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「地球が静止する日」を観て今まさに未来を選択する帰路に立ったと思う。
昨夜、地上波初でTV放映された映画「地球が静止する日」を観ていて、
でまたまた原発事故問題が脳裏を掠めた・・。

超高度な英知と能力を持つエイリアンが地球にやって来て、
「人類は破壊好きで地球に乱暴している。
だから地球という惑星を存続させるために人類をすべて消滅させる。」
というような内容なのだが・・

SF映画とはいえ、まるでこの時期を狙い撃ちしたかのような内容の映画で
福島第一原発事故の放射能汚染問題を想起させられた。
局側に何かしらの意図があっての放映であることは明確だが、
良い意味で考えると、「この際、みんなで地球のことを考えようよ。」
ということだろうか。

思うに、反原発派の人は「目を覚まして地球という星を大切にするように生まれ変わりますから、
人類を滅ぼさないで!」と訴え、
原発推進派は「人類の命より自分の目の前にぶら下がっている札ビラのほうが大事だ!」
と目論んでいるようにしか見えない。


原発難民の方々の中には、原子炉が安定した冷温停止状態になったら、
いつの日か必ずふるさとに帰れる!と思い、
また絶対に帰りたい!と考えている人も大勢いらっしゃるようだ。
それがいつなのかは誰にも判らない福島第一原発事故・・。

今までに飛散した放射性物質の量はチェルノブイリの約一割?とは言え、
事故から25年も経ったチェルノブイリの現在の状況を見ても判るように、
今も尚、放射性物質に汚染され続けている原発近辺の土地をどうやって再生するのだろうか。
菜の花や向日葵を植える?土壌入れ替え?時間は?費用は?入れ替えた土の捨て場所は?


原発事故に関する東電と政府の迷走、錯綜する報道を見ていると、
今最も不思議でならないのは、東電も政府もマスメディアも原発事故にお気楽で、
深刻に考えていないように見えることである。
むしろ海外メディアのほうが深刻に受け止めているように感じてしまう。

毎朝、新聞で見る各地の放射線量も計測する高さが地面から1メートルのところもあれば
18メートルのところもあるらしいので当てにはならない。
私が住む南関東の放射線量は事故前の通常値よりも高い数値が続いている。
さらに我が県内では、我が地域よりも福島第一原発から遠い場所で、
新茶にセシウムが検出されて出荷停止になった。

映画では人間は危機を迎えないと目が覚めない生き物だとも言っていた。
危機とは「今まさに死に直面するかどうか・・」である。
だが未だ誰も命の危機に陥っている者の話は聴かないが、
数年後は判らない。
もし、放射性物質による晩発性の病気で死に至っても、
因果関係を立証することは困難である。
身体にはまだはっきりした影響が見られなくても、
原発事故から逃れての避難所暮らしの方々の精神はもう危機的状態だろうと思う。

ときどき夫が見ている国会中継を覗き見ると、
政府も東電も野党(自民党と公明党)も下々の精神の危機よりも
経済原理」「既得権益」優先なのだろう・・・としか思えない。

私は今まさに地球の未来を選択する帰路に立たされたのだと思っている。
私自身の生の時間は残り少ないが、子や孫たちには、
福島県の母子たちのように放射性物質の恐怖と不安の中での日常など送って欲しくはない。

人類の存続を選ぶのなら地球という惑星との共存を選択し、
その環境を守らなければならない。
そのためには、やはり、将来的には原発は全て廃炉にし、
自然エネルギーを選択するのがベストではないかと思う。

私が物心付いた頃の記憶を辿ると、極一部のお金持ちを除き、
一般の各家庭の電化製品と言えばラジオしかなかったような気がする。
それでも、なんの不自由も感じなく、それが当たり前だと思っていた。

あれから約半世紀・・・
今私が軍事用に開発されたパソコンというおもちゃで遊んでいるとは、
あの頃は夢にも思わなかった。

子供が外で遊ばず家の中でゲームをしている姿や老若男女が常に携帯を片手にしている姿を見ると、
どこか違和感を覚える。つまり「ケータイを持ったサルの群れ」を見ているような気がするのだ。

半世紀前にはSF小説の中の世界でしかなかった事象が今現実となっているが、
良い方向と思いこんでいたテクノロジーの進化は、間違えていたことが判明した。
誰が歪んだ方向性を選択してしまったのだろうか?
その「誰か?」に関しては解る人には既に解っていると思うので、
今更「こいつだ!」とは言わないでおきますわ・・。(^_-)-☆
110528r
ひとひらの名もなき花が見上げてる星の未来を見透かすごとく
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テーマ : 思ったこと ジャンル : 日記

tag : 地球が静止する日 エイリアン SF映画 冷温停止状態 放射線量 経済原理 既得権益

よろめきに死す。
いつも行く市営プールのギャラリーで持参した昼食を食べていたら、
真向かいのテーブルで先ほどまでプールで水中ウォーキングリハビリに励んでいた、
脳血管障害の後遺症と思われる半身不自由状態の男性の御老人2人(多分・・80歳前後)が
大きな声で話をしているのが聞こえてきた。




「なぁ、Bさん。聞いてくれや!今度来た送迎ヘルパーはハズレだっただよ。」


「あんだって?
そのヘルパーは仕事ができねぇのかい? 
それとも気が利かねぇのかい?」


「違うよBさんよ。『当たりはずれ』ちゅうのはよ。
仕事の出来不出来でなんかでねぇよ。要は器量よしかそうでないかということだんべさ。」


「おんやまぁ、そうなのかい。
んだなや。Aさん担当の送迎ヘルパーC嬢の御面相を見る限り、
そりゃ間違いなくはずれだんべや。Aさんはくじ運が悪いんだべなぁ・・」


「おらぁよ、別にヘルパーの齢は問わねぇけどよ。
それでも、色っぽい美人でねぇとよ、ハビリの身の入り方も違うだよ。
それにこの歳になると、綺麗どころと知り合いになれるつーたらよ、
ホームヘルパーしかいねぇべよ。
やっぱり、ヘルパーは別嬪さんでなくちゃいけねぇよ。
ヘルパー2級以上の資格は別嬪であることも付け加えてくんねぇかなぁ・・
っていつも思ってんだよ。
今はなにかにつけては文句ばっかりの我が家の皺くちゃ婆さんより、
気が利かねぇでも、運よく器量よしのヘルパーに当たって、
おらぁ秘めたトキメキの中で死にてぇだよ。」


「それは、トキメキでなくてヨロメキと言うんでねぇんかい?
ここのプールで一所懸命リハビリしながら、        
当たりのヘルパーが来るのを、待ってたらどうなんだい?
よろけた振りして、美人へルパーにわざとタッチするのも年寄りの特権だしよ。」


「んだげんじょも、器量よしのヘルパーに巡り合うのは宝くじに当たるようなもんだでな・・
それまでにはたぶんオレは死んじまってるだよ。」


「それもそうだべな・・・。
この辺にも福島第一原発から放射能も飛んで来てるしよ。
美人ヘルパーに巡り合う前に死んじまってるかもな。
考えりゃ、美人ヘルパー当たるより前に、そして、晩発性放射線障害で死ぬより前に
オレたちは寿命が来て死んじまってるだよ。
それより、早く家さけぇって、水戸黄門の再放送でも見んべや。


「ところでよ。由○かおるの入浴シーンがあるシリーズはいつ再放送するんだい?
オラァ、あの入浴シーンだけが楽しみなのによ。今のシリーズじゃやってねぇんだよ。
あの頃の由○かおるを見るのは楽しみだけどよ。現実の由○かおるは年齢的にはもう婆さんだべ?
それでも、婆さんでもなんでも、由○かおるみたいなホームヘルパーが来てくれたら、
オラいつ死んでもいいと思ってるだよ。
それにしても、幾つになっても男の現実は厳しいもんだなや・・・」




私ががくすくす笑っているのに気がついたらしく、
色気だけはご健在のお元気な2人の御老人は照れ笑いを浮かべながら、
そそくさとギャラリーから出て行かれたけど、
あの御老人たちはきっと長生きすると思うわ。
長生きするにはやはりユーモアと色気なのでしょうね。

私も10数年前に生活援助のホームヘルパーを短期間経験したことがあるけど、
当たりだったのかしら?
それともハズレだったのかしら?
自分じゃ当たりだと思ってるけど・・・。(^_-)-☆

追憶の欠片抱きしめありふれた世俗の夢みてタナトスを待つ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 晩発性放射線障害

心と体を一緒に診てくれる病院求む。
今日現在の被災者数は亡くなられた方が15170人。
未だに行方不明の方が8857人。
と今朝の新聞に載っていた。
他のページには毎日亡くなられた方々の名前も載っている。
0歳であろうが100歳であろうが、老若男女、年齢に関わらず、
震災死は或る日突然にやってくる。
自分がなぜ死ななければならないのか?
などと理由を考えている猶予さえも与えてもらえず、
無慈悲に不条理にその一瞬は訪れる。
ご遺族の方々は今も父や母や子の死を嘆き、
あのとき、こうしていれば、ああしていれば・・と、
生涯消えぬ喪失感と自責の念に
胸が締め付けられる思いでいらっしゃるのだろう・・。

せつなく悲しい出来事が今も継続中だが、
人はこの世に生まれおちた瞬間から年齢に関係なく、
死に向かって生きているという事実は誰にも変えられない。



私などは5歳のときに、「ご臨終です。」と医師に死を告げられ、
(私にはもちろん記憶はないが後に母に聞かされた)
2度目は10歳のときに川で遊んでいて深みに嵌り、
その時に急流に呑まれ10メートルほど流されて溺れ、
意識を失い危うく水死しそうになった。
5歳(病気)と10歳(事故)で2度のニアデス体験をしながらも、
よくもまぁ、この歳(アラシックス)になるまで運よく生き延びられたものだと思っている。

今この時期に不謹慎かもしれないが、
病気や寿命で病院で死ぬのとは違う震災死(津波死を含む)や事故死を思うとき、
どちらの死が楽なのか?と考えてしまった。


例えば余命告知などされている病気であれば、
病院で死ぬほうが精神的にはかなり辛いだろうと思う出来事を思い出した。

今から5年前の初夏、私は某病院に入院中であった。
それまで普通に入院生活を送っていた、
いつもミュッセの詩を読んでいた文学おばさんの同室のガン患者が、
突然病院中に響き渡るような悲鳴をあげた。
多分・・死の恐怖に耐えられなくなった精神が防衛本能であげた悲鳴だったのだろう。

絶叫に近い悲鳴で他の入院患者に迷惑をかけたからという理由で、
彼女は治療半ばで強制退院を言い渡された。

翌朝、彼女は「皆様にご迷惑をおかけしました。」とひたすら謝りながら
同室の患者一人一人に退院記念?の小さなクッキーの包みを渡しながら退院して行った。
その後の彼女の行く末は知る由もないが、
どうして、病院側が強制退院の措置を取ったのか?
どうして、肉体の患部を治療するのと同時に精神のケアも一緒にしてあげないのだろうか?
これが今の病院という医療施設なのか・・・と大いに疑問に思った。

病院とは病気を治療をし、治癒させて退院させる医療施設であることは判るが、
ほとんどの人が病院で死ぬ時代、
なぜ患部だけ診て心まで診てくれないのだろうか・・。

その病院には心療内科と精神科はなかったが、
精神安定剤の処方で少しは落ち着かせることができたはずなのに
たかが悲鳴ごときで強制退院させたことに今も解せない思いが残る。

医師も看護師も足りないことは判っているが、
絶対数が少ないからこそ、精神のケア担当の医療従事者が必要なのでは?
と思ったものだが、心のケア担当はおらず、臭いものには蓋のように、
ややこしい患者は強制退院させ、おとなしく病院の言うことに素直に従い、
おとなしく死んでゆく患者だけを置いておく病院なんて死にゆくものには意味がない。

病院は患者を少しでも長い時間を生かすことが使命であることの否定はしないが、
意識混濁になる数日前まで、苦痛に耐えながら、
ふらふらした足取りで検査、検査、検査と何回も
検査室に通う同室のガン患者を見ていて、
多死時代に死にゆく者の独りとして腑に落ちないものを感じた。
凡婦には判らない複雑な倫理問題も絡むのだろうが、
絶対数の足りないホスピス入院を待っている間に亡くなってしまう人も多いと聞く。
ガン治療を扱う病院ならば、ホスピス専門医がいなくても、
各病院に一室でもホスピス室のような部屋を設け、
本人の事前の意思表示がなくても、ペイン・コントロールを施し、
セデーション処置は家族の同意ひとつで簡単に行われるようにすれば、
チューブに繋いで無理矢理生かし、苦痛に苛まれながら生かされるよりも、
死にゆく人も、それを見ていなければならない家族も少しは救われるのでは?
と思えてならない。
110522r
リラ冷えの静かな雨の日曜はミュッセの好きな女(ひと)のこと思ふ
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テーマ : 思ったこと ジャンル : 日記

tag : ニアデス体験 ミュッセ ホスピス セデーション ペイン・コントロール

地デジ化の裏のカラクリ・・国策にろくなものはない。
先の震災の余波で地デジ化が延期になるかと思っていたら、
被災した宮城、岩手、福島の3県のみは延期になるが、
他の地域は予定通りの地デジ化移行の姿勢は変わらないらしい。
ということは、後約2か月で我が地域も完全地デジ化になる予定である。

元々テレビよりもラジオが好きなので、地デジ化と同時にテレビは一切見ない!
誰が買い変えるものかい。
と思っていたが、
夫が・・・テレビのない生活は嫌だと言う。
一日24時間の内約3時間もテレビを見ている夫。
残り少ない生の時間、テレビなんか見ないで本でも読んで静かな夜を過ごさない?と勧めたが、
それでもニュースだけは見たいと言う。


仕方なしに、一昨日チラシ広告で見た地上デジタルチューナー内蔵ブルーレイDVDレコーダー(居間用)と
地上デジタル放送対応テレビ(キッチン用)を買いに某家電量販店に出かけた。
エコポイントは3月末で終了しているが、エコポイント分は値引きしてくれたので、
結局いつ買っても同じだったということになる。

それでも、アンテナ工事代を含めると軽く10万円を超え、年金生活者にはかなり痛い出費になった。

だいたい、視聴に何の問題も支障もない、もちろん壊れてもいない
アナログ地上波対応のDVDレコーダーやテレビを
お金を払ってまでなぜリサイクルに回さないといけないのか?
まだどこも壊れていないアナログテレビからデジタルテレビに買い換えるようなことをエコと言うのなら、
どこがエコなんだか私にはさっぱり理解できない。

経済の為にはモノは大事に使わなくていいから、何回も買い変えろと言うのなら、
原発と同じでそんな科学技術など私には必要ない。

総務省が発表する地デジ浸透度調査というのもまたうさんくさい調査のようだ。
概ねテレビを見る時間帯が長いと思われる
80歳以上のみで構成されている世帯は調査対象から外されているらしい。
国にとっては都合の良い、国民ととっては都合の悪いカラクリは、
国民には悟らせないようにしているのが見え見えだ。
7月24日以降は一番テレビが必要な人々が一番多く地デジ難民になるのだろう。

つい先日まで、夜の7時のニュースの前にNHKはアナログテレビ視聴者に対して砂嵐の画面を見せ、
早く地デジの準備をしないと、こんな画面になりますよ。と脅かしをかけていた。
早い話が早くデジタル対応テレビを買え、アンテナをVHFからUHFに変えろ!
早くしないとアンテナ工事が込み合って、テレビが見れなくなりますよ。
と画面上で圧力をかけていた。
今現在、2万円代のLEDバックライトタイプのデジタル対応テレビも売っているし、
アンテナ工事も込み合ってなどいない。

それからもうひとつ納得がいかないのB-CASカードである。
これはなんなのだ?と思ってその背景を調べてみたら、やはりそこにも利権の存在があった。
B-CASカードを管理運営する会社は、NHK、民放、電気機器メーカーが出資しており、
社長はNHK元総務局長の天下りであるそうな。
地デジ化も利権、原発も利権。
電波周波数の有効利用云々も理由に挙げているが、
地デジ化や原発で生まれる利権に群がる人がいるというこの国の社会構造は変わらず、
泣きを見るのはいつも一般庶民だという構図も変わることはない。

私は衛星放送など見たこともないし、今後も見る気はないが、知り合いによると、
NHK衛星契約をしていないでBS放送を見ていると、画面左下にメッセージが表示されるらしい。
もう気にならなくなったと言っていたが、
ケーブルテレビ契約回線利用料とNHK受信料も払っているので、
これ以上、たかがテレビにお金はかけたくないので、
どうかNHKよ。衛星契約に来ないで・・といつも願っているそうな・・。



なんとか我が家の地デジ化は完了したが、
それでも、何度考えても、
年金生活者に10万円以上も個人負担させる国策の地デジ化には今も納得できない。
( ̄  ̄;) うーん.................

そのうち、原発難民や農漁業に対する賠償金の為に電気料金も確実に値上げになる。
原発を含め、国策にろくなものはなく、下々の者に負担を押しつけ、
国策という名の下に一部の人々だけが得をする利権の温床である・・
ということは今も昔も変わらない。
それでもこの国で生き、この国で死ぬしかない身にはどうすることもできないが。

死ぬときはどう生きたかが刻まれた顔をするとう老師は言えり

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テーマ : 思ったこと・感じたこと ジャンル : 日記

tag : 国策 地デジ化 総務省 地デジ難民 衛星放送 アナログ地上波 B-CASカード

原発はテクノロジーではなくてイデオロギーだった。
先日、「低線量の放射線は体にいい」と強調する東電顧問の元参院議員まで現れ、
びっくらこいてしまった。

(老眼の人は画像をクリックすると大きな紙面になります。)
110516rs

原発は安心安全の科学的裏付けは無視され、東電、官僚、経済界に因る
利権癒着イデオロギーのみで建設され稼働されていたとしか思えない。

原発事故などという、起こってなどほしくない事故は、
絶対に起こらないという思いこみと、
事故のことなど考えたくない、見たくないという思いで、
そういうことからを背けることで
チェルノブイリスリーマイルの数々の教訓を無視し、
JOCの事故後に国の予算30億円で開発された
原発事故想定用の無人遠隔操作ロボットも、
東電の「「活用場面はほとんどない。」
と思いこみの判断から実用化もされず結局は廃棄になった。
つまり、30億円=国の予算=我々の税金をみすみすドブに捨てたことになる。
テクノロジーイデオロギーに掏り返られる背景には、
今尚、累々と続いている政財官の癒着の構造に起因する。
それでも市井の人々は、選挙という唯一の行使権でそれさえをも許す。
それだけ、東電の株主が多いということなのだろうか?



今現在表だってはマスメディアに現れるのは東電、現政権、原子力保安院だが、
他にも忘れてはならない原子力関係機関として、
原子力保安院の天下り先として名高い
独立行政法人 原子力安全基盤機構/JNES(ジェイネス)がある。
なぜ、専門家集団を自認するJNESが前面に出てきて
事故収束に指揮権を発揮しないのだろうか。
天下りを叩かれるのが嫌だから?
それとも、要請されないから?
貝になり押し黙っているほうが攻撃されないから?

そこで、独立行政法人ジェイネス 原子力安全基盤機構/JNES
の詳細を見てみた。↑


(8) もし、放射線事故がおきたら!?のデジタルパンフレットでは、
原発事故で漏れた放射性物質を含む水を作業員が雑巾で拭いている絵がある。
ド素人の私でさえ、放射性物質の怖さは知っている。
笑うに笑えない絵であり、これが専門技術者集団の機関としての
「放射線事故がおきたら!?」の際の認識なのだとしたら、
いまどきの幼稚園児にも笑われるだろう。

その「専門技術者集団」の行動指針にはご立派なことばかり書いてあり、
シビアアクシデント対策にも
「原子炉の炉心の重大な損傷に至る事象(シビアアクシデント)の発生防止や影響緩和について、
実効性のある対策を講じるため解析・評価、試験研究などを行っています。」

などと書いてあるが、
「シビアアクシデントの影響緩和実効性のある対策を講じるため解析・評価、試験研究」
をしていたのであれば、収束さえ見えない原発事故に自ら望んで進言すべきではないのだろうか。
報道されていない部分で進言しているのかどうかは確認のしようはないが・・。


JNESの主要業務

・原子力施設等に関する検査、安全管理審査、確認等業務
・原子力施設等の安全性に関する解析及び評価業務
・原子力施設等の安全規制に反映するための調査、試験及び研究業務
・原子力災害の予防、原子力災害の拡大の防止及び
・原子力災害の復旧に関する業務
・原子力の安全の確保に関する情報の収集、整理及び提供



科学的・合理的判断

・私たちは、「専門技術者集団」として、科学的な知見に基づき合理的に判断する。
・公正・中立
・私たちは、業務の「高い公共性」に鑑み、法令に従って、公正・中立性を確保する。
・透明性の確保と説明責任の遂行
・私たちは、業務遂行の透明性を確保するとともに、
  「説明責任」を果たすために、広く内外に情報を発信する。

自己研鑽

・私たちは、「技術は生きている」との認識のもと、広く内外に知見を求め、
  専門家としての自己研鑽に励む。

理念

・強い使命感を持つ
・科学的・合理的な判断をする
・中立性・公正性を保つ







JNESの主要業務を見る限り、「原子力災害の復旧に関する業務」についての動きは、
私の目には今のところは皆無?だけれど、
なんとご立派な原子力関係の機関でありますことやら・・。


風評被害の元凶でもあるマスメディアが
原子力安全基盤機構/JNES(ジェイネス)を記事にしない理由も、
未だに原発事故の影響を安心安全と軽い言葉で報道し、
真実を言おうとするフリーランス・ジャーナリストを降板させるのも、
御用学者ばかり出すのも、
おそらくは、東電から年間数百億円と言われている
超高額な広告費を出す大スポンサーだからだろうか。


社会に支配的な集団によって提示される観念=イデオロギーでは、
早期の復旧も復興も成し得ない。
浜岡原発もやっと停止したが、福島原発よりも近距離にある我が家。
たかだか2~3年でまた再稼働されてはたまらない。
原発城下町の交付金とか行政の維持運営とか雇用の問題とか、
目の前の利益だけに拘っているとまた同じことを繰り返す。
いまこそ、自然エネルギーへの転換を図りながら、
将来的には日本の全ての原発を廃炉にする方向に迎えば、
世界に名だたる自然エネルギー先駆的国家となり、
時間はかかっても経済は回復すると思う。

結局は原発事故の賠償金も電気料金値上げによって、
また復興税という名目により全て我々下々の国民が負担することになる。

今こそ、国家、階級、党派による政財界のイデオロギー利権癒着構造と、
一部の株主を儲けさせる社会を変える良いチャンスに巡り合えた・・。
と思うのだが、下々はまた負担を強いられ、格差はさらに拡大し、
逆に政財官はさらに肥え太るという
今までと何も変わらない社会が続くのだろうか。
節電など、遥か昔から実行し、倹しい生活を送っている私だが、
放射性物質の汚染という想定され得ることから回避でき、
平穏な暮らしを求めるのは贅沢なことなのだろうか。

今すべきことを今ここで為しゆかむただそれだけが救いとなれり  
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テーマ : みんなに知ってもらいたい ジャンル : 日記

tag : テクノロジー イデオロギー フリーランス・ジャーナリスト チェルノブイリ スリーマイル JOC 遠隔操作ロボット 原子力保安院 原子力安全基盤機構 JNES

永眠した友へ・・それでも人生にイエスと言う?
2年前の58歳のときに罹患した脳血管障害の後遺症で、
歩くことと話すことが、少しだけ不自由になったA子。

「もう、この家には私の居場所はないの・・
生き地獄より天界の地獄のほうが、まだましかもね。
早くお迎えが来ないかな・・」
と、いつも口癖のように言っていた。

「大丈夫よ・・いずれはどんなに嫌がっても、
貴女にも私にも必ずお迎えの時が来るんだから、
今は静かにそのときを待とうよ。」と私は冗談めかして言っていたものだが、
彼女にとっての死は冗談の範疇ではなく、真摯にお迎えを待っていたようだった。

ご主人様を40代で亡くし、女手ひとつでひとり息子を育て上げた
気丈な身体と精神も、不自由な体になってからは、もはや弱々しくなってしまっていた。

彼女が病気になってからは、家では一切の人権はもぎ取られ、生活全般は全て嫁に仕切られ、
朝食は大好きなご飯と味噌汁とアジの干物のメニューもパンとハムエッグと牛乳に変えられ、
食べるのが遅いからと言われて、まるで禁固刑女囚のように
食事は毎回部屋の前に置かれていた。

そのうち、夜は居間に行って家族とテレビを見る気も失せ、
北側の寒々しい六畳一間で身じろぎもせずに
居間から聴こえる息子夫婦と孫たちの愉しげな声を聴きながら、
無感動を装い、独り寂しく、若いころに買い集めた本を読みながら、
眠れぬ夜はラジオを聴いて孤独を紛らす日々・・。



それでも、ときどき顔を見に行っていた、
私のような我がままで独善的な人間に対して、
「40年もの長い間私の親友でいてくれてありがとう・・」だなんて、
今まで悔し涙しか流したことのない私に、
嬉しさと切なさと悲しみが入り混じった複雑な涙を溢れさせ
「一生分の涙が枯れ果てたわよ。」と思うほど私を泣かせてくれたA子。

一年後、再び彼女に不幸が襲いかかった。
病気は婦人科系の悪性腫瘍。
そして、入院も治療も拒み、家で療養を続けていたが、
最後は家族によって病院に救急搬送され、
余命告知通りの一年後に静かに息を引き取った。


彼女が召されて3ヵ月が経ち、そして今日は彼女の月命日でもある。
享年60歳のA子の晩年の病苦と悲しみの涙を洗い流してくれるように、
私にとっても、命には終わりがあることを知らしめるように、
窓の外では、春が終わって夏が来ることを告げる
初夏の香りを漂わせた泪雨が降り続いている。

彼女が病院に搬送される一週間前に、
「あの世じゃ必要ないから形見に貰って・・」と私にくれた本。

それでも人生にイエスと言う」を読みながら、
彼女が引いた棒線のあるページを写し書きして、
彼女の歩んだ星霜を追体験している。



「やっと病苦から解放されて自由になれたわね。
それでも居場所のなかった人生にイエスと言うの?」
と問いつつも、
いまやっと彼女に「永遠のさよなら」を言うことができそうな気がする。


病気と死は「贈りもの」
P80~
このように、生きる意味全体のなかに、死んでいく意味もあると考えられます。
病気になり死んでいくことはなにかを失うことではなく得ることだと考えるのは、
そういう意味です。けれども、そう考えるだけではなく、病気になり死んでいくことは
「贈りもの」だと考える人たちがいます。いまではもう、
そのことも、不思議に思うことはありません。
ここに、ある手紙の原物があります。この手紙について強調しておきたいのは、
この手紙が私あてに書かれたものではないということです。ですから、この手紙を書いた人は、
それがいつか私の講演で例として利用されようとは思いもよらなかったはずです。
ただ、手紙の問題のところを読み上げるまえに、
それまでのいきさつについてお話ししておきましょう。
この男性は、急に、生死にかかわる重い脊髄の病気にかかりました。
そして、もっといい看護を受けるため、
ウィーンを遠くはなれた親しい婦人の別荘に滞在していました。
その男性の知人たちが、ヨーロッパで最も有名な専門家のひとりに問い合わせたところ、
その専門家は、手術にかんして否定的な見解を示しました。その専門家によると、
手術をしても生きる確率はせいぜい五%しかないだろうということだったのです。
ところで、知人のひとりが、そういう事情をのこらず書いた手紙を、
その患者さんが当時客として滞在していた家の女主人に送りました。
その手紙を、なにも知らない小間使いが、
女主人と病気の客がいっしょに朝食をとっているときに、
盆にのせて部屋にもってきました。さて、ここにある手紙で以上のことを記したあと、
その患者さんはさらにつぎのように続けています。
「そういうわけで、彼女は、その知人の手紙を私に見せないわけにはいきませんでした。



私の記憶がたしかなら、ある日私はここの映画館で上映された
最初のトーキー映画を一緒に見に行かないかと
ある友人に強く誘われたことがありました。
それは『タイタニック号』という映画でした。フリッツ・コルトナーが、
手足が麻庫した車椅子の詩人の役をすばらしい演技で演じていました。
その詩人は、立ち上がろうとしますが、立ち上がることができません。
それから、出水が頭のところまで上がってくるに任せます。
そして、主の祈りを先になって唱えるのです。
こうして、しっかりと意識して小さな運命共同体を死に導いたのです。
私はこの最初の映画体験に衝撃を受けて映画館を出ました。
そして意識して死に赴いていくというのは、
運命の贈りものにちがいないと考えました。
いまや運命は、私にも、意識して死に赴いていくことを許したのです。
私は、もう一度自分の闘争心を試すことを許されたのです。
しかし、この戦いではそもそも勝利することが問題なのではありません。
力の限りを出しきること、いわば最後の体操の練習が問題なのです。
私は、できるかぎり、麻酔なしで苦痛に耐えたいものです。
『無駄な戦い』ということばは、私たちの世界観では絶対にあってはなりません。



あなたはひとごとだからなんとでもいえる、もし現実に死に直面していながら、
私が可能だし必要だといったような態度を泰然と保っている患者がいたら見てみたいものだ、
などとはいえないと思います。この手紙を書いた人は、ひとごとどころではありませんでした。
それでもやはり、彼はそのような態度をとって、要求されたことを現実にやって見せたのです。



思えば・・あの未曾有の大震災から今日で2ヵ月。
未だに行方不明者が9800人超もいらっしゃるとか。
あの大震災と大津波と原発事故で、かけがえのない家族や家や田畑や仕事を、
そしてふるさと失った多くの人々は、今は人生にイエスと言える心境ではないだろうが、
いつの日にか「それでも人生にイエスと言う」日が訪れるのだろうか?
などと疑問符で終わらせないためにも、我慢と忍耐は美徳などと考えずに言うべきことは言い、
必ずや「それでも人生にイエスと言う日」が訪れて欲しいものである。
110511r
五月雨(さみだれ)に浄化されゆく鎮魂の紅蓮の焔(ほむら)を水面は映せり
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tag : 生き地獄 それでも人生にイエスと言う 禁固刑 女囚 永遠のさよなら 病気と死は「贈りもの」

なぜ現代人が「悪魔祓い」を求めるのか?
1970年代に大ヒットした、悪魔に取り憑かれて首が360度回ったり、ブリッジしたりする少女と
キリスト教の神父との壮絶な戦いを描いたオカルト映画「エクソシスト」。
今そのエクソシストの養成をカトリックの総本山であるヴァチカンが急いでいるそうである

P65~67
なぜ、この世から難病はなくならず、なぜ、生命力にあふれた子どもが犠牲になるのか。

なぜ、この世から戦争が消えず、なぜ、無辜の市民が毎日のように殺されるのか。

なぜ、生んだわが子を虐待死させる親がいるのか。

なぜ、津波や地震で多くの人が一瞬にして命を失うのか。

なぜ、無差別に殺人を犯す人がいるのか。なぜ、暴力は消えないのか。

なぜ、世の中にはたくさんの人間がいるというのに、災難は自分に降りかかったのか。

なぜ、こうも眠れない日々が続くのか。



どんな人でも、長い人生で一度は、心の中で発する疑問だろう。
これらの「不条理な悲劇に意味はあるのか」という、
『ヨブ記』とまったく同じ禅問答の回答を得るためには、
「この世とは光と闇の勢力の戦いである」と説く二元論的な信仰を根拠とするほうが、
はるかに容易だ。しかし、キリスト教の教義はあくまで、唯一の神が世界を支配していると説く。
神は全能であり、いつも善なることを望んでいる、と。
長い歴史のなかでいつも、
キリスト教は善悪の闘争で世界を説明しようとする二元論に抗(あらが)う必要があった。
そのために、悪魔は存在し続けた。
つまり、人間が道理に合わない不幸に納得するための理由として、
人類の普遍的な疑問への回答として、悪魔は存在する必要があった。
人々が不安に心を揺さぶられ、「なぜ」という疑問符を発するたびに、
悪魔はその輪郭を与えられてきたのである。

P185
日本人にとっては意外に思えるが、実はイタリアには精神病院はない。
正確にいえば、法律に基づいて消えつつある。
この場合の精神病院とは、精神疾患のある患者の治療・保護を専門に行う、
隔離病棟を含む入院施設をもった病院のことだ。
イタリアで精神病院を禁止する法律が制定されたのは1978年。
制定の理由は、精神病院が非人間的な環境であり、
治療よりむしろ病状の悪化を引き起こし、
さらには社会福祉予算を当て込んだ不正運営の温床となるというものだった。

P201~202
心に病を抱える人にとって、心理学者のもとへ通うことは、
あたかも自分が普通の人間ではないと宣告されるようなものだと教授は分析する。
世間のそんな偏見が患者たちには何よりつらいことで、
エクソシストに「悪魔が憑依していますよ」と言われたほうがずっと気が楽なのだという。
なぜなら、悪魔が憑いていると告げられた瞬間に、
彼らの病は文化的に記録が残っているカテゴリーに分類されるからだ。
悪魔は集団で共有する問題であり、もはや個の過失や弱さではなくなる。
また、聖書が描いたキリストや聖人たちがそうであったように、
キリスト教では悪魔に苛まれることを魂の浄化のための試練だと考える者もいる。
「悪魔憑き」と呼ばれたその瞬間から、
彼らの苦しみは「選ばれた人」たる意義をキリスト教文化のなかでもち始めるのである。



精神のバランスを失った人々に「偏見の入り込まない聖域」を保証し、彼らの苦しみに共同体に
認められるような、何らかの意義を与えること。エクソシズムの効果を、タミーノ教授はそう表現した。




日本には、文化庁の発表によれば、法律で認可されている宗教法人の数は18万を軽く上回り、
神道や仏教の系列下にない宗教法人が年間に平均して100法人ほど新たに生まれ続けているそうである。
どうも、日本は教祖様で溢れているらしい・・。

日本では癒しを求めてのスピリチュアルがブームとなっている。
有り余るほどの物に囲まれていても、それでも満足できずに、
魂のレベルでの癒しまで求め、
自称霊能者、自称ヒーラーにその辺に転がってる石ころを、
御利益のあるヒーリンググッズとして高額で買わされ、
日々崇め奉り、感謝!感謝!を口にしている人も多いらしい。

それだけ、癒しを求める人が多いということだろうが、
自称、神の啓示を授かった者の霊的存在の力にすがる人々の多いことに唖然としつつも、
あまりにも神から啓示を受けたと公言する人が多いことにもなかなか納得がいかない。

ちなみに、ヴァチカン認定の本物のエクソシスト
スピリチュアルカウンセラーも兼務しているが、料金は一円もかからない。

目に見えない世界を全て否定する気はないし、
肉体の苦痛に苛まれ、藁にもすがりたい気持ちも否定はしないけれど、
日本に数多いる霊能力者の手当治療や遠隔ヒーリングで病気が治った、
もしくは楽になれたと思えるのなら、それはそれで結構なのだが、
小さな奇跡を起こせる人として、なぜ口コミで有名にならないのだろう?

私の古い知り合いにも「神の声が聴こえる!」と言っていた人がいた。
後にこの人は統合失調症と診断されたと風の便りで聞いたが、
神の声が聴こえること以外はフツーなので、危ういバランスを保ちながら
今もフツーに暮らしているらしい。
この人の場合の神の声は病気に因る幻覚、妄想であったと思われるが、
このブログにも、「神の声が聴こえるらしい自称救世主」から、
訳のわからない笑えるコメントが来ていた。
好奇心でそのサイトを覗いてみたら、
各種難病及びその他の処置一覧表(税別)に「精神分裂症(統合失調症) 300万円 」
「心筋梗塞(各種心臓病も含む) 800万円」etc.................... と出ていた。
この自称救世主は、人様の病気は治せても、自分の病気は治せないらしい。

朴念仁の私には厳かな神の声は聴こえないが、
加齢に因る更年期症状の耳鳴りはときどき聴こえる。
どういう資格や感性があって初めて神の啓示を受けられるのだろうか?
できるならば、私も耳鳴りよりも神の声を聴いてみたいものである。
精神の病気ではなしに・・・。

君があると言うのならあるのでしょうコンテンツなき神の姿も

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tag : エクソシスト ヴァチカン 禅問答 光と闇の勢力 二元論的 全能 悪魔 精神病院 社会福祉予算

宗教による癒しとジハードとあの世
2週間前ほど、いつものプールに行ったら、
震災後初めて顔を見せたプー友(50代後半女性)が来ていた。
プー友の間では、一ヶ月も顔を現さないと、仏様にされているのが常なので、
勝手に殺されてはたまらんと、
「まだ生きているわよ~~~~(m´ρ`)m~~~~」と、
げっそりと痩せこけて、まるで幽霊のような風貌で現れた。

彼女は震災関連のニュースを見過ぎて、、
親を津波で亡くして震災孤児になってしまった子供たちや、
その逆に、子を亡くしてしまった母親の映像を見ると、
母性本能への負の刺激が強すぎて、いても立ってもいられず、
胸が締め付けられて涙も止まらなくなり、そのうち食欲もなくなり、
結果、ストレス性急性胃炎に罹患して一週間ほど入院していたと言う。

「それでも震災関連ニュースを見ずにはいられないのです・・。」

と担当医に相談したら、心療内科を紹介され、
今現在は精神安定剤を服用していると言っていた。

そんな話を聞いていたら、その昔に読んだ心理学の本を思い出し、
心理学には禁じ手である「宗教による心理療法」を勧めてみた。

何処かの怪しげな新興宗教に入って信者になったら・・と言うのではなく、
通りすがりに神社仏閣や教会を見かけたら、
少し立ち止まって、
「亡くなられた方々の魂を鎮めるためのお祈りをしたらどうかしら・・」と、
軽い気持ちで勧めたのだが、
昨日一週間ぶりにプールに現れた彼女は少しづつだが、
元気と優しさが溢れる元の彼女に戻りつつあった。
今現在も買い物ついでに、
家の近くの神社と寺院で祈る行為を続けているという。
「御霊よ安らかに・・」とつぶやく、「祈る」という行為で、
どうやら、「宗教による心理療法」が功を奏したようではあるが、
私から見れば、彼女の普段の言動や行動から、
暗示や催眠術にすぐに罹りやすい心の持ち主のように見えるので、
特定の宗教に属していなくても、日本人に連綿と続く、
生物や無機物を問わず、全てのものの中には霊魂、
もしくは霊が宿っているというアニミズムの考え方により、
人によっては多大な「癒し効果」もあるものらしい。

このケースは、他愛がなく些細な宗教の力で癒され、
救われたという話しではあるが、
目線を世界に向けると、大きな宗教の力には怖さだけが際立つ。

一昨日、米国CIAが、テロリストであると言われている、
オサマ・ビンラディン容疑者を殺害したとのニュースが駆け巡った。

私はオサマ・ビンラディン殺害の報を見て聞いて狂喜乱舞する米国民を見ていて、違和感を覚えてしまった。
まさに、為政者の暗示によって踊らされる、
木偶人形を見ているがごとき感覚に陥ってしまったのである。

同時多発テロでのあの決死の行為と行動をを思いだすに付け、
神の為なら死をも厭わないという、宗教の怖さをまざまざと感じるのであるが、
米国が正義を繰り返して連呼しても、
世界各地で再び報復テロが続出することは確実であり、
報復には報復を!という負の連鎖が断ち切られることはないだろう。
今後も聖戦という名の下に、
まさにイスラム教とキリスト教との宗教対決のように見せかけて、
その裏に見え隠れするエネルギー資源強奪と利権を得ようとする人々の作為に
言い知れぬ不安と恐怖を感じる。

アルカイダの報復が米国の同盟国や友好国へのテロ行為に及ぶ可能性も否定はできない。
特に日本は今、外敵の危機に関して無防備状態である。
報復原発テロが起きたらどうするのだろうか・・。

疑問に思うのはオサマ・ビンラディンをなぜに殺害ではなくて、
生け捕り→刑事裁判の姿勢を堅持しなかったのだろうか?
テロリストとは言え、国家による個人の殺害という手法が
果たして国際的に許されるのだろうか?

などと、いろいろな疑問や疑惑が過るが、
ボケた頭では分析のしようもないので、
そのような小難しい話は専門家に任せるとして、
死への恐怖も人生の苦しさも悲しみも宗教で救われるのか?
という話をしたい。

死の間際にあっては宗教は少しは死の恐怖を和らげてくれるとは思う。
それは私とて認めざるを得ない・・・。

宗教全般には全く無知なので、
おおざっぱで浅はかなイメージだけで書くと、
キリスト教の例では、幼いころに洗礼を受け、
信仰になんの疑問も疑いも抱かずに、
主は常に傍にいて見守っていてくださると、
大人になるまで神(主)信じ続けてきた人ならば、
聖書の棒読みでも、死への恐怖は軽減されるだろう。
おおざっぱな死生観としては、永遠の命を手に入れる者と、
地獄に堕とされ、やがては消滅してしまう者とに分かれるらしい。

イスラム教では、親の片方がムスリムならば、
その子もムスリムとみなされるそうである、
そして、殉教ともなれば、あの世では英雄扱いされる。
何しろ神の国でヒーローと認められるのだから、
そうなれば死の恐怖はない。

私などは、普段はお寺の前は素通りでも葬儀のときだけに俄か仏教徒となる。
家族を失ったときなどは、遺族は遺体や遺骨に拘り、
産廃物と化した肉体を遺骨として変化させ、丁重に弔い、
いついつまでも供物を捧げ崇め奉る。
そして、時間を経て、やがては心の平穏と平安を取り戻し
無事にあの世へ送り出したという安堵感から、魂は浮かばれると錯覚し、
そこでやっと、家族の死を受け容れることができるのである。

では死にゆく者にとってはどうなのか?
通常では仏教は「輪廻転生」を受け継いでいるので、
49日間の中有(ちゅうゆう)を経て、六道(りくどう)にいくことになっている。
六道のどの世界に生まれ変わるかは、生前のおこないによって決まるらしい


だが、しかし、宗派に拘らず本来の仏教を繙くと魂の存在を認めてはいない。
我々が今死者の魂や霊に拘り続けるのは、歴史的に見て、
時の為政者による仏教の大衆化を図る道徳的方便でしかないという見方に偏るざるを得ないが、
それでも我々は死者を弔い、その後も崇め奉ることを放棄できない。
日本人は長きに渡り、葬式仏教という刷り込まれてしまった
カルマを信じ続けることしかできなってしまった。
死者に対しては、特に熱心なクリスチャンや、イスラム信者や、新興宗教の信者以外は、
何がなんでも、宗派を問わず仏教でしか癒されないという
死生観を持たされてしまったからなのだろう。




ニュースを見ながら夫に、
オサマ・ビンラディンは水葬にされたんだってね。宗教的にはどうなのかしらね?」
等々の話しをしていたら、
「人は死んだら終わり。あの世で英雄になるかどうかなどの話は
無知な人々を都合よく動かそうとしている狡賢い人間が言っていることだ。
あの世のことは誰にも判らない。
それより今を楽しめ!宗教などという重い足枷はいらない。」
あの世は『酒はうまいし、ネェちゃんは綺麗だ♪』の世界でいいんじゃないか?」
と、あまりにもあっさりと言われてしまったので、
今日のところは難しく考えないで、夫の言うお笑い系のあの世感でいくことにした。
私は酒は飲めないので、
あの世は『ケーキはうまいし、ニィちゃんは皆イケメン♪』(^_^.)と
思うことにしたのでありますが、
宗教の効能を微々たるお布施や献金で癒しや救いの道具として使うのは結構なことだが、
一部の人の金儲けや野望の道具に使うのは旧約聖書の時代からなにも変わらないのね・・。



この世は諸行無常である。
今人間として存在している我々は
無数の因縁によって仮に存在しているにすぎない。
それが壊れたときに肉体の死が訪れる。
ゆえに、死後の世界にまでも、
永遠に存在しつづけるような我や霊などはない。
                    By 釈迦

死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。 死は最初からそこにいる。
                     By へルマン・ファイフェル
\110504r
初夏(はつなつ)のエチュード奏でる青葉雨エーテル麻酔に酔うごとき刹那
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tag : 心療内科 心理学 宗教による心理療法 新興宗教 オサマ・ビンラディン アニミズム 癒し効果 CIA 六道

うつくしまが泣いている。

東日本大震災:自民・吉野氏、東電免責求め 税金で全て賠償、首相否定--衆院予算委


原発事故は自民党+公明党政権が推進してきたことの結果であることの反省も無しに、
また下々の者に負担を強いる気らしい。
こんな人がワラワラと・・今後も出てくるのでしょうね。

先ずは、危機管理対策の甘さと原子力推進政策に謝罪の姿勢を示してから、
ご発言なさったら?と平民の婆さんは思うのだが、
初めから政治屋さんというのは人種も生きている次元も違うものらしい。

ところで、東電からいくら貰ってるんでしょうかね?献金を・・。



下記はなんとなく気になって切り取って置いた新聞の投書欄の記事。

(04/25)原発関連収入 何に使ったのか
報道で、福島県は原子力発電所の稼働にかかる県税として「核燃料税」を課しており、
今年度は44億円に上る予定だったことを知った。この一部は周辺市町村にも分配されるという。
また、原発を誘致することにより、県も当該市町村も国から多額の特別交付金を毎年配分され、
さらに固定資産税、住民税などの地方税も入ったはずだ。多くの住民が原発関連で雇用される効果も含め、
相当の経済効果が県や当該市町村にあったと思う。
福島県知事は今回の原発事故で、ことあるごとに補償補償と訴えているが、
県や当該市町村は、これまで得られた、
このような原発関連の収入で、
不測の事故が起こった場合の備えをどれほどしていたのだろうか。
例えば基金として蓄えていたお金を避難住民に配分したとか、
離れた地域に一定期間快適に居住できる避難場所を設定していた、
などという話は全く聞こえてこない。一体、多額の収入を何に使っていたのだろう。
政府の復興構想会議がスタートしたが、
いつどこで、どれほどの規模で起こるかわからない巨大地震・津波の被害と、
一定の想定ができた原発事故の被害を同じ土俵で議論してはならないと思う。
神奈川県鎌倉市(男性)
                                      


(04/30)原発収入 地方を責めないで
神奈川県鎌倉市の方の「原発関連収入何に使ったのか」(25日)にがくぜんとし、
福島の原発による電力をのうのうと使っていた首都圏の方の言葉にいら立ちを感じました。
東京からいわきに移り住んで15年。この間、
家から歩いて30分以上かかる駅への路線バスも廃止され、
都会と地方のインフラ、サービスの格差を痛感しています。
投稿は、多額の原発関連収入が入るのに原発事故時に備えた貯蓄を
なぜしてこなかったのかという指摘でした。
しかしそもそも自分たちが使いもしない電力を作るための原発を喜んで招く所はなく、
泣く泣く受け入れる過疎地の厳しい財政事情を知ってほしいものです。
交付金で箱物を造り、地域振興を図るのは責められることでしょうか。
今回の原発被害補償は最終的に数兆~数十兆円に上るとか。
原発事故時に備えた貯蓄をと言われますが、
当初予算が例年約1兆円の福島県で簡単に備えができる規模ではありません。
しかも安全で事故は起こらないと造った原発は国策です。
放射能被害で遺体捜索もままならない中、
福島県は、宮城県や岩手県のようには前に向けず、
原発事故の収束をいまだに足踏みして待たされている状況なのです。
福島県いわき市(女性)



ハイ。まさしく、こんなレベル7の原発事故が起きるとは夢にも思わずに、
福島原発から送られてくる電力をのうのうと使っておりましたです。
安全神話を前提とした交付金では、
「不測の事故が起こった場合の備え」もできず、
「離れた地域に一定期間快適に居住できる避難場所」も、
造りたくても造りようがありませんものね。
ですので、
声を大にして地方を責める気はありません。
投稿者は原発の町の人ではないので、
多額の特別交付金の使い道云々についても責める気はないし、
原発難民になってしまった方々をお気の毒に・・とは思いますが、
責めるべきは東電と前政権(自民党+公明党)とそれを引き継いだ現政権であり、
首都圏に住む下々の人を責めても無意味だと思うのです。
だって、電力供給の為にフクシマに土地を借りる費用として、
否応なしに、東電から「電源開発促進税」を徴収されているのよ。
首都圏に住む私としては、どちらかと言うと、
60%vs40%で神奈川県鎌倉市の男性に軍配を上げるしかありませんの。


反論の主は都会と地方のインフラ、サービスの格差を強調しているが、
銀座や渋谷や新宿ではない、
都会とは名ばかりの首都圏の片隅に居住している者には地方との大差などはない。
私は、車の免許証だけは身分証明書変わりに更新だけはしているが、
現在我が家には車と名のつくものは自転車しかなく、
最寄りの駅まで歩いて20~30分もかかる。
したがって、普段の外出は徒歩か路線バスのみ。
そのバスも最近は本数がかなり減った。
特に市営バスが・・。


冠婚葬祭等で、数年に一回程度、福島県会津地方に行くことがあって、
そのときにいつも思うことと言えば、
「我がウサギ小屋に比べ、なんと超広い土地に豪邸ばかりが並んでいることか・・
あらまぁ!車のない家がない!」である。

それと、もうひとつ・・
国政選挙間近に猪苗代湖畔の国民宿舎に泊まったときに、
多分、農家の主婦たちと思われる
地元の人たちから漏れ聴こえてきた忘れられない言葉がある。

「天地さひっくり返っても、宇宙人が攻めてきても、
自民党の人さ投票しておけばなんの間違いもねぇだ。」
エッ? (;゚⊿゚)ノ マジ???????????

どこの誰に投票しようと、その自由は保障されている。
農家は自営業。自民党支持が根強いのは当たり前のことね・・。

過疎地の厳しい財政事情と言うが、
一度原発を誘致してしまうと、
甘い夢を見続けさせられて、もう原発なしでは行政も財政も生活も機能しなくなる。
原発誘致と過疎地の財政事情は別問題として切り離して考えなければ、
今後もまた、同じことの繰り返しになることは目に見えている。

今はただ、「うつくしま・ふくしま」の人として、
どんなに困難な状況にあっても、
生き抜くことだけを考えてほしいと思う。
こんな言葉しかかけられないのは、震災と津波と原発事故で、
実質的には被災しなかった者のエゴだろうか?

あの夏を忘れたくないみづうみの宿の褥のセレクティブメモリー 
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tag : 核燃料税 原発関連収入 電源開発促進税 原発被害 補償 原発誘致 うつくしま

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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