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近所のお婆ちゃんに頼まれて読みもしない聖教新聞を購読する私は功徳を積んでいる?逆にお婆ちゃんは功徳を捨てている?
インターフォンが鳴ったので誰だか確認をしてドアを開けた。
訪問者は近所の一人暮らしの80代のお婆ちゃん。

相手は、私の亡き母と同年齢の後期高齢者。
私とはよく世間話もする仲であり、
我が夫もまた缶や瓶などの資源ごみの日などには
お婆ちゃんがよろけながら
重いごみを持って歩いている場面に遭遇したときなどは、
転んだりしたら危ないと、ごみ出しを手伝っていたりして、
程良いご近所関係を保ってはいる。

はてさて、今日は何の用かしら?と思えば・・

「この間はありがとう。おかげで○○○○さんが当選したわ♪
ところで、また来月に聖教新聞の購読をお願いできるかしら?」
と尋ねられた。

「この間はありがとう。」とは、参院選の投票依頼されたときに、
「ハイハイ、判りました。○○○○さんよね♪」と答えたので、
「あらまぁ、名前まで覚えていてくれてたの。ありがとね。」
と言って、F票確実!的なウキウキした顔で帰って行ったという経由があるので、
どうやら、私がお婆ちゃんが投票依頼をした公明党の○○○○候補に投票したと思っているらしい。

私が自民党の金魚のフンであり続ける公明党の候補者に入れるわけなんて100%ないのに。(笑)

それでも笑顔で、「お友達の車の送迎で投票に連れて行ってもらった甲斐があって、
お婆ちゃんの支持する候補者が当選して良かったわねぇ。」

などと、柔らかに一刺ししたつもりだったが、お婆ちゃんには全く通じない。(^_^;)


更にお婆ちゃんが言うことには、投票日に早く結果を知りたくて観ていた
TV東京の選挙特番で、池上彰さんが初当選を果たした創価学会員の公明党の候補者に対し、
「政教分離原則に反する」ようなことを言っていじめていた。と憤慨していた。
「どうして、創価学会員はいつもいつも世の中から意地悪されるのかしらねぇ?
功徳を積んでいるだけなのに・・」とこぼしていた。
私も同じ選挙特番を観ていて、「池上さん!もっともっと突っ込め~!」
と心の中で叫んでいたのだったが、
お婆ちゃんの手前、
「そうよねぇ?どうしてなのかしらねぇ?」とスットボケておくしかなかった。

だけどさ、このお婆ちゃん。
20代のときにご主人様は女を作って逃げ、(後に正式離婚)
女手一つで苦労して育てた息子さん(60代)は
精神疾患に罹患して働けなくなり、
夫婦とその娘さんの親子3人で実家であるお婆ちゃんの家に戻ったはいいが
息子さんの精神疾患は更に悪化して長期入院を余儀なくされ、
その間に母屋は嫁に乗っ取られ、
物置として使っていた古い掘立小屋にトイレと流し台とエアコンを付けただけの、
小屋に一人で住まわされ、
最近退院してきた息子さんは今では完全寝たきり状態になって
日に2回訪問を頼んでいるヘルパーさんの手を借りなければ食事もできないらしい。

他人から見れば、不幸の塊のような人生を送ってきたにも関わらず、
私から見れば、感謝!感謝!が口癖の人の良い年寄りに対して、
功徳のためと称して、購読料はお婆ちゃんが払い、そのお金は学会に吸い上げ、
信仰心の全くない私に聖教新聞を購読させるってどうなのよ????



今回も、お婆ちゃんの功徳のためにと思い、
しかたなく購読を受け容れたのではあるが、
啓蒙のためと言えば聞こえはいいが、
お婆ちゃんのような倹しい暮らしをしている末端信者に負担を強いて、
お金を集めるという行為に私はどうしても納得がいかない。
創価学会の上の人は末端信者のこのような行為を
知っていながら見て見ぬ振りをしているのだろうから、
創価学会員でもなく洗脳もされていない普通の感覚の人々からは、
お婆ちゃんの言う「創価学会員はいつもいつも世の中から意地悪される・・」
のは被害妄想を植えつけられているだけであり、意地悪ではないように思う。

選挙特番での池上彰さんも故意に意地悪をしたのではなく、
前以って局側との打ち合わせで用意していた、
中立、公平な立場上での当たり前の質問をぶつけただけに過ぎない。
なのに「公明党の当選者に意地悪をした」などと言われては
一笑に付すしかないだろう。

お婆ちゃんの他にも創価学会員の知り合いがいるが、
得てして、その多くがなにかしらの世間に隠したい家庭の事情を抱えている。
また、葬儀に関しても、日常生活に関しても、
どこか異質で異様な雰囲気を感じることがリアルな日常では事実として多々ある。


創価学会員の方々は非学会員や世間からの当然の質問に対しては、
異に添わなければ意地悪と受け取り、自分たちは常に正しく、
異に添わない質問をした相手に対しては、
あなた間違っている!と叫びつつ、教義という足枷に縛られ、
永久(とわ)に現実と乖離したパラレルワールドで生き、
パラレルワールドの中で死んでいくのだろう。
友人葬をしてもらって・・。

平和と福祉の党を自認する公明党が昔も今もこれからも、
9条の改悪を目論み、社会保障費を削減する自民党に、
なぜ金魚のフンのようにしがみついているのか?
その理由を創価学会の熱狂的信者も、親が入っているから・・
の理由でなんとなく創価学会に籍をおいている信者も、
いったいどこまで理解しているのだろうか?

でも、無理ね・・・教義がすべてであり、疑うことを止めさせられ、
自分の頭で考えることも公正な目で選択することも
止めてしまったのだから・・。




ここで、話をお婆ちゃんと功徳の関係に戻す。

功徳とは、

1 現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行。善根。「―を施す」
2 神仏の恵み。御利益(ごりやく)。

と辞書にはある。


本当は購読したくないのに、お婆ちゃんのためを思って
聖教新聞を購読する私は功徳を積んでいることになる。

逆にお婆ちゃん本人にとっては、「近所の年寄りからのお願いよ・・・」
と言い訳して、嫌がるご近所さんに無理矢理頼みこんで
聖教新聞を購読させる行為は功徳を積むことにはなっていない。

なぜなら、お婆ちゃんは近所の住人には迷惑なことをしているので、
功徳を積むことから遠ざかっていることになるという単純な論法になるが、
それでも、学会側には購読料が入るので学会側にだけは功徳を積んでいるように見えるが
それは宗教には縁のない他人から見たら、功徳に託けた詐欺のようでもあり、
似非功徳のようにも見える。

それでも、お婆ちゃん自身は功徳を積むことだと信じているし、
信教の自由は保障されえいるのだから、きっと幸せなのだろう。

私は夫との結婚生活が4?年になるが、
惰性と妥協の連続でなんとか夫婦関係を保持しているだけであり、
夫婦であれ、親子であれ、
人間なんてお互いに永遠に解り合えることはできない。
ましてや、他人様のたった一言にいちいち憤慨していたら、
私のような繊細なガラスの神経?の持ち主はストレスで病気になってしまう。


多分皆無だとは思うけれど、万が一にでも、
創価学会員の方が偶然にでもこの記事を読んで、
このブログの主は創価学会員に意地悪をしている。悪口を言っている。
と感じても、パラレルワールドは永遠に交差しませんので、
どうか、一笑に付されますように・・。

再度、言い添えます。
同じ教義の元に信仰生活をしていても、
組織内で仲良く見えるのは、ただの「信仰ごっこ」でしなく、
一歩組織を離れて個々人になれば、
人間は決して、永遠に解り合えることはできませんのよ。

誰(た)がために咲くや路傍の功徳草ひとつ摘みては哀しみ匂ふ
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tag : 功徳 聖教新聞 創価学会員 パラレルワールド 池上彰 信仰ごっこ

「死を見つめることは生を見つめること」を実践し、抗がん剤治療を拒否して逝った友の潔き死にざまを思う・・。
蒸し暑い日はプールに限る!といつものノー天気な感覚でプールに行ったら、
約3カ月ほど前から姿を見せなくなっていたSさんご夫妻(お二人とも70代前半)
のご主人様だけに入り口で出会った。

いつも仲睦ましくプールに見えていたSさんご夫妻。
奥様は私同様に腰痛があるといっていたので、もしかして悪化でもしたのかな?
程度に考えていたのだが、
必ずペアで見えるご夫妻なのになぜか今日は奥様の姿が見当たらない・・。
不思議に思いながら、「こんにちは。お久しぶりです。
ところで、?今日は○○○さん(奥様の名前)は?」と訊ねたら、

なんと・・・ガンで一ヶ月前に亡くなられたとのこと・・。




茫然自失状態でおかけする言葉が浮かばない私・・。


そんな私を見て、Sさんが「ロビーの椅子に座りませんか?」
と優しく声をかけてくださり、横並びで座った私とSさん。


そのSさんがおっしゃることには・・・・


『実はですね。今だから言えますが、
女房にはね。五年前に受けたガン検診で
転移性のガンが見つかったていたんですよ。
医師からは手術は無理なので抗がん剤でも・・
という話があったのですが、
女房は「今はどこも痛くも痒くもないのに
体力気力精神力を奪う抗がん剤治療を受ける必要はない。
私はその日が来るまではで、この家で今のままの生活を続けたい。
それに、歳を取れば二人に一人がガンで死ぬ時代なのだから、
私はガンもいずれ必ず来る死も受け容れます。
やがて、そのときが近づきつつあったらホスピスに入ります。」
と言い張りましてね。
僕と娘は何度も何度も「あなたの命はあなただけのものではない。」
だから、抗がん剤治療を受けて欲しい!と頼んだのですが、
女房は「60歳を過ぎたらもう余生であって、私の命は私ものものなのだから、
私の命の終わらせ方は私が決めます!」
と普段から穏やかで物静かで僕には従順だった女房が、
頑として抗がん剤治療に同意せずに自分の意思を貫き通したのです。
あんなに自己主張をする女房を見たのは初めての経験で、
僕には抵抗すらできませんでした。

そういうわけで、ホスピスに入るまで何事もなかったような
顔をして、二人でプールに通い続けていたのです。

それでも、ガンは緩やかに穏やかにですが、
着々と進行していたのでしょう。
ちなみに女房は医師にも僕にも「余命は知りたくない!」と言うので、
僕だけが訊きましたが医師は一年から数年と言っていました。

もちろん、娘も初めのころは、
「もしかしたら、抗がん剤治療が効果を発揮するかもしれないじゃない?
だから、お母さんお願いだから治療をけて!」と、
しつっこく抗がん剤治療を進めていましたよ。
でも、あまりにも自分の意思を曲げないので、
途中からは「お母さんの選んだ人生なのだから・・」と
抗がん剤治療のお願いも説得もしないようになりました。

ガン告知を受けて、何の治療も受けず、また余命も知らずに
約五年間も当たり前の生活を続けられたんですから女房も本望でしょう。
力ずくで抗がん剤治療を無理強いしていたら、
女房の死期を早めていたかもしれないな・・。
と今は考えるようにしています。


亡くなる二か月程前には女房が自分でホスピス入院の手続きをしてきましてね。
そのときにはすでに自分の死期を悟っていたのでしょう・・
僕はいざとなれば在宅で最期をと考えていたので、
寝耳に水の話で驚きましたが、
女房の意思は固くて覆すことはできませんでした。
後に、僕に迷惑をかけたくない一心でのホスピス入院だと知って、
女房の生き方にも最後の締めくくり方にも、
今は堂々と自慢の女房だったと言い切ることができます。

また、ホスピスに入ってからもですね。
思ったほどの麻薬に因る緩和ケアを受けることも少なくて、
尊厳を持って最期に至る日々を過ごしていたように見えました。
そのときには、自分の死を100%死を受容していたのでしょうかねぇ?
鈍感な僕には女房の葛藤や本音は判りませんでしたけどね。
最期の日の昼ごろには「わたし、もうすぐ永遠の世界に行きます・・。
あなた、○○ちゃん(娘さんの名)、今まで幸せな人生をありがとう。」
の言葉を残して、その後は意識混濁状態になりましたが、
夕方には穏やかな顔をして凛とした最期を迎えてくれました。
僕にはとても真似できそうもないですがね。
それに、世間で言うほどには僕に喪失感がないのも
女房が僕と娘宛てに書いておいてくれていた
感謝の言葉に溢れた「思いやりノート」のおかげだと思うのです。
世間ではエンディング・ノートと呼ぶそうですが
僕には「思いやりノート」なんです。

僕なんかは女房のような「潔いな死にざま」は絶対無理だな・・
抗がん剤治療が命を縮めるかどうかは僕には判りませんが、
医師に言われるままの治療を受けるでしょう。
そして、最期には「まだ死にたくない!」とか叫びそうな気がしますよ。
叫ぶ体力があればの話ですがね・・。
それにしても、女性は最後にはあんなにも強くなれるものなんですね。
女性は死ぬのって怖くないんですかね?ボケ田さんもそうですか?』


と訊き返された。


ありきたりのお悔やみの言葉のあとに、
「男女に関わらず、死に対する考え方は人それぞれだと思います。
奥様の○○○さんとはよくメメント・モリに関するいろいろな話をさせていただいておりました。
他の皆様はそういう話は縁起でもない。
と嫌がる方が多いので私とだけしかそういう話はしていなかったと思いますが、
奥様は「死を見つめることは生を見つめること」と常々おっしゃっていましたので、
この方は凛とした生き方をしている人だわ。とはいつも感じておりました。
ですから、まさに身を持って、凛としたエピローグをも実践されたのだと思います。
それから、人生に対する考え方にも共感できることも多くて、
もっともっといろいろなことをお話したかったです。
生死に対する考え方が私と似ている人生の先輩を
失ったことは私にとっては非常に残念なことです・・。」

と答えるのが精いっぱいだった。




家に帰ってきてから、改めて遠藤周作「死について考える」を読み返してみた。


諦という字、これはあきらめで、日本では普通ギブ・アップと同じ意味だけど、
仏教ではこれは悟りであるわけですね。
我執とかエゴとかあらゆる執着から脱却することらしいのです。
あの松川裁判を書いた広津和朗さんは、晩年、道徳なんて若い者には必要だろうけど、
年をとると必要なくなるね、体力気力が衰えて来ると、
別に道徳を説かなくても、人減なんて自然に道徳に従うようになるものだ、
と言っておられたそうです。
年をとればそうなるかもしれませんが、若くたって、長い入院生活をしていると、体力が衰え、
病室で毎日苦しい思いをしているから、別に解脱したくなくても、
もうこんな世界なんてどうでもいいやという気持ちになりまして、執着も煩悩もなくなります。
執着する体力気力がなくなるのです。
私はそういう経験を三度目の手術のときにしたことがありますが、その時は、面白くもなく、
苦しいだけの世界からのがれて、早く次の次元に行きたい、と考えるようになりました。
何度か入院して、元気なときは死というものが怖かったけれど、
次第にそんなものは怖くないという気持ちになったものです。
でも、ドストエフスキーの作中人物が言っているように、
人類が死を恐れるのは死の瞬間がピクッと痛い、そのピクッが恐ろしいからかもしれません。
でもピクッのあとには・・・・・・。
私は先輩や肉親の死に顔を真夜中によく思いだします。
どんな死に顔にもかすかな微笑が漂っているか、安心したような翳がありますね。
あれはピクッを過ぎたあとの表情だと思います。
「入る時は冷たいが入ってしまうと・・・・・・」とセスブロンは死について言っていましたが、
死に顔はその「入ってしまった」安心の顔なのですね。
あの顔の中には永遠が隠れています。ピクッのあとにその海が広がっている。
                      P120~122より抜粋

友人の○○○さん 享年7X歳 永遠の世界に旅立ちました。
私と彼女が共通して好きな曲「G線上のアリア」を亡き友に捧げます・・合掌

歳を取るのは容易くも重ねることは難しと思ふアリア聴きつつ
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tag : 緩和ケア 我執 執着 ドストエフスキー セスブロン G線上のアリア メメント・モリ

憲法9条改正後に国防軍の兵役を拒否すると軍事法廷の軍法会議で「死刑」「懲役三百年」にすると石破氏。
遠くから選挙カーが「最後のお願いです!」と叫んでいるのが聴こえて来る。

参院選まであと一日。
各メディアは連日、自民党の圧勝を伝えているが、
私も間違いなく自民党は圧勝すると予測している。

自民党の候補者に投票する予定の人々には前祝いとして、
心からお祝いを申し上げたい。
これで、ねじれも解消し、
さぞかし安定した政治が行われることでございましょう。
その中身はどうあれ。



さて、安部総理は、今までは演説などでは改憲に触れないようにしてきたが、
15日の長崎国際テレビでテレビインタビューにおいて、
支持率の高さに有頂天or自信過剰になっているのか?
「9条を改正し、自衛隊の存在と役割を明記していく」
と改憲の意図を明言した。と新聞記事で読んだ。
あろうことか、原爆投下された長崎という場所で・・。


追い打ちをかけるかのように、東京新聞(7/16)の特報記事に
石破茂幹事長の驚愕に値する記事が載っている。

自民党は同党の改憲草案で、憲法九条を変更して自衛隊を「国防軍」にすることを掲げた。
それに伴い、国防軍に「審判所」という現行憲法では禁じられている
軍法会議(軍事法廷)の設置を盛り込んでいる。
防衛相の経験もある同党の石破茂幹事長は四月に出演したテレビ番組で、
審判所設置に強い意気込みを見せた。
「死刑」「懲役三百年」など不穏な単語も飛び出した石破氏の発言とは-。
 (小倉貞俊)


9条原爆投下長崎『これは国家の独立の為だ、出動せよ』と言われた時に、
いや行くと死ぬかも知れないし、
行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。
だから国防軍になったらそれに従えと。
それに従わなければその国にある最高刑がある国なら死刑。
無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年。
そんな目に逢うなら出動しようかと。
人を信じないのか、と言われるけど、
やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」


130716tokyo
今の自衛隊員が「私はそのような命令にはとてもではないが従えないのであります」
などと言おうものなら、現在では一般法しか適応できないため、
目一杯でも最高刑は懲役7年らしいが、
自衛隊が国防軍になり、同じことを言ったら
軍法会議(軍事法廷)で「死刑」「懲役三百年」にする腹積もりらしい。

石破氏は現時点では太平洋戦争時のような徴兵制には反対しているというが、
自衛隊から国防軍に名前が変わったときに、、
より過激なイメージである国防軍(戦死が前提)に
自ら進んで殺されるために志願する日本人男性がいるとは思えない。
初めは志願兵制であっても必ずや徴兵制に移行するだろう。

私の甥も自衛隊に入隊したが、
目的は税金で国家資格を取ることだと言っていた。
そして、5つの国家資格を得てさっさと辞めた。


明日の参院選でねじれが解消されれば、選挙運動中は封印していた、
安部総理の悲願である憲法9条改正へ向けての動きを加速させるだろう。

「夫や息子や孫息子を無駄死にさせたくないから
国防軍に入れない!絶対戦争には行かせない!」
と泣いても叫んでも一切聞き入れられない時代になる。
自民党の「日本を取り戻す」とは、
紛れもなくこのことを言っているのだと私は思っている。


私が選挙権を得て早や4?年が経つ。
地方議会選挙を含め、一度も棄権したことはないが、
自民党が一度たりとも国民目線に立ったという記憶はない。



近い将来、憲法9条が改正されたあかつきには、
アホノミクスで少なからず恩恵を受けられました方々と
安部総理の熱狂的応援団であらせられるネトウヨの皆様方には、
国防軍の命令指揮系統の最も高い位置におられる
安倍晋三様や石破茂様ら自民党のおエライ方々のために、
最も死ぬ確率の高い最前線に自ら進んで従軍し、
もの足りなければ、自ら突撃して、
天皇陛下万歳!安部閣下万歳!とお叫び遊ばされて、
本懐をお遂げなされ、高潔な靖国の英霊として奉って
頂けますようお祈り致しておりますです。(*^^)v

ですが、高潔な靖国の英霊となられます前に
以下のような過酷な状況を経験しなければならないことを
申し添えておきます。
太平洋戦争で南方戦線から奇跡的生還を果たした
陸軍一等兵だった伯父がくどいほど申しておりました。

汚泥にまみれ、虫に刺され、水も食べ物もない中で
咽喉の乾きと空腹に耐えかねて生のネズミの血をすすり、
そのネズミ食べなければ飢えて死んでしまうので生のままでかぶりついた。
壕の中では暑くても身動きができず、上官の命令があるまで
微動だにしてはならない。
上官の命令がないままじっとしている内に
敵の手榴弾の奇襲を受けて、首から上が吹っ飛んだ仲間もいたそうだが、
どうすることもできずに、そのままにして置くしかなかったそうだ。
また手足が吹き飛ばされてしまった仲間は自力では動けないため
お荷物となるので、そこが墓場となったそうな。
それから、近代戦においても、
情報統制によって一般国民用の国内の無線基地局は閉鎖されるので、
スマホでもネットは出来ませんことよ。
その前に、まさか国防軍でスマホ所持の許可が下りるとは思えないけど・・。

そのときになって、「やっぱりまだ死にたくない!」
と敵前逃亡したり、国防軍に入りたくないなんて言っても無駄よ。
「死刑」と「懲役三百年」でもいいという選択は
必ずや自分に還ってくるんだから・・。





なぜか・・・ここで急に、
チャップリンの映画『独裁者』を思いだした。
安部総理の顔がヒトラーに、
石破幹事長の顔が側近として登場するヘリング元帥の顔に見えてきた。

A級戦犯でありながらも、自らCIAの反共政策への協力を申し出て死刑を免れ、
暗黒街に強い影響力を持ち、国内からの戦争責任の追及も免れ、
強圧的な政治姿勢で民衆と対決した安部総理の祖父である昭和の妖怪の岸信介様に
顔の筋肉の垂れ具合も政治姿勢もますます似て来た安部総理様と
軍事オタクの度が過ぎる石破幹事長様におかれましては、
できますれば、冗談は顔だけにして頂きたいものでわ。


未だ収束の兆しも見えない福島第一原発を思うとき、
私個人としては他国に原発を売り歩く総理大臣よりも、
「憲法9条」を世界遺産として喧伝して回る人が総理大臣であって欲しい。

尚、投票における他人様の選択にどうこう言うつもりは毛頭ございません。
ことをお断りしつつ、世の中とは様々な価値観を持つ人々で
構成されていることを認めて頂きたいと思います。

ここに書いたことは、あくまでも私個人の独断と偏見と
見識不足と浅はかさに由縁する稚拙極まりない思いでありますゆえ、
自民党支持の皆々様方には、
「バカでアホな婆さんもいるもんだ・・ほんとうにボケてんじゃないかい?」
と笑って許して頂いて、明日の参院選には棄権は絶対にしないで
是非とも投票所に足を運んで欲しいと思っております。


無党派層の私は選挙区も比例区も町会で配布された選挙公報を読んで、
消去法でもって人物と党はもう決めたので、
明日は必ず徒歩5分の投票所に足を運ぼうと思っています。
↓のような社会にはしないであろうと思われる人に、
私の清き0.53票を託すために・・

聖戦と言われて耐えたが神風は吹かんじゃったと祖母は泣きおり
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あな恐ろしや・・街頭演説で「総理、質問です。原発廃炉に賛成?反対?」と書いた自作のプラカードを持っているだけの市民を「犯罪者」扱い?
一週間前、「福島のことを第一に考えているのです!」的な
嘘が見え見えのパフォーマンスで、
参院選公示日である7月4日に安倍総理が
福島駅前で第一声をあげたとニュースでやっていた。
そのときの街頭演説会で、
「総理、質問です。原発廃炉に賛成?反対?」
と書いた自作のプラカードを持って参加した、
40歳女性が、自民党・亀岡偉民衆議院議員秘書・尾形と名乗る男性と、
3名の警察官と思われる男性によって没収されたらしい。

私には40歳女性は演説を妨害する意図も見えず、
自作プラカードも凶器には見えない。
自民党は聴衆はただ黙って演説に耳を傾け、拍手喝采をして当然と
思っているだけなのだろうか?
加えて、プラカードが見えていても、
「原発廃炉に反対」という真実を答えられないため、
秘書が事前に動いたのだろうと推測しているが、
政権側に付かない者や異を唱える者は排斥するという行為は
民主主義にあるまじき恥ずべき行動としか私には映ってこない。

為政者側の傲慢極まりない奢りに、既に憲法改正が為されてしまった
かのような見えない恐怖を感じてしまうのは私だけだろうか・・。



12日、東京電力は3、4号機近くの井戸水から、
ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質を
1リットルあたり1400ベクレル検出したと発表した。

このように、未だ収束の兆しも見えず、
汚染水処理も、使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物
処理方法も確立していないにも関わらず、
原発メーカーの為のトップセールスマンとして、
海外に原発を売り歩く安倍首相・・。

なんという究極の二枚下を持っているのか?いや三枚舌か?
これぞ真の政治屋稼業だと、別な意味で感心してしまう。(笑)

ネトウヨを味方につけての得意満面顔の
安倍総理本人には興味などはないが、
私が何よりも疑問なのは、
誰が自民党を支持してるんだか知らないが、
安倍総理が高支持率をいいことに「停止中の原発の再稼動に尽力する」
と堂々と明言しているのに、
そんな党の候補者に投票する有権者が福島県には
未だに大勢いるということだ。

まさか、自由民主党 福島県支部連合会のポスターの意図することを
有権者が信じているとは思えないが・・・
aabb

自由民主党 福島県支部連合会のポスター


原発事故で故郷を追われ、将来の展望も見い出せず、
大声も出せない狭い仮設に住まわざるを得ない人々と
家と田畑は失わなかったものの、福島県というだけで、
内陸部であっても未だに風評被害に苦しめられている人々がいる。


先日、福島県の内陸部で農業をしている親戚からの電話では、
原発事故から2年以上も経つのに、副業の民宿には原発事故以来、
福島県というだけの理由で一人の予約も入らないことや、
コメやその他の農作物にも未だに風評被害が続いているという話であった。

そのような状況下でも件の親戚は原発再稼働を推進し、
TPP交渉参加に意欲を燃やしている総理が率いる
自民党の候補者に投票するのだという。

「自民党さ投票してれば間違いねぇだ。」の根強い慣習によって・・

福島第一原発事故後の高放射性物質のせいで、
未だに原因究明も出来ない状況にあることと、
いったい誰のせいで、故郷を追われて原発難民となって、
狭い仮設に押し込めらている人がいるのか。
また、いったい誰のせいで風評被害に苦しめられているのか?
を親戚の人にはもう少し考えて欲しいと願うのだが、
「総理、質問です。原発廃炉に賛成?反対?」
と書いた自作のプラカードを持っているだけの市民を
警察官が一時的であれ拘束し、
「犯罪者」のように扱う国では無理なのだろうか?

この社会は様々な考え方の個人と集団で構成されている。
ゆえに、決して、個人や集団の支持政党の選択を非難するつもりは毛頭ないが、
現在進行形である原発問題だけは別だ。

あのような未曾有の大事故を起こしておきながら、
国策として原発を推進してきた自民党も東電の幹部も、
未だ嘗て、誰一人として責任を取っていないなどということが許されるはずはない。

それでも、2011.3.11以降は、
政治に対する意識が一変した人も少なからずいるはず・・
だと私は信じたい。
130714r
狭庭辺で雨に濡れてる捩花のねじれ具合のゆかしかりけり
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tag : TPP交渉参加 ストロンチウム90 高レベル放射性廃棄物 ネトウヨ 風評被害 原発問題

「65歳という年齢に不足はありません。」・・彼女はいかにして幸せな死の受容を持ち得たのか。

マンモグラフィーの結果は毎年、「異常なし」が続いていたのに、
3年前に自分で見つけた乳がんは2期。それも複数ありました。

2度の手術と抗がん剤、放射線や薬物治療を物ともせず、がんは体中に転移。
余命3~6カ月という宣告まで受けてしまいました。

医師の声を遠くに聞きながら脳裏に浮かんだのは、
「娘が望んでいる2人目の孫の出産の世話ができないのは困る」ということでした。
横で声をのむ夫を見て、すまない気持ちでいっぱいになりました。
でも、すべてを受け入れようと心を定めたら、すうっと冷静になりました。

食道やリンパへの転移で声が出なくなり、
大好きな詩吟や中国語読書会での発表もできなくなりました。
でも、体の痛みと裏表に、家族や友人の愛情を改めて感じ、
心は幸せに包まれています。
私にとって、65歳という年齢に不足はありません。
初孫の笑顔にも出会え、申し分のない人生だと思います。
緩和ケアを受ける病院も決まりました。

願わくば、96歳になる気丈な母より、1日でも長く生きたいです。
新たな抗がん剤治療も始まりました。
効果があれば、願いがかなうかと期待しています。





昨日の新聞のひととき欄、「幸せに包まれて」(07/09)を読んでいて、
私とそう歳の違わない投稿者女性(65歳)に何事も諦めてはいけない勇気と
私がいずれ死に対峙する際の心構えと応援メッセージと貰ったかのように思えた。


『すべてを受け入れようと心を定めたら、すうっと冷静になりました。』

その、すべてを受け入れるまでには、
己が病に対しての他人には伺い知れないであろう想像を絶する
苦悩と葛藤があったと勝手に想像しているが、この投稿者はどのようにして、
エリザベス・キューブラー・ロスが唱えた死の受容のプロセスの最終段階である、
第5段階の受容に至ったのだろう・・。



第1段階・・否認
 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う。
「私がガンで死ぬわけがない」
「これは何かの間違いに違いない」
「自分に限ってそんなことは起こりえない」

第2段階・・怒り
 なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける。
「なぜ自分がガンにならなくてはならないのか!」
「あの人でなく、なぜ自分が!」

第3段階・・取引
 なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる。
 何かにすがろうという心理状態。
 「もし病気が治るのなら、自分の人生を他者のために捧げたい。」

第4段階・・抑うつ
 気分が落ち込み、食欲も無くなり、不眠に陥ったり、何の希望も持てず、
 口数が少なくなり、何もできなくなる。
「愛する家族と別れなければならないのか・・」という
 死への準備的な抑うつと、病気に関する反応的な抑うつ”がある。

第5段階・・受容→デカセクシス
 来たるべき自分の生の終焉を静かに見詰めることができ、
 最終的に自分が死に行くことを受け入れる。
 同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。
 受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。
 希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。
「デカセクシス」とロスが呼んだ状態である。
 この状態で最期の言葉を残すことが多い。
(例:ゲーテ「もっと光を」、夏目漱石「もう泣いてもいいよ」)。

 

たまたま目にした見ず知らずの方の投稿記事ではあるが、
昨日このブログに投稿した
『人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではなく、
「どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ」』
をそのまま実践している女性のように見えて来て、
なぜか応援したくなった。

『新たな抗がん剤治療も始まりました。
効果があれば、願いがかなうかと期待しています。』
とある。

この「ひととき」欄への投稿者には、
誰のためでもなく、ご自分が信じる道を歩み、
最後まで諦めないで欲しいと思う。
そして、「新たな抗がん剤治療に効果がありますように・・」
と同世代の女性として陰ながら願っている。

いくつもの心ふるえる思い出を胸に抱きて余生を歩かむ
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tag : エリザベス・キューブラー・ロス 死の受容のプロセス

人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではなく、「どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ」
コーヒーを傍らに、ラジオ(文化放送)を聴きながら新聞を読む。
のが平日朝の日課となっている。
突然、ラジオからドキッとする言葉が聴こえて来た。

人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない
どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ


の言葉と、ボブ・ムーアヘッドという人名だ。

詳しく知りたいと思い、調べてみたら、
アメリカのコメディアンのジョージ・カーリンという人が、
彼の最愛の妻が亡くなったときに、ボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用し、
友人に送ったメールの一部抜粋ということが判った。


『この時代に生きる私たちの矛盾』

ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 
得る物は少なく
たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり
より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている
薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない
長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円もかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ







この最後の言葉に、目に見えない力で脳天を思い切り叩かれたような気がした。
だが、人間の欲望は果てしなく、私を含めて、
「呼吸の数+心のふるえる瞬間がたくさん」
の両方を渇望する人が多くを占めるだろうが、
人生は不条理の連続であり、そうは問屋が下ろさない。
私とて、この歳になるまで、
『心のふるえる瞬間』があったかどうかも思いだせない。
それは、きっと、何も気づこうとせず、
何も考えてこなかったからに他ならない。

それでも、「人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない
という「心のふるえる」言葉に巡り合ったからには、
残り少ない生の時間ではあるが、『心のふるえる瞬間』に向けて、
常にアンテナを張り巡らせていれば、本当に心のふるえる瞬間に
巡り合うことができるような気がする。
そうすれば、『人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない
ことを理解することができるかもしれない。
いや、「気がする・・」とか「かもしれない・・」
などいう曖昧な理解ではなく、是非そうありたい。

人生はいつでも今がプロローグ呼吸の数で幕は降ろせぬ
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tag : ボブ・ムーアヘッド ジョージ・カーリン 人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ

延命治療を止めて欲しいのですが・・と相談したら、「ミイラにする気ですかっ!」
約半年ほど前、知人のA子さん(70代前半)のご主人様(70代前半)が
脳内出血で倒れ、某病院に救急搬送された。

A子さんはご主人様の開頭手術後に半身マヒ等の後遺症は残っても、
なんとか命だけは助かって欲しいと願った。
願いが叶い、ご主人様は命だけは助かった。

ただ、意識不明の植物人間のような状態として・・。




そして今日、バス停で遇ったA子さんが
その後のご主人様の病態を語ってくれた。

療養型病院に移されたに後に
如何ともし難かったのが胃ろうによる栄養補給だったそうな。
なぜか、胃ろうで食物を摂ると高熱が出るらしく、
仕方なく経鼻胃管栄養法に戻したという。

ご主人様の意識が無くなって約半年。
心臓だけは規則正しく動いているものの、
自発呼吸ができないために、
フェイス・マスクによる酸素投与器も付けられている。

彼女は一日も欠かさず病院に通っているが、
意思疎通ができるわけでもなし・・
最近では、彼女にとって目の前のベッドで昏々と眠っているのは、
長年生活をともにした自分の夫ではなく、
まったく知らない人がベッドに横たわっているかのような、
なんとも奇妙な感覚に襲われることが多くなった・・。
と、心の変化をも淡々と語ってくれた。



そして、先日、意を決して、
夫の意識が戻る可能性がないのなら、
延命治療を止めて早く楽にしてあげたい・・。」
と思い、既に家庭を持っている一人息子とも相談して、
双方が納得し、主治医に「延命治療を止めて欲しいのですが・・」
と、おそるおそる相談したら、
「酸素投与と経鼻胃管栄養法延命治療ではありません!
ご主人様をミイラにする気ですか!」
と怒鳴られたそうな。

ご主人様も倒れる前は延命治療はしないで欲しいと
常々言っていたことも伝えたが、
「今の措置は延命治療ではないので
お身内の方の意見であっても止めることはできません!」と
医師は首を縦に振らず、A子さんの頭の中では延命治療
医師の頭の中では延命治療ではない治療が今も続いている。

A子さん曰く、現役医師が書いた
「延命治療を拒否し、自然死をしましょう」的な本が
たくさん目に付くが、現実の医療現場では
まだまだ受け入れられていないと思う。
それに、延命治療の線引きは病院の経営方針によって
大きく変わってくると彼女は力説していた。

人生の先輩であるA子さんの話は重かったが、
私にとって、今まさに老いは現在進行形であり、
明日は我が身かもしれない。
老いと死を見つめる上でものすごく参考になった。

バス停でのたかだか15分程の会話だったが、
この話を聞いて、他の似た事例で、両極端とも言える
医療機関の延命治療に対するスタンスの違いを思い出した。

約20年ほど前、
友人B子のご主人様(当時40代前半)が脳内出血で倒れ、
やはり意識不明の植物人間状態になり、
そのときに運ばれた東京の大学病院では、
倒れて3日後には、主治医がB子に、
「このまま延命治療を続けると経済的負担がかなりの額になります。
このまま続けますか?・・それとも止めますか?」
と訊いてきたのでB子は考えた末、「止めます」と答えたら、
すぐにフェイス・マスクによる酸素投与器
経鼻胃管栄養管を外したくれたと言っていた。
(数時間後にB子のご主人様は亡くなられた・・)



延命治療の線引きと、その在り方について、二つの事例を載せたが、
もの言えぬ患者の家族による延命治療の可否は20年前は可能で、
現在は不可?なのだろうか・・。

知人や友人の親たち(現在80代~90代)が入院する際には、
どこの病院でも必ず、延命治療の是非を訊かれると、
皆が口を揃えて言っている。

自然死で静かに夫を逝かせてあげたいと望む老妻と、
なんとか患者の命を繋ぎたいとの使命感?からか、
治療に燃える医師との心のすれ違いはどこからくるのだろう。

もしかして、A子さんのご主人様の治療方針は、
医師個人の死生観から来ているのだろうか?
それとも・・・・
130707r
病棟の七夕飾りに書いたとう早く目覚めて夢でもいいから・・
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tag : 延命治療 胃ろう 経鼻胃管栄養法 酸素投与器 療養型病院

世の中、めあき千人、めくら千人、残りの8千人はバカである。市場とは、このバカによって構成される。
「世の中、めあき千人、めくら千人、残りの8千人はバカである。
市場とは、このバカによって構成される」これは某広告代理店の
社長が言い放った言葉。まさに顧客をバカと見下し、卑下しきっている。」

この本の「はじめに」の冒頭に書かれている言葉である。

私自身も「残りの8千人はバカ」に入ることは間違いない。

なるほど!と思う部分も多く、いろいろ紹介したい項目があるが、
今現在、私の一番関心のある部分から徐々に紹介していこうと思う。



私は来週、持病の薬を処方してもらうために、某病院に行く。
そのときに、特定検診の予約もしてこようと思っているが、
もし特定検診以外のガン検診を希望するならば
オプションとして同時に申し込まなければならない。
う~ん。ガン検診ねぇ。どうしよう・・・(;一_一)
と悩んでいたところ、この春に読んだ「日本の真相」という本に
『有害無益な”5大検診”病人狩りキャンペーン』P82
と書いてあったことを思いだした。

その内容はというと・・

(1)人間ドック、(2)脳ドック、(3)がん検診、(4)メタボ健診、(5)定期健康診断―
これらを5大検診と呼ぶ。
これらは受けても有害無益である。
これら“5大検診”は、表向きは「国民の健康を守る」という建前になっている。
しかし、ホンネは巨大医療産業の利益を守るために存在する。
手っ取り早く言い切ってしまえば、これらは医療マフィアによる“病人狩り”の罠なのである。
まさか・・・・・・と、あなたは、またもや絶句するだろう。
とにかく、日本人ほど検査好きな国民は、世界でも例がない。
検査をきちんと受けていれば、病気を予防でき、病苦を免れ、長寿ができる・・・・・・
と信じきっている。
しかし、それは、まったく逆の残酷な結末にあなたをもちびくのだ。
つまり検査を受けるほどあなたは病気になり、病苦に苦吟し、なんと早死にしてしまう。
あなたは耳を疑うかもしれないが、それは私が言っているのではない。
取材に応じてくれた日本で最高レベルの学者が、
詳細な統計数値を駆使した多数の国際的な論文を根拠に、そう結論付けているのだ。
「しかし・・・・・・」とあなたは、言葉を失うだろう。
「政府がこれらの検診を推奨しているじゃないか!」そのとおり。
「新聞やテレビでも、検診が有害無益なんて一行も書いていない!」まさに、そのとおり。
あなたは、いまも「政府が言っている」「メディアが書いている」ことを信じるのか?
それなら馬鹿正直もきわまれり。
3・11で明らかになった原発事故の目のくらむ虚妄を、もう忘れたのですか?
原発は「絶対事故を起こさない」「クリーンエネルギーだ」「もっとも安上がり」・・・・・・
赤子でも気づくような嘘が、戦後60余年にわたって垂れ流されてきた。
P82

・・中略・・

  つまり、「検査」「クスリ」「医者」「病院」が病気を治してくれると信じきっている。
これは根本的な誤りである。致命的な考えちがいである。
 病気を治すのは、生まれながらみずからの内に備わった自然治癒力である。
それは、古代ギリシアの医聖ヒポクラテスが、すでに喝破している。
「医者の務めは、これら自然治癒力を助けることにすぎない」と断言している。
 なのに、現代医学教育は、自然治癒力について一言も教えない。なぜか?
 人間はほうっておいても、ひとりでに病気が治ってしまうという真実を教えたら、
「医者も、薬屋も、オマンマの食い上げ」となるからだ。
 だから、権威とされる『南山堂医学大辞典』ですら「自然治癒力
の項目は削除されている。それどころか「治癒」という項目すら抹殺!
わたしは現代医療は、国際的な医療マフィアに完全支配されていると断言する。
P84

と書いてある。


夫が会社員だった頃は健康保険組合の補助があったので、
各種のガン検診を受けていた。そのたびに必ずどこかが
要精密検査を言い渡されていた。
痛い思いをしてマンモグラフィによる検査を受け、
精密検査のために県立ガンセンターに行かされ、再び痛い思いをして、
精神的苦痛も何回味わったか数えきれない。
もう、痛い、苦しい、辛い思いをして各種のガン検診を受ける気はないが、
1年に一度ぐらいはメタボ健診の血液検査だけでも受けて、
今の体の状態を知っておきたい気持ちもある。
もしかして、運動と食事で高脂血症だけでも少しは改善されているかもしれないし・・。
などと、意志の弱さがボケた頭を揺れさせる。

私が予約しようとしているメタボ健診も有害無益らしい。
上記の本の書かれていることがすべて真実ならば、
私は「残りの8千人はバカ」の中に今後も居続けることになる。

世の中というものは、
何が真実で何が嘘だか判らない世界だということは
人類が存在する限り、永遠に不変なのだとつくづく思う・・。

タレントの病を見つける番組をつい見てしまふ我が狭き心は
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tag : ヒポクラテス 自然治癒力 医療マフィア

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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