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もう病院で死ねない・・合法的在宅放置殺人狂時代

団塊世代の高齢化が始まった日本。現在、死亡する人の数は年間120万人だが、
18年後の2030年には160万人へと急増。「多死」の時代が到来する。
こうした中、国は「社会保障と税の一体改革」で「施設から在宅へ」という方針を加速させた。
平均在院日数を減らし、在宅医療を推進することで、医療・介護費を抑制しようというのだ。
しかしNHKの取材で、介護をしてくれる家族のいない一人暮らしや夫婦二人暮らしの高齢者までも、
自宅へ戻されていることがわかった。そこには公的な介護サービスも十分に受けられず、
自宅で悲惨な最期を迎えなくてはならないという厳しい現実がある。
番組では苦悩する医療現場と高齢者に密着取材し、超高齢社会の中での新たな課題に迫る。



心不全で入院していた80歳の男性。
歩くことはできませんが、病院から治療は終わったと言われ、自宅に戻りました。
男性は1人暮らし。
世話をしてくれる人がいないため1日1回、介護ヘルパーが来ることになりました。

「自分一人じゃ何もできない」

医療費の抑制を推し進める国の施策。
今、高齢者が退院を迫られる事態が相次いでいます。
現在、病院で亡くなる人は全体の8割。
しかし、近い将来、およそ半数が病院以外で死を迎えると見られています。

「今日、おうち帰るんですよ」

「長くここの病院にもいられないからね、次々、救急車の人来るから」

病院を追われ、行き場を失う高齢者。
どこで、どんな最期を迎えればいいのか。
超高齢社会が直面する新たな課題です。



一昨日、クローズアップ現代 「もう病院で死ねない ~医療費抑制の波紋~」を見た。
「自宅で悲惨な最期を迎えなくてはならないという厳しい現実がある。」
私は孤独死を良い死に方だと思っているので、
何を根拠に悲惨と位置づけるのかは私には判断しかねる部分もあるが、
自力では自宅アパートの階段も上れないような高齢者が、
国の在宅医療推進の影で強制的に退院させられる現実が
なんとも切なくやりきれなく、そして哀しい。

お金持ちならば、プロの介護士がいて、冷暖房完備で清潔で、医師が常駐していて、
栄養も管理された食事が出る有料老人ホームに入る選択肢もあるだろうが、
貯金なし、持ち家なし、介護をしてくれる家族なしの無縁単身高齢者の場合は、
特養にも入れず、一日一回来てくれる介護ヘルパーに命を預けることになる。
一日一回の介護ヘルパー訪問程度では、
国が高齢者の孤独死を推奨しているようなものである。

人間が死ぬのは仕方がない。
だが、在宅介護を支えるシステムも
まともに整っていない社会で老いるということは、
寿命で死ぬまでの間の尊厳さえも認めらず、
生き地獄のような老後としか思えない・・。

生産性もなく税金も納めない、
また自分のことも自分でできないような高齢者は、
国としては厄介者でしかなく、
早く死んでくれることを望んでいるのだろう。
付きつめれば、
「働けなくなって人の手を煩わせる人間は、
寿命まで待たずに早く死ね」ということになる。

また、高齢者夫婦の二人暮らしで、
かろうじて老いたパートナーに介護をして貰えても、
老々介護では介護する側の心身の負担も大きく、共倒れになりやすい。
今後は介護疲れによる無理心中や介護殺人も確実に増えるだろう。

番組には病院から委託を受けているの在宅医療の医師も出ていたが、
治療は一切しない。
加えて、もし被介護者の容態が急変しても
絶対に救急車を呼ばないように指導していた。
言いかえれば、言葉の上では在宅医療とはいえ、
単に在宅での看取りのためだけの、また死亡診断書を書くためだけの、
体裁上の医師ということになる。
そして、「自宅での看取りを視野に入れ、
覚悟をして置いてください。」とも言っていた。
所謂、もう社会の役に立たなくなった他者の手による介護が必要な高齢者は、
厄介者であり、国による合法的放置殺人の対象とされる。

年齢的に私はそれらの対象者にぴったりと当てはまる。

真面目に働き、真面目に税金を収めてきて、老いたからと言って、
まさか、合法的放置殺人で殺される運命にあるとは夢にも思っていなかった。

私は若い頃、半世紀も時を経れば、つまり私が高齢者になる頃には、
ゆりかごから墓場まで」は何の心配も無く、
安心して暮らせて、安心して老い、
安心して死んでゆける社会になると思っていた。
だが、それもこれも儚き夢であり、
現世にはユートピアなど何処にも存在しないどころか、
老いて死ぬときにまで生き地獄が待っているとは思っていなかった。

最後まで見ていて、ところでこの番組のメッセージは何なのか?
と注視していたら、
自分のことも自分でできない高齢者になれば、本人はもちろん家族にも、
何があっても救急車は呼ばないで在宅死の覚悟をせよ!と
国の「医療費抑制策」に協力を呼び掛け、宣伝をする番組で在る事に気付いた。
ケチケチケーと言えば、
国民の皆様の受信料で成り立っているれっきとした公共放送である。
どうせ他人事なのだろうけれど、いいのかなぁ・・・?
合法的在宅放置殺人を奨励したりして。

数年前、「美しい国」を連呼していた、
どこか情緒に問題が有りそうな某宰相がいた。
彼も、彼の所属する党も、実際には長きに渡り、
美しい自然を破壊し続け、
そして家族の心の繋がりまでも破壊してきた。
現在、政権与党は変われど、現政権も前政権も同じ穴のむじなである。
そして今、生の終わりは合法的放置殺人で締めくくらせる。
そう・・これが「美しい国日本」の現実なのだろう。
そして、それが国の方針なら、
私のような社会の底辺で生きる下々の老婆に成す術はない・・。

死刑より冷酷な死を思いつついくばくも無き余生を思ふ
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tag : 在宅医療 孤独死 介護殺人 合法的放置殺人 ゆりかごから墓場まで 医療費抑制策 公共放送

婆女子会の「ナマポ問題会議」
某珈琲専門店で、珈琲とドーナツだけで小1時間ほどお婆女子会をした。
その中で、某芸人の母親の生活保護受給問題が話題になった。
初めに口火を切ったのは、相当貯め込んでいるという噂の
節約家A子。

「貰えるものは貰っておけばいいのよ。
福祉の人と話合って行政側が妥当と判断したから
給付を受けられたんでしょ。
正規の手続きで行政から貰ったものを
今さら返す必要なんかないわよ。
税金を還元して貰ってると思えば良いんじゃない?」


次は法も社会のモラルも順守しなければ気が済まない、
清く正しく美しくが生きるスタンスの善人ぶりっ娘?の・・(?_?)
もとい、ぶりっ婆のB子。

不正受給なんて絶対にダメよ。
真面目な国民が真面目に働いて収めた税金を
年収が5千万もある息子の、
それも母子関係が良好な母親に
生活保護費として支給する必要なんてないわよ。
返して当然、というよりも返すべきよ。」


次は社会悪よりも政治悪に燃える、
自称、素人政治評論家のC子

「たかだか芸人の母親の生活保護受給問題でしょ。
国会で取り上げるほどの意味ってあるの?
行政がすべきことを、どうしてわざわざ、
国会議員がしゃしゃり出るのよ?
むしろ、行政の在り方が問題なんじゃない?
そんなことよりも、もっと大事な消費税の増税問題や、
原発再稼働問題を追及して欲しいわよ。」


次はなんでも知ったかぶりをしたがるD子。

「みんな知ってる。生活保護のことを、プロは「ナマポ」、って言うのよ?
なんでもインターネットでは「ナマポ の貰い方」だなんて、
不心得なサイトを作っている人もいるみたいだけど、
その「ナマポ」の出所は私たちの税金、それも血税でしょ。
そりゃあね、家も無く重い病気になって働けないとか、
寝たきりの独居のお年寄りなら仕方がないけど、
まだ働ける体力のある人が「ナマポの貰い方指南」を
インターネットでするような、そんな暇があるんだったら、
ハローワークに日参するとか、仕事を選ばないでどこでもいいから働けっ!
って思わない?」


次は体を動かすのが嫌いで、
何もしないでごろ寝をしているときが一番幸せを感じるという
自称寝たふり婆さんのE子。

「あのね。人間はね。元々が怠け者に出来ているものなのよ。(-_-)zzz
働かないでも生活費が手に入るんだったら、私だって欲しいわよ。
たまに夕方のTVニュースで報道してるじゃない?
生活保護費支給日になると、保護費をもらってすぐパチンコに行ったり、
酒屋の立ち飲みコーナーで酒を飲んだりしている姿とかさ。
一度、そういう良い思い、つまり遊んでいても、ぬるま湯的生活ができるんだったら、
労働意欲なんて無くなって、誰も働く気なんて湧かないわよ。
私の年金なんて月に3万円弱なのよ・・。
それに今ね。主人に○○ガンが発見されて、医療費で大変な思いをしてるのよ。
あーあ、私も申請して貰えるものなら医療費が無料の生活保護費が欲しいわ~。
そうだ!いっそのこと、生活保護費を貰うためにペーパー離婚でもしようかしら。(^_-)-☆」


次はつい最近、病気で働けなくなった、
アパートで独り暮らしの生涯独身の親友のために
実際に福祉事務所に付いて行き、
生活保護費申請の説明を聴いて見てきたF子。

はっきり言って第一回目は門前払いだったわ。
扶養義務者についていろいろ説明を受けたけど、
20年前から親戚付き合いは一切ありません。
と何度言っても聞いて貰えなかったのよ。
結局、生活保護の申請用紙一式も貰えなかったしね・・。
そして、先ずは20年以上も連絡も付き合いもない兄弟に
相談してみてくださいだって・・
そりぁね。親友は今まで年金保険料を一度も払わず、
60過ぎまで自分の人生の生活設計をして来なかった責任はあるわよ。
だけど、病気が治ったらまた働くって言ってるんだから、
一時的にでも生活保護費を支給して欲しいわ。






他にもいろいろな意見や個人的思いが白熱したが、
お婆女子会の面々は、今後、もし大病を患って経済的に困窮しても、
高収入の親族はおろか、高収入の芸能人も有名人も親族には一人もいない。
ゆえに、現在も将来においても経済困窮に至った場合には最低限の生活費を
援助をして貰える処は行政しかないのである。

それにしても、扶養義務ってなんなのだろう?と思った。
その昔、高度成長を旗印に時の政権与党が核家族を奨励して、
家族をバラバラにしてきた。
その結果、家を出てから今までの親族との付き合いはと言えば、
何十年も義理で出す年賀状(出すだけまだまし・・)
だけになってしまった人々も多いだろうと思う。
そんな、親族に対して、
「あなたには○○さんに対して扶養義務があります。」
などと今さら言われても、自分の生活のことで精いっぱいの人たちが、
法的制裁は無いにしても、快く扶養義務を承諾するとは思えない。


結果、お婆女子会の「ナマポ問題会議」は、多数決により、
「もし、生活保護受給対象者になったら、貰えるものは何でも貰う。」
「あなたには○○さんに対して扶養義務があります。」などと連絡が来ても、
扶養義務は一切受け付けない。という結論に達したのであります。


思うに・・
この歳になるまで、この国において、公平で平等な社会保障や福祉
行われている場面など見たことも聞いたこともない。
さらには下々が泣いて喜ぶような、公平で平等な社会保障や福祉
良い方向に法改正したなどのニュース一度たりとも見たこともない。

かくして、資本主義の原理を推し進めようとすればするほど、
貧しい正直者だけが損をする社会構造はなんら変わらないのである。
今朝の新聞の週刊誌広告に「正直者はバカをみるものなのか?」
の記事タイトルが目に付いたが、
私に言わせれば何を今さらそんなことを・・である。

思うに、我々は官僚の巧妙な策略により、
搾り取れるところから搾り取るという構造には気付かされずに、
実際は下流なのに表向きは中流だと思い込まされ、
裏では或る意味で言えば奴隷化されているのだろう。

政治生命を賭け、不退転の決意で消費税増税案成立を
声を大にして叫んでいる極東の国の某首相がいる。
果たして消費税増税法案は通るのか、
立ち消えになるのかは私には判らないが、
下々の民の視線から見れば、
政治生命の賭け方の方向性と意味が、
完全に間違っているのではないだろうか。
(彼は知っててやってるのだろうけれど・・)
そして・・そういう人を選んだのも下々であることを
忘れてはならない・・。
下々の私とは対極に居る経済界大御所の視線で見れば、
不退転の決意は大歓迎であり、間違ってはいないだろうけどさ。( 一一)


それでも、生きている限りは理不尽な搾取から逃げることもできず、
なんとしてでも、お迎えの日までは生き延びねばならない。
幸い、贅沢はできないが、飢えないだけの倹しい年金と
家とは言えない古いウサギ小屋があるので今はなんとかなっているが、
夫婦のどちらかが大病を患ったらもうお手上げになる。

納税者としては、
受給者が生活保護費という税金でパチンコなどのギャンブルをしたり、
酒代にされては許せない気分もある。
いっそ生活保護はすべて現物支給にしたら、
少しは、受給者の皆々様方には、
他の国民の皆様のお金で今を生きていられるのだと
意識して貰えるかもしれない・・と思ったりもするけど、
↓の佐藤さんという自称重い鬱病さんの動画を見る限り、まぁ無理だわね。
結局「正直者はバカを見る」社会は永遠に続くのでありましょう。
日本沈没の日までは・・。(;一_一)

我が骸(むくろ)抱きしめ泣いてくれる人居なくてもいいすべてインシャラー
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tag : 生活保護受給問題 福祉 不正受給 ナマポ 扶養義務者 資本主義の原理 政治生命 不退転の決意

告知すると約束したけど・・・・人生の最期 どう迎える?


17
投稿主の御夫婦は「もし、予後宣告受けたら・・」
についてお元気なときに事前に話し合っておいたそうだが、
それでも、実際にその時が近付くと、
心は迷いに迷い、そして揺れ動くものらしい。

我が夫婦も今のうちに
「もし、予後宣告受けたら・・」について話し合っておきたいのだが、
ニュースになるような有名人の死については「運命だよな・・」と受け流すが、
如何せん、夫は自分と私に関するそういう話は極端は嫌がり、
老後は前向きに!ハッピーに!的話題しか受け付けてくれないので、
夫婦間で自分たちの老いだの死だの・・等の話はほとんどしない。
人間、60歳を越えたら、或る日突然お迎えが来たり、
直ぐにあの世に逝けない場合でも、いつ余命告知のときが来るか判らない。
周りを見ても、皆なにかしらの持病を抱え、病院通いをしている人が多いのを見ても、
6?歳の今まで、大病をしたことも無く、
医療機関といえば歯科医院にしか行ったことの無い夫は、
自分だけは長寿でピンピンコロリであの世に逝くと思っているのだろうて・・。(ーー゛)


私自身は告知についてはエンディング・ノートに書き記しているが、
我が夫にそのときが来たら、どうして欲しいのかがさっぱり判らない。
私の自由に任せると言うのなら、私は告知するだろうけれど、
タイミングを見極められるかどうかの自信はない。

せめて、まだ元気なときにエリザベス・キューブラー・ロス
死の瞬間」でも読んでくれれば・・
と思うのだが、「死」という語彙を見ただけで嫌がるので、
無理矢理に読ませるわけにもいかない。

まぁ、嫌でもそのときが来れば、それなりの策が見えてくるだろうけれど、
やはり、60歳を越えたら、老、病、死から目を背けずに、
せめて一度位は夫婦で老いと死についての話し合いを持つべきだと思う。

それに、昨夜、
NHKのクローズアップ現代
「人生の最期 どう迎える?~岐路に立つ延命医療~」という番組を見た。
今年3月、日本老年医学会は
「患者本人のためにならない場合には治療の差し控えや
撤退も選択肢」とするガイドラインを発表した。
特に議論となっているのは食べられなくなった
患者のお腹に穴を開け、胃に直接栄養を流し込む「胃ろう」。
寝たきりで意思表示もできないまま何年も生きる患者を前に、
「本人は生きることを本当に望んでいるのか?」と悩み、
胃ろうの中止を希望する家族が出てきている。
患者本人の意思を確認できない中で、
医師や看護師は患者の人生や家族の願いにどう寄り添えばいいのか。
模索する現場を取材し、
変容する終末期医療の現状と課題を探る。



胃ろうとともに認知症まで患い、
誰とも意思疎通ができない状態の患者を見ていて、
「自分の意思で生きている」とは断じて言えず、
経管栄養で無理矢理に体だけが生かされている」感が否めなかった。

いつものごとく、夫は「こういう番組は嫌いだ!」と言って入浴しに行った。
私だって、或る意味、人様の不幸を見たくて見ているのではない。
「いずれ行く道」・・それも近い未来に訪れるはずだから、
今後の参考のためと思って見ているに過ぎない。

運よく今まで不慮の事故等に遭わずに老後を迎えたが、
アンチエイジングに大金を使っても、運動を頑張り、食事に気を付けても、
老、病、死は避けられない。そして嫌でも人は必ず死ぬ。
自分の死は自身で引き受けるほか術はない。
それならば、家族の思惑で無理矢理生かされ、医療費で四苦八苦させるよりも、
事前に自らの意思を書き置き、また言葉で伝えておき、
尊厳ある死を選びたいものである。

死をみつめたくない夫(つま)よ我が老いと未知なる死をば君に遺そう
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tag : エンディング・ノート 告知 エリザベス・キューブラー・ロス 死の瞬間 胃ろう 認知症 経管栄養

「死について考える」 遠藤周作


老人になれば

老年を見る見方が、私の少年時代と今では随分変わっているように思います。
私の少年時代には、老人を尊い方というふうぬ見る見方が残っていました。
尊い方と思うのは、人々が老人を向こうの世界の言葉を感じる世代として見たからでしょう。
しかし今では、不用品、厄介者、役に立たぬ者というふうに、ただ効用性のみで老人を
見ているように思えてなりません。
主婦を対象とした雑誌などに「老人の扱い方」などといったような記事がよくあるでしょう。
あれは厄介者をどう扱うかということで、
老人を丁寧に扱うとしても、厄介者として見る目が最初からあります。
老人を尊ぶという考えは、もう今の世の中には毛ほどもありません。
中国では教師である先生を、老師と言うのは「老」には敬意をあらわす意味があるからでしょう。
ギリシャの神々は若々しいけれど、日本の神様は白い髭を生やした老人の姿です。
松尾神社の神像の写真を見ると、おごそかな老人の顔をされています。
東洋では老人が尊ばれるという伝統があったのに、
平均寿命がのびて、老人社会の到来といわれるようになってから、
日本では急速に老人を厄介者視する傾向が出てきたように思えるのです。
(P179)

隠居という言葉が死語になりつつあって、
定年とか、第二の人生とかいわれていますが、
それは退却を転進といったのと似ているように思います。
昔は隠居するということは次の世界を信じ、そこに向かう旅支度だったのです。
隠居生活は今までの生活重点主義を捨てて人生を直視することだったのです。
生活に心を集中していると、本当の人生がボヤけてしまいます。
隠居することによって、人生を考える。
人生を考える上で最も大事なのは死の問題ですから、
死を考えるということになるのですが、
生活の中にまぎれているのは、
死を考えることを避けているように思えるのです。
昔の人は四季の営みもきちっと守って、人生の折り目節目もちゃんと受け止め、
処理していたのではないでしょうか。
死に対しても、ちゃんとした姿勢でそれを迎える習慣があったのではないでしょうか。
(P187~P188)


私の世代(60代)の知り合いの中には、
老いて自分の身の回りのことを自分でできなくなった父母(80代~90代)を抱えて、
自宅介護を選択して、時間的にも体力的に苦労をしている人や、
さっさと老人保健施設や特養に預けて自分の時間を優先している人もいる。
中には、「相性のまったく合わない鬼嫁に面倒を見てもらいたくない!」
と自分から進んで特養に入った80代の姑もいる。
嫁の立場からすれば善い姑ではあるが、姑の立場からすれば、
家族、特に嫁の厄介者にだけは絶対になりたくない!
の気持ちが強くて自ら特養入居を選択したのだろうが、
どんなに嫌でも、死の前には他者の手を煩わせなければ死んでいけないのだから、
なにも自ら進んで厄介者にならなくてもいいものを・・と私は思う。


亡くなった肉親や先祖たちのいる世界に戻るという感覚

日本には現世の利益を願う新興宗教がたくさんあります。
交通安全を授けてくださる神様や仏様もあります。
神様や仏様を信仰していたらいいことがあるという考え方には、
地上に天国を築くマルクシズムと共通したものがあると思います。
キリスト教信者の中にも、現世利益だけを求めて信仰している人が実際にいくらでもいます。
しかし本来の宗教というものはそんなものではない、と私は考えています。
子供が白血病になり、一所懸命に神様にお祈りしたけれども、子供は死んでしまった。
神なぞ何だ、と神を憎む、神も仏もあるものか、
というところから宗教は始まるのではないでしょうか。
神を憎むことも、神の存在をはじめから無視している宗教や無関心ではなく、
憎むということで神を強く意識していることです。
神があろうがなかろうがどうでもいいという無関心より、
神を憎むことの方がはるかに宗教的でしょう。
困るのは「熱くも非ず冷たくも非ず、なまぬるきものなり」という言葉が聖書にありますが、
神があろうがなかろうが、そんなことに関心がないというなまぬるき人です。
仏教でもこういう人は「度し難し」といっていますね。
でもそういう人も老年になり、死が切迫してくると、
はじめて人生の奥にあるものを考えるでしょう。
(P166)


私自身、神も仏もあるものか!と何度思ったかしれない。
そして最近、一度話をしたのが運の尽きで、
キリスト教系の宗教団体が何度も来るので、
インターフォン越しに「今日は神様は間にあってます。」と、
神様の押し売りを断わった後に、
心の中で「神など存在しな~いっ!」と心の叫びをあげたりしていたが、
著者の指摘通りに「神なぞ何だ、と神を憎む、神も仏もあるものか、」
の気分のときもあれば、
心身が少し弱っているときや、ぼんやりと生の残り時間を考えているときなどには、
心の片隅で神仏の存在や来世を意識している自分を発見したりする。

ここ数年、思いもよらない大きな自然災害が多発している。
まさか、地震津波原発事故神の御業とは断じて思わないが、
自身の死は寿命による病死だけとは考えられない時代になってきた。
常にメメント・モリを意識しているわけにもいかず、
新聞やTVとラジオのニュース等で、
見知らぬ人々の不条理極まりない死に方を目耳にする日々において、
それらの他者の死は納得できても、
自身の死も「明日は我が身」だけは今だに納得できていない・・。
きっと、その瞬間まで納得できないのかもしれない。


死というのは、たぶん、海みたいなものだろうな

入っていくときはつめたいが、いったん中に入ってしまうと……

               セスブロンの遺作『死に直面して』より



なまぬるき雨降る夜になまぬるき神思いつつ黙示録閉づ

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tag : メメント・モリ 地震 津波 原発事故 神の御業 黙示録

神も仏も霊魂も聖霊も個々人の側頭葉に存在する。
巷では大型連休だそうだが、私などは死ぬまで連休が続く予定なので、
今しかない!と何処かへ出かける気力も経済的余裕もないので、
家の周りの草むしりなどをして、その後に玄関前の道路を掃除していたら、
お上品そうなマダムの2人連れが私の前で足を止めた。

ははん、エホバちゃんの布教活動ね。と服装とバッグの大きさで直ぐ判る。
目を合わせないようにして、知らんぷりをして掃除を続けていたら、
やっぱり・・「こんにちは~。」と声をかけてきた。
しかたなしに私も「こんにちは。」と返事をしたら、
案の定、「先の大震災や世界情勢についてどう思われますか?
あなたは今幸せですか?
今の政治の混迷についてどう思われますか?」
等々を矢継ぎ早に訊いてきた。

まったく知らない人に、また布教が目的の人に、
今現在、私が幸せかどうかなどのスピルチュアル的個人情報を
教える必要などは無いので、半分本音、半分冗談で、
「そうね。どちらかと言うと精神的にも肉体的にも経済的にも不幸のどん底かしらね。」
と答えたら、彼女たちの目がキラリと輝き、
「それはそれはお気の毒に・・・私たちは幸せになれる方法を知っています。
少しお話させてください。」と言う。

普段は、インターフォン越しに、
「今日は神様の御用聞きは間に合ってます。」と断るのだが、
世間では邪教だのカルトだのと言われている彼女たちの信仰の世界とはどんなものなのだろう?と、
束の間の暇つぶしを兼ねて、普段から疑問に思っていたエホバの証人の「聖書の解釈」に付いて、
いささか子どもじみた質問をしてみた。



本当に神は全知全能なの?


もちろん全知全能の力をお持ちです。


神が全知全能ならば、なぜ、東日本大震災と福島第一原発の事故を止めなかったの?
世界各地での戦争や紛争もなぜ辞めさせないの?
特にパレスチナ問題よ。
イスラム教もキリスト教も元は同じ神なのに、なぜ今だに全知全能の力でなんとかしないの?

A 
神は地上の個々の出来事には関知しない方針なのです。


この世には関知も関与もして欲しいことがたくさんあるのに、
知らんぷりしているなんて、神様ってずいぶんと意地悪なのね。


神はアダムとイヴを創造して以来、人間の自由意思を尊重しているのです。


人間はすべてアダムとイヴの子孫だと言うけれど、
なぜ、神はエデンの園に知恵の樹を植えてその実をイヴに食べさせたの?
神が全知全能なら、最初から知恵の樹を植えないで、
サタンの化身と解釈されている蛇を使ってイヴに食べさせるような行為をさせなければ、
人間は愛と善だけで永久に幸せに暮らせたのに・・と思わない。


それも・・神が人間に自由意思という素晴らしい能力をお与えになったのです


それは計画の上で?それともただの気まぐれ?それとも単なる戯れ?


すべては神の計画です。


神様って、ほんと底意地が悪いわね。
聖書ってユダヤ教の神話なんじゃないの?
例えば、ギリシア神話や日本のアマテラス神話のような・・。


いいえ、決してそんなことはありません。
聖書に書かれていることはすべて、正真正銘の神の御言葉です。
そして、この世に蔓延する諸々の悪はすべて、
この地上に降りたサタンのせいなのです。


えっ?サタン?
サタンって、地上にいるの?それだったら、人間の目には見えるの?
それで、普段はどこにいるの?


サタンはこの地上の人間界にいます。


それじゃあ、人間になり済ましているということなの?


そうです。サタンの多くは政治家という人間になり済ましています。


えええっ?ということは、政治家の多くはサタン軍団なの?


そうです。彼らが神に反抗して、この地上に悪を蔓延らしているのです。


へぇ~ そうなの~
サタンが多くの政治家になり済ましているなんて話は初めて聞いたわ。
それじゃあ、今の総理の野田○○さんが、
今の日本のサタンの統領なの?
でも、そのサタンを投票で選ぶ有権者の立場はどうなるの?
サタンに操られているおバカなの?

A
簡単に言えば、そういうことになります。


それじゃあ、あなた方も創価学会や幸福の科学みたいに政治に打って出て、
エホバ様の神通力とあなた方の団結力で、サタン軍団を一掃したらいかが?
あ・・・でも、神は地上の個々の出来事には関知しなかったんだわね。
ということは神は知っててサタンを野放しにしているのよねぇ。
神様って、なんて無慈悲で底意地が悪いのかしら?
そう思わない?


わたしたちエホバの証人は政治的活動は一切しません。
あくまでも政治姿勢は厳正中立的な立場を取ることにしています。


あらま!それじゃあ、あなた方の神様はサタンの存在を認めていながら、
人間の不幸を見て見ぬ振りをしていることと同じじゃない。
それに、勝手に人間を創造して、自由意思を理由にほったらかしておくなんて、
神様なんて無責任で、ぐうたらで、おまけに自分の仕事をズルしてるってことよね?
まるで永遠の無責任男(?)みたいじゃない?


神は無責任ではありませんし、それに絶対にズルなどしておりません!


ところで聖書は誰が書いたの?


聖書は神が秘書たちに命じて書かせました。


秘書たちって天使のこと?


判り易く、人間界に例えて言えば、
社長(神)が秘書(人間)に書かせたということになります。


神は何もないところから宇宙や人間を創造できる能力があるのに、
どうして神自身が書かなかったの?
それに身近に天使がいるのに、
どうして、なぜ、わざわざ人間なんかに書かせたの?


神とみ使い(天使)の能力と神の意思は別物です。


神様って、全知全能の割にはご都合主義なのね。


神には人間には判らない思いがおありなのです。


さよですか・・・。
ところで、聖書は大勢の秘書(人間)に書かせたのなら、
その人の主観が入る可能性もあるから、
聖書は100%神の言葉とは言えないわよね。


いいえ、聖書は100%、神の御言葉です。


証明できるの?


聖書を繰り返し読めば判ります。

Q
千年単位で何人もの人間によって書き継がれてきた訳だから、
きっと原本とは違う内容になってるわよねぇ。

A
そんなことはありません。
正真正銘聖書は神の御言葉ですっ!


ところで、創造主は今何処にいるの?


天にいらっしゃいます。


天は広いけど、方角は?浄土のあるらしい西方?


神には形はありませんので居場所は判りません。


神には形がないって・・もしかして透明人間風なのかしら?
それとも、霊魂のようなもの?


判り易く言えば、意思ある聖霊として存在していらっしゃいます。


神って意思のある聖霊なの?私にはイメージすらできない存在だけど、
あなたはその聖霊の意思を感覚的に感じたことはあるの?


残念ながらありませんが、神の存在は聖書に書かれていて、
わたしは100%正しいと思っていますので、
わたしは今も今後も聖書を信じて神の僕(しもべ)として生きるだけです。


「神様は意思のある聖霊」ということは判ったけど、
神の御子であらせられるイエス・キリストは今どこにいるの?


今現在は天国の王として君臨なさっています。


天国はどこにあるの?


天です。


だから天のどの辺なの?西方浄土辺り?


生身の人間には知覚できない場所です。



そうなの。西の方角ということも有り得るわけね。
イエスは死んだ人を生き返らせたりとかの奇跡を起こすことができる超能力者なのに、
なぜ、苦痛に満ちた磔刑に甘んじたの?
なぜ、超能力で奇跡を起こして苦痛から逃げなかったの?


よく訊いてくださいました。その理由は贖い(あがない)のためなのです。

(※ 新約聖書ではキリストの死によって、人間の罪が赦され、
神との正しい関係に入ることを示した。wikipedia)


それは神に選ばれた民であるイスラエル人、
つまりユダヤ教の人々のためだけの贖いじゃあないの?
八百万の神々が存在するこの極東の島国の日本人には当て嵌まらないんじゃないの?


いいえ、この地上の人間全員のためです。


そうなの。ずいぶんと慈悲深い御子様なのねぇ。
じゃあ、私もイエス様に贖いされる側に入ってたの?
私はおろか、私の知り得る限りのご先祖様もそのときはまだ生まれてなかったけど。


オーホッホ。イエス様は過去現在未来を超越されていますので、
時間による制約などは無いのです。


さよですか・・・。私の頭じゃよく判らないけど
まるで、時間と空間を超越した地球外知的生命体が出てくる
SF映画みたいな話なのねぇ。
ところで、ハルマゲドンはいつ来るの?


もう来ています。1914年に始まっています。
地上の人間の14万4千人は天国に行き、
残りの人々は地上の楽園=千年王国で永遠に幸せに暮らすのです。


えええっ?もう終末に向かっているの?
それじゃあ、その最終日はいつなの?


確定的な日時は聖書には書かれていません。


なあんだ、じゃあ、明日かもしれないし、千年後かもしれないってことよね。
ところで、あなたは天の国に行ける選ばれた14万4千人に入ってるの?


最終日は判りませんが、
わたしは14万4千人の中には入っていないと思います。


あら残念ね。あなたの貴重な時間を使って、
こうやって、一軒一軒回って神の宣伝をしてあげてるのに
イエス・キリストが王として君臨している天の国に行かせてもらえないなんて、
神様って、なんてクソ底意地が悪いのかしらね。
キリスト教徒だったら、絶対本物のイエス・キリストを見たいでしょうねぇ?
私は聖書は読むけどクリスチャンじゃないから、
地上の楽園にも呼ばれないし、
イエス様が王様として存在している天の国にも行けないわね。

そうね・・・できれば私がこの世に生きている間に
ハルマゲドンの最終日をこの目で見てみたいものだわ。
ところで、気になることがあるんだけど、
人は死んだらどうなるの?
魂は天国に行くの?それとも全てが無になるの?


そうですね・・。
ハルマゲドンの最終日については今はなんとも申し上げられませんが、
エホバを信じない大多数の人間は無になります。
でも必ずその日は来ます。
もし聖書をお持ちでしたら、是非お読みください。
答えが見つかるはずですから。


こんな私でも、一応は口語訳の聖書は持ってて、
睡眠薬変わりに読むことがあるのよ。
それでね。あなた方の神様の名前なんだけど、なぜエホバと呼ぶの?
神の本当の名前は「ねたみ」と言うんじゃないの?
世間では主だとか神だとかヤハウェだとか言ってるけど、
口語訳聖書の出エジプト記の34の14には、

「あなたは他の神を拝んではならない。
主はその名を『ねたみ』と言って、ねたむ神だからである。」


と書いてあって、凡人の私ですら、ものすごく印象に残ってるのよ。
もし、本当に聖書を信じているのなら、
だから、あなた方は本当は「エホバの証人」ではなくて、
「ジェラシーの証人」と名乗るのが正しい解釈じゃないの?
ちなみに新共同訳聖書では『熱情の神』となってるらしいわよ。
それに、私などはこの歳まで、
神社へもお寺へも数えきれないほど行って柏手を打ったり、
道端のお地蔵さんにも手を合わせたり、初日の出も拝み、
お葬式なんかでは、全部が仏教式だったから、焼香の度に
南無阿弥陀仏を何回唱えたかしれないわ。
ということは、一神教の考え方からすれば、
私は意識しないで偶像崇拝をしているおバカちゃんだし、
今後も多分、仏式のお葬式が続く予定だから、
きっと、キリスト教系の神からは、
信じる、信じない以前の問題外として、
ゼパニア書に書かれているように、
「糞土」のように処理されることになるわね。

だけど、神様の本名が『ねたみ』だなんてねぇ。(ーー゛)
永遠の存在で、全知全能ならば、
「ねたみ心」なんて湧かないと思うんだけど、
誰に、何に嫉妬しているのかしら?
まさか、たかだか80年ぐらいしか生きられない
ご自分が創造した不完全な人間になのかしら?
だって、永遠なる不死状態って飽きるらしいじゃない?





こんなバァサンとは話にならん!とでも思ったのか、
これ以後は彼女たちの答えは無かった。


最後に、
「もっともっと、聖書を読み込むことをお勧めします。
読み込めば読み込むほど、
あなたの疑問への正しい答えが導かれると思いますよ。
今日は長々お話を聞いてくださってありがとうございました。
それに、とても楽しく有意義なご意見を聞かせて頂きました。
また来ます。」

と言って、帰って行かれましたとさ。
私としてはもう二度と来て欲しくはないわよ。



私の子どもじみた質問に答える度に彼女たちがバッグから出して確認していた
「新世界訳聖書」は、
私がときどき読んでいる口語訳聖書とは解釈が少し違うらしい。


当たり前の話として、キリスト教系の新興宗教に限らず、
仏教系でも組織化されると、
自分たちの都合の良いように解釈された教義が作り出される。
所詮、神の存在や預言と言われるものは、
キリスト教系宗教団体においては、
国や訳者や個々人の聖書の解釈の違いでどうとでもなるのが、
世界的ベストセラーである聖書の真実なのでありましょうか。

信教の自由は認められている。
ゆえに、歪めらて解釈されていようが、都合よく解釈されてようが、
どのように書かれた聖書でも、私は否定するつもりは無い。
ただ、数多の犠牲者を出した東日本大震災以降、
エホバの布教が活発化していて、
彼らの根本教義である終末論を利用している感は否めない。

ちなみに、インターネットの世界では「エホバ」で検索すると、
あなた方のことを快く書いてあるサイトは皆無であるが、どう思うか?
と問うと、
「あら、そうなんですか。私たちはそういうサイトは一切見ませんので・・」
という答えが返ってきた。
信仰対象に対しての都合の悪い部分は
「見ざる、言わざる、聞かざる」らしい。
考えようによっては、自分の意思で生きるよりも、
聖書の中の神の意思で生きるほうが、
楽な生き方かもしれない。
神の命の長さは永遠らしいが、
人間の命の長さは、
運が良くてもたかだか70年から90年ぐらいでしかない。
それならば、人間の儚い生の時間は自分の意思で生き、
来世(あるのならば)は神の時間に魂を委ねるほうが、
今のこの現世での後悔が少ないように思える。

帰依心もなく、如何なる宗教への信仰心の欠片も無い私からみれば、
布教目的のランダムな戸別訪問は、
盲信とも思える強い信仰に裏打ちされた彼女たちの仕事とはいえ、
たった一度、「神の存在」ついて他愛のない話をしたからって、
その後は3日を置かずに布教に来るのは、尋常ではない行為だと思う。
見た目は身だしなみも良く、清潔感が漂い、また礼儀正しい言葉使いなので、
話をしていて不快にはならないが、訪問目的と話の中身は別問題である。
私には、彼女たちが、自分の意思よりも、また普遍的な聖書よりも、
自分たちに都合の良いように解釈した指導部の教義だけを崇拝し、
聖書の中の神の計画とやらに踊らされている、
機械仕掛けの布教ロボットor布教兼集金奴隷のようにしか見えないのである。



「どっちなんだ?人間が神の失敗作なのか、それとも神が人間の失敗作なのか」

「信仰とは真実を知りたくないという意味である」

               By フリードリヒ・ニーチェ



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気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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