*All archives* |  *Admin*

「長寿と性格」・・社交的で楽観主義の人ほど早死にで真面目な人ほど長生きする。
私の興味をそそるタイトルの本が新聞広告に載っていた。


だが、まだ新刊本であるので倹しい年金生活者には手がでない。
そのうちにBooK offで150円で売りに出たら、
そして忘れなかったら購入しようと思っている。


そこで、どのような本であるかを詳しく説明しているサイトがあったので
下調べを兼ねて大筋を読んでみた。
1921年当時、10歳前後だった子どもたち1528人の性格を分析、
その後の人生をインタビューしながら80年間にわたり追跡調査した結果である。
長寿だった人の共通点を分析した結果、長寿向きの性格が明らかになった。


食生活も生活習慣も生活様式も思考形態も死生観も異なる国での追跡調査結果なので、
日本人には100%は当てはまらないことを考慮しつつも、人間であることには変わりは無し、
異文化の国の人々の「長寿と性格」との関連を知っておくのも良いかもしれない。

私を含め、多くの人々は「社交性のある楽観主義者」はストレスを貯めないので長生きし、
「真面目で神経質」な性格の人は過度のストレス性疾患によって平均寿命まで生きていられない。
と考えがちだが、どうやらそのような常識とされている各方面の長寿説を根底から覆すような
追跡調査結果が書かれた本であるらしい。



世間の常識とされている、一般的な身体面と精神面の長寿の条件として
次のようなことが言われているが、
これらは「性格的観点部分」だけを論えば、長寿にはあまり関係がないらしい・・。(^_^;)

①働き過ぎず、無理しない生き方のほうが健康。
②愛されていると感じている人ほど長生きできる。
③早くリタイアして趣味三昧の生活に入れば長生きできる。
④適度な運動が必要。
⑤食事は腹八分がいい。
⑥ストレスや心配事は病気を誘発する。
⑦定期的な医療検査。
⑧薬剤によるビタミン補給。
⑨積極的な緑色野菜の摂取。
⑩陽気で快活でポジティブな人は長生きをする。

もし、長生きをしたいならば、下記の項目を心に留め置くほうが良いらしい。

①老後はのんびりは間違い。
②家族に愛される必要はない。
③生涯独身の男性は長生きする。
④社会的ネットワークの広い人ほど長寿。
⑤オーガズムを多く体験した女性は長生き。
⑥陽気で楽観的な人は短命。
⑦真面目な人ほど長生きする。
⑧社交的な人気者は早死にする。
⑨性格を変えれば、寿命も変わる。
⑩何事も決して諦めない。

私の場合を当て嵌めてみると、

①老後だがのんびりしている時間などない。
②夫に愛されているなどと考えたことも無く、既に人類愛&同士愛になっている。
③該当しない。
④微小で狭小なミニネットワークでしかない。
⑤オーガズムを多く体験?(?_?)......ウ~ン(ーー゛)40年前にタイムスリップ中......
⑥ときに楽観的、ときに悲観的。
⑦ときに真面目、ときに不真面目。
⑧気分次第でときに社交的、ときに内向的。
⑨できれば変えたい。
⑩無理には頑張らないが、何かを始めたらあっさりと諦めはしない。



尚、著者によると、
「結婚という点で考えるなら、もっとも長命だったのは、
一人の奥さんと生涯連れ添った男性で、その多くが70歳以上まで生き、
奥さんに看取られて亡くなっています。」(フリードマン教授)

一方、女性に関しては男性とはまったく違う興味深い結果が出た。
夫と離婚しても、あるいは夫に先立たれても、
それは彼女たちの寿命にほとんど影響を与えないことがわかったのだ。
彼女たちは総じて長寿であり、
むしろ夫がいなくなってからの方が生き生きと健康になったケースが目立つ。
概して結婚生活の充実が男性にとって重要であるのに対し、女性には大きな影響がないのである。


私にとって注目すべき点は、
「むしろ夫がいなくなってからの方が生き生きと健康になったケースが目立つ。」
という文節である。
生物学的に繁殖能力の消滅した人間の♀にとって、
人間の♂はどのような存在価値を持っているのでありましょうか・・


私論はともかく、そのような結果らしいので、今現在夫婦仲が良くても悪くても
運よく?「おふたりさま」でいらっしゃる男性は、もし長生きしたければ、
夫婦円満を心掛け、また今以上に奥様を大切に労わりながら、
奥様に看取られて安らぎの中で穏やかに亡くなるまで、
おふたりさまの日々」を有意義に生きて行くしかないようである。

女性については、夫と離婚しても、あるいは夫に先立たれても、
それは彼女たちの寿命にほとんど影響を与えないらしいので、
女性は自らの長寿については何も案ずることなく、家庭内でも、社会でも、
単純な人間関係であれ、他者と接する機会を多く作ればますます長生きする可能性も大になるので、
例えば、巣鴨地蔵尊などへ行って、参道の店の店員との値引き交渉に熱意を燃やしたり、
たまたまバスや電車内で隣り合わせた人に、相手が聞いていようが、聞いていまいがお構いなしに
自分の一代記を話したりして、(そういう老婦人に何回も出会った経験があるのよ。(^_^;))
そのときの自分の気持ちを大事に、一期一会を楽しみながら
日々笑いながら、愉快に老いを生き抜いていけば良いらしい。


とは思うけれど・・・・
年齢的に今さら性格を変えることは困難なことであり、
私的には、限りある時間ではあれど、
無から有を生み出すような創造性のある趣味や仕事に打ちこんだり、
または、生甲斐となるミッションに気付き、
そのミッションの愉しさの中で達成感を得た瞬間にポックリと死ねたら本望である。
常に無常感を心の奥底に宿している日本人の私にとっては・・。

ぬばたまの夢だったのか凍えてたわたしを抱いた君の手の熱は
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 思ったこと・感じたこと ジャンル : 日記

tag : 長寿と性格 死生観 楽観主義者 おふたりさま ストレス性疾患

「最後だとわかっていたなら」と「最後だとわからないから」
17日の朝日新聞(夕刊)に或る詩が載っていた。
少しだけ気になったので切り抜きしておき、改めて読み返してみた。

タイトルは「最後だとわかっていたなら


作/ノーマ・コーネット・マレック

訳/佐川睦、サンクチュアリ出版


   あなたが眠りにつくのを見るのが
   最後だとわかっていたら
   わたしはもっとちゃんとカバーをかけて
   神様にその魂を守ってくださるよう祈っただろう
   あなたが眠りにつくのを見るのが
   最後だとわかっていたら
   わたしはもっとちゃんとカバーをかけて
   神様にその魂を守ってくださるよう祈っただろう

   あなたがドアを出て行くのを見るのが
   最後だとわかっていたら
   わたしはあなたを抱きしめてキスをして
   またもう一度呼び寄せて抱きしめただろう

   あなたが喜びに満ちた声を聞くのが
   最後だとわかっていたら
   わたしはその一部始終をビデオにとって
   毎日繰り返し見ただろう

   確かにいつも明日はやってくる
   見過ごしたことも取り返せる
   やりまちがったことも やり直す機会が
   いつでも与えられている

   「あなたを愛してる」と言うことは
   いつだってできるし
   「何か手伝おうか?」と言うことも
   いつだってできる

   でももしそれがわたしの勘違いで
   今日ですべてが終わるとしたら
   わたしは今日
   どんなにあなたを愛しているか
   伝えたい
   そして私達は 忘れないようにしたい

   若い人にも 年老いた人にも
   明日は誰にも約束されていないのだということを
   愛する人を抱きしめるのは 
   今日が最後になるかもしれないことを
   明日が来るのを待っているなら
   今日でもいいはず 

   もし明日が来ないとしたら
   あなたは今日を後悔するだろうから
   微笑みや 抱擁や キスをするための
   ほんのちょっとの時間を
   どうして惜しんだのかと

   忙しさを理由に
   その人の最後の願いになってしまったことを
   どうして してあげられなかったのかと
   だから今日 あなたの大切な人達を
   しっかりと抱きしめよう

   そしてその人を愛していること
   いつでも いつまでも
   大切な存在だということを
   そっと伝えよう

   「ごめんね」や「許してね」や
   「ありがとう」や「気にしないで」を
   伝えるときを持とう

   そうすればもし明日が来ないとしても
   あなたは今日を後悔しないだろうから



もし、全世界の人口が100人であったなら、
そして、偶然に100人がこの詩を読んだなら、99人は確実にこの詩に感動し、
また普段は気にもしない家族への思いを改めて再認識し、
共感とともに、素晴らしい愛に満ちた詩だと絶賛するだろう。

だが、私にはすんなりと感動も共感も受け入れられないナニカが残った。

結果的にこの大いなる自己満足感が漂う詩に救われる人がいるのならば、
それはそれで否定はしない、ことを前提に下記のような場合でも
この詩のような愛を行使できただろうか?と考えてみた。

昨年の大震災では数多の人々が津波に浚われ、
瞬時に尊い命を落とさなければならなかった・・。
あの3.11の衝撃を思うとき、
「隣の家の、認知症でおまけに下の世話まで他者に委ねている
寝たきりの100歳の老人は親切な人に助けられて生き延びたのに、
前途有望で、そして輝く未来が待ち受けているはずだった元気で健康で賢い私の子どもが、
何の落ち度もないのに突然に不条理極まりない死に方で命の灯を消さなければならなかったのか?
と、いまもって、なぜ?どうして?の疑問符から抜け出せず、
加えて喪失感に打ちのめされながら、
どうしても我が子の死を納得できない親御さんも多いことだろうと思う。
それらの御家族を亡くされた方々は、この詩を読んで、
はたして素直に感動し、家族の無念な死を納得し、
また共感できるのだろうか?という疑問が残ったのである。

誰しもが、「今日、家族の誰かが死ぬ日であることをわからないからこそ」
明日以降の未来に希望を託し、夢を持って今日を生きることができるような気がする。

私は何度も読み返してみて、
今日という日を精いっぱいに、愛と善のみに生きなさい!
には或る程度は賛同はするが、
詩の中に、キリスト教圏の人々の、なんでも神の意思に委ねれば
救われる的偽善を感じてしまうのである。


その日が、今日か明日か、十年後か、はたまた50年後か?
などは本人はおろか誰にも判りはしない。
毎日毎日、「最後だとわかっていたなら」などと考えながら生きていたら、
発狂してしまいそうな気がする。

例えば、他愛の無いことで夫婦喧嘩をした日に、
家を飛び出した夫が交通事故で死んでしまうことがあるかもしれない。
急激に血圧が上がって心臓麻痺でポックリと死ぬかもしれない。
そのときは後悔に苛まれるかもしれないが、
家族と言えど死の追体験は誰にもできない。
それに、人間が誕生すればいつかは死に移行するのが自然の摂理であることを認めれば、
老若男女を問わず、死は日常では当たり前のことであり、
もっと自然体で考えたほうが、後悔度も喪失感も少しは薄らぐように思われる。

この世で一番のダークな部分とされ、社会から覆い隠される死・・・。
生と死は表裏一体であるにも関わらず、
死は見ない、見せないことで社会を成立させている。
だが、老人であれ、若者であれ、幼子であれ、
明日という未来に生存しているかどうかなどは誰にも判りはしないのである。
それでも私は、私や私の家族の最後の日が明日だなんて絶対に知りたくはない。
最後だとわからないから」こそ、人は明日を信じて今日を生きていられる。

誰の身にも死は突然に前触れもなくやって来ることが多い。
私は同居人(夫)との永別の日が来ることは避けられない事実として既に認めている。
そのことを覚悟した上で、そのときには、いかにして自分を納得させるかしかないのである。




「そうすればもし明日が来ないとしても
   あなたは今日を後悔しないだろうから」

などと言われても、
どんなに聖人君子然とした人であろうとも、
人間として生まれ落ちた限りは後悔のない日々などはない。
それに、人間とは明日という近未来の時間の流れの中に
夢と希望を持たなければ生きていけない儚く弱い動物でもある。

生の残り時間が見えてきている、自称、たそがればーさんの私でも、
まだ秘かに、諦め切れずに追い続けている夢がある。
多分、生きている内には叶わぬであろう夢でも、そのこと自体は問題ではない。
諦めないスタンスが大事なのだと思っているから・・。

人生は好奇心を満たしてくれる台本のないミステリアスな一世一代の大舞台であり、
この地上での唯一無二の存在のヒロインとして、
ステージ上で精いっぱい、歌い、踊り、また歓喜し、悲嘆しながら、
何時が最後の日か判らないままに、ある日突然に、
静かに密やかに最後の人生舞台の幕を下ろしたい。

例え、その日が明日だとしても・・・。

でも・・・やっぱり、よく考えたら明日じゃいやだわ。
せめて、100歳まではヒロインでいたいわ。(^_-)-☆

善という仮面外してみたくなるこんな静かな雪の夜には
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : ノーマ・コーネット・マレック キリスト教圏 神の意思 最後だとわかっていたなら 最後だとわからないから ミステリアス

孤独でも自由な日々と、孤独ではないが不自由な日々・・のどちらを選ぶか?
今日、東京在住の40年来の友人から久しぶりに電話が来た。
普段、彼女は携帯メールで連絡してくるのが常であるが、
携帯メールでは事足りない用事のときだけ電話をしてくる。
彼女にとっては何か重大な用件だろうと思ったら、
案の定、電話に出てすぐ、
「もしもし、あたし・・Y子よ。あのね。ナスちゃんに訊きたいことがあるんだけど、
もしもの話しだけど、もし、ナスちゃんが今独り暮らしだったら、
寂しくはないけど制約が多い不自由な生活と、
寂しくても24時間自由でいることのどちらを選ぶ?」
と唐突に訊かれた。

う~ん(ーー;).....私はまだ一人暮らしではないし、突然訊かれても、と思いつつ、
そのような質問に至るまでの経過と事情を訊いてみた。

そして、話が進む内に判明した唐突な質問の主原因は、昨年の3.11の大震災であるという。

Y子は20数年前に御主人様を脳梗塞で亡くされ、
それでもなんとか、経済面で仕事に就くこともなく、
亡きご主人様が残してくれた生命保険金と遺族年金で一人娘を育て上げ、
娘さんの結婚後も何不自由なく、
亡きご主人様の残してくれた東京のマンションで独り暮らしをしていた。

そして昨年、あの大震災が起きた。
震災以前は起床時間も、寝る時間も、食事時間も、また何処かへ出かけるにも、
とにかく一日のすべての時間の割り振りを自分の思うままに自由に決められるので、
「ホント、独り暮らしは24時間自由でいいわ♪
ナスちゃんもご主人様に糖分と油脂分をたくさん食べさせて、
あなたよりも早く彼の世に逝ってもらって、一日も早く優雅な未亡人になって、
ナスちゃんのご主人様が会社員だったときにふたりで遊び回ったように
再び私と一緒に東京中を遊び回りましょうよ・・。」などと、
冗談だか本気だか判らないようなノー天気な助言?と共に私を遊びに誘っていた。

だが、3.11以降は彼女にも少しづつ心情にも変化が訪れ、
また大震災起きたら、そして、もっと老いたら・・
独り暮らしの私はどうなる?の思いに取付かれ、
誰か傍にいて欲しい。感が強くなってきたそうである。

真夜中でもネオンが燦々と煌めく都心とはいえ、
マンション内に茶飲み友達と言えるほどの親しい知り合いもなく、
夜に独りでいるのが心細くなってきたそうである。
そこで、既に嫁いでいる共稼ぎの娘夫婦(子ども無し)に「お試し同居」を持ちかけたら、
日中に家事をしてくれるなら、という条件付きで「OK!」ということになり、
彼女名義のマンションは自然災害のときの為の緊急避難所としてそのままにしておき、
お試し同居なので、身の回り品だけを持っていそいそと
東京に近い埼玉県の某市に赴いたそうである。

最初の2、3日間は上げ膳据え膳でお客さん気分で居られることに満足していたが、
そこは実の母娘・・・一週間もしない内に、次第にお客さん扱いはしなくなり、
「ママ、昼間にいったい何をしてるのよ?誰かと同居するということはね、
今までみたいに、好きな時間に起きて、好きなことばかりしていられないということなのよ。
つまり、今までのママの24時間は、もうママだけのものじゃなくなって、
好き勝手には振る舞えないということなのよ。私の主人の手前もあるし、
せめて昼間は掃除と洗濯と夕食の準備位はして貰わないと困るのよ。」
と言われ、彼女はそこで初めて自分の考えの甘さと、
真の家族の絆というものに気が付いたそうである。

彼女の言う「真の家族の絆」は曖昧模糊としていて、
私には半分も理解はできなかったが、
私が思うには、
家族であれ、他人であれ、相手に何かを求めることよりも、
自らが相手の欲するものを察して、
そして、決して押しつけがましくではなく、
それとなく、またさりげなく与え、そしてそのことに対る報酬を求めないこと。
ではないだろうか。

Y子は結婚後は一度も仕事に就いたことはない。
母娘間ではなんでも自分の思い通りに物事を進めてきた。
対人関係のノウハウも他者とのコミュニケーションの
取り方もすでに忘れているのかもしれない。
私とも、たまに会うからこそ、コミュニケーションが取れて、
愉しいひとときを共有できるだけなのかもしれない。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
のように・・・。


さらにY子の愚痴?は続き、

「確かに夜は同じ屋根の下に誰かがいるというだけで安心だけど、
なんだか、私としたことが、婿殿にはもちろんだけど、
娘にもね、ものすごく気を遣うのよ。
なんか、初めにイメージしていた子どもとの同居とは全然違うのよ。
今さら無給の老いた家政婦をするにも、足腰が思うように動かないし、
夜遅くに帰ってくる娘夫婦の食事を作るだけでも、私には重労働なのよ。
それに、家政婦のミタさんみたいに重労働特別手当?(そんなのあった?(?_?))
も無ければ、超過分の請求もできないのよねぇ。(-"-)
そして、今までのように、食事作りが面倒なときは都内の自分の住むマンションの
隣にあったコンビニで幕の内弁当を買えば済んだけど、
今はそれすらもできないのよ・・。
それでも、初めに同居を望んだのが私だとはいえ、
急に時間を制約される不自由な生活に慣れることもできなくて・・
今までが自由過ぎたのは判るけど、ただ単に急に寂しくなったからと言って同居して、
それに、もっともっと老いて、介護が必要になったら娘に面倒を見てもらおうなんて、
甘い考えだったのかしら?」

と、グズグズと今の彼女にとっての不不本意な日々を私に訴えて来た。
私に愚痴を溢すことで、今の試し同居の気に入らない部分を解消できればそれでいいが、
彼女の性格上、多分もうすぐ独り暮らしに戻ることは確実なのである。

まだ思うように体を動かせて、
それなりの報酬(食費等)を出せるうちは相手もそれなりに優しく接してはくれるが、
介護が必要になった場合はどうなるかは、その時にならないと誰にも判らない。
実の子どもは親の性格を知り尽くしている。
ゆえに、Y 子が今後、どんなに娘夫婦に家事労働等の実績を積んでも、
近未来にY 子に介護が必要になった場合に仕事を持つ娘が、
自分の手で介護をしてくれる保障などはどこにもない。
ただ単に寂しさの穴埋めのための親子同居などは、
認知症になったり、寝たきりになった時などには、
同居の子どもに都合の良いようにされる実例を私は多く見てきているので、
よく思いきった選択をしたものだと呆れた気持ちを持ってしまったが、
お試し同居」という彼女らしい考え方が私を大いに笑わせてくれたのも事実であるが、
今はそういう方法も有りの世の中になったのだとシミジミと思ったのである。


私と同年代(60代)の人でさえ、
毎日プールで2時間も泳げる体力があるのにも関わらず、
自分の都合
(介護するほどの体力がない、
介護なんかしたくない、
親の性格と合わない、
趣味の時間が奪われる)
等の理由を持ち出し、
80代や90代の実の親の老々介護を回避し、
特養の順番待ちのための老健に入れている人も大勢いる。

つまり、老いたら姥捨て山(老健特養、金持ちは有料老人ホーム)に捨てられるか、
または肉親への介護の負担を考慮して自身が望んで入るかして、
そこで生涯を終えるのが当たり前になってしまった時代なのでありましょう・・。


電話中に考えあぐねた末、
私はY子に、二者択一しか選択肢がないのであれば、
もちろん「寂しくても自由」を取る・・と答え、
自分自身の老い→死への覚悟と、
近未来における自分自身と介護者へのリスクも計算せずに、
安易に同居などすべきではなく、体の自由が利かなくなったら
介護保険を使ってヘルパーさんに来てもらい、
体は不自由になっても、心だけは尊厳を持って
自由を謳歌するのがベストではないか・・と、
私自身の近未来における願望を返答としたのであるが、
今後彼女がどうするか・・は彼女自身が決めることである。


時代が変わればそれにつれて、人間の意識も変化し、
また現代のような情報過多社会では常に心は揺れ動く。
結婚当初から同居であるとか、
初めから同居を前提として大きな農家にお嫁に行った・・とかなら、話しは別だが、
都会のウサギ小屋に住む私も彼女も、
幸か不幸か年代的には核家族礼讃の洗礼を受けて育った世代である。
今さら、今以上に家族という他者にまで気を使いながら、老いの日々を送るよりも、
今しかないであろう身心の自由を満喫し、例えようもない寂しさがふと心を過っても、
それは人として当たり前の感情であり、
いつもいつも幸せなどと思っている人などどこにもいないように、
笑い、嘆き、悲しみながらも、残り少ない人生を謳歌して欲しいとエールを送ったのである。
そして、それは、彼女に対して・・というよりも老いゆく自分自身に対してのエールでもある。

求めれば求めるほどに遠ざかる青い鳥とうまぼろしの幸 
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : お試し同居 家政婦のミタ 特養 老健 情報過多社会 核家族

芸術家は真実を伝えるため、政治家は真実を隠すために嘘をつく。
昨夜、録画しておいた映画(仮面の男 Vフォー・ヴェンデッタ )を見ていたら
「芸術家は真実を伝えるため、政治家は真実を隠すために嘘をつく。」
という、言い得て妙なセリフが出てきて感心してしまった。
長年の政治への不信感から、今まさに嫌悪感に変わりつつある今、
なるほど、これは的を得た名言である、と思った。
初めに断わっておくが、私の住む町には、
地域の住民の要望に根ざした地道ではあるが立派な活動をしている地方議員もいるので、
政治家の全員が全員というわけではなく、
嘘をつく政治家は国政を担う政治家の99%としておこうと思う。


最近の私はTVはニュースと映画以外はほとんど見なくなった。
生の残り時間が見えてきている私には、ゴールデン時間帯の芸人やタレントがはしゃぐだけの
何の人生の糧にもならないバカバカしい番組を観ている暇などはないのである。
たまにはコレはまともかな?と思って観てみると、
あまりにも、愛と感動、そして絆とかいう言葉を多用する番組ばかりで、
いささか辟易している。
最近頓に、新聞やTVメディアでは震災関連記事や番組では
愛と感動と絆を前面に押し出してきている。
だが、愛や感動や絆だけでは復興も復旧も遅々として進まないだろう。
これから本当に必要なものは絆などではなく、もっともっとたくさんの復興資金である。
その昔、「同情するなら金をくれ」という言葉が流行ったことがあった。
同情や愛や感動や絆だけでは食べてはいけず、暑さも寒さも凌げない。
そして、一時的な愛も感動も絆もあくまでも一時的なものであり、
延々と続く人生に平穏な日々をもたらしてはくれない。
ところが国も東電も平穏な日々を取り戻すお金を出す気はさらさらない。
東電が今まで出した賠償金も形だけ、それも渋々である感は否めない。
東電も国も、今後もなるべくなら出さない、つまり、どうしたら賠償金を出さなくて済むか!で頭を捻り、
原発難民はどうしたらもっともっと賠償金を出させるか!で頭を捻り、
果てしのない闘いが続くのである。
戦後66年を経てもなお、ヒロシマの原爆症認定裁判が続いているという事実は、
フクシマの悲劇から派生した今後の長い長い年月に渡る、
国VS国民との闘いの始まりの実例であり、終わりなき闘いは今から始まるのである。
それなのに、国の姿勢は「国民同士が絆とかいう繋がりでもって、勝手に助け合って勝手に生きていけ!」
のようにしか私には見えないのである。

さらに、思うに・・・
原発事故収束宣言についても、福島第一原発敷地内での或る程度の収束であるのに、
原発難民の方々が、さも今すぐに帰れるかのような先走り発表をメディアはトップで報じる。
原子炉の中を誰かが確認したんかい・・と思うのは私だけではないはず。
私が考える原発事故の収束とは、福島第一原発近辺の除染がすべて完了して、
地域のインフラライフラインも放射能値も事故前と同じ状態に戻り、
原発難民の人々が安心して戻ることができて、
事故前と同じ生活を営むことが出来る状態である。


現在警戒区域になっている地域は、除染をしても安心して戻れる場所ではなく、
今後何十年経っても戻れる可能性は低いことは誰の眼にも明らかなのに、
なぜ、叶わぬ夢、そして淡い希望を持たせるようなことを言うのだろうか?
と考えたら、「芸術家は真実を伝えるため、政治家は真実を隠すために嘘をつく。」
に行きあたる。
本当の恐怖と本当の苦痛は始まったばかりであり、本当の収束は永久に訪れず、
これから、身の毛もよだつ真実が徐々に姿を現してくる可能性も否定はできないのである。
原発難民の方々には、明日は我が身でもあるので、言葉では言い表せないほど同情はしているが、
同情するなら金をくれ!は無理よ。私は倹しい年金暮らしだから・・(^_^;))
チェルノブイリとフクシマの詳細な事故後の条件(放射性物質の拡散地域や濃度)は知らずとも、
チェルノブイリ・ハート」を見れば、それが現在から四半世紀後のフクシマの真実の姿であることを、
ある程度は現していることが判るはずである。


チェルノブイリ・ハートとは、“穴のあいた心臓”、
“生まれつき重度の疾患を持つ子供”の意味である。ベラルーシでは現在でも、
新生児の85%が何らかの障害を持っている。
1986年4月26日、旧ソビエト連邦(現ウクライナ)の
チェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発事故を起こし、
放射性降下物はウクライナ、ベラルーシ、ロシアを汚染した。2002年、ベラルーシ共和国。
原発から半径30キロ以内の居住は禁止されている。さらに北東350キロ以内に、
局所的な高濃度汚染地域“ホット・ゾーン”が約100ヶ所も点在している。
ホット・ゾーンでの農業や畜産業は、全面的に禁止されている。
そんななか、ホット・ゾーンの村に住み続ける住民、
放射線治療の現場、小児病棟、乳児院の実態に迫る。
さらに4年後、事故から20年が経った2006年、
事故があってから初めて故郷を訪れた1人の青年は、
廃墟となったアパートへ向かう。
爆心から3キロの強制退去地域は、1986年で時間が止まっていた。
青年は1986年のカレンダーを見つめて、近親者の10人がガンで死んだこと、
自分もそうやって死ぬ確信があることを語る。
その1年後、青年は27歳の生涯を閉じた。


・・・・

先日、「原発40年で原則廃炉 政府、法改正案を通常国会提出へ」の
ニュースもトップで報道していたが、一応は通常国会へ提出はしても、
本当は廃炉にする気なんてまったくないのが真実なのである。
なぜなら、「原則」という言葉が付いているということは、
「原則」があれば「例外」も在り得るということになる。

政治家も政治屋も真実を嘘というオブラートで上手く包み、
真っ赤な嘘をさも真実であるかのように「真実を隠し嘘を語る。」
そのことが仕事だなんて、平民の私には到底理解できないけれど、
そもそも初めから人種が違うのか、それとも悪魔に魂を売ったヒトもどきなのか。
と考えたら、きっと後者であるはずだわね。( 一一)

国は「平民よ自分たちの力でまた平民同士の絆で勝手に頑張れよ・・」
的なことしか考えていないのが真実であり、
さも国民の為の良い政策の如く聴こえるかのような甘言を囁くこともあるが、
それはただの選挙目当てのパフォーマンスでしかないことは、
私が物心付いてから半世紀以上も同じ光景を見てきたので、
別になにも不思議なことではく、いまさら驚きもしないけどね。

そんな中で、政府は20日の安全保障会議(議長・野田佳彦首相)で、
航空自衛隊のF4戦闘機の後継となる次期主力戦闘機(FX)に、
米英などが共同開発する最新鋭ステルス戦闘機F35ライトニング2(米ロッキード・マーチン社製)
42機を調達することを決め、閣議で了解した。
1機当たりの調達費は99億円(交換部品込み)で平成24年度予算案に4機分の調達費を盛り込む。
防衛省は将来的な購入や維持にかかる総額は1・6兆円と試算している。

国が嫌々出すフクシマの除染費用は誰が考えても足りない高々一兆円らしいが、
アメリカのご機嫌をとるための、また人殺しをするための兵器を積んだ道具(最新鋭ステルス戦闘機)には、
すぐにお金(税金)をポンと出す感覚を考えるとき、そこには必ず大儲けする人々の存在が見えてくる。
つまりは、政治家センセイ方には下々の者などはどうでもよく、
自分たちの利益共同体しか眼中にないのである。
それに、今すぐ戦闘機を必要とする敵が何処にいるのか、何処と戦争をしたいのか、
単にアメリカに貢献したいだけなのか、ただの金儲けか・・
理由はどうあれ、憲法第9条第1項で戦争を放棄したはずの国が、
次期主力戦闘機を現物を見ずに書類を見ただけでポンと出せる金(税金)
が1・6兆円もあるということは、
やはり、政治家の99%は真実を隠すために大嘘をついているのだろう・・。

愛ゆえに数多の嘘をつきました傷つけぬ嘘と傷つかぬ嘘を 
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : みんなに知ってもらいたい ジャンル : 日記

tag : インフラ ライフライン 警戒区域 チェルノブイリ・ハート 同情するなら金をくれ 賠償金 最新鋭ステルス戦闘機F35 利益共同体 原爆症認定裁判

身辺整理中に思うあれやこれや。
現在、昨年から少しづつ始めている、人生最後?の身辺整理の真っただ中である。
前回は6年前の初夏に全身麻酔での手術と長期入院を
余儀なくされた前に徹底的に身辺整理をしたつもりでいたが、
あれから6年。あれよあれよという間に再び家中に
ガラクタとしか言いようのないモノが溢れかえるようになってしまった。
50代まではお気に入りの家具やモノで溢れた生活の
快適便利な日常に幸福感を覚えた日々もあったが、
人間同様にモノにも耐久年数はあるし、必要としない時期も訪れる。
そして今はモノに囲まれた生活には何の意義も、
ましてや幸福感などまったく感じなくなってしまった。
とにかく、家の中も、人間関係もすべてに渡ってスッキリしたい気分でいっぱいになっている。
これが、生の残り時間の見えてきた人間の脳内変化なのかもしれない。

お気に入りであり、また何世代にも渡っての使用に耐える高級家具等ならいざ知らず、
その時には必要であったがゆえに、取りあえず買ったプラスチック製や
合板の捨てても惜しくない家具やモノばかりしか買えなかった貧乏症の性格が幸いしてか、
捨てても惜しいとは思わない。

私は元々スッキリ、シャッキリした部屋(欲を言えば何にもモノが置いていない空間)
が好きな片付け魔であるが、
如何せん・・夫という、すぐにモノを買いに走り、何でも貯め込むのが好きで、
おまけに居間のテーブルに財布やら家の鍵やら小銭やらを無造作に
置いておくのが常態化している老いた生物と同居しているので、
自分の思う様に片づけたり、また夫のモノは例えもう必要ないと私が判断しても、
夫の所有物なので勝手に捨てられない状況にある。
それに私は今の家の鍵は建築当時(26年前)から持っているが、
夫が家の鍵を失くす度に何回合い鍵を作ってあげたことか・・。
夫婦なんてお互いに赤の他人同士。永遠に判り合うことはないと思うけど、
妥協にも忍耐にも限度があるし、ほんと、結婚は人生の墓場とは良く言ったものね。(ーー゛)

仕方がないので私所有のモノに限定して身辺整理中ではあるが、
モノは買ったら、彼の世には持っていけないので、
いずれは生きている内に処分しなければならない。
死後は残された家族や遺品整理屋さんに任す。という手段もあるが、
私はとにかく片付け魔なので身も心も自分の手でスッキリとしないと落ち着けないのである。
ゆえに、最小限必要なモノだけを残して全部処分するつもりでいるが、
モノを棄てるという行為はモノを製造する際のエネルギーの浪費でもあり、
また地球環境を汚すことでもあるが、
本当にこれで最後にしたいので気合いを入れて整理をしている。
例えば、A4サイズの紙を1枚を作るためには、
テレビ視聴20分相当のエネルギーが必要になるらしい。
また、私は一切買わない自動販売機のアルミ缶やスチール缶飲料の缶を
一個作るために必要なエネルギー量は
テレビ視聴17時間分のエネルギー消費に相当するらしいわよ。
私が毎日欠かさず食べる豆腐や納豆のパックを作るのにもどれぐらいのエネルギーを使うのだろうか?
と考えてしまった。
近所の商店街にあった老夫婦が経営する豆腐屋さんが閉店して約一年が経った。
お鍋やボウルを持って買いに行けば、手作りの味の濃い豆腐が食べられて、
そのうえ、おからまでサービスしてもらった上に、
包装というエネルギーを使うゴミは出なかった。
そのようなお店が近くにあるのが本来の人間の生活の在り方だと思っていたが、
今では、大資本に地域のコミュニケーションも小規模商店も無残に潰され、
営利だけが目的の大型スーパーだけになってしまい、
嫌でもプラスチック製のゴミのでる包装ばかりの食品になってしまった。
魚や肉を買えば、中身よりもパックのほうが嵩がある。
私は野菜屑はすべて裏庭のコンポストに入れて、
家庭菜園の堆肥作りをしているので、生ごみは少ししか出ないが、
一週間に一回しか集塵に来ないプラスチック製ゴミが一番多いという現状・・を思う時、
何かが違う!と思うのは私だけなのだろうか・・。

私自身はもう食品と消耗品以外のモノは買わない!と決めたけど、
夫がねぇ。100円ショップとホームセンターでの買い物が好きなのよ・・。
ホント、困ったものだわ。(ーー゛)


昨夜、録画しておいた映画「おくりびと」(これで3回目)を見た。
何度見ても生老病死を考えさせられる映画である。
昨日はラストシーンでの主人公のセリフが心に残った。
「72歳(多分)まで生きた男の私物が段ボール2つだけかよ・・。いったいどういう人生だったんだ。」
というようなことを嘆いていたが、私はそれで上等じゃないの?と思ったのよ。
所有物の量や残した動産でその人の人生など計れはしない。
人生の価値は、その人がラスト・ブレスのときに心がどう思うか?
つまり、「残念無念な人生だった。」又は、バカボンのパパみたいに「これでいいのだ。」
等々、他にもいろいろなことを思うのだろうが、
残された者には永遠に伺い知ることはできない故人が思ったであろうことを詮索なしに、
また自分の価値観など入れずに全て容認して次の世界へお送りすればそれでいいんでないの?
そんな故人の残したもので、鬼籍に入った彼及び彼女の人生の善し悪しを計るよりも、
先ずは自分が今どう生きているのか?どう生きるべきか?を
見つめ直すほうが先のような気がする。
私自身も、限りある今の生を納得できているのか?それとも納得できていないのか?
を身辺整理をしながら考えている処でありんす。

だけど・・・6年前の身辺整理で焼き捨てた夫への怨みつらみを書き綴っていた
40年間のシークレット日記・・
あれだけは焼き捨てなきゃ良かったと後悔しているわ。
私の死後、夫がどんな顔をしながら私の日記を読むのかを、
あの世から高笑いしながら見物したかったわ。( 一一)
でも・・私のほうが夫より長生きしたら意味がないから、
シークレット日記は焼き捨てて正解だったのかしら?(^_^.)
120107r
煌めきの日々は去りゆきモノよりも思い出欲しき歳になりたり
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 思ったこと・感じたこと ジャンル : 日記

tag : おくりびと バカボンのパパ これでいいのだ

米軍には伝えていたSPEEDI情報・・おめでたい国のおめでたい人たち
昨年は日本は言うに及ばず世界中でも色々な悲惨な出来事が多すぎて、
2011年12月31日から一夜明けただけで、
何をもってして急に「おめでたい日」なるのかどうかは、
私的には感覚的には意義が見いだせなくなっている。
それでも、取りあえずは日本人にとっては、お正月は何が何でも「おめでたい日」なので
一応はおめでたいことにしておこうと思います。(*^^)



新聞のまとめ読みをしていて、
プロメテウスの罠・・官邸の5日間① 朝日)を読んでいたら、
本当にこの国の霞が関の人々は、真(まこと)に「一年中おめでたい人たちばかりだわ。」
と変な感心をしてしまった。
20120104pw

2011年、3月14日朝、横田基地の在日米軍司令部から、
「原発事故の支援に際して放射能関連の情報が必要だ。
政府が情報を有している提供してほしい」
と一本の電話が入り、電話を受けた官僚様は御丁寧に、また御親切に色々調べて、
SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムは、
原子力発電所などから大量の放射性物質が放出されたり、
そのおそれがあるという緊急事態に、
周辺環境における放射性物質の大気中濃度および被ばく線量など環境への影響を、
放出源情報、気象条件および地形データを基に迅速に予測するシステム)
の情報を添付ファイルとしてメールで送信し続けたそうである。


自国民が雪の降りしきる寒い時期の大地震、大津波、人災である原発事故の直後の
放射性物質が飛散している中を何処に逃げたらいいのやら判らずに右往左往しているときに、
官僚様は、ほぼ正確なSPEEDI情報を米軍様だけには律儀に真面目に情報提供をされていたとは・・
官僚様というお役人様は、私のような愚かな平民にとっては尊敬してもしきれない、
今さらながら大尊敬に値すべきおめでたい人種に違いないと確信してしまった。
彼らが自分たちはエリートだから、
また、自分たちが国を動かしているのだ・・と偏った自負心しか持ち合わせていない、
大いなる勘違いをしているおめでたい社会的偏差値の低いおバカ人間集団としか思えない。

さらには、原発事故直後の当時の官邸のオエライ様方も、SPEEDIの存在すら御存じなかったとか・・。
こちらの方々も、尊敬してもしきれない、おめでたい人たちには変わりはなけれども、
国家としての危機管理以前の問題だと考えるのは私だけでありましょうか?
そして・・・4日付けの「プロメテウスの罠・・官邸の5日間②には、
官邸に呼ばれていた保安院付の官僚も、原子力安全委員長も
当時の菅総理が「何が起きているんだ」と皆に尋ねても、誰も何も答えなかった。」
と記事にはある。
高給の政治家と官僚の仕事って、国民の人権を守り、飢えさせないで、
自然災害等で困った事態に陥った時には早急に現状を回復させることではないの?
内紛ばかりで、自分の都合(利益)しか頭にない霞が関。
国として機能していないと感じるのは私だけでありましょうか?

敗戦を引きづりつつ67年目・・今も彼らの目線は自国民ではなく、
今や落ちぶれつつある戦勝国アメリカであるという現実。
米軍基地には莫大な思いやり予算を貰って頂き、
自国民は足蹴にし、切なる訴えには何らの耳も貸さないし目も向けない。
アメリカのポチとして、まるでアメリカ合衆国の日本州の様相も67年間なんら変わっていない。


どこにも逃げ場のない私のような下々の人間は、多数決の原則は如何ともし難く、
今後もおめでたい人々に、この国の舵取りを任せ、
一番知りたいことは、な~んにも知らされず、それでも声を上げない「おめでたい国民」として、
政権党の内紛で、僕辞~めた。といつ降ろされるか判らない「泥臭いどじょう総理」が操縦する
日本丸という今にも沈没しそうな泥船で、
給付年金額減額介護保険改悪消費税アップ格差拡大就職難少子化等々の
未来の見えない混沌の中で、喘ぎながらでも生きて行かねばならない。
泥船を沈まなくするにはがっぽり貯め込んでいるシニア世代の経済活動しかないという経済学者もいる。
それならば、老いては、あの世では使用できない老後資金として貯めこんだ箪笥預金を持って街に出て、
ブランド品の毛皮のコートを買い、グルメ三昧でメタボになり、
外出しない日は、日がな一日テレビの前から離れず、ジャンクードとジャンクドリンクを食べて飲んで、
さらにメタボを加速させ、絶対に運動はせず、足腰を弱らせて、
長期間寝たきりになるよう努力をして、医療機関や有料老人ホームや福祉施設を儲けさせましょう。(^_^;)
子や孫たちの次世代の為にも・・。

私はブランド品にもグルメにもテレビ視聴にもまったく興味はないし、
プールが明日まで年始休みなので、明後日からはガンガン泳いで食生活に留意して、
箪笥預金はビタ一文も出さずにあの世に持っていく生き方をするけどね・・・。
20120104r
死者たちの不協和音が響く夜にわたしは無数の銀河を数えた
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 思ったこと・感じたこと ジャンル : 日記

tag : プロメテウスの罠 SPEEDI アメリカのポチ 給付年金額減額 介護保険改悪 消費税アップ 格差拡大 就職難 少子化 多数決の原則

検索フォーム
にほんブログ村
人気ブログランキング
福島は今...
プロフィール
Author:千風
気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
最新の世迷言
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
お気に入りブログ
ブロとも申請フォーム
読書メモⅠ
商品紹介
Twitter
読書メモⅡ
永遠の世界への旅立ちグッズ