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歳のせい?やたらと目に付く「医療機関への疑い本とガン検診と抗ガン剤治療を否定する本」
今年の一月に知人女性(60代前半)が
特定検診のオプションで肺ガン検診を受けて肺ガンが見つかり、
入院して術後に抗ガン剤治療をしていた。

ガン告知まで本人には自覚症状は全くなく、煙草も吸わないし、
人一倍、健康にも食事にも気を付けていた人であったが、
入院してからはあれよあれよという間に身体機能が衰弱して、
3ヶ月後にはあっけなく亡くなってしまった。

ガンにも種類があるらしいことは知ってはいるが、
治療をすればするほど体が衰弱していく彼女の姿を見ていて、
彼女がもしオプションの肺ガン検診を受けなかったら・・
人工的身体内部外傷を作る手術を受けなかったら・・
苦痛のみの抗ガン剤治療を受けなかったら・・
もっともっと体力を維持できて、ガン告知と言う精神的苦痛にも囚われずに、
もっともっと心穏やかに生きられたのではないか?と思えてならなかった。

最近、私自身の加齢による身体的不調と、
近年相次いだ身内や友人、知人の死で、やたらと医療関係の本や
ガン検診の否定本やガンは治療せずにと共存して生きよ!
的な新聞広告が目に焼き付くようになった。

それでも、国と行政は盛んにガン検診を推進し、
未だに「早期発見、早期治療」神話を宣伝している。
逆に一部の医師やジャーナリストは
ガン検診とガン治療を否定したほうが良いと内部告発のように語る。
この情報過多の時代にいったいどちらが真実を言っているのか?は、
改めて考えるまでも無く自明の理。


人は誰しもが死に向かって生きている。
死は無理に抗ってもしかたのないことでもある。
だが、私は前述の知人女性のように
死に至る過程で心身ともに苦痛のままで死にたくはない。
つつましく密やかな人生ではあったけれど、
己が生を全うして穏やかに死に行くためには、
もし、ガンに罹患していてもガン検診もガン治療も
受けないほうが良いに決まっている。

あの...過去に何度も何度も経験した、
「ガンの疑い有り」で精密検査の結果が出るまでの、
目に映る景色がカラーではなくて、
すべてモノクロに変化してしまった日々のことを思うと・・。

とは、今は思ってはいても
次回の特定検診の際には、高額なガン検診オプションは受けないけれど、
恒例になっている無料オプションの肺ガン検診と検便だけで済む
大腸ガン検診だけは受けるのだろうな。(^_^;)
嗚呼、なんという意思の弱さなのかしら・・・。(>_<)
130330r
惑い風が運んできたらしはなびらがひとひらふわりと目の前過る


追記

六三四の母ちゃん様へ。
ご親切に腰痛の対処法を教えて頂きまして、
本当にありがとうございました。
さっそく、実行に移しましたところ、
あら、なんだか少し楽になったような気が・・・ヽ(^o^)丿

「六三四の母ちゃんの雑多な日記」の中の記事。
「いかに腹筋をつけるか??」もたいへん参考になりました。

今まで時間とお金をかけて牽引に通っていたのは
いったいなんだったのでしょうね。
私は医者の“おいしい"お客様だったのでしょうか・・

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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 特定検診 抗ガン剤治療 早期発見 内部告発 ガン検診オプション

腰痛に牽引療法は意味がない。
骨粗鬆症が原因の腰椎の変形による腰痛(医師がそのように言った)のため、
昨年の5月から近くの整形外科で週に3回の負荷20㎏の牽引を受けていた。
その医師の言うことには、「牽引で腰痛が完治することはないけれど、
少しは痛みが和らぐ人もいるので、しばらく牽引を続けて見てください」
とのことだったので雨が降ろうと槍が降ろうと週に3回真面目に牽引に通い、
骨粗鬆症薬も服用していた。
そして、2月末の骨密度計測結果では同年齢比で92.4%しかなく、
骨粗鬆症薬もまだ続けるように指示された。
確かに牽引直後の10分程は痛みは消えるが、家に着くとまた痛みがぶり返す。
の繰り返しで、なんだかなぁ・・・と思いながらも、
少しでも痛みが軽減するならばと牽引に通っていた。

そんな折り、以前に整形外科系の手術を受けた医師のところへ定期診察に行って、
腰痛のことを訊ねたら、「腰痛に牽引療法は意味がないですよ」と一笑に付されてしまった。
同医師による腰のX線画像の診断では、
「あなたの腰痛の原因は椎間板の初期段階の変形なので
エクササイズで痛みは和らぐはずです。」
とのことで、腰痛エクササイズを習ってきた。
それに、骨密度検査もしたら、
同年齢の人に比べて骨密度101%もあるので骨粗鬆症薬を飲む必要はないですよ。
とも言われてしまった。
どちらの医師の言うことを信じるか?
と言われれば私は後者の医師を信じるしかない或る理由がある。

2件のクリニックでの骨密度の検査方法の差もあるのかもしれないが、
牽引に通うのは時間の無駄と割り切り、今まで通りにプール通いを続け、
家で椅子に座っているときなどには、背中を丸めてボーっと座っていないで、
常に腰痛エクササイズを行うようにした。

もう牽引には行かない!と決めた数日後。
2013.3.24の新聞の「腰痛2800万人・・8割原因不明・・・心の悲鳴かも」
の記事が目に止まった。
ここにも、腰を引っ張る牽引療法は根拠なしと出ていた。
この記事にも後押しされ、牽引とは完全に縁を切ることにした。

ただ、この記事を読んで気になったことは、厚生労働省研究班の調査であることと、
主な腰痛治療のお勧め度の「強く推奨」の一番上には抗炎症薬、鎮痛薬と書いてあるので、
厚労省としては製薬会社を儲けさせることが優先されるのだなぁ。
と相も変わらずの体質に逆の意味で感心してしまった。

それにしても、一番辛いのは調理の際に台所に立つ時。
家庭菜園が趣味の夫が嬉々として収穫してくる野菜を調理しなくてはならない。
頻繁にチラシが入ってくる夕食宅配を頼みたくても、
そんなことは夫には死んでも言えない。
もしかしたら、私の腰痛は椎間板の初期段階の変形による痛みは10%で
残りの90%は夫へのストレスが痛みの要因なのかもしれない。
この腰の痛みとは夫へのストレスとともに生涯付き合うのだろうか・・・?

激痛に似た哀しみが襲う日は美しき残生を・・などとは思っていられぬ
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

tag : 骨粗鬆症 牽引 骨密度

寝たきり90歳女性「もっともっともっともっと生きたいの・・」
友人A子の御母堂様(90歳)は特養の空き待ちで
現在は老人保健施設に入居されている。
昨年までは介助者付きでの車椅子での外出も可能であったが、
今年になってからは徐々に衰弱してきて、
本当の寝たきり状態になってしまったそうな。

以前の月に一度の介助者付きでのデパート等への外出の折りには、
「この歳まで生きたんだから、もういつ死んでもいいわ。
早く、あの世のおじいさんがお迎えに来てくれないかしら。
もう生きるのに飽きちゃったわ。
だから、そのときがきたら無駄な延命なんて絶対にしないで、
静かにあの世に行かせてね。オーホッホ」

等々の軽口を叩いていたのだが、寝たきりになった途端に・・

「まだ死にたくないの・・。もっともっと生きていたいの。
今までなんとなく信じていた冥土極楽なんて場所は
本当はおとぎ話の中の世界なんじゃないかと思うのよ。
きっと、極楽天国も実際には何処にもないのよ。
ワタシ・・焼かれて骨になっておしまいなの?
この部屋の窓から見える桜が全部散ったらワタシは死ぬのかしら・・
嫌よ!そんなの絶対に嫌だわ。
もっともっと、もっともっと生きたいのよ。
お願いだから必ず延命治療をしてね。」

とA子が会いに行く度に懇願するようになったらしい。


母親が寝たきりになる前のA子は、
「ハイハイ、お母さんはもう充分に生きましたです。
平均寿命も過ぎたので、もう生きる時間については元を取りました。
近いうちにお父さんが必ずお迎えに来ると思います。
その折にはいつでもご自由に、
心おきなく彼の世のお行きくださいませ。イーヒッヒ」

などと、冗談風な口調で受け答えをしていたのだが、
今は、「死」という言葉は禁句になってしまったのだという。

御母堂様は今、間近に迫りつつある死という絶対的恐怖の中で怯え、
右往左往している段階なのだろう。
今の段階が過ぎれば、再び死を受け容れ、そしてまた否定の段階に入る。
彼女の場合は、死ぬまでその繰り返しなのかもしれない。

世間では、高齢になればなるほど死への恐怖は消え失せて行くかのごとく
思われている部分もあるが、
何歳になろうと死への恐怖が消滅することは有り得ないと思う。

よく高齢者が「いつ死んでもいい」などと平然というのは、
悟ったわけでもなく、また死を受容しているわけでもなく、
切実な死ではない漠然とした死の不安に対しての
あくまでも他人事としての死であり、
また年長者としてのただの強がりであるだけかもしれない。
もし、何らかの病気で余命を知らされることがあったとしたら、
パニックになって、「死ぬのはいつも他人であり、わたしが死ぬはずがない!」
と死を全否定するのではないだろうか。

例えば明日、自宅で一人でいるときに脳梗塞や心不全で倒れ、
発見が遅れて、残念ながら生き返らない人や、
また、千年に一度の大地震が来て、一瞬にして大津波に吞み込まれ、
海の藻屑となってしまう人もいるかもしれない。

それでも、人間は多くの歳を重ねても、また死に近い身体状況に置かれていても、
自我が正常に働いている限りは、自分という人間が明日にはこの世にはいない。
などとは決して認知しないような都合のいい脳を持った都合の良い生き物なのかも・・。
130324r
無常花がはらりはらりと散ってゆく淡き夢さえ拒否するように
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tag : 死への恐怖 冥土 極楽 天国

新聞連載小説『聖痕』は予言の書だった?
朝日新聞朝刊の連載小説、筒井康隆氏の『聖痕』が終わった。
若いころから、筒井康隆氏の作品のファンだったので、
毎日楽しみに、第一回目から欠かさず読み続けてきた。
238回で了となったが、私には237回目の下記の文章については、
私が常日頃思っていることと100%共感、同感することなので、
「よくぞ書いてくれました!」と読みながら拍手を送ってしまった。
更に付け加えれば、古語の多用も勉強になった。

また、勝手に推測するに、
この小説の主題はこの部分に集約されていたように思えてならない。

なお、私には文才の一欠片も無いので、
敢えてここに一部を引用させていただくことにする。
最終回の238回目やその前のストーリーを読みたい人は、
単行本化されたら買って読んでね・・・。

「この災害と原発事故で、ぼくは人類の絶滅する時期が、
想像されていたよりもずっと早まって近づいてきたように思うんだ。
車の両輪のようになって自走してきた科学技術文明と
資本主義経済の破綻が今同時に起こっている
ことは間違いないところなんだし、
ヘーゲルがナポレオンの勝利を歴史の終末への転回点としたのとは
ちょっと違うけどこの大震災がまさに終末への折り返しの
時点だったんじゃないかとぼくは思うんだ。
今を境にして人類の衰退が始まり、
そして滅亡するんだという認識は災害以後多くの人が持った筈だが、
あまり誰も言わないよね。これからどうするかを、
誰かが考えなきゃいけないと思うんだ。
これからはやはり、リビドーや複合観念の呪縛から脱した高みで論じられる、
静かな滅びへと誘い、闘争なき世界へと教え導く
哲学や宗教が必要になってくるだろうね。
その場合にはナショナリズムを排除しなければ、
その布教を世界に敷衍することはできない筈だ。
どうせ滅びるなら仲良く和やかに滅びに到ろうではないかと諭すんだ。
飢餓による資源の奪いあいやナショナリズムが残るとしても、
キリスト教や仏教みたいに理想だけは高く掲げ掲げなきゃね。
日米関係もTPPも領土問題も最終的には食糧問題に包含され収斂される。
世界国家に領土は不必要という認識にまで登り詰めれば、
残り少ない食べ物を分けあいながら、
幸福に、そして穏やかに滅亡していけるだろうよ。」



ただ、弟の祖父殺しについては最後まで彼の罪の贖いについて
詳細に踏み込まなかったことが少々不満ではあったが、
自己を犠牲として人類の罪を負ったキリスト=聖痕をもつ主人公の
贖罪羊(スケープゴート)故のことなのでありましょうか・・。
seikon
もう既にキャピタリズムは死にかけて幸追うほどに迫る終末
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tag : 筒井康隆 聖痕

未曾有の大震災から2年。さまよう心・・「会いたい、それだけです....」

会いたい、それだけです
気持ちは、ずっと変わっていません。1人だけ残ってしまった。
自分だけ生き残ってしまって、よかったのだろうか。
思いは、いまも消えません。

落ち着ける場所がないんです。
家がなくなってしまったからではない。
いるべきはずの家族がいないから。

ただただ、家族に会いたい。それだけです。

 

ただ、働く意味や、生きる意味がわからなくなってしまったという。

 
周りの方からは「奥さんや娘さんのお墓を守るのがあなたの役目だよ」
と言われることがあります。
でも、いまはまだ、道筋がみえないんです。

あれから2年がたち、みんなが復興に向かって動いています。
でも、私は家族を失ったという思いにとどまっている。
そんな気持ちを口にすることも難しくなっているように思う。

 
いまは更地です。でも、仕事から帰ってきたあと、夜にでも行く。
そこに行くと、家族と暮らした日々を感じることができるんです。




辛いわね・・・

そして、悲しいわね・・・






未曾有の大震災から、2年・・
人は時間を戻せないことを自覚しながらも、
過去を求めることを諦めるめることができない。

世の善良な人々は、彼の苦しみをどうすることもできず、
「奥さんや娘さんのお墓を守るのがあなたの役目だよ」
などと慰めてくれる。

だが彼は、屍になってしまった家族の抜け殻と対峙するよりも、
確実に家族の体温を感じていた、今は更地となってしまった
元、家のあった場所に行き、3.11前の日々を思い起こしては、
ただただ、呻き続けるしか、自我を正気なままで維持させる方法はないのかもしれない。

他人から、どんなに美辞麗句で慰められようとも、
また、彼がどんなに呻いても嘆いても、過去には戻れず、
家族はもう2度と、彼の目の前には帰ってこないことを知っている。
そして、あの2年前の、家族を奪って行った残酷な自然災害が、
今も「納得できない」ことを彼は行動で現し、
その行動の先にも、答えがないことを知りながら
「なぜ、我が家族がなぜ?」を、
自分だけが生き残ってしまった自責の念とともに
問い続けるしかないのだろう・・。



例えば、天寿をまっとうした老親の死ならば、
その死には納得が行くかもしれない。
だが、何の罪も犯していないのに、また何の落ち度もないのに、
自然災害での死という不条理極まりない命の消え去り方は
残された人にとっては、何年の時が過ぎ去ろうが、
決して受け容れがたい事象で在り続ける。

それでも残った人は、くじけながらも、何度も何度もつまづいても、
そしてまたふと、立ち止まり、亡き人々の記憶を胸に抱きながら、
生の意味を自問自答しながらも生き続けるしかない。

不条理な死で命を落された数多の人々の残した生と死の貴重な記録として、
また、知的財産として、それに決して無駄死にではないという事実を
無名の次世代の人々の心に確実に繋ぐためにも・・・。

2011.3.11PM2:46
東日本大震災と数多の命を奪った大津波、
そして、収束さえいつになるか判らない、
福島第一原発事故を私は決して忘れない。

くじけても泣きながらでも今ここに在る我が生を受け容れるしかなく
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テーマ : ひとりごと ジャンル : 日記

tag : 自然災害 知的財産 2011.3.11PM2:46 福島第一原発事故

この国の「壁」ひとりでぶつかってみた無名の青年は何を感じたか 
「衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるかやってみた」という動画を見ていて、
途中で画面がよく見えなくなった(〈1〉)。
どうしたのかと思ったら、涙がこぼれそうになっていたんだ。なんて、こったい!

 それは、ひとりの無名の青年が、
自分の選挙区の候補者たちのところに出かけて質問をするところを
(自分で撮影した)、
どう見ても面白くなさそうなドキュメンタリーだった。
そして、たいていの場合、候補者の事務所は、そんな青年の希望を、
時にむげに、時にやんわりと断る。気が弱そうな青年の声、断られてしまった後の徒労感。
ある事務所のスタッフは「マスコミじゃないんだから」と冷たく言い放つ。
それでも、気を取り直して、青年はまた別の事務所をひとりで訪ねる。
そして、この映像を見ていた者は、
突然、この青年がぶつかって弾(はじ)き飛ばされる「壁」の正体に気づくんだ。
実は、その「壁」に、ぼくたちみんなが弾き飛ばされているってことにも。

 ぼくは、この動画を大塚英志さんの書いた文章で知った(〈2〉)。
大塚さんが「ナベタくん(仮)」と呼ぶこの青年は昔の教え子で、
色々あって「バイトも辞めて」「微妙に引きこもり状態」の「ナベタくん(仮)」は、
特別な政治信条を持っているわけでもないし、誰かに頼まれたわけでもない。
「誰かの役に立つかもしれない」と思って始めたんだ。

 そして、彼は「見たまま、聞いたまま」をそのまま記録する。
そんな「ナベタくん(仮)」の動画を見た人たちは(少数だけれど)
「とてもすごいことをしているのかもしれない」とネットに書き込み、
大塚さんは「ぼくもそう思っている」と書いた。
うん、ぼくもそう思うよ。心の底から。

 「ナベタくん(仮)」がやったのは
「考える」ための材料を人びとに提供することだった。
彼が提供してくれた材料には、どんなマスコミも伝えられなかった、
貴重ななにかが含まれている、とぼくは思った。
そして、それを「ナベタくん(仮)」はたった一人で始めたんだ。


朝日新聞論壇時評からの引用終わり.....



つい先日の朝日新聞の論壇時評で取り上げられ、
また文化放送の午後の番組でも取り上げられていたので
You Tubeの「衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるかやってみた」
を視聴してみた。
予想通り、無名の青年の面会に応じたのは日本共産党の候補者一人だけ。
日本共産党以外の政党の対応はといえば、質問はおろか、
面会すら問題外!的な応対に、これが日本の政治家(まだ当選していないにも関わらず・・)
の真の姿なのだと思うと笑えてしまった。

選挙運動中だけは、散歩中の犬にまで、作り笑顔でヘイコラするくせに、
当選してしまえば献金という札束での支えが必要なほどに
後ろにふんぞり返るセンセイ様が多勢なのは世の常なので驚きはしないが、
選挙運動中という過程にあって、
候補者とそのスタッフたちも自分たちのことをいったい何様だと思っているのだろう。
未来の党の候補者に至っては、
「個人の質問に答えている時間はない!→叱責」だそうな。

何が忙しいんだか?私には見当も付かないが、
ナベタくん(仮)が撮影した動画は、You TubeにUPされ、
その動画を大手新聞と東京の民放ラジオ局が紹介もした。


もし、日本共産党以外の候補者が、10分程度でもナベタくん(仮)に会って、
質問に答えてあげていたら、高感度が増していたはずなのにねぇ。


それにしても、
衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるかやってみた」
のナベタくん(仮)は偉い!(*^^)v
私のような老い先短いバアサンでも、
「ひとりひとりが考え、行動に移す意義」を教えて貰ったような気がする。

ナベタくん(仮)には、
今夏の参院選でも是非「参議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるかやってみた」
を行動に移して欲しい。
私は東京第25区の住人ではなく、また、私の選挙区での私の一票は0.53票でしかないが、
ナベタくん(仮)のような青年がいれば、
政党としての姿勢と候補者の人柄
(国民目線か?経済界目線か?どちらでもなく私利私欲のみか?)
を見極めるのに非常に参考になることだろう。

確かに、たったひとりの人間の前に立ちふさがる壁は分厚く、
簡単にはじき飛ばされるかもしれない。
だが、自分の意思に因る行動によって、
その正体に気付いただけでも、
ナベタくん(仮)は人として数段も成長したことだろうと思う。

我が選挙区でもナベタくん(仮)みたいなことをしてくれる
勇気ある青年(乙女でもいいけれど)はいないかしらねぇ?
     キョロ (・.・ )( ・.・) キョロ
130307r
人の目に見えぬ壁などどこにもなくそれは諦観という幻影なのか
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テーマ : つぶやき ジャンル : 日記

tag : 衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか

檀家でもないのに本山の別院の修繕費用の請求書が・・終わらない祭祀権の余波
現在我が夫は遺産争族調停中であって、
本来すべき?故義母の3回忌をしていない。

調停が終わったら皆で集まって供養を兼ねた食事会でも・・・。
と、話だけはしてあったのだが、
普段は信心深くも無いのに、いつも世間の目を気にして生きている夫の次姉が
3回忌をしていないことを心苦しく思ったらしく、
わざわざお寺に「3回忌の供養を宜しくお願いします。」
の内容の旨の手紙とお布施を送ったそうな。

「長男であるあなたがやらないから私がやってあげたわよ。」
的な、自慢げな、また得意げな電話があったその3日後、
万単位の寄附のお願い=ダイレクトメールが我が夫宛てで届いた。

次姉からのお布施が届いたことで、
住職が急に我が夫のことを思いだしたのだろう。
ボケ田家の親族の中には供養のためと称して、
自ら進んでお布施を現金書留で送って来る者がいる。
もしかしたら、これからはカモネギになりそうな親族だと判断した?
のかもしれない。

遺産分割協議が終わったら、
○遺骨と位牌の維持管理費だけは、義母の遺産から20年間分を前払いで払う。
○改めて檀家契約はしなくても良い。

と、住職とは話は付いているのだが、
「本山の別院の修繕費用の寄附は維持管理費とは別・・」なのだろうか?

一度も行ったこともない、また私には生涯行くことも無いであろう
京都にある「本山の別院」とやらの修繕のための寄附金の要請・・。

一度寄附すると、折りあるごとに寄附金要請書が送られてくることは予想できる。
そういうわけなので、故義母の遺産の中から、今後の供養に必要な経費のために、
納骨堂の維持管理費用以外の費用分として、「供養基金」の設立を姉たちに申し出たが、
「私たちは他家にお嫁に行った立場だから・・」との理由で即却下されてしまった。


寺所有の墓及びロッカータイプの納骨堂を自分の意思で買えば
もちろん、檀家契約をしなければならない。
お墓参りが好きな人や、ご先祖様の位牌がある仏壇に合掌をかかさず、
また、あの世でのの存在や輪廻転生を信じている人であるのならば、
地上にお墓があることは喜ばしいことだろう。

だが、私のようにの存在を一切信じない者にとっては、
また、倹しい年金暮らしの身には、
寺の要請による寄附などは一番避けたく、迷惑この上無い支出の部類に入る。


生前に故義母から我が夫に墓守になって欲しい・・
との話も遺言も一切なかった。
推測でしかないが、大正生まれの故義母は、
我が夫は女の中の男一人として生まれた子どもであるがゆえに、
当然のごとくに、自分の墓守になってくれるだろう・・
の感覚だったのかもしれない。


寺の墓や納骨堂を買う前には、先ずは次世代の近親者に
檀家となって墓守になる意思があるかどうかの確認とともに、
維持管理費用を事前に託して置かなければ、
我が家のように誰かが一方的に負担を強いられることになる。



如何せん、故義父母の眠っている寺は新幹線と在来線を利用しても
約片道8時間もかかるので、到底日帰りでは帰って来られない。

いっそのこと、遺骨と位牌を引き取り、
遺骨は遺灰にして我が住まいの近くの海に散骨でもしたいけれど、
葬式仏教が収入の糧としている『彼の世輪廻転生の存在』
を信じ切っている?義姉たちが大騒ぎで抗議してくるだろう。


それでも、夫は「我が家は代々続く家でもなし、
守らなければならない家柄も由緒もお宝も何も無い。
それに、20年後には僕も姉たちも、
まだこの世に居たとしても、認知症か寝たきりになっているか、
もしくは、もうこの世には居ないだろう。
僕の両親の墓守は僕の代で断ち切るつもりだ。
妻であるあなたにも息子にも墓守をさせる気は一切ない。」
と言ってくれているので、少しは安心している。


まさか、遺産相続調停祭祀権問題でこんなに大変な思いをするとは
思ってもいなかっただけに、やはり、元気なときに遺言書を含む
自分のエンディングの希望を書面に残し、
話合いで祭祀継承者を決めて置いたりしておかないと、
残された者が金銭面と精神面で苦労することを再認識した・・。

お布施や普請のための寄附というのは、檀家のその時点での経済的状況により、
また、お気持ちで出せるだけの額を出せば良いはず。だと思うのだが、
檀家でもない我が家に「予め金額が決められている寄附」
の要請については今も納得がいかない。

誰しもが世間の罠に囚われて檻から出られず生を終えゆく
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tag : 3回忌 彼の世 輪廻転生 遺産相続調停 祭祀権問題 エンディング 祭祀継承者

「長生きしたけりゃ肉は食べるな」と「肉を食べる人は長生きする」(゚゚;)エエッ?
新聞に健康食品と健康に関する本の広告が載らない日はなく、
折り込みにもわんさかと健康食品のチラシが入って来る。
また、アンチエイジングに関する書籍の広告も目に付く。

それらの中で、先月、『長生きしたけりゃ肉は食べるな
の特大広告が目に付いたので、一応、切り抜きだけはしておいた。
だが、長寿の秘訣は肉にあり。100歳以上の長寿者は菜食主義者ではなかった。
と提唱される、医学博士の柴田博先生の『肉を食べる人は長生きする
という本も出版されていることを知り、
頭の中がなにがなんだか判らずに、
・・・( ̄. ̄;)エット( ̄。 ̄;)アノォ( ̄- ̄;)ンーーー?になってしまった。



増え続ける白髪・・
そして、老眼鏡なしでは本も新聞も読めない私。
長生きしたけりゃ肉は食べるな』には、
少しだけそそられたがキャッチコピーを全部読んだら、
購買意識は瞬く間にそがれてしまった。
なぜなら、私には自給自足の食生活をするほどの資金も体力も気力も無いから。

著者は御歳76歳になられる食養研究家であらせられるとか・・・
もし、若杉友子さんが現在100歳ぐらいで、元気溌剌のお身体であり、白髪もなく、
老眼鏡なしで新聞を読めて、自ら執筆された『長生きしたけりゃ肉は食べるな』であったなら、
説得力もあっただろうが、残念ながら76歳の女性ではあまり説得力はない。
それに、写真をみても、笑顔は素晴らしいが、ノーメイク?のせいか、
歳相応のお顔立ちと姿形であり、決して若々しくは見えない。
できれば、見た目の写真よりも、
体の中身の若さのデータを宣伝文に載せてほしかった。
また、不思議なのは、
『実は私の夫も、病院から余命2か月と宣告されたのに私の食事法を実践したら、
がんが消えました』と宣伝文に書いてあることだ。

ということは、ご自分だけはマクロビオティック食を実践していて、
ご主人様にはコンビニ弁当でも食べさせていたのだろうか?
もし、ご主人様が日々、妻である若杉友子さんの作った料理を食していたら、
ご主人様は初めから「がん」にはならなかったのでは?と思ってしまった。


ここでふと、2月16日(土)のラジオ番組(土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界)
の中で紹介されていた、御歳91歳になられるピアニスト『室井摩耶子さん』のことを思いだした。

以下、同番組の「□話の特集」から
 
 ストイックなピアノへの姿勢と向き合う為の、食生活も驚きのモノでした。
 なんと、朝に生肉、昼にステーキ、更にコンサートの前にも
 分厚いステーキを召し上がるとか!
 そして、ご自宅は、わざと階段を増やし日常での運動量を多くしているそうです。
 これが、91歳で現役、健康の秘訣なのかもしれませんね。 


健康長寿で現役の秘訣はと聞かれて、「肉食だから」。
肉食人種長寿族っていうんですよ。練習に集中したい時には肉食しなきゃダメ。
「肉からエネルギーもらうんですよ。






ピアノコンサートのある朝食には必ず血の滴るビーフステーキを
大量に召し上がってから体力勝負のコンサートに挑んでいらっしゃるそうである。
その言として、
『肉食だから3時間もつのよ、和食じゃ1時間で集中力切れちゃうのよ。』だそうな。


もし、巷に溢れる健康食品が万人に効くのであれば、
この世に不健康な人や寝たきりの人はいない。
また、健康本も然りで、書いてあることを実践して、万人が健康体でいられるのならば、
病院やクリニックも不要のはず。



ただ私は、『長生きしたけりゃ肉は食べるな』は売らんかな!
のスタンスが見え見えの過激なキャッチコピーだけしか読んではいないが、
加齢なる老後の道を突き進んでいる身としては、
信じる者は救われない的な、宗教的怖さを感じた危険な本に思えてしまった。

今まさにガンに罹患していて、藁にも縋りたい思いの人もいるだろう。

私の親戚の男性(享年42歳)は、肉好きな人であったが、
ガンで余命一年と宣告され、奇跡に賭けて、
藁にもすがる思いでマクロビオティック食を実践していたが、
医師の余命宣告通りに、ぴったり一年目に亡くなった。

他の知り合いの男性(享年50歳)は肉を含む洋食が嫌いで、
米食を中心とした和食一筋でタンパク質は魚と大豆製品から摂っていたが、
それでも、長生きも出来ずにガンで亡くなってしまった。


肉を食べても食べなくてもガンになる人はなる。


中には健康本を実践してみて、
多分1%の割合で体質に合致する人がいるかもしれないが、
巷に溢れる健康本は万人には当てはまらない。

有史以来人間は「不老不死」に恋い焦がれて、
あらゆる努力をして来たが、未だ「不老不死」は存在しない。
肉を食べる食べないに関わらず、
とにかく、食生活はバランスが重要であり、
それに加えて、個々人に備わった長寿遺伝子生活習慣
運(災害死や事故死に合わないような・・)が
寿命もボケるボケないをも決めるのではないだろうか。


ちなみに私は牛肉が嫌いで、ほとんど食べないが、
豚肉と鶏肉はほんの少しは食べるようにしている。
また、10数年前、オーストラリア旅行の折りにカンガルーの肉を食べたが
とてつもなく不味かった。

野菜であれ、肉であれ、「大地と他の命から我が命を繋がせて貰っている」
という感覚の許に、そのときに脳が欲する食物をバランス良く美味しく、
また楽しく腹八分目に食べれば良いのではないだろうか。
どんなに頑張っても、人間に不老不死はあり得ないのだから・・。

それでも、若杉さんの笑顔は素敵である。
肉を食べない食生活で100歳などと言わず、
110歳でも120歳まででも長生きされますように・・。(*^_^*)
sc
ヒトという貪欲な種は屠殺場の聖ヨハンナには決してなれない 
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tag : 長生きしたけりゃ肉は食べるな 肉を食べる人は長生きする 食養研究家 マクロビオティック食 室井摩耶子 肉食人種長寿族 不老不死 長寿遺伝子 生活習慣

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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