てるのを認めたことは一度もないとして、
今後、男の子を引き取るためにタイを訪れたいという考えを述べました。

一方、夫妻の主張に対してタイ人女性は10日、
夫婦を脅すようなことは話していないと否定し、
男の子については「夫妻に渡せば、施設に入れられると思い、
引き渡さなかった」と話している。

この問題は、2013年12月にタイ人女性が夫婦からの依頼で
代理出産した双子の男女の赤ちゃんのうち、
夫婦が障害のない女の子だけを引き取り、
ダウン症の男の子の引き取りを拒否したと報じられている。
(NHKニュース『豪夫婦「代理母が手放さないと主張」』より 2014/08/11 05:00)





代理母と依頼者のオーストラリア人夫婦の意見が対立していますが、
タイ人の代理母がビジネスで産んだはずの子どもに情を持ってしまったのでしょう。



今日行った市営プールのロビーでの会話で、上記の代理出産の話と並行して、
義父の精子で118人誕生 長野の病院で体外受精治療」の話が出ました。
ご家族で何回も何回も話し合った上で出した結論だとは思いますが、
私を含め、もう既に子どもの産めない身体になってしまったお婆さまたちの感想は?
と言うと、
「自分がまだ若いと仮定して、
夫が子どもができない体でも義父の精子で妊娠するなんて絶対嫌!」
結婚している子どもはいるけれど、孫のいない人は、
「孫は欲しいけれど、自分の夫の精子で嫁が孫を産むなんて気持ち悪いし認めない!」
結婚20年目で、今まで子どもができなかった現在45歳の女性は
「今でも子どもは欲しいけれど、義父の精子で子どもを産めと言われたら離婚する!」
等々の意見が出ました。

 

代理母出産で、もし障害を持った子どもが生まれたとしたら、
まして、その障害は生まれてすぐに発見できる種類のものでなく、
大きくなってから明らかになるものであったとしたら、
その子どもを受け入れていくことができるでしょうか。
出来なければなりません。
でも、今の社会にそれを認める度量があるでしょうか。
どちらの責任だと論争になって、
子どもはどうやって自分の人生を肯定できるでしょうか。
このように個別ケースの問題を挙げていてばかりいては「制度は進まない」
と諏訪マタニティクリニックの根津医師は決行しましたが、
そうではないとわたしは思っています。

また、「姉妹愛や家族愛という崇高な気持ちが背景にあれば……」
みたいなことを根津医師は言っておられましたが、わたしは「姉妹だから」、
「家族だから」許されるという考えが背景にあることが気になっています。
みなさんはいかがでしょうか? 
ここにも「血族主義」というか「血が繋がっていれば許される」
みたいな意識があるように思います。私個人としては、2歳違いの妹がいますが、
もし妹に頼まれても断ります。

もし、「一つの選択肢」として社会的に認知するのであれば、
まったくの他人にお願いする制度にして、
その後のフォローを構築するという方向の方が良いように思います。
養子縁組里親制度と同列に「血のつながりはないけど家族」
として扱う仕組みにすることは無理なのでしょうか?

代理出産に賛成ですか? - イー・ウーマンより抜粋


上記は2001年の記事なのですが、13年を経た今でも色あせず
現在にも通じる的を得たご意見のように思います。

ベイビービジネス(人身売買)?として、
代理出産のニュースが紙面を賑わしていますが、
下記はいったい何なのでしょうね?

タイで代理出産、15人も? 24歳日本人実業家、なぜ
日本人の実業家男性(24)が所有・賃借する
バンコクのマンションの部屋で乳幼児9人が見つかった問題で、
タイ警察は12日、男性が代理出産で産ませたとみられる乳幼児が、
9人を含めて計15人に上ると明らかにした。
男性はなぜ、こんなにたくさんの子どもが欲しかったのか。
その理由はまだ、疑問に包まれたままだ。



私自身は、欲しくても子どもを産めない女性に対して、
夫婦間の人工授精に因る出産であれば、それなりに理解はできますが、
代理母になる女性の妊娠、出産における母体のリスクと
子の将来のこと(自分の出自を知ってしまったことへの精神的苦痛等)を考えると、
今まで見聞きしてきた実際の経験から、
安易な代理母ビジネスには女性と産み落とされた子どもの人権の面から
異を唱えたくなります。
どうしても子どもが欲しければ、
親の愛に恵まれない子どもたちを赤ちゃんのときに
養子にして、深い愛情を持って育てれば、
その子どものためにも、また世のため人のためになると思うのですが、
どうしても血脈に拘りたい人もいるのでしょうね。

なお、我が息子は結婚15年目になりますが、
子ども(私にとっての内孫)には恵まれませんでした。
息子夫婦にとっては育児にかかる時間とその経費が浮くわけですが、
その分は共通の趣味や旅行にと、
夫婦二人の人生心ゆくまで楽しんでいるようです。
そして、維持すべき家柄も財産もない我が夫婦は、
それでいいじゃん!の考え方で一致しており、
「孫はまだなの?」とは一言も言ったことはありませんし、
息子夫婦に墓を残す気もありません。

言い訳がましく付け加えておきますが、
私は、無知で教養もない名も無き六十路女であり、
他人様に対して偉そうに言えるほどの
専門的知識も喝破する論法も持ち合わせてはいませんが、
直感で思いますに、生殖に関しては人類が決して踏み込んではならない
自然の摂理の法則が存在しており
他人の精子や卵子を使っての体外授精や代理母出産は、
医学の進歩とは切り離して考えるべきことであり、
代理母ビジネスは明らかに自然の摂理への冒涜のように思えてならないのです。






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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 代理母 義父の精子で118人誕生 長野の病院で体外受精治療 血族主義 養子縁組 里親制度 代理母ビジネス ベイビービジネス

「危なくなっても延命させないで・・」長生きし過ぎて見苦しい死に方をするよりは、平均寿命より前だけれど、お国のために潔く死んだ方がいい?
日本人男性の平均寿命が80歳を超えました。
さぞかし、お喜びの殿方もいらっしゃることと思います。

しかし、全員がPPK(ピンピンコロリ)で逝けるわけでもなし・・
現在の日本人の平均寿命を押し上げているのは
胃ろう等のチューブに繋がれた寝たきり高齢者なのですから、
寿命が延びた分だけ寝たきりや認知症の期間も長くなる。
という家族を含めた過酷な生の現実に向き合わなければならなくなります。


お金持ちの方であれば、専任看護師を雇って
自宅で家族に見守られて最期の時を迎えたり、
また住環境のいい有料老人施設で看取りまでお世話してもらうこともできます。

IMG14
(2014年7月30日 朝日新聞 声欄)

如何せん、低所得者であることの証明書のような臨時福祉給付金
申請用紙が届いた我が家の経済状況では、
平均寿命より前でも、子に経済的、人的負担を強いるのを避けるために
投稿者様の死生観に賛同して、
寝たきりや認知症になる前に潔く死んだ方がいい・・
のかと考えてしまいました。(-.-;)

投稿者様の
「巧みな言葉で、その方向へ誘導されることになると思うよ。
そうしないと医療も年金ももたないから。」
には、まさしく活字の裏に隠されたこの国の真実を
よく見抜いていらっしゃる!と感心してしまいました。

私がリアル生活でよく話をするのは、
プール友達(50代~80代の男女)がほとんどですが、
彼らは己の死にも、国の高齢者に関する施策にも無関心であり、
お金持ちでもないのに、
自分が後期高齢者医療制度に加入していることは知っていても
窓口負担額は何割なのかを知らない人もいて、
唖然としてしまうこともよくあります。

皆、「物価が上がったわね・・」とは口にしますが、
では、なぜ物価が上がったのか?に関して考えを巡らしたり、
その責任の所在を追求したり論じたりする人は皆無です。


上記の投稿記事が、政治家への痛烈な皮肉なのか?
それとも本心で書かれたものなのかは、私には分かりませんが、
国としては、税金食い虫の老人には早く死んで欲しいと思いつつも、
医療機関や医療機器や医療食会社を儲けさせなくてはなりません。
ですが、何の生産性もない寝たきり老人を生かしておくよりも、
その分を軍事費に回したいのは見え見えです。

このチグハグ状態が今の日本政府なのです。

さて、私はどうするか?を考えてみました。
投稿者様の、
「私が危なくなっても、絶対に生き返らせようとしないでくれ。」
には同意しますが、「早く死ぬ方が、医療費を抑え年金も節約できる。
最後に、わずかでも、社会のお役に立つことをしないとな。」のお言葉は、
そういう国作りをしている自公政権を選んだ人にそっくり差し上げます。

また、私は生まれ変わりなどはない!と思っているので、
一度限りの人生。何が何でも平均寿命は超えたいと思います!
そして、見苦しくない人生のエピローグを目指しながら、
社会のお役に立つこととしては、死後、献体で解剖台に乗るつもりです。

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聞いててゾッとする。汚染水問題の真実「広島の原爆と同じ」: http://t.co/GWVR9iQURQ @YouTubeさんから
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「死ぬ覚悟した」〜福島原発の元運転員、初証言: http://t.co/BMTsNsf0RJ @YouTubeさんから
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Nasuyo_boketa

RT @178kakapo: ░▒▓►#最高の責任者:安倍@AbeShinzo宛安倍は、#原発事故の責任 をとって、即刻、辞職せよ◢◤安倍晋三「全電源崩壊は起こりえない」【平成十八年…衆議院…答弁本文情報】http://t.co/B1nUCAXPut http://…
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Nasuyo_boketa

RT @TertuliaJapon: 国会議員の給料は来月から2割も上がる。103万円から129万円に、26万円増だ。 ・・・ 少しは怒ったらどうか、日本国民は。消費税を上げられて、国会議員は給料アップ。それも二割もだ。もう日本人には半分愛想をつかしている。少しは怒れ。htt…
05-21 13:46

RT @troussier100: 石破茂「アメリカの若者が血を流しているのに、日本の若者が血を流さなくていいのか?」http://t.co/tp5p0LErAh ⇒「アメリカのために日本の若者が血を流すのか?頭だいじょうぶ?」「自分が安全な場所にいるやつに限って威勢のいいこと…
05-21 14:14

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05-21 14:14

RT @tumu1209: 「積極的平和主義」「集団的自衛権」という言葉をNHKで聞かない日はない。公共放送で繰り返し流すことですでに国民の洗脳は始まっている。自衛隊の戦車や飛行機、迷彩服の自衛隊員の映像が日常的にテレビで流れたことが過去あっただろうか。国民が気づかぬまま少しず…
05-21 14:17

RT @MasikoMm1nn1: ひどい!あまりにもひどい時代錯誤・・・安部首相のNATO演説。中国を名指し批判し、「話し合い解決」を語らず、戦争ができる国づくりを力説した。中国の軍事的台頭が懸念されている今だからこそ、世界が日本に期待しているのは憲法9条に徹した外交的イニシ…
05-21 14:17

RT @jboy660: @minerin999小出裕章「3年経っても、事故現場に足を踏み入れる事もできない」という様な事故はやはり原子力しかないし原子力と言うのは、ここまで過酷だったんだなと、改めて思います。「なんにも解決しないまま3年が経った」~ http://t…
05-21 14:18

「安倍首相の言い分は全く逆。集団的自衛権は誰も救えず守れないばかりか、かえって危険」by中村医師 http://t.co/1fmbFz5Mpy @maumi11さんから
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総統閣下が「美味しんぼ」鼻血問題でお怒りのようです - http://t.co/SUKCroKcRD @DailymotionUSAさんから
05-21 16:05

RT @daisumatsu: 吉田調書、チャイナシンドロームという単語が口から出ていたとは。http://t.co/D8NxfQ3pKa
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RT @yuric117: @yamaneko_strike @yamamototaro0 ここ重要→ 原告側が求めていたアメリカ軍機の飛行差し止めについては、却下している。
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長生きしたけりゃ、人の言うことには耳を貸さずに自分の直感に従いなさい。大往生したけりゃ、誰からも好かれる可愛い年寄りなどもってのほか、家族や医者の言うことなど素直に聞かずに、湧き出てくる自分の思いを貫き通しなさい。
長生きしたけりゃ」でググってみたら、

上位から、
長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい」
長生きしたけりゃ肉は食べるな」
長生きしたけりゃ腸は冷やすな」
長生きしたけりゃデブがいい」
長生きしたけりゃ肉食だ」
と表示された。

昨今、「長生きしたけりゃ・・云々」系の本がブームになっている。
現在、60代前半の私の場合でいえば、本に書いてあるように、
「長生きするために、ああしたら、こうしたら、」本当に長生きできた!\(^o^)/
と証明できるのは、今から約30年以上の年月が必要になる。
そして、長生きを証明できるはずの約30年後には、
本の著者も私もこの世からは多分消えている可能性が高い。

さらには、長生きには免疫力遺伝子
その他諸々の個体における身体的条件が関与しているので、
たかだか「長生きしたけりゃ・・云々」だけを実践したところで、
誰しもが長生きするとは限らない。
それでも、何もしないよりは、少しはマシだとは思うけれど、
一冊1000円かそこらの健康本を何冊も読んで内容を実践して、
長生きできるに越したことはないが、
現時点では実際的に経年に依る証明がされていないことが、
私にはどうしても納得できない。


最近、我が老夫(団塊世代)が本を読んでもいないのに、
新聞広告だけを見て、「長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい」
に凝っていて、毎日、お風呂上がりに自分のふくらはぎをモミモミしている。
ついでに、私のふくらはぎもモミモミしてくれるという。
余程、老妻を愛しているのか?それとも私を長生きさせて、
在宅介護をして欲しいのか?は定かではないが、
ありがたい申し出なので、うつ伏せになって、
つまらないテレビを見ながら、ふくらはぎをモミモミしてもらってはいるが、
歳を取ってはいてもまだ男の夫としては、
老妻のふくらはぎ以外にも、モミモミしたい箇所も他にあるような様相を見せる。(笑)
私はもう既に中性化していて、男女間のスキンシップからは完全に卒業したので、
(※性同一障害の人を除いて、男は息絶えるまで男であるが、
女はある一定の年齢(お婆さん)になると中性化してくる)
あれから4?年・・今では腐れ縁だけで繋がっている老夫婦なので、
モミモミの部位はふくらはぎ以外はご遠慮申し上げている。(笑)



さて、今日もまた、長~いタイトルでありますところの、
長生きしたけりゃ、
人の言うことには耳を貸さずに自分の直感に従いなさい。
大往生したけりゃ、誰からも好かれる可愛い年寄りなどもってのほか、
家族や医者の言うことなど素直に聞かずに、
湧き出てくる自分の思いを貫き通しなさい。」

については、医学的な見解については無知なので省きますが、
知り合いの後期高齢者の方々の人間ウオッチングをしていると、
認知症の気配もなく、生活も自立している、元気いっぱいの
それらの方々の共通項としては、

・誰が見ても可愛い年寄りではない。
・素直でない。
・少々ひねくれている。
・自分の意見を押し通す。
・人の話を聞かない。
・自分の直感で物事を判断している。
・誰の指図も受けない。
・文句が多い。
・家族よりお猫様やお犬様の方が大事。
・人から好かれようなどとはまったく考えていない。
・人の気持ちを忖度しない。
・自分はか弱い年寄りで、社会的弱者なのだと吹聴して歩く。
・他人からどう思われるか?などの気持ちはまったく持ち合わせていない。
・もうすぐ此の世から消えるのに宗教心の欠片もない。
・失敗や言動を笑われても、注意されても、意に介さない。


という、ある意味、究極の自由人、ある意味、悟りを開いた人、
ある意味、世界は自分中心に回っていると思っていそうな方々が多いように思います。
ということは、彼らは、良い人に思われたいという仮面を被っていないため、
病気の大敵であるストレスが溜まらず、結果として長寿に繋がるのでは?
と、独断ではありますが、そのように考えてしまいます。

また、配偶者や子どもや孫に過剰な期待をしてはいけません。
期待し過ぎて、要望を満足させてもらえなかったり、
冷たくあしらわれたと感じると、大きなストレスになり、
病気の引き鉄にも成りかねません。
人間、生まれるときも独り、死ぬときも独りなのですから・・。



老いたら、社会や家族の迷惑にならない程度に
ストレスの元凶である善良な人の仮面を外し、
他人からどう思われるか?などは気にしないで、
自分の心の思うがままに生きてみませんか。
きっと、長生きすること請け合いです。(笑)

私自身のことを言いますと、ブログという仮想空間においては、
為政者に対してだけは、かなりのイケズ婆さんを自負しておりますが、
リアル生活においては、そのときの都合によって、
仮面を外したり付けたりと、忙しくしています。(笑)
つまり、まだまだ長寿への道は、途上ということになりますが、
いつの日にか、私にとってのストレスの元凶である老夫を看取り、
あこがれの「おひとりさま」になれたあかつきには、(笑)
誰にも遠慮する必要がないわけですから、即、善人仮面を外し、
自由意思で孤立死するまでは、
堂々とイケズなへそ曲がり婆さんになりたいと思っています。
きっと長生き間違いなしでしょう。

可愛げはないが、どこか憎めない愛すべき年寄りとして、
自由気ままに生き抜き、悔いもなくご長寿を全うする。

いつも、良い人と思われたいがために、常に周囲の人の顔色を伺いながら、
ストレスで平均寿命まで生きられない。

いったいどちらが幸せな老後なのでしょう・・。
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tag : 長生きしたけりゃ 免疫力 遺伝子 中性化 ストレス おひとりさま 孤立死

がんばらない安らかな死に方をするには?また、病気からくる死の恐怖を捨て去るには?その答えは「死は数多の別れのひとつである」「永遠の休息に入るだけである」と考えることにしました。
数日前、「定年時代」という折り込みで紹介されていた、
「がんばらない死に方」の執筆者の言葉に、なるほど!と思った部分があった。

「宗教学者だった岸本英夫さんでさえ、
自身ががんにかかった時に死とはどういうことかという
答えが出ずに苦しまれたらしい。
そこで、岸本さんが考え抜いて出された答えは、
「死は別れのひとつなのだ」ということで、納得されたと書かれていた。

そこで我が家の書棚にある岸本英夫氏の書かれた
ガンとたたかった10年間---死を見つめる心」を引っ張り出してきて、
私が付箋を貼った数か所を読み返してみたら、
確かにP28~の「死の恐怖に勝つ道」の項の最後に、
『死というのは、人間にとって、大きな、全体的な「別れ」なのではないか。
そう考えたに、私は、はじめて、死に対する考え方が、わかったような気がした。』

と書いてあった。




死への心の準備

『人間は、長い一生の間には、長く暮らした土地、
親しくなった人々と別れなければならない時が、
かならず、一度や二度はあるものである。
もう、一生会うことはできないと思って、
別れなければならないことがある。
このような「別れ」、それは、常に、
深い別離の悲しみを伴っている。
しかし、いよいよ別れのときが来て、
心をきめて思いきって別れると、
何かしら、ホッとした気持ちになることすらある。
人生の、折に触れての、別れというのは、
人間にとっては、そのようなものである。
人間はそれに耐えていけるのである。
死というのは、このような別れの、
大仕掛けの、徹底したものではないか。
死んでいく人間は、みんなに、すべてのものに、
別れをつげなければならない。
それは、たしかに、ひどく、悲しいことに違いない。
しかし、よく考えてみると、死にのぞんでの別れは、
それが、全面的であるということ以外、本来の性質は、
時折、人間が、そうした状況に置かれ、
それに耐えてきたものと、
まったく異なったものではない。
それは、無の経験というような、
実質的なものではないのである。
死もそのつもりで心の準備をすれば、
耐えられるのではないだろうか。
ふつうの別れのときには、人間は、いろいろと準備をする。
心の準備をしているから、別れの悲しみに耐えてゆかれる。
もっと本格的な別れである死の場合に、
かえって、人間は、あまり準備していないのではないか。
それは、なるべく死なないもののように考えようとするからである。
ふつうの別れでも、準備をしなければ耐えられないのに、
まして死のような大きな別れは、
準備しないで耐えられるわけはない。
では、思いきって準備をしたらどうであろうか。
そのためには、今の生活は、また。
明日も明後日もできるのだと考えずに、
楽しんで芝居を見るときも、
碁を打つときも、研究をするときも、
仕事をするときも、ことによると、
今が最後かもしれないという心がまえを、
始終もっているようにすることである。
そして、それが、だんだん積み重ねられてくると
心に準備ができてくるはずである。
その心の準備が十分できれば、死がやってきても、
ぷっつりと、執着なく切れてゆくことができるのではないか。
このように心の準備ということに気づいて見ると、
ずいぶん、心がおちついてきた。
死というものが、今まで、近寄りがたく、
おそろしいものに考えられていたのが、
絶対的な他者ではなくなってきた。
むしろ、親しみ、やすいもの、
それと出逢いうるものになってきたのである。』



 死の別れの意味

『このことについて、さらに、つきつめてみると、
死という別れと、ふつうの別れと、
どう違うかということにゆきあたる。
ふつうの別れのときは、今まで親しかった人や、
その社会に分かれてゆくことはつらいけれども、
また、つぎの行く手がある。
その行く手のことを考えながら別れることができる。
死の場合には、死後のことが分からない。
あるいは、死後のことは考えまいときめた立場からすると、
これは、行く手のわからない別れになる。
そこに深刻さがあるのである。
船が出ていく波止場の光景で考えれば、
別れていくという事実はあるが、
その船はどこに行くのかわからない。
そういう別れだから深刻になる。
しかし、死後のことはしらず、
この人間生活だけが生活なのだという立場を徹底して考えると、
人間の意識の中にあるものは、
けっきょく、いままで、自分のやってきた人生経験だけである。
われわれがしっているのはそれだけで、
それ以外のことは考えられない。
経験したことのない死後の世界を無理に考えようとするから、
わからないで悶絶してしまう。
われわれが悩みうる領域は、人間経験についての悩みのみである。
この船出はどこへゆくのかわからない船出である。
自分の心をいっぱいにしているのは、
今いる人々との別れを惜しむということであり、
自分の生きてきた世界に、うしろ髪をひかれるからこそ、
最後まで気が違わないで死んでゆくことができるのではないか。
死とはそういう別れかただ。
私は、こう考えるようになったのである。
しかし別れのときという考えかたに目ざめてから、
私は、死というものを、それから目をそらさないで、
面と向かって眺めることが多少できるようになった。
それまで、死と無といっしょに考えていたときは、
自分が死んで意識がなくなれば、
この世界もなくなってしまうような錯覚から、
どうしても脱することができなかった。
しかし、死とは、この世に別れをつげるときと考える場合は、
もちろん、この世は存在する。
すでに別れをつげた自分が、
宇宙の霊に帰って、
永遠の休息に入るだけである。
私にとっては、すくなくとも、
この考え方が、死に対する、大きな転機になっている。』








「死は別れのひとつ」と「永遠の休息に入るだけである」という考え方は
私のように人生の後半生を半よれよれ状態で生きていて、
なお且つ、折りに触れて、老いと死に付いての考察を巡らせていると、
或る程度は受容することができるようになってきました。
そして、あくまでも独断と偏見に拠る私見ではありますが、
あまりにも生を頑張り過ぎる(生に執着し過ぎる)ということは
反面、死に対しても頑張り過ぎるということになり、
本人は心身の耐えがたい苦痛を抱えたままに逝き、
残された家族は、拭っても拭っても、
拭いきれない悔恨の情に苛まれるような気がします。
結局、「無理にがんばらない、でも諦めない生き方」は
がんばらない安らかな死に方」に繋がるような気がします。

病気で生きるのが苦しい、不眠で夜も眠れない、
今までの人生は後悔ばかり・・・


これらの心身の状況は嫌が応でも死を意識せざるを得ない
高齢者になれば当たり前の姿です。
私自身、確実に体のあちこちが壊れてきています。
嫌でもいずれは訪れる死を受け容れるざるを得ないのです。
そのときに慌てないように、やはり、死をタブー視するのではなく、
人生最大の別れのイベントとして、死への心の準備は必要である。
と改めて思った次第です。

人生というものは「出会いと別れの繰り返し」で成り立っています。
そして、生と死は常に表裏一体であるがゆえに、
「死は人生の数多くの別れのひとつ・・」
と、考えると、不思議なもので、平凡極まりなく、
これといった刺激も何も無い今日と言う日が、なんとも愛しくなってきますが、
この平穏な日々がある日突然、音を立てて崩れる去ることをも意味しています。
そのことは、残り少なくなりつつある生の時間を無駄にせず、
如何に生くべきか?に繋がるのです。
「老いと死を見つめながら今を生きる」を主テーマに、
ここに私の思いを書いてきて約三年半・・
今までよりも少しだけですが、私自身の永遠の別れに対して、
言葉には言い表せないような、ある種の別次元の眼が開けたような気がしています。
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テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 岸本英夫 ガンとたたかった10年間 死を見つめる心 がんばらない安らかな死に方 永遠の休息

週刊誌の新聞広告「老いた親の捨て方」と「一銭もかけない死に方」から読み解く、老いと死に対する社会の考え方の変遷
3月10日の付けの週刊誌の新聞広告に気になるタイトルを見つけて切り抜いておきました。
老いた親の捨て方」(週刊現代)と一銭もかけない死に方(週刊ポスト)です。

IMG23

IMG24

扇情的でヒステリックで売らんかな根性!が見え見えの、
毒々しいタイトルばかりが並んでおりますが、
広告のタイトルを見ただけで、実際に買ってまで読もうとは思いませんでした。
それでも、「老いた親の捨て方」と「一銭もかけない死に方」には、
現代の世相を反映するものと解釈し、
記事の中身を勝手に推測して、妙に納得してしまいました。


老いた親の捨て方」に関しては、
以前にこのブログで書いた「親孝行したくないのに親がいる」
http://towardthelastgoodbye.blog136.fc2.com/blog-entry-34.html

あまりにも状況が似ていることに興味を覚えたのと、
一銭もかけない死に方」に関しては、
この歳になるまであらゆる葬儀に参列した経験から、
私自身が死者を悼むとは?死者を弔うとは?については、
何度も何度も考え、何冊もの関連本を読んだ結果、
仏陀の教えそのものには偉大なる哲学者としての敬意は払いますが、
現代の葬式仏教は無意味であり、葬儀にはお金をかけることが本質ではない」
という考えに至ったからです。




週刊現代2014.03.13号
 

大特集 みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方

第1部 親を捨てるか妻から捨てられるか
第2部 大丈夫、本当はみんな「捨てたい」と思っている
第3部 共倒れになる前に捨てなさい

愛情を注ぎ、立派に育ててくれた両親。
時は流れ、あなたは定年。親は80過ぎ。
感謝の気持ちは忘れない。
けれど、いつまでも「親子の情」に引きずられていては
自分の人生を失うことになります。


第1部 決断ひとつで、天と地ほどの差がついてしまう
親を捨てるか妻から捨てられるか

「15年前、母が認知症を発症したのを機に、同居を始めました。
私はまだ54歳で働いていたし、家は狭い建売住宅。
高校生の娘も二人いたので妻は抵抗があったようですが、
私は強引に母を引き取り、妻に介護を任せたのです。
そこからすべてがおかしくなりました……」

------------------------------------------

我が夫婦の両親はもうこの世にはいませんが、
私の年代(60代前半)ではまだまだ
80代~90代の親の
介護問題で悩んでいる人が多いのです。

先日のこと、老健に入所していた友人の御母堂様
(90代前半・移動は車椅子・要介護3)が、
やっと終の棲家となる特養(個室)に入所でき、
友人は費用が20万円から10万円に減ったと喜んでいました。

さらには、御母堂様は命に関わる持病を3つ
(糖尿病、大動脈瘤、心臓病)も抱えているため、
もしかしたら、環境の激変に耐え切れずに心身が衰弱し、
完全寝たきりになって加齢によるボケ症状も進み
老い先は短いだろうと予想し、
早々に葬儀社に見積もりを出してもらいに行ったというのです。

ところが、案に反して、
老健よりも特養の環境が御母堂様に合っていたのか?
それとも、たまたま運良く、良い特養に入所できたのか?
急速に身体状況が改善され、移動も車椅子を使わずに済むようになり、
頭の中もクリアになってまだらボケ症状も消えたらしいのです。

その御母堂の一人娘である友人(60代前半)は今も、
「親を介護施設に預けた=親を姥捨て山に捨ててしまった・・」
という罪の意識に苛まれながらも、それしか方法がなかった....。
と自分を慰めつつ、母にはもっともっと長生きして欲しい!と思う反面、
今は母親の預貯金で施設費用を賄っているのですが、
母親に年金収入がないため、
後2年ほどで母名義の預貯金を使い果たしてしまう計算になるので、
もし、母親が今後において2年以上長生きをすれば、
今度は彼女に費用負担がのしかかってくるそうです。
そのことを考えると早くあの世に逝って欲しい...
という相反する想いが交錯していることも打ち明けてくれました。

今の世の中は親に介護が必要になったら、
「親子の情」や「家族の絆」とかいう綺麗事で片付く問題ではなく、
「老いたらお金を持っていること」が必須条件なのでしょう。





さて次は・・・

週刊ポスト
の「一銭もかけない死に方」の裏技だそうですが、
一銭もかけない死に方」について、
私が思い付いた裏技は献体登録しかありませんでした。
ご遺体を引き取りに来た大学のスタッフが、
ご香典代わりなのか?ウン万円の寸志をそっと置いていったという話もあり、
「一銭もかけない」どころか、不謹慎とは思いますが、
大学によっては、お礼がいただける場合もあるようです。(笑)



不慮の事故死等ではなく、
病気で普通に病院で亡くなったと仮定して、
すぐに遺族が登録先に電話連絡をすれば、
日中ならば、その日に、夜間であれば翌日の日中に、
大学から委託された業者が迎えに来ますので、
死亡した病院には献体する旨の事情を話しておくと、
強欲で金儲け主義の経営者の病院であるとか、
もしくは病院出入りの葬儀社と繋がりが深い看護師長が
余程の欲深女?でない限りは、搬送委託業者が迎えに来る時間まで
病院の霊安室に置いてもらうことも可能です。

すぐにご遺体を大学に引き渡してしまうのは偲びない・・。
せめて一晩だけでも住み慣れた我が家に帰してあげたい。
と思うご遺族は自宅に自家用車でご遺体を連れ帰って、
ご遺体に寄り添い、永別(わか)れの悲しみに浸って、
ある程度までのグリーフケアを完了?させることもできます。

また、ご自宅に戻られたご遺体は思いのほか早く腐敗が進むので、
夏場であれば、どうしてもドライアイスが必要になります。
急場しのぎとして、サーティーワン等のアイスクリーム店があれば、
事情を話して有料で分けていただくか、もしくは近くの葬儀社で購入するかして、
ご遺体の処置は万全にしなければなりません。
献体は新鮮なご遺体でないと防腐処置が巧くいかないそうです。
つまり、産地直送の目ん玉の澄んだ鮮魚状態でなければ、(笑)
登録していても引取りを断られる可能性もあるらしいです。

更には、搬送業者がお迎えに来る時間までに、
役所や役場に死亡届けを出して、
埋葬許可証は必ずもらっておかなければなりません。

そして、ご遺体と一緒に埋葬許可証をお渡しすれば、
各大学によって違いはありますが、1~3年後には、
大学の担当者がご遺族同席の元で荼毘に付してくれます。
なお、火葬、お経(希望すれば)、献花等の費用は、
すべて大学で負担してくれます。

自分で棺を買い置くことも、火葬場の予約も、搬送もしなくて良いので、
献体=ボランティア葬ならば、今話題の「0(ゼロ)葬」よりも
医学の発展に貢献できるメリットもあり、
死亡した病院から大学の献体用安置室への直行であれば、
正真正銘、一銭もお金はかかりません。


話が逸れますが、嫁いびりの激しかった姑に仕え、
そのわがままな姑の介護を長年に渡って強いられることもあります。
もしも、「こんな糞婆ァのために葬式代なんて一銭も払ってやるものか!」(笑)
と、お考えのお嫁様方は早めに、また姑が認知症になる前に、
憎い姑をおだてたりすかしたりして、検体登録を勧めましょう。
盆と正月に菓子折り一つで顔を見せ、お嫁様の作ったご馳走をバカ食いして
「じゃ、母をよろしく~」と帰ってしまう小姑には、憎い姑から、
た~んまりと法定相続金が入りますが、
お嫁様であるあなた様はどんなに耐えても尽くしても、
毎夜、悔し涙で枕を濡らしても、
たった一円の相続もできないのですから・・。


話を元に戻します。
医学生による解剖後の火葬時には
柩を開けて顔を見せてはもらえません。
細部の神経組織に至るまで解剖されますので、
切られの与三状態といいますか、いや、それよりももっと凄く、
多分、全身がパッチワーク状のフランケンシュタイン状態だからでしょうか・・。

なお、遺骨を受け取るか、受け取らないかについては、
各大学の指針及び都合により、全骨お持ち帰りの所と、
引き取りたくない場合は合祀墓に入れてくれる大学もあります。
葬儀費用一切なしで、合祀墓というお墓まで用意してくださるのなら、
ボランティア葬(献体)もいいな・・とお思いの方は
登録しようとする医科系大学や医学部のある大学が、
合祀してくれるのか?それとも全骨お持ち帰りしなくてはならないのか?
をよく調べてから登録されることをお勧めします。


それにしても・・・
老いた親の捨て方」と「一銭もかけない死に方」ですか・・?

う~ん。歳は取りたくないですが、自然の摂理には逆らえません。
今の日本で、天寿を全うするというその実態は、
ほとんどが寝たきりで紙おむつを当てられ、胃ろうを付けての天寿全うです。
そのような状態では、尊厳もへったくれもないように思うのは
私だけでしょうか?

日本がベルギーやオランダやアメリカの一部の州のような、
死の自己決定権(安楽死法案成立)は私が生きている間は望めないでしょう。

死は避けられない宿命としても、PPK(ピンピンコロリ)
で逝けなかった場合の死に至るまでの過程においての家族との軋轢や葛藤、
また、己が心身の苦痛はどうしても避けたいものです。
それには、時の流れに身を任せていては、どうにもなりません。
シニア世代と呼ばれるようになれば、大震災や津波から生き延びることも然り、
すべて事前におおまかな準備をし、心構えを構築しておくことが、
老いや死を考える上ではとても重要なことなのではないでしょうか?
そのときになって初めて慌てふためかなくて済むためにも・・。



以下、※週刊ポスト2010年12月17日号から引用
http://www.news-postseven.com/archives/20101208_7529.html

経済的に不安を抱える人の急増を背景に、
葬祭に金をかけない苦肉の策として、
大学病院の「献体」に事前登録者が殺到している。
献体とは、大学の医学部や歯学部で行なわれる人体解剖学実習の教材として、
自らの遺体を提供すること。献体のために大学病院に運ばれた遺体はどうなるのか。
都内私大医学部関係者が解説する。

「病院や斎場からご遺体が運ばれてくると、
まずホルマリン液を動脈から体内に注入してホルマリン漬けにします。
その後、今度は2~3週間ほどアルコール槽に漬け、
それが済むと専用の遺体保存冷蔵庫に安置されます。
その状態で、約2年間“待機”していただくのが一般的です。
冷蔵保存庫内は遺体の臭いが移るのを防ぐための仕切りがあり、
一体ごとにパウチされる。最近では、100体ほどを収容できる冷蔵室もあります。
ご遺体の性別や死亡時の年齢、死因にもよりますが、
古いものから順番に解剖実習に回されます」
 
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tag : 老いた親の捨て方 グリーフケア 葬式仏教 介護問題 特養 姥捨て山 一銭もかけない死に方 0(ゼロ)葬 ボランティア葬 合祀墓

明日は我が身か・・"認知症800万人時代" 助けて!と言えない孤立する認知症高齢者

今年1月放送したNHKスペシャル『終の住処はどこに~老人漂流社会』は、
高齢者が3000万人を超え、
介護施設に入れず、居場所を転々とせざるを得ない厳しい現実を伝えた。
今、さらに事態を深刻化させているのが「一人暮らし」で
「認知症」を患う高齢者の急増だ。
「助けて」と、SOSを発することもできず、
周囲も気づくことができない。
徘徊やゴミ屋敷などによって顕在化しても、
すでに認知症が悪化し意思が確認できないため、
介護サービスに繋げることができないのだ。
番組では、連日通報が寄せられる『地域包括支援センター』に密着。
ごく当たり前の人生を送ってきた高齢者が、
救いの手が差し伸べられないまま放置され、
“漂流”していく実態を追う。
さらに、社会保障費を抑制せざるを得ない今、
どうしていくべきか。現場の模索を追う中で解決へのヒントを探る。


昨日のプールでの水中ウォーキング中の主な話題は?
と言えば、なんとなく予想していた通り、
11月24日(日)午後9時00分~9時49分にNHKスペシャルで放映された、
『"認知症800万人"時代"助けて"と言えない孤立する認知症高齢者』だった。
日中、プールに来るのは、毎日が日曜日のシニアorシルバー層の方々ばかり・・
やはり近未来の自分の姿に重ね合わせているのか?
皆さん、こういう番組はよくご覧になっているようです。

私も観ましたが、おひとりさまの認知症の方は悲惨極まりなく、
また、おふたりさまであれ、認知症のパートナーの介護は、
気が休まらない・・というよりも先が見えない介護の日々に、
介護者が身体的にも精神的にも、
在宅介護という重圧に押しつぶされているように見えた。
悲しく痛ましい現実ですが、先にボケるが勝ちなのでしょうか・・?

また、おふたりさまの場合であれば、片方が認知症でなければ、
パートナーの異変に気づくが、おひとりさまの場合は、
本人には認知症という自覚がなく、家の中の片付けができない、
調理ができなくなるので食事も満足に摂れない、気分に斑がある、
処方薬が飲めない、行政のサービス及び介護保険のことも全く理解できない、
感情の起伏が激しくすぐキレる、入浴の仕方も分からなくなるので不衛生になり、
他の身体的病気にも罹りやすくなる。
ほかには、未公開株や投資やらの詐欺のターゲットにされても気づかない、
等々の弊害が起きる。
私のプー友(70歳のプール友だち)のお姉さん
(認知症の初期症状が出始めている85歳で一人暮らし)も、
必要もないのに、お客様用布団として、高額な羽毛布団セットを
3組(総額100万円)も買わされたらしく、
妹であるプー友が慌てて国民生活センター
消費生活相談窓口消費生活相談センターに駆け込んだが、
クーリングオフ期間が過ぎているとの理由で泣き寝入りをしたそうな。


国は要介護者の介護に於いては、
施設での介護ではなく在宅での介護に舵を切った。
番組では墨田区の場合、7000人の要介護認知症患者に対して、
たった4人の担当者が対応しているとか。
これって、国も東京都も2025年問題を全く考えていない・・
ということになる。
多分、私が住む自治体も同様だろう。


番組では認知症の老女が病院に連れて行かれ、
そのまま強制措置入院で施設に入れられて治療をするそうだ。
そして、その2週間後の老女の家の片付け風景を映していた。
あの痩せ細った認知症の老女が帰れる家はもうどこにもない・・。


認知症予備軍の800万人の中には入りたくないが、
哀しいかな、人間、明日のことは誰にもわからない。
介護者に成らざるを得ない場合のことを思うと、
リアルすぎる現実を観て、つくづく明日は我が身であり、
そして、その現実こそがこの国に生を受けた運命(さだめ)であり、
この国で老いるということの現実なのかと思うと哀しく情けなくなる。
安心して老い、心安らかに死んでいける国こそが真の先進国ではないのだろうか。

一般国民には利益どころかむしろ自由にモノが言えなくなり、知る権利も奪われ、
お互いに監視し合うように仕向けられる特定秘密保護法とやらに
うつつを抜かす政治屋ばかりのこの日本という国・・
いったいどこが先進国なのだろう?


そして、今後はますます、下記のような事件が頻発するのだろう・・。

横浜市港北区高田東2丁目の自宅で21日午後、
無職の男性(79)の遺体が見つかった事件で、
港北署は22日、殺人の疑いで、同居する妻(75)を逮捕した。

 逮捕容疑は、21日午前8時20分ごろから同日午後4時10分ごろまでの間、
自宅で夫を殺害した、としている。同署によると、同容疑者は
「認知症を患った夫の症状が2、3年前から重くなり、介護するのが大変だった。
夫の頭をハンマーで殴って殺した」と供述、容疑を認めている。

 同署によると、
血痕とみられるものが付着したハンマーが2階寝室で見つかった。
男性の頭部には複数の打撲痕があり、
同署は同容疑者が介護疲れで夫を複数回殴って殺害したとみて、
23日に司法解剖して死因を特定する。
 同署によると、21日午後、
同容疑者が川崎市内に住む姉夫婦に「夫が死んだ」と連絡。
姉夫婦が駆け付けると、2階廊下で同容疑者と夫が並んで倒れていた。
同容疑者は当時意識がもうろうとしており、
同署が回復を待って事情を聴いたところ、夫の殺害を認めた。

↑この事件、普段から行政が積極的に介入していれば、
防げたはず!と思うのは私だけだろうか・・?

早朝のウォーキングを徘徊と自嘲気味にいふ古希の友あり
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tag : 要介護認知症患者 2025年問題 国民生活センター

NHKスペシャル “認知症800万人”時代『母と息子 3000日の介護記録』を観て・・
先だっての朝日新聞の「ひと」欄を読んで、
これは我が夫婦の行く末のためにも必ず見なきゃ!
と録画しておいた、昨夜のNHKスペシャル、
『"認知症800万人"時代 母と息子 3000日の介護記録』
を先程観た。なお、介護記録としてカメラを回し続けた息子さんとは、
元NHKディレクターの相田洋さん(77)である。

以下「ひと」欄から引用
 認知症の母をみとるまでの8年間、家で介護しながら撮影し続けた。
「怒り半分。うっぷんばらしだよ」。自ら編集したその記録が23日夜、
NHKで放送される。

 廊下に落ちている大便。
今まで考えもしなかった日常を「考える間もなく撮った」。
発症後、母の家へ妻と移った。トイレや風呂場など、
他人ならためらう場所にカメラを取り付け、介護の様子を撮影。
「そろそろお迎え来るよ。ばんざい!」と陽気に、
だが、本気で話す自分のいら立ちも写した。
「これが長寿国日本で起きている今なんだと思いながらね」

 NHK時代を含めて50年以上、ドキュメンタリーを撮り続けてきた。
現場一筋。管理職を断り、ディレクターにこだわった。
1991年の半導体産業を追った番組では足かけ3年、
日米100人の専門家に取材。
落語家のような語り口で自ら番組を案内したことでも評判になり、
数々の賞に輝いた。

 「知られたくない部分に真実がある」が信念だ。
だが、今回は悩んだ。「母を好奇の目にさらすのではないか」。
放送は想定しなかった。地元の病院から頼まれ、
高齢者相手に小さな上映会を開いて終わるはずだった。

 NHKの依頼に2年間反対し続けたある日、思った。
「名も知られずに100歳で逝った母が
日本一有名なばあさんになるかもしれない。
それもテレビ屋としての親孝行かな」

引用ここまで。



我が家では義父母ともに長寿であったため、
加齢が原因の認知症が出ていた。
幸いにも、無自覚でウ○チをこねくり回したり、
廊下に落として歩くほどの進行度ではなかったが、
90代の義母はトイレが間に合わなくて、
ウ○チのおもらしはよく有り、
自分の意思で紙おむつを当てていたという。
また80代で老衰で亡くなった義父には盗られ妄想
義母にはまだらボケが顕著に出ていた。

そこで、私が心配なのは、長寿のDNAを持つ我が夫の行く末である。
夫は団塊世代。多分人数が多すぎて施設にも入れない。
そのときに夫が認知症になった場合の参考にしようと思ったのだが、
3年来の腰痛持ちで、か弱い私の細腕?では、
夫をおんぶも抱っこもできず、
またそのときに夫の足腰が丈夫であったなら、
彼の徘徊にも着いて回れない。
今の計画では、介護保険をフルに活用してのデイサービス等の
利用ぐらいしか思いつかない・・。


元NHKディレクターの相田洋さんのご母堂様は、
在宅看取りではなく99歳で病院でお亡くなりになったのだが、
先ずは食事が出来なくなり、表情も消え、言葉を発する力も無くなり、
徐々に体が萎んで枯れたようにお亡くなりになるという、
最も自然の摂理に即した形でのお亡くなり方であったことに感銘を受けた。

もちろん、認知症にも成らず、無痛性の急性心不全のような病気で
ピンピンコロリで逝きたいものだが、
人間、誰しも思い通りに死ねるとは限らない。
孤独死や自死以外では、
老いては人は独りではなにもできない日が必ず訪れ、
死ぬときも誰かのお世話にならなければ、
あの世へもゆけないものなのだと痛感させられた。



また老々介護と聴くと、
介護者と被介護者の双方が疲れ果てた末の介護疲れ殺人や
介護疲れ無理心中しか思い付かなかったが、肉体的にはキツくても、
あんなにも明るく愉しく笑える老々在宅介護もあるのだ・・。
と、深刻さの中にも笑いの絶えない番組ではあったが、
一部の映像の裏に隠された膨大な3000日の介護記録の内実は
とても笑えるものではなかっただろう。
被介護者の認知症の症状の様々さに対応するのは大変なことであり、
親であっても、パートナーであっても、介護者にある程度の体力があり、
それに加えて、相当な覚悟を持っていないと、
認知症を患っている人の在宅介護は無理なのかもしれない・・。



そして今夜は“認知症800万人”時代、第2夜、
『"認知症800万人"時代
"助けて"と言えない孤立する認知症高齢者』の放送予定だそうです。
もちろん、録画予約しました。

腰曲がり腕も上がらず排泄も人の手借りむそれが老いなり
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tag : 相田洋 盗られ妄想 まだらボケ 孤独死 老々介護 認知症

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気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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