*All archives* |  *Admin*

死に支度は元気なときに
すごい雪が降った。
すごいと言っても積雪量はたかだか5センチ程度だが、
それでもこの辺では大雪である。
滑って転んで骨折は嫌なので外出予定を延期して、
年に一度のエンディング・ノートの見直しをした。
少しだけ変更して、そのまま引き出しにしまったが、
我が終末期の要望書を読み返していて、
ふと、プール友達のA子のことを思い出した。

「明日のことはなるようにしかならないものよ。
だから何も考えないことにしてるの。
今までも、これからも、人生はケセラセラで生きることにしているの。」
が口癖のA子(60代)。

そのA子のご主人様(70代)は昨年の暮れに脳血管の病気で倒れ、
延命用チューブに繋がれて延命措置を施されていたが、
一ヶ月ほどを経て、医師に「もう主人様の意識が戻ることはないでしょう。
延命用の医療器具を外しますか?どうしますか?」と訊かれ、
子どもたちと相談の上、外すことを了解した。
そのときにA子は数日中に夫を看取るのだと、
一世一代の覚悟を決めたらしい。

だが意に反して、御主人様はその後自力呼吸を始め、
今現在も意識不明まま病院にいる。
そして、A子は言う。
「息だけはしてるけど、生ける屍のような主人は私の中ではもう死んでるのよね。
主人はいったいどういうに生の終焉を迎えたかったのかしら?
死ぬ話なんかは縁起が悪いからって、
お互いにそういう話は避け続けてきたけど、
こうして目の前に夫の死に至る現実を突き付けられると、
お互いに元気なときに、終末期医療のことや葬儀の規模とかお墓とかの話を
『こうして欲しい』と話合っておくべきだったわ。
それに、預金のほとんどが主人名義の定期預金だから、
あの状態では委任状も書いて貰えないし、
普通預金のキャッシュカードの暗証番号も知らないし、
子どもには頼れないしで、今は入院費の心配で頭が痛いわぁ・・・。(ーー゛)」
だそうである。


我が家では50歳を境に、お互いに何があっても良いように、
夫の提案で預金額(微々たる額よ(^_^;))は半々にしておいたが、
問題は我が夫の終末期である。
御多分に漏れず、我が夫も自分の死に付いては話を避けるので、
面と向かって訊くのも憚られる。
数年前に夫に終末期の要望等を書いて欲しくて、
エンディング・ノート渡したことがあるが、
返答は「お前の好きなように書いておいてくれ・・」(^_^;)
と言われたが私はまだ書き上げていない。
夫の終末期と死後のことを私の好きなようにしても良いのなら、
それなら私が勝手に書いて差し上げましょうぞ。( 一一)
とは思いつつも、できれば本人の希望に添いたい。
終末期はどうしてほしい?
葬儀の規模は?
無宗教式?それとも宗教式?
死亡を知らせてほしい人は?
臓器提供の意思は?
を知りたいので、事件、事故、有名人の訃報等のニュースを見ての夫の感想の言葉の端々から、
少しづつ拾ってはいるが、いくら私が勝手に決めていいとは言え、
いったいどういう生の終焉を迎えさせたらいいのかをまだ判断しかねている。
お墓に付いては「海への散骨」で意見が一致しているが、
死は不意に訪れるものでもある。
そうね・・・
使えそうな臓器は全部提供し、
夫名義の預金は欲と道連れの私が全額相続するとして、
葬儀は私と子どもたちと孫のみで直葬をし、
後日、お別れパーティ形式で送るとしたいのであります。(^_-)-☆


確かに・・・
「明日のことはなるようにしかならない。」かもしれない。
だが、老いを自覚したら、なおのこと死に支度は早めにしておいたほうが、
安心して余生を満喫できるような気がしてならない。
たとえ明日、首都圏直下型大地震で死のうとも・・。

しんしんとただしんしんと降りしきる雪にまどろむ無機物となりて 
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



tag : エンディング・ノート 延命措置 首都圏直下型大地震

どん底で寄り添う絶望の名人
先日の夕刊に「絶望の言葉 救いの力」というタイトルで
絶望名人 カフカの人生論」の訳・編者である頭木弘樹氏の記事が載っていた。

頭木氏は言う。
「前向きになるためには一度、
ネガティブな言葉が必要になる場面があると思うんです」。


この一行は私の琴線に触れた。

老い先の短い私としては、
体のあちこちのパーツにガタが来ていることを日々実感せざるを得ない状況であり、
他にも、ときどき耳鳴りや動悸やめまいを知覚する身としては、
「前向きに希望を持って!」と
連呼する善良な人たちの美辞麗句で彩られたご立派な言葉はなんの役にも立たず、
「この世とは、また人生とは絶望の中で最後の最後まで
一瞬の煌めきを求めてもがき続ける日々である。」と
悟ってしまった?ので、絶望の名人カフカの言葉が身に沁みるのである・・。



将来に向かって歩くことは、

ぼくにはできません。

将来に向かってつまずくこと、

これはできます。

いちばんうまくできるのは、

倒れたままでいることです。

     ◇

ぼくは人生に必要な能力を、

なにひとつ備えておらず、

ただ人間的な弱みしか持っていない。




夢と希望に溢れた将来に向かって歩くことは

シニアやシルバー世代にはできません。

与えられた生の時間も残り少なくなり、

脳力も衰え、体の各パーツもかなり傷んでいるので、

すぐにつまずいてしまうからです。

生涯現役で尚且つPPK(ピンピンコロリ)を望んでも、

極々少数の運のいい人にしか

PPKで生の終わりを締めくくることはできず、

大多数の人々は望むと望まざるとに関わらず、

他者の手を借りなければ、

生の終焉を迎えることはできないのです。

将来に向かってつまずくこと、

これは簡単にできます。

老人に与えられた将来という時間は、

一週間か?一ヶ月か?一年か?長くて10年?かもしれない。


そう遠くない未来に肉体の機能不全に至る病に罹り、

そのまま死なねばならないからです。

それならば、一度倒れたらそのまま動かないで

寝たふり老人になり、

思い通りに動いてくれない皺くちゃ婆さんの老妻や

気が利かないハゲ頭爺さんの老夫ではなくて、

若い美人看護師(またはイケメン看護師)や

美人ヘルパー(またはイケメンヘルパー)さんに

看護や介護をしてもらい、

やがて来るその日まで、

彼らにほんの少しの下心?とトキメキ心を感じて

表面上はおとなしくしていても、

心の中は激しく燃えさせて、

自然にお迎えを待つ方が

生を実感できるような気がします。

      ◇

老人とは今後の人生にも、

社会的生産性に関しても、

それらに必要な能力を、

なにひとつ備えてないのに

若年者には、

年金だけは元を取ってずるい人種と思われ、

もう人間的には病から死へと向かう弱みしか持っていない、

哀れな生き物になってしまうのです。

医療機関は金儲けのために、

いろいろな延命措置をしたがります。

家族も世間体で一応は延命措置を望むでしょう。

でも家族は心の中では、どうせ死ぬんだから、

無駄な医療費をと家族の時間を使わせないで、

早く死んでくれないかなぁ・・・

本当は経済的に大変なのよ。

と思っているのです。

老いては、

家族や友人の「」などという

曖昧で抽象的なものに期待しても無駄です。

そんなものは幻想であり、

何処にも存在しないのですから。

それでも幻想の中でしか生きられない人は、

」という幻想の中で生き続けましょう。

最後になにがあっても覚悟の上で・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

世間ではポジティブ思考を盛んにアピールするけれど、
何事もポジティブでなくてはならないという言葉に今まで違和感を感じてきた。
大震災以降は特に「」「前向き」「上を向いて歩こう」「感動を与えたい」等の
言葉にも違和感を感じてきた。
そのような応援メッセージは、広告料の為ならなんでもする
マスメディアに任せておけばいいのである。
特にスポーツ選手の「必ず勝って感動と元気を与えたい!」
という言葉にはものすご~く、違和感を覚えてしまう。
「与えたい?っていったい、あんたは何さまじゃ!」的な、
たかが一種目のスポーツに秀でているからと言って、
奢れる者の優越感丸出しの上から目線を感じて、私などはすぐ引いてしまう。
「精いっぱい愉しみたいです。」なら応援したくなるけれど・・。



どんなに辛い境遇にあっても、どんなに悲劇的な環境に置かれても、
超ネガティブ人間の言葉から、絶望の言葉の中から微かな救いの力を見つけ
ほんの少しの希望の光しか感じられない人種もいる。
そういう人は世間的に見たら不幸な人種の部類なのかもしれないが、
無理に前向きを装い、また幸福を装うストレスに比べれば、
なんとなく不幸を背負い、
そう遠くない死=絶望に向かって歩いている自分を自覚すれば、、
無理がなく疲れない、そして、気負いのない人生を送れそうな気がする。

そうは言っても、自身が絶望のどん底を経験したり、大病を経験したり、
尚且つ、高齢者と呼ばれる世代にならないと、
絶望と共存しながらも日々を愉しく笑顔で生きる。
なんて術は到底判らないだろうな・・。

絶望に陥ったならあるがまま身を任せよとガン病む友は 
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 絶望の言葉 救いの力 絶望名人 カフカの人生論

「プロメテウスの罠」・・ド素人検査官を騙すなんてちょろいのねぇ。
木村俊雄(47)が東京電力を辞めて10年になる。
仕事にやりがいはあったが、原発への疑問は次々と膨らんだ。社の体質にも不信を感じた。
「虚偽報告をするんです。たとえば以前、制御棒が壊れることはたびたび起きていました。
なのに、その報告は全然していません」
発表するときは「たぶんこうなんだろうということでストーリーを作っていった」と明かす。
「つじつま合わせのため、本店と現場で昼夜を問わずテレビ会議をしていました」
定期検査には国の検査官が来る。東電側は想定質問集を作って打ち合わせをするのだが、
質問させないやり方もあった。「ご存じとは思いますが」を木村は使った。
そういわれるとそうそう質問はできない。
「検査官が素人というか、何のノウハウもないんです。工学系の大学に行って、
たまたまそのセクションにいるだけ。どうやって原発を動かすのかも全然知らない。
素人を丸め込むなんて簡単じゃないですか」
虚偽報告と、それをチェックできない行政側。
たとえば、として木村はインターロック(安全装置)の解除をめぐる問題を例に挙げた。
「定期検査中、制御棒は1本しか抜いてはいけないことになっています。
しかし東電はすべての制御棒を引き抜いていました」
木村の指摘通りのことが設置許可申請書に書いてある。
燃料交換時、制御棒を2本以上引き抜こうとするとインターロックがかかる、と。
原子炉1基に97~185本の制御棒があるのだが、
燃料交換時には1本しか抜けないようにします、ということだ。
なぜ2本以上を抜いてはいけないのか。木村はいう。
原子炉のふたが開いているときに、間違って燃料がある場所の制御棒を抜いても、
それが1本なら臨界にならないからです」。
いったん全制御棒を抜いて点検などをすると、
制御棒を差す前に誤って燃料を入れてしまう危険性もある。
インターロックの背景にあるのはミスの重複はありうるという考え方。
そのおおもとが設置許可であり、
設置許可が守られていることを前提に原発が動いている、
と多くの人が信じている。しかし……。
全制御棒を引き抜くために模擬信号を送ってインターロックを解除していた、
国の検査官はそれを見抜けなかった、と木村は振り返る。
東電の主張や国の解釈は後で紹介するとして、もう少し木村の話を続ける。(依光隆明)

朝日新聞「プロメテウスの罠」2012/2/12(日)より


福島第一原発原子炉の監視と制御を担当していた元東電社員木村氏による
東電の長きに渡る隠蔽の歴史の証言が始まった。

保安院から来る検査官はド素人なので騙すのはちょろいらしい。
それに、経産省から保安院が視察に来ると接待漬けで、
検査前から100%の検査合格が決まっており、
お帰りの際にはビールとスナックとタクシー券をお渡しするのが慣例になっているそうな・・。

最近の朝日新聞は増税やむなし路線になって来ているので、不信感が増しているが、
プロメテウスの罠」だけは、
書き手である記者のフィルターがかかっていないことを願うしかない。

元東電社員木村氏を陰ながら応援しているが、
今後、某組織から圧力がかかって言論封殺されないだろうか?
と、少しばかり心配でもある。

火の神の創りたもうた火にあらず制御のできぬ原子炉の火は
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : みんなに知ってもらいたい ジャンル : 日記

tag : プロメテウスの罠 福島第一原発 原子炉 経産省 保安院 隠蔽の歴史 言論封殺

「不幸論」に見る幸福の条件
昔から、相も変わらず「幸せに成る方法」を説いた本が
数えきれないほど出版され続けている。
もし、それらの幸福への道の指導本を読んで、誰もが幸福に成れるのなら、
この世に不幸な人など存在しないはずであり、
あっと言う間に口コミで広がって大ベストセラーになり、
各家庭の神棚にでも飾られていると思うのだが、
それらの本が私がよく行くブックオフの片隅で誰にも見向きもされずに、
なぜ150円で売られているのだろうか?(?_?)

ひねくれお婆の屁理屈はさておき、この世は歴史が刻まれて以来、
幸福な人々は極々少数であり、
大多数の人々は不幸である事実は有史以来何も変わらない。

不幸な中で人々は小さな幸せもどきを探し、
一時的な満足感を得てそれを幸せと呼んでいる。
そして、相も変わらず他人の不幸を見て自分と比較をし、
私はあの人に比べれば幸せだと思いこみ、
不幸な日々の中で幸福という幻覚に束の間酔いしれるのであるが、
薬物投与による幻覚、もしくは脳の病気による幻覚ではないので
残念ながら、すぐに覚める。
そして再び、懲りもせずに在りもしない幸せ探しに没頭するのである。

そこで逆転の発想で「幸福論」ではなくて「不幸論」を再読してみた。

著者である哲学者の中島義道氏が
不幸論」の中で幸福の条件をあげている。
その条件とは、
(P50)
「盲目であること、
怠惰であること、
狭量であること、
傲慢であること
によって成立している。
それが私の基本的考えである。」

と言っている。

賛否はあろうが、
幸福でいるためには真実=本当のことは知らない方が良いということらしい。

例えば、
①福島第一原発の事故で近辺に撒き散らされた放射性物質
除染が進めば安心して家に戻れる。

放射性物質の半減期を見ても判るように、
道路や家屋の高圧洗浄も田畑の土の上下入れ替え等も、
他の場所に放射性物質を移動又は拡散させるだけであって
放射性物質が自然消滅するわけではないが、
そんなことは敢えて考えないことにする。

②福島第一原発の周辺自治体を視察した後に、
「市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形だった。」と発言し、
メディアに寄ってたかってバッシングされた元経産相。

来月で事故後一年になるが、今現在も第一原発周辺は人も家畜も住めない
死の町」であり、「ゴースト・タウン」であることは疑う余地のない真実である。


③国産の野菜や果物類を安心安全と信じて疑わない。

実は国産野菜も果物も農薬塗れであり、
低価格な輸入野菜と比較しても、散布される農薬の種類が違うだけで
決して安心安全ではないが、そのような不都合な真実は見ないようにする。

④ガンは早期発見で治療すれば長寿も夢ではない。

早期発見でも手遅れ状態での発見でも、
統計学上は死亡率は変わらないというガン専門医が増えてきている昨今、
行政、医療機関、ガン発症者、その他の大多数の人々が早期発見が大事!
というのでそれに従う。

⑤腹部に開けた穴に栄養剤を送り込む措置(胃ろう)を受けた患者を
「人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」
と発言した自民党の政治家Ⅰ氏。

彼は彼の脳内で感じたことを素直に表現したのだろう。

私事だが、私が6年前に長期入院していたときに、
同室の意識の無い胃ろう措置の95歳のお婆さんを見て、
いくらなんでもエイリアンとまでは思わなかったが、
こんなにされてまで・・意識も無いのに肉体だけは無理矢理に生かされて、
彼女はこういう状態を望んでいたのだろうか?と思ったことがある。
やがては私もこういう状態で生かされるのは嫌だな・・と思い、
退院後に終末期医療の要望書を記したという経由がある。



この社会では真実を言うことは誰かの気分を損ねる要素も含むゆえに、
純真無垢な幼子のように「ほんとうのこと」を言ってはならず、
嘘で取り繕った言葉で会話をし、嘘で固めた善なる言葉の羅列が良しとされる。

自分にとっての不都合な真実には目をつぶり、
愉快で楽しいとだけに目を向け、
社会の闇の部分や真実は見ないで怠惰で有り続ければ、
幸福という幻覚に酔っていられるだろう。

だが、価値観も人生のスタンスも人それぞれであり、
その人が死ぬまでの間に真実を見ないで嘘で固めた幸せを満喫するのも、
その人の選択した人生であり、誰にも否定はできない。
ゆえに、他人様が「怠惰で幸せ」を選択しても、
「真実を知って不幸になる」を選択しても、
私にはどうでもいいことであるが、
私自身としては生の残り時間も少なくなってきた今、
どうしても「真実を知りたい!」欲求が増してきている。

たいした人生でも無かった我が星霜を振り返れば、
私には幸福とか不幸という意識は無かった。
感覚的にあったのは「なにがしかの希望と大いなる絶望」
という人生の波だけであったような気がする。
そして、今もその波に揺られながも、
今を生きているこの世と、もうすぐ行くことになっている
あの世という異次元世界の真実を知りたくて、
壊れかけたアンテナを張り巡らせて老いを生きている。

終わりの見えない、また叶えられそうにもない「真実を知りたい欲望」ではあるが、
100人いれば100人の真実=嘘がある。
実のところ、この世では何が真実でなにが嘘かなどは誰にも判りはしないのではないか・・。
と考えざるを得ない部分もある。
それでもなお、私が望む回答に限りなく近く、
なんとなくでも納得できたらそれで良しとすることにしている。


P114
山田洋次監督の「寅さんシリーズ」はわが国では大ヒットしたが、
私の大嫌いな映画の一つである。
不気味な感じすら漂う。みんな寅さんのことを思って、
のべつ幕なしの集団的嘘が画面一杯にゴキブリのようにはい回っているからである。
彼に一度はっきりと「自分を欺くなよ」とか
「もういいかげん自分を甘やかすなよ」と言ってやれば、
どんなに彼は成長することか。
しかし、成長した寅さんではおもしろくないから、
山田洋次監督はいつまでもいつまでも同じところを
グルグル回る絶対に成長しない男を登場させるのだ。
まわりの者が寄ってたかって、真実を直視せず、
みずからの真の姿を見る勇気のない男をつくり上げる。
こうして、彼は何度辛い思いを味わっても、
いつまでも自己反省せずに「これでいいのだ」と思いこむのである。


P115
「寅さんシリーズ」に典型的であるように、
特殊日本人的幸福論者たちは他人を傷つけないためには
真実を曲げても隠蔽しても平気である。
嘘を語っても、いかなる良心のとがめも感じない。
だが、だれかが「ほんとうのこと」を語ろうとすると、
なんと周囲の者がとっさに青筋をたててそれを禁ずることであろう。
言ってはならない、知らせてはならない、という掟は、なんと強烈なことであろう。
みんな、真実を正確に表現することが、いかに平和を乱すかを知っている。
だから、みんなで共謀して真実を見ないようにしているのである。
見ても語らないようにしているのである。
特殊日本人的幸福論者は、こうした共同幻想に陥るところにこそ、
幸福があると確信している。
だが、こうして手に入れた幸福はなんと脆いものであろう。
それは幻想、幻覚であるから、そして人々は薄々それを知っているのであるから、
いったん真実が顔を見せはじめるや否や、ビリビリと破けていく。
幸福でありたいという願望にみずからがんじがらめになり、
手あたり次第に他人を同じ願望の絆でしばりあげ、身動きできなくさせて、
調和的幸福をひやひや維持している状態がみるみる砕け散っていく。
そのとき、真実を見るほうに進むのであろうか。
いや幸福論者たちは、手を携えてこの難局を切り抜けるために、
さらに壮大な嘘をつくことを誓い合うのである。
「こうした試練もまた私を鍛えてくれた。」と。
「この不運によって、前よりもっとひとの優しさに触れることができた」と。


私の知り合い(60代)にもにも幸福教の信者がいる。
既に盲信状態に入っているので周囲は見えず、また聴く耳も持たず、
私にも会う度に幻想の幸福の押し売りをしてくるのでうっとうしくて仕方がない。
「人間は幸せになるために生まれてきたのよ。
○○学会に入れば必ず幸せに成れるわよ。」と言うが、
彼女は○○学会に入会後に異常なほどに信仰にのめり込んだのが原因で、
夫は彼女に愛想を尽かして愛人を作って家を出て、子ども(30代の息子)は
引きこもりで年金パラサイトである。
傍から見たら、決して幸せとは言えない境遇であるが、
彼女にとっては、それはまだまだ自分の信心が足りないのと
功徳を得るための修業を与えられたのだから、
私は幸せ者だと言い張るのである。

それで幸せならば、私にはどうでもいいけど・・・(^_^;)
果たして彼女が存命中に功徳を得て、
「信心が足りた日=真実の幸せを手に入れる日」が訪れるのだろうか・・。


この日本には数多の新興宗教団体が存在し、
人々は現世での幸せとあの世での安寧を求めて入信するらしい。
神の声が聴こえ、交信できるとかいう人々も数多くいる。
果たして、新興宗教の教祖や代表者は本当に神の声が聴こえるのか?
脳の病気ゆえの幻聴なのか?ただの詐欺師なのか?
私には知る由もないが、そういう人々に幸せを与えてもらえることを願って集う、
自分の不幸に気付くことのない不幸な人々のなんと多いことか・・。
瞞(まやか)しの神に縋って、瞞(まやか)し幸せを知覚するのもその人の自由だが、
私には前述の彼女もそうだが、幸福教にコントロールされて、
自らの思考を停止した上に「幸福で在らねばならない病」に罹患した
哀れなクローン人間にしか見えないのである。



不幸論」によれば、
こうした熱病のような幸福教の大合唱の中でも、
真実に目覚める一握りの人がいるらしいので、
できれば私はその一握りの人側に入りたいと考えている。
例え、そのことによって精神的苦痛が増しても、
一度きりの人生・・私は知る喜びのほうが勝るような気がするのである。

知ることは深き悲しみ背負うこと・・教えてくれた君はもういない
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 思ったこと・感じたこと ジャンル : 日記

tag : 不幸論 放射性物質 エイリアン 胃ろう 死の町 新興宗教 盲信 神の声 交信

放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして・・・
録画しておいた「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして」
(1月29日(日)24:50~日本テレビ系NNNドキュメント’12)を観た。


番組内容
1954年ビキニ水爆実験の放射性物質が日本をすっぽり覆った事実が判明。
第五福竜丸以外に延べ992隻もの魚船が被爆していた。
X年後船員たちはバタバタ死んでいった…

詳細
「直ちに健康に影響はない」原発事故後繰り返されたこの言葉。
放射線の影響はずっと後で出る事は誰もが知る事なのに。
58年前ビキニの水爆実験に巻き込まれたのは第五福竜丸だけではなかった。
延べ992隻の漁船が被曝、しかも放射性物質は日本をすっぽり包み込んでいた。
日米政府は僅かな金で幕を引いた。その後何も無かったかの様に実験海域の
マグロが日本の食卓にあがり続ける。X年後、船員は若くしてバタバタ死んでいった…

以下は朝日新聞の紹介記事
1954年、アメリカが太平洋で行った水爆実験による被曝あ(ひばく)事件の全容に迫る。
水爆実験の”死の灰”は日本やアメリカ本土にまで届いた。
南太平洋から戻ったマグロ漁船の船体や乗組員の衣服、頭髪、魚からは強い放射能が検知された。
だが事件から7カ月後、被曝したマグロが続々と水揚げされる中、
日本政府は突如、放射能検査を打ち切った。


Watch 日本テレビ NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして」
in 社会活動・非営利 | View More Free Videos Online at Veoh.com


番組ではビキニ水爆実験の直後に死の灰を浴びたマグロ漁船の乗組員たちが、
40代や50代でガンを発症しバタバタと死にゆく事実を克明に検証していた。
日本はWHO加盟国のうち第一位の長寿国であるとともに、
総人口の半分にあたる人々の死因がガンであるという、世界でも珍しい国らしい・・。

戦後、日本は敗戦国としてアメリカのポチになり、今現在もポチの座に甘んじている。
(ポチで居たほうが儲かる人たちがいるからだろうけれど・・・)
そして、無理矢理に穀物や脱脂粉乳から始まる米産品を大量に輸入させられて
食生活を変えさせられたのも一因だと考えられるが、
日本人の二人に一人が、否応なくガンで死ぬ時代になった原因のひとつは
58年前ビキニ水爆実験も原因のひとつであることを否定もできない。
ただ証明しようにも、今となってはその方法がないだけで・・・。

福島第一原発事故直後、国からは、私たちが一番知りたい情報は何も知らされはしなかった。
番組を見て、昔も今も何も変わらない国の姿を見ただけであった・・。
X年後、福島の人々がどうなるかは専門家と称する人たちは誰も何も言わない。
言いたくても言えない事情は判るけど・・。

番組では当時と同じことが行われているフクシマの現実をも暴き出している。
そして、エンディングで、被曝したマグロ漁船船長(既に死亡)の未亡人が放った言葉が、
この国の昔も今もなにも変わらないという現実を的確に現す語彙として重く鋭く私の胸に突き刺さった。

「いつの時代も弱い者にしわ寄せがくるというのはいつの時代も一緒・・・・・
ウン.......... いつの時代でも一緒や・・・」


基本的人権知らぬ人々に従うほかなき家畜のごとく 
にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : 思ったこと・感じたこと ジャンル : 日記

tag : NNNドキュメント12 放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験 X年後

検索フォーム
人気ブログランキング
にほんブログ村
福島は今...
プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
最新の世迷言
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
お気に入りブログ
ブロとも申請フォーム
読書メモⅠ
商品紹介
Twitter
読書メモⅡ
永遠の世界への旅立ちグッズ