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「ハローワークで募集、見習い僧侶が通夜なんて」を読んで思うこと。
今朝の新聞記事、「ハローワークで募集、見習い僧侶が通夜なんて」を読んで、
葬儀を執り行った遺族の方々には申し訳ないが、その対応に苦笑いしてしまった。

何に苦笑いしたかと言うと、
『高野山真言宗の寺が、ハローワークで募った僧侶見習いに、
1人で死者を弔わせていた。わからない儀式は勝手に省き、遺族の怒りを買っている。』

の「遺族の怒りを買っている。」部分についてである。

僧侶見習いがわからない儀式を勝手に省略したこと等について、
遺族が怒りを覚えているそうな。

其の1
「ひどい。やり直してほしい。」
※納骨の儀式を省かれた女性(52)

其の2
「妹は成仏できたのか。随分ばかにしている。」
※妹を亡くし、布施と寄付金計200万円を払った女性(80)

其の3 
父親を亡くした50代女性は遺言通り戒名を「大居士」
「居士」に準ずる「信士」を希望したら、住職に
「恥ずかしくないのか」と罵倒され嫌な思いをした。



今も多くの日本人は葬式仏教というビジネス戦略によって創られた
極楽浄土とかいう異次元世界を信じているのだろうか?

大多数の日本人の死生観から鑑みて、
遺族にとっては葬式仏教での葬送儀式は大事なこと。
であることは、致し方のないことだとは思うが、
死者の魂を利用してのビジネス葬式仏教を全面的に肯定してありがたく思い、
多額のお布施で読経を依頼し、戒名ソフトで作った高額な戒名を授かり、
祭壇の立派な葬送の儀式をしたからといって、
物言えぬ肉塊と化してしまった死者にはなにも通じない。
それに、自分には縁のない無名の死者のことなどすぐに忘れてしまう世間に対して
ただのビジネス用に創られた様式に乗っ取った
儀礼だけの葬送を行う必要があるのだろうか?


「本人の意思で仏教に帰依して真面目に修行した
僧侶であっても法力があるわけではなく、
煩悩深きただの人間です。もちろん、私もそうですが・・・」と、
故義父母の菩提寺の僧侶が雑談中に自らの口で語っていた。
もちろん、私も初めから僧侶の法力など頭から信じていなので、
もしも、「Buddhism exorcismus」(仏教のエクソシスト)
のような法力のある僧侶に遭遇でもしたら、
少しは葬式仏教に対する考え方が少しは変わるかもしれないけれど、
まぁ、無理でしょ・・。

昨年、その僧侶の魂抜きの儀式(お経だけ)によって、
夫の実家の仏壇を閉じたが
その報酬=お布施が3万円と聴いて唖然とした。
銭欲の煩悩ばかりで何の法力もないのにさ・・(ーー;)


思うに、ハローワーク募集で雇った僧侶見習いの経文だから、
死者は成仏できないわけでもなく、
また、戒名が「大居士」だからといって、魂の格が上ということでもない。
それに、お布施と寄付金計200万円を払ったからといって、
あの世で高い位に行けるわけでもない。


ビジネス葬式仏教の金儲けに利用されて遺族が怒っても、
死者にはそんなことは知る術もなく、
あくまでも、遺族の世間に対する見栄でしかない。

この歳になるまで、何回も葬儀に参列してきたが、
僧侶3人が経文を唱えていた大枚をかけたであろう、
立派な葬儀といわれる葬送はあまり心に残らず、
僧侶のお経無しで、火葬のみの質素で
倹しい葬送のほうが心に残る場面が多く、
死者を悼む気持ちも強かったと記憶している。

来世の存在とは宗教家の金儲けの手段のために創られた
想像上の世界でしかない。

要は、本当に遺族が死者を真摯に悼む気持ちさえあれば、
高額な戒名も必要ないし、
立派な祭壇での葬送儀式や僧侶の形式だけのお経などなくても、
死者は安心して成仏?できるのではないだろうか。


だが、成仏という言葉も生きている人間が勝手に
願望しているだけのことであって、お布施の額や僧侶の経文だけで、
死者が仏に成ることはあり得ない。


ハローワーク募集で雇った僧侶見習いに、
わからない儀式は勝手に省かれても、
また、怪しげなお経であの世に送られたとしても、
死者は何も答えず、二度とこの世に戻ることはない。

新聞記事の怒りの中にあるのは、成仏という仏教用語に名を借りた、
これからもこの世で生きていかねばならない、
遺族たちの世間体と見栄でしかない。

私ね・・・もし夫が先に逝ったら、誰もいないところで怪しげなお経を読み、
聖書もコーランも読んであげようと思ってるの。(^^ゞ
西方浄土、天国、完全無の世界・・どこでも好きな処に行けるように。(^_^.)

誰一人戻って来られぬその場所はきっと無常の雪降るところ
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tag : 葬式仏教 死生観 葬送儀式 ビジネス葬式仏教 戒名 Buddhism exorcismus 法力 魂抜きの儀式 来世の存在

生前に自分の「死亡通知」を書いて置くことの意義
今日、プールに行ったら、昨年12月に長患いのご主人様を亡くされた
A子さん(60代後半)が、約2か月振りにプールに来ていた。

A子さんの言うことには・・・

ご主人様の遺志無宗教での家族のみの見送り)で直葬にしたが、
火葬後にご主人様の親戚や知人たちが、
どこからかご主人様の死を聞きつけて、「お線香でも・・」と
義理堅くお香典を携えて家に来る人が居たり、
また、「なぜ知らせてくれなかった!」と
苦情を言う遠くの親戚が居たそうな。
「生前の主人の遺志なので、そのように致しました。」
と説明しても、では、その証拠は?と難癖を付ける人もいたらしい。

本当は知らせない人には来てほしくはなかったが、
故人の遺志とはいえ、弔問に来てくださる方々を
門前払いするわけにもいかない。
それに、香典額に比例した香典返しやらの事後処理も
心身的には負担であったという。



最近、直葬のみの葬送が増えている都会。
他の知り合い男性Bさん(70代)は息子の嫁の父親が亡くなったが、
家族葬なので・・・という理由で、葬儀への参列も拒否され、
葬儀後の遺骨と遺影の置いてある嫁の実家への
御焼香も拒否されたと憤慨していた。

日本人の一般的な死生観からしたら、
そういうこともあるだろうな・・とは私も思う。

故人の遺志とは関係なく、
世間の人々は彼らの常識とする葬送の形について、
かれらの思惑でいろいろ言って来る。
それらの煩わしさから逃れて、静かに故人を悼む時間が欲しければ
元気なうちに、また早めに自分の遺志
エンディング・ノートという書面に残しておくしかない。


早めに終活を進めておくことは
これからの残り少ない生の時間の
実りある生き方にも繋がると思えてならない。





ところで、我が夫であるが、
自身のエンディングにはまったく思索を廻らすことがなく、
「どうせ、僕が先に死ぬのだから、
終末期葬送についても、すべてあなたにお任せします。」
の姿勢を崩さない。

それでも、夫の母の死による事後のゴタゴタ
遺産相続調停祭祀権問題等)で、
散々な経験をしているので、
「葬式仏教」に因る葬儀儀式は不要であり、
家族だけの見送りによる火葬のみで良い。
死んでも寺の墓地には入れてくれるな。
などとは言っている。

そういうことで、夫の地域の友人や
遠い親戚に夫の死を知らせるという考えなどは全くない。
だが、日本の葬送の常識とされている儀礼的挨拶として、
上記のA子さんのような状況に陥ってしまう可能性が高い。

そこで、本人が生前に書いておく自分の死亡通知を
死亡後すぐに投函しておいたほうが効力を発するのではないかと思う。

だが夫は自らの死亡通知書く気などさらさらないし、
私が「自分の死亡通知を早く書いておいて・・」などと言ったら
気を悪くすることは間違いない。

そこで、夫の死亡通知の代筆をすることにした。
その通知を投函する頃には夫はこの世にはいない。
私が何を書いても構わないわよね。(^_^;)



----以下とりあえずの文案-----








 わたくし、○○○はこのほど○○○○(※死因)

によって、異界へと旅立ちました。

 深い親交のありました貴方様へ謹んでお知らせし、

また、長きにわたって賜ったご厚誼に対し、

厚く御礼を申し上げます。

 なお、少々思うところあり、

葬儀とそれに関連する供養等の

宗教的行事は一切行わないよう、

遺族の者に言い残してありますので、

家にお越し頂きましても、

仏式による仏壇も遺影も位牌も後飾りもお線香の

用意もございませんので、

お焼香はもとより、ご香典、供花等をお携えになっての

ご弔問は固くご辞退申し上げます。

 更に、わたくしの遺骨は粉砕して生れ故郷の空と

長年住み慣れた我が家の近くの

海への散骨を遺族に依頼しておりますので、

数週間後にはわたくしは数多の灰となって

大海と大空を自由気ままに漂っております。

 ふと海を見たときや空を仰いだときに、

一瞬だけでも、わたくしを思いだして頂けましたら

それだけで十分であり、嬉しく思います。

 では、一足お先に行って参ります。

 貴方様と異界で再会出来ますことを

楽しみにしておりますが、焦らず慌てず、

こちらにはごゆっくりと参って頂きたく思います。

 従いまして、この生前に書き置きました

お礼状を兼ねました死亡通知が貴方様との

最後のお別れということになります。

 わたくしのようなわがまま者との長きに渡るご親交を

本当に本当に感謝致しております。

 生前はありがとうございました。

20××年○○月○○日 吉日




あなたとの永別離(わかれ)を後悔しないため今も夫婦で在り続けている
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tag : 直葬 無宗教 遺志 香典額 家族葬 エンディング・ノート 終末期 葬送 遺産相続調停 祭祀権問題

体罰という名の暴力がまかり通る日本文化の恥について考える。
昨今、次から次へと体罰問題が表面化してきている。

今から約半世紀も前の話ではあるが、
私が小中学生の頃も、極一部の教師の体罰は日常茶飯事であり、
私には教師という立場の特権を利用して、自分のストレス解消のために、
抵抗できない児童生徒への暴力行為を体罰の名を借りて発散しているようにしか見えなかった。

半世紀以上を経ても尚、社会的弱者である子どもたちの置かれている立場は
なんにも変わっていないのねぇ・・。
それも、これも、日本人特有の「ことなかれ主義」と「なあなあ主義」に代表される、
曖昧模糊好きの結果でありましょうか・・。


先日の朝日新聞でセルジオ越後さんが、
「残念だが、体罰は日本の文化の一部になっていると思う。
ブラジルで指導者が選手を殴れば、殴り返されて大乱闘になる。
日本では、アントニオ猪木さんにビンタをされるイベントで行列が出来る。
考えられないですよ。」とのコメントを載せていた。


そんな中、『体罰の会』という不思議な感覚をお持ちの有識者?団体があることを知った。



本気で『体罰は教育です!』と考えている人たちは誰なのさ?
と、発起人名簿と理事・顧問 名簿と後援者を見たら、
このメンバーなら、なるほどね。と思ってしまった。

顧問兼支部長である戸塚宏氏の後援会長は石原慎太郎氏であり、
体罰の会のシンポジウムでは、「私は戸塚さんの後援会長をまだやっている。
彼の言っていることはすべて正しいと思っている。
小さい頃に肉体的な苦痛を受けたことがない人間が社会に出て増えていくと、
ろくなことにならない

と、発言しているそうな....。


『体罰の会』では、他にも教育基本法から体罰を禁止するという
体罰禁止規定の削除を求めて署名活動までやっていて、
学校で教師が体罰を妥当と思えば、気の済むまで
児童生徒に体罰という名の暴力を振るっても良いということにしたいらしい。
戦前や戦中じゃあるまいし、いまどき、『体罰は教育です!』と
本気で考えている著名人がいるということは、
スポーツ部の顧問教師の体罰による自殺者が出ても
不思議でもなんでもない。


体罰の会は『子どもには体罰を受ける権利がある』と主張している。

mudai
「体罰は教育」
「いかに多くの罰を受けたかが優しさを決めます」
「人のことを思いやる力をつけるには、体罰は最も有効です」

だってさ・・・(ーー゛)
よしこさん。冗談はよしこさん。だわよ。

体罰という恐怖支配で、
自分の果たせなかった夢を生徒や教え子に賭けたり、
生徒が自分の思い通りにならないからと、
己がストレス解消のための殴る蹴るの暴力と
パワハラ的暴言で一生消えない屈辱を強いて、
思い通りにすることと、真の教育とはまったく別物だと私は思う。

また、今話題の『女子柔道告発 スポーツ文化の問題として検証を』についても、
『体罰の会』の発起人と理事・顧問の方々には、
桑田真澄さんの経験を踏まえた体罰についての思いを記した
記事の奥深い部分を読み取って欲しいところだが、無理かもね。
だって、頭の中が『体罰は教育!』になっちゃってるらしいから・・。


だが、私は桑田真澄氏の言うことを全面支持するので、
ここに引用して置こうと思う。

「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」

【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。

 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。

 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。

 体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。

 ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。

 私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。

 指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。

 今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。

 「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。

 体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。

 「極限状態に追い詰めて成長させるために」と体罰を正当化する人がいるかもしれませんが、殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。「愛情の表れなら殴ってもよい」と言う人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。伝わるかどうか分からない暴力より、指導者が教養を積んで伝えた方が確実です。

 日本のスポーツ指導者は、指導に情熱を傾けすぎた結果、体罰に及ぶ場合が多いように感じます。私も小学生から勝負の世界を経験してきましたし、今も中学生に野球を教えていますから、勝利にこだわる気持ちは分かります。しかし、アマチュアスポーツにおいて、「服従」で師弟が結びつく時代は終わりました。今回の残念な問題が、日本のスポーツ界が変わる契機になってほしいと思います。

   
ムチ振るいそれらを愛と言うもなおそこには憎悪と悲しみしかなし
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tag : ことなかれ主義 なあなあ主義 セルジオ越後 女子柔道告発 戸塚宏 体罰は教育です! 体罰という恐怖支配

死ぬ時節に死ぬがよく候。これ災難をまぬがるる唯一の妙法にて候。
先日、買い途中に、散歩中の御近所のSさん(90代)に出会い、
ひとしきり、世間話をして別れた。
それがSさんとの最後の会話になるとは夢にも思わずに・・

そのときにSさんが言っていた言葉が、今も脳裏を過る。

「私ね。もう9?歳なのよ。いつお迎えが来てもおかしくない歳でしょ。
だからね、いつも、良寛さんの『災難にあう時節にはあうがよく候死ぬ時節に死ぬがよく候
これ災難をまぬがるる唯一の妙法にて候』を毎日復誦しているのよ。ホホホ」


翌日の明け方、早起きの夫が、寝坊助の私を起こしに来た。
「おい大変だ!Sさんの家から火柱があがっているぞ!」

為す術も無く、我が家の2Fのベランダから、
Sさんの家の鎮火するまでを見つめているしかなかった。
Sさんが火災から無事に逃げだせたことを祈りながら・・・。




だが、残念ながらSさんは焼け跡から焼死体で見つかったと翌日の朝刊の地方版に載っていた。
ショックだった。

例えばSさんが病気で余命幾ばくもない状態であったとか、
また年齢的に老衰で亡くなったとしたのならば、
少しは諦めもつくが、死因が焼死とあっては、なかなか受け容れられない。


なにも、
災難にあう時節にはあうがよく候死ぬ時節に死ぬがよく候
これ災難をまぬがるる唯一の妙法にて候』を私に教えてくれた次の日に実行しなくても・・
と思いながら、検証が終わっても尚、焦げ臭さの残るSさんの家の門の前に花を供え、
合掌して来た。




災難にあう時節にはあうがよく候死ぬ時節に死ぬがよく候
これ災難をまぬがるる唯一の妙法にて候』は、
江戸時代の曹洞宗の僧・良寛が、
近くで大地震が起きた年に知人にあてた見舞い状であるらしい。
また、良寛は自身のことを「僧に非ず、俗に非ず」と言いきり、
酒も煙草も嗜んでおり、晩年には40歳も年下の尼僧と恋に落ちたりと、
あるがままの人生を謳歌したらしい。

自分を良く思われようと体裁を繕うことなく、「僧に非ず、俗に非ず」で、
自然体そのもので生きた人だったのかもしれない。
  

私には崇高な死に関する理念や確たる死生観があるわけでもなく、
また、哲学者や宗教者でもない。

「苦しければ苦しい!と喚き、穏やかであれば、そのまま穏やかに、
つまり、そのときのありのままの姿で死んで行けば良い・・」と、
良寛は言っているように解釈した。


また、昭和を代表する傑僧の一人、澤木興道
「よく死ぬことを心配する奴がある。いや、心配するな。死ねる。」
と境涯を獅子吼したという。


100%の確率で人が死ぬのは自然の理である。
例え大金持ちでも、功成り名を遂げた人でも、
大統領でも首相でも、成り金狸爺も、屁理屈婆も、
超美人も、それなりの顔の人も、利権を貪る族議員たちも
オネエの方々も、人間ならば、
いつかは誰もが必ず死んでゆかねばならない。


六十路になった今、、
「死ぬ時は嫌でも死ぬのだからしかたがない。」
と折りあるごとに自分に言い聴かせているのだが、
無欲にも無心にもなれず、ありとあらゆる世俗の煩悩に支配され、
まだまだ、自分が寝たきりになることも、
死ぬ覚悟も50%ほどしか出来てはいない。


朝、目覚めると、
「あ・・・なんとか今日も生きられる。あー良かった♪」
と呟き、布団の中で一時間ほど、
今日一日のやりたいことの予定を練るのが日課なのであるが、
日中は、あれやこれやとバタバタしているだけで、気が付けば夜・・。

何の達成感もなく、
残り少ない生の時間を虚しく浪費している感覚に襲われているが、
他人様もこんなものなのだろうか?

もし、私が生きているうちにIPS細胞が臨床治験を経て、
実用化されたとして・・
ある程度の不老が実現したとしたら、世の中、老人ばかりが溢れてしまい、
順番に死んで行ってくれないと、これまた、社会は現在以上に困ったことになる。

そこで、『死ぬ時節に死ぬがよく候。』を思い起こす。


良寛澤木興道も僧ではあるが、
私は現在の葬式仏教に見る金儲け主義の僧ではなくて、
彼らを思想家or哲学者として捉えることにしている。



死は遠い遠い未来の出来事ではなくなった六十路の私。
その日は明日来るものだと思っていれば、
否が応でも、老いと死の現実を見つめなければならない日々を
少しは落ち着かせることが出来る。

私は魂も霊も輪廻転生も、
ましてや超ひも理論による異次元世界(俗にいうあの世)
の存在も信じてはいない。
「死んだら・・おしまい」の死生観で生きている。

人生なんて、災害や事故に会わずになんとか生きられたとしても、
たかだか80年ほどでしかない。

そして、やがて、そのときが来たら・・・・・

良寛さんの言う通り、

災難にあう時節にはあうがよく候死ぬ時節に死ぬがよく候
これ災難をまぬがるる唯一の妙法にて候

の気持ちでもって、オババタリアンの図々しさと鈍感力で開き直って、
最後の最期まで生き抜くしかない。


しばらくはこの良寛の言葉を鸚鵡返しのように復誦して、
我がそのときの覚悟を100%に近づけたいと思う。
そうすれば、日がな心がバタバタしない、
穏やかで安寧な本当の老後を手に入れることが出来そうな気がする。

とは思うんだけど・・

嗚呼、、、、、、困ったことに、
また、無心と無欲には程遠い世俗の煩悩の波が押し寄せてきたわ・・・。

いままでは人のことだと思うたに俺が死ぬとはこいつはたまらん    蜀山人の辞世
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 良寛 澤木興道 災難にあう時節にはあうがよく候 死ぬ時節に死ぬがよく候 これ災難をまぬがるる唯一の妙法にて候 輪廻転生 超ひも理論

アルジェリア人質事件に思う・・「テロと断固戦う」と「人命確保が最優先」は両立しない。
私の若かりし頃のカラオケの十八番(おはこ)は「カスバの女」だった。
今も湯船に浸かりながら歌う歌は「カスバの女」が多い。

妖しい雰囲気が漂う夜のカスバの街を想像しては、
荒んだ生活の中でも開き直り、強く逞しく、
今を生きるために外人部隊との一夜の恋をくり返す・・

そんな、どこか切なく哀しいフランス人女性の物語を想像しては、
若き日の私はそんな刹那的生き方に仄かな憧れを抱いていたものだった。(^_^;)



そんな、どうでもいい昔話はさておき・・・


先日、日揮本社の近くの某所に用事があって、その前を通った。
そのときに見た、道路を埋め尽くすかのような献花の花々はもう片づけられたのだろうか。

洪水のごとくにやってきて、潮が引くように消え去ったアルジェリア人質事件の報道・・。

地の果てアルジェリアで予期せぬテロで無念にも命を落された方々には、
「どうぞ安らかに・・」と祈るしかないが、日揮は民間企業である。
報道では後進国への貢献という言葉が何回も記述されていたが、
私には、貢献というよりも自社の利益の為でしょ?としか思えなかった。
その自社のために働いている人々の死に対して、
まるでお国のために犠牲になったかのような扱いと、
国を挙げての仰々しい国葬のような対応振りには少々の違和感を禁じ得なかった。

不思議なのは、個人が紛争地にボランティア等に行って、
武装テロ集団に人質になっても殺害されても、
自己責任だと国からも世間からもバッシングされるが、
プラント建設大手企業の社員であれば、
自己責任も自社責任も問われることないのはなぜなのだろう。

尚且つ、アジア訪問中の安倍首相は人質事件の報を受けて、
急遽アジア歴訪の最中、インドネシアでの演説を中止して、
早く自分が帰って指揮を執 った方がいいと帰国したが、
帰国しないで政府の留守番役の一人にでも任せるのが筋であり、
さっさと帰ってくるなんて、訪問国に失礼ではないのだろうか。

だが、そのインドネシアでの演説中止、即帰国は、
首相自身の保身のためだったのだろう。
なにしろ、インドネシアの宗教は国民の大多数である約76.5%がイスラム教を信仰しているのだから・・。
もし、インドネシアに残り、演説をしたとして、
アルジェリア人質事件=イスラム過激派に触れないわけにはいかない。
そこで、自国での陣頭指揮を理由に早々にインドネシアから逃げ出してきた、
のが本当の理由かもしれない。


それに、アジア歴訪の際の会談に何らかの成果があったのか?
もしくは成果は何もなかったのか?も
一切報道されないのも不思議でならない。



確かに・・犠牲になられた方々は企業戦士ではあるけれど、
危険手当を含めての月収が300万円と聴いてびっくらこいてしまった。

だって、我が夫婦合わせての一年分の年金額よりも多いのよ・・。。


そりゃあ。月収が300万円だったらリスクを承知で、
地の果てアルジェリアに赴任する人もいるわよね。

もし、我が夫婦が若かったら、そしてもし、そのときに夫が日揮の社員だとしたら、
例え地の果てアルジェリアだろうが、そこがテロの巣窟だろうが、
貢献とかいう綺麗事ではなしに、「月収300万円」に心を奪われ、
「あなた、行きなさい!」と叱咤激励していたことだろう・・。


だが、月収300万円は正社員だけであり、
協力会社という、実際には協力会社=下請会社の人の賃金はもっと安くて、
もちろん、ピンハネされているのだろうが、そのことはメディアも報道しない。

また、安倍首相は「テロと断固戦う」「人命確保が最優先」を声高に叫んでいたが、
アルジェリア政府は「テロとの戦いを優先する」姿勢を崩す気はないのだから、
日本政府は邦人の「人命確保」に向けて、
武装テロ集団との直接交渉のための接触が無理であれば、
テロ集団との何らかの繋がりのある諜報組織との接触を画策したり、
それが無理なら、アルジャジーラやアルジェリア国内のメディア等を通じて、
武装テロ集団身代金交渉をする心づもりがあったのか?
といえば、そういうことを実行しようとした形跡などは一度もない。

アルジェリア政府と同様に世界の各国が
「人質の人命確保」より、「テロと断固戦う」を優先している今、
日本だけが、あのダッカ事件(犯人が日本人だとしても・・)のときのように、身代金を払いでもしたら、
世界から相手にされなくなることは重々承知していて、
夏の参院選に向けて、一国のリーダーに相応しい人間に思われようとして、
国内向けにだけは「人命確保が最優先」を叫んではいるが、
結局は、異国での金儲けが最優先で「そこで働く人の生命などなんとも思っていない」
ことが露わになっただけのことなのよね。



日本の治安感覚と世界の治安感覚は全く違うらしい。

先日、アルジェリアの隣国チュニジアに観光旅行に行ってきた人が言うことには、
町の至る所に重装備の戦車が止まっていて、政府軍の兵士がそこかしこにいて、
町中での写真撮影は一切禁止であり、
無人の砂漠しか写真撮影は許可されなかったそうな・・。

「テロと断固戦う」と「人命確保が最優先」は誰が考えても両立しない。
もし、日本人を保護するという目的で自衛隊を派遣するような法改正が為されたら、
イスラム世界との終わりのない軋轢を生み、
日本本土までもテロの標的になるかもしれない。
なにしろ、日本にはテロ攻撃の標的として最適な原発が53基もあるものねぇ。
使用済み燃料棒を保管してあるプールが集中的にテロ攻撃で破壊されたらどうなるか?
それこそ、ハゲタカとシロアリだけの間で経済が廻り、下々の民にはなんの恩恵もない
経済成長なんか到底成就するわけもなく、結果、日本沈没よね。

これから、原発テロに備えるらしいことが新聞に書いてあったが、
その備えの完成までに、いったい何年、否、何十年かかることやら・・・(ーー゛)

我々日本人は、咽喉元過ぎれば熱さなどすぐに忘れる国民性らしい。
福島第一原発事故も然り・・
今現在の福島第一原発の原子炉の中はどうなっているのだろうか・・?

私は今、「カスバの女」をハミングしながら、一生行くこともないであろう、
遠い遠い異国であるカスバという城壁の中の街と、
福島第一原発の原子炉の中を想像している・・。

千年を経ても地の果てのアルジェリアにはジハード色の風がただ吹き抜けてゆく
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

tag : カスバの女 アルジェリア人質事件 武装テロ集団 身代金交渉 チュニジア 原発テロ

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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