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「死ぬ瞬間」と死後の生①--死にゆく人への禁句
死期が迫っている人は一人残らず、たとえ五歳であろうと九十五歳であろうと、
死が近いことを知っています。
したがって、問題は「私はその人に、死が迫っていることを告げるべきだろうか」ではなく、
「私には彼の声が聞こえるだろうか」です。
たとえば、患者がこう言ったとします。
「あなたの誕生日はたしか七月だったわね。そのころ、私はもうこの世にはいないのよ」。
もしその言葉をちゃんと受け止めることができたなら、
「そんなことを言ってはいけませんよ。快方に向かっているんですから」
などという、自分をとりつくろうための言葉は出てこないはずです。
そんなことを言ったら、患者とのコミュニケーションが途切れてしまいます。
あなたが、患者の言うことに耳をかたむける準備ができていないということが、
患者にわかってしまうからです。
それで、結局、患者を黙らせてしまうことになり、患者は孤独におちいってしまいます。
もしあなたが死とその過程に関して何を言ったらいいかわからなくなったら、
そして、この女性は死が迫っていることを直感で知っているなと思ったら、
ただそばにすわって、彼女に手を触れ、こんなふうに言ったらいいのです。
「おばあちゃん、なにか私にできることありますか?」。
人から聞いた話ですが、ある若い女性が老いた祖母をたずねました。
老人は自分の指から指輪をはずし、何も言わずに黙ってそれを孫娘に渡しました。
これこそが言葉によらない象徴言語です。
老人は黙って指輪を孫娘の指にはめたのです。
孫娘は、「まあ、おばあちゃん、そんなことしないで。
この指輪、気に入ってるんでしょ。ずっとはめていて」
などとは言いませんでした。
彼女はこう言ったのです。
「本当に私がもらっていいの?」
祖母は黙ってうなずきました。
孫娘はさらに「どうせなら・・・・・・」と言いかけました。
「どうせならもう少し待って、クリスマスにもらえない?」
と言おうとしたのですが、やめました。
彼女ははっと気がついたのです。
祖母は、自分がクリスマスにはもうこの世にいないことを知っているにちがいない、と。
そのおばあさんは、孫娘に指輪を贈ることができて心から満足していました。
彼女はクリスマスの二日前に亡くなりました。
これが言葉によらない象徴言語というものです。
「死ぬ瞬間」と死後の生 P27~28

--中略---

あなたの助けを本当に必要としている人たち、それはショックで感覚が麻痺している人たちです。
彼らは、これまで家庭のおかげで外界の荒波から守られ、
すべてが容易で安楽で、順調な人生を歩んできたために、
人生の荒波に対して心の準備ができていない。
「死ぬ瞬間」と死後の生  P29


常に死を見慣れている医療関係者以外では死にゆく人を前にするとオロオロするのが常だろう。
私も例外ではなく、意識があり、なお且つもうすぐ死にゆく人の前で成す術がなかった苦い思い出がある。

数年前、近くに住む親戚の人から入院している彼の妻に逢って欲しいとの緊急招集の電話があり、
急いでお見舞いに駆け付けた。
主治医から逢わせたい人がいるなら今のうちに・・・と促されての電話連絡だったらしい。
彼の妻(当時57歳)の病気は心臓病であり、2日後にはあっけないほど早く訃報の連絡が来た。

彼女の死因はガンではなかったが、日本人の3割がガンで死ぬ時代である。
それに加えて今現在の放射性物質汚染も追い打ちをかけ、
身体への確率的影響で数年後からは
日本人の5割以上がガンで死ぬ時代が訪れるかもしれない。

主な死因別死亡数の割合(平成22年)
h22

ガンは緩慢な死の過程を辿る。
私たちは今まさに死にゆく人々に対して、
患者自身が己の病状を口にしたときなどには、
「大丈夫よ♪」「快方に向かってるって♪」「頑張って!」
等の善意と思しき励ましの言葉をかけるのが常識とされている。
だが、それは死生学の世界的権威のエリザベス・キューブラー・ロスによると
大いなる勘違いらしい。
健康な人が死にゆく人にかけがちな、よかれと思う励ましの言葉は、
家族といえども人間不信を抱きこそすれ、より良く死ぬためには逆効果になるようだ。

不覚にも私は、本当は土気色の顔色をして骨と皮だけの上記の患者に対し、
「あらぁ、顔色もよくお元気そうね。」
等の心にもない嘘っぱちのお見舞いの言葉を発してしまった。

他の見舞客も同じような言葉をかけていたが、帰り路に考えるに、
もしかして患者自身はすでに死期を悟っていたのではないだろうか?
そして、「誰も私の本心を判ってくれない・・話すだけ無駄ね・・」
と思っていたのだろうか?との思いが脳裏を過ったが、
無知ゆえにそこで思考はストップしてしまった忘れられない思い出がある。
この苦い経験を想うとき、
もうすこし早くこの本を読んでおけば・・と今さらながら思った。

エリザベス・キューブラー・ロスは後には「死への過程」だけではなく、
やがて死後の世界(霊的な事象)にも関心を向けるようになり、
自らを被験者にして幽体離脱の実験したりして、
次第に死後の生(霊的世界)への関心のみに傾倒していった。

彼女が死生学の大家であろうとも、自分の死を経験することはできない。
人は老いとともに、つまり此の世での滞在時間が短くなることを自覚するようになると、
あの世の存在を創りたくなるのだろうか?
彼女の場合は西洋人なので「天国」なのだろうけれど・・・。



私はポスト団塊世代ではあるが、突然死や事故に逢わない限りは、
今後10~30年の多死の時代に私も私の配偶者も死なねばならない。
まだ今の時点では「多分、死んだらおしまい・・」と思っているとはいえ、
老人福祉施設(死にかけ老人が多すぎて入れるかどうかも判らない)
と医療機関と葬祭業者との老いと死による利益追求のためのトリプルタッグによって、
お手盛りの死のベルトコンベアに乗せられるのは安易に想像が付くだけに切なく味気ない。


長年月付き合いのある友人たちの闘病情報や訃報もボツボツ届くようになった昨今、
もうすぐ死にゆく人に遭遇するようなことがあったら、
また逆に私がお見舞いを受ける立場になっても、
少しは相手の気持ちを汲んだ応対ができるような気がする。

死を知らなければ生を知ることはできないと私は思っている。
死から目を背ければ背けるほどより良き生が遠ざかり、
死についてなにも知らないor見ないということこそ限りある生を不幸にするような気がする。

とは思いつつも、所詮、凡人・・・
いざとなれば、そう簡単には己の死も配偶者との永別も想う様には受け容れられずに、
あらゆる手を尽くして延命を願うのだろうか・・。(^_^.)

だが、エリザベス・キューブラー・ロスの唱える「死後の生」があるのならば、
死ぬのは恐怖の対象ではないのかもしれない・・。
とほんの少しだけ思えてきた。


われいまだ死を知らずして死に怯え死を想ひてはまた死を語れり


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tag : 「死ぬ瞬間」と死後の生 象徴言語 エリザベス・キューブラー・ロス 幽体離脱 霊的世界 葬祭業者 死のベルトコンベア

どうしても納得できない地デジ化
2011年7月24日正午に地上アナログ放送は(被災した東北3県を除き)完全停波し、
ついに、地上デジタル放送に完全移行した。

地デジ化なんて、こちらが頼んだ訳でもないのに、
勝手に国策と称して多額の税金を使ってくれたものよ・・。
ホント、国策に碌なものはないわね。
高画質も高解像度もデータ放送も、送信できる情報量も私には必要ないわ。
テレビなんて動画が映って音声が出ればそれでいいのよ。

それに、我が家ではアナログTVに地デジチューナーとして
ブルーレイディスクを接続しているので、
TVを観るときは常にブルーレイディスクの電源を入れておかないといけないので、
節電どころかますます電力を使うはめになってしまったわよ。
これって、この時期に本末転倒じゃない?

2階のベランダから御近所の屋根を見渡すと、
まだアナログ(VHF)アンテナだけの家も結構多い。
(有線契約家庭を除くと10件の内3件)
総務省発表の被災した東北3県を除く地デジ未対応世帯が約30万件なんてあれは大嘘ね。
きっと、もっと多いはずよ。

総務省からのお知らせでは「デジタル対応の準備してください。」だけで、
「デジタル対応テレビに買い換えてください。」や「アンテナも買い換えてください。」
なんてことは一言も言わず、
TVCMでも「地デジの準備はお早めに・・・」しか言わなかったわよね。

「準備してください。」ではなにをどうやって準備するのか?が、
判らないお年寄りも私の周りには少なからずいる。

御近所の半分ボケていそうな独り暮らしのお年寄り(80代後半)などは、
受信料を払っているNHKが準備(放送局側が切り替え操作)をしてくれて、
今見ているアナログ放送を相手(NHK)がデジタル放送に切り替えてくれると信じ切っていた。

また他の独り暮らしのお年寄り(80代前半)はデジタル化というのは、ケータイ端末のような、
目まぐるしく移り変わる単なる流行りもののテレビ受像機(例えば薄型)であって、
「今のテレビはまだ映るから買い換える必要も余裕もないし、
もし買い換えても私には絶対使いこなせないし、このままで十分よ。」
なんて言っていた。

むしろはっきりと「今見ているTVはもうすぐ映らなくなりますから、
電気屋に行って新しいTVに買い換えてください。」
ぐらい字幕で流すべきではなかったか。と思う。
我が地域は地デジ難視聴地域ではないので、リモコンの「地アナ」を押すとアナログ放送も観られた。
で、最後の地上アナログ放送も看取ったが、バカバカしくなってすぐに消した。

80代の二人の御近所さんは、毎週楽しみにしている日曜昼のNHK「のど自慢」が見れなくなって、
今頃は「テレビが故障した!」と、
大慌てで地元の電気屋さんに電話でもしているかもしれない。


せめて、高齢者が良く観ているNHKだけは、アナログ波をもう少し残しておいて欲しかった・・。
社会的判断力の衰えている弱者から、受信料だけはきちんと口座から引き落とししておいて、
勝手に電波を切るなんて行為は、それは、昔から言う「あこぎな商売」というものよ。

地デジ難民というのはインターネットはもちろん、ケータイも使わず、新聞も読まず、
日々の情報源はテレビだけで、「アナログ放送終了」も「地デジ化」もその内容をまったく理解していない
超高齢者ということになるのだろうか・・。
それに、「地デジ化とは何ぞや?」については、なにも理解していないので、
アナログ放送の字幕で流れ続けた「地デジコールセンター」に
電話してみようなどという気さえ起こらないらしい。


歳を取るってこういうことなのよね・・・。


高額なギャラを払って、タレントを使った地デジ化のカウントダウン宣伝や、
地デジサポートセンターの増員をする予算があるのなら、
高齢者世帯を一件づつ回って、
「低所得世帯には無償で簡易チューナーを配布していますがアンテナだけは自費です。」
等の説明するとか、被災者には無料で地デジ化をするとか、方法はいくらでもあるのにね・・。

今日になって、総務省は簡易チューナーが入手困難な低所得世帯以外の一般家庭にも
無料貸与(一定の条件有りで長くて3カ月)することに決めたらしい。
これも後手後手ね。


我が家は今年5月に地デジ化が済んでいるとはとはいえ、
まだどうしても納得がいかないことがある。
なぜ、どこも壊れていないブラウン管テレビと
DVDレコーダーとVHFアンテナを棄てなくてはならなかったのよ。(-"-)

しつこいけど、今も地デジ化という国策は腑に落ちない。
      (○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・

ところで、国策と言えば、必ずその利権に群がって大儲けする人がいる。
電波利用枠獲得のために億単位を出資した携帯電話会社、家電製造メーカー、
家電量販店、B-CASカード会社(おエライさんの天下り先)、政治家、官僚etc..
皆、今頃笑いが止まらないのだろう・・。



それにしても、日本人ってほんと、おとなしいわよね。
お上が右を向け!と言われれば右を向くし、左を向け!と言われれば左を向くし、
テレビを買い変えろ!と言われれば行列してまで買い換えるし、節電せよ!と言われれば、
その原因さえ忘れて一所懸命節電に励むし・・・。(*^。^*)
こんなに素直でバカ正直で国策にすぐ乗せられ易い国民性を持つ日本人って、
世界から見たらエライのかしら?
それとも単なるバカなのかしら?
私も、なるべくエアコンを付けないで、ゴーヤの苗を買ってきて、緑のカーテンなんか作って、
ゴーヤが成った♪なんて喜んでいるから、きっとバカな日本人の部類に入るんだわね・・・。( 一一)

110724g

だから、いつもいつも重い負担を強いられるのは清く貧しく美しく?
日々を倹しく生きている私のようなおバカで素直な?下々の者なのよね・・・。


人生の殻が重たくなるほどに生きた証を脱ぎ捨てられない 

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tag : 地デジ化 国策 地デジ未対応世帯 地デジチューナー 総務省 受信料 地デジ難視聴地域 利権 電波利用枠 B-CASカード

便失禁のショックで落ち込む85歳と死人(しびと)へのノスタルジア
現在、友人のA子(60歳)の御母堂B子(85歳)は介護保険の要介護1と認定され、
老健施設に入所中である。
本人は両手に杖さえつけば、ヨロヨロしながらでも独りでトイレにも行けるし、
ゆっくりだが独りで食事もできる。
そして、毎週一回、娘(A子)の週末の来訪を楽しみにしている。

そんなB子さんが、先日の灼熱地獄の中、
A子の運転でデパートに夏物のブラウスを買いに行った。

愉しそうに品物を選んでいる最中に尿意をもよおしたB子さん。
トイレに行ってズボンを下ろして、あら!?びっくり!!
なんと、大のほうを「おもらし」していた痕が・・・・・・・

ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!

「嘘よ!嘘よ!だって、便意なんて一度も感じなかったし、
臭いもしなかったじゃない?この私がおもらしをするなんて?
それも大のほうだなんて!これはきっと悪夢よ。そうに決まってるわ・・。」

婦人用お手洗いの個室で独り、現実を受け入れられずにつぶやいていると、
あまりの遅さを心配して娘がやってきた。

「母さん?まだなの?」と娘の声がする。

まさか、便で汚れたズボンをそのまま上げて個室から出るわけにもいかない・・
仕方なしに娘に事実を告げた。

娘は慌てふためき、真夏なのにレッグウォーマーをして、
ズボン下まで穿いている寒がりの母親の下半身に身につけているものを全部脱がせ、
臭いに辟易しながらも、備え付けのトイレット・ペーパーと、
持っていた汗ふきお絞りタオルとテッシュペーパーを濡らして下半身を拭いたが、
それも足りなくなって、タオルを買いに走り、なんとか身体を綺麗にし、
今度は下着とズボンと靴下を買いに走り、
汗だくになりながらも母親をトイレの個室から連れ出すまでに30分もかかった。


やっとB子は節電で冷房の効いていないデパートのトイレでの、
臭いと汗の悪戦苦闘からなんとか解放されたが、
母親の落ち込みが激しくて、目も当てられない。
そして、「もう老健施設には戻りたくないの・・家に帰りたいわ。」と言い出す始末。

なんとか宥めすかして、老健施設にお戻り願ったが、帰り際に施設の人に訊いたら、
「ここでも『大のおもらし』が一回ありましたよ。
紙おむつを勧めましたが嫌がりまして・・。」
とのこと・・・。

今月で母親の介護認定期間が切れ、
近々認定更新の為の調査面接を受けることになっている。
娘のA子としては、人工関節を入れている身であり、
介護等の力仕事は禁じられているし、
特養に申し込んではいるが、いつ入れるかも判らない状況では、
なんとしても再び要介護認定されないと非常に困る・・・。

ところが母は、今なお便失禁のショックで落ち込んでおり、調査面接のときには、
「私はまだ紙おむつを当てられるほど老いてはいない!」がごときにシャン!として、
介護が必要な受け答えをしないで、、、、
つまり要介護認定を逃がしてしまいそうな気配が感じられる。

B子は母と一緒に調査面接を受けることにしたが、施設側では、
「認知症でもないのに御一緒に面接ですか~?」
と歓迎していない態度がありありと見えている。
やがては自分もいずれ行く道とはいえ、A子には頭の痛い夏が訪れている。



悲しいことだが、嫌でも人は老いてゆき、嫌でも死ななければならない。
今日は私の母の命日である。
生きていれば友人の御母堂と同じ85歳の夏を迎えていた・・・。
単なる死人(しびと)へのノスタルジアかもしれないが、
毎年私の子供が夏休みになると母に孫の成長を見せに連れて行った日々が懐かしく蘇る。
老いと死の境で母は何を見、何を考えていたのだろうか・・?
母の命日が訪れる度に気になって仕方がない。
110721r
死してなお募る想いよ母という無名の女(ひと)に野花手向ける
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 介護保険 老健施設 要介護認定 ノスタルジア 老いと死の境

愚民向け世論操作マニュアル
先日、国民の意識に「原発安全神話」を刷り込むべく作られた、
メディア用の「原発推進世論操作マニュアル」があることを知った。



①不美人でも長所をほめれば美人になる。
  原子力はもともと美人なのだからその美しさを嫌みなく引き出す努力がいる。

②新聞記事も、読者は3日すれば忘れる。
  繰り返し書くことによって、刷り込み効果が出る。

③電力会社や関連機関の広告に必ず「3分の1は原子力」を入れる。
  いやでも頭に残っていく。

④停電は困るが原子力は嫌だ、という虫のいいことをいっているのが、
  大衆であることを忘れないように。

⑤ドラマの中に、抵抗の少ない形で原子力を織り込んでいく。
  原子力関連企業で働く人間が登場するといったものでもよい。

⑥原子力に好意的な文化人を常に抱えていて、
  何かの時にコメンテーターとしてマスコミに推薦できるようにしておく。

⑦教科書の原子力の記述について、厳しくチェックし、文部省の検定に反映させるべきである。
  その存在意義をもっと高く評価してもらえるように働きかけるべきだ。



当時の(1996年)科学技術庁が、経済産業省文部科学省所管の
財団法人「日本原子力文化振興財団」に委託して作らせた非公式の冊子のようだが、
愚民の私は、今の今まで、あのアドルフ・ヒトラーが用いたような刷り込み技法で、
ずーーっと、電力会社とマスコミに安全神話を刷り込みされて、騙され続けてきたのだろう。

今回たまたま目にしただけだが、原発に限らず、
他にも上記のような非公式の「大衆向け世論操作用マニュアル」が
どのぐらい存在しているのだろうか?・・と、考えてしまった。

多分、各省には「愚民用世論操作マニュアル」が溢れかえっており、
我々が知らないだけで国民に対する「刷り込み心理操作専門部署」もあるのだろう。
原子力村伏魔殿であることからも判断できるように・・。


近所の奥さんが、バカの一つ覚えみたいに節電!節電!とお題目のように唱えながら、
節電に励み過ぎて熱中症になった。幸い命は助かったが、彼女も愚民の一人であろうか・・。




彼のアドルフ・ヒトラーが次のような言葉を残している。

大衆の受容能力は非常に限られており、
理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。
宣伝に学術的な留保や多様性を与えようとするのは間違いである。
要点を絞り、スローガン化して、継続的に繰り替えさねばならない。



意識して嘘を重ねて当然に立派な大人になっていくんだ 
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テーマ : みんなに知ってもらいたい ジャンル : 日記

tag : 原発安全神話 原発推進世論操作マニュアル 科学技術庁 経済産業省 文部科学省 日本原子力文化振興財団 アドルフ・ヒトラー 原子力村 伏魔殿 心理操作専門部署

判官贔屓で一時的に菅総理を応援する。
NHKの世論調査によると、菅内閣を「支持する」と答えた人は16%。
先月の調査より9ポイント下がり、おととしの政権交代以降、最も低くなったそうな。

そして朝日新聞の世論調査では、9、10両日に行った電話による全国定例世論調査では、、
菅直人首相の辞任の時期について、8月末までの今国会の会期内にやめるべきだという意見が7割に達し、
内閣支持率は鳩山内閣末期(17%)を下回る15%となり、政権交代後の最低となった。
との結果だったらしい。

そして、昨日の記者会見・・。

脱原発依存社会」目指す。
将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく、
これが、これからわが国が目指すべき方向だと考えるに至った」と言明した。


またまた、思いつきとも取れる発言で原発立地県の首長と県民の間では戸惑いが生じているようだが、
脱原発依存社会のために用意周到な根回しや具体的なスケジュール作りなどやっていたら、
原子力村とその関係機関の人たちからは総スカンを喰らって総攻撃を受け、
引いてはアメリカからも圧力がかかることは目に見えている。
とにかくは最高権力者の座を賢く使い、何が何でも先手を打っておこう!
という戦略に出たのだろうか。

私には新聞とTVとラジオのニュースでしか情報を手に入れる術ははない。
従って、真の事実(裏側)等は知りようもないが、
イメージ的には、頼りになるブレーンも少なく、
身内である民主党議員からの「菅おろし」もすさまじく、
野党(自民、公明)からも辞めろコールばかり・・・
加えて、即辞任が当然とばかりに書き立てる全マスメディアと独りで闘い続ける?菅総理の姿に
判官贔屓したくなる気持ちが湧き起こり、
なんだか、期間限定で少しだけ菅総理を応援したくなってきた。

それに、あれだけの大震災に原発事故問題も追い打ちをかけた。
問題処理にスピード感がないと非難の嵐だが、では、他の人が首相だったらスピード感があったのか?
と考えたら、それも不可能だったと思う。


世論調査の結果を見れば、あれだけ党内からも野党からも各マスメディアから叩かれ、
無能だとかリーダーシップ無し・・等の、
メディアのフィルターにかけられたニュースしか流れなければ、
国民は無意識下で洗脳され、メディアと一緒になって
総理を叩くことで憂さ晴らしにはなるだろうが、この世の事象には何事も裏の面がある。
だがしかし、多くの人々は表面に現れる情報だけで物事を判断してしまう。
それは紛れもなく、これらは我々が知らない、また決して知らされることのない、
そして意識さえもしていない、メディアのマインド・コントロール技術なのである。


辞めろコールの渦の中で、「私はいついつに辞めるとは言ってない。」と言い切り、
今まで通した法案の内容は度外視しても、続投を宣言をした後の、
あの「ド根性」と「打たれ強さ」と「権力欲」と「居座り力」と
「いつも眠たそうな目」はたいしたものだ。

だいたいにおいて、国民の為に100%の奉仕の心を持って、
国民が100%満足する宰相が今までに存在しただろうか・・?
思い起こすまでもなく、この歳まで生きてきて私にはそんな宰相の記憶は皆無である。

安倍氏、福田氏、麻生氏、民主党の鳩山氏。
菅総理以前の総理を思い起こすと皆が皆、なんだかなぁ・・( 一一)
の腑抜け宰相ばかりであった。
皆2世、3世だが、もし彼らがこの危機的状況に首相だったとしたらどうだろうか?
もし、彼らが今総理職だったとしたら、
あれだけ叩かれたら早々に自分から逃げるように辞め、責任放棄していたと思う。

この未曾有の大震災のときにたまたま総理職にあった・・
と言うだけで菅総理に責任はあるが罪はない。
むしろ同情すべきであり、与党も内紛ばかりして遊んでないで出来るだけ協力し、
野党ももうすこし応援してあげれば、復旧も復興ももうすこし進んでいたかもしれない。
それが政治家という職業なんじゃないの?


一定のめど=福島第一原発事故の収束(炉心安定)=再生可能エネルギー促進法が成立した後で、
国民の「脱原発熱」が覚めないうちに「脱原発を問う解散総選挙」をする!と私は読んでいるが、
ここでまた問題がある。
政権党の内紛ばかり流すメディアのせいで、
民主党はもうダメ・・のイメージが固定化されてしまっている。
日本人は民主か?自民か?という二者択一しか選択肢がないように洗脳されているので、
再び自民党が圧勝する可能性も否定できない。
そうなればまた、原発利権者たちにより、安全性など無視され、形だけの安全宣言で
老朽原発も早々に再稼働されるのは目に見えている。
そして、行き場のない核のゴミに溢れた国土が出来上がることになる。

3.11以後、日本の地下での大規模な地殻変動も取り沙汰されている。
また大地震が来たら、第2、第3のHUKUSHIMAが現れないとは言えない。
そして、SF映画のような、全員が防護服を着、放射能に汚染された食物を食べつつ、
子どもも産めず、結果日本は滅びる。の未来図も描けないではない。
こればっかりは、有権者のひとりひとりが悩み考えて自らを洗脳から解き放ち、
原発NO!に目覚めない限りはどうすることもできない。



ここで断わっておくが、個人としての総理職にある人を一時的に同情心から応援しようと思っただけで、
別に民主党を支持しているわけではない。
民主党は元々は自民党から派生した政党で、根っこは同じであり、
消費税、医療、介護、年金等の成案は悪政ばかりを推し進めてきた自公路線を継承するものであって、
私には断じて認められるものではない。

それでも、震災と原発問題に関しては、ポスト総理に相応しい人も、
ヒーロー政治家も出て来そうにない今、例え、「脱・原発依存」が絵空事に終わろうと、
絵に描いた餅であろうとも、原発事故の渦中にある当事国の最高責任者が、
「脱・原発依存」を表明をしたことは意義があると思いたい。

応援の前提条件として、「脱・原発依存」の意志が強固で、
足を引っ張る輩の抵抗に屈しなければ・・・の話であり、
また発言を打ち消すことも考えられるので、
応援期間はせいぜい今日から3日?ぐらいかも・・・。

アメーバがヒトなるものへ進化してイデオロギーで人を殺めむ
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tag : 脱原発依存社会 原子力村 菅おろし メディアのフィルター 再生可能エネルギー促進法 脱原発熱 老朽原発 核のゴミ 地殻変動 HUKUSHIMA

水俣病から放射能汚染元年のその後を考える。
朝日新聞の夕刊「ニッポン人・脈・記」で、「水俣は問いかける」の連載が終わった。
「問いかける」の意図は水俣病から原発事故の汚染のその後を考えようよ・・だと私は思っているが、
私もその意図通りに毎回読む毎に福島第一原発事故のその後・・を想起させられてしまった。

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↑クリックで大きい画像になります。



水俣病とは、Wikipediaから・・・。
環境汚染による食物連鎖によりひきおこされた人類史上最初の病気であり、
「公害の原点」といわれる。(2009年9月4日朝日新聞)
1956年に熊本県水俣市で発生が確認されたことがこの病名の由来であり、
英語では「Minamata disease」と呼ばれる。
この後、新潟県下越地方の阿賀野川流域で昭和電工が起こした同様の公害病の病名も水俣病であることから、
これを区別するために前者を熊本水俣病、後者を第二水俣病または新潟水俣病(にいがたみなまたびょう)
と呼称する。
ただし、単に「水俣病」と言われる場合には前者を指す。
水俣病、第二水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくは四大公害病とされ、
日本における高度経済成長の影の面となった。


水俣病の発生が確認されたのが1956年・・。
あれから55年の歳月が流れたが、和解までの長い道程と、
何の罪もないのに水俣病に犯された人々の苦しみを思うとやり切れなさだけ去来する。
チッソが垂れ流したメチル水銀は人々の神経系統を犯し、多くの人々を不幸にしたが、
国と熊本県とチッソ側は長年月、認定を拒否し続け、渋々認定をしても賠償金を出し渋った。
今もなお、政府は水俣病事件の実際の患者数を隠蔽しているという人もいる。


そして今、図らずも放射能汚染元年となってしまった2011年。
先日の新聞には「福島市の子ども達、検査した10名全員の尿から放射性物質(セシウム)が検出」
の記事が載っていた。
この暑い時期に長袖、長ズボンで登校し、外遊びもさせて貰えない子どもたちがいる。
加えて、彼らには内部被曝の可能性もある。

将来、福島第一原発近隣の住民に放射性物質に因る影響が出て大勢の人が訴訟を起こすだろう。
だが、放射性物質に汚染された人々に晩発性放射線障害が現れたとしても、
水俣病と同様に国や東京電力は因果関係の立証が難しいとか、
御用学者を雇って、なんたらかんたら在りもしない理由を付けて、
何が何でも認定を拒み、何が何でも賠償金を出し渋るのは目に見えている。
ちなみに、個体差はあるが、チェルノブイリでは5~8年後から、
特に子どもたちに晩発性放射線障害=ガン発症数が増え始めたそうである。

発生から55年を経た水俣病認定裁判と、
66年を経たヒロシマナガサキ原爆症認定裁判が今なお続いている現状を見聞きするにつけ、
晩発性放射線障害が顕著に出現した場合、
因果関係の有無の証明にいったいどのくらいの時間を必要とし、
完全和解までどのくらいの年月を必要とするのか?と考えてしまった。
線量計がないので測りようはないが、私が住む首都圏にもホットスポットはある。


今現在福島第一原発事故に因る放射性物質から避難している人々は、
今後何十年も、否、子々孫々の代まで、
気が遠くなるような時間を放射能汚染と闘い続けなければならなくなり、
水俣病と同じように現世の苦界の中で喘ぎ続けなければならなくなる。

「原発さえなければ・・・」とよく紙面で見るが、
国策と称した利権に群がって利益を得る人々に騙され、
交付金という上辺だけ超甘い砂糖でコーティングされたアメを舐め続けた人々と、
アメの欠片さえ舐めさせてもらえずに中に入っていた毒だけを舐めさせられ、
原発事故から避難せざるを得なかった人々の
2者をまったく同一の土俵に上げることはできないが、
それでも、いつも痛い目を見るのは、
下々の者であるという社会の構図は昔も今も変わらない。


再稼働寸前だった佐賀県の玄海原発が総理の命令のストレステストで稼働できなくなったが、
この時期に・・
玄海町の町長はずいぶん原発再稼働に意欲的だなぁ?何か特別な理由があるのだろうか。
と思っていたら、なんのことはない。町長は九電が発注する玄海原発の工事と、
町への交付金による無用な施設受注企業(親族が経営する岸本組)の大株主であるという。
玄海原発再稼働容認の返事をしたときも、「全て国が責任を持つなら」と、責任転嫁していた。
ついでに書けば、佐賀県知事も九電社員から慣例として個人献金を受けていたそうな。

そりゃあ、「原発利益共同体」であれば、
そして、万が一の時の責任を全て国に押しつけられるのであれば、
県民や町民や原発の近隣住民のことより自分の利益を優先するのは当然だわね。
それにもっともっと美味しい餌である大量票もおまけで付いてくる。


原発利権に群がる人々は、口先だけでは命の重さを言うが、
頭の中では庶民の命のことなどなんとも思っていない。
そして、理性だと思い込んでいる己が歪んだ感情に支配されていることにさえ気付きもしない。
一昨日発覚した、九州電力の玄海原発稼働に際しての「やらせメール」こそが、
「理性だと思い込んでいる己が歪んだ感情」そのものではないだろうか。
九電の或る協力会社の良心のある人からの内部告発で発覚したそうだが、
このような「やらせメール」は運よく内部告発者がいなくて発覚しないだけで、
常態化しているのだろうと思う。
やらせメールを転送した人々に罪の意識などはまったく無かったに違いない。
むしろ、「今こそ出世のための愛社精神の出しどころだ・・」とでも思っていたのだろう。

本来、人間の理性は過去の教訓をバネにして、同じ過ちは二度と繰り返さないが、
我々は日々理性と感情の間をゆらりゆらりと行ったり来たりしている。
そして、残念ながら感情という部分では何度でも同じ過ちを繰り返す。
だが、「原発利益共同体」優先の政官財の人々は、理性などかなぐり捨てて、
自己の利益の為ならなんでもする。
そして、そのことを過ちや悪いことだなどとは頭の中を掠めもしない。
そういう環境で生きているのでそれが当たり前になっているのである。


震災の際の秩序正しさを世界から称賛された東北の人々の礼儀正しさは尊敬に値するが、
何もかも行政に任せて黙する時期は過ぎたと思う。
行政なんてマニュアルでしか動かないし、決して庶民の味方などではない。

感情ではなく理性で、今後は声を大にして行政に文句を言い、国と東電に抗議をし、
裁判等の行動を起こさなければ、不知火の人々が辿った苦難の道のり以上に、
晩発性放射線障害に因るガン発症(個体差はあるが・・)と
風評被害と差別に苦しまなければならなくなる。
それに長年月、国と東電に良いようにあしらわれることを覚悟しなければならなくなる。


それでも、原発難民となってしまった不条理極まりない身の上を日本の経済成長の、
また東北復興のための犠牲者として受け容れられますか・・。

もうすぐ震災後4ヵ月目になろうとしている。
「右に習え」が好きで、節電!節電!とお上に協力的な名も無き庶民は、
将来的に「貧しくても脱原発」と「経済成長のための原発推進」のどちらを選択するのだろう?
私はもちろん、元々貧しい庶民なので「貧しくても脱原発」でございますわよ。

豊穣の海が苦海に変わりゆき慟哭のごとき海鳴り聴こゆ
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「まだ生きていたいの?」に夫「ウン・・」

「お父ちゃん、本当に、こんな体になっても生きていたいの?」
ある晴れた日の暖かい窓辺で私は夫に問いかけました。
夫はうれしそうに「ウン」とうなずきました。
それ以上の言葉が出てこないのです。
忘れもしません。
夫は一昨年7月7日に都立の病院で脳動脈瘤の手術を受けました。
手術前の医師の説明では、左目は20~30%の確率で失明する可能性があるとのこと。
リスクの高い手術とも言われました。
でも元気で家に帰れると、夫も私も思っていました。
ところが、手術後、脳内出血、左目失明、尿便困難になり、言葉はいまだに回復せず、
人とのコミュニケーションが難しい状態です。
以前、夫は知識が豊富で何でも知っていました。
いまは、ほとんど何も答えてはくれません。
そして紙おむつの助けを借りながら、毎日過ごしております。
それでも、うれしそうに「生きていてよかった」とうなずく夫のことを、私は、これからも大変だけれど、
精いっぱい介護していこうと思っています。
泣かないで、負けないで。 
 2011.07.02asahi・声欄 67歳主婦



他人事ではないなぁ・・と思いながら投稿欄を読んでいたら、
遠方に住む義姉(70代前半)から電話が来た。
彼女はパーキンソン病を患うご主人様の介護をしていて、
ときどき私に電話をしてきては老々介護の大変さを切々と訴え、
泣いて笑ってまた日常の介護生活に戻るのを常としている。

義姉のご主人様の症状は、上記の声欄に投書した主婦のご主人様と同様に
人とのコミュニケーションは既に取れず、今は胃ろうで命を繋いでいる。
かろうじて、コミュニケーションが取れた3年ほど前に義姉は、
最後まであなたを介護するから・・との約束はしたが、
今はいつお迎えが来ても不思議ではない状態が続いており、
義姉は、大きな声では言えないが、もう覚悟はできているとも言っていた。
その言葉の裏を読むと、普段の言動の端々からも、
早く介護から抜け出したい=早く逝って欲しい・・のだろうと推測できる。
慈悲深い女神様のような老妻ばかりじゃあるまいし、義姉の気持ちが判らないでもない。

赤ちゃんならいずれ紙おむつは取れるが、被介護者の紙おむつは死ぬまで続く。
その前に介護者自身が倒れる可能性もある。

老いも病気も死も避けられないが、やがて来るその日まで、体がどんな状態にあろうと、
「生きていてよかった」とうなずいた御主人を持つ投稿者の人生を想像するに、
ご主人様にとっては素晴らしい人生の伴侶と連れ添っている喜びに打ち震えていたのだろうと、
勝手に思いを廻らした。



今まで偉丈夫で、病院と言えば、健康診断と歯科医院にしか行ったことのない我が夫が、
最近、あそこが痛い、ここが痛いと言うようになってきた。
私自身もときどき血圧が上60台・下30台まで下がり過ぎ、
よく何事もなく生きているなぁ・・と思う日もある。

義姉からの電話を切った後に、夫と私たち夫婦の近未来の話しになった。
私は「もしあなたが寝たきりになったら、
今の時点では、あなたの下の世話をする気持ちだけはあるけれど、
もし、体が動かなくても、今と同じように口だけが達者で、あまりにも口うるさかったら、
その時点で心変りする可能性もあるわ。」と断言しておいた。

結婚生活が長かろうと短かろうと、夫婦の行きつくところは、運よく生きながらえて、
老いて寝たきりになったときに、
お互いの「下の世話」が出来るかどうかに尽きるのではないかと思う。


私には投稿者のように、「泣かないで、負けないで。」精いっぱい介護する自信はないし、
夫が死ぬまで彼の紙おむつを換える覚悟は現時点では50%しかない。

老いては穏やかな日常なんて、明日にはどうなっているか判らない。
自分が熱中症になりかかっていても気づかないらしいし、
やがては目覚めない明日は確実に訪れる。
何事もそのときになってみないと判らないが、
そのときにオロオロアタフタする前に他人様の現実を参考に或る程度の覚悟だけはしておかなくては・・。
と蒸し暑さの中で思った。
110702r
約束は相手を縛るためでなく信じるためにするものと知る
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tag : パーキンソン病 老々介護 被介護者 介護者 下の世話

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Author:千風
気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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