*All archives* |  *Admin*

死にそこないのエロ爺さん曰く、寿命は運次第
友人(60代後半男性)に健康オタクがいる。
高価な健康食品に月数万円もかけ、食事にも留意し、
毎年、体の隅々まで検査する人間ドッグも欠かさない。
更に、毎日泳ぐ(5キロ)、歩く(一万歩)も日課にしている。
雨の日も風の日も、雪が降ろうと槍が降ろうと、火山灰が降ろうとも、
100歳までは何が何でも現役で生きる為に、
その日課は欠かさないそうである。

ナマケモノの私から見れば、
その友人は健康が生きるための手段ではなくて、
生きるための目的になってしまっているように見える。
そして、いつも疲れたような顔をしているのも気になる。

健康オタクの友人とは逆に「健康なんかクソくらえ!」を実践している
「自称死にそこないのエロ爺さん(80代後半)」の知り合いがいる。
太平洋戦争中に行かされた支那で、
部隊が全滅した中でも自分だけが死にそこない、
帰還後は交通事故に遭い生死の境を彷徨ったが、
また死にそこなって生き返り、
脳梗塞で倒れたが、またまた死にそこなって生き返り、
多少は体が不自由になったが口だけは達者で、
好きな煙草はプカプカ。酒も飲み、好きなものしか食べないらしい。
そして、死ぬまで恋心を抱くのを生きる糧にしているそうな。
ちなみに今は、10年前に死んだ婆さん似のプールの監視員の
綺麗なおネェちゃんに恋をしているんだとさ。


自称死にそこないエロ爺さん曰く、

「人様はよぉ!健康健康って言うけんどもよ。
どんなに節制しても、しなくてもよぉ、寿命なんてものはよぉ、運だべよ!
人間なんてものはよぉ、年齢に関係なく死ぬときは死ぬんでぃ!」

と、口癖のように言いながら、
顔見知りの女性を見かければ、誰彼構わずに、

「ヨォ!○○ちゃん、元気でやってるか~い?
いつ見ても綺麗だねぇ。愛してるよ~♪ところで今晩どうだい?」

と冗談を言っては昔のお嬢さん軍団を笑わせ、
人生を面白可笑しく楽しみながら生きている。

個人的には後者の「死にそこない爺さん」の生き方に憧れてはいるけれど、
私はまだ、そこまで人間が出来ていないし達観もできていない・・・。

「自称死にそこないのエロ婆さん」と自分で言うには、
人生修業が足りないのか?
はたまた、
同年代の友人と比べて、私は余りにも見た目が若く美しすぎるわ・・と、
さっき鏡を見て思ったからかしら・・(笑)



冗談はさておき、最近読んだ本「死ぬときに人はどうなる10の質問」

に因ると、「健康の延長線上に不死は存在しない。」と書いてある。

日本人の死因のトップはがん(悪性新生物)で30%。
2位が心疾患の約15.8%。
3位が脳血管の11.5%。

日本人の約3分の1は、嫌でもがんで死なねばならない・・・。

以下、青字は本文P128~129より引用。


いわゆる生活習慣病と呼ばれているような、高血圧や高脂血症・糖尿病等は、
運動をするとか、食生活に気を付けるとかいったような
健康維持法で症状の悪化を防ぎ、進行を遅らせたりすることも出来るだろう。
しかしながら、たとえばがんの場合は、適度な運動をし、
食生活に非常に留意してもなるときはなってしまう。
実際、健康には自信があったのに突然進行がんと診断され、
落ち込んでしまっている人を私は少なからず見てきた。
一方で、病弱なのにここまで生きられたのは奇跡とおっしゃる方も少なくないのだ。
普段健康であるか、あるいは病弱であるかが、必ずしも寿命に関係ないことがわかる。
そしてまた、これを言ってしまうと身も蓋もないのだが、
どれだけ喫煙をし飲酒をしてもがんにもならず肝臓を痛めもせずに寿命を全うする人もいれば、
たいして暴飲暴食もしていないのに糖尿病になったり、
喫煙を一切していないにも関わらず肺がんになったりすることもある。
要するに持って生まれた体質の影響を受けるため、
けして環境因だけで人は病気になるのではない。
そして病気になるか否かは、もちろん病気になりやすい生活習慣というものはあるものの、
最終的には運に左右されるのである。
結局、人は必ず死病に犯されるときが来る。
健康を保っていても、死病に犯されるのを妨げることはできない。


要するに、
日本人の死因のトップのがんについては、
どんなに健康に留意しても、節制しても、
「ガンに効く○○○」等々のバカ高い健康食品を摂取しても、
アンチエイジングに精を出しても、無駄なのである・・。
だって、最終的には運なのだから。

人は皆死ぬ運命にあるという事実は、頭の中では判ってはいる。
もし私が今、末期がん告知でもされたら、
「なぜ?なぜ私なの??なぜなのよ~!?嘘よ~!」
と、エリザベス・キューブラー・ロスの唱えた、
死に至る5段階説の第一段階:「否認と孤立」のままの状態で
生の終焉を迎えることになることは間違いない。


まだまだ心の準備ができていないということね・・。

エライ哲学のセンセイ様方は、皆様一様に、
「人生とは長さよりも質である・・」とは言うけれど、
「私の人生は良質であった。だからいつ死んでも悔いはない。」
と言い切れる人がいったいどれだけいるのだろう・・?

私のような凡婦には人生は質より長さなのである・・・。
この先、老いらくの恋をする可能性もあるかもしれないから。(笑)


生涯現役は叶わぬ夢でしかないことを思うと、
若さや健康に執着すればするほど老後の苦しみが増すような気がする。

ならば、ほどほどに生活習慣を改善して、ほどほどに症状の悪化を防ぎ、
ほどほどに進行を遅らせる努力でもしながら、
少しでも死のリスクを下げつつ、ほどほどに死を見つめることで生を想い、
がんで死なねばならぬのなら、
ほどほどに穏やな顔をしてホスピスで死んでいきたいものである。
110129r
狭庭辺(さにわべ)に雪中花咲き取り乱すナルキッサスの化身見てをり
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

死を前にしての満足な愚者と不満足なソクラテス
先日、加入している生命共済組合から、
年齢区分に因る保険料変更の通知が送付されてきた。
月々の保険料は200円の値上げ。
死亡保険金は200万円から100万円になりました。と書いてある。
つまり、歳をひとつ重ねた分、
死へのリスクが高くなったということなのだろう。

このような些細なことでも、
着実に死に向かって歩を進めているのだということを
実感させられる。
頭髪の抜け毛も気が付けば白髪が増え、
老眼も進み、本も新聞も老眼鏡無しでは読めなくなった。
こうして徐々に体が老いてゆき、
いつの日かこの世とおさらばするのねぇ・・。


ところで、人が死ぬとはどういうことなのだろうか?
事故死は想定しないで、私に寿命が来て死ぬことを考えてみた。
もちろん、医学的知識は皆無。
私自身が納得すればいいだけなので、
独断と偏見で私自身を納得させる作業に入ってみた。

歴史上、一度死んで生き返った人はイエス・キリストのみ。
普通の人々は一度死んだら生き返ることはない。
死だけは誰の元にも平等に訪れる。

初めに思い浮かぶのは、死とは「無になること。」
例えれば、
「熟睡して夢も見ない状態が永久に続くようなもの・・」
「全身麻酔をかけられて、意識消失をした状態が永久に続くようなもの・・」

と考えれば、
今夜眠りについて、明日の朝に目覚めなければそれが死というものであろうか。
それなら、大した問題ではない。
そのこと自体に恐怖は感じない。



だが、なぜ、人は文化、宗教に関係なく死を恐怖と感じるのか?


① 無になるのが怖い。
② 自己意識の消滅が怖い。
③ 未知の経験を恐れる。
④ 恐怖心というのは、初めから遺伝子に組み込まれている。
⑤ 死に至る過程の肉体的苦痛と精神的苦痛を想像するのが怖い



人は皆確実に死ぬ!ということは誰もが理解はしているが、
今日、明日、その日が来るとは誰も思っていはいないことだろう。
煩悩を満足させてくれる楽しいことをして、
叶う、叶わぬはさておき、夢と希望を持つことができるのは人間のみ。
この世界は陰と陽、光と影、プラスとマイナス、生と死。etc.............
どのような事象も表裏一体で構成されている。

結果、死への恐怖こそが今を生きているということの証なのだろう。
私が臨死体験をしたときは、肉体的苦痛はまったく感じず、むしろ至福感の中にいた。
死は決して恐怖体験などではなく、心地良いものだと、今日も自分を納得させている。

ただ、①②③④はそれなりに納得できたが、
『⑤ 死に至る過程の肉体的苦痛と精神的苦痛を想像するのが怖い。』
を納得させられない。
肉体的苦痛は医療用麻薬でどうにでもなるとは思うけど、
セデーション措置でもしてもらわなければ
精神的苦痛を想像するのが怖い・・。


ところで、
満足な愚者のままで生を終えるか?
不満足なソクラテスのままで死を迎えるか?
を思うと、満足な愚者のほうが幸せではあることが判る。

でも、最期の最期まで、「きれいごと」の世界で、
「ありがとう♪幸せでした。」なんて言いながら息絶えるのも
なんだかねぇ・・・・。



何故か気になる世界の偉人or有名人or無名の人が最期のときに発した言葉から。

食べたくない。このまま寝とる  by成田キン

ああ、苦しい、今、死にたくない。 by夏目漱石

死を前にしてはニーチェもキルケゴールも役に立たなかった。 by瀬田栄之助

わが神よ!どうして私をお見捨てになったのですか。 byイエス・キリスト

眠れる……、やっと眠れる。 byミュッセ

友よ拍手を!喜劇は終わった。 byベートーベン

もっとシャンパンを飲んでおけばよかった。 byメイナード・ケインズ

拍手を。お芝居は終わりだ。 byアウグスティヌス

なるほど。これが死というものか。・・・ところで・・・・。  byカーライル 

よろい戸を開けてくれ。光を……、もっと光を……。 byゲーテ


以下は臨終の際の意識混濁に至る前に枕元で呼び掛ける家族に向かって・・

うるさい!もっと静かに逝かせてくれ! by親戚のおじいちゃん

アイスクリームが食べたい!ああ、ウ○コもしたい…… by親戚のおばあちゃん

ここは地獄の一丁目かい?  by親戚のおじいちゃん

おじいさんが呼んでるのよ。早く行かなきゃ!  by友人のお母さん

ああ、やっと、完全なる自由を手に入れられるのね。ところで… byナス代(こうほざく予定)
 110123r
現世(うつしよ)はけだるき砂漠常世(とこよ)ではまどろみながら花に埋もれむ
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

生前に自分で書き置く死亡通知書






このたび私'06年2月17日クモ膜下出血にて
 
この世におさらばすることになりました。
 
これは生前に書き置くものです。

私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。

この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品は

お花を含め、一切お送り下さいませんように。

返送の無礼を重ねるだけと存じますので。

「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬

思い出して下さればそれで十分でございます。

あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな

おつきあいは、見えざる宝石のように、

私の胸にしまわれ、光芒を放ち、

私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか…。

深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。

ありがとうございました。

  二〇〇六年三月吉日



詩人の茨城のり子さんが、生前に書き置いた死亡通知書だそうです。
日付の欄だけは空欄になっていて、
ご遺族の方が日付を記して投函されたようです。



私も、生前に自分で書き置く「死亡通知書」の文面を考えてみましたが、
文才のない哀しさ・・・
思い立っただけでは、
茨城のり子さんのように簡潔で尚且つ潔い「死亡通知書」は書けません。
そこで、私が納得する「死亡通知書」が出来るまでの間、
参考にさせて頂いて作成したのが下記の「生前に書き置く死亡通知書」です。
親友には生前に書き置く個人的な「天国からのラブレター」を書こうとは思いますが、
その他大勢の友人、知人にはこのはがきを出してもらおうと思い、
投函して欲しい人たちの名簿と共にエンディング・ノートに挟んで置きました。






このたび、'○○年○○月○○日、○○○○にて、
 
私は現世での生に決別いたしました。

これは私の生前に書き置くものです。
 
 尚、私の意思で、死亡確認後すぐに

○○○○大学解剖学教室への献体を望んでおりますゆえ、

通夜・葬儀・お別れ会等は何もいたしません。

 まことに勝手ながら、自宅には弔問はもとより、

ご供花・ご供物・お香典・お弔電・お手紙等の儀は

固くご辞退申しあげます。

 献体後、数年を経て戻って参りました遺骨につきましては、

遺族に散骨を依頼しておりますので、

地上には私のお墓も戒名も位牌もございません。

この通知を手にしましたときに、

「そうか、母なる海に還ったのか・・」

「そうか、千の風になったのか・・」

と一瞬思っていただければ、それで十分でございます。

あなた様との現世での温かなお付き合いは、

私の胸に永遠に刻まれております。

今ここに、深い感謝を捧げつつ、

永別の言葉に代えさせて頂きます。

生前はいろいろとありがとうございました。


現世(うつしよ)は夢のまた夢そして夢 

       永久(とわ)にまどろむ胡蝶の夢に・・



二○○○年○月吉日



一応書いてみましたが、
折りを見て推敲するつもりですので、
これが最後ではありません。


と言いたいのですが、
明日のことは誰にも判りません。
もしかしたら、最後になるかもしれません。

って・・・いったいどっちなのよ!?(^_^.)


先日も友人の娘さんであり、私の娘の同級生でもある女性が
交通事故で30代の若さで、3人の幼子を残して突然に此の世から居なくなりました。
悲しいことですが、誰も死の時期をコントロールすることはできません。
生と死は表裏一体。明けない朝もあるという事実を踏まえ、
せめて、死ぬ覚悟と準備だけはしておきたいと思います。
なんて、言いながら、その時にジタバタするのは目に見えてますが・・・。
110120r
モノクロのぼやけた夢を見たごとく泡(あぶく)になりて日々が溶けゆく
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

「人の為」と書いて「偽り」・・一過性?タイガーマスク現象
その昔・・・
善意の寄付を趣味としているという人と話をしたことがある。
毎年、某テレビ局が行う「愛は地球を救う」
が趣旨のチャリティ募金に出かけては、
一万円ほどのお金を寄付していたらしい。

そのときは、「まぁ!素晴らしい行いね♪」と感嘆したのだが、
話を聞いていくうちに、

「あれ?えっ? なんか違うんでないかい?」と思ってしまった。



障害のある方々が、幾多の困難に打ち勝ちながら、
前向きに明るく生きる感動ストーリードラマが大好きな彼女は
「社会的弱者を憐れみ、可哀想と思って、
寄付をする私は人間的に格が上なのよ。」
的発言をしたからである。

その一言が、私には、
「上から目線の善意の押し売り」=「自己満足な幸福感を得る為だけの偽善」
に見えてしまったのである。
つまりは、弱者に一万円の施しをすることで、
その見返りに自分自身の社会における優越感と自己満足感を買った・・。
としか思えなかったのである。




「人の為」と書いて「偽り」、「人が為す」と書いても「偽り」と読む。


語源を調べれば、他の意味もあるらしいが、
単純に漢字の意味を読み解くと、
人は、決して人の為になどいう崇高なスタンスでは生きられないことになる。


それでも、一万円の寄付で、自己満足しようが、優越感を感じようが、
結果、助かる人、又は救われる人がいるのなら、
それはそれで素直に善なる行為であると捉えても良いのではないか・・
と、今現在ブーム?のタイガーマスク現象でそう思えるようになった。

真の善でも偽善でも、善は善で良いじゃないの・・・と。


政府は余計なこと(私から見たら、
米軍基地のおもいやり予算や役人や政治家の天下り)
には有り余る予算を使い、
醜い権力争いに明け暮れ、庶民の事はほったらかしで、
本当の社会的弱者にはお金を出し渋る。
児童養護施設等にも、
行政から有り余る補助金がでるわけではない。
一定の限られた予算の中から運営維持をしなくてはならない。
民間や個人からの寄付は大歓迎だと思う。

政治家の言う、「国民の為」という言葉は
「自分の為」という言葉に他ならないのだなぁ・・
と改めて思う。





今の世の中、
介護殺人だとか、子供への虐待だとか、無縁死、孤独死、etc..........
そんなニュースばかりが目に付く中、
タイガーマスク現象のごとき「美談」には
久しくお目にかかっていないだけに新鮮で面白い。


今思いだすだけで、
「伊達直人」
「あしたのジョー」
「肝っ玉母さん 京塚昌子」
「桃太郎」
「坂本竜馬」
「ヒバクシャ」
「となりのトトロ」
「マスオ、サザエ」
「うさぎ年のおばあちゃん」
「アンパンマン」
「星 飛雄馬」
「伊達ニャオト」動物保護指導センターへ

と名乗る方々が
匿名での寄付行為をされている。
今朝の新聞(地方版)には特別養護老人ホームへの寄付者も現れたらしい。
個人的には、キャラ名はシャレが効いている
「伊達ニャオト」が一番好き♪ではある。


キャラに扮するアイデアは素晴らしいけれど、
善意の贈り主はほとんどの人が中高年の人だと推測できる。
子供たちへのプレゼントなら、
これから贈り主になりたい人は、
「月光仮面」とか、「あしたのジョー」では、
イメージも湧かないだろうし、この人誰?だと思うので、
せめて、
ワンピースの「ルフィー」だとか、
「NARUTO」。

受け狙いだったら、
「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」
「もったいないばあさん」
などはどうだろうか?(*^^)v




タイガーマスク現象を喜ぶのはお上だけだと知った上で、
小さな優越感と満足感と幸福感を求めて、
今後も次々に、お金の有り余っている人や、善なる人々が、
いろいろなキャラに扮して楽しみながら、
一過性ではなく、そして、児童養護施設や特別養護老人ホームばかりでもなく、
善意の連鎖を断ち切ることなく、他の施設にも寄付行為を続けて欲しいと願う。


ただ、マスコミが、
報道を止めると一過性で終わる可能性が大きいことが目に見えてるのが残念だけど・・・。


私も、お金持ちだったら、孫がファンだった正義の仮面
「アクション仮面」を名乗って寄付をしたいけど、
か細い年金暮らしだから今は無理だわ・・・。(^_^;)

そのうち、宝くじで3億円が当たったら、
「デラックス・ナスヨ」の名前で一億円を寄付したいけど・・
当たるわけないわよね。年に2回、各一枚しか買わないから。
110114ri
偽りの愛は要らぬと思ふ吾の心に巣食ふ偽りの愛
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

グレて、人生の理不尽を噛み締めながら老いを生きる?
昨日、所用があって新横浜駅付近を歩いていたら、
駅近くの横浜アリーナで行われた成人式が終わって出てきた
晴れ着姿の新成人がわんさか溢れていた。

みんな若いわねぇ・・・
と思いつつ、自分の20歳の頃を思いだしながら
感慨に耽ってはみたけれど、
40数年前の思い出は既にセピア色・・。
成人式には出なかったことだけが脳裏を過る。


慣れない着物を着ていて、草履にも慣れていないせいもあるだろうけど、
足を引きずりながら、イケメンの彼氏と思しき人に支えられてやっと歩いてる
それなりの顔の新成人女性を見て、
「何よ!羨ましいじゃない!」と心の中で呟いてしまった私は、
若さに嫉妬心を感じる老いた婆さんでしかないのだ・・ということを
改めて自覚させられた。
輝かしい未来が待ち受けているであろう新成人とは逆に、
己が命の終焉の日に向かい、せっせと身辺整理中の私・・・
本棚の裏に埃を被って落ちていた一冊の本を見つけた。

本のタイトルは「ぐれる!」




帯には、

理不尽を噛み締めて生きよ!

ブスに生れてしまった。
あんな親の子に生まれてしまった。
勉強ができない。
仕事ができない。
そして、もうじき死んでしまう・・・・・・・

の文字が踊る。

身辺整理を一時中断して、さっそく再読・・。

第5章「老人のぐれ方」ーもうじき死んでしまうー(P144)より

老人はぐれる要素を多分に持っている。
なにしろもうじき死んでしまうのですから、
そして身体もあちこちガタが来る。
そのうえ、ごく一部の者を除いて社会の厄介者であり、
社会的にはもう何も期待されていない。
こうなると、真剣にぐれるしか生きる方法はないのです。
世間では、この点でもまた嘘ばかり言い合う。
みんな、よぼよぼの老人・老婆を目の前にして「お若い!」
「えっ、ほんとうですか!なんでそんなにお若いんですか?」
という賛嘆を浴びせかける。これは一つのゲームなんです。
現代日本で耳に入ってくる言葉と言えば、「早く年を取りたい」とか、
「年を取れば取るほど楽しい」とか「人生は五十から」とか
「五十、六十ははなたれ」とかの言葉ばかり。
「年を取るのが厭でたまらない」とか
「醜い老人にはなりたくない」という言葉は、
(すくなくとも明るいところでは)まず聞かれない。
いや、ほとんど禁じられている。
たぶん、それは被差別者である老人たちに対する差別語だからでしょう。

ー中略ー
(著作権法違反にならないように、
本の宣伝の為と言い訳して一部だけ写させて貰いました。)


「早く年を取りたい」という願望が「早く死にたい」
という願望を含むのなら、わからないこともない。
いや、そうならいますぐ自殺すればいいのですから、そうではないはず。
つまり、(たぶん)以上のように語る人は、
人生そんなに長く生きていても退屈だし、まあ七十~八十年くらいで十分だ。
その枠内で老後の十数年幸福であれば、
万々歳だ、というほどの唾棄すべきちまちました人生観に安住しているのでしょう。
これが善人です。そして、善人はみんなに感謝して死んでいく。


個人的な感想では、
サミュエル・ウルマンの詩、「青春」
「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。」以下省略・・・・・
のような人間賛歌の詩に素直に感動する人もいれば、
自分に起こる事象を何事も悲観的な立場でしか見られない人もいる。
人間は両極を持っていて、善人と呼ばれている人々の道徳的価値観も、
著者のような厭世感に裏打ちされた価値観も、
幼児期に置かれた環境に左右されるのだなぁ・・と思わざるを得ない。

ゆえに、心はどちらかに偏った志向形態を維持したままで現在に至ってしまった。
ということであり、
「善人で有り続ける」ことも、「ぐれて生きる」ことも
致し方のない運命のように思えてならない。
ただ、私的には、
著者のいう「善人の価値観と道徳観」の押しつけがまさに対する
煩わしさには共感できる部分もある。
それに、著者の言うように、私も・・・
今まで、称賛に値することも成し得ず、もうじきこの世から消え去る身。
称賛に値する何かを成し遂げた人々を斜めに見ながら、
醜い嫉妬心と羨望の眼とを道ずれに、
深いため息を付きながら、
坂道を転がるように落下点まで落ちて行き、止まるところは死・・・
というのは事実だけに、笑うに笑えない部分もあり、
リアル世界では善人を演じているので、(笑)
せめて、このブログの中だけでもグレてやろうか?
と思わないでもない・・。


他の章で面白いのは、明治時代から現代の作家を例に取り、
グレている作家。グレていない作家。
グレたくても、お育ちが良すぎて、グレられない作家を分類している。

著者は世間的に見れば、かなりの変人の部類には入るとは思うけれども、
グレたくて仕方がないが、
どうしてもグレられない哲学者ではないかとも思えてしまう。



余計なお世話だとは思いますが、
このブログにおいでくださる数少ない御奇特な皆様が、
本当はグレている人なのか?
グレたくてもグレられない人なのか?
真の善人なのか?
似非善人なのか?
は、下記の一節から受ける感情で判断できるのではないかと思います。


老後は、人生の悲惨さを味わい尽くす時期です。
ですから、善人たちの慰みごとを一つ一つ丹念ににぎりつぶし、
無責任な老人讃歌を蹴飛ばし笑い飛ばして、
一直線に「真実」だけを見て生きることにしましょう。
「ああ、生きててよかった」というような言葉が芽生えそうになったら、
喉の奥で絞め殺しましょう。
弱気になりそうな自分に鞭打って、
最後まで善人たちの大軍に身を投じることなく、
日々いや刻々こころゆくまで悲惨さと虚しさと孤独と・・・・・・
を濃厚に味わいながら、
堂々とぐれて生きることにしましょう。
そして、臨終が近づいたら、たまたま地上に生れさせられ、
いま死んでいかなければならないこのすさまじい残酷さをまっすぐ見つめ、
「わからない、わからない」とわめきながら、もだえ苦しんで死んでいきましょう。

110111r
冷めた身にペシミスティックな旅人の孤独を孕む風が吹きぬく
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

パロディ版「ぼけたらあかん、長生きしなはれ」 
今日、今年初のプールに行ったら、
お正月に箱根の温泉に行ってきた・・というババ友から、
旅館のロビーに置いてあった「ご自由にお持ちください。」
と書かれた箱の中にあったという
「ぼけたらあかん、長生きしなはれ」と
いう歌?詩?のようなもののコピーをお土産に貰いました。
そのとき傍に居た、自称脳軟化症進行中のババ友も同じものを貰い、
3人で読みながら、今後の老いの道を語り合ったわけですが、
自称脳軟化ババ友は生粋の関西出身のツッコミ大好き女性でありまして、
何事も決して素直には受け取らず、
「そんな聖人君子に成れるわけないじゃな~い?」
と、一語一語にツッコミを入れます。
そこで、彼女のツッコミを頭の中にメモしてきたので、
「ぼけたらあかん、長生きしなはれ」を、
彼女風の詩(赤字部分)に置き換えてみました。



「ぼけたらあかん 長生きしなはれ」より

年をとったらでしゃばらず 憎まれ口に泣き言に

人のかげ口 愚痴言わず 他人のことは褒めなはれ

聞かれりゃ教えてあげてでも 知ってることも知らん振り

いつでもアホでいるこっちゃ


年をとったら でしゃばって 憎まれ口に、泣き言に 人の陰口 
愚痴を言い 他人のことは貶(けな)しなはれ
もうすぐヨボヨボ ヨイヨイになって冥土に逝くのに
いまさら偽善者ってどないすんねん
どうせ死んだら みんな善人と呼ばれるんやで



勝ったらあかん負けなはれ いずれお世話になる身なら

若いモンには花持たせ 一歩さがって譲るのが

円満にいるコツですわ いつも感謝を忘れずに

どんな時でも へぇおおきに


負けたらあかん ボケた振りして勝ちなはれ
いずれ鬼嫁のお世話になる身なら
今から 我がまま放題言い放ち こういう人だと思わせなはれ
円満なんかはくそくらえ 嫁姑は生涯の天敵や
どうせ姥捨て山に捨てられる身やおまへんか



お金の欲は捨てなはれ なんぼゼニカネあったって

死んだら持っていけまへん あの人はええ人やった

そないに人に言われるように 生きているうちにバラまいて

山ほど徳を積みなはれ


死ぬまで枯れぬ欲の道
地獄の沙汰も金次第と言うやおまへんか
ゼニはしっかり離さずに冥土に持って行きなはれ
あの世で相続争いを高みの見物や
本性見えて楽しいがな
人にドケチと言われても
死ぬまで貰える年金と小銭があるから
バカ息子も アホ娘も おべんちゃらを並べ立て
親をチヤホヤしてくれるんや
それが今の世の親子の絆というものやで
いくら徳を積んだかて 人は死んだらただの産業廃棄物
ゴミに意識があるんかい



昔のことは みな忘れ自慢話はしなはんな

わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り 力んでも

体がいうことききまへん あんたは偉い わしゃあかん

そんな気持ちでおりなはれ


余計なお世話や
もう今でもボケとるねん
今朝の飯、食うたかどうかは忘れたが
昔のことは忘れてへん
ときどきは収まることがある脳軟化
そのときを見計らって、
2ちゃんねるで
バブルの頃の自慢話しをしてみたら
老人の長生きし過ぎが少子化を招いているだの
年金生活者は社会の粗大ごみだのと言われよった
そんなことには聞く耳を持たず、
あんたは就職も 恋も、結婚もできない
不幸な時代のネット依存症のひきこもりの若造かい
と逆に虐めてやりなはれ
わたしゃ 予防医学に金を注ぎこみ
ジムにも通い 身体年齢は未だ30代
何が何でも生き抜いたが勝ちやねん
と開き直りなはれ



わが子に孫に世間さま どなたからでも慕われる

ええ年寄りになりなはれ ボケたらあかん そのために

頭の洗濯生きがいに 何か一つの趣味持って

せいぜい長生きしなはれや



わたしの趣味は悪口と
ワイドショーで芸能人の不倫問題を観るこっちゃ
他人の不幸は蜜の味やおまへんの
どうせなら もっと底意地悪い年寄りになりなはれ 
一日中 あっちで嫁の悪口 こっちで隣人の悪口言い放題
わたしに悪口言わせるんは
何もかも政治が悪いと言いなはれ
ストレス解消 ボケ防止 
こんな快感あらしまへん


                     ~詠み人知らず~












本屋には「美しく歳を重ねるには?」というような
書籍が山積みになっています。
あくまでも、そうなりたい!そうしたい!という願望はありますが、
実際には難しいものですね・・。
私自身は赤字の「ぼけたらあかん、長生きしなはれ」は参考にせず、
黒字の「ぼけたらあかん、長生きしなはれ」を参考に
今後の人生を実り豊かに過ごしたいと思います。
ほんまかいな・・?
110109r
老いといふ日々に溢れし切なさを忘却とする時は来たりぬ
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

おひとりさまの孤独と自由・・その男女差
私の年代(アラシックス)になると、
狭い交際範囲の中ではあるけれど、
ざっと数えても、
知り合いや友人には未亡人や男やもめになってしまった人が10人前後はいる。
中には離婚して「おひとりさま」になった人や生涯独身を貫いている人も含めれば、
その数は十数人にのぼる。


それらの人々は、世間様から、

「お独りでお寂しいでしょ?」

と訊かれることが多々あるらしい。



男性だから、女性だから・・と極論で語るつもりはないけれど、
私の身近な人々との会話から判断すると、


女性は皆が皆、
「寂しさよりも自由でいられる」ことのほうが幸福の比重が大きい・・と、
口を揃えて言い放つ。
思うに、女性側から見れば結婚生活とは、
耐えがたいとは言わないまでも、束縛そのものなのだろうか?


逆に男性にとって結婚とはなんなのだろうか・・。
ほとんどの男性は、
自分の世話をしてくれる、また心を癒してくれる、母というものに象徴される、
無償の愛を与えてくれる代理母を妻に求めているような気がしてならない。

そして、伴侶を亡くした男性や未だ独身の男性は
「寂しい・・・早く妻の元に逝きたい。」
「寂しい・・出来るならば結婚、又は再婚したい。」
などと口にする人が結構多い。




私の40数年来の友人(アラシックス)も30代でご主人様を亡くしたが、
当時は、数多くあった再婚話も断り続けていた。
その当時の理由は、
「どうして私がまた別な男の人の為に朝から晩まで家事労働をしなくちゃいけないのよ?」

そして、今現在は
「やっと子供も独立して、完全なる自由になれたわ。
独りで居る寂しさよりも、自由であることのほうが私の人生にとっては価値があるのよ。
今更再婚して、介護する側になるなんてまっぴらごめんよ。」
と何の躊躇もなくズバッと言い切る。

そんな彼女との対照的な一例として、

朝日新聞で連載中の「孤族の国」の記事から・・

還暦、上海で婚活したが 「孤族の国」男たち―2

に登場する還暦男性は

「どんなに手を尽くしても、日本人でなくても、伴侶が見つからない。
家業の手伝いや後継ぎを望むわけではない。
老いゆく自分の世話をし、みとってくれる相手が欲しいだけなのに。」



と記事には書いてある。





これが本音であり事実だとしたら、
女性の側から見たら呆れると言うか、驚くと言うか・・・
結婚にそんな事だけを求められれば、もし私が独身であっても、
大金を積まれても確実に逃げだす。
どうしても、「老いゆく自分の世話をし、看取ってくれる伴侶がほしいのなら」
「結婚とはどういうことなのか?」
をもう少し学んでから、
再度婚活をした方が良いのではないか・・と思えてならない。

若い時には一目惚れで結婚することも有り得るかもしれないが、
或る程度の年齢になっていたら、結婚にはお互いが納得する時間が必要となる。

己の老いを感じる年代・・焦る気持ちも判らないでもないけれど、
還暦にもなって、愛という曖昧なものの確認もせずに、
「老いゆく自分の世話をし、みとってくれる相手が欲しい」が為に、
たった二日で結婚してしまうという感覚が不思議でならない。

お金で結婚相手を買う・・と見紛うような結婚は、
心から真の伴侶を求めているとは到底思えないし、
再度騙されて結婚詐欺に遭う可能性のほうが高いような気がしてならない。

例えば、大邸宅に住み、メイドさんが居て、お抱えシェフが居て、
というような財産が履いて捨てるほどある人であれば、
初めから財産目当てで、
「是非とも世話をしたい!」と言う女性が現れるかもしれないが、
わざわざ、なけなしの還暦のおじさんを憐れんで、老いゆく相手の世話をし、
看取ってあげる伴侶になりたい、などと思う稀有な女性は先ずいない。

100%円満な夫婦関係など何処にも存在しない・・。
私は、真の結婚生活とは束縛を主成分として、
その束縛に折り合いを付けることで成立しているようなものである。
と思っている。

ほとんどの女性は独りでいる寂しさよりも
自由であるほうを幸せと感じる生き物なのだろうか・・・。
私の夫を含め、
ほとんどの男性は自由でいるよりも独りでいる寂しさに
耐えられない生き物なのだろうか・・・。
110106ri
いつの世も男は果てなき夢を追い女は眼下の深さを見ており
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

忘れてゆくことの幸福と老いて他者に迷惑をかけるということ
ご縁があって、このような拙いブログにお越しくだっさった皆様へ。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

お餅を喉にひっかけて窒息死もせず、なんとか2011年を
迎えることができました。(笑)




またひとつ歳を重ねました・・。
実際の誕生日はそよ風の吹き抜ける爽やかな季節ですが、
ますます老婆への道を邁進することになりそうです。
ですが、ローマへの道も、老婆への道も決して一本道ではありません。
曲がりくねった迷い道、惑いの道、泣き笑いの道 etc........を
ヨロヨロ、アタフタ、しながら、
人生の下り坂を駆け下りてゆくことになりそうです。


そんな老いの日々ですが、
私は眠りに付く前に睡眠薬変わりに本を読みます。
ところが、朝起きてみると、
読んだ内容の記憶が眠っている間に零れ落ちてしまっています。
これが老い・・・なのだと判ってはいても、
なかなか自分を納得させることができないでいます。

夫には「忘れることも老人力のひとつだよ。」
とヘンな励まされ方をしていますが、
楽しい記憶はどんどん忘れ、嫌な記憶だけはいつまでも忘れないでいる・・
「こんな老人力なんかいらな~い!」と
嘆きつつも、命ある限り、老いは避けて通ることができません。


そんなとき、
今話題の詩人、柴田トヨさんのヒューマンドキュメンタリー番組を観ました。
ご本人様の詩の朗読はもちろんのこと、
詩も人生の応援歌のように素晴らしく、
なるほど、売れて当たり前!と思いましたが、
番組内での柴田トヨさんの或る一言にドキッとしました。


世間の高齢者が口を揃えていうセリフ。


「子供に迷惑をかけたくない・・」


ではなく、同居を勧める息子さんに。


「(自分が)気を使うのが嫌だから、同居はしない。」

と、自分の気持ち優先した言葉を発していらっしゃったことに、

あれっ?ほんまかいな??と思ったのです。

さも他者を思い遣るかのような、偽善者のごとき言葉。
「迷惑をかけたくないから・・」
ではない、自分に正直な素直なまっすぐな言葉が、
私のたそがれた心に突き刺さりました。


まだ元気なシニアorシルバー世代のほとんどの方々は、
「誰の世話にもなりたくない。 子供には迷惑をかけたくない。」
と言います。
確かにごもっともなお気持ちですが、
老いて病気になったり、
身体が思うように動かせなくなったときには、
嫌でも誰かのお世話にならなくては生きてゆけません。
ポックリとあの世に逝ければいいのですが、
死に方など誰にもわかりません。

私も、いずれは身体の自由が利かなくなる日が来ることでしょう。
自由の利かなくなった身体を家族に介護して貰い、
気を遣いすぎて心が苦しくなり、ストレスを貯め込むより、
介護保険を利用して、
ヘルパーさんに頼んで金銭で解決したほうがどれだけ気が楽なことでしょうか・・。
といつも思います。
子供と中途同居をしたがゆえに、
決して幸せではなくなった高齢者を多く見ているからです。



「老いては子に従え」という言葉もありますが、
「老いても自分の意思は持て!」
と思わせてくれた老詩人の一言に感銘しました。
そして、生きるとは、
結果より「どう生きたかという過程が大事」なのだということを
再認識させて頂いたような気がします。



心に残った柴田トヨさんの詩から。




忘れる

 歳をとるたびに
 いろいろなものを
 忘れてゆくような
 気がする

 人の名前
 幾つもの文字
 思い出の数々

 それを 寂しいと
 思わなくなったのは
 どうしてだろう

 忘れてゆくことの幸福
 忘れてゆくことへの
 あきらめ

 ひぐらしの声が
 聞こえる





  あなたに Ⅰ

 出来ないからって
 いじけていてはダメ
 私だって 九十六年間
 出来なかった事は
 山ほどある
 父母への孝行
 子供の教育
 数々の習いごと

 でも 努力はしたのよ
 精いっぱい
 ねえ それが
 大事じゃないかしら

 さあ 立ちあがって
 何かをつかむのよ
 悔いを
 残さないために




朝はくる

 一人で生きていく
 と 決めた時から
 強い女性になったの
 でも 大勢の人が
 手をさしのべてくれた
 素直に甘えることも
 勇気だと わかったわ

 (私は不幸せ……)
 溜息をついている貴方
 朝はかならず
 やってくる

 朝陽も
 射してくる筈(はず)よ




下世話な疑問ですが、
あの、一世を風靡した100歳のアイドル双子姉妹のキンさんとギンさんが残した名セリフ。
出演料は「老後の為に貯金します。」のように、
印税は老後の為に貯金されるのでしょうか?
気になるわ・・・。
110103ri
絡まりてもう解けない糸玉を忘却といふ海に流さむ
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

検索フォーム
人気ブログランキング
にほんブログ村
福島は今...
プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
最新の世迷言
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
お気に入りブログ
ブロとも申請フォーム
読書メモⅠ
商品紹介
Twitter
読書メモⅡ
永遠の世界への旅立ちグッズ