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現代お墓考・・私はプランクトンの餌になり食物連鎖する。
私の分のエンディング・ノートは書き終えたが、
夫は「今はそんなものは書きたくない。ついでに俺の分も書いておいてくれ・・」
と言う。

私と夫のどちらが先に逝くかは神のみぞ知ることである。

私が残された場合を想定すれば、
葬儀と墓に関してだけは、私が取り仕切らなくてはならなくなる。

そのときに慌てなくても良いように、
そして、自由価格である葬儀業界の、
その中のぼったくり葬儀社の言いなりにならないためにも、
普段から夫が口にしている終活への思いを重視して
「葬儀と墓」部分だけを代筆して書き進めることにした。




今日、たまたま墓所購入勧誘の電話がかかってきたので、
先ずはお墓から・・。


いつも、墓所購入勧誘電話に対しては、
「お墓は既に購入してあります。後は入る日が来るのを待っているだけです。」
と答えて電話を切る。
実際にはお墓なんてないけれど。(^_^;)


私の祖父母も父母も地域の慣習に従って仏式で葬儀をした。
そして、当然のごとく、檀家である○○寺所有のお墓に入った。
母が亡くなる前は準檀家であったが、今は正檀家になった。
(今もそのシステムがよく解らない・・・。)
要するに、ほとんどの場合は
寺所有のお墓に入るには檀家になる必要があるということなのだろう・・。

では檀家とは何か?
三省堂 大辞林に因ると、

ある寺の信徒となり、布施などの経済的援助を持続して行い、
葬式・法事などを行なってもらう家。また、その家の人。

他にも、
「一定の寺院に属して、寺を維持していく一般の家のこと。」
とある。



今まで寺との付き合いは皆無。
旧家でもなく、古くから続く由緒ある家系でもない。
夫が死んだからと言って、(夫まだ生きているけど、私が生き残ることを想定してるのよ・・。)
狭いウサギ小屋に住み、財産も無い私が今更何処かの寺の檀家になってまで、
お布施とかいう訳のわからないお金を払い続け、除草や清掃作業等の奉仕までして
その寺を維持していく必要性は全く感じない。


余談であるが、夫の実家には二つの仏壇と三柱の位牌がある。
住職はお盆、春秋のお彼岸、そして各故人の月命日にもお経を唱えにやってくる。
お盆と春秋のお彼岸はまとめてお経を唱えるが、月命日を合わせると、
年間合計39回もお経を唱えにくることになる。

その度に仏壇用の花とお供えの果物(2000円相当)を買い、
お布施(3000円)を準備し、
何時に来るか解らないので、一日中家に居なくてはならない・・。
しかし、その月命日の日に他所で葬儀が入ると、無断欠勤をする。
欠勤を9回として、年間合計約30回とすると、
合計90000円のお布施を払い続けることになる。
檀家になるということは「その寺を維持していきます」という契約を結ぶ事なのだから、
契約をしてしまった以上は、
「月命日は来なくていいです。」とも言えないのであろう・・。


寺院関係者や葬儀業者にはエラク評判の悪い、(当たり前よね・・)
「葬式は、要らない!」に因れば、

「檀家契約を結ぶということは金持ちの道楽である。」
それに、都市部や地方の違いもあるが、
「寺を維持するには最低でも約300件の檀家が必要である」と書いてある。
この数を思い出して住職に檀家数を訊いてみたら100件との答えが返ってきた。
なるほど・・日銭を稼がないと寺を維持できないわけね・・・。




私には檀家契約は到底無理・・・・・・・・。




なので、檀家になり寺院墓地を買うことは考えるまでもなくパス!



では夫の遺骨をどうするか?

①公営霊園墓地を買う。
※家の近くの公営墓地の場合、
 4㎡で永代使用料1,000,000円、維持管理費として年間2,800円。
※我が夫婦にはお墓の継承者はいない。

②夫の実家のお墓(ロッカータイプ)に入ってもらう。
※遠隔地なのでお墓参りに行くのに飛行機や新幹線を使わなくてはならなくなる。
  場合によっては宿泊も必須。
※私がヨボヨボになったら行きたくても行けない。
※維持管理費年間3000円が必要。

③戦後良く聞いた話のように電車の網棚に置いてくる。
※遺失物として保管された後に持ち主が現れなかったら、上野の某寺の合祀墓に入れてくれる。
※公序良俗に反する。

④合成ダイヤモンドに加工してペンダントや指輪にして手元供養をする。
※合成ダイヤモンド加工料:1.00 Ct約2,480,000~  
 ジュエリー加工料:約62,000~148,000
※公営墓所より高い。
※そんなお金があったら、
  私が死ぬ前に一度は行きたいインドのベナレス(偉大なるガンガー)に行く。
※ダイヤモンドに加工して手元に置くほど夫を愛していたとは正直言えない・・。
※遺骨→合成ダイヤモンドの価値が解らない。

⑤散骨。
※費用は遺骨のパウダー化を含め、海洋委託散骨なら約50,000円~ 
  チャーター船による乗船散骨なら約250,000~ 
※継承者の必要なし。
※維持管理費が0円。


本人も散骨には異論はないようなので、
やはり夫にも私と同様に海に散って貰うことにしよう・・。
プランクトンの餌として食物連鎖するのも悪くないような気がする。



参考までに、海以外の散骨にはどのような種類(散骨する場所)があるのかを調べてみた。

山。
樹。
空。
宇宙。
故人が丹精を込めていた自宅の敷地内にある盆栽の肥料にする。
(墓地埋葬等に関する法律でも違法にはならず、故人が遺言で書いておき、それを実行した人もいる。)
等々があるらしい。


海や空への散骨はほとんど問題にならないらしいが、
陸地への散骨は近辺住民とのトラブルも多いと聞く。


遺族にとって一番手間や時間と維持費がかからないのは
やはり海と空であろうと思う。

だが、それでは故人が浮かばれない。人が亡くなったらお墓に入るものである。
何でも世間並みに、人並みにという常識に縛られている人が多いのも現実である。

つい2.3年前、親戚の長老に、
「私は暗いジメジメしたお墓に入るつもりはありません。
私の遺骨は海への散骨を考えています。」
と言ったら、

「何を考えておるのじゃ!そんな非常識なことを考えてはいかん!お前は人間失格じゃ!
お墓が買えんのなら、わしの家の墓に入れてやるぞ。いいか、待ってるから必ず来いよ!」

と諭されたことがある。

その長老も昨年故人になった。
カロートの下で私が行くのを待ち続けているのだろうか?
だが、あんな石頭の頑固爺さんが待っているお墓には入りたくはない。
それに、誰が継承者なのかも知らない。

経済的問題ばかりを書いているようで不謹慎と思う人もいるかもしれないが、
実際に経済的に余裕がなければ、地上にお墓を持つことはできない。
死を金儲けの道具にする人たち(葬式+墓必要論者)の惑わせるような口車に乗るな・・
とは言わないが、
残された者が身近な人の死を真摯に受け止めながら、
心から故人を悼む気持が全うにあるならば、
墓という魂の還る場所は本人が望むのであれば
どこであっても、どんな形であっても良いのではないだろうか・・。


葬送は法の範囲内で行えば自由である。
私は、故長老の意に反し、人間失格と言われようと、
非常識と言われようと、私の遺骨の行き場所は海と決め、
業者まで指定して娘にエンディング・ノートの置き場所を教えている。
必ず実行してくれることを約束して・・。
101128r
ジプシーが流離ふごとく我が魂(たま)は母なる海を永久(とわ)に流離ふ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

尊厳死宣言書
livingwill
誰も皆、自分が死ぬことなどは考えたくはない。
昔から死は忌み嫌われるものであり、死の話題には顔を背け、
今でも現実の死は社会からは覆い隠されている。
しかし、死と生は表裏一体。
「生を追及すれば死に至り、死を追及すれば生に至る」
ものなのである。

死の概念に対する男女差もある。
個人差もあるだろうが、
一般的に男性は死を直視し過ぎの傾向が強いのだろうか?
なるべくなら目を背けようとする気持が大きいように思う。

我が夫も、「自分が死ぬときのことなんか考えたくもない・・
死んだ後のことは君が好きなように勝手にやってくれ。」と言う。
だが、私が先に死ぬ場合、夫に好き勝手にはして欲しくない。
特にターミナルケアに於いては・・・。



女性は平気で自分の死に対する思いも、
パートナーの死の瞬間の様子も他人様の死も平気で話をする傾向にあるように思える。

若くしてご主人様(当時40代)を亡くされた友人がいる。
ご主人様の突然の発症(脳血管の病気)から死に至るまでの3日間、
彼女には成す術もなく、ただ右往左往するのみだったと言う。

救急車で病院に運ばれて3日目、延命用のチューブに繋がれ、
なんとか心臓は動いてはいたが、回復の見込みは皆無であり、
「ご主人様は既に脳死状態です。このまま延命を続けますか?費用もかかりますが・・?」
と担当医に訊ねられたそうである。

まだ手のかかる子供が3人もいる。
脳死状態の夫にかかりきりになるわけにもいかない・・。
迷いに迷った末に彼女はチューブを外すことに同意したそうである。

その時の決断が正しかったのか?間違っていたのか?と、
葬儀の後に悩んだ時期もあったが、
夢枕にご主人様が立ち、
「強く生きよ!子供を頼む!」と言われたと言う。
「突然の主人の死でパニックになっていて幻覚を見たのかもしれないわね・・。」
と苦笑していたが、今はあの決断で良かったのだと確信していると言う。


私は4日前に終末期医療の宣言書をここに載せた。
私自身は既に死亡適齢期に入っているばーさんであるが、
誰もいない場所でポックリ死でもしない限りは、病院で最期の日を迎えることになる。
もし、そこで脳死状態になったときに、延命措置のことで迷う家族も出てくるかもしれない。

早く楽にしてあげたい・・と思う家族や、
脳死状態でも良いから、
自ら息絶えるまでそこに存在していて欲しいと思う家族が出てくるかもしれない。
(いるかな?そんな家族・・
それでも、
そこで家族が悩まなくても済むように、
「本人が強く望んでいたことなのだから、同意しよう!」
と、決断の助けになるように、
終末期医療の宣言書と内容が似通ってはいるが、
更にリビング・ウィル(尊厳死宣言書)で念押しをして置こうと思う。

今というこのありふれたかけがえのない日々をより楽しく生きるために・・

101125r
あまた在る罪の懺悔をせぬままに罪人(つみびと)として生まれ変わらむ  
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

ありふれた日常という幸せは他人様の不幸の上に成り立っている
このブログのテーマの一部として、
「老いと死を見つめながら今を生きる」もあるけれど、
私・・・
別に朝から晩まで老いと死に付いてばかり考えたりしているわけじゃないのよ。
一度しかない人生だもの・・
それに残り時間も少なくなってきたし、
身の丈で出来る限りの
「食べよう、飲もう、踊ろう、歌おう。我々は明日死ぬのだから・・」の
イザヤ書に因るメメント・モリの考えを
実践しながら結構楽しく老いを楽しんでいるつもりよ。

「今日はどこどこに行き綺麗な紅葉を見てきたとか、
今日は話題のグルメ店でこんな美味しいものを食べてきたとか、
映画の試写会に行ってきたとか、
そういう日も極たまにはあるけれど、
そういう覚書はアナログな紙の日記に記録しているから、
今の時点ではここでは書かないわ・・。

書くことが無くなったら書く可能性もあるけど。


紅葉を見に行っても、グルメ店に行っても、
一緒に行くのはババ友ばかりだから、
話の内容はと言えば、

「あーら!この料理美味しいわね。またこのお店に来たいわね。
だけど家に帰って亭主に作ってやろうなんて気持は全然ないけどね!ホホホ」
などとワイワイガヤガヤと過ごしたあとは、

最近○○さんを見ないでしょ?この間転んで脚を骨折したんだってよ。
○○さんは今入院中で、あと1年持つかどうからしいわよ。
○○さんのご主人様ね。認知症が進行してとうとう徘徊が始まったらしいわよ。
○○さんの家はたった200万の相続でもめてるらしいわよ。

とか・・・
そんな話ばかりになる。

だけど、どこでどのようにして、
少しばかり見知っているだけの他人様の情報を手に入れるのかは解らないけれど、
婆さん達の耳はホント地獄耳ね。
CIAの諜報部員なんかより情報収集能力が優れてるわ!
と思う時も多々あるもの・・。

ただ、お婆諜報部員達は個人情報保護法違反なんかなんのその!で
収集した人様の不幸情報を自慢げに、
更には尾ひれを付けて触れ回るのが常なのよね。


思うに・・
そういう行為の裏には、
人様の不幸を見聞きし、更に他の人に話すことで、
今の自分の健康状態がそれなりに安泰で、
精神状態もそれなりに安定し、
今がそれなりに幸せであることを再認識しているのかもしれないわね。


先日・・
新聞の投書欄を読んでいたら、
障害を持つ子供さんの母親の記事が目に付いたの。
うろ覚えだけど・・・
その子供さんの主治医が、
「神様はこの人なら大丈夫!と
わざわざ選んであなたに障害を持つお子様を授けられたのです。」
と言われたらしい。 
医は仁術・・素晴らしい先生ね。

だけど、その記事を読んで、私が選ばれなくてああ良かった!
と思った人も大勢いたと思うわ。
障害を持つ子供さんのお母様には申し訳ないけど、
私も一瞬そう思ったもの・・・。


目の前で交通事故を目撃したり、
車いすに乗った身体の不自由な同年代の人とすれ違ったりしたときに、
ほとんどの人は
「事故に逢ったのが私じゃなくて良かった!
私はあんな身体にはならないだろう・・」
と誰でもが思うわよね。

明日そうなるかもしれないのに・・・。

他人の不幸は蜜の味と言うけれど、
もし、今の自分は多分、幸せな状態にあるのだろう・・。
という気持ちを感じたら、
その錯覚な幸せ感は、自分には決して訪れないであろう、他人様の不幸な出来事の
上に成り立っているということかもしれないわね。

ただ、比べる対象となる「見知らぬ他人様」が
自分が不幸だと思っているかどうかは定かではないけれど・・。
101123r
幸運を拾い上げればその中に見知らぬ人の悲劇がひとつ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

終末期医療の要望書
20年ほど前、健在だった姑が私に訊いてきたことがある。

「ナス代しゃん。あん世っちゆう世界はほんなごとあっけん? 
あっけんってしたらどこにあると?」

突然の質問に戸惑いながらも、
「そうですね・・在ると思えば在るし、無いと思えば無いんじゃないでしょうか?
信じる者は救われる。と言いますから、
在ると思っていれば間違いなく、極楽浄土に行けると思いますよ。
お義母さん。そんなことを考えるより、今を楽しく生きられたらいかがですか?」
などと、ありふれた語彙を並べ立て適当に答えていた。

その頃の私は死や彼の世の存在などというものは、
遠い遠い遥かな未来に考える出来事であり、
死は見知らぬ他者の身の上起こる不幸な出来事だとしか思っていなかった。

それから10数年を経て、
忘れもしない○○病院の4F外科&整形外科病棟401号室に長期の入院をし、
全身麻酔での4時間にも及ぶ手術を経験してからは、
死は見知らぬ他者の出来事ではなくて、
明日、我が身に降りかかる出来事なのだと認識するようになった。

病友の終末期の姿も辛い切ない思いで見ていたが、
私にはどうすることもできないことであった・・・。

病院という場所は人を医療技術で最大限まで生かす場所であり、
最期を迎えさせる場所ではない。
むしろ死を忌み嫌う。
病院で最期を迎えた方々は数人の看護師や職員に見送られ、
全員が裏口からひっそりと搬出される。

病友と病院の裏庭を散歩中に、何度ご遺体に手を合わせたことか・・。

医療関係者はあらゆる手段を使って最期の日を伸ばそうとしてくれる。
その努力には頭が下がるが、私は無駄な延命はして欲しくない・・。

私の母は脳梗塞の後遺症で半身マヒが残り、
施設でほとんど寝たきり状態の日々を 十数年過ごし、
嚥下障害も出てきて栄養補給は胃ろうになり、その後何度も肺炎を罹患し
亡くなる前の二ヶ月間はスパゲティのようなチューブに繋がれ続けた。

胃ろうになったときや、延命の為のチューブに繋がれたとき、
母は何を思い、何を考えていたのだろうか・・・。

住みなれた自宅の自分の寝室で楽に最期の日を迎えられれば最高であるが、
約8割の人が病院で最期を迎える時代、そのようなことはほとんど望めない。
私が住む地域には高級有料老人ホームは雨後の筍のように建設されているが、
無理な延命をしないで心穏やかに、更に人としての尊厳を保ちながら終末期を支え、
安らかに楽に最期を迎えさせてくれるホスピス型の施設も医療機関もない。

病院で最期を迎えざるを得ないのなら、そして、どうせ助からない命ならば、
残される家族の為にも、無駄な延命はしないで早く楽にして欲しいと切に願う・・。
end1
この要望書はワードで作成し、自署で署名及び捺印をしています。
一年に一回はエンディング・ノートの見直しをしていますので、
その時点での心模様や家庭状況で内容が変わる可能性もあります。
101121r
やがて来る散り際想ふ死ぬるとは官能的な夢かもしれぬ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

妻の心夫知らず・・くたばっちまえ!アーメン
所用で出かけた帰りのバスの中で私の後ろの席に座っていた、
60代と思しき昔のお嬢様たちの会話が聞こえてきた・・。
興味深々の内容だったので、頭の中に( ..)φメモメモしながら、
耳をダンボにして聞いてたわ。



乗客A子
「ねぇ。あなたの家の9?歳のお爺ちゃん、確か特養に入ってるのよね?」

乗客B子
「そうなのよ。多分死ぬまでいると思うわ。仕方ないわよね。
我がままで頑固で偏屈で変わり者だったから、誰も面倒を見たがらないのよ。
それに、自営業なのに国民年金にも入って無かったから、
話合いで子供達全員で施設入居費用を負担してるのよ。
お婆ちゃんを含めて皆、「お願いだから早く死んでくれ!」
って思ってるのは見え見えよ。
それにね。お爺ちゃんたら、棺桶に片足を突っ込んでる半ゾンビ人間なのに、
紙おむつを替えに来る介護士さんのお尻を必ず触るらしいのよ。
男って死ぬ間際まで性欲は枯れないって聞くけど、
その欲望が強いから9?歳まで生きていられるかしらね?」

乗客A子
「まぁ、やっぱりそうなの?
私も舅を介護していたときによく胸を触られたわ。
それも触るか触らないかの微妙なタッチだったのよ。
今思うと、あのテクニックはすごかったわ。
半朦朧状態だったけど、その部分だけはハッキリしてたのね。

そうよねぇ・・。

優しくて出来た亭主だったら自分で介護しようと思うかもしれないけど、
今までさんざん奥さんに苦労ばかりかけてきた亭主がもし寝たきりにでもなったら、
さっさと施設に入れて、早くくたばれ!って思うわよねぇ。」

乗客B子
「同感!同感!うちの亭主もお爺ちゃんの遺伝子を受け継いでるのは確実ね。
若いころから、我がままで頑固で偏屈で変わり者だし、
その上にこの歳になっても女は無給の家政婦ぐらいにしか思ってないのよね。
定年後はテレビが恋人で居間から動こうとしないのよ。
別に寝たきりになる前でも良いから今すぐにでも、
早いとこ、くたばっちまえ!アーメン!の心境よ。オーホッホ」


.....................................................

私のジジ友たちも皆が皆、口を揃えたように、
「自分は妻に介護されながら妻より先に逝くものだ。」
と思ってるみたいである。

我が夫も、
「昔から美人薄命というぐらいだから、
きっと私が先に逝くのよね・・。」
と冗談を言ったら、

「えっ?なんで俺が残されるんだよ。
年齢的には俺が君に介護されて先に逝くはずだろ?
それに今は美人長命というらしいよ。
美人はちやほやされて、女性ホルモンの分泌量が多いから、
長生きするんだってさ。」

などと、おバカが売りのタレントみたいに思いつきでものを言う。

夫にちやほやしてもらった記憶・・・(?_?)
入院時以外は一度もないじゃないっ!





私の友人の中には夫を亡くし、
何年も喪失の悲しみから解放されずに、
今も夜毎涙が溢れるという人もいる。
反面、世間には人生のパートナーがまだ元気で生きているのに、
「あなたお願いだから早く死んで・・」と願う妻もいる。

ただのジョークなのか、本心なのかは定かではないのも事実だが、
聞こえてきた内容は生身の人間の声なのである。

通常は女性のほうが長生きする。
特に男性は、
老後をアガペー的愛に包まれて心安らかに自宅で過ごしたければ、
若いころから家族を、特に奥様を大切にしなくちゃね。

「悪妻盆に帰らず」と言うけれど、
バスの中の昔のお嬢様方にほんの少しでも
心の中で賛同の拍手をしてしまった私は悪妻なのだろうか?
それとも夫がアホンダラなのだろうか・・・?
今は「おふたりさま」だが、
そのうち必ずどちらかが「おひとりさま」になる日が訪れる。
そのときに初めて、判ることなのだろう。
何十年も夫婦で在り続けたことの重みと深さを・・・。
101120r
原罪を背負ひて生きて召されゆく許し乞う吾(あ)もカインの末裔
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

後ろ向き生き方のススメ
新聞の広告欄を見ると、
おエライ学者センセイや大作家センセイが書かれた
「心豊かに人生や老後を全うするための方法論の本」が溢れている。
勝手に推測するに・・
そこには、
「人生を前向きに!前向きに!」
「この本を読んで、こうすればいいのだ!」と
迷える子羊ならぬ迷える老牝羊の老いの憂鬱を溶解し、
最期まで頑張れ!と鼓舞するような
言葉で埋め尽くされているのだろうか?

老後を心豊かに生きるには、
先ずはそれなりの資金が必要になる。
巷のファイナンシャル・プランナーが言うような
老夫婦二人暮らしに必要とされる金額が月々最低30万円なんて
どこの世界の老後計画なのさ?思う。
学者センセイや大作家センセイには生涯印税という収入があり、
資産も相当あるだろう。
世間の片隅で生きる無名の年金生活者の現状などは、
机上の資料以外には、
な~んにも解らないのではないか・・
と思うときもある。
そうはいっても彼らにも彼らの悩みはあるのだろうけれど。
だから読まない・・というよりも、
倹しい年金暮らしでは新刊本は買えないし、
わざわざ図書館まで借りに行く気力もないというだけのことである。
そうね・・・・。
一刷から半年も経ってブックオフで100円で売りに出てたら買うかもね。



そこで、私論を少々・・・。

前向きに生きよう!と思う人は
今現在を後ろ向きに生きている人である。

幸せを追い求める限り幸せにはなれない。
求めるという行為は今が幸せではないからである。

健康な心身を求めるのは
今が不健康だからである。

人間の欲望には限度がない。
希望を持てば持つほど大きな絶望に近づく。

自分探しをしている人は
永遠に本当の自分には巡り合えない。

顔を見るのも嫌な人がいたら、
それは自分では認めたくない自分の嫌な部分を
相手が無遠慮に表面に出しているからにすぎない。

誰かに怒りの感情を持ったら、それは相手にではなくて
自分の無意識化での嫌な自分の感情を相手に投影しているからである。


ゆえに・・・・
幸せを求め、健康を求め、心の豊かさを求め、
希望を求め、嫌なことには顔を背け、自分探しをしている人は、
自分の望む輝ける生とは裏腹に
永遠に満足できない人生を送り続けることになる。
そんなこととは気づかずに・・。


いつも幸せ♪と思っている人も、
そう思いたい人も世間には大勢いるのかもしれないが、
それは自分の心に嘘を付き、
自分では気付かない無理な演技をしているにすぎない。
それでも「なによ!私はいつも幸せよ!」否定する人は、
よほどのノー天気人間か、
建前社会の前向き志向に囚われて、
洗脳の闇に陥っている人かもしれないわね・・。
長い人生、ときには演技も必要だが、
自己防衛本能としての咄嗟の嘘であり、
そして、それは他者に向かってであり、
自分に演技をしては疲れるだけである。

例えば、ブティックの販売員が
それなりの顔でメタボな金持ちマダムに高価な洋服を買わせたいと思う時に
全然似合ってもいないのに、

「あ~ら♪奥様!そのシャネルのスーツ、よくお似合いでございますことよ♪」

と根も葉もない嘘を付くのはお世辞という金儲けの手段であるから、
その嘘は何度付いても構わない。

だが、自分自身に無理に演技をし続けると、
ほんの少しの心の衝撃にも耐えられない時期が来るのではないか・・
とも思う。

自分、もしくは家族の誰かに重篤な病に苦しんでいる人がいるとして、
何事も前向きに考えて!などと誰が言えるだろう?

老後も然り・・
心豊かに前向きに!などと叱咤激励されても、
それを実践できるのは心身がそれなりに健康で、
且つ、それなりの資産のある人にしか通用しない。
私などは、重大な病に罹っても、
国民健康保険の利かない高度な医療は受けられないだろうし、
差額ベッド代のかかる個室にも入れない。
有料老人ホームも到底入れない・・。
初めから後ろを向くしかできない人もいるのよ。(笑)

過去の経験から学習したことを自分なりにアレンジして、
それを参考に後ろ向きに生きていれば、
それ以上は後ろには行くことができない。
なぜなら、後ろ向き的生き方には、
「ここより先は行き止まり」
という立て札があり、
その先には究極の絶望という言葉に形容される
死が待っているのみだからである。

人は過去から続く今というこの時間の想いがすべてであって、
例え高名な精神分析医や偉大な哲学者であろうとも、
自分の心のうちを自身であっても客観的にみることなどできはしない。

そして、人間は矛盾と不条理の塊に創られたからこそ、
右往左往するのであって、
その「右往左往=後ろ向き的生き方」を楽しむのが、
限りある生というものかも・・
と思ったりもする。
忘れたい過去も苦しく辛い現実も、後ろ向きな生き方も
今を生きているということの証なのではないのだろうか・・。
101118r
四苦という束縛隠し幸福を装う人に吾れはなれまじ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

人の心なんて一瞬にして変わり、そして移ろい易いものね・・
プー友(プール友達)としょうもないおしゃべりをしながら
プールの中を歩いていたら、その人のご主人様の介護の話になったのよ。
そのプー友は脳血管の病気で、
軽い後遺症が残ったご主人のリハビリの為に、
彼を車で連れて来る人なんだけど、
そのご主人様ね。

「俺は血圧が高い、だからどこで倒れるか判らない。
とにかく、外でも家でも、もし倒れたら、
絶対に救急車は呼ぶな!そのまま死ぬからな!
半身不随になってまで生きていたくないから、決して生き返らすな!」

と、常日頃から奥さんに言っていたらしいのよ。

そして、そのご主人・・
やっぱり・・・
独りで犬の散歩中の夜の公園で、急に体が痺れたような感じになって、
倒れたらしいわ。
周りに人家はなし、バカ犬はボーッとして動かない。
「嗚呼、俺はこのまま此処で死ぬのかな・・」
と一瞬思ったらしいけど、
彼、持っていた携帯で119番を呼んでなんとか軽い障害だけで助かったのよ。

奥さん曰く、
パニック状態の中でも必死で救急車を呼んで、
「まだ来ないのかよ~!」
と叫びながら、
再度、そしてまた再度119番に電話したらしいわ。

「まるでビザの宅配かラーメンの出前の催促電話みたいに、
たった5分間に三回も電話したんだって!
まったく、笑っちゃうわよね。
それに、
常日頃言っていることと行動が全然違うんだから呆れたものだわ。
それにね。
身体が不自由になった分、口が煩くなって困ってるの。
一日中、ああしろ!こうしろ!あれやれ!これやれ!って
命令ばかりで煩いのなんの・・・
私の自由時間もないし、
此処に来て水中歩行をしながら皆に愚痴を聞いて貰うことが
唯一のストレス解消なのよ・・。」

と、苦笑してたわ。







私の夫も、常日頃私に同じことを言ってるのよ。
「もし、帰ると言った時間までに帰って来なくても、
その後24時間は放っておいてくれ。
多分、何処かで死んでるから。
半身不随の体で生き残られるより、そのほがよっぽどいいだろ?」

って・・・

確かに!
今までも、自分では自覚のない「小言幸兵衛」だし、
半身不随にでもなって、今以上に口煩くなったら、
私なんか、これ以上はもう耐えられないわね。
忍耐にも限度があるから・・。

そうは言ってもね。
血圧は高くないし、これといった持病もないし、
おまけに長寿の家系だし、
肉親のほとんどの死亡原因は超高齢に因る心不全か老衰だけなのよ。

一度の食事の量にしても、
「あなたは食べ盛りの中高生かい?」
と思うほど食べるし、よく眠るし、
メタボでもないし、
早々には私の前から消えてくれそうにもないわね・・・。
ときどきは
「くたばっちまえ!アーメン!このザビエル禿げジジィ!」
と心の中で思う日もあるわ・・。
だから、何処かへ出かけて、
時間までに帰って来ないときにも心配することは止めにしたわ。
夫の生死は神(自然の摂理)に委ねることにしたの。


つい先ごろ、エンディング・ノートを書き終えたけど、
一年に一回は見直さなきゃね。
人間はいざとなると、
例えば、もしかして自分はこのまま死ぬのかもしれない・・
というような情況に陥ると、
そういう場合にはこうしようなんて事前に考えて決めていても、
人の心なんて、そのときの心身の状態に因って一瞬にして変わるし、
そして、心は常に移ろい易いものだから・・・。
101116
切なさをひとつふたつと積み上げてこころ散りゆきそして冬が来(く)
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

一度死の淵を覗きこんだ人の想い
この年齢になると万全の体調を維持することは難しい。
というよりも何十年も酷使してきた身体なのだから、
万全の体調維持などは到底無理なことなのである。
鉄筋にも耐用年数があるように、人にも耐用年数があるものなのだと
最近増えてきた身近な人々の死によってつくづく思う・・。

日本人は「ピンピンコロリ死」を願い、
余命告知が日本よりは多いらしい米国では
「がん死」を願う人が多いと聞く。
死生観は国、宗教、文化によってさまざまではあるが、
日本人の多くは死への何の準備も心構えもなしにある日突然苦痛無く死にたい。
と思い。
米国人の多くは緩やかな死への道程によって愛する者たちとの永別を覚悟し、
できる限り、やり残したことを片づけて徐々に己の死を受容してから
悔いを残すことなく神の元に行きたい。と思うらしい。


私自身は、この7年間で長期入院を3回も経験し、
そのうちの2回は全身麻酔で身体のパーツを切ったり張ったり縫ったりした。
幸いにも、命に関わる病気ではなく、
霊安室送りには成らずになんとか生還し、
今も細々と生きながらえているが、
4人部屋で同室だった病友3人も既に亡くなり、
私だけが生き残ってしまった。
奇しくも今日は、病友Yちゃん(享年46歳)の命日である。
彼女は元看護師であり、自分の病気(乳がん)のことは詳細に知っていた。
入退院を繰り返していた彼女だったが、
一時退院していたときや外泊日にはよくメールをくれた。
そんな、ある日のメールに書いてあった言葉が今も忘れられない・・。

「一度死の淵を覗きこんだ人間は、
この世で息をしている=生きている!ということだけで
大きな幸せを感じるものなのよ。」

とあった。

ゆえに生き残りの私は、
今のこの一分一秒という刹那を大切に愛おしく生きていかなければ!
と切に思う。
早世した病友たちのためにも・・・。


「過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ。」
by レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ
si101114
風になり自由に空を翔ぶ友が逢いに来たごとコスモスの野辺

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ガン検診、受けるべきか?受けざるべきか?それが問題だ
某病院に予約しておいた特定検診(メタボ検診)に行ってきた。
「ガン検診を受けても、受けなくても、死亡率はほぼ同結果である。」
と何かの本で読んだことがあり、
オプションで予約していたガン検診は事前にすべてキャンセルし、
身長、体重、視力、医師による問診と触診、検尿、採血、
サービスで付いてる胸のレントゲン撮影だけしてきた。
メタボ検診というぐらいだから、
問診のときに服の上から腹囲を測られることをすっかり忘れてて、
分厚いババシャツと分厚いババズボン下を穿いて行ってしまった。
まさかお腹をベロンと出すわけにもいかないし、
医師がメジャーで測ろうとしたとしたときに、
悟られないように思いっきりお腹をへこませてみた。
そのとき医師が言った。
「あのですね。ボケ田さん。無理にお腹をへこまさないでもいいですよ。
服の分として1センチ引いて、さらに特別出血大サービスで
もう一センチ引いておきますからね。」


あらやだわ・・この先生は後ろにも目が付いているのかしら?
と思いつつも、
「まぁ先生。それはそれはありがとうございます。」
とお礼を言って診察室を出て採血室に向かった。

たまたま同行していた検診担当者が
「このメタボ検診という政策に意味があるのだろうか?
といつも思うんですよね・・。」
と言う。
そんなこと私に呟かれても・・とは思ったが、
彼は昨年も同じことを言っていたことを思い出した。
つまり、無意味だと言いたいのだろうか?


支払いを終えて帰ろうとしたら、待合ロビーで知り合いに会った。
待合室でしばしの井戸端会議・・。

「あら、ガン検診を受けなかったの?
一年に一回は受けたほうが良いと思うわよ。
私なんか早期発見でガンが見つかったけど、
あれから十数年も経つけど、今でもこんなに元気よ。
ガン検診を受けないということは
自分で自分の寿命を縮めていることだと思うわ。」と言う。


会社に勤めていた頃の同僚(当時40代後半)が
会社の健康診断で肺に影が見つかり、
要精密検査を言い渡され、検査の結果、肺ガンで在ることが判明した。

同僚にしてみれば、自覚症状はなにもなく、
「えっ?私が肺ガン?まさか嘘でしょ?」の範疇であったらしいが、
即入院を余儀なくされ、手術、そして抗ガン剤治療の甲斐も無く、
三ヶ月後にはいともあっさりと亡くなってしまった。

知り合いの人のガンと同僚のガン・・については、
罹患した時期はほぼ一致する。
治療法の違いやガンの性質(転移するガンか?転移しないガンか?)も
ステージも、私には知る由もないが、
一瞬、
「ガン検診を受けて早期発見で生き残るべきか?
受けないで寿命を全うするべきか?それが問題だ・・」
と、
ハムレットのごとき心境に陥った。
来年まで無事に生きていられたら受けて見ようかな?
でも・・受けるのはやっぱり止めようかな?

いったいどっちやねんっ!

揺れるお婆心でありました・・。
r101113
惑ひても今日という日は暮れゆきぬ若葉は朽ちてやがて枯れ落つ
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ラスト・グッバイを言う前に
この数年来、古くからの友人、知人、同年代の親戚の人の
訃報が頻繁に届くようになった。
私自身も、いつ命のろうそくの炎が燃え尽きてもおかしくない
年齢になったと言うことなのだろう・・。

ババ友(婆さん友達)たちとのなにげない会話の中にも、
「昨日はあそこが痛いかったのよ。そして今日はここが痛いのよ。」だの、
「このところ心臓がドキドキするのよ。
もしかして老いらくの恋でもしてるのかしらと思いたいんだけど、
恋の相手に全然心当たりがないのよね。
と言うことは、これって、もしかしたら心筋梗塞の前触れなのかしら?
もしあなたたちの目の前で倒れたらそのまま逝きたいから、
救急車なんか呼ばないで、あなたたちが看取ってね・・。 」
「冗談じゃないわよ!大迷惑よ!」
などの冗談を言いあっては皆で大笑いしてみたり、
或いは、
「○○さんは今病気が悪化して手術して入院中なのよ。お可哀そうにねぇ・・・。」
等々の話が延々と続く。そして話の〆は「誰からも介護を受けずに、
誰にも迷惑をかけずにピンコロ死したいものだわねぇ・・。」
で話が終わる。

今は中学生になった孫が3歳の頃に私の子供時代の話をしていたら、
「えっ?バーバにも子供の頃があったの?ずーっとお婆さんじゃなかったの?
お婆さんっていうのは、もうすぐ死んじゃう人のことだよね?」
と言われたことがある。
「バーバだってね。生れたときからバーバだったんじゃなくて、
赤ちゃんの時も、麗しき美女の時代もあったのよ。
老婆は一日にして成らずなのよ。」
と言ってはみたけれど、その時も、
婆さんであることが事実であっただけに苦笑するしかなかった記憶が脳裏を過る。
そして、再び孫の言葉を反芻してみる。
「お婆さんという人間は、もうすぐ死んじゃう人のことなのだと・・。」
哀しいかな、それは、紛れもなく私のことなのである。


私自身・・多分、今にも消えそうな残り火かもしれないが、
今の処はなんとかまだ細々と燃えている。
思うに、私は明日も一年後も、欲張って10年後も、
今日と変わらずのほほんと、
平々凡々というかけがえのない幸せの中で生きていられるのだろうか?
そうありたいものだが明らかに答えは否だろう・・・。
「自由に手足が動かせて、自分の意志で残された時間を謳歌する」ことこそが、
誰しもが望む老後ではあるけれど、
自然の摂理というものはそのようなことを許してはくれない。
どんなに健康に留意していても、人一倍節制していても、
老化から来る病気、そして死は避けられない。
世間でいうところの天寿を全うしてピンピンコロリで死ねるのなら、
それはそれで諦めも付くかもしれないが、
すべては神のみぞ知ることなのである。
しかし、神というものは常に非情であり、気まぐれでもあり、
ピンピンコロリでは逝かせてはくれない場合のほうが多い。

作家の梅崎春生の言葉に、
「どのみち死なねばならぬなら、私は納得して死にたいのだ。」
という死に関する名言がある。
なにをどのように納得すればいいのかが凡婦には全然判らないが、
少しづつその類がテーマの本でも読みながら、
私自身が少しでも納得できたことをこのブログに記録して行こうと思う。
持病が複数ある私・・「納得」が間に合うかどうかは定かではないけれど・・・。

老いぬればいつかは消える命の火背中合わせのラスト・グッバイ 
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プロフィール
Author:千風
気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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