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おにぎりが食べたい・・飽食の時代の餓死者たち
39歳男性の餓死 「孤族の国」男たち―4
たたきの先の障子を開けた警察官が声をあげた。
「あっ」

まさか――。60代の家主の女性は怖くて家のなかをのぞく気になれない。
「やせている人ですか?」
警官から聞かれてけげんに思った。独居の借り主はがっちりした男性のはずだ。
高校時代はラグビー部員だった。
月2万5千円の家賃が滞り始めて4カ月。消費者金融の取り立てもきていた。
行方をくらましたと思っていた。
まだ39歳。死んでいるなんて思いもしなかった。
冷蔵庫は空。棚にしょうゆと油の瓶があるだけだった。
医師の死体検案書に〈摂食の形跡無し〉と記載された。
その借家は、トタン張りの平屋建て。さびて赤茶けていた。
師走の風に、玄関のサッシがカタカタと鳴る。
裏の借家の初老の女性は、男性と話したこともないという。
真っ暗だった家で人知れず死んでいたと知ったときはふるえがとまらなかった。
「なるときはあんなになるのかと思って。餓死では死にきらん。餓死では」
昨年4月、北九州市門司区で起きた餓死事件。
男性は、いま37歳の私と2歳しか違わない。
健康面に問題を抱えていたわけではないという。前年11月まで働いてもいた。
そんな男性が、飢えて、死んだ。心象風景を探る取材を始めた。

(続きは朝日新聞紙面でお読み下さい)



39歳男性の餓死 「孤族の国」男たち―4

餓死した39歳男性も母親の年金が頼りだったらしい。
しかし、生活保護の受給申請に行っても、
相談結果の処理の欄には「39歳、健康体であれば何か仕事はあるはずである」
と言われ、受給申請をしないで帰ったらしい。
未投函の叔父への手紙にはただ一言「たすけて・・・」の弱々しい文字が書かれてあった。
と記事にはある。


今年は年越し派遣村もないという。
NHKの「無縁社会」も然り、今さら何を「孤族の国」なのよ?
と思わないでもないような気がしてきました。


というのは、
2007年に、生活保護を打ち切られ、
「おにぎりが食べたい・・あとは野草を食べるしかない・・」
と、窮状を記した日記を書き残して餓死した九州の男性の報道を思い出したのです。


北九州:生活保護打ち切り・餓死事件





孤独死は個人の責任と言う人もいるかもしれません・・。

確かに、孤独が好きと言う人もいます。
世間や人との交わりを極端に嫌う人もいます。
ですが、果たして本心なのでしょうか・・?
自らが交わろうとしなくても、他者が交わろうとすれば、ほとんどの人は
拒否はしないものです。(経験上)
人間一人では生きていけません・・。
支え、支えられて、生きてゆく生き物だと思うのです。
家族がいなければ親族に、親族に支えて貰えなければ友人に
友人に支えて貰えなければ行政にと思いますが、
行政は下層階級の者の訴えなど見て見ぬふり。
最低限の生活援助さえ無理なことなのでしょうか・・?


日本国憲法(第25条1項)に定められた
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
の崇高な理念も絵に描いた餅のようなただの理想の産物にしか見えません。
基本的人権の最後の砦である行政にまで否定されたら、
今現在切羽詰まっている人は凍死か餓死するかしかありません。


反面、テレビではどこのどなた様が行くのやら?と
思うような高級グルメ店紹介番組が溢れ、
新聞のチラシにも、どこのどなた様が召しあがるのやら?
と思うような高級食材がカラー刷りで列をなしています。
食べ過ぎによるメタボの人も多く、
更には、痩せる為の断食道場なるものが存在し、
多くのダイエット本が売れている昨今を鑑みると、
金銭的に余裕のある人は目の前の享楽を追い続けるのは自由ですが、
これがキャピタリズムの原理と仕組みの結果であるとはいえ、
餓死はあまりにも切なすぎます・・・。


人は誰でもいずれは死ぬ定めを背負って生きているわけですが、
餓死という手段で死に至る過程ではどのような精神状態を経験するのでしょうか・・・。
想像を絶する緩慢なる死は私にとってはまさに衝撃そのものです。



私の老後にも末恐ろしい生き地獄が待っているような気がしてなりません。

もう既に老後ですけど・・・。

歳を重ねたせいかは判りませんが、
難しいこと(政治、経済問題)への興味も関心も薄れてきました。
ですが、日本という国は既に繁栄の時代は終息し、
国としての老後期を迎えているような気がしてなりません。
数年前、「美しい国へ」と言っていた元総理がいましたが、
日本はますます「醜い国へ」と突き進んでいるようにしか思えないのです。

私などは、
倹しくとも当たり前の日々中にある小さな暮しを心穏やかに過ごしたい・・
と、ただそれだけを望んでいるだけなのですが。
ささやかな暮らし・・それも許されない時代なのでしょうか・・?
誰のせいで????








と、ぶつぶつ呟いてはみても、もう一日寝るとお正月・・。
今夜は「池上彰学べるニュース生放送!6時間半SP」
でも観ながらゆっくりと行く年を振り返り、来る年に備えたいと思います。
頭の中、リセットできるかなぁ・・?

来年も皆様にとって、元気で健康でハッピーな一年でありますように♪
101231r
通過する時間で罪が消えるならテミスは何を赦すのだろうか
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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

「夫の死に救われる妻たち」―安堵感と解放感について
強烈なインパクトのある書名に惹かれて読んでみました。

副題は「When Death Brings Relief」
=「死が安らぎをもたらすとき」


短絡的にタイトルだけを見ると、
「早く夫に死んで貰ったほうが救われる妻たちがいる」
かのように取られかねませんが、決してそのような内容ではなく、
嘆き悲しむべき家族の死に対して、
安堵感と解放感、それに付随する罪悪感等についてを実例を交えながら書かれた本です。



ここからは私の関心事である夫婦間に的を絞ります。

私が若気の至りと気の迷いから、
今の夫と結婚してから約40年の月日が流れ去ろうとしています。
離婚の危機も何度かありました。
それでも未だに夫婦でいる理由は、
ハローワークに行っても、職種を選ばなくても仕事に有りつける年齢では無くなった今、
いずれ夫が残すであろう遺族厚生年金を当てにしているからです。(笑)


それでも、永別の準備もしなくてはならない年齢になりました。


この世で夫婦関係を続けている人たちのすべてが
100%円満な関係を維持していることはない・・
ということは誰でもが承知していることです。
大なり小なりの不平不満や哀切や
愛憎入り混じった葛藤に苛まれながらも夫婦を続けています。

そして、どのような関係の夫婦であれ、離婚さえしなければ、
死に至る形は違えども、永別の日は必ず訪れます。


一般的に、世間的には突然の事故や病気でパートナーを亡くしたら、
遺族は嘆き悲しむのが当たり前とされています。
そのようなときに妻や夫が安堵感を感じたとか、
解放感を感じたとかを口に出したら、
世間からは当然のごとく非難されます。

既に関係が破綻していて離婚寸前の夫婦の片方が
突然の事故で帰らぬ人になったり、
難病等で常時介護を必要とする妻或いは夫や
末期ガンで痛みに苦しむ妻或いは夫を己の無力感を感じながら、
死に至る過程を辛い気持ちで身守らなくてはならないときに、
そのパートナーが亡くなったとき、
妻や夫はただただ喪失感100%のみの感情で嘆き悲しむだけでしょうか?

もしかしたら、心の奥底では、

安堵感ー

解放感ー

自由感ー

などの感情を持つことを想定できませんか?
またそのような感情を持ったことはありませんか?



例えば仮に或る夫婦の夫が亡くなったと想定して、
その夫の存命中に、彼は外の顔(誰に対しても優しく善い人との評価を受けていたり)と
家の顔(精神的虐待や暴力による虐待を常にしているDV夫だったり)
のふたつの顔を使い分けていた場合、
妻は悲惨な夫婦関係を夫の死により解消できて
安堵感と解放感のみに満たされることでしょう。
その妻は葬儀の席やその後の日常生活で称賛、美化されて聞かされる夫の生前の姿に
内心は反感を持っても、その感情を表に出すことは許されず、
心の奥底の感情は微塵も表面には出さずに、
嘆きの未亡人としての役割を演じ続けることになります。


逆に聖人君子のごとき夫で、
相性抜群の仲好し夫婦であった場合は妻の喪失感も大きいと思われますが、
いがみ合ったり、憎んだり、長期間の介護を強いられたり、
さんざん苦労をかけられたと思っている妻の場合は、
「先取り喪失」をしていて、
喪失感よりも安堵感と解放感のほうが大きいかもしれません。

私の知り合いに約20年の長きに渡り、
献身的に難病の夫の介護をしている人(70代前半)がいます。

ある日彼女は私に切羽詰まったかのように小声で囁いたことがあります。


「もう充分に介護したから、今日夫が死んでも後悔はないわ。
もし夫が今日死んでくれたら、夫は長きに渡る病の苦痛から解放され、
私も介護の日々から解放され、私たち夫婦は二人とも自由を得られるのよ。
今の夫はあの優しくて温厚だった私の夫じゃなくなったわ。
別な人になってしまったのよ。
それに私にはもう残りの時間がないのよ。」

彼女は「先取り喪失」をしていたのでしょうか・・。



自分はパートナーの死の時にはこんな感情を味わった。
だから世間の人も同じ感情であるはずだ・・はありません。
100組の夫婦がいれば100通りの永別の感情があります。
それが喪失感、安堵感、解放感、自由感、各一個づつの人もいれば
それぞれの感情を複合して持つ人もいるかもしれません。
身近な人の死に対して、
世間の常識というものは時として冷酷な仕打ちをするものですが、
でも、本人がそう思うのなら、
それはそれで当たり前の感情なのではないでしょうか・・。
人間の感情にも理性にも世間の常識にも100%はあり得ないと思うのです。



私は3年前に約20年近く寝たきりだった母(痴呆症状は皆無)が亡くなった時に、
喪失感と同時に安堵の感情も湧きあがりました。
見るに忍びないチューブに繋がれた母の姿に、
近い将来の私自身の姿を投影していたのでしょうか・・。


「お母さん、これからは、チューブに繋がれて無理やり生かされ、
痛い苦しい思いを強いられることが無くなって良かったね。」

と心の底から思いましたから・・・


家族の誰かの死というものは、残された者に心のざわめきと共に
様々な生きる意味を教えてくれるものなのでしょう・・。
101229ri
早朝にモカ珈琲が香る日はあなたの妻で良しと思へり
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

孤族の国の私たち・・家族に頼れる時代の終わり
「若いおひとりさま」には楽しくもない?
「おふたりさま」でもそんなに楽しいとは思わないクリスマスが終わった。
(夫には楽しいね♪とは言ったけど・・・



一夜明けて・・・

今朝の朝日新聞一面トップは
「孤族の国の私たち」
社会のかたちが変わっている。恐るべき勢いで。

 家族というとき、思い浮かべるのは、どんな姿だろう。父親、母親に子ども2人の「標準世帯」か、それとも夫婦だけの世帯だろうか。
今、それに迫るほど急増しているのが、たった1人の世帯だ。「普通の家族」という表現が、成り立たない時代を私たちは生きている。

 外食産業、コンビニ業界、インターネットなどにより、昔と比べて一人暮らしは、はるかにたやすくなった。
個人を抑え込むような旧来の人間関係から自由になって、生き方を自由に選び、個を生かすことのできる地平が広がる。

 だが、その一方で、単身生活には見えにくい落とし穴が待ち受ける。高齢になったら、病気になったら、職を失ったら、という孤立のわなが。
血縁や地縁という最後のセーフティーネット、安全網のない生活は、時にもろい。

 単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と多死の時代を迎える。
それに格差、貧困が加わり、人々の「生」のあり方は、かつてないほど揺れ動いている。
たとえ、家族がいたとしても、孤立は忍び寄る。

 個を求め、孤に向き合う。そんな私たちのことを「孤族」と呼びたい。
家族から、「孤族」へ、新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。

 「孤族」の時代が始まる。

 (続きは朝日新聞紙面でお読み下さい)




55歳、軽自動車での最期 連載「孤族の国」

駐車場に止めてあった軽自動車の中から男性の遺体が見つかったのは、6月25日のことだった。3カ月間、放置されていた車のドアミラーには、ツタのような植物が絡みついていた。

 神奈川県逗子市の公園の一角。駐車場の前は県立高校、隣には保育所がある。毎日、高校生や親子連れら数百人もの人が車の前を行き来していた。
だが、犬を散歩させていた近所の男性が「臭いがする」と通報するまで、警察や市に連絡はなかった。

 後部座席に敷かれた布団で寝たまま、遺体はすぐに身元が分からないほど腐乱していた。
DNA型鑑定で身元は特定できたが、遺体の引き取り手がおらず、逗子市が火葬して遺骨を預かっている。

 佐藤正彦さん、享年55。なぜ、このような最期を迎えたのか。引き取り手のない「行旅(こうりょ)死亡人」として官報に記された以前の住所を訪ねた。

 木製の窓枠がきしむ、2階建ての古いアパートだった。昔からの住人は、借金の取り立てが佐藤さんのところに来て、
部屋を荒らしたのを覚えている。2001年ごろ、佐藤さんは荷物を残したまま、姿を消す。部屋の玄関に積まれたままのスポーツ新聞には、求人欄に印がつけられていた。

 (続きは朝日新聞紙面でお読み下さい)

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上記の55歳男性には姉が二人いるが、記事に因ると、
「弟を迎えに行くお金も力もない。」
「もうすでに縁が切れている。」
との答えであった・・・。


東京23区では毎日、平均すると10人が孤独死しているとある。
一年にすると、365×10で3650人。
「社会が壊れるスピードのほうが速く、何をしても追いつかないとすら感じる。」
とは、孤独死や自殺、貧困の問題に取り組む某僧侶の実感だという。





私のような者にも確証できる未来予想図だが、
事情の在る無しに関わらず、血縁者であれども付き合いを望まない人や、
自ら進んで「孤族」を望む人もいる。

個人的には大新聞社による上から目線の
販路拡大ネガティブ・キャンペーンと思えないでもないが、
「個から孤 加速」の記事には
「高齢化社会が一段と進む2020年。単身化がより深く広がる2030年。
日本社会がかつて経験したことがない20年が目の前に続いている。
残された時間は決して長くはない。」
と締めくくられている。

2020年~2030年はもし私がまだ「おひとりさま」で生きていれば確実に該当する
「多死の時代」→「孤族」→「無縁死」・・・




NHKは「無縁社会」、朝日は「孤族」
どちらもテーマは同じようなものではあるが、
明日は我が身に降りかかるかもしれない近未来の家族の有り様とその姿。
社会の底辺で生きる者にとって、
「家族に見守られた心豊かな老後」などというものは決して叶わぬ夢であり、
ただの幻想に過ぎないということを知らしめているこの現実社会。

これからどのように原因を解明、そして検証し、
その対策をどのようにして政治問題に繋げて展開させていくのかを注目していきたい。
101226r
孤族とう定型のなき血脈よ我が身果つらむ場所は何処(いずく)ぞ
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

聖夜に想う・・
今夜は言わずと知れた聖夜。
私にとっては、クリスマスイブとはクリスマスケーキを食べる日でしかない。
そして、数日が過ぎて年が明けた元旦には近くの神社に初詣に行く。

考えると、なんと節操のない宗教観であろうか・・
と毎年思うが、特定の宗教に帰依していない日本人にとって、
クリスマスとは、ケーキを食べたり、プレゼントをあげたり貰ったりの、
形骸化したただの習慣&一大イベントになってしまっているのだから違和感はなく、
信仰には一切関係のないそんな風潮に異議を唱える人々の話もほとんど聞かない。

八百万の神が存在している日本・・。
日本人は「神」というものに対しては寛容な国民性を持っているのだろう。


キリスト教の根本思想を知らなくても、聖書を読んだことがなくても、
イブの夜に家族全員が同じ食卓を囲み、
ローストチキンや苺が乗ったクリスマスケーキ食べて
幸せそうな団欒をする。
翌朝に子供たちが目覚めると、サンタさんからのプレゼントが枕元に置いてあり、
子供たちは大喜びをする。

そのような、小さな愛と小さな幸せ溢れる情景こそが、
「父(主)と子(イエス)と聖霊」が望んでいる形なのかも・・
と推測すると、節操のない宗教観でもそれはそれでいいのかもしれないわね。


今日会って会話を交わした人々(全員が中高年)は、
今日はただの12月24日であり、私に、僕に特別の意味はない・・
「クリスマスは若い男女と子供たちのものだよ。」
という人がほとんどあった。
街中も子供の頃にワクワクしたようなクリスマスの雰囲気は無く、
某大手製パンメーカー系列のコンビニの前の
特設テントでクリスマスケーキを売っていたのみである。

夫とふたりきりで食べるクリスマスケーキ・・
それなりに健康だから「おふたりさま」で笑顔でケーキを食べられる。
と思えば、洗礼こそ受けてはいないが、
イエス・キリストに感謝しなければ・・と想う。








でも、やはり聖夜・・
形骸化したイベントとしての食欲を満たすことばかりではなく、
ふと思い出した聖書の言葉を自分自身に向けて発してみた・・。


「明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう」

「汝の敵を愛せよ」

「目には目を、歯には歯を、されど・・・」

「求めよ、さらば与えられん」


世界中のすべての人々に神の恵みと愛が降り注ぎますように・・❤♥♡
101224r
今宵だけ誰かを愛で包みたし一夜限りの聖母となりて
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

なぜ歳を取ると月日の流れを早く感じるのか?
思い起こせば、
10歳までの美少女期、20歳までの見目麗しき乙女期、
30代までの美人妻期の頃は
月日の流れと言うものはそれなりに長く感じていた。

だが、40歳から50代までのオバタリアン期の頃からは、
時の経つのが異常に早く感じられるようになった。
そして、見目麗しさの面影や何処へ・・
になってしまったお婆期の今は異常に早い・・を通り越して、
毎日がジェット・コースターに乗っているかのような時間感覚に身を委ねている。
そこで、なぜ「歳を取ると月日の流れを早く感じるのか?」
を調べてみたら、「ジャネーの法則」と言うものが在ることを知った。


「50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、
5歳の人間にとっては5分の1に相当する。
よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、
5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。」
とある。

つまり、長生きをすればするほど「ヒトが感じる時の流れ」は加速度を増していく。
ということになる。

年金生活者になると「暇で退屈でゆっくりのんびりな余生」
が待ち構えていると思っていたら
とんでもない予想違いで、
一日も一週間も一か月も一年も、刹那に如くに過ぎ去ってゆく・・。



この年末、嗚呼忙しい!を連発しながら、
昨日は冬至かぼちゃを大量に作り、ババ友におすそ分けをした。
明日はキリスト教徒でもないのに半日かけてクリスマスケーキを作り、
偉大なるお方の聖夜を祝う。
その後はおせち料理の準備や掃除等で、あっと言う間に新年を迎えることになる。
そして、私の生の残り時間は加速度を増し、死に向かって猛突進してゆくことになる。


アンチエイジングに精を出しても、顔の表面や体の一部だけにしか効果?はなく、
重ねてきた年齢を逆戻りさせることは不可能である。
今をときめく美人女優だって、やがてはシワシワお婆になる定め・・。
私だけではないのだ!と考えれば少しは楽になれる。

だが、この加速度を増す時間の流れを少しだけゆるやかにする方法があると
新聞の記事で読んだことを思い出した。

それは、新しい体験を意識的に実践し脳に刺激を与えること。
例えば、スーパーに買い物に行くのでも、いつも同じ道を行き、
同じ道を帰ってくるよりは、少し遠周りでも別な道を通ることが
良い刺激になり、時間が少しだけゆるやかに流れるらしい。

子供の頃は、見るもの触るものすべてが初めての体験であり、
過ぎゆく時間は刺激に満ち溢れている。
ところが、歳を重ねると、
過去の経験と知り得た知識に埋もれ、対人関係や環境にも慣れすぎ、
脳が刺激を感じることも無くなり、
本人自身はゆっくりのんびり過ごしているつもりでも
実際には加速度を増しながら、月日を無意味に流れさせてしまうらしい。

私の老い先も見えている。
今というこのかけがえのない時間を無駄にはできないとつくづく思う。
時というものはなんと無慈悲な死への女王であることか・・・。
101223ri
ゆるやかな刻(とき)をください過ちは涙の海に沈めますから 
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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

死の受容までの5段階説。名も無き人々ほど穏やかな最期を迎えられる?
週に数回、所用でバスに乗る。
そのバス通りに2件の民間葬儀用ホールがある。
なにげなくバスの窓から見ると、いつも見知らぬ方の葬儀が行われている。

表玄関に貼られた故人になられた方の名前から想像して、
彼は、彼女はどのような人生を送り、どのような最期を迎えられたのだろうか・・?
と、一瞬だが想いを廻らすことがある。


そもそも、私が終活(老い支度と死に支度)を始めようと思ったのは
残り少ない生の時間をどのように有意義に過ごすか・・を考えていたときに、
「生を追及すれば答えは死に至る。死を追及して再び生を見い出す。」
という言葉に出会ったことにある。

だが、残念ながら、無知、無学な私が最期の日まで「死を追及して再び生を見い出す。」
ことは不可能だろう。
でも1%でも見い出すことができたなら、また納得できたなら、
私の人生はそれなにりに成功した。と考えるようにしている。


ラ・ロシュフコー(1613~1680)の箴言集より
「死を理解する者はまれだ。多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える。
人は死なざるを得ないから死ぬわけだ。」



現実生活での終活はまだ始めたばかりだが、
このブログに、これだけ「死」という言葉を並べ立てていると、
何故か「自分の死」に対しての恐怖心が希薄になってきた感じがする。
「慣れ」なのだろうか?



E・キューブラー・ロス(1926~ 2004)は、
著書「死の瞬間」--死とその過程について--
の中で「死の受容への過程」には、
 
wikipedia:死の受容についての研究 より

第一段階:「否認と孤立」
病などの理由で、自分の余命があと半年であるとか三か月であるなどと知り、
それが事実であると分かっているが、
あえて、死の運命の事実を拒否し否定する段階。
それは冗談でしょうとか、何かの間違いだという風に反論し、
死の事実を否定するが、否定しきれない事実であることが分かっているがゆえに、
事実を拒否し否定し、事実を肯定している周囲から距離を置くことになる。

第二段階:「怒り」
拒否し否定しようとして、否定しきれない事実、宿命だと自覚できたとき、
「なぜ私が死なねばならないのか」という「死の根拠」を問いかける。
このとき、当然、そのような形而上学的な根拠は見つからない。
それゆえ、誰々のような社会の役に立たない人が死ぬのは納得できる、
しかし、なぜ自分が死なねばならないのか、
その問いの答えの不在に対し、怒りを感じ表明する。


第三段階:「取り引き」
しかし、死の事実性・既定性は拒否もできないし、
根拠を尋ねて答えがないことに対し怒っても、
結局、「死に行く定め」は変化させることができない。
死の宿命はどうしようもない、と認識するが、なお何かの救いがないかと模索する。
この時、自分は強欲であったから、
財産を慈善事業に寄付するので、死を解除してほしいとか、
長年会っていない娘がいる、彼女に会えたなら死ねるなど、
条件を付けて死を回避の可能性を探ったり、死の受容を考え、取引を試みる。

第四段階:「抑鬱」
条件を提示してそれが満たされても、なお死の定めが消えないことが分かると、
どのようにしても自分はやがて死ぬのであるという事実が感情的にも理解され、
閉塞感が訪れる。
何の希望もなく、何をすることもできない、何を試みても死の事実性は消えない。
このようにして深い憂鬱と抑鬱状態に落ち込む。

第五段階:「受容」
抑鬱のなかで、死の事実を反芻している時、死は「無」であり
「暗黒の虚無」だという今までの考えは、
もしかして違っているのかもしれないという考えに出会うことがある。
あるいはそのような明確な考えでなくとも、
死を恐怖し、拒否し、回避しようと必死であったが、
しかし、死は何か別のことかも知れないという心境が訪れる。
人によって表現は異なるが、
死んで行くことは自然なことなのだという認識に達するとき、
心にある平安が訪れ「死の受容」へと人は至る。

があると述べている。


もしも私の最期が明日だったら、第五段階の「受容」まで至らず、
きっと第一段階の「否認と孤立」の状態のままで見苦しくジタバタしながら、
死んでゆくのだろうな・・とも思ってしまう。

しかし、「死の瞬間」のP432に少しだけ救われる言葉を見つけた。
「一般に、教育や教養、社会的束縛、職業的責任のあまりない人は、
物質的な豊かさ、楽しみ、対人関係などの面でより多くを失うことになる裕福な人に比べると、
この最終的な危機を直視するのがいくぶん楽なようだ。
苦労の多い人生やつらい仕事、重労働に耐えてきた人、子どもを育て上げ、
自分の仕事に満足している人は、
野心的にまわりの人々を支配し、物質的財産をため、
多くの社会的関係はあっても
人生の最後に必要となる有意義な対人関係はほとんどない人にくらべ、
尊厳のうちに穏やかな死を迎えるのが容易である。
これは怒りの段階の例として第4章で詳しく述べたとおりである。」

と述べている。

つまり、全員が全員ではないけれど、
社会的地位の高い人や著名人は失うもの・・
人脈、資産、地位、名誉等があまりにも大きく多いために、
第二段階の「怒り」の中で死んでいく人が多いらしい。

著者のE・キューブラー・ロス自身は
世界的に功成り名を遂げた著名人であるがゆえに、
あまりにも失うものが多かったのだろうか、
自分で唱えた第五段階の「受容」に容易に至らないままに、
死への怒りや恐れをありのままに言葉や態度で表し、
ジタバタしながら自らの死を迎えたらしい。
(何年も前にNHKでそのようなTV番組を見た記憶がある。)

教養、人脈、資産、地位、名誉等な~んにもない私。
せめて第五段階の「受容」の入り口ぐらいまでにはなんとか到達してから
穏やかな死を迎えたいものである。
101218r
千億の後悔秘めし我が生に形状記憶の霧が降り積む
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

人の夢と書いて儚(はかな)いと読む。
今、この地球上に存在するヒトの数は推計で69億人。

それぞれが個々の価値観を持ち、

それぞれの文化、宗教、環境に身を委ねながら今を必死に生きている。

飢えた子どもたちの為に活動する人たちもいれば、

己の欲望のみに生きる人たちもいる。

それでも皆、今を生きている。


私が明日死のうが、

平均寿命まで生きようが、

それ以上まで生きようが、

宇宙時間から見たらほんの一瞬。

運よく平均寿命まで生きられても、

それでも、

宇宙時間から見たらほんの一瞬。

私はその一瞬のために、

今まで笑ったり、泣いたり、怒ったり、悲しんだりしてきた。

そして、これからも、

笑って、泣いて、怒って、悲しんで、挫けてはまた起き上がり、

時には優しい気持ちになって、

時には自分を責めて、

それでも今という刹那を生き抜き

必ず訪れる私の最期の日まで

宇宙時間から見た「儚さ」の中で生きてゆく。

夏の夜空を飾る花火も、冬の流れ星も

刹那の瞬きだから眩しく映り、

儚いからこそ美しく輝くのかもしれない。

たった今、元気な産声を上げて生れたばかりの赤ちゃんも、

今まさに死の床に瀕する人も、

貧しくとも清く正しく生きる人も、

拝金至上主義の人も、

心が富めるものも貧しきものも病むものも、

宇宙時間から見た「儚さ」の中で生き、等しく死んでゆく。


私は裕福でもなく、健康体でもなく、若くもないけれど、

当たり前の営みに明け暮れる、

このなにげない日々こそが、

かけがえのないものだと気づいた。

儚いからこそ、

ひとひらの夢でも持って生きよう、その日まで。

哀しきかな・・ヒトという生き物の一生。

美しきかな・・ヒトという生き物の一生。
101216r
星砂の一分間の砂時計儚く零れ落ちゆく刹那
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

私が死んだら開封してください・・天国からのラブレター
クリスマスが近づきつつある先日。
かつての病友のご主人様から一通の手紙が届いた。

そこには、亡き妻が永眠する一年ほど前から書き続けていたらしい、
「私の人生でお世話になった方々へ・・」
と題する手紙が多数見つかり、
ナス代さん宛の手紙も在ったからとわざわざ送ってくださった。

ご主人様の添え書きには、
「妻は密かに、残される者への気配りと綺麗な死に方を事前に準備していたようです。
僕宛ての手紙にも、微塵の喪失感も与えてくれないような
感謝と愛が溢れる手紙を残して旅立ちました。
且つ、毅然とした美しい死に方をしてくれた妻に対して僕の方こそ感謝しています。
尚、彼女の生前の希望により家族だけでひっそりと妻を天国へと見送りました。」
の文言も添えられていた。


「ナス代ちゃんへ。この手紙は私の最初で最後の貴女へのラブレターです。」
で始まる手紙は享年57歳で永眠したMちゃんの自筆・・
勿忘草の柄の便箋には、私への感謝の言葉で埋め尽くされていた。

勿忘草の花言葉は、私を永遠に忘れないで・・・


入院中に私が彼女のお世話をした覚えはなく、
むしろ逆に私がいつも勇気づけられ励ましてもらい、
私のほうがお世話になりっぱなしの感がある彼女からの感謝溢れる最期の手紙。
彼女がもうこの世にいない・・と言う現実に溢れる涙と戸惑いを隠せなかった・・。

あの夏、エアコンの効かない病室で、12月には初孫が生まれるからと、
白い毛糸で小さな可愛いベビーソックスと、
我が生涯の大作と称して、おくるみを編んでいたMちゃんの姿が今も脳裏を過る・・。


最近、感謝するという気持ちを心の引き出しの奥底に仕舞い込み、
私の不平不満はすべて人のせいにし、ただ攻撃するのみ・・・
そして、感謝という心が入っている引き出しに鍵までかけて開けようともしない
今の私が在ることを気付かせてくれた天国からのラブレターだった。


私も彼女のような綺麗な死に方ができるかどうかは解らないが、
私がある日突然ポックリ死で逝く場合のことも考えて、
エンディング・ノートに「天国からのラブレター」を加え、
先ずは夫に
「私が死んだら開封してください、天国からのラブレター」の下書きを書いてみた。

文才の無さを嘆いても仕方がないけれど、
これから推敲を重ねながら、折を見て書き直しをしていこうと思います。







○○様へ


○○様、生前はたいへんお世話様になりました。

私の命の蝋燭はとうとう燃え尽きました。

もし、魂というものが存在するのなら、

私の魂は現在、此の世と彼の世の中間にいることでしょう。

そして今、そこで、地上で私が愛を育み、

又、私にたくさんの愛をくださった方々に、

精一杯の感謝の気持ちを込めて

永久の別れを告げていることと思います。


○○様、今まで〇〇年間という長きに渡り、

私と一緒にいてくれてありがとうございました。

人生のパートナーでいてくれてありがとうございました。

私の人生は貴方の慈父のような庇護の下、

貴方の掌で無邪気に遊んでいた孫悟空のように思えてなりません。


振り返れば○○年間ですもの・・確かにいろいろありました。

でも、私のラスト・ブレスを見届け、

そして最期まで私の傍に居続けてくれました。

言葉では言い表せないくらい感謝しています。


人生はまさしく光陰矢のごとしですね・・。

二十歳の時に貴方と知り合い、

あれから○○年の月日が経過しました。

夫婦生活の山も谷も、

今となっては「風の記憶」でしかなくなりました。

そう・・・私は今、千の風になりつつあります。

爽やかな風になって、貴方がこちらの世界に来るまで、

いつまでもいつまでも貴方の周りを吹き渡るつもりです。

ご迷惑でしょうか・・?


悲しいことですが、この世に永遠の生は存在しません。

いついつまでも、「おふたり様」で居られる訳もなく、

また、永遠に「おひとり様」で居続けることもできません。

現世に生れ落ちた人間の運命で唯一決まっていること・・

それは「われわれ人間はひとり残らず必ず死ぬ」という事実です。

そのように考えると、死は決して不幸な出来事ではなく、

そしてまた、早いか遅いかも問題でもなく、

死は誰もが迎えねばならない彼の世に行くための

喜ぶべき「人生の卒業式」だと思えるのです。


貴方と共に生きた○○年間が、

今走馬灯のように蘇ってきています。

「いろいろあってとても楽しかった♪」

としか言い様がありません。

私は限りある生を心ゆくまで謳歌できたのだと思っています。

いつの日にか、

貴方がこちらへ来るときは近くまでお迎えに行きたいと思います。

でも、急いでこちらに来ないでくださいね。

やっと完全なる自由になれたのに迷惑ですから・・

貴方には自分が納得できる生き様を生き切ってくださいますことを切に願っています。

最期に精いっぱいの感謝を込めて、

ただただ、ありがとう♪

今までありがとう♪




101214r
ほろにがき若き日思ふ愛が愛としてそこに在り得た日々を
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

シニア妻たちのシングルアゲイン願望
プールに行ったら、
プー友(プール友達)に来週の○曜日にランチをしない?
と誘われた。
即OKしたが、彼女が言うには、
「来週の○曜日~○曜日まで主人が家に居ないから、
三度の食事の支度をしなくていいし、
2日間だけど独りで何でも自由にできるから嬉しいのよ~♪」
と満面の笑みを浮かべて楽しそうに言う。

彼女とは数年前に「水泳教室」で知り合い、
その後も毎回の教室で一緒に泳いできた仲間でもある。
その彼女が来期の「水泳教室」には参加できなくなった。と言う。
理由を訊いたら、
教室開催の時間帯がPM2:00~3:00からPM3:00~PM4:00に変更になったので、
PM4:00に教室が終わって急いで着替え、
急いでバスに飛び乗っても家に着くのはPM5:30頃。
そんな時間に帰ろうものなら、
いつもの夕食の時間(PM6:00)が遅れてご主人様のご機嫌が悪くなるからだと言う。

それでも、
「夕食の下ごしらえを済ませてから出かけますから、参加させてください。お願いします。」
と平身低頭で来期の「水泳教室」にも参加したい旨を伝えたが、
ただただ不機嫌な顔をしただけで、口での答えは一切なし。
つまりは「ダメだ!」という拒否の態度を示されたから、
「次回は参加できないわ・・。」となった。
彼女の一日は数ヶ月前にサラリーマンを辞めたご主人様の生活時間に合わせて回っている。
そして、口にこそ出さないが、
「俺が長年働いて、そしてその年金でお前を生涯食わせてやるんだ・・だから逆らうな!」の
意識が見え見えだとも言う。

なぜ、妻が楽しいと思うことをことごとく否定する夫が存在するのか?
なぜ、妻の小さな幸せを自分の幸せに転化できないのか?
なぜ、妻が楽しそうな顔をして一人で外出することが許せないのか?

たかだか週一の、それも小一時間の妻の楽しみを奪うキャパの小さい度量のない嫌なオヤジ・・
と思うなかれ。
私の周りにもそんなシニア夫が掃いて捨てるほど大勢いる。

自分の所有物である妻を数時間であれ、
自由に放し飼いにするという不安の代償行為なのか?
それとも・・・・
男がまだまだ貝原益軒の女大学(女子大学じゃないわよ)の世界に
妻の存在というものをその中に押し込めて安住しているからなのか?
と思ったりもする。シニア妻の忍耐と諦観の心の中を知ることもなしに・・。

この貝原益軒というネチネチと女を虐めるのが好きな嫌みなジイサマは、
70歳を過ぎてから人生の集大成として女大学を書いたらしいが、
楽しそうにのびのびと自由に生きる女性に嫉妬心を抱いていたんじゃないかと思えてならない。

女大学の中の「七去」の一節にこんなことが書いてある。

「婦人は別に主君なし、夫を主人と思い敬い慎みて仕えるべし。
軽んじ侮るべからず。
総じて婦人の道は人に従うにあり、夫に対するに顔色言葉使い慇懃にへりくだり、
和順(=素直に従う)なるべし。
おごりて無礼なるべからず、これ女子第一の務めなり。
夫の教訓あればその仰せに背くべからず。
疑わしきことは夫に問うてその下知(=指揮)に従うべし。
夫が問うことあれば正しく答えるべし。
その返答がおろそかなるは無礼なり。
夫がもし腹を立て怒るときは恐れて従うべし。
怒り争いてその心に逆らうべからず。
女は夫をもって天とす、返す返すも夫に逆らって天の罰を受けるべからず。」

妻側から見れば、
「えっ?なんなの?このジジィ。バカ言ってんじゃないわよっ!」だが
夫側からみれば何とも都合のいい教えであろうか・・。(笑)

狭い交際範囲しか持たない私だが、周りをおおざっぱに見ても、
60代以上の夫婦で特に顕著なのは元サラリーマンの夫で妻が専業主婦の場合では、
この平成の世になっても、
「七去」が心の奥底に根強く浸透してしまっているかのように見受けられる。

子育ても完全に終わり、
残り僅かな老後を自分の楽しみの為に
一日の僅かな時間の自由な外出を求めるシニア主婦とそれを許さないシニア夫。

寿命は女性のほうが長い。
シニア夫は「生かさず殺さず銭儲けの医療」で不自由な体もなってでも生かされて、
そして、やがては寝たきり状態になって、
復讐のチャンスを虎視眈々と待ち望んでいた元気な老妻から
しっぺ返しが来ないように気を付けなくちゃね。

言っとくけど、これは私の行動や言動にいちいち難癖を付けるのを老後の生甲斐?
にしている趣のある我がオット殿に言ってるのよ。(笑)

私は某大手企業の子会社に勤めていたが、40代後半の時に事業所閉鎖でリストラに逢い、
やむなく専業主婦になった。
あれから10数年が経つが、会社員時代に趣味で続けていた
社交ダンスやヨガや筝曲のサークル通いを今でも復活したい気持はあるが、
「あなたも貝原益軒の生まれ変わりかいっ?」
と見紛うような夫だからもう無理だろうな・・。

この際、プログネームを「大和撫子」に改名しようかしら?
「ボケ田ナス代」より見た目も良いし・・。(笑)
101212r
母という固有名詞で生かされて母という身で一生(ひとよ)を終えむ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

合法的に夫を早死にさせる10か条
「今すぐにでも夫に死んで貰うのが一番嬉しいんだけど、
偉丈夫でそんなことなかなか叶いそうにもないのよ。
だから、せめて
もし私が夫より先に死んだ場合、私名義の遺産(不動産と預貯金)を夫にびた一文相続させないためには
どんな方法があるかしら?」


と・・・現在ご主人様との仲が険悪な家庭内別居歴10年の友人から相談を受けたのよ。


早く離婚届けを提出して籍を抜けば・・?
と言ったら、
今までに30回ほど離婚届けに署名捺印をしてご主人様に渡したが
ことごとく無視され、離婚に応じてくれる気配は皆無とのこと。



じゃ、離婚調停を起こしたら?
と言ったら、相手が調停に応じる気配も皆無だという。

そして、
離婚裁判を起こすエネルギーもないし・・と言う。




最後の手段で
配偶者にいく4分の1の遺留分を覚悟の上で公証役場で遺言書を作成したら?
としか言えなかったが・・・


後日、
「公証役場には行かなかったけど、
いつも私のことが心配で30過ぎても嫁に行かない独身の娘に
「全財産を相続させる」旨の遺言書を書いたわよ。」
との報告があったわ。




世の中は個々の価値観では計り知れない夫婦関係を続けている人たちが大勢いるものね・・。
シニア夫婦の中にも、二人で一人の如く、
いつも寄り添いながら笑顔の絶えない仲むつまじい夫婦がいるかと思えば、
私の友人のように、日々不平不満を募らせながら、
険悪な夫婦関係を維持している人たちもいるのよね。



「今すぐにでも夫に死んで貰いたい・・」
と思っている友人の希望に添うつもりは更々ないけれど、

「夫を早死にさせる10か条」があると知ったわ。

 1.とにかく太らせる
 2.酒は飲み放題、菓子は食べ放題とする
 3.何もさせずに座ったままにさせる
 4.食事は動物性脂肪を十分に
 5.出来るだけ塩分の多い食事に慣れさせる
 6.コーヒーは無制限とし、砂糖はたっぷりと
 7.タバコも出来るだけ多く吸わせる
 8.夜更かしをさせ、朝は早く起こす
 9.仕事以外のレジャーの旅行には行かせない
10.暇さえあれば文句を言っていびる
  
だそうよ。



面白そうだから、我が夫に当てはめてみたの。


1.とにかく太らせる
残念ながらいくら食べても太らない体質。

2.酒は飲み放題、菓子は食べ放題とする
酒は一滴も飲めない。お菓子は和菓子を少量。


3.何もさせずに座ったままにさせる
じっとしていられない性分で良く動き、
朝も早よからカンテラは下げてないけど、
洗濯機を回し、掃除をしている音や朝食の準備をしている音が
私が寝ている2Fの寝室にまで聞こえてくる。

5.出来るだけ塩分の多い食事に慣れさせる
薄味好みで、少しでも味が濃すぎると小言を言う。

6.コーヒーは無制限とし、砂糖はたっぷりと
コーヒーはブラックしか飲まない。

7.タバコも出来るだけ多く吸わせる
値上げになってからは半分以下に減らし、今年中に禁煙を目指している。

8.夜更かしをさせ、朝は早く起こす
大学入試勉強時からの典型的朝方人間で、
夜の8時~9時にはベッドに入り、朝の3時か4時には起きている。
(早朝に何をしているのかは知らないけれど、
早起きは三文の得、新聞配達のアルバイトでもせんかい!
といつも思うワタシ。)

9.仕事以外のレジャーの旅行には行かせない
年金生活者なので仕事はしていないが、趣味の家庭菜園に行き
楽しい遊びと称して毎日野良仕事に精をだしている。

10.暇さえあれば文句を言っていびる
私が何か一言でも文句を言えば、そのあとに延々とその事象についての講釈が始まり
逆に私がいびられる。

結局、我が夫には「夫を早死にさせる10か条」は適用できない言うことが解ったわ。
少し残念?だけど・・。


改めて、「夫を早死にさせる10か条」をじっくりと推敲してみたら、
私自身でやってることが3分の1以上はあったわ。

○コーヒーは無制限で砂糖とクリープはてんこ盛り。
○何もしないで座ったままが好き。
○典型的夜型人間で深夜映画を観て、睡眠薬代わりに本を読みながら寝る。
○朝は低血圧を理由になかなか起きない。

これじゃまるで、
「妻を早死にさせる10か条」を自分自身で実行していることになるわ・・。

なるほど・・悪玉コレステロールも減らないわけね。


今更手遅れだけど。人生ってそんなものかしらね・・・。
101211r
永遠に交差のできぬメビウスの環の淵歩く野垂れ死ぬまで
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

ある少女の選択~“延命”生と死のはざまで~
昨晩、
NHKクローズアップ現代「ある少女の選択~“延命”生と死のはざまで~」

を見た。

腎臓の「人工透析」30万人。口ではなくチューブで胃から栄養をとる「胃ろう(経管栄養)」40万人。
そして、人工呼吸器の使用者3万人。「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えている。
しかしその一方、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものにしていないのではないかという疑問や葛藤が、患者や家族・医師たちの間に広がりつつある。
田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。
『これ以上の「延命治療」は受けたくない』と家族と葛藤を繰り返した華子さん。
自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して、9月、肺炎をこじらせて亡くなった。
華子さんの闘病を1年にわたって記録。「延命」とは何か。「生きる」こととは何か。
問いを繰り返しながら亡くなった華子さんと、その葛藤を見つめた家族・医師たちを通じて、
医療の進歩が投げかける問いと向き合いたい。

【再放送時間変更のお知らせ】
BS2:24:25~24:51(9日(木)午前0:25~)





18歳で延命を拒否した彼女の一言一言が胸に突き刺さった。

「命は長さじゃないよ どう生きるかだよ」

「天国はおつかれ様の場所でもあるから」

「医療は十分受けた。もういい」

「病院にいたら、くすりの方もつらいし
病院にいるのもつらいから」

そして最期に家族に「感謝」の手紙を残して旅立った。

彼女(華子さん)は最先端医療で「無理やり生かされること」よりも
「家族と当たり前の生活ができること」=「自らの意思で生きること」を選択した。

齢18歳にしてなんと強固な意志と信念を持った人なのだろう・・と思った。
そして、ご両親も迷い、惑い、無力感に苛まれつつ、
過酷な葛藤の末に最終的には娘さんの意思を尊重された・・。



もう一度、彼女の言葉を反芻してみた。

「命は長さじゃないよ どう生きるかだよ。」

彼女は18年で人生のすべてを学び終え、
与えられた命を生き切ったのだろう・・。






今再々読中の「死の瞬間---死とその過程について---」
(著者:エリザベス・キューブラー・ロス)
「第9章--患者の家族--」 P288~289 にこんなことが書いてある。

私たちは、患者のまわりの大事な人たちが、患者の延命への希望を口にするよりも、
死期が迫っているという現実を直視できるようになってほしいと願った。

           -------中略------

心理療法と対症療法が行われることにより、
患者の多くは「延命」するかもしれない。だが死を先延ばしにしても、
患者からは感謝の言葉より恨み言を聞くことが多い。
繰り返しになるが、患者には安らかに尊厳をもって死を迎える権利がある。
患者と私たちの願望が相反する場合、
自分たちの欲求を満たすために患者を利用してはならない。
私が言っているのは、肉体的には病んでいるが、精神状態は正常で、
自分で判断できる患者のことである。
彼らの希望や意見は尊重しなければならないし、
また、言うことには耳を傾け、相談にも乗るべきである。
患者の希望が私たちの信念と反する場合は、そのことを明らかにし、
それ以上の干渉や治療については患者の判断に任せるべきである。
101209r
咲き切った余韻残して還るべき処へ還らむひとひらの花
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

人は無条件の愛というものを学び終えたら...
先日受けた特定健診(メタボ健診)の結果が郵送されてきた。
怖々・・封を開けてみたら、赤で印字されていたのは
LDLコレステロール値のみ。
平均値より少々高いだけで、総合判定はA。

血液検査と尿検査と胸のレントゲン撮影しかしなかったが、
今後一年間の安心は買えたような気がする。


それでも・・・今でも迷っているのがガン検診。

受けたほうが良かったのか?
受けなくて良かったのか?

早期発見でも末期発見でも死亡率は同じ。
と言う人もいる。

次回はどうしようか?

う~ん。悩む・・・・・・・・・・・・・。







そんな折、「一人娘が享年3?歳で人生の幕を閉じました。」
との喪中ハガキが友人から届いた。

半年ほど前に逢ったときに聞いていた話では、
なんとなく体調が悪いからと病院に行ったところ、
検査の結果、転移に因る末期ガンで余命三か月と告知され、
「手術をしても無意味です。」との宣告だったらしい。


ハガキには、母と娘で自然療法に一縷の望みを託したが、
望み叶わず、告知から10カ月後の死であったという・・。 
そして、その日まで、独りでトイレに立ち、食事をし、お風呂にも入り、
娘は尊厳を保ちながら旅立ちました。
と書いてあった。



故人となった娘さんの母(私の友人)は、
健康診断も含め、「ガン検診は絶対受けない!派」であり、
自分の死は自然に委ねると言い切っていた人である。
娘さんのあまりにも早過ぎる人生の終幕に対してどのような心境であったのだろうか・・。





今まさに死を迎えようとしている人々の心理研究、
そして、終末期の患者の代弁者として著名なアメリカの精神科医、
「エリザベス・キューブラー・ロス」の著書「死後の真実 ON LIFE AFTER DEATH」

の中(P30)に、こんな一節がある。

「どうしてこんなにかわいい子供たちが死ななくてはならないの?」
との問いに、
著者は答える。
「それは、彼らは学ぶべきことをごく短期間で身につけたからです。
学ぶべきことが何かは人それぞれに違います。
しかし、戻る前に一つだけすべての人が共通して学び取るべきことがあります。
何だかお分かりですか。
それは無条件の愛です。みなさんはこれを学び、身につけさえすれば、
もう他には何も必要ないのです。」



エリザベス・キューブラー・ロスに因ると、
友人の娘さんは3?歳で無条件の愛を学び終えたことになる。

私などはこの歳になっても、
無条件の愛どころか、人間愛さえも幻想の産物である。
なんて思っている超俗物である上に
まだまだな~んにも学び終えていない無為徒食者でもある。
果たして、私が「無条件の愛」を学び終えるまで生かして貰えるのだろうか?

だが、その時が「いつなのか?」は誰にも解らない・・。
きっと、私が死ぬ時が「無条件の愛」を学び、身に付けたときなのだろう。
101207r
寿命には差別などなくアガペーを学び終えたら召されゆくとふ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

ウィキリークスに地球外知的生命体の情報はないのだろうか?
日本時間3日、NASA発表の
「ヒ素を食べるバクテリア発見、初の元素置換生物」を見て、
映画「メン・イン・ブラック」に出てくるような宇宙人とまではいかないまでも、
もしくはそれに近いような存在についての重大な発表がなされるのかと思って、
ワクワクしながらNASAの発表を待っていたのに、
「ヒ素を食べる細菌の新発見」だって・・。
なんだか、肩すかしをくらわされたような気分ね。

というのは、火星と月に土地を持っていることを思い出して、
もしかして火星人だったら・・と勝手に誇大妄想してたのよ。


月の土地は第二期分譲中、火星の土地は第一期分譲中に買ったけど、
物好きな人や遊び心のある人も多いらしく、
今はそれぞれ第三期分譲中(月)と第四期分譲中(火星)らしいわ。
どうやら、月よりは少し高い火星のほうが売れ行きがいいらしいわね。




そもそも月も火星も誰が所有者なのだろう?
という疑問も湧いたけど、
商売上手な人の策に乗せられシャレで買ってみた火星と月の土地。
権利証も地図も憲法も何処にしまってあるかも忘れてしまったわ・・。

ちなみに月の現在価格は、
定価:3,500円 ネット価格:3,000円(税・送料無料)で買えるわ。
小学校低学年ぐらいまでのお孫ちゃんのクリスマスプレゼントに最適かもしれないわね。
中学生ぐらいになるとロマンより現金を欲しがるから。(笑)



火星年代記。華氏451度。金星応答なし。

若いころに、あんなにも胸踊らせて読んだSF小説の世界も私の中では今は昔。
要するに脳がロマンを受け付けないお婆仕様になってしまった・・ということよね。



それはさておき、、
世界を震撼させている内部告発サイト「ウィキリークス」に、
エリア51やロズウェル事件、リトル・グレイと呼ばれている有名な宇宙人の
情報などは入っていないのだろうか?
と考えてしまったわ。
そんな情報なら流失大歓迎だけど、
私が生きている内には多分ないだろうなぁ・・。




夜空には金星と月と羽田空港から飛び立った飛行機の
アウターランプしか見えない我が家のベランダだけど、
たまには童心に還り、
ベランダに出てUFOや宇宙人に思いを馳せるのもいいかな・・。
と思って昨晩5分間だけベランダに立ってみたわ。

地球外知的生命体との交信?  

できなかったわ。現実世界の雑念が多すぎて・・・

会社員時代の同僚の一人に、
「頭の中に宇宙やテレビ局から勝手に電波が入ってくる」
という人がいたけど、
私には宇宙との交信は無理ね。
純な心を失ってしまったからかしら・・?
101205r
ペルソナを外し夜空の遥かなるアンドロメダのことなど思ふ
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

人民は弱し官吏は強し・・老人は孤独死をせよ国の為
「ぽっくり逝きたい 長寿化「苦しまず 迷惑かけず」祈願ツァー人気」
の新聞記事を読んだ。

第一生命経済研究所が40~70代の男女735人を対象にしたした調査(2007年)では、
どんな最期を理想と思うか?
については、

80%以上が「家族にあまり迷惑をかけたくない。」
68%が「苦しみたくない。」
50%が「寝たきりなら生きていても仕方がない。」

と答えている。

つまり、ほとんどの中高年日本人は、ピンピンコロリ願望があるということになる。


まだ後期高齢者には程遠いが、確実に老いの道を突き進んでいる私・・
嫌でも、前期高齢者~後期高齢者~末期高齢者~終末期高齢者にならねばならない。
「家族を含め、誰のお世話にもなりたくない。」という気持ちは良く解る。

観光気分の気休めで「ぽっくり逝きたい祈願ツァー」に行くのも良いだろうが、
残念ながら神仏頼みでは「ぽっくり死」はさせて貰えそうにもない。

私もこの歳になるまで多少の葬儀に参列させて頂いたが、
死因を訊くと「ピンコロ」で亡くなった人は数少ない。

「老人は生かさず殺さず銭儲け」で、

結局は寝たきりで無理やり生かされることになる人のほうが多いように思う。


そんな折、
厚労省が2012年実施を目指し、
介護保険の保険料と利用料を値上げするという他の新聞の記事を読んだ。
要支援、軽度の要介護の利用者は介護保険の対象外、もしくは利用料の倍増になり、
ケアプラン作成は有料化で要介護者は月に1000円の負担増。
施設入居の人の室料も介護保険の対象から外れ、
月額五千円の負担増にする目論見らしい。


これでは介護保険を利用できなくなる人が大勢出てくる。
地域や家族、更には近親者との絆までもが希薄になってしまった世の中。
介護保険での家事援助ヘルパー利用もできず、
病を抱えた独居高齢者や老々介護の人々は否が応でも孤独死するしかなくなる。

国はまるで、
今現在社会問題化している
孤独死、孤立死、無縁死を意図的に後押ししているとしか思えない。


いつ頃だったかは忘れたが、
「老人は死んでください国の為」
という川柳が世間を騒がしたことがあった。
当時は超すごいブラックユーモア川柳だなぁ・・。
と大いに感心したものだが、
今となってはブラックユーモアどころか、笑えない川柳になってしまった感がある。

誰もが知っているように
日本の予算や法律は官僚(高級官吏)の意のままに作られている。

その昔「人民は弱し 官吏は強し」

という本を読んだことがあり、
その時から私の中では高級官吏=悪代官という構図が出来上がってしまった。

高級官吏とは、平民や弱者たちから、いかに不平不満を言わせずに、
どのようにして税と言う形の年貢を多く納めさせるか。
そして、どのように騙しながら、税と言う年貢を少しだけ平民に還元するか。
を生業にする人たちだと私は思っている。


介護保険の保険料と利用料を値上げするということは、
悪代官=官吏側からすれば、
「老人は孤独死をせよ国の為」
ということになる。



目先のパフォーマンスに惑わされて政権を変えても世の中は何も変わらない。
高級官吏にも意識変革などする気などサラサラないのは明らかなので、
こればっかりは平民にはどうすることもできない。



嫌でもこの国で死なねばならぬ我が身。
私がもっと歳を重ねたら、認知症にでもなって、
その場の感情のみで生きるほうが幸せなのかもしれない・・。
などという考えがふと脳裏を過ることもある。

保育園に入れない待機児童のごとくに、現代の姥捨て山である特養にも入れず、
独りで家の中で

「ボケボケで孤蝶の夢と戯れぬ」

日々を送りながら、ひとりで静かにひっそりと孤独死するのかな?
などと思ったりもする。そんな師走・・・。
101204ri
老いという濃霧の中を彷徨へり我が身果つらむ場所を探して
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

「おくりびと」と「おくられびと」の狭間で・・
地方に住む親戚の90代の男性が亡くなりました。
との訃報電話が入り、泊まりがけで葬儀に行ってきた。

いつ会っても好々爺であった故人は、
「ワシは戦争中に憲兵をしていたときに、
自身を含め人間と言う生き物の本質はすべて見てしまった。
だから、ワシが死んだら、通夜、葬式、戒名、墓は一切不要だ。
火葬だけして、火葬後の遺骨は粉にしてからワシ所有の山に撒いてくれ・・
と遺言書に書いて置いたよ。」
と話をしてくれたことがあった。

だが、彼の遺言通りに事は運ばなかった。

施主であり喪主でもある故人の息子(60代)は、

「ナス代さんのような都会暮らしの人には判んねべと思うけんど、
このような農村部では遺言が有っても無くても、
葬式だけは地域の慣習に従わねぇと、村八分状態とまでは言わねげんじょも、
肩身さ狭くなって、此処で堂々と胸を張って暮らすのは難しいんもんだがらなっす・・」

と言う。


そして故人の遺志は無視され、かくも盛大な葬儀が営まれた。

だが高齢化の波には勝てず、昔ながらの隣組(皆高齢者)の人々の
手伝いによる振る舞い料理作りはできなくなり、仕出し屋に頼んだと言う。


葬儀中・・地域の人たちの話声が漏れ聞こえてきた。

「まっだくもって、立派な葬式だなや!」

「んだんだ!こんな立派な葬式は久しぶりだなっす!」

「国会議員のセンセイからの弔電も山ほど来てたみてだなっす。
 さすが○○家だんべや!」

「弔問客が300人を超えたんだど!死んだ爺ちゃんの人徳だべな!」

等々、人々は立派な葬式であることを口を揃えて褒めそやす。

このように、
弔問客の数と葬儀用花輪の数、国会議員のセンセイからの弔電の数等で
その家の格と故人の人生の集大成が決まる社会も在る。


逆に私が住む地域のように

「ねぇ・・○○さん家のお爺ちゃんだけど、
毎日同じ時間に犬に引っ張られて転びそうになりながら、
ヨロヨロしながら散歩をしていたのに最近全然姿を見かけないわねぇ。
体調が悪いのかしら?」
などとゴミ集積所で井戸端会議をしていると、

「あら、知らなかったの?この間亡くなったみたいよ。
それで、ご家族数人でひっそりと火葬だけの葬儀をしたらしいわよ。」


で終わる・・・。



人の世はそれぞれ、送り方もみんな違って当たり前・・。
バカボンのパパじゃないけれど、「これでいいのだ!」
と思いつつ・・・
今私が模索している、
生前に決めておく夫の為のフューネラル・スケジュール(葬儀予定表)について、
夫は「もう現役じゃないし、家族だけで見送ってくれる火葬だけでいいよ。
そして君が落ち着いたら、お別れ会形式で、会場には俺の好きなジャズを流しながら
笑い溢れる食事会でもしてくれたらそれでいいよ。」
と言っている。
自身の手で書いては貰えなくても、
生前に言葉で意志表示をしてくれるだけでも家族は助かる。
ではそうさせて頂こうと思う。




今年は11月までに喪中はがきが5通も届いた。
40代一人。60代一人。70代二人。80代一人。
それもなぜか全員が男性・・。


私もいつの日か夫を送る「おくりびと」から、子供に送られる「おくられびと」になり、
「母ナス代が享年100歳にて永眠致しました。」
と喪中はがきに印刷されるのだろう。

100歳まで生きられればの話だけど。
101202r
彼の人の訃報知らせる音がして郵便受けに枯れ葉舞い落つ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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