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ポロリ、ポロリと死んでゆく。みんな別れてしまうのだ。 呼んだって、帰らない。なにしろ、此の世とあの世とだから叶わない。
今日、唐突に友の死を知らされた。
今、私の心の中は哀しみと無常観で覆い尽くされている。
そして、中原中也が弟の死に際して悼んだとされる詩。

「ポロリ、ポロリと死んでゆく。みんな別れてしまうのだ。
呼んだって、帰らない。なにしろ、此の世とあの世とだから叶わない。」
が身に滲みる・・。

その人は花友と呼ぶにふさわしい花好きな女60代性であった。

私がプールに行くために、バス停に向かう途中の路地に
色とりどりの花に溢れるその人の庭と家はあった。

ある日、その彼女から突然声をかけられ、
「あの~、お近くの人ですよね?
増えすぎて捨てるに忍びなくて・・
ご迷惑でなかったら、この花をを貰っていただけませんか?」
と、ポットに植え替えられた水仙を手に、声をかけられた。

どうやら、彼女は2階の窓から、
私が週に2、3回、往路と復路に同じ時間帯に
彼女の家の前を通り過ぎるのを見ていたようであった。


知り合って約3年。
その後、彼女とは庭友、花友として、
彼女には色々な花の名前や育て方を教えてもらったりしていた。

その彼女が一年ほど前のある日、
「私ね・・難病の宣告を受けちゃったのよ。今度入院するの。」
と言い、その日以来、
彼女が庭でガーデニングを楽しむ姿を見ることはなかった。

あんなに元気だったのに!と驚いたが、
急激に病状が進行する難病らしく、
「もうガーデニングは無理らしいわ・・。」
と今にも泣き出しそうだった顔が今も忘れられない。



その後は、ときどき水やりのために庭に出てきているらしい
ご主人様に偶然逢ったときの話によれば、
「もう家には帰れないだろうと思うよ。」
とご主人様は寂しげに話をしてくれた。





そして、今日彼女の家の前を通ったら、
ご主人様が植木鉢やプランターに水やりをしていた。
世間話の後で、訊いていいものかどうか迷いに迷ったが、
思い切って訊いてみた。
「その後、奥様の具合はいかがですか・・?」と。


「ああ、女房ね・・・・
今年の正月に亡くなってさ、
家族だけで見送って、女房の希望で海に散骨したんだよ。
今頃は千の風になって、その辺を吹き渡っているんじゃないかな・・
あなたにはいろいろ、お世話になったらしいね。ありがとうね。」と、
意外にもあっさりした口調で彼女の入院生活のことなどを
お話してくださった。

永別のためのグリーフケアには息を引き取るまでに
十分過ぎるほど時間を割いたので、亡くなられた直後も現在も、
世間で言うところの喪失感はそれほど湧いてこないのだとも、
おっしゃっていた。

そして、彼女の一番好きだったという菫を一鉢、
形見として貰って欲しいと言われ、
彼女の化身のような気がして、ありがたくいただいて帰ってきた。

彼女とは、庭や庭越しに話をするだけで、深く濃い付き合いはしなかったが、
同い年の花友として、綺麗で美しい思い出だけを残してくれた。

「この庭の桜の木から花びら舞う季節が来たら、この庭テーブルでお茶しない?
お茶に桜の花びらが入ったら、自然の桜茶になるわよね。♪」
と、楽しげに笑っていた彼女。

その約束も果たせずに彼女は千の風になってしまった。
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3年前、我が家の狭庭辺に植え替えた水仙が可憐に咲き誇っている。
その隣に今日形見としていただいてきた菫を置いた。
r343_b
彼女は難病に罹る前に自身の手で、
死後に自身の姿を花に変える準備をすでに済ませ、
人の命の儚さとともに、人を悼むということの本当の意味を
教えてくれているような気がしてならない・・。
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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : ガーデニング 千の風

「死を見つめることは生を見つめること」を実践し、抗がん剤治療を拒否して逝った友の潔き死にざまを思う・・。
蒸し暑い日はプールに限る!といつものノー天気な感覚でプールに行ったら、
約3カ月ほど前から姿を見せなくなっていたSさんご夫妻(お二人とも70代前半)
のご主人様だけに入り口で出会った。

いつも仲睦ましくプールに見えていたSさんご夫妻。
奥様は私同様に腰痛があるといっていたので、もしかして悪化でもしたのかな?
程度に考えていたのだが、
必ずペアで見えるご夫妻なのになぜか今日は奥様の姿が見当たらない・・。
不思議に思いながら、「こんにちは。お久しぶりです。
ところで、?今日は○○○さん(奥様の名前)は?」と訊ねたら、

なんと・・・ガンで一ヶ月前に亡くなられたとのこと・・。




茫然自失状態でおかけする言葉が浮かばない私・・。


そんな私を見て、Sさんが「ロビーの椅子に座りませんか?」
と優しく声をかけてくださり、横並びで座った私とSさん。


そのSさんがおっしゃることには・・・・


『実はですね。今だから言えますが、
女房にはね。五年前に受けたガン検診で
転移性のガンが見つかったていたんですよ。
医師からは手術は無理なので抗がん剤でも・・
という話があったのですが、
女房は「今はどこも痛くも痒くもないのに
体力気力精神力を奪う抗がん剤治療を受ける必要はない。
私はその日が来るまではで、この家で今のままの生活を続けたい。
それに、歳を取れば二人に一人がガンで死ぬ時代なのだから、
私はガンもいずれ必ず来る死も受け容れます。
やがて、そのときが近づきつつあったらホスピスに入ります。」
と言い張りましてね。
僕と娘は何度も何度も「あなたの命はあなただけのものではない。」
だから、抗がん剤治療を受けて欲しい!と頼んだのですが、
女房は「60歳を過ぎたらもう余生であって、私の命は私ものものなのだから、
私の命の終わらせ方は私が決めます!」
と普段から穏やかで物静かで僕には従順だった女房が、
頑として抗がん剤治療に同意せずに自分の意思を貫き通したのです。
あんなに自己主張をする女房を見たのは初めての経験で、
僕には抵抗すらできませんでした。

そういうわけで、ホスピスに入るまで何事もなかったような
顔をして、二人でプールに通い続けていたのです。

それでも、ガンは緩やかに穏やかにですが、
着々と進行していたのでしょう。
ちなみに女房は医師にも僕にも「余命は知りたくない!」と言うので、
僕だけが訊きましたが医師は一年から数年と言っていました。

もちろん、娘も初めのころは、
「もしかしたら、抗がん剤治療が効果を発揮するかもしれないじゃない?
だから、お母さんお願いだから治療をけて!」と、
しつっこく抗がん剤治療を進めていましたよ。
でも、あまりにも自分の意思を曲げないので、
途中からは「お母さんの選んだ人生なのだから・・」と
抗がん剤治療のお願いも説得もしないようになりました。

ガン告知を受けて、何の治療も受けず、また余命も知らずに
約五年間も当たり前の生活を続けられたんですから女房も本望でしょう。
力ずくで抗がん剤治療を無理強いしていたら、
女房の死期を早めていたかもしれないな・・。
と今は考えるようにしています。


亡くなる二か月程前には女房が自分でホスピス入院の手続きをしてきましてね。
そのときにはすでに自分の死期を悟っていたのでしょう・・
僕はいざとなれば在宅で最期をと考えていたので、
寝耳に水の話で驚きましたが、
女房の意思は固くて覆すことはできませんでした。
後に、僕に迷惑をかけたくない一心でのホスピス入院だと知って、
女房の生き方にも最後の締めくくり方にも、
今は堂々と自慢の女房だったと言い切ることができます。

また、ホスピスに入ってからもですね。
思ったほどの麻薬に因る緩和ケアを受けることも少なくて、
尊厳を持って最期に至る日々を過ごしていたように見えました。
そのときには、自分の死を100%死を受容していたのでしょうかねぇ?
鈍感な僕には女房の葛藤や本音は判りませんでしたけどね。
最期の日の昼ごろには「わたし、もうすぐ永遠の世界に行きます・・。
あなた、○○ちゃん(娘さんの名)、今まで幸せな人生をありがとう。」
の言葉を残して、その後は意識混濁状態になりましたが、
夕方には穏やかな顔をして凛とした最期を迎えてくれました。
僕にはとても真似できそうもないですがね。
それに、世間で言うほどには僕に喪失感がないのも
女房が僕と娘宛てに書いておいてくれていた
感謝の言葉に溢れた「思いやりノート」のおかげだと思うのです。
世間ではエンディング・ノートと呼ぶそうですが
僕には「思いやりノート」なんです。

僕なんかは女房のような「潔いな死にざま」は絶対無理だな・・
抗がん剤治療が命を縮めるかどうかは僕には判りませんが、
医師に言われるままの治療を受けるでしょう。
そして、最期には「まだ死にたくない!」とか叫びそうな気がしますよ。
叫ぶ体力があればの話ですがね・・。
それにしても、女性は最後にはあんなにも強くなれるものなんですね。
女性は死ぬのって怖くないんですかね?ボケ田さんもそうですか?』


と訊き返された。


ありきたりのお悔やみの言葉のあとに、
「男女に関わらず、死に対する考え方は人それぞれだと思います。
奥様の○○○さんとはよくメメント・モリに関するいろいろな話をさせていただいておりました。
他の皆様はそういう話は縁起でもない。
と嫌がる方が多いので私とだけしかそういう話はしていなかったと思いますが、
奥様は「死を見つめることは生を見つめること」と常々おっしゃっていましたので、
この方は凛とした生き方をしている人だわ。とはいつも感じておりました。
ですから、まさに身を持って、凛としたエピローグをも実践されたのだと思います。
それから、人生に対する考え方にも共感できることも多くて、
もっともっといろいろなことをお話したかったです。
生死に対する考え方が私と似ている人生の先輩を
失ったことは私にとっては非常に残念なことです・・。」

と答えるのが精いっぱいだった。




家に帰ってきてから、改めて遠藤周作「死について考える」を読み返してみた。


諦という字、これはあきらめで、日本では普通ギブ・アップと同じ意味だけど、
仏教ではこれは悟りであるわけですね。
我執とかエゴとかあらゆる執着から脱却することらしいのです。
あの松川裁判を書いた広津和朗さんは、晩年、道徳なんて若い者には必要だろうけど、
年をとると必要なくなるね、体力気力が衰えて来ると、
別に道徳を説かなくても、人減なんて自然に道徳に従うようになるものだ、
と言っておられたそうです。
年をとればそうなるかもしれませんが、若くたって、長い入院生活をしていると、体力が衰え、
病室で毎日苦しい思いをしているから、別に解脱したくなくても、
もうこんな世界なんてどうでもいいやという気持ちになりまして、執着も煩悩もなくなります。
執着する体力気力がなくなるのです。
私はそういう経験を三度目の手術のときにしたことがありますが、その時は、面白くもなく、
苦しいだけの世界からのがれて、早く次の次元に行きたい、と考えるようになりました。
何度か入院して、元気なときは死というものが怖かったけれど、
次第にそんなものは怖くないという気持ちになったものです。
でも、ドストエフスキーの作中人物が言っているように、
人類が死を恐れるのは死の瞬間がピクッと痛い、そのピクッが恐ろしいからかもしれません。
でもピクッのあとには・・・・・・。
私は先輩や肉親の死に顔を真夜中によく思いだします。
どんな死に顔にもかすかな微笑が漂っているか、安心したような翳がありますね。
あれはピクッを過ぎたあとの表情だと思います。
「入る時は冷たいが入ってしまうと・・・・・・」とセスブロンは死について言っていましたが、
死に顔はその「入ってしまった」安心の顔なのですね。
あの顔の中には永遠が隠れています。ピクッのあとにその海が広がっている。
                      P120~122より抜粋

友人の○○○さん 享年7X歳 永遠の世界に旅立ちました。
私と彼女が共通して好きな曲「G線上のアリア」を亡き友に捧げます・・合掌

歳を取るのは容易くも重ねることは難しと思ふアリア聴きつつ
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テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 緩和ケア 我執 執着 ドストエフスキー セスブロン G線上のアリア メメント・モリ

未曾有の大震災から2年。さまよう心・・「会いたい、それだけです....」

会いたい、それだけです
気持ちは、ずっと変わっていません。1人だけ残ってしまった。
自分だけ生き残ってしまって、よかったのだろうか。
思いは、いまも消えません。

落ち着ける場所がないんです。
家がなくなってしまったからではない。
いるべきはずの家族がいないから。

ただただ、家族に会いたい。それだけです。

 

ただ、働く意味や、生きる意味がわからなくなってしまったという。

 
周りの方からは「奥さんや娘さんのお墓を守るのがあなたの役目だよ」
と言われることがあります。
でも、いまはまだ、道筋がみえないんです。

あれから2年がたち、みんなが復興に向かって動いています。
でも、私は家族を失ったという思いにとどまっている。
そんな気持ちを口にすることも難しくなっているように思う。

 
いまは更地です。でも、仕事から帰ってきたあと、夜にでも行く。
そこに行くと、家族と暮らした日々を感じることができるんです。




辛いわね・・・

そして、悲しいわね・・・






未曾有の大震災から、2年・・
人は時間を戻せないことを自覚しながらも、
過去を求めることを諦めるめることができない。

世の善良な人々は、彼の苦しみをどうすることもできず、
「奥さんや娘さんのお墓を守るのがあなたの役目だよ」
などと慰めてくれる。

だが彼は、屍になってしまった家族の抜け殻と対峙するよりも、
確実に家族の体温を感じていた、今は更地となってしまった
元、家のあった場所に行き、3.11前の日々を思い起こしては、
ただただ、呻き続けるしか、自我を正気なままで維持させる方法はないのかもしれない。

他人から、どんなに美辞麗句で慰められようとも、
また、彼がどんなに呻いても嘆いても、過去には戻れず、
家族はもう2度と、彼の目の前には帰ってこないことを知っている。
そして、あの2年前の、家族を奪って行った残酷な自然災害が、
今も「納得できない」ことを彼は行動で現し、
その行動の先にも、答えがないことを知りながら
「なぜ、我が家族がなぜ?」を、
自分だけが生き残ってしまった自責の念とともに
問い続けるしかないのだろう・・。



例えば、天寿をまっとうした老親の死ならば、
その死には納得が行くかもしれない。
だが、何の罪も犯していないのに、また何の落ち度もないのに、
自然災害での死という不条理極まりない命の消え去り方は
残された人にとっては、何年の時が過ぎ去ろうが、
決して受け容れがたい事象で在り続ける。

それでも残った人は、くじけながらも、何度も何度もつまづいても、
そしてまたふと、立ち止まり、亡き人々の記憶を胸に抱きながら、
生の意味を自問自答しながらも生き続けるしかない。

不条理な死で命を落された数多の人々の残した生と死の貴重な記録として、
また、知的財産として、それに決して無駄死にではないという事実を
無名の次世代の人々の心に確実に繋ぐためにも・・・。

2011.3.11PM2:46
東日本大震災と数多の命を奪った大津波、
そして、収束さえいつになるか判らない、
福島第一原発事故を私は決して忘れない。

くじけても泣きながらでも今ここに在る我が生を受け容れるしかなく
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

tag : 自然災害 知的財産 2011.3.11PM2:46 福島第一原発事故

便失禁のショックで落ち込む85歳と死人(しびと)へのノスタルジア
現在、友人のA子(60歳)の御母堂B子(85歳)は介護保険の要介護1と認定され、
老健施設に入所中である。
本人は両手に杖さえつけば、ヨロヨロしながらでも独りでトイレにも行けるし、
ゆっくりだが独りで食事もできる。
そして、毎週一回、娘(A子)の週末の来訪を楽しみにしている。

そんなB子さんが、先日の灼熱地獄の中、
A子の運転でデパートに夏物のブラウスを買いに行った。

愉しそうに品物を選んでいる最中に尿意をもよおしたB子さん。
トイレに行ってズボンを下ろして、あら!?びっくり!!
なんと、大のほうを「おもらし」していた痕が・・・・・・・

ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!

「嘘よ!嘘よ!だって、便意なんて一度も感じなかったし、
臭いもしなかったじゃない?この私がおもらしをするなんて?
それも大のほうだなんて!これはきっと悪夢よ。そうに決まってるわ・・。」

婦人用お手洗いの個室で独り、現実を受け入れられずにつぶやいていると、
あまりの遅さを心配して娘がやってきた。

「母さん?まだなの?」と娘の声がする。

まさか、便で汚れたズボンをそのまま上げて個室から出るわけにもいかない・・
仕方なしに娘に事実を告げた。

娘は慌てふためき、真夏なのにレッグウォーマーをして、
ズボン下まで穿いている寒がりの母親の下半身に身につけているものを全部脱がせ、
臭いに辟易しながらも、備え付けのトイレット・ペーパーと、
持っていた汗ふきお絞りタオルとテッシュペーパーを濡らして下半身を拭いたが、
それも足りなくなって、タオルを買いに走り、なんとか身体を綺麗にし、
今度は下着とズボンと靴下を買いに走り、
汗だくになりながらも母親をトイレの個室から連れ出すまでに30分もかかった。


やっとB子は節電で冷房の効いていないデパートのトイレでの、
臭いと汗の悪戦苦闘からなんとか解放されたが、
母親の落ち込みが激しくて、目も当てられない。
そして、「もう老健施設には戻りたくないの・・家に帰りたいわ。」と言い出す始末。

なんとか宥めすかして、老健施設にお戻り願ったが、帰り際に施設の人に訊いたら、
「ここでも『大のおもらし』が一回ありましたよ。
紙おむつを勧めましたが嫌がりまして・・。」
とのこと・・・。

今月で母親の介護認定期間が切れ、
近々認定更新の為の調査面接を受けることになっている。
娘のA子としては、人工関節を入れている身であり、
介護等の力仕事は禁じられているし、
特養に申し込んではいるが、いつ入れるかも判らない状況では、
なんとしても再び要介護認定されないと非常に困る・・・。

ところが母は、今なお便失禁のショックで落ち込んでおり、調査面接のときには、
「私はまだ紙おむつを当てられるほど老いてはいない!」がごときにシャン!として、
介護が必要な受け答えをしないで、、、、
つまり要介護認定を逃がしてしまいそうな気配が感じられる。

B子は母と一緒に調査面接を受けることにしたが、施設側では、
「認知症でもないのに御一緒に面接ですか~?」
と歓迎していない態度がありありと見えている。
やがては自分もいずれ行く道とはいえ、A子には頭の痛い夏が訪れている。



悲しいことだが、嫌でも人は老いてゆき、嫌でも死ななければならない。
今日は私の母の命日である。
生きていれば友人の御母堂と同じ85歳の夏を迎えていた・・・。
単なる死人(しびと)へのノスタルジアかもしれないが、
毎年私の子供が夏休みになると母に孫の成長を見せに連れて行った日々が懐かしく蘇る。
老いと死の境で母は何を見、何を考えていたのだろうか・・?
母の命日が訪れる度に気になって仕方がない。
110721r
死してなお募る想いよ母という無名の女(ひと)に野花手向ける
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 介護保険 老健施設 要介護認定 ノスタルジア 老いと死の境

永眠した友へ・・それでも人生にイエスと言う?
2年前の58歳のときに罹患した脳血管障害の後遺症で、
歩くことと話すことが、少しだけ不自由になったA子。

「もう、この家には私の居場所はないの・・
生き地獄より天界の地獄のほうが、まだましかもね。
早くお迎えが来ないかな・・」
と、いつも口癖のように言っていた。

「大丈夫よ・・いずれはどんなに嫌がっても、
貴女にも私にも必ずお迎えの時が来るんだから、
今は静かにそのときを待とうよ。」と私は冗談めかして言っていたものだが、
彼女にとっての死は冗談の範疇ではなく、真摯にお迎えを待っていたようだった。

ご主人様を40代で亡くし、女手ひとつでひとり息子を育て上げた
気丈な身体と精神も、不自由な体になってからは、もはや弱々しくなってしまっていた。

彼女が病気になってからは、家では一切の人権はもぎ取られ、生活全般は全て嫁に仕切られ、
朝食は大好きなご飯と味噌汁とアジの干物のメニューもパンとハムエッグと牛乳に変えられ、
食べるのが遅いからと言われて、まるで禁固刑女囚のように
食事は毎回部屋の前に置かれていた。

そのうち、夜は居間に行って家族とテレビを見る気も失せ、
北側の寒々しい六畳一間で身じろぎもせずに
居間から聴こえる息子夫婦と孫たちの愉しげな声を聴きながら、
無感動を装い、独り寂しく、若いころに買い集めた本を読みながら、
眠れぬ夜はラジオを聴いて孤独を紛らす日々・・。



それでも、ときどき顔を見に行っていた、
私のような我がままで独善的な人間に対して、
「40年もの長い間私の親友でいてくれてありがとう・・」だなんて、
今まで悔し涙しか流したことのない私に、
嬉しさと切なさと悲しみが入り混じった複雑な涙を溢れさせ
「一生分の涙が枯れ果てたわよ。」と思うほど私を泣かせてくれたA子。

一年後、再び彼女に不幸が襲いかかった。
病気は婦人科系の悪性腫瘍。
そして、入院も治療も拒み、家で療養を続けていたが、
最後は家族によって病院に救急搬送され、
余命告知通りの一年後に静かに息を引き取った。


彼女が召されて3ヵ月が経ち、そして今日は彼女の月命日でもある。
享年60歳のA子の晩年の病苦と悲しみの涙を洗い流してくれるように、
私にとっても、命には終わりがあることを知らしめるように、
窓の外では、春が終わって夏が来ることを告げる
初夏の香りを漂わせた泪雨が降り続いている。

彼女が病院に搬送される一週間前に、
「あの世じゃ必要ないから形見に貰って・・」と私にくれた本。

それでも人生にイエスと言う」を読みながら、
彼女が引いた棒線のあるページを写し書きして、
彼女の歩んだ星霜を追体験している。



「やっと病苦から解放されて自由になれたわね。
それでも居場所のなかった人生にイエスと言うの?」
と問いつつも、
いまやっと彼女に「永遠のさよなら」を言うことができそうな気がする。


病気と死は「贈りもの」
P80~
このように、生きる意味全体のなかに、死んでいく意味もあると考えられます。
病気になり死んでいくことはなにかを失うことではなく得ることだと考えるのは、
そういう意味です。けれども、そう考えるだけではなく、病気になり死んでいくことは
「贈りもの」だと考える人たちがいます。いまではもう、
そのことも、不思議に思うことはありません。
ここに、ある手紙の原物があります。この手紙について強調しておきたいのは、
この手紙が私あてに書かれたものではないということです。ですから、この手紙を書いた人は、
それがいつか私の講演で例として利用されようとは思いもよらなかったはずです。
ただ、手紙の問題のところを読み上げるまえに、
それまでのいきさつについてお話ししておきましょう。
この男性は、急に、生死にかかわる重い脊髄の病気にかかりました。
そして、もっといい看護を受けるため、
ウィーンを遠くはなれた親しい婦人の別荘に滞在していました。
その男性の知人たちが、ヨーロッパで最も有名な専門家のひとりに問い合わせたところ、
その専門家は、手術にかんして否定的な見解を示しました。その専門家によると、
手術をしても生きる確率はせいぜい五%しかないだろうということだったのです。
ところで、知人のひとりが、そういう事情をのこらず書いた手紙を、
その患者さんが当時客として滞在していた家の女主人に送りました。
その手紙を、なにも知らない小間使いが、
女主人と病気の客がいっしょに朝食をとっているときに、
盆にのせて部屋にもってきました。さて、ここにある手紙で以上のことを記したあと、
その患者さんはさらにつぎのように続けています。
「そういうわけで、彼女は、その知人の手紙を私に見せないわけにはいきませんでした。



私の記憶がたしかなら、ある日私はここの映画館で上映された
最初のトーキー映画を一緒に見に行かないかと
ある友人に強く誘われたことがありました。
それは『タイタニック号』という映画でした。フリッツ・コルトナーが、
手足が麻庫した車椅子の詩人の役をすばらしい演技で演じていました。
その詩人は、立ち上がろうとしますが、立ち上がることができません。
それから、出水が頭のところまで上がってくるに任せます。
そして、主の祈りを先になって唱えるのです。
こうして、しっかりと意識して小さな運命共同体を死に導いたのです。
私はこの最初の映画体験に衝撃を受けて映画館を出ました。
そして意識して死に赴いていくというのは、
運命の贈りものにちがいないと考えました。
いまや運命は、私にも、意識して死に赴いていくことを許したのです。
私は、もう一度自分の闘争心を試すことを許されたのです。
しかし、この戦いではそもそも勝利することが問題なのではありません。
力の限りを出しきること、いわば最後の体操の練習が問題なのです。
私は、できるかぎり、麻酔なしで苦痛に耐えたいものです。
『無駄な戦い』ということばは、私たちの世界観では絶対にあってはなりません。



あなたはひとごとだからなんとでもいえる、もし現実に死に直面していながら、
私が可能だし必要だといったような態度を泰然と保っている患者がいたら見てみたいものだ、
などとはいえないと思います。この手紙を書いた人は、ひとごとどころではありませんでした。
それでもやはり、彼はそのような態度をとって、要求されたことを現実にやって見せたのです。



思えば・・あの未曾有の大震災から今日で2ヵ月。
未だに行方不明者が9800人超もいらっしゃるとか。
あの大震災と大津波と原発事故で、かけがえのない家族や家や田畑や仕事を、
そしてふるさと失った多くの人々は、今は人生にイエスと言える心境ではないだろうが、
いつの日にか「それでも人生にイエスと言う」日が訪れるのだろうか?
などと疑問符で終わらせないためにも、我慢と忍耐は美徳などと考えずに言うべきことは言い、
必ずや「それでも人生にイエスと言う日」が訪れて欲しいものである。
110511r
五月雨(さみだれ)に浄化されゆく鎮魂の紅蓮の焔(ほむら)を水面は映せり
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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 生き地獄 それでも人生にイエスと言う 禁固刑 女囚 永遠のさよなら 病気と死は「贈りもの」

明日は我が身・・未曾有の巨大地震へのレクイエム
先日のニュージーランド地震で、
無念にも亡くなられた方々の報道に接している昨今。
今度は昨日、巨大地震が太平洋側の東日本を襲い、
大津波でも甚大な被害をもたらしました。





よく、自然災害が起こると、高齢者の方々が、
「今まで生きてきて、こんなに無残な自然災害に遭うのは初めてよ。」
とおっしゃっているニュース映像を目にすることがありますが、
私もこの歳まで生きてきて、こんなに大きい地震には初めて遭遇しました。

その長い大きな揺れの中で、

「もしかして、これがいつ来てもおかしくないと言われている東京直下型地震?
私はこの地震で今日死ぬのかな・・?ここで死んでも、それが運命なのね。」と、
意外と醒めた意識で死を覚悟する私がそこにいました・・・。

ときどき訪れる余震の中、眠れぬ夜を過ごしましたが、
それでもなんとか生き延びて、
今日こうしてブログの更新をしている訳ですが、
このような自然災害では、人間の命は明日、否、一秒後には
どうなっているかは判らないものだと改めて再認識しました。

「備えあれば憂いなし」と言います。
自然災害にも、己が命の終焉にも、
何事にも準備が必要なのでしょう・・。

我が家は地震直後から約6時間停電が続きました。
防災用品を入れたリュックから、
携帯ラジオと手回し充電ライトを出し、
暗く寒い部屋で真冬のキャンプのごとき時間を過ごしながら、
ラジオで地震の状況を知ることができました。


亡くなられた方々も大勢いらっしゃるとの報道がされています。
津波によって壊滅した町の無残な姿・・・。
この未曾有の大惨事を目にしても、
自然災害の前には我々は成す術はないのでしょう・・。

東北地方に居住する親戚との連絡もまだ取れていません。
通信規制されているようで、
固定電話も携帯電話もメールも通じません。


まだまだ余震も続き、大津波の心配もあるそうです。
福島第1原発1号機の周辺で、
放射性物質のセシウムが検出されたとの発表もありました。


明日は我が身・・
私にもできる範囲(義援金の募金とか・・)で、
復旧のお手伝いをさせて頂くつもりでいます。

今後、どれだけの時間を必要とするのかは判りませんが、
復興が速やかに行われることを祈っています。

避難所にいらっしゃる大勢の方々や被災されました皆様にはお見舞いを、
無念にも亡くなられた方々にはご冥福を、
ご遺族の皆様には心よりお悔やみをを申し上げます。
110312r
白百合はこんなに悲しい色なのか・・無念なる魂にレクイエム捧ぐ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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