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祭祀継承権という死者を利用した集金システムについて考える。
義母が100歳を目前して亡くなって2年が過ぎた。
その義母が亡くなる半年ほど前には同居していた義姉もガンで亡くなっている。
その義姉の夫が、義母が亡くなってもう2年にもなるし、
祭祀承継者の義務は終わったものと考えている。
ついては、ボケ田家の長男である我が夫に
仏壇位牌と義母の遺品を引き取り祭祀権を継承して欲しい。」
としつっこく言って来るようになった。

我が夫婦は葬式仏教とそれに付随する供養の儀式とは
縁を持たないことに決めたので、急に言われても困る。

自営業等で代々続く家であり、
また確固たる継承者がいる家ならば問題はないが、
高度経済成長期に地方から出てきて都会に住みついた
核家族の典型のような我が夫婦には
祭祀権などというものはまったく意味がないし迷惑でもある。


そこで、一計を案じ、
義母が生前に契約をした菩提寺に義父と義母の分の2柱の位牌
預かって貰えるかどうかの確認をしたら、
寺側は管理費さえ払ってくれれば誰が祭祀権者でも構わないと言い、
位牌預かり料として年間一柱に付き1万円を頂きます。
位牌2柱分なので2万円+年間維持費1万円で合計3万円を払ってくれれば、
預かっても良いとの話であった。


関係ないけど、祭祀に関する年間維持費合計の3万円って、
私のひと月分の年金額より高いのよ・・・。(-"-)


そして、故義姉の夫に連絡をして、位牌2柱は寺に持って行ってもらい、
お布施3万円で納骨堂に収められた。
亡くなった長女を除く夫の姉たち3人は義母の生前に何回も実家に行き来しており、
金品の生前贈与や、貴金属の宝飾品、高価な着物等を貰い受けており、
(口には出さないが遺品として送られてきた義母の日記から判明)
母の遺品は何もいらない、と言うので、
家具類を除く義母の遺品全てが我が家に送られてきた。

繰り返しになるが、
我が夫婦は葬式仏教とそれに付随する供養儀式とは縁を切るつもりなので、
故義母が契約した菩提寺であって我が夫婦には関係ない。
ゆえに祭祀継承者になる気などはさらさらない。
それに、お墓参りに行くとしても、費用としては交通費だけで、
飛行機使用の場合では夫婦で往復14万4千円もかかる。
さらには、もう夫の実家は無いも同然であり、
日帰りは無理なので、ホテルを利用しないとお墓参りにもいけなくなった。
これで、ますます、祭祀権の継承を出来ない条件が整ったわけになる。

では、毎年、菩提寺へ払わなくてはならない年間維持費3万円を誰が払うか?
という話になる。
現在遺産分割協議中であるので、我が夫と姉3人の相続分から、
20年分を前払いしてはどうか?という旨の書面による確認書を送ったが、
待てど暮らせど、誰からも返事が来ない。
仕方なく、首都圏に住むすぐ上の姉に電話をしたら、
「そんなこと全然考えもしなかったわ。ボケ田の姓を継いでいるあなたが継承者になって、
あなたが維持管理費を払うものだと思っていたわ。」
と言う。

地元にいる次姉と三姉にも電話をしたら、
「私は嫁に行った立場だから、祭祀継承権者なんて関係ないわ。
世間の常識では姓を継いでいる長男であるあなたが祭祀継承者になるんじゃないの?
だけど、遺産分割協議では、法定相続分はきっちりと頂きたいわ。」
という旨の返答が返ってきたらしい。

女性は「嫁に行った立場だから・・」を強調して、
「私には祭祀継承権なんて関係ないわ。」的態度を取りながらも、
法定相続分はきっちりと頂く。ことは友人間でも良く聞く話ではある。

祭祀承継権については、相続するものではなく、
地域の慣習や関係者の話し合いで、
誰かが受け継ぐものとされているのは知ってはいるが、
たまたま男として生まれたがゆえに、親の姓を受け継いだと言うだけで、
祭祀承継権を無理矢理押しつけられるような風潮は、
戦後66年を経ても尚、戦前の家督相続制度がまだ根強く残っているのだなぁ。
と思わざるを得ない。

だが、夫は譲らずに、ボケ田家としての正式な祭祀継承者は置かない。
今後はお墓参りは行きたい人が行きたいときに行くことにする。
尚、供養関係の儀式も同様とする。
それでも・・・どうしても、世間並みの法事等の儀式を執り行いたいのならば、
母の遺産の中から、「供養基金口座」を作り、姉弟各人の住む中間地点で
仏式でない供養を執り行うことも視野に入れても良い。
さらには、菩提寺から本堂等の建て替えの際などに寄付を求められたら、
供養基金口座」の中から妥当と思う金額を出すことにする。
それでも、あこぎな請求をしてきたら、無視することにする。

もし、母の動産相続遺産の中から、
菩提寺への管理維持費を出すことに同意できないのならば、
遺産分割協議のまとめ役は降りて、動産(預貯金)はそのままにしておき、
孫の代で遺産分割協議をしてもらうことにする。
不動産(土地)は塩漬け(業界用語でほったらかしにすること)にする。
と言ったら、年間維持費3万円×20年間分は渋々同意してくれたそうである。

故義母の相続遺産は義母のものであり、
その義母が死後は供養をして欲しいがために菩提寺と契約をしたのであれば、
遺産の中から出すのが当然だと私は思う。


夫の姉たちは現在60代~70代である。
20年も経てば、姉たちもこの世にいるかどうかも判らないし、
万が一にでもまだ生きていても、ヨボヨボ、ヨロヨロ状態になっており、
お墓参りに行くことも困難な状態だろう。

維持管理費を払わなくなって5年が経てば、
無縁仏として寺の敷地内の合祀墓に埋葬されるそうである。

今から25年もの未来のことになるが、そのときに夫と義姉たちの中の誰が
生き残っているだろう?と考えてしまった。
故義父母も長年苦労を共にした土地で永眠できるのなら、
浮かばれるのではないかと思う。

私は死者を悼むのに、位牌仏壇、遺影、お墓という
仏式のステレオタイプな形のあるものが絶対に必要であるとは思わない。
悼む気持ちさえあれば、故人が愛用していた小物をひとつ家に置き、
その小物が目に入ったら、死者を思いながら合掌するだけでも
立派な供養になるのではないかと思う。

目に見えぬ高次の世界で死者たちは輪廻の支度をしているだろう

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tag : 祭祀承継者 動産相続遺産 葬式仏教 合祀墓 遺産分割協議 家督制度 供養基金 相続遺産 位牌 仏壇

葬式仏教からの決別宣言
ひとつひとつ確認しながらの人生最後?の身辺整理が遅々として進まない。
今日は日記類の整理中であったが、
「母の葬儀の記・・死亡連絡から三回忌まで」が目に付いたので
改めて読み返してみた。

私が母死亡の連絡を受け、新幹線とローカル線を乗り継ぎ、
やっと実家に駆け付けたときには、
喪主も葬儀社も葬儀ホールも葬儀の規模もすべてが決まっていた。

母は20年近くも特養に入っていたので、
親戚付き合いはほとんどなかった。
なので・・家族だけで、こじんまりと自宅で葬儀をするとか、
母と付き合いのあった親戚はどの範囲まで連絡をするか?
などのことを少しぐらいは私の意見も聞いて欲しかったが、
実家の近くに住む妹とその夫が葬儀社の手配から
お寺への連絡までのすべて仕切っており、
死亡連絡から通夜、葬儀、火葬、初七日、精進落しまで、
私の出る幕は一切なかった。
名家でもなく、由緒正しい家でもない我が実家である。
地方都市とはいえ、昔ながらの地域の慣習による葬儀形態も消滅してしまった今の時代に、
何が何でも、世間の常識に右に習えの仏教式葬儀は今の時代にそぐわないと私は思った。

それから、我が実家のある地方紙では地域版に無料で死亡広告が出せるので、
一応は掲載だけはしてもらった。
そして、葬儀の翌日に、「死亡広告を見ましたのでお悔やみに・・・」
と訪ねて来た人がいる。私は亡き母の知り合いかと思い、
丁重にお相手をしてお茶まで出したのだが、
その人の正体は地元の仏壇と墓石のセールスマンであった。(^_^;)
仏壇も墓石も既にあるので早々にお引き取りを願ったが、
後にも先にも、新聞の死亡広告を見て訪ねてきた人は
そのセールスマン一人しかいなかった。
結局、母の遺骨は母が生前に準備しておいた墓に当然のごとく納骨された。


私は叔父と一緒に会計役を仰せつかり、確認し合いながら、
収入(香典)や支出を一円も間違えることなく記載していたので、
お金の流れと用途が一目瞭然であり、
葬儀費用で一番多い支出は
お布施や戒名料に代表される寺に払うお金である。」ことに唖然とした。
たかだか、通夜と葬儀、火葬後に執り行う
初七日に各10分程の読経で各3万円也(事前に住職がお布施額を言った)を払い、
住職に来て頂く度に御膳料(5000円)とお車代(5000円)も払った。
そこに戒名料が加わる。
遺族は最低ランクの「○○○○○信女」でいいと考えていたが、
住職は頼みもしないのに、「○○○○○大姉」の戒名を付け、
戒名料は30万円であった。
世間相場から言えばかなり安いとはいえ、
葬式専門仏教宗派の御本尊様であらせられる釈迦牟尼仏様は
戒名料で差別する御存在であらせられるのでありましょうか・・(^_^;)

そして、四十九日に納骨をしようと思っていたら
お寺の隣の墓石屋さん(80代のヨボヨボ爺さん)が急病とかで、
カロートを開けることができずに、
納骨は一回忌にすることにしてお寺に預けることにしたが、
そこにも預け料(年間一万円)がかかる。
さらに、四十九日、一回忌(納骨)、三回忌はお寺の本堂を使わせて貰ったが、
そのたびに、3万円+御膳料(5000円)とお車代(5000円)を払った。
他には花とお供えの果物も必要と住職の奥さんが言うので、
その代金(5000円相当)もかかったが、
花とお供えの果物(高級メロン2個)はお寺の御本尊様のお供えとして
置いてくるものだと聞いたのでそのままお供えをしてきたが、
御本尊の釈迦牟尼仏様がメロンを召しあがるわけもなし、
食べ頃の高級メロン2個は住職とその家族が食べたのだろうか?
と気になった。
私も食べたことがないような高級メロンだったことを
思いだしたのでありました。(笑)

考えると、こちらがお寺まで車で行ったのに、
どうして住職にお車代(5000円)も払わなければいけないのか?
実際の葬儀代金の約半分は、領収書の出ない寺の収入になることに、
私は今も納得がいかないでいる。

そして、檀家会には強制的に入会しなければならず、
維持費(年間一万円)も払わなければならない。
奉仕活動(墓地の清掃作業等)もあり、
実家が檀家契約している寺は、本堂が今にも崩れ落ちそうなので、
そのうち多額の寄付を募ることがあるかもしれない。
一度檀家になってしまったら、こちらから檀家契約を破棄をするまでは、
子孫代々まで、あるんだかないんだか、誰にも判らない「死者の霊」というものを
利用した寺の住職とその家族に給料を払っているようなものなのかもしれない。

実家に負けず劣らずに我が家も名家でも旧家でもなく、
金目のものなど何もない都会のウサギ小屋に住む私と夫が、
どちらが先にあの世に行くかは判らないけれど、
死に因ってこの家から居なくなっても、
家としての歴史も守らなければならないモノも尊厳もなにもない。
古くなった家は子どもたちの意思で解体され、
土地は更地にされて売り飛ばされ、
土地の売却額は法定相続分で分けるのがオチだろう。
親の死はそのときは悲しく?ても、老いて寿命で死んだのだから、
当たり前の自然の摂理と受け止め、相続の面では子どもたちは喜ぶだろう・・。( 一一)

いやちょっと待って・・。親の死が悲しいかどうかなんて判らないわよね。
例えば私が認知症で紙おむつをしていて、そこらじゅうを徘徊しながら、
何回も交番の御厄介になっていて、100歳ぐらいまで生きたとしたら、
親を亡くした喪失感よりも、「やれやれ、やっと逝ってくれたわ。ヽ(^o^)丿」と、
心の中では大喜びをし、安堵感のほうが大きいかもしれないわね。
ホントにボケたら周りは迷惑この上無いかもしれないけど、
本人は死の恐怖からも解放されて楽に死ねるかもね。

想像上の我が将来のことはさておき、
寿命を全うして亡くなった人の葬儀や供養は、
残された遺族がやりたい方法でやればいいと私は思う。
昨今、私の知り合いや親戚でも、葬儀は家族だけでの無宗教葬が増え、
仏式にこだわる人たちでも、法事は家族だけですることが多くなった。
格のある名家で、どうしても仰々しい葬儀や法事でなければならない家は、
豪華にやればいいし、私のような名も無く貧しき者は、直葬の後に
「故人を偲ぶ会」として食事会でも執り行えば、
私の実家の場合で計算すると4万円(お布施3万、御膳料5000円、
お車代5000円)が浮く。
4万円もあれば、家族だけでの自宅での「偲ぶ会」は
食事だけでも立派に開催できるはずである。


しょうもない思い出話と世迷言ばかりが長くなったが、
ここからが今日の本題である。


一昨日、我が夫が、孤独死孤立死の新聞記事を読んでいて、
「明日はわが身だなぁ・・・・・
死んでしまった者に葬儀で大金をかけるのもなぁ・・
そうだな・・俺のときは、
あなたと子どもたちの今後の生活と社会生活を優先してくれれば、
直葬でも、平均的な葬儀でも、無宗教葬でもなんでもいいよ。」

と自分から終活話を持ちだしてきた。

やっと夫自身の終活に対する思いを言葉で確認できたので、
夫が先に逝った場合は葬式仏教からは決別し、
直葬or無宗教葬で永別の儀式を執り行うように腹積もりをした。

将来的に子どもたちが、檀家の維持費や寄付等を払ったりの金銭的負担や、
寺への奉仕活動や手間とは無縁になることだろう。

そうは言っても個人の宗教に対する価値観の違いを否定はできないので、
極楽浄土を信じる人や、信じたい人。
また世間体でどうしても仏式での葬儀をしたい人は葬式仏教ですればいい。
それで心の安寧と安らぎを得られるのなら・・。


歴史的には、葬式仏教は曹洞宗が始めたらしいが、
まさに死者を利用した集金システムでしかないように思える。
そして、私から見れば皮肉なことに、我が実家は曹洞宗の寺の檀家なのである。



昨年の大震災の際にも、
位牌を取りに戻って大津波に吞まれて亡くなった方々もいたと聞く。
位牌さえなければ、大津波にまれることなく生き残れた人もいたかもしれない。
戒名ソフトで作成されたであろう?戒名が書かれた位牌と称される単なる木片に
生死まで分けられてはたまったものではない。

位牌や仏壇に開眼法要(魂入れ)をしたから、その木片には魂が宿っているとしたら、
仏教者は全員が超能力者ということになるが、そんな事実は誰が考えても有り得ない。
私には死者を利用した、総本山から末端の寺までの集金システムという
葬式仏教に組み込まれているご都合主義な儀式などは必要ない。

たまたま、期せずして検索に引っかかったお坊さんのブログを読むことがある。
そこには、「葬儀という別れの儀式をして、戒名を付けて、
読経をしないと死者の魂が成仏できない。」
などと書いてあるが、仏陀(釈迦)の本来の教義とかなりずれていることは否めない。
ということは、枝分かれした多数の仏教の宗派という存在における、
自分の宗派に都合よく誇張拡大された経済的問題なのだろう。

若くして不慮の事故や自然災害で亡くなれば、死別に伴う苦痛は大きく、
なかなか喪失感や悲嘆は癒えないだろうとは思う。
そういう時は、日本人の特性として、どうしても宗教者に、
祈りや供養を頼みたくなる心情は理解はできる。
だが、死者への鎮魂の祈りとは言うが、
実際は理不尽な死を遂げた死者たちへの鎮魂の祈りではなく、
愛する家族の理不尽な死を認められない残された家族への鎮静の祈りのように思う。

私のようにいつ死んでもおかしくない死亡適齢期に入った婆さんならば、
「彼女の寿命だったのよね・・。」程度で、私の死は簡単に片づけられるだろう。

いつになるかは判らないが、私は確実に死ぬ。
そして、そのときに真実が判るだろう。
日本の宗教文化の中での「成仏」とは、Wikipediaでは、
『死後に極楽あるいは天国といった安楽な世界に生まれ変わることを指し、
成仏」ができない、ということは、
死後もその人の霊魂が現世をさまよっていることを指していることがある。』

と書いてある。
仮に死が『絶対無』ではないのであれば、できれば死後は成仏などしないで、
霊魂になって現世と来世の間をゆらりゆらりと自由に永遠に彷徨っていたいものである。

冬春を分かつメロディ奏でつつ弥生の空に温き雨降る
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tag : お布施 御膳料 お車代 終活話 葬式仏教 成仏 釈迦牟尼仏 孤独死 孤立死

人生の断捨離で一番捨てたいのは”夫”です。
120315r
↑は一週間程前の新聞に載っていた「婦人公論」の広告である。
「一番捨てたいのは”夫”」と答えた妻たちの気持ちを勝手に想像してみたり、
また、この広告を見て、非常に不愉快な気分になったであろう、
世の夫たちの顔を想像して苦笑いしてしまった。

読者100人の答えらしいが、広告だけでは
「一番捨てたいのは”夫”」と答えた人たちの年齢層が判らない。
その年齢だけを知るために買って読むほどの気持ちはないし、
またわざわざそのためだけに書店まで立ち読みに行く気もないので、
読者層の推定年齢は、多分40代~60代と限定して、
私の思ったことを偏見だけで書いてみようと思う。

私は亡き父もサラリーマンであり、夫もサラリーマンであったので、
サラリーマンの妻の立場でしか物事を語ることはできないが、
結婚生活4?年のアラシックス妻から言わせれば、結論として、
夫婦なんて「どっちもどっち」でしかないんじゃないの。

もしも「婦人公論」の男性版として、仮に「紳士公論」のような雑誌があったとして、
夫たちにアンケートをしたら、「人生の断捨離で一番捨てたいのは”妻”です。」
のごとき答えが帰って来るんじゃないかと思う。(^^ゞ


有名人や芸能人、名の売れた作家や芸術家。
また国家資格があり、尚且つその資格を活かして、
年齢に関係なく、バリバリ稼げるキャリアウーマンの妻ならば、
経済的な不安もなく、あっさりと夫を捨てること(離婚)ができるかもしれないが、
年金は第3号被保険者のサラリーマンの妻であったなら、
老後は夫の老齢年金+企業年金(あれば)に頼らざるを得なく、
心の中で「夫を捨てたい!」と思うだけで、
実際にはそう簡単に捨てることはできない。

表向きの社会では男女平等を唱和するが、それは口先だけであり、
裏側では男尊女卑が根強く残るこの日本で、
大多数の妻たちは、外からは見えない家庭という牢獄に置かれ、
家族からは良妻賢母を求められ、夫への不平不満等は
決して外へは漏らさずに自分の心の中に抱え込み、
匿名のアンケートのときなどに、
人生の断捨離・・一番捨てたいのは”夫”」などと書いて
憂さを晴らすしか術がないのだろう・・。

私自身、40代までは願望として「夫を捨てたい」と何度も思っていたが、
50代の初めに入院、手術を経験した後は、夫に対する見方が少しだけ変わった。
老いれば夫婦ともに、嫌でも病に罹る率が高くなる。
自分たちの生活で手いっぱいの独立した子どもたちに頼るわけにもいかず
まだ運よく「おふたりさま」でいられる場合、
その時に頼れるのは一番身近な存在の「捨てたい夫」しかいない。

「一番捨てたいのは”夫”」と答えた妻たちは、今は健康に何の問題も無く、
今以上のものを夫に求め、「夫たるものはこうあらねばならぬ症候群」
に惑わされているのではないかと思う。

人は相手の嫌な所ばかり見がちであり、その嫌な部分だけが脳にインプットされる。
心理学で言うと、その相手の嫌な部分と言うのは、
自分自身の嫌なところを相手に投影させて見ているそうである。
夫を捨てたい願望は、無意識下にある自分自身の醜い部分を夫が曝け出している。
ということになるらしい。


例えば、DV夫であるとか、アルコール依存症で入退院を繰り返すとか、
またギャンブル依存症で生活費を一円も入れないというような、
もう救いようが無い状態なら、覚悟を決めて捨ててしまうのも良いが、
そのような100%ダメ夫ではなく、確実に生活費を入れ、
尚且つひとつでも良い部分、また自慢できる部分があれば、
できれば捨てないで家族として雇って?おいたほうが、
将来(老後)のメリットは大きいように思う。

夫婦はいずれは100%の確率で、必ずどちらかがこの世に
取り残されて「おひとりさまに」なる運命にあるが、
平均寿命の男女差を見ても判るように
大多数の妻はそのうち「おひとりさま」になる確率が高いので、
それまでは夫の良いところだけを見るようにして、
「おふたりさま」の日々を満喫しなければ、後々後悔する部分もあると思う。
ちなみに、たったひとつでも、夫の良いところだけを認めて感謝する行為は、
夫が妻の良いところに気付くことにも繋がるような気がする。

夫を捨てたいと思っても、経済的な問題を考えると、
願望だけで実際には捨てられない・・
という理屈はただ単に自分を甘やかし、
夫にも人生にも社会にも甘えているだけなのではないのだろうか。

社会的人間関係にも、夫婦関係にも、また家族の関係にも
個々が求めることに対して、100%の完全無欠な回答も行為も有り得ない。
夫婦生活においては、いかに妥協するか・・でしかないように思う。

まだ恋人感覚の新婚夫婦ならいざ知らず、
惰性で夫婦関係を維持している中高年の夫婦なんて、
家庭生活は何事もお互い様なのではないだろうか。
相手に理想を求めても、年齢的にもう可能性はない。
捨てるよりも、求めるよりも、先ずは相手が求めていることを感じ取って、
少しでも与えることを優先すれば、
人生の断捨離で、どうしても捨てられないのは”夫”です。」
と思えるような気がする。

この世での女性の成功者は1%であり、
また夫を捨ててもすぐに他の殿方が言い寄ってきそうな
容姿端麗な女性も統計学上では1%しかいないらしい。
もし、本当に夫を捨ててしまったら、経済的自立の面でも、容姿の面でも、
どんなに努力をしても、どちらの1%にも入れない妻が99%なのである。

「捨てたい願望」はあれども、実際には「捨てる決断」が出来ないまま、
日々グチグチと独り言を呟きながら、夫からのストレスを解消しつつ、
99%は無名なまま老いて、嫌でも皺くちゃ婆さんになって行くのものなのよね・・。

とまぁ、貧乏人の婆さんの戯言を独断と偏見で書いてはみたけれど、
実はね。今もまだ、年に数回は「夫を捨てた~い!」と思うときがあるのよ。(^_^;)
人間なんて「喉元過ぎれば熱さを忘れる」生き物だから、
こればっかりは仕方ないわね。

人生は夢のごとくに過ぎゆきてルビー婚式迎えし二人
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ここまで来た「あの世」の科学―魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する

宗教的にではなく、科学的考察と銘打つ
あの世」とはどんなところか?を知りたくて、
「ここまで来た「あの世」の科学―魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する」
(¥150 税込 BOOK OFFで購入)読んでみた。
科学的とは言え、あくまでも仮説の域を出ることはないが、
「宗教によるあの世観」と対比するのも一興のような気がする。
著者はソニーのロボット犬「アイボ」を開発した
プロジェクトチームのリーダー技術者であり、
深い科学的知識を元に書かれているらしいが、
私は物理学にはまったく縁がないところに、
量子力学だの、相対性理論だの、超ひも理論だのが出てきてチンプンカンプンの箇所も多く、
半分も理解できなかった。
ただ、第7章の「死後の世界 輪廻転生前世の存在を検証する P169」と、
第8章「無意識は神の化身か? 深層心理学からのアプローチ P191」
についてはそれなりに面白く読めた。

簡単に言えば、理論物理学者のデヴィッド・ボームという人が
現実に見えているこの世界(この世)=明在系と並行して、
もうひとつの目には見えない世界=暗在系(あの世)が
存在しているという概念を提示しているらしい。
勝手に解釈すると、この世とあの世は密接にリンクしながらも、
この世の生身の人間には決して感知できないパラレルワールドの世界ということになるらしい。

では、私がそのうちに行かねばならない暗在系=あの世とはどういうところか?
を第10章の「宇宙はひとつの生命体なのか?集合的無意識の極致は愛であり仏性である P239」
の中の「●あの世は壮大な無意識のネットワークだ」 
から一部引用してみた。

『―無意識の構造は、あらゆる「個体」同士が、
それぞれ異なる強度で結合された、全人類に広がる、
巨大で複雑なネットワークと考えることができます。いかなる「個体」も、
このネットワークと無関係に存在することは許されません―』

『―宇宙意識の基本構造は、壮大な「無意識」レべルのネットワークであり、
生命を得て生まれてくる「個体」は、
その大海の表面に発生した小さな泡のようなものでしょう―』


判ったような、判らないような・・・(?_?)

つまりは、人間が肉体の機能をすべて失ったら、
壮大な「無意識」レべルのネットワークに組み込まれ、
自我は完全に消滅し、「我思うゆえに我あり」も消失し、
無意識だけがゆらりゆらりと宇宙意識の中を永遠に彷徨う。ということなのだろうか?
だが、死によって脳細胞が完全に機能停止をすれば、
無意識の存在さえも消失するのでは?と思うのだが・・・
無知な大凡婦には、「あの世とは無意識レベルのネットワークである。」
などと言われてもピンと来るものがなく、理解も不可能である。

霊魂という存在は目には見えない。
錬金術や、あの世を示唆する「超ひも理論」なる
ド素人には難しい物理学の理論等を或る程度でも理解していないと、
科学的な「あの世=暗在系」のことを理解するのは難しいようだ。



科学的な「あの世」よりも、今日、戸別訪問で来た宗教(エ○バの証人)の
神の国への勧誘ウーマンのあの世の話のほうが判り易かった。

インターフォン越しではあるが、
「あなたは今幸せですか?
もし少しでも不幸な気持ちをお持ちでしたら、
お話を聞いていただけませんか?」
というので、家事労働で忙しかった私は
「神の存在を信じていませんから、お話は結構です。」と答えたら、
「えーっ!?あなた様は進化論を信じている唯物論者でいらっしゃるのですか?
進化論は完全なる間違いであり、我々は神による天地創造で造られた人間の子孫なのですよ!
この世界は7日間で神が創造した世界なのです。
わたくしは皆さまも永遠の楽園で楽しく平和に暮らして頂きたくて、
こうして布教に回っているのです。
せめて、お互いに顔を見ながら私の話を聞いていただけませんか・・」と言うので、
「もう、何回も話を聞いていますので、これ以上神様の押し売りはいいです。」
と言ったら、
「神を信じない人は死んだらすべてが無に帰して魂さえも存在しなくなりますよ。」
と力説して隣の家に向かって行った。
いつもくる布教者よりもすこしばかり布教マニュアルから外れているな、
と思った。きっと信仰に入って間も無いか、布教は新米の人なのだろう。

彼らの信じる神を否定すれば、不老不死にも成れなくて、
信仰しない人は死ですべてが無に帰すのなら、「エ○バの証人」以外人々は
全員が死んだらおしまい・・になることになる。
キリスト教にも数多の宗派がある。
基はたったひとつ教義であるはずだが、時の権力者の思惑の許、
今なお聖書の記述のみを重んじる原理主義者から、
進化論を科学的論説として容認したカトリックまで数限りない宗派に別れた。
信じたい人は信じればいい。信じたくない人は拒否してもいい。
信じるも信じないもその人の自由であり、
どのような死後の世界に行きたいかもその人の自由。
私は死後は「無に帰す」で結構ざますわよ。<(`^´)>

ほとんどの宗教は個体としての今を生きている人間よりも、
不滅?である霊魂のほうが本質的な存在だと説くが、
私は死後は「無に帰す」ことを願っているので、宗教的あの世にも、
科学的仮説のあの世である暗在系にもそれほど魅力は感じない。

どんなに科学が進歩しても科学的あの世は仮説の域を出ることはできない。
宗教の説くあの世は想像の域を出ることはできない。
結局は一度行ったら帰って来ることのできない世界であり、
いろいろ思い煩うよりも、儚く残り少ない現世の時間を思い切り楽しみ、
自分に取って都合の良いあの世を夢想することで生の終焉を迎えることにしたい。

現在この地球上にいる人間は70億人を超えた。
ということは、極端に言えば、70億通りのあの世が存在していても不思議ではない。
私も・・嫌でもそのうちに行くのだから、
そこで明確な証拠?を感じられるだろう・・。
もしも、そこが「完全なる無の世界」であったとしたら、
それはそれで私には望むところではある。

霊魂の存在についてはある思い出がある。
母がまだ生きていた頃に家族の守護霊について、
近所の霊能者にお伺いを立ててもらったところ、
母方の曾祖母が私の右肩辺りに守護霊として、
ぴったりと張り付いているそうな。
私にはまったく守護霊の存在は知覚できないが、
右肩が40肩になってときどき痛み、いつも重く感じるのは、
曾祖母の守護霊が原因なのだろうか?(?_?)

無知ゆえに神にきづかぬ我もまた神の計画の一部と思へり
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たとえばガン等で死に至る患者になったら身につけておくべき作法
私は50代のときに三回の長期入院と手術を経験した。
一回目は急を要する病気で緊急入院を余儀なくされ、後の2回は入院と手術日は自分で決めたが、
あのとき決断をしなかったら、今ごろは寝たきりになっていたかもしれない・・。

60代になった今現在の体調不良部位はといえば、不定愁訴と40肩と腰痛程度で済んでいるが、
どんなに健康に気を付けていても、老いと死は避けられない。
今度は別な病気や怪我でいつ何時、再び入院と手術が必要になるか判らない年齢になってしまった。
急病での即入院の経験から、いつでもすぐ入院できるように、スーツケースに入院グッズを入れているが、
しばらくは役立たないことを願うのみである。

そんなとき、新聞((3月3日)の読者投稿欄に現役医師の「患者が身につけるべき作法」が載っていた。
60歳の開業医でいらっしゃるそのお方は、二年前に死に至ることもある大病を経験されているらしい。
読んでみて、「なるほど!」と思ったので備忘録としてここに転記しておこうと思う。

作法1  死にゆく状態でも、自分を甘やかしてはならない。 人間として果たすべき責任と義務がある。

作法2  医師の説明を理解し、事前に家族に意志を伝えておこう。 家族に治療法の選択を丸投げしない。

作法3  激痛の時こそ、つらさは我慢して家族を思いやろう。

作法4  病院に居心地の良さを求めてはならない。 心地良すぎると退院が嫌になる。

作法5 病院の運営などに異議があれば、クレームではなく依頼の形にしよう。

作法6  延命処置を拒否するリビングウイル (事前指示書) は自分で作成する。

作法7  医師に求めるのは適切な診断と治療だけ。 わが国では診療報酬が低い為、 医師は多忙だ。

作法8  医療従事者に期待するのは医療に限定する。 人生を問いかけたくなるが、彼らは若すぎる。

作法9  体が病み、心までなえてきたとき、生き方が問われていると自覚しよう。


今現在の医療施設は患者がどんな状態であれ、
生かすことのみを優先し、
この患者はもう助からないと診断しても最後の最後まで治療をしたがる。
医療者側は最大限のベストを尽くしたという余韻に浸りたいのかもしれないが、
患者にとっては苦痛そのものでしかないかもしれない。
死ぬ権利、無駄な延命治療拒否の権利等を
口頭で伝えられない状態になったときのことを考えたら、
やはり、リビングウイル (事前指示書)は不可欠だわね・・。
上記の「患者が身につけるべき作法」9箇条を参考にしつつ、
嫌でも必ず訪れるその日まで・・
今のところはジタバタ、アタフタしながらも、
残り時間を悔いなく楽しく生きていこう。

やがて来る死は解放か死に至る病は絶望とキェルケゴールは 
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tag : 死ぬ権利 延命治療拒否 リビングウイル 事前指示書

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Author:千風
気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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