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嘘つきのパラドックス・・野田総理、米紙に「来夏までに原発再稼働」
近くのスーパーへ行ったら、店に入ってすぐのワゴンにみずみずしそうな梨がサイズ別、
産地別に山積みにされていた。
そこへ、私の横をすり抜けて行った30代と思しき若いママと幼稚園児と思われる女の子が、
早速梨の物色を始めた。
「ママ、この梨が食べたい。」と女の子が選んだ梨を買い物カゴに入れようとしたら、
突然若いママさんが、「キャッ!」と短く叫んで、「それに触っちゃ駄目!」
と慌てて女の子の手から梨を取り返し、
元の場所に戻していた。
女の子が、「どうしてダメなの~?」と訊くと、
ママさんは、「福島県産だから、放射能が付いてるかもしれないのよ!」と答えて、
他の産地の梨をカゴに入れて、別の青果コーナーへ歩いて行った。

そうか・・これが風評被害というものなのね。
と、複雑な思いを胸に、一応はサンプル検査済みでなければ店頭に並ぶはずはないと思い、
私はその福島県産の梨(一袋6個入り398円)を買い物カゴに入れた。

若いママさんには福島県産の梨を買わない選択の自由はある。

ふと、日本中どこでもこのような会話が交わされているのだろうか・・?
と思ってしまった。

下記の風評被害はたまたま?大々的にマスコミ報道されてしまった。

1 放射能汚染を気にして、岩手県陸前高田の景勝地「高田松原」の
なぎ倒された松の使用を止めた京都の五山の送り火。

2 放射能汚染を恐れる人からのメールなどを理由に福岡市内での
出店が中止となった福島県産品店「ふくしま応援ショップ」。

3 「安全性を示すデータはあるのか」といった一部市民の抗議受け
福島製花火打ち上げ中止した愛知県日進市。

私は他にも報道されないだけで、
小さな小さな風評被害やイザコザが日本全国至る所であると思っている。
そして、抗議メールや抗議電話をした数少ない人々を責められないと思う。
いくら花火に放射性物質が含まれていなくても、農産物に限らず福島産と聞いただけで、
原発事故→放射性物質拡散に過剰反応を起こす人もいて当たり前のことだと思う。
それぞれ価値観が違うし、彼らも自分の身を守るのに必死なのだから・・・。

このようなことの原因は、
私にはこの国の政府機能の停滞と怠惰な政治スタンスしか思い浮かばない。
国は暫定基準値という数字のマジックを使い、
農作物はさも安全かのように、検査結果を発表し、
体裁のいいことばかり言っている。いくら私のような愚民でも今の現状を見たら、
誰も政府のことなど信じられないのは当たり前の話しだと思う。


それにしても、遅々として進まない被災地の復旧、復興、原発事故の収束・・・

私は原発事故に関しては、政府発表はなにも信じてはいない。
東電に関しては、原発事故後も、また放射性物質を広範囲に拡散させ、
何の落ち度のない人々の家を故郷を汚染させ流浪の民にしてしまっても、
奢り高ぶる独占企業体質は依然として変わらず、
私には加害者としての反省の色は微塵もみえてこない。
そして、国に守られた独占企業であるがゆえに、
電力の不買運動を起こせないのもくやしい。

我が町も原発事故は対岸の火事ではなくなってきた。
私がよく行く隣町では或る住民が独自に地域の放射能値を計ったら、
暫定基準値以上の放射性物質を含む枯れ葉があちこちで見つかったらしい。
行政もやっと重い腰を上げ、枯れ葉だけは除去したそうだが、
その汚染枯れ葉の行方は公表してはいない。
一企業の危機管理のなさと隠蔽体質と傲慢のせいで、今後何十年も、
東日本の人々は放射性物質汚染の中で生きて行かなければならない
運命を背負わされてしまったのよね・・。

今後子どもを産む人は確実に減り、少子化は加速し、
一番人口の多い団塊世代のほとんどは10~30年後には死に絶える。
それでも、放射性物質を含む汚泥や原発の廃棄物は中間貯蔵施設に溜まり続ける。
今後は札ビラをチラつかせても、
最終処分場を受け容れるモノ好きな自治体などあるわけもなく、
こんなに狭い日本で、核のゴミと共存していかなければならない。

福島とその近辺の地域は三重苦を強いられ、自力で立ち直ろうと思っても、
立ち直れない事態を作りだしているのは、
まさに東電と官僚と無策な現政権そのものである。
前政権(自公)などは自分たちが推進した原発が起こした事故の反省もなしに、
現政権の荒さがしに夢中で、政権奪還しか頭の中にはなく、
余計な口は出すが体は動かさず、早期復旧と復興の足を引っ張り続けている。

彼らは口先だけの政治屋稼業であり、傲慢な企業を擁護し、
政治献金を巧妙な手口でおねだりし、
国民の血税から膨大な歳費を受け取りながらも、
この戦後最大の国難の時期にのうのうと超高級議員宿舎を建設し、
平気で政党助成金を受け取っている。
低所得者層の国民目線から言えば、
政党助成金は被災地の復旧と復興に使うべく辞退するのが筋であり、
今この時期に超高級議員宿舎建設中などと聴くに至っては、
政治家としての前に人としての神経を疑うしかない。

やはり、彼らは口先では国民目線を強調しながらも、
選挙運動中は2枚舌を使い分け、犬を連れて散歩中の平民様は言うに及ばず、
排便中のペットのワンコ様にまで
ペコペコとお辞儀を繰り返してしていたかと思うと、
数日後に当選したとたんにセンセイと呼ばれ、
ふんぞり返る勘違い人間でしかないんだわね・・。

そして、金に目が眩む御用学者も然り、
こんな人たちが夢と希望を持てる社会なんか作れるわけがない。
こういう人たちは、私腹を肥やす為なら、
無辜の民の命とコツコツ築きあげた財産なんて、
なんとも思っていないのが悲しいけれど、これが現実なのか・・と考えると、
否応なくこの国に生まれ、半世紀以上もずーっとこの国で生きるしかなかった
人間の運命(さだめ)だと思って諦めるしかないのだろうか。
私の座右の銘は
「老いては体に無理はかけない・・でも、死ぬまで生きることを諦めない!」
なのに・・・。

嘘つきなパラドックスに騙されてまたパラドックスの罠に陥る
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テーマ : みんなに知ってもらいたい ジャンル : 日記

tag : 団塊世代 風評被害 東電 放射性物質 暫定基準値 政治献金 超高級議員宿舎 低所得者層 嘘つきなパラドックス

ガンを告知された人とどう接するか?
今日、いつも行く市営プールに行ったら、
「震災直後頃から体調が良くないのよ。震災のストレスかしら・・?」
と言っていたプー友(プール友達)が久しぶりに顔を見せていた。
そのプー友が・・・・・
「じつわね。私、ガンなんだって・・・
それでね。近々手術をすることになったのよ・・。」
と告白された。

そういえば、普段は何事にも強気で、負けず嫌いで頑張り屋さんで、
そして、私とは正反対な性格で、何事にも超前向きな彼女(60代前半)が、
最近はこころなしか集中力に欠け、弱気な面を曝け出していたことが気になっていたが、
まさか、ガンを告知されていたとは夢にも思っていなかった。

老いれば嫌でも体のあちらこちらの不調が増える。
関節の痛みや、高血圧などであれば、投薬でどうにかなるが、
ガンと告知されれば体より先に精神が不安定になることは私でも理解ができる。
(私もガン検診では毎回要精密検査を言い渡されているので・・)

思えば、私は普段から、「老いと死を見つめながら今を生きる」を
メインテーマに月に数回ほどこの泡沫ブログの更新をしているが、
それは私自身の「老いと死」について納得するためであり、
配偶者や友人等の他者に向けたものではなかった・・。

ゆえに私は彼女から「ガン」を告白されたときに、
一瞬戸惑い、一言も適切な言葉が出なかった。
頭の中では、こういう場合はどういう言葉を発するべきなのか?
で脳はパニックに陥っていたのである。
そして数秒を経て、やっと出た言葉はといえば、
「今はガンで死ぬ時代じゃないから大丈夫よ。
それに治る確信があるから手術を勧められたんじゃないの?
ところでステージは1なんでしょ?」

と、励ましになっているんだかいないんだか、
ますます落ち込ませているんだかいないんだか、
判らないような言葉を返してしまった。

彼女は「恐ろしくて何も聞けなかったわ。だから私のガンの進行度合いも何も知らないのよ。
でも何が何でも手術を勧められているの・・。なんだか、目に見える色が今までの極彩色から
すべて灰色に変わってしまったのよ。この世界の本当の色って灰色だったのね・・・。」
と言いながら、背中に重い悲哀のプルームを背負ってプールから出て行った。

実際には治療によって「ガン=近い将来の死」至らない人でも、
我々はガンを告知されたら、すぐに死に結びつけてしまいがちである。
今、彼女は告知によって、治療もする前から、
また自分の体の中のガンの詳細も知らないままに、
そしてまだ余命を宣告されているわけでもないのに、
「ガン=死」のイメージの罠に陥っているのが切ない。


他のプー友(プール友達)の母親は歳60歳のときに乳ガンに罹ったが、
全摘手術を受けて、89歳の今も元気で過ごしているそうである。
だが、私の義理の姪(享年30代後半)は体調が悪くて
病院に行った時にはすでに手遅れのガンを宣告され、
治療をしても意味がないと余命半年の告知をされた。
だが、それでも微かな希望は捨てずに奇跡を信じての代替療法を頑張っていたが、
それでも一年までしか命を繋げなかった。




エリザベス・キューブラー・ロスによる有名な死の五段階説がある。
偉大なロス博士にケチをつける気はないが、
私には第一段階の「否認と孤立」に至るまでに前段階の、
ガン告知直後のショック&パニック状態からの脱却のための
共有と鎮静」もあるのではないかと思った。
彼女がプールを後してから、私以外の親しい人たち数人にも
「ガン告知」されたことを打ち明けていたことを聞いた。
思うに・・彼女はガン告知の「ショック&パニック状態」を鎮静すべく、
憐憫でもなく、激励でもなく、
他者に話をすることで、独りでは背負いきれない、
苦しい胸中の共有を求めていたのではないかと思えてならない。

見え透いた励ましや同情は彼女のショック&パニックの精神状態を増幅こそすれ、
決して彼女の心の鎮静の為にはならないのではないかと、ふと考えてしまった。

「もし、私に出来ることがあったら、またして欲しいことがあったら、
メールでも電話でも良いからいつでも連絡してね・・」
程度にすべきだったのかもしれない・・。


かくいう私・・・
もうガン検診は受けない。と考えていたが、
国民健康保険から無料ガン検診券が送られてきたので、
無料に釣られてしまい、来月ガン検診を受ける予約をした。
また、要精密検査を言い渡され、検査結果が出るまでの期間、
灰色の世界に身を委ねることになるのだろうか・・?
万が一ガン告知でもされたら、灰色の世界どころではなく、
真っ暗闇の世界に身を委ねることになるけれど、
それもまた限りある命を背負った人生、、、と無理矢理にでも思わなければ、
やがて訪れる死へのレッスンにはならない。

誰もが好きなように生き、人も羨む長寿でピンピンコロリで逝きたいと願う。
だが、それは宝くじの一等賞を射止めるようなもので、
確率的には超低いものなのである。

どんなに健康に気を付けても、大量の高価なサプリメントを摂取しても、
若くして死ぬ人は死ぬ。
逆に健康に無頓着で、運動も嫌い、野菜も嫌いな人で、戦後すぐから煙草を吸い続け、
喫煙歴が60年以上を経てもなお、今なお元気な女性(80代)もいる。
そして、「家族は煙草をやめろ!と言うけんど、
今、煙草をやめたら、ストレスで早死にしてしまうだよ。」と口癖のように
言っている。

他にも、シルバーカーを押しながらもヨボヨボ、ヨロヨロ・・
おまけに今にも転びそうに歩く近所のお年寄り女性(82歳)もいれば、
颯爽と車を運転してプールに来て毎回必ず2㌔泳いで帰るお年寄り女性(82歳)もいる。
同い年でありながら、この身体能力の個体差はなんなのだろうか?と考えるとき、
人の寿命も死へ至る時期も、人間には如何ともし難い自然の摂理に支配されている。
としか言いようがない。

「ガン=ただちに死」の人もいるが、「ガン=ただちに死」ではない人もいる。
今は彼女の身心のガンへの防衛メカニズムが起動して、
「ガン=ただちに死」ではない人の部類に入ってくれることを願うのみである。
110915r
炎天に実のはじく音聴こえきて八月は死に夏が終わりぬ 

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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

tag : エリザベス・キューブラー・ロス 死の五段階説 否認と孤立 共有と鎮静

死を見つめる心 ―生命飢餓状態に身をおいて―
普段は闘病記に類する本、特にガン闘病関連の本はほとんど読まないことにしている。
「死にゆく者と彼らを見守る家族との愛と感動もの」・・のごとき美談仕上げに編集されることに、
どこか抵抗を覚えるのである。

だがこの本は違った。
今まで読んだ死生学の本・・
例えば、エリザベス・キューブラー・ロスの本や、
著書が欧米人である臨死体験の本に感じていた
違和感をもすべて払拭してくれたように思えた。
エリザベス・キューブラー・ロスの本は何度も読み返したが、
彼女はキリスト教圏の人なので、
彼女の展開する死生観はキリスト教を軸にした
死生観に偏る感が否めないでいた。
しかし、この本の著者は日本人であり、
職業は宗教学者であるがゆえに、
「日本人と欧米人との生死観の違いは埋めようがない。」
ことをはっきりと示してくれている。
そして、現代の日本人に適した死生観までをも真摯に丁寧に見つめ、
我々には微塵も違和感のない、
理知的な考察に基づいた死生観を示してくれているようにも思えた。

私はここ数年来のガン検診で毎回必ず要精検を言い渡されている。
それでもなんとか要精検だけで「ガン宣告」は運よく免れており、
今現在は「生命飢餓状態=余命宣告された状態」に身をおいてはいない。
ゆえに、今現在は何度も何度も死について考えても、多くの死生観に関する本を読んでも、
自身の死についてはどうしても観念的な域を出ることはないが、
それでも、血圧が70台から上に上がらなかったりする体調の思わしくない日には、
頻繁にめまいを覚え、ふと、死の影が横切るのを感じることもある。
そんな日が続いても、否応なく時は流れ、私は刻々と死に向かって生きていることに変わりはない。

そして・・・時の流れとともにまた社会的背景の変化とともに、
人間の生き方も死に対する考え方も変遷し、
やがて、時が満ちて、私は嫌でも命飢餓状態に身をおかねばならない時が来る。
その時には激しい生への執着が訪れることは目に見えている・・。
と常々思っていたら、そのことを第一章の「死に出会う心構え」からズバリ指摘された・・。


P11~13
わが生死観―命飢餓状態に身をおいて―

二つの立場
生死観を語る場合には、二つの立場がある。
第一の場合は生死観を語るにあたって、
自分自身にとっての問題はしばらく別として、
人間一般の死の問題について考えようとする立場である。
これは、いわば、一般的かつ観念的な生死観である。
もちろん、自分も人間であるから、自分というものも、
広い意味では、その中に入っている。このような生死観も有用である。
自分も含めた意味での人間の生死観の考え方を整理しておくことは、
いざという場合の基礎的な知識となるからである。
しかし、もっと切実な緊迫したもう一つの立場がある。
それは自分自身の心が、生命飢餓状態におかれている場合の生死観である。
腹の底から突きあげてくるような生命に対する執着や、
心臓をまで凍らせてしまうかと思われる死の脅威におびやかされて、
いてもたってもいられない状態におかれた場合の生死観である。
ギリギリの死の巌頭にたって、必死でつかもうとする自分の生死観である。
この第二の立場の場合には、
第一の立場には含まれなかったもう一つのはげしい要素を加えている。
それは、人間が健康で生命に対する自信にみちて、
平安に日々の生活を営んでいる場合には、まったく、思いもかけない要素である。
人間が、生命飢餓状態におかれた場合に現れてくる生命欲のはげしさである。
生命欲は、生理心理的な一つの力である。
いつでも人間の心の底に潜んでいるに相違ない。
しかし、人間は、平生はそれをそのままでは感じない。
それがいざとなると、猛然と、その頭をもたげて来る。
そして、はげしい生への執着となり、死に対する恐怖となって現れる。
この要素を加えると、人間の生死観は、
何か質的にも別個のものになったかと思われるほど、
第一の観念的な立場とはことなってくる。

―中略―

生命飢餓感は、食物に対する生理的な飢餓感に酷似している。
胃袋に食物が満ちている時には、飢餓感を感じない。もちろん人間は、満腹していても、
食物について語ることはできる。
しかし、その場合の食欲は、食物の味のよいわるいというようなことに関連しているに過ぎない。
痛烈な飢餓感ではない。ところが胃袋に食物のない状態の人は、もっとほんとうに腹の減った苦しみに、
なやまされている。それは、単に、観念的においしい食物のことを考えただけでは、
けっして、いやされることのないものである。生命の飢餓感も、それと、まさに、同じである。
明日も、あさっても、そしていつまでも生きてゆくことができると考えている人の心は、
生命に満ちたりている。生命に対して飢餓感は感じていない。
それゆえ、そのような人は、観念的には、死の問題を考えても、
生命飢餓状態におけるような激しい生命欲にさいなまれてはいないのである。
生命飢餓状態におかれた人間が、ワナワナしそうな膝がしらを抑えて、一生懸命に頑張りながら、
観念的な生死観に求めるものは何であるか。何か、この直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、
抵抗するための力になるようなものがありはしないかということである。
それに役立たないような考え方や観念の組み立ては、すべて、無用の長物である。



いずれは必ず死ななくてはならないとはいえ、
ジワジワと死に至るガンだけは嫌だな・・とつくづく思うが、
血縁的にまた遺伝子的にガンで死に至る確率も否定できない。
ましてや人間は誕生を選べないように死の形態をも選ぶことはできず、
自然の摂理に従わなくてはならない。
人は100%の確率で必ず死ぬことだけは納得しつつも、
よもや自分の身に死が訪れるとは考えたくない部分もある。

私の場合はまだ第一の立場の死生観ではあるが、
著者の言う「広い意味では、その中に入っている。このような生死観も有用である。
自分も含めた意味での人間の生死観の考え方を整理しておくことは、
いざという場合の基礎的な知識となるからである。」を念頭に
残り少ない生の時間をもっともっとより良く生きんが為に、
たとえ納得できなくても、また想うような結論が出なくても、
逃げたくても逃げられない老いと死を更に見つめたいと思う。
はげしい生命飢餓状態に身をおかなければならなくなるその日まで・・・。
110908r
夕闇のしじまに浮かぶ曼珠沙華紅蓮の炎で黄泉へと誘(いざな)ふ


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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 死生学 エリザベス・キューブラー・ロス 死に出会う心構え 生命飢餓状態

どじょう総理の正体はMr.増税と改憲と翼賛体制ざます。
すさまじい菅下ろしの嵐が吹き抜け、また総理大臣が変わった。
新総理がまず最初にしたことはと言えば、経団連詣でである。
解りきったことではあるが、国民より財界が大事なのである。
これで、前首相が提案した脱原発路線は一気に消滅するのだろう。
あの官下ろしの嵐の原因は原発の既得権益に群がる者たちにとっては
「脱原発」路線を推し進められては非常に困ることであった。
ゆえに居座られては困る目の上のたんこぶのごときの首相だったと言える。
そして新どじょう首相は財界にとっては非常に都合が良く、
日本経団連会長などは「ジャパン・ドリーム」の実現だ。
と手放しの大喜び・・。

もう諦め切っているとはいえ、
国民にとっては半年後には確実に失望感しか抱けないであろう「どじょう首相」誕生となった。


以下はどじょう総理語録。

■野党との大連立
・今は成功するまで、何度もお願いしていく。101回でもプロポーズする。
・公明新聞を毎日読んでいます。

■原発
・原発の信頼を回復させる。
・点検中の原発について「ストレステス」ト含めて安全性を厳格にチェックし、
 稼動できるものについては地元の理解を頂くため説明しながら再稼働していく。

■戦犯
・アジア、太平洋戦争を指導したA級戦犯はそもそも戦争犯罪人に該当しない。

■増税
・消費税増税が年来の主張。(消費税は増税、法人税は減税)
税と社会保障の一体改革は避けて通れない。

■選挙制度
・私個人としては小選挙区300だけで良いと思っています。

■憲法改正
・私は新憲法制定論者です。
・現憲法はとても新憲法と言える代物ではありません。
・修正をタブー視してはいけない。


民主党が政権与党になって、平民の私になにか良い事があっただろうか?
と記憶を辿って見たら、なにもなかった・・。
車もないので高速を利用するわけでもなく、
小さな子供がいて子ども手当の恩恵を受けたわけでもなく、
何もないどころか、年金額は減らされた。
それに、知り合いの脳梗塞の後遺症で半身マヒの人は微々たる額ではあるが、
重度在宅障害者手当がなくなった。と言っていた。

つまり、今後も国民の暮らしと生活は何も変わらない。
どころか・・・・今増税なんかしたら景気はますます低迷し、
社会的弱者は大震災の復興費捻出のための増税でますます窮地に立たされることになる。

更には東京電力が、電気料金の10%以上の値上げを東電の資産や経営状況を調べている
政府の第三者委員会「経営・財務調査委員会」に打診している最中である。
10%以上の値上げということは・・・か細い年金暮らしの我が家の家計は明らかに逼迫する。


今日市営プールに行ったら、いつもノー天気な友人が言っていた。
「今度の総理大臣は誠実そうね。少しは期待できるわよね・・・」と。

政治家なんて、自称ドジョウであっても、だけど狸だもの、
そして2枚舌だもの。否、3枚舌だもの。
美味しいことは口にするけど有言不実行に決まってるじゃない。
小沢○郎氏の顔色を窺いつつ、政治と金の問題は相変わらずだし、
現在暇で暇で我が世の春を謳歌している官僚も使いこなせないし、
天下りもほったらかしだし、、何も変わるわけがないじゃない。
とは思ったがリアル友人に本心は言えないので、
「そうね・・・。」とだけ答えておいた。

セレブや中流家庭の皆様の優雅で平穏な暮らしは底辺に生きる他者、
つまり社会的弱者の犠牲の上にしか成り立たないものなのである。

原発事故での高濃度汚染により、立ち入り禁止の警戒区域となってしまったふるさとを、
望郷の念だけで避難生活を送っているお年寄りたちが、
「早くふるさとに帰りたい・・・」と口を揃えて言う言葉を聞くと切なくなる。(/_;)

そんなことは考えもしないで、見た目やイメージや、
たかだかTVで数分の演説を聞いただけでその人となりを判断してしまい、
短絡的に泥臭いから誠実に違いない的イメージで新首相に期待を抱く人々
(彼らも微々たる額の年金で暮らす弱者)こそが、
過去の自公政権と同じ政策(財界優先)の道を歩ませようとし、
そして、国民にとっては今以上のどうしようもない社会を作り上げて行くのかもしれない。

福島がFUKUSHIMAとなり原子炉は崩壊熱を出しつづけおり
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tag : 経団連 ストレステスト A級戦犯 税と社会保障の一体改革 新憲法制定論者

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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