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遺骨、位牌、墓、この厄介なもの・・終わらない故郷の墓問題
今日、夫の次姉から電話が来た。
内容は夫の実家の墓の移転についてである。
次姉の言うことにゃ・・・
遺産相続でもらえるお金の中から10万ぐらいは出してもいいから、
長男であるあなたが住む地域にお墓を移転したらどうかしら?
それと、分骨してお東さんに納骨したら?」
という内容であった。

故義父母の遺骨は故義母が生前に買っておいたお寺の納骨堂に収められているが、
同居していた故義姉の夫とその子どもが、
「妻が亡くなったのに、
いつまでも故義父母の仏壇と位牌を家に置いておく義理はない。
早く引き取って欲しい!」と、しつっこく言って来ていたので、
寺側の了承を得て、2柱の位牌は遺骨と一緒に納骨堂に置いて貰うことにした。
そして、先日、祭祀継承については、特定の祭祀継承者は置かない。
故義母の遺産の中から維持管理費の20年分を前払いして、
お墓参りは行きたい人が行きたいときに行くことにして、
それで一件落着とする。
20年が過ぎたらもう管理費は払わない。
そして維持管理費を5年間払わないと
無縁仏として合祀されるそうなのでそれで良しとする。
ということで話が付いているはずなのに、
また、独り暮らしの暇な次姉がやいのやいのと電話をしてきて、
故郷の墓問題をますますややこしくしてくる。

20年後には現存する夫の姉たち3人が運よく生きていたと仮定しても、
80代後半から90代前半になっている。
今でこそ、お寺に近い遠いに関わらず、だれもお墓参りに行く気もないのに
こちらにお墓を移しても、お東さんに納骨をしても、
よもや、自力でお墓参りに行く気持ちも気力も体力もあるとは思えない。




脳の側頭葉に存在するという神の領域を含め、
人間の肉体は死んだらただの燃やすゴミ・・・
そのゴミの最終処分場(お墓や納骨堂)に
大金をかけても死者は何も答えてはくれない。
もし、お東さんに納骨をしたとしても、
そこのエライお坊様方に儀礼として経文を唱えて貰っても、
あの世の死者とコンタクトが取れるわけでもない。
また、「お東さんへの納骨」の際にも「ランク=金額の差」がある。
この世は紛れも無い格差社会であるが、
あの世というところも、
戒名のランクを見ても判るように格差のある社会(霊界)らしい。
あの世に行ってまで、ランク付けされた霊として
存在させられるのはいかがなものか?と思ってしまう。


我が夫婦は、この地上にお墓と言う厄介なものを持つ気も、
どこぞの寺と檀家契約をする気もさらさらない。
ゆえに、「その話はもう終わりにしたい。」
ということで次姉からの電話を切ったが、
まだよく判っていない様子であったらしい。

義姉たち三人には位牌を寺の納骨堂に収めるときに、
祭祀権者は置かない。ということを時間をかけて話をしたので、
納得して貰ったと思っていたが、
まったく理解していなかったようである。
要するに、長男で末っ子で一人息子でありボケ田姓を継いでいる我が夫が
実家の祭祀権を継承したと思っているらしい。
遺産相続に関しては嫁に行った行かないに関わらず、男女平等ではあるが、
祭祀権については、まだまだ、戦前の家督相続制度が生きているのが現実なのである。


加速する少子化と多死時代を迎えた今、この狭い国土で、
また家に近いところとなると、首都圏に住む私のような貧しい者が、
個人で地上に墓を持つことは無理な話である。
いっそのこと、火葬後の遺骨や遺灰は
希望者にだけ欲しい分を持ち帰ってもらい、
要らない人はそのまま置いて帰れれば、
悩ましい墓守り問題も起きないと思うのだが、
そのような慣習の変革は葬式仏教を生業とする
宗教法人や葬儀社、仏壇屋、石材店、
墓所販売業者が大反対するだろうて。(ーー゛)


今まで親戚縁者の死で各地域の火葬場に行ったが、
概ね、東日本の骨壷は一種類しかなく、それにバカでかい。
「遺骨は残さないで入るだけ入れてください。」
と言われて、入らない分は、棒で下の遺骨を叩いて砕いて、
ぎゅうぎゅう詰めにしなくてはならかった。
また、西日本の骨壷は概ね、大中小のサイズがあり、
遺骨を持ち帰るサイズは選ぶことができて、
東日本型のように叩いて砕いて入るだけ入れるようなことは無く、
丁寧に入れて持ち帰ることができた。
この違いは、地域の慣習なのか、
火葬場が民営か公営かの違いなのかは知らないが、
私個人の気持ちとしては西日本型の収骨が望ましい。 




近所にキリスト教徒のお婆さんがいるが、
毎月、自宅の庭の花を摘んで、
近くのお寺の敷地内にある実家のお墓参りに行くのを恒例としている。
その月一の祖霊へのお墓参りが一番、心が安らぐ時間なのだそうである。
彼女のように一神教のキリスト教を信じていても、
仏教系のお墓参りに行き、般若心経を唱えてくる行為は、
八百万の神々と共に生きてきた、また、為政者にそのように生かされてきた
日本人ならではの宗教観なのだろうか。

私はお墓参りに行っても、鈍感なのかどうか、メンタル的には何も感じないが、
友人たちに訊くと、極一部の人の感覚では、
お墓とは今を生きている者のメンタリティを鎮静させてくれる場所らしい。

思うに、「わたしはお墓参りに行った。ゆえに死者を忘れてはいない。
わたしは日本人として常識的な善なる行為をしている。」
という理由付けができる自己満足のためにあるものなのだろう。

それでも、現実的には地上にあるお墓は維持管理費がかかり、
我が家のようにお墓参りに行くとしても遠距離なので、
交通費(新幹線代、もしくは飛行機代)と宿泊代がかかる。

我が夫は実家というものを失った今、故郷を失ったも同然である。
加えて、自身がもっと高齢になれば自分の事だけで精いっぱいに成り、
遥か遠くにある故郷の親のお墓など、どうでもよくなるのは目に見えている。

私の墓に対する思いは、東日本大震災以降、
「何が何でも地上にお墓など要らない。」の
決意がますます確固たるものになった。

それでも、下記の今朝の新聞記事のように個々人の墓、遺骨に
対する思い入れは多種多様である。
故郷に帰れない理由は我が夫とはまったく次元が違うが、
葬式仏教とそれに付随する供養儀式にしがみ付きたい人は
しがみ付けばいいと思う。
お墓参りで心が洗われ、また救われ、安堵感が得られるのであれば、
それはそれでお墓とは生者にとってはグリーフ・ケアの代償としては
意味のあるものだと思うから・・・。
p20120426
朽ち果ててエピタフの文字消え失せし名もなき墓に野花置きたり
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tag : 遺産相続 納骨堂 祭祀継承 側頭葉 神の領域 霊界 グリーフ・ケア 葬式仏教 祭祀継承者

木嶋佳苗という女は自己愛性パーソナリティ障害?

男性3人を相次いで練炭自殺に見せかけて殺害した罪などに問われた木嶋佳苗被告の裁判員裁判で、
さいたま地方裁判所は木嶋被告に死刑を言い渡しました。
判決文では、最も重視すべき事情として、「サイトで知り合った男性から、
真剣な交際を装って多額の金を受領するなどした末、
返済等を免れるために被害者を殺害したという極めて重大かつ非道な犯罪を3度も繰り返し、
何ら落ち度のない3人もの尊い命を奪ったことである」と指摘しています。





新聞や週刊誌で報道されていた法廷での「セックス自慢」もバカバカしくて笑えたが、
昨夜のTVニュースによると、拘置所では「セレブさん」と呼ばれていたことにも笑ってしまった。

なぜに、まっとうに働かないで安易な売春で大金を得てまでセレブな生活をしたかったのか?
を考えてみたら、幼児期からの異常なほどのなナルシシズムが原因かと思っていたら、
どうも少し違うらしい。
私は裁判を傍聴したわけでもないし、
新聞とTVとラジオのニュースから得た独断極まりない勝手なレッテル貼りではあるが、
一番合致するものとして、
「自己愛性パーソナリティ障害」
しか思い当たらなかった。

自己愛性パーソナリティ障害の診断基準(wikipediaから引用)

DSM-IV(精神障害の診断と統計の手引き)では誇大な感覚、
限りない空想、特別感、過剰な賞賛の渇望、特権意識、対人関係における相手の不当利用、
共感の欠如、嫉妬、傲慢な態度のうち5つ以上が当てはまることで示されるとされている。

・自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、
 十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)

・限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

・自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に
(または施設で) しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

・過剰な称賛を求める。

・特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

・人間関係で相手を不当に利用する。つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

・共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。

・ しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

・尊大で不遜な行動、または態度。

※以上の傾向は性格的特長と病気との判別が難しく注意を要する。
また、そのボーダーラインは一般社会生活を円滑に営むことができるかどうかにある


自己愛性パーソナリティ障害の臨床像として、
「自分について素晴らしい理想的な自己像(誇大的自己)を抱き、
自分は他人より優れた能力を持っているとか、
自分は特別だと思い込んでいる。うぬぼれが強い。」

という傾向があるらしい。

自分は特別だと思い込んでいるので、自分が容姿端麗ではないことを卑下したり、
自覚する必要はないのである。

それでも世間は広い・・男性の女性に対する好みも価値観も様々であり、
木嶋佳苗という女が容姿端麗ではないゆえに、
男性側としては美人でないがゆえの安心感もあったのだろうと考えられる。

世間的にセレブを装う為には資金がいる。そしてそのセレブ資金の為に
複数の男性と同時交際をして、それらの売春の代償として多額の報酬を取り続けるためには、
より強固な「自己愛性パーソナリティ障害」が必須であったのかもしれない。

逮捕以前に木嶋佳苗被告はブログを運営していたらしいが、
デパートで買ってきた高級総菜やお取り寄せのこれまた高級総菜をデジカメに撮って、
さも自分が材料を買ってきて、自分で料理をしたようにブログに載せていたとか・・・
ここまでくると、やはり「自己愛性パーソナリティ障害」としか思えないのである。


この事件は物的証拠も自白もなく、状況証拠だけで死刑判決が出た。
すぐさま控訴をしたので、今後も注目され続ける事件であり続けるだろう。
ということは、世間も司法もメディアも再び木嶋佳苗という女の
自己愛性パーソナリティ障害?に振り回されることになる。

思うに・・誰が見ても容姿端麗ではない、
はっきり言うと、ただのブスの30女が犯したこの重大事件は、
男性の性欲を巧みに利用した売春という商売、及び結婚詐欺の結果であり、
もし木嶋佳苗という女が真性の自己愛性パーソナリティ障害であったなら、
その気も無いのに結婚を餌に弄ばれて亡くなられた男性3人は浮かばれないだろう。

だけど、この程度の容貌の女にセックスと結婚を前提とした交際の代償として
大金を毟り取られた揚句に自殺に見せかけて殺されてしまうなんて、
(物的証拠も自白もないけれど)
純情な男性の性って哀しいものだわね・・。


なお、死刑判決直前に朝日新聞記者に手記を寄せていたそうだが、
その語尾に『これからは、控訴審に向けて準備をすることになります。
私は、特に長生きはしたいとは思わないけれども、
より良く生きたいと考えています。」という決意が書かれていた。』とある。
今後の木嶋佳苗被告にとってより良い生き方とはどのような生き方なのだろう?
私のような貧乏人的生き方しか経験したことがない人間には到底理解できない、
逮捕される前以上の「超セレブさん的生き方」だろうか・・・。

生きたくて生きたくてまだ生きたくばそれは無償の愛ゆえであれ
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tag : ナルシシズム 自己愛性パーソナリティ障害 控訴 セレブ 控訴審

桜の森の満開の下で人の世の無常を想う。
「満開の桜の下でお花見をしよう!」ということで、
夫と桜の名所で名高い県立公園の中の桜の森に行ったが、
人、人、人の群ればかりであり、
満開の木の下で黙々と飲食をしている人たちばかりであった。
それに、枝を見上げて桜を愛でている人など誰もいやしない。

パッと咲き、パッと散る桜は日本人に取っては「無常」の象徴でもあるのだろう。
やはり桜は遠くで見る方が美しく、また桜が放つ妖しい色香は
日本人として組む込まれているであろう無常感のDNAを再生してくれるかのようでもある。
桜はそのために咲くのかもしれない。


そして私は、この時期になると必ず、中学生の時に初めて読んだ
坂口安吾の短篇小説、「桜の森の満開の下」のホラー小説さながらの
妖しく未知なる世界の情景が今持って脳裏に浮かぶ。

桜の森の満開の下 (wikipedia)
12世紀の鈴鹿峠。山賊は、山に棲み、通りがかった旅人を殺し、
女は気に入れば女房にしていた。
この山のすべて、この谷のすべては自分の物と思っていたが、
桜の森だけは恐ろしいと思っていた。
桜が満開のときに下を通れば、ゴーゴーと音が鳴り、
気が狂ってしまうのだと信じていた。

ある春の日、山賊は都からの旅人を襲って殺し、
連れの女を女房にすることにした。
女は、連れを殺した山賊を怖れもせずに指図をする。
女は山賊に、家に住まわせた7人の女房を次々に殺させた。
ただ足の不自由な女だけは女中代わりとして残した。
やがて女は都を恋しがり、山賊は女とともに都に出た。

都で女がしたことは、
山賊が狩ってくる生首をならべて遊ぶ「首遊び」である。
さすがの山賊も嫌気がさし、都暮らしにも馴染めず、山に帰ると決めた。
女も、山賊と一緒に戻ることにした。

山賊は女を背負って山に戻ると、桜の森は満開であった。
山賊は山に戻ったことがうれしく、
忌避していた桜の森を抜けることにする。
だが、ゴーゴーと音の鳴る中、桜の下をゆく山賊が振り返ると、
老婆の鬼が追いかけてきて山賊の首を絞めるのだった。
山賊は必死で鬼を振り払い、鬼の首を締め上げた。

我にかえると、女が桜の花びらにまみれて死んでいた。
山賊は桜吹雪の中、声を上げて哭いた。




夫はお花見弁当を食べるのに忙しく、
私が頭の中で何を考えているか、何を夢想しているかなどはなどには
まったく関心がない。

私が桜を愛でながら考えていたこととは、

最近、再び40肩(肩関節周囲炎)の症状が現れ、
昨年40肩との診断を下した医者の予言通り、
今度はかなりひどい腰痛も出てきた。
運動(水泳)を欠かさないにも関わらず・・。

こうやって、少しづつ身体機能が壊れて行き、
私は老い、死んでゆくのだろう。

病は気から・・などと言われても、
自然の摂理である老病死は気持ちの持ちようだけでは防ぎようがない。

私の横で弁当をパクついている夫とあと何回の桜を見られるのだろう・・。

妖気で人を惑わす桜も、人間も、散る寸前がいちばん美しく
妖しく魅惑的な様相を示すものなのかもしれない。

だけど、「婆さんが桜の花びらにまみれて死んでいた。」
では画像的にも詩的にも美しくはないわね・・。(^^ゞ

ほろほろと花びらが舞うその下で眠りにつきたしおぼろなるまま
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

tag : 無常感 坂口安吾 桜の森の満開の下 40肩 腰痛 「無常」の象徴

文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」?老婆として生きることは罪なのか?
先日、プール友達B子の御母堂(89歳)が
老健で脳梗塞を発症して意識不明状態になり
救急車で病院に運ばれた。
翌日には意識は戻ったものの現在もまだ入院中である。
その後・・後遺症として血管性認知症が現れたらしい。

拘束衣を着せられてはいるが、脱ごうとして暴れ、
「家に帰る!家に帰る!」と大暴れをして手に負えない状態が
一日置きぐらいの割で現れるらしい。

そして今日、B子がプールに入ろうと更衣室で着替えをしていたら、
「お母様がまた暴れ出しました。もう病院スタッフだけでは手に負えません。
すぐに来てください。」という旨の緊急呼び出しの電話が主治医からあり、
急いで着替えをしながら、
「ホントにもう!これで何回目の呼び出し電話かしら?
「家に帰る!って、いったい何処の家のことを言ってるのよ!
暴れたら四肢を縛ることも了解しているのに、
これ以上暴れたら、強制退院させるって言うのよ。
出来るものなら早くあの世の父が母をお迎えが来て欲しいものだわよ。
老いは罪よね・・」
と言いながら慌てて病院に向かって行った。

老母から受ける今後のB子の苦労に付いて、
既に老境に入っている60代のB子が老母について語っているわけだが、
ここには「人の命は地球より重い」「共に生きる」「家族の絆」などという
美辞麗句に彩られたきれいごとでは済まない、
名も無き庶民に課せられた介護の重圧と経済的問題が
のしかかっている。
なおB子は整形外科系の持病があり、
自宅介護という重労働はできないのである。

そして、母を介護から看取りまでの人的配置と
その設備まで整った有料老人ホーム等には
逆立ちしても入れられない・・
と嘆くB子の姿に女の末路とはこんなにも哀しいものなのか?
とつくづく思った。

世間では「病は気から」とか「気の持ちようで・・」とか言うが、
気持ちだけ若いつもりでいても、
体の老化が「気というもの」に付いていかないという、
自然の摂理という歴然とした現実がある。

B子も私も、それに今若さを謳歌している者も、
やがては必ず行かねばならない老いという道である。

ちなみにB子は他者に対しては気配りもあり、
思いやりもあり余るほどの心優しい善人である。
そんなB子のなにげなく発した老親の老いや死についての
本音とも取れる言葉を反芻してみたが、
長く寝たきりの人は「やれやれやっと死んでくれた・・・」
などと言われるのだろうか?

なんだか、家族に看取られて死ぬことだけが
幸せな死に方だとは思えなくなってしまった。
むしろ、今、社会問題視されている孤独死孤立死のほうが、
人間として理想的な死に方のように思えてならない。

B子の御母堂様は、
好きで老いたわけではない。
好きで脳梗塞になったわけではない。
好きで認知症になったわけではない。

人は男でも女でもオネエでもニューハーフでも誰でも老いる。
ここまで書いて、だいぶ以前の某知事の発言を思いだした。

「これは僕がいってるんじゃなくて、○○○○がいってるんだけど、
“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”なんだそうだ。
“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。
男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、
女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。
そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、
地球にとって非常に悪しき弊害だって…。
なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。
まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、
そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」

誰に言われるまでもなく、私は閉経後のババアであるが、
出来るならば、きんさん・ぎんさんの歳まで長生きをして、
この社会の悪しき有害な存在として、この地球という惑星の文明を
あっという間に消滅させてみたいものである。( 一一)
そんな力があるのならば・・・。<(`^´)>

半分ブラック・ジョークはさておき、
老いてはピンピンコロリで死なずに、加齢による病に罹り、
人の手を煩わせながら徐々に死に至ることは罪なのだろうか?

死に下手と死に上手とがあるらしいそれでも桜の下では死ねまじ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 血管性認知症 拘束衣 有料老人ホーム 孤独死 孤立死 老いは罪

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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