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『私は母になりました 野田聖子・わが子との愛と闘い871日全記録』を観て思う、母になるとは狂気なエゴなのか?
一昨日、金曜プレステージ『私は母になりました 野田聖子・わが子との愛と闘い871日全記録』を観た。

世間一般の不妊治療についても、
事前に複数の障害があると知りつつ出産を選ぶことにも、
幸せの基準は人それぞれであるので、
否定も肯定もするつもりは無いけれど、
この番組のタイトルは「私は母になりました」ではなく、
「私は妊娠出産を経験してみたかった」が正確であるように思えた。

番組企画は野田氏自身が自分からフジテレビに持ち込んだらしい。
それに、野田聖子氏がお子様に会いに病院に行ったときにだけに
テレビクル―が入る形になっていたのも見え見えで、
途中で覚めた見方に変わってしまった。
それに、他の入院患者にとっては病院内にテレビクル―が入るということは
さぞ迷惑極まりないことだと思えてならない。

私がたかだか2時間弱の映像により感じたことは、
小さな小さな体にくっきりと残る痛々しい手術の傷跡と、
その体を覆うかのように絡まるたくさんのチューブと、
今後も成長に応じて成人するまでは
数回の心臓の人工血管交換手術をしなければならないという
不憫の塊としか言いようのない幼子の姿と、
そして、我が子をまるでペット扱いするかのような母親の姿だけであった。

人によっては、野田氏は気丈なウルトラスーパー母親と映るかもしれない。
逆に「何が何でも母親になりたかった!」
という絶対我欲的執念に狂気を感じた人もいるだろう。


野田氏のお子様と同じ病を抱えた子を産んだ
無名の母親たちは共感し応援もするだろうが、
安易な共感は全く無意味である。
なぜなら、日本では違法なので米国まで行って
他人の卵子を500万円で購入しての
閉経間近の50歳での初出産という妊娠に至るまでの
異常とも取れるそれらの過程はもとより、
24時間付きっきりの子育てをするわけでもなく、
また、住む世界も生活レベルも180度もの違いがあることに
鋭く目を向けねば・・と思う。




入院中は看護師が世話をしてくれていたので助かっていただろうが、
政治屋はパーティやら談合やらの予算委員会以外の仕事で忙しいので、
退院しても自身の手で子のケアや育児をすることは無理だろう。
家賃100万円の広い家にすぐ引っ越しできる財力があるのだから、
ケア&ベビーシッター兼務の専属ナースを雇うことは容易いことだろう。



普通の母親たちは日々の触れあいの中で、
乳児の泣き声の強弱や高低などの微妙な変化で
そのとき何を欲しているのか?や
どういう状態なのかを判断できるようになるが、
普段から長時間乳児に接していなければ、
その判断はおぼつかない。
野田氏のお子様は母親と触れあう時間も少ない上に、
声を出して泣くことすらできない。
それゆえにお子様に接するときの態度や雰囲気がまるで他人事のように
そして、ペットに接するように感じてしまっただけなのだろうか・・。

私が長女を出産したときは某企業でのフルタイムの正社員であり、
2か月間の産休明け後には母乳はすぐに止まってしまったが、
仕事以外の時間はいつも一緒だったので、寝不足でフラフラになりながらも
なんとか子育てと仕事を両立でき、娘の泣き声だけで
何を欲しているかはすぐに判断できた。


複数の障害があることを事前に知りながら無理矢理に産み落とされて、
2歳までに9回もの全身麻酔による大手術を強いられ、
チューブに繋がれて無理矢理に生かされて、
気管切開をしているので泣き叫びたくても声も出せない幼子・・
私には「不憫・・」の一言しか出てこない。

このお子様は物心が付いたとき、
遺伝子的には野田氏と全く繋がっていない逆代理母のような存在の母を・・
そして、気管切開をしたために、常に酸素ボンベを携えながら、
成人するまでに数回は受けなければならない心臓の人工血管交換手術の度に
自分を産んだ政治家としての母親をどう思うのだろう・・


我が子のあのような生き地獄に世間に晒すことに躊躇している姿は見えず、
むしろ誇らしげであり、
「私は政治家と障害のある子の育児を両立しているスゴイ母親よ」
的な、選対用に利用できるならば、我が子の障害さえも利用する
政治屋の鏡と言えそうな野田氏の厚顔な面しか見えなかった。


それでも、妊娠も出産も個々人が自由に選択することなので、
「母になりたい」ことにとやかく言う資格はないが、
私は、野田氏はただ単に子どもを妊娠して生むという
その体験をしてみたかっただけのようにしか思えなかった。

それにしても、50歳での卵子を買っての出産といい、
複数の障害を持つ我が子を世間に晒す行為といい、
野田聖子氏は、私のようなへそ曲がり婆さんではない、
良識ある視聴者に何を伝え、何を訴えたかったのだろう?

野田氏のお子様の話は別にして、
健常者として産み落とされても、
親の虐待で命を落とす子どももいる。
障害を持って産み落とされても、
理解ある周囲の人々の真実の愛に包まれて
幸せな日々を送っている子どももいる。

母親として陣痛に耐えて命を産み落とすこととは?
命を育むとこととは?
子どもにとっての幸せとは?
そして、生きるとは?
いったいどういうことなのだろうか?
と、いささか考え込んでしまった・・。

ただ、野田氏のエゴにより、この世に産み落とされてしまったお子様には
何の罪も落ち度もないことを言い添えておきます。

「お母さん産んでくれてありがとう」の手紙貰ひし母の日遥かに
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 人工血管交換手術 気管切開 母の日

我が生のエンディングのためのセオリー

NHKスペシャル「家で親を看取る その時あなたは」

現在、日本人の8割が病院で亡くなり、“在宅死”はわずか2割ほど。
超高齢化が進む中、国は「看取りの場所」を「病院」から「在宅」へと転換する政策を打ち出した。
2012年を「地域包括ケア元年」と位置づけ、年老いても住み慣れた地域で暮らし、
最期を迎えられるよう、在宅医療や看護、介護サービスの整備を進めている。
「治療は終わったので病院以外で療養を」と早期退院を求められる高齢者と家族。
しかし24時間対応できるヘルパーや在宅医など、在宅医療を支える社会インフラは不足し、
家族は“老い”や“死”を受け入れられず、苦悩を深めている。横浜市で診療所を開く在宅医は言う。
「これまで医療は命を延ばすためのものだった。これから必要なのは“死に寄り添う医療”だ」と。
人口に占める高齢者人口の増加率が全国一の横浜市を舞台に病院や在宅医療の現場をルポ。
「在宅の看取り」に何が必要なのかを探っていく。



最近、抗うことのできない老病死の現実に向き合っているせいか、
この手の番組を録画して観る機会が増えた。

我が家の場合、夫婦ともに既に親はこの世にはいないので
「家で親を看取る その時あなたは」には該当しないが、
「家で夫を看取る その時あなたは」
「家で看取ってもらうとは そのとき私は」
の参考にしようと思った。


病院というサービス業においては、長期の入院患者では
徐々に点数が減って儲からない仕組みになっている。

そこで国は、病院を儲けさせるために、
これ以上の回復の見込みがないと思しき末期高齢者の患者には
「治療は終わりました。国の方針なので退院を!」と迫り、
今後は在宅で介護せよ!と言う。

介護する意思があり、尚且つ、介護者として体力のある家族がいて、
懸命に介護をしてもらって、そして、看取ってもらえるのであれば、
それは、世間的には天寿を全うした。ということで、
ある意味ハッピーエンドな最期と言えるかもしれない。

だが、終末期を介護してくれて、そして看取ってくれる人間がいない場合、
「家には誰もいない・・その時あなたはどうするのか?」
のほうが重要な問題提起のような気がした....。

前にも書いたが、死生観の違い?だろうか。
欧米諸国では嚥下力が落ちて、口から食べられなくなったら、
日本のように苦痛を長引かせるだけの延命治療はほとんどの場合はしない。

私の母の場合などは、嚥下力のなくなった母に対して、
近くに住み、尚且つ緊急連絡先になっている妹が、
医師からの胃ろうの是非について、
母の意思を確認せずに何の疑問も抱かずに胃ろうを承諾した。
胃ろうを付けてまで生かされる母の苦痛などは眼中になかったかのように・・・。

そして、母が胃ろうを付けて数年後・・・
何度も胃ろう設置後の逆流による誤嚥性肺炎に罹り、
ある日、その誤嚥性肺炎で呼吸が止まり、心停止してもなお、
妹の希望で蘇生措置として電気ショックによる心肺蘇生措置を施したが、
医師の努力も虚しく、あっけなく還らぬ人になった。
妹は、母に胃ろうを付けたことで数年間長く
母を生きながらえさせたことを誇らしく思っている。
最後の最後まで私が母を生かしてあげたのだと・・。


結局母は、「死はタブーである」と考えている、
世間の一般的常識というものを重んじる前向き指向の妹に
苦痛を強いられ、ただただベッドから天井を見上げるだけの
「自らの意思で生きている」とは言えないような、
「他者により生かされている」だけの状態で
無理矢理に肉体だけを生き長らえさせられた?
のかもしれない。



団塊世代の人々の多死時代を迎えつつある今、
病院では看取って貰えず、特養などの年金収入だけでも
なんとか入所できる介護施設も満員で入れない。

もし、私が運よく生きていればと仮定しての話だが、
2030年頃には私は死に場所のない後期高齢者になっている。
ゆえに戻れるところは朽ちかけたこの家しかない。
だがそこには家族はいない・・。
では、誰に看取ってもらえばいいのか?

介護保険での生活援助ヘルパーに来てもらっても、
生活援助の現行の45分では短すぎるし医療行為もしてもらえない。
また、30分延長すれば、その分は全額自己負担しなくてはならないし、
経済的負担ものしかかって来る。
訪問看護師も来てはくれるが、介護保険の支給限度額内で収めようとすると、
週に1~2回程度しか来てもらえないのが実情だ。

なので、24時間介護してくれる家族=看取ってくれる家族がいないときには、
45分間だけ滞在するヘルパーが看取りの綱だが
ヘルパーがいないときに突然容態が急変したら、
自力では電話も出来ない状態なのだから選択の余地はなく、
いわゆる孤独死をするしかない。


私自身は孤独死をそんなに恐れてはいない。
病院で苦痛極まりない延命治療をされながら死んでゆくよりも、
自宅で苦しまずに逝けるのならばそれでも良いと思っている。

遺体はいずれは発見され、孤独死として処理されて行政解剖されるかもしれないが、
そのような死に方も、国民の大多数が社会保障費がますます削られるのを承知で
低福祉社会を推進する政権を選択したこの国では人生のエピローグの迎え方として
孤独死を否応なく受け容れざるを得ないのかもしれない。

死に方のセオリーさえも拒否されし連続体としての生をもまた 
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tag : 終末期 団塊世代 多死時代 特養 介護施設 訪問看護師 孤独死 行政解剖 低福祉社会

政治家はなぜ靖国参拝にこだわるのか?
近隣諸国の怒りを買ってまで日本の政治家はなぜ靖国参拝にこだわるのか?
と政治家の靖国参拝が報じられる度にいつも思う。

一斉参拝に参加した自民党のお飾りおばちゃん議員であらせられる
高市政調会長は参拝後、
記者団に対し、韓国の尹炳世ユンビョンセ外交相が
麻生副総理らの靖国参拝を理由に訪日を中止したことについて
「日本の国策に殉じて尊い命をささげた方を、
どのように慰霊するかは日本国内の問題だ。
外交問題になる方がおかしい」と述べたそうな。


私のような無知で衆愚を自負する婆さんから見ても、
高市政調会長の言葉は、外交に関するコメントとしては、
はっきり言って不適切である。
こんな場末のブログで、バカな政治屋ねぇ・・
と言われても仕方がないわね。(`´)


靖国神社には君主に支配される者としての臣民という名の身分の許に、
戦争という国策に赤紙1枚で駆り出され、行きたくなどない戦場に行かされ、
自ら進んで尊い命を捧げたのではなく、単に国家に殺されただけに過ぎない人たちの
遺骨や遺灰があるわけではないと聞いている。
加えて、靖国神社にはそのような下々の民と一緒に14人のA級戦犯たちも合祀されている。

政治家の靖国参拝の度に近隣諸国が腹を立てているのは、
明らかに侵略戦争であったにも関わらず、
一般の戦没者たちと14人のA級戦犯たちが「英霊」として崇め奉られ、
一緒に合祀されていることが最大の理由なのだろう・・。



そして、戦後68年を経てもなお、
当時の君主であった昭和天皇とその子孫は一度たりとも靖国への参拝は
叶わぬようになった。


それでも政治家は靖国参拝にこだわる。
それはなぜか?

臣民であった戦死者たちを無駄死にであっても、
遺族にとっては心地の良い「英霊」という名の御魂に昇格させ、
今もなお太平洋戦争を聖戦だったとして正当化しようとする
闇の勢力の意図を汲み取るべく、裏で繋がりのある為政者たちが
靖国を利用しているだけなのだろう。
おまけとして、支持母体でもある神道政治連盟や戦没者の会である
日本遺族政治連盟の票も欲しいのでしょうよ。


更には、安倍首相は22日の参院予算委員会で、
1995年の村山談話についても
「安倍内閣として、これをそのまま継承しているわけではない」
との立場を明らかにしたそうな。


みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーに
私が0.53票の価値しかない投票権で選んだ人がいるわけでも無し・・

まぁ、参拝したけりゃお好きにどうぞ・・と、
無害な毒しか吐くことができないが、
更に毒を吐けば、
それにしても、なんとまぁ、
日本と言う国は人類が追い求め続けていても
果たし得ない素晴らしい理想国家であり、
世界に類をみない、美しい国なのでございましょうか・・。




以下、2013年4月24日『朝日新聞』社説


日本はいったい、何を考えているのか。
この国の為政者全体の国際感覚が、そう疑われても仕方がない。

 安倍政権の3閣僚に続いて、与野党の国会議員がきのう、大挙して靖国神社を参拝した。

 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」によると、
その数168人。人数の把握を始めた87年以降で最多という。

 政府や党の要職にある議員たちも多く加わった。
国会議員の参拝数は、昨年の同じ時期と比べると、一気に倍増した。

 隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない。

 参拝問題をめぐる日韓の摩擦の再燃について、
米国務省の報道官も「対話で違いを乗り越えてほしい」と苦言を呈した。

 自民党の高市早苗政調会長は「外交問題になる方が絶対おかしい」と語ったが、
それはあまりにも独りよがりの発想だ。

 外交とは、国同士の相互関係で紡ぐものであり、
一方が問題ないと片づけることはできない機微にふれる問題なのである。

 歴史問題をめぐる政治家らの思慮を欠く対応は、
私たち日本自身の国益を損ねている。

 北朝鮮に対する日米韓のスクラムでは、日韓のパイプが目づまりしてきた。
さらに歴史問題がこじれれば、軍事情報の交換をめぐる懸案の協定も結べず、
チームワークは進まない。

 日中韓をめぐっては、自由貿易協定論議が遠のくだけではない。
日本を置いて、韓国は中国への傾斜を強めている。

 来月に外遊を始める朴槿恵(パククネ)大統領はまず米国を訪れ、
その次は日本ではなく中国を考えている。
歴代政権で異例のことだ。

 北東アジアの多国間外交において、日本の孤立を招きかねない事態を、
安倍首相はじめ政治家はどう考えているのか。

 首相が立て直したと自負している米国との関係も誤解してはならない。
オバマ政権は従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」の見直しや
、尖閣諸島問題をめぐる不用意な言動を控えるよう安倍政権に警告してきた。

 国内の一部の感情を優先して近隣外交を揺らすような日本の姿は、
米国にとっても信頼に足る同盟国とは言えない。

 だからこそ安倍首相は2月の訪米時に、
アジアとの関係を重んじる決意を誓ったのではなかったか。
「地域の栄えゆく国々と歩みをともにしてゆくため、より一層の責任を負う」と。

 何よりも肝要なのは、中国、韓国との信頼関係づくりに歩を進めることだ。
国を思うなら真の大局観を失ってはならない。




生鼠貪るように食べたとう南方戦線から生還せし伯父は
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tag : A級戦犯 神道政治連盟 日本遺族政治連盟 みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会

年金パラサイト疑惑が原因の遺産分割調停が終わる
やっと、夫が申立人遺産分割調停が終わった。
というか、やむなく終わりにした。

結局は故義母が介護老人保健施設に入居
(本人の意思ではなく無理矢理に入れられた)
した時点から義母の預貯金の出し入れをしていた自称成年後見人
を名乗っていた故義姉の夫(遺産分割調停における重要関係人)が、
裁判所からの質問状に対して、最初から最後まで
「何も知らぬ存ぜぬ!」のスタンスを崩さないため、
しかたなく遺産相続調停を終了せざるを得なくなったのである。

夫は更なる真実を知るために審判まで持ち込みたかったらしいが、
弁護士が「ボケ田さん。審判に訴えても、相手の今までの態度からして、
これ以上の真実が明らかになる可能性は限りなくゼロに近いと思われます。
真実を知るために審判に持って行きたい気持ちはわかりますが、
これ以上長引かせるのはあまり意味がないように思います。
それにますます弁護料が増えるだけです。
この辺で折り合いを付けたほうが良いと思いますよ。」
と提案してきた。

夫は母の遺産をもっとくれ!ではなく、
いつも蚊帳の外に置かれていた立ち場としては、
母は本当に幸せな老後だったのか?
という事実を知りたかっただけなのだが、
既に死人に口なし。方や同居していた自称後見人はダンマリを決め込むだけ。
これ以上の真実も事実も引き出せないと判断して、
今回をもって、遺産相続調停の幕を引くことにした。

過去10年の取引履歴から故義母が、
本人が自分で預貯金を引き出して自分のために使ったとは到底考えられない、
と調停委員が認めた使途不明金は合計で○千万円ほどあったが、
相手側の代表として裁判所に来ていた代襲相続人の一人が
「父に訊きましたところ、一つの引き出し項目だけに関しては、
「そのお金は使っちゃいました」と認めていますが、
他の引き出し項目については全く知らないと言っています。
父が使ってしまったウン百万円だけは私がすぐ返します。」
ということになった。

無断借用を認めた一つの引き出し項目だけは弁済してもらうが、
頑として認めない他の引き出し額(横領分)は、
返済する気などまったくないと判断して、不問とすることにした。
そして、その弁済分の○百万円を遺産総額に組み入れ、
法定相続人全員で法定分で分けることにした。


「私は嫁に行った立場だから」と言いつつも、
生前の母を訊ねては、子どもの大学入学準備金だとか、
その他諸々の御祝い金、また、おねだりをして
百万単位の金額を貰っていた3人の姉たちは
遺産争族調停中には特別受益として、
自分たちの相続分から差し引かれるのではないか?
と戦々恐々としていたようだが、
夫はそのお金は生前の母の気持ちから出たお祝金として、
遺産争族の再燃と今後の姉弟間のわだかまりを避けるために、
特別受益としては繰り入れないことにした。
ただ弁護料だけは夫とその姉三人で負担することに同意してもらった。

故義母名義の土地については、
自称後見人を名乗っていた代襲相続人である二人の娘の内の一人が、
年金パラサイト父がそこに建っている家に住み続けてもらうために、
代償分割を申し出て来たので代襲相続人が相続することになった。

結果、今回の遺産分割調停で一番得をしたのは
故義父母と同居していた故義姉とその夫
(一番事情を知っていて年金パラサイトをしていた人物)
代襲相続人である故義姉の子ども二人だけであった。

という思いが拭い切れないが、世間でもそんなものなのだろうか。


夫は長姉が亡くなったときに、嫌でも代襲相続人になる長姉の二人の娘と
3人の姉たちに高齢の母が亡くなったときのことを話合っておきたい。
と声をかけたが、忙しいから・・の理由で全員に断られた。
という経由がある。

老親名義の土地に中高年の子ども(またはその配偶者)が
自分名義で家を建てるときは、
法定相続人が一人ならば何も問題は起きないが、
兄弟姉妹がいる場合は、親が亡くなった場合のことや
代襲相続人が発生した場合の相続のことまでを想定し、
そんなこと縁起が悪い!などと言わずに、
第一順位の法定相続人になり得る人たちが納得するまで徹底的に話合って、
署名捺印した同意書を残しておくべきだわね。


夫と一緒に常に調停に同行した隣の町に住む3番目の姉は、
「もう実家も無くなったことだし、
二度と、あんなに遠い故郷にも墓参にも行くことはないわ・・。」と言う。
かくして、夫も実家を失い、還りたいときに還ることのできる故郷も失い、
故長姉の家族との縁も切れた。
そして、故義父母の遺骨だけが今も故郷のお寺で
目覚めることのない永遠の眠りについている。

故郷の風の匂ひよ父母(ちちはは)よ 手をのべたくももう届かない
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tag : 申立人 遺産分割調停 成年後見人 法定相続人 特別受益 代襲相続人

77歳女性が色仕掛けで79歳男性から4億円をだまし取る。(゚゚;)エエッ? マジ?


77歳女性に4億円返済命令 交際男性への「色仕掛け」認定


 静岡市の男性(79)が、交際していた女性(77)に139回にわたり現金を貸すなどして
約4億円の損害を被ったとして同額の損害賠償を求めた訴訟で、
静岡地裁が17日までに、女性に全額の支払いを命じたことが分かった。
言い渡しは16日。女性側の弁護士は「コメントできない」としている。

 足立哲裁判官は判決理由で「ホテルで一緒に風呂に入るなど色仕掛けで
男性に好意を持たせて金を借りたが、返済する能力も意思もなかった」と指摘。
男性の日記の記述などから、「男性とは2回しか会ったことがない」
という女性の主張を退け、金を借りるなどしていたことを認定した。

 判決によると、男性は2000年6月に自分が大家を務めていたマンションに
入居した女性と交際を開始。女性は07年12月までの間に「借金を返さないと、
貸主の男性と結婚しなければならない」「習い事で必要な道具の支払代金が必要」
などと言って、借金や、金の無心を繰り返していた。

 男性は相続した静岡市内の土地を売却し、
親戚から借金するなどして女性に手渡す現金を用意。
女性は現金を受け取ると、高級外車や別のマンションを一括払いで購入した。




今朝の新聞で一番印象に残ったのがこの記事だった。(^^ゞ
なにしろ、静岡地裁が認定した「色仕掛け」なのだから、
余程の演技力と色技を持った婆さんに違いない・・。

77歳の女性といえば、
お色気からは完全に卒業して孫を可愛がる白髪のお婆さん。
の印象しかないが、罪は罪として償って貰うとして、
とてつもなく凄い婆さんが存在するものだ。
と別の意味で感心するとともに興味を持った。


70代女性は色気とは無縁、という既存の常識はもう時代遅れの考え方?
77歳で色仕掛けって、いったいどんなテクニックを使ったの?
被害者の男性は79歳だが、77歳お婆の色仕掛けには理性で抵抗できないものなのか?

好奇心をくすぐる疑問は尽きないが、
この女性は年齢的には完全に婆さんではあるが、
想像するにアンチエイジングの努力などしなくても
脳も体も若く、生のエネルギーと
性的エネルギーがあり余っている女性なのだろう。

日本は世界に例を見ない超高齢化社会を突き進んでいる。
今後も、お色気たっぷりの高齢者女性が、
妻がいても、「内の婆さんに色気など全く感じない・・」
と嘆く寂しい既婚高齢者男性や、もっと寂しい日々を送っている?
妻と死別、もしくは離婚をした独居高齢者男性をターゲットに
色仕掛けで迫って来る可能性も多いにある。

騙されたことに最後まで気付かない高齢者男性は
老いらくの恋で幸せな余生かもしれないが、
騙されたことを知ってしまったら、
一瞬にして生き地獄に堕とされてしまうので、
死ぬまで下半身の欲望支配から逃れられない高齢者男性は
老いらくの恋の罠にはくれぐれもお気を付けあそばせ。

生きているうちに使い切れないほど
お金が有り余っている人はこの限りではないので、
騙されていると気づいていても、あの世にお金は持っていけないので、
もう二度と訪れない老いらくの恋を十分にお楽しみくださいますように・・。

とにかく、大金持ちではない高齢者男性が
お色気ムンムンの婆さんと知り合い、
お金を要求、または借金の申し込みをされた場合においては、
このような、お色気ムンムン婆さんから見れば、
ただの美味しい獲物でしかないので、
振り込め詐欺と同様の性質(たち)悪い
金銭目的の詐欺師婆さんと普段から警戒するしかない。

それでも、幾つになっても恋は盲目・・
老いらくの恋は若き日の恋に比べて、生の残り時間が短いだけに
もっともっと盲目になり得る。
それに加齢により脳も老化しているので、怪しんでは見ても、
なかなか、騙されている!と気づかないものなのよね。


それにしても、男性に4億円も貢がせる
裁判所が認定した色仕掛けの内容(テクニック)
が気になってしかたがない。(ーー;)

60代の私としては、別にジャガーやベンツ、
BMWを運転したいとは思わないけれど、
「色仕掛けによるの犯罪」だけは別に考えても、
その気になって、姿勢を正してメイクもすれば、
私もまだまだ外見だけはイケるかも。(`´)
と変な勇気と自信を貰ったような気がする。(^_^;)

決して、色仕掛けによる金品詐欺という犯罪を
奨励しているわけではないことを断わっておくが、
77歳になってもなお、
女の武器を使っての色仕掛けで4億円だまし取るという
演技派女優も顔負けの、この77歳女性の女のパワーを全開する方法と
経歴と御尊顔を是非とも見て聞いてみたいものだ。

善人で生き善人のまま死ぬるとはなんと侘しき生かと思ふ
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tag : 振り込め詐欺 超高齢化社会 裁判所 色仕掛け 老いらくの恋

それでも“延命”を ~揺れる人生最期の決断~
一昨日、NHK 特報首都圏 『それでも“延命”を ~揺れる 人生最期の決断~』を観た。


内容

介護とは異なり、人工呼吸器や詰まった痰(たん)の吸引など24時間付きっきりで、
家族からは「夜眠ることができない」「自分が病院にも行けない」といった悲痛な叫びが。
患者と家族をどう守るか。本人に意識がある…


病気でも、住み慣れた自宅で暮らしたい”。
人工呼吸器や胃ろうなどの「医療依存度の高い患者」でも在宅医療が可能になった。
家族は、どうするのか。
医療の大きな流れは病院から在宅へ向かい、
今後、どの家庭も直面する課題だ。
介護とは異なり、人工呼吸器や詰まった痰(たん)の吸引など24時間付きっきりで、
家族からは「夜眠ることができない」「自分が病院にも行けない」といった悲痛な叫びが。
患者と家族をどう守るか。





番組に取材協力をしていた患者と家族を
この国のお粗末な福祉制度では安心させることも守ることもできない。
厚労省は、高齢者医療も介護も病院から在宅へ!を推し進めているので、
介護者が「夜眠ることができない」「自分が病院にも行けない」ことなどは
重々承知の上なのだから・・。

患者が亡くなるか、もしくは介護者が倒れるかでもしない限り、
いつ終わるともしれない悲痛な叫びのみが聴こえて来るだけだろう。

更には番組を見ていて思ったことは、介護者全員が患者に対して
「延命しない」という選択肢は毛頭なく、
迷いもなく「100%延命をして欲しい」「後悔はしていない」
と答えていたことだ。
私が介護者の立場になったら到底無理だとは思うが、
患者本人と介護者の双方が「延命」を選択して、
24時間付きっきりの介護を覚悟の上で、
また患者が苦痛に耐える覚悟があるのなら、
死に対する考え方も人それぞれなので
否定するつもりは、これっぽっちもないけれど、
時が経つにつれて、あまりの負担の大きさに
1秒たりとも耐えられなくなる時が来るのではないだろうか。

そして、時が満ちてそのときが来たときには、
心の中では「私は最期まで介護したのだ!」という充足感とともに
親しい婆さん友達たちからよく聞く話として、
「やっと死んでくれてホッとした・・」とも思うのだろうか。


大多数の人は、それなりに元気なときには、
口先だけでは家族には迷惑をかけたくないので、
延命はしないで欲しい。などと口を揃えて言う。
本当にそう思うのならば、家族の意向はどうあれ、
固い決意で延命措置は拒否すべきであると思うが、
意識は鮮明で、身体的に延命措置をしなくては
生を維持できないと知ったときには死の恐怖には抗うことができずに、
延命措置を懇願する人も多いらしい。

事故や自然災害による不慮の死以外では、
人は迫りくる死の恐怖に打ち勝つことはできないのだろう・・。


交通事故で頭部に外傷を負って脳内出血を起こし、
医師にも家族にも、もうこのまま死ぬか植物人間状態にしかならない。
と思われながらも、鼻腔栄養補給をしながらの4ヶ月間の意識不明状態の後に
無事にこの世に生還した知人(50代後半男性)がいる。

その間、本人は体をピクリとも動かせず、声も出せなかったが、
微かな意識はあったという。
彼は家族の要望による延命措置の中で、最も苦痛だったのは
咽喉に詰まった痰の吸引だったと言っていた。
あのときだけは、「早く死なせてくれ!お願いだからもう楽にしてくれ!」
と何度も神に祈ったという。


明日は我が身でもあるが、何が何でも死に至る前の心身の苦痛だけは避けたい。
家族愛という分厚い衣で装飾された家族のエゴ(家族の要望による延命措置の選択)
で耐えがたい心身の苦痛(自身の体の痛みと家族に迷惑をかけているという精神的苦痛)
を強いられながら、無理矢理に生かされることに私は耐えられそうもないので、
人工呼吸器や胃ろうなどの延命措置はごめん蒙りたい。

と、今は思っているけれど、
そのときになったら私も心変わりするのだろうか・・・。



愛というオブラート紙に包まれた家族のエゴで繋がれし生よ
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tag : 延命措置

爺と婆が冥土の土産にサーカスを見に行く
知人からサーカスの平日無料招待券(2枚)を頂いたので
「別に興味ないよ。」と言っていた夫を無理矢理に連れ出し、
楽しいひとときを過ごしてきた。
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訊けば、夫はサーカス観覧は幼児の頃に
一度は行ったらしいが全く記憶に無いと言う。
それならば、冥土の土産に是非とも行かなくちゃね!
ということで、現在横浜市の桜木町駅の東側にテントを張って興行している
木の下大サーカスを見て来たわけよ。

3月の平日に見に行った知人が言うことには、
午前の部を見ようと思って開演一時間前に着いたら凄い行列で、
既に一般自由席の空きはなく、午後の部の整理券を貰って
開演時間まで喫茶店で時間を潰した。
と聴いていたので、午前の部に入場出来なかったら
整理券を貰って午後の部でもいいか・・
と思いつつも、出来れば午前の部を見たい!
と開演2時間前に着くように早めに家を出て、
ぴったり開演2時間前に着いたが、それでも30人は並んでいた。
その後、瞬く間に行列が長くなり、
指定席券は購入せずの一般自由席無料招待券の場合は平日であっても
2時間前には並ばないと入場で出来ないほど混んでいるらしい。
もし、午後の部の開演ギリギリの時間に行っていたとしたら、
改めて別の日に出直すことになる。
平日無料招待券を頂かなかったら、サーカスを興行していることも
そんなに混むことも知らないままだったけど、
サーカスって今でも人気があるのねぇ。
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休憩を挟んでのホワイトタイガーのショーやその他のすべてのプログラムも、
お子ちゃまなら大喜びだろうな。

婆さんとしてはサーカスといえばなぜか郷愁を誘う
公演最後のプログラムである空中ブランコが一番良かったかも。

ただ、私は動体視力の衰えで、
目まぐるしく動くダブル空中ブランコの全体像を見ることが出来ず、
片側の空中ブランコだけしか見ることができないのが残念でありました。

それから、ペットボトルのお茶を飲もうとして
バッグから取り出そうとしたときに
手が滑って足元の板の下に張ってある落下防止用ネットをすり抜けて、
ペットボトルが土の上に落ちたのが残念だったわ。



思い起こせば、半世紀前は「そんな子はサーカスに売っちゃうよ」
と親によく言われたものだった。
要するに、私が子どもの頃のサーカスのイメージはといえば、
親の言うことを聞かない子や、いたずらな子は
毎日毎日、体を柔らかくするために大量の酢を飲まされて、
厳しく辛い練習に明け暮れなければならないサーカスに売られるものだった。

小学校からの帰り道でもあった○○公園に
サーカスのテントが張ってあったことがあった。
小学一年生であった私は本当に売られた子どもがいるのかどうか気になって、
テントの周りを何周もした記憶がある。

後日、そのサーカス(サーカス団の名前は思い出せない・・)
を親に連れられて見に行ったときには
ショーには子どもは出演していなかったので、
大人になるまで、または一人前の芸ができるようになるまで、
人目に付かないテントの裏かどこかで
鞭で打たれながら、また泣きながら練習をさせられているのかと
半信半疑ながらも思ったものだった。

1950年代の話ではあるが、
人身売買が平気で行われていたわけも無いだろうし、
酢を飲まされることも、イメージとして作られたただの嘘だったのだろう。
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今や客として表から見たサーカスは半世紀前の暗くまがまがしい
見世物小屋的イメージは欠片もなく、(真の内実は知らないけど・・)
日本人と外人さんの団員の迫力満点の身体パフォーマンス集団の芸を
楽しく堪能してきた春の日でありました。

今もなお脳裏に残るサーカスの唄口ずさむ老いたふたりは
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tag : 木の下大サーカス サーカスの唄

“凜とした生の日々”から“凜とした最期”を迎えるためには・・
録画しておいた、2013年4月3日(水)放送のNHK「クローズアップ現代」
「“凜(りん)とした最期”を迎えたい ~本人の希望をかなえる医療とは~」を観た。

医療によりただ命を長らえるのでなく、
自分らしい生き方を守りながら最期を迎えたい。
いわゆる「平穏死」や「自然死」を扱った本が
ベストセラーとなるなど大きな関心を集める中、
高齢者たち自身が自分の死に方・医療のあり方についての意志を表し、
行動を起し始めている。
多死社会の到来が目前に迫り、
医療費削減への国民的議論も高まる中で、
高齢者の意志をどう実現するかが、今大きな課題だ。
しかし、終末期医療の現場では、
高齢者本人が書面で意志を残していたとしても、
延命措置の是非を巡って親族間で意見が対立したり、
医師の側にも裁判で訴えられることへの懸念も強く、
延命措置を拒否するのは難しいのが現状だ。
高齢者の「最後の希望」をどうかなえるのか、
最先端の事例を交えながら考える。




超高齢化社会に老後を迎え、超高齢化社会の中で
生のエンディングを迎えなければならない我が夫婦。
近い将来(明日かもしれないけど)の
私または夫の死という出来事に、
自分の意思で体が自由に動かせるうちに、
また、認知症になる前に凜とした最期を迎えるための
終末期医療の意思表示を書面に残す大切さを痛感した。


だが、私の意に反して、我が夫は相も変わらず「死はタブー」であり、
終末期医療のことも、死んでからのことも
「そういうことを考えるのはネクロフィリア的で僕は好まない。
僕はバイオフィリア的な生き方を信条としているので、
終末期と死後のことの一切合切はあなたと子どもにお任せします。」
的な態度を貫いている。

そりゃあ、誰でも自分と家族の死などは考えたくもない。
だが、私が死以上に恐れることは死に至る前の苦痛である。
近い将来に確実に訪れる死に向かって生きている身としては、
嫌でも終末期医療を考えないわけにはいかない。



昨年、今の医学では助かる見込みは99%ない!と断言されながらも、
延命用のチューブに繋がれた死に至る約一週間前の弟の姿を見たとき、
こんな生かされ方は嫌だな・・と本気で思ったものだった。

弟の妻は、「今まさに死にゆく夫も苦しいでしょうが、私も苦しいのです。
夫は一年365日、生のエネルギーに満ち溢れていた人で、
自分が死ぬ。などということは、一度も考えたことの無い人でした。
入院してからも、退院後の楽しい話ばかりしていました。
なので、終末期医療についても一度も話したことがありませんでした。
このような延命治療を夫が望んでいたのか、望んでいなかったのかは、
今となっては、私にはわかりません。
でも、もしかして奇跡が起きるかもしれません。
たった1%でもいいのです。その微かな奇跡を信じて、
また悔いを残さないために、
私は夫の延命措置を受け容れました。
と言っていた。
しかし、その口調からは、私たち血縁者である者たちに対しての
「妻として、私は出来る限りのことをしたのです。」のごとき、
或る意味、弟の死への責任回避のための罪のない意図も感じられた。

当たり前だが、私も親族も誰も弟の妻を責めてはいないし、
責める気など毛頭なかった。
59歳が弟の寿命だったのだろうから。

そして今、そのときのことを振り返ると、子どもも無く、
たった独りで残された弟の妻は心身ともに辛かっただろうな・・。
ただただ、「59年の生涯を自分の意思で自由奔放に楽しく、
また豪快に生きた弟に寄り添い、最期を看取ってくれてありがとう。」
の思いしかない。

そのような経験の許に、或る程度の年齢になったら、
死にゆくときの自分の苦痛回避のためと、
残してゆく遺族の自責の念の回避。
そして、延命措置について遺族間で意見が対立しないためにも、
元気なときに終末期医療の要望書として、
書面に記しておくことは必要だと強く思った。


それでも、事前に本人が書き置いた終末期医療の要望書が
確実に実行されるとは限らない。

ある家族は本人の自筆による終末期医療の要望書があろうとも、
どんな状態でも生きていて欲しいと延命措置を懇願するかもしれない。
また、ある家族は本人の自筆による終末期医療の要望書がなくても、
早く死に至る苦痛から解放してあげたいと思うかもしれない。
そこには誰しもに共通した正解などはないが、
私は本人の生前の意思が優先されるべきだと思う。

結局は、「凜とした最期」を迎えるには、
今まさに死にゆく人間の気持ちを忖度することはできないが、
老若男女に関わらず、生と死は常に隣り合わせに存在している。
ということをときどきは自覚しつつ、
高齢者においては、死は隣り合わせどころか、死は目の前にある。
という事実から目を背けずに常に死を覚悟をしておくことが
最善の策なのかもしれない。
残り少なくなった「凜とした生の日々」を送るためにも・・・。

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tag : 終末期医療 ネクロフィリア バイオフィリア 延命措置 自責の念

夫源病の妻VS.妻源病の夫
先日、新聞広告の『妻の病気の9割は夫がつくる (医師が教える「夫源病」の治し方』
が目に付いたので切り抜きをしておいた。その後、プールに行ったら、
読書好きなA子(60代後半)が夫源病に関する本数冊を先日読み終えたので、
今度持ってきて貸してあげるわ。」と言うのでありがたく借りて読むことにした。



●『妻の病気の9割は夫がつくる (医師が教える「夫源病」の治し方』主な内容

夫源病は夫婦の会話がなくなることから始まる
・良妻賢母であろうとする女性が夫源病になりやすい
・いい夫婦像が映画やドラマにあふれて夫源病が急増
・96%の妻が夫に不満を持ち、83%の妻が離婚を考える
・なぜ夫という生き物は妻の心を傷つける言動を取るか
・定年後の生活を夫は楽しみにし、妻は危ぶんでいる
・更年期障害の症状が出る人と出ない人がいるのはなぜ
・医師からこんな病名を宣告されたら夫源病を疑え
・家事は夫と妻で「完全分業制」にするのがベスト
・育児中の妻が夫に「イクメン」を期待するのは間違い
・子どもが巣立った後の「空の巣症候群」を防ぐカギ
・お互いに心地よい距離感の夫婦関係ができるプチ別居
・夫源病を治す最終手段「離婚」を決める前の注意点
・これが夫源病を防ぐ中年以降の夫婦のベストなあり方

(「BOOK」データベースより)


A子は30代後半から現在に至るまで原因不明の不定愁訴に悩まされているらしい。
複数の病院でありとあらゆる検査を受けても毎回、内科的には異常なしで、
医師からは原因はなんらかのストレスでしょう。と言われ続けてきたという。
そして今やっと夫源病の本を読んで初めて、
彼女は突然襲ってくるめまいや呼吸困難、動悸、胃部の不快感等
の不定愁訴の原因は長年に渡る鈍感夫へのストレスしかない!と確信したという。


いつも夫婦仲良く?プールに来ているかに見えるA子の御主人様はといえば、
最近、妻の料理の味付けが濃くて、
普段から高い血圧がさらに上昇しつつあるのです。
もしも、「味付けが濃いんじゃない?」
などと言おうものなら、料理にだけは自信のある頑固一徹な妻に、
「私の料理はあなたの健康を考えていつも薄味よ!
気に入らないなら自分で作って!」と言われそうなので、
小心者の自分としてはなかなか言い出せないのです。
僕の血圧が高いのは妻源病のせいなのかもしれません・・と言っていた。
それに、その本をわざとらしく、自分の目の付く所に置いてあったことも、
ものすご~く嫌みに感じたが、そのことについても、
無用な争いを避けるためにも、何も言わないことにしたそうな。


いつだったか、我が夫も、私が見ていた夫源病を扱ったTV番組をチラと見て、
「夫源病があるなら、妻源病もあるさ。」と言いながら、
フンッ!と鼻先でバカにして、別の部屋へ行ってしまったことがあった。
私もそのときは、「あっ!私も夫源病だ!」と思ったものだが、
よく考えると、夫婦なんてどっちもどっちじゃん。
という結論に達した。


結婚生活4?年の私が言うのもなんだけど・・・(^_^;)
少子化で日本の未来が危ないと言われようが、
地球環境的には人口増加は好ましくはない事態になっているので、
ストレスだけの結婚なんて、できるならばしないほうがいいと思う。
それに、家族という別人格の人間に気を使いながら、
神経をすり減らしストレスでがんじがらめで
苦痛極まりない人生を送るよりも、
初めから独りでいたほうが自由で良いんじゃないかと思えてならない。
独りでいる寂しさもあるだろうけれど、自由は寂しさはには勝つらしい。
このことは友人の複数の未亡人たちと生涯独身を貫いた中高年の女性たちの全員が全員、
口を揃えて同じことを言うので、きっと真実なのだろうと考えられる。
それでも、寂しさに耐えられそうもない人は、
自由を奪われるのを承知で、またストレスを貯め込むのを承知で
何回でも好きなだけ結婚をすればいい。

私個人としては、どうしても結婚したい場合は
週末だけ会う別居婚がお勧めだけど・・。

でも、若いとき=繁殖期においては、大いなる勘違いともいう
「美しい誤解」には太刀打ちできないものでもあるのよね。(^_^;)




アンブローズ・ビアスは『悪魔の辞典』で、
「結婚とは、主人一人、主婦一人、それに奴隷二人から成るが
総計では二人になってしまう共同生活体の状態または状況」
と書いている。

文芸評論家、亀井勝一郎は『青春論』で、
「結婚とは、恋愛が美しい誤解であったことへの惨憺たる理解である」
と書いている。

オスカー・ワイルドは、
「結婚とは、まさしく相互の誤解に基づくものである」
と書いている。


思うに、どの夫婦も程度の差はあれど、夫源病と妻源病なのではないだろうか。
そして、夫と妻にストレス(心身の不調)を作りだしているのは、
それぞれの心の中にある惨憺たる理解ではなく、
自分では気づかない特異なメンタリティが作りだす
惨憺たる無理解の結果と諦観の産物なのでは?と思えてならない。



「夫婦とは悲しみと切なさと苦痛は半分ずつ分かち合い、
日々の喜びと生のエクスタシーは倍にする努力を惜しまないこと」

と、4?年間の惨憺たる理解の中での結婚生活から得た経験として
そのように思いたいけれど、
残念ながら、私はまだまだその境地に至ってはいない・・。(ーー゛)
きっと、夫婦のどちらかが先に三途の川を渡るまで、
惨憺たる理解は続くのだろうな・・。
130404r
老いという未体験ゾーンに入りしも先に見えるはスパイラルな霧
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tag : 夫源病 妻源病 アンブローズ・ビアス 悪魔の辞典 亀井勝一郎 オスカー・ワイルド 惨憺たる理解 惨憺たる無理解

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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