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家族の責任、どこまで? 認知症の男性が徘徊中、線路に…遺族に720万円の賠償命令
一昨日の朝刊に
家族の責任、どこまで 徘徊中、線路に…遺族に賠償命令
の記事が載っていた。

記事によると・・・

家を出て徘徊(はいかい)していた認知症の男性が線路内に入り、
列車にはねられて亡くなった。
この男性の遺族に対し、「事故を防止する責任があった」として、
約720万円を鉄道会社に支払うよう命じる判決が出された。
認知症の人を支える家族の責任を重くみた裁判所の判断。
関係者には懸念の声が広がっている。

■妻がまどろんだ一瞬

 事故は2007年12月に起きた。愛知県に住む当時91歳の男性が、
JR東海道線の共和駅で、列車にはねられて死亡した。

 男性は要介護4。身の回りの世話は、同居する当時85歳の妻と、
介護のために横浜市から近所に移り住んだ長男の妻が担っていた。
この男性が外に出たのは、長男の妻が玄関先に片付けに行き、
男性の妻がまどろんだ、わずかな間のことだった。

 男性はホームの端から数メートルの線路上に立っていたところ、列車にはねられた。
線路に入った経路はわかっていない。事故で上下線20本が約2時間にわたって遅れた。

 JR東海は、男性の妻と、横浜市で暮らす長男を含めたきょうだい4人に対し、
振り替え輸送の費用など損害約720万円の支払いを求め、名古屋地裁に提訴した。

 JR側は、遺族には「事故を防止する義務があった」と主張。
訴えられた遺族側は、徘徊歴は過去に2回だけで事故の予見はできなかった、
などと反論した。


 ■判決「見守り怠った」

 今年8月に出された判決は、死亡した男性には「責任能力がなかった」とし、
遺族のうち男性の妻と長男の2人に賠償責任を認めた。

 長男は、家族会議を開いて介護方針を決め、
自分の妻に男性の介護を担わせていたことから、
「事実上の監督者」と認定した。
さらに徘徊歴や見守りの状況から事故は予見できた、と指摘。
男性の認知症が進行しているのに、
ヘルパーの手配など在宅介護を続ける対策をとらなかったなどとし、
「監督義務を怠らなかったと認められない」と結論づけた。
死亡男性の妻についても、「目を離さずに見守ることを怠った」とした。

 一方、他のきょうだいは、遠くに住むなどの事情で、
家族会議に参加しないなど、
介護に深く関与していなかったとし、責任を認めなかった。

 遺族代理人の畑井研吾弁護士は「介護の実態を無視した判決だ。
認知症の人は閉じ込めるか、施設に入れるしかなくなる」と批判。
長男らは名古屋高裁に控訴した。

 JR東海によると、飛び込み自殺などで運休や遅れが発生した場合は、
損害の請求をするのが基本的な立場。
ただ訴訟にまで発展するケースはここ数年は例がないという。
同社は「認知症の人の介護が大変だということは理解しているが、
損害が発生している以上、請求する必要があると考えた」としている。

 
■施錠しかないのか

 長男(63)のコメント 判決が指摘する
「(出入り口の)センサーを切ったままにしていた」
「ヘルパーを依頼すべきだった」といった事項を全て徹底しても、
一瞬の隙なく監視することはできません。
施錠・監禁、施設入居が残るのみです。
父は住み慣れた自宅で生き生きと毎日を過ごしていましたが、
それは許されないことになります。控訴審で頑張るしかないと思っています。


■「補償の仕組み必要」/無施錠の施設、落胆

65歳以上の高齢者のおよそ7人に1人が認知症と推計されている。
家族や関係者にとって判決は重く響く。

 
認知症の人と家族の会(本部・京都市)の高見国生代表理事は
「あんな判決を出されたら家族をやってられない。
責任をまるまる家族に負わせればいい、というのではダメだと思う」と判決を批判。
一方で「認知症の人の行動で他人に損害が生じうるのは事実。
何らかの保険のような、補償の仕組みを考える必要があるのではないか」と語る。

NPO法人「暮らしネット・えん」(埼玉県)が運営するグループホームは
カギをかけず認知症の人が自由に出入りできる。本人のペースを大事にするためだ。
外に出ようとしていれば職員が付き添う。ただ注意しても、
気づかぬうちに利用者が外に出かける状況をゼロにはできない。
無施錠の方針は監督責任のリスクと隣り合わせだ。小島美里代表理事は
「(判決の考え方で)今まで積み重ねてきたことを無視された気持ちになる。
怖くて、事業をやめたいとすら思う」と話す。


 ■事故までの経過

00年    男性の認知症に家族が気づく

02年    長男の妻が男性宅近くへ転居 男性に要介護1の認定。デイサービスへ通い始める

05、06年 夜中に2度徘徊

07年    要介護4、常に介護が必要な状態に


【07年12月7日 事故当日】

午後4時半ごろ   男性がデイサービスから帰宅、妻や長男の妻とお茶を飲む。
長男の妻が玄関先へ片付けに。妻がまどろむ間に男性が外出

午後5時ごろ    妻と長男の妻で、男性の散歩コースを捜すが見つからず

午後5時47分ごろ JR東海道線共和駅で事故発生

引用ここまで....





法的な面から探ると、自殺のように故意によるものではなく、
防ぎようのなかった過失に当たると思うのだが、
それでも司法は介護者に厳しい判決命令を下した。
今後はこの裁判所命令を元に、認知症の高齢者が徘徊中に線路に入ってしまい、
はねられて電車を止めたら損害賠償金を払わされることになるのだろうか?


どう考えても、在宅での認知症高齢者の24時間見守りは到底無理であり、
人権侵害をも承知の上で、家の一室を監禁部屋として施錠しても、
徘徊できるほどの身体的能力(特に足腰の力)を持っていれば、
壁は突き破り、窓ガラスは割ってでも外に出る人もいるかもしれない。

介護者にとってはまことに厳しい判決だと思う。
と同時に、認知症になってしまった老いた両親や配偶者に対しては、
徘徊しないように座敷牢に閉じ込めておくしかないのだろうか・・。

施設に入れるという選択肢もあるが、
現実的には私が住む町では、現在、要介護認定者での特養待ちは、
年金の範囲以内で入れる施設一箇所に付き、多いところで1,600人、
少ないところでも数百人が空きを待っている。
そして、ほとんどは入居者の死亡による退所者がいないと入れない。
今から20年後、私が運よく生きていたら、80代になっている。
その頃には、特養待ちはいったい何千人になっていることやら・・。

逆にサービス付き高齢者向け住宅や有料老人ホームは、
今現在でも掃いて捨てるほどたくさんあるが、
経済的な面から考えると、おいそれとは入れない。



上記のような賠償命令判決が出た場合を想定して、
民間の保険ではなく、介護保険制度に認知症オプションとして、
徘徊損害賠償項目を追加してもらい、
認知症と診断されたらそのオプションに加入し、
社会全体で分担するしか方法はないのかもしれない・・。


結局は新聞記事にあったように、介護で一番泣きを見るのは
在宅で認知症の親の面倒見ている配偶者とその子どものみということになる。

個人的には720万円の賠償命令を受けたご遺族が、
控訴審で地裁命令を覆し、「賠償責任無し」になることを祈ります。

誰もが好きで老いるのでもなく、
誰もが好きで認知症になるのでもない。
そして、誰もが好きで介護を背負うのではない。

国も行政もまったく当てにならない中、
(来年4月に予定されている消費増税分の多くは社会保障費には回さず、
法律に書き込まれている消費増税法の付則という抜け道を使って
公共事業へのばらまきと企業減税に費やす予定らしい。)
65歳以上の7人に1人が認知症(推計)という
「認知症時代」を生きなければならない私たちの世代・・。
子どもの世話になりたくなければ、また迷惑をかけたくなければ、
「自分はどこで死ぬことができるのか?」
を今から考えておかなければならない時代が到来しているようです。

寄る辺なき孤独噛み締め真夜中にファドなど聴きて運命(さだめ)を思ふ
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tag : 認知症高齢者 人権侵害 座敷牢 介護保険制度 司法判断 消費増税法の付則

「被災地のじじぃとばばぁなんて助けるな」・・こんな人がキャリア官僚としてふんぞり返っているこの国の未成熟度を思う。

経産キャリアのブログ騒動 「復興は不要、もともと過疎」 仕事記述で身元ばれる


 もともと、ほぼ滅んでいた東北のリアス式の過疎地で定年どころか、
年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが、
既得権益の漁業権をむさぼるためにそいつらの港や堤防を作るために
 そいつらが移住をごめる(ごねる)ためにかかる
費用を未来のことも(こども)たちを抱えた日本中の人々からふんだくり、
綺麗事をいうせいじ(政治)。復興は不要だ 
と正論を言わない政治家は死ねばいいのにと思う(2011年9月25日)

 (文中のカッコ内は朝日新聞が補足)

以上朝日新聞より引用




国民にとっては哀しいかな・・
長寿者を「死にぞこない」と言い放つ経産省キャリア官僚がいる。

私は人生の先達を大事にしない人々が数多存在する国の在り方、
及び被災地の完全復興と福島第一原発の完全なるコントロールなしには、
この国は亡国への道しか残されてない。
と思っているのだが、オエライ?キャリア官僚サマは、
「人生の先達様方に向かって、早く死ね!」と暴言を吐き、
被災地の復興は不要」とお考えらしい。

なお、キャリア官僚の退職金の平均は5000万円~9000万円以上で
おまけに天下り先の平均年収は平均1500万円だとか。
天下り先を辞めた後は、そこに年金も加わる。
そりゃあ、自分の老後は安泰でしょうよ。

だけど、このキャリア官僚の○○○○という人だけど、
年齢は1962年生まれの51歳だって。
ということは彼も立派なシニアであり、
自分だってじじぃと呼ばれてもおかしくない年齢でもあり、
いつ死んでもおかしくない年齢よね。(笑)

また、経済的にはいくら老後が安泰でも、この人も嫌でも老いる。
そういうことを忘れてか?よくもまぁ、
「年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが、云々・・」
等々の暴言を書き連ね、
加えて、飼い犬を虐待している画像を平気でブログにUPするような、
こんな幼稚な人がキャリア官僚としてふんぞり返っているこの国の体質に
今さら怒りなんて湧かずにただただ呆れたのと情けなさが、脳裡を過っただけだが、
こんなのばかり(キャリア官僚の全員とは言いいたくないけど、全員と思うしかないわね・・)
が実務を担っているんじゃ、被災地の復興はおろか、
福島第一原発のコントロールも含め、あらゆる面において、
国が国として機能していないんじゃない?と思われてもしかたがないわね。

そんな国でも、私には海外に移住する当ても経済的余裕も無し。(;一_一)
しかたが無いので、「年金支給年齢をとっくに超えたばばぁ」になって、
何が何でも今まで払った年金保険料の元を取って、それ以上の利益を得るまでは、
官僚サマから、「若者の将来を食いつぶしながら無駄に生きながらえている分際で
何を考えているんだ。早く死ね!」と言われても、
この国の片隅で、ごねて、ごねて、ごねまくって生き抜いてやるわっ!(笑)




↓は問題になっているキャリア官僚の削除されたブログのWEB魚拓とアーカイブよ。
http://megalodon.jp/2013-0924-1714-05/blog.goo.ne.jp/colon510/e/79a464c29cfd4ba7e9f912cb1dbc6a8f

http://archive.is/X0mBz
こんな人だもの、気候の良い時期に2か月間もバカンス休暇を貰えてよかった!
としか思ってないかもね・・。
それとも、自宅住所や娘さんの名前までもネットに晒されて、
外にも出られず家の中で家族喧嘩の真っ最中かしら?

こんな、名も無きシニア女の泡沫ブログでさえも、
個人を特定されないように気を付けてガードを固くしているんだから、
匿名で批判記事の多いブログを運営するなら、
尚更気を付けてガードを固くしないとね。
特に、オエライキャリア官僚サマ方や議員サマ方は・・。

虚無の色見せびらかすや曼珠沙華虚ろな心に秋が深まる
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tag : 経産省 キャリア官僚 天下り 被災地 福島第一原発

医者がガンになったらどのような考え方とどのような治療をして死を迎えるのか?
最近、とても目を惹く上に断定口調での医療否定本と医療肯定本が新聞広告に載っていることが多い。

記憶に新しいのでは、医療否定本の代表格である医師の近藤誠・中村仁一の共書である
「どうせ死ぬならがんがいい」とジャーナリスト船瀬俊介の「病院で殺される」


医療肯定本の代表格?は「医療否定本に殺されないための48の真実」長尾和弘。
book
それにしても、次から次へとベストセラーになる本を執筆するほどの時間のある医師は、
普段は何をしているのだろう?と疑問に思ったのだが、
近藤誠医師の本はインターネットで調べ上げた欧米の
メディカル系の論文が元になっていると新聞記事(多分)で読んだ気がする。

また、医療否定本や医療肯定本を書いた医師たちとて、決して若くはない・・。
もしご自分がガンに罹患したときには、
果たして、自分の書いた本のような信念を貫き通すのか?
と思い、「医者はどのように死ぬのか」を日本語と英語でググッてみたら、
How Doctors Die
It’s Not Like the Rest of Us, But It Should Be

という米国のサイトに辿りついた。

翻訳サイトの助けを借りて翻訳を試みたが、どうしても上手く出来ない・・・。
そこで、http://www.lifener.net/e3689962.htmlという一年以上更新の滞っているサイトに
簡潔な日本語訳が載っていたので勝手に転載させてもらった。
(もし不都合がありましたら、即削除致しますので、お知らせくださいませ。)


How Doctors Die
It’s Not Like the Rest of Us, But It Should Be

数年前、チャーリー(尊敬される整形外科医であり、よき師でもある)は、
胃にしこりをみつけ、外科医にその場所を検査してもらった。
そして、検査の結果は膵癌であると診断された。
検査した医師は国内でも優秀な外科医の1人で、
生存の可能性を5パーセント〜15パーセント、
5年間の生存の可能性を3倍に引き上げる
画期的な治療法をも考案した人物だったが、
それでもチャーリーは無関心だった。

翌日帰宅した彼は仕事を手じまいし、
2度と病院へ足を踏み入れる事はなかった。
彼は家族と共により心地よく、
出来るだけ長い時間を過ごす事に決めたのだ。
それから、数ヶ月後に彼は自宅で亡くなった。
彼は化学療法、放射線療法、手術療法を行わなかった為、
メディケア(公的医療保険制度)は彼にあまりお金を費やす事はなかった。

それは頻繁に議論される話題ではない。しかし、いずれ医師も死ぬ。
だが、彼らは他の人達と同じように死ぬ事はありません。
他の人が死に抵抗し時間を費やすころ、
彼らは自身の死と直面したとしても驚く程に平静を保っている傾向がある。
彼らはこれから何が起こり、何をするべきか適切な判断を知っているし、
適切な医療への手段も知っている。それなのに、彼らは静かに去る。

勿論、医師も死ぬ事を望んではいない、彼らは生きたがっている。
しかし、彼らは近代医療の限界を知っている。
そして、全ての人々が死にたいして何を恐れているかも知っている。
その恐怖とは苦痛であり、孤独に死んでいく事だ。
彼らはこうしたことについてすでに自身の家族に話をしている。
いよいよという時になれば、彼らは地上に存在する最後の時に
自分がCPR (心肺機能蘇生) により意識を取り戻すために肋骨を
砕かれることの決してないように望む
(適切にCPRが行われた場合こうしたことが起こる) 。

医療専門家のほぼすべてが「無駄な治療」と呼ばれるものが
患者に施されるところを目の当りにしている。
医師が死に瀕した末期患者に最先端の技術を用いるのはそんな時だ。
患者はメスで切り開き、管を突き通し、機器を取り付けられ、
そして薬物に冒されることになる。これらは全て、
1日に何万ドルもの費用をかけて集中治療室で行われる。
挙句に手にするのは、テロ犯罪者でも与えられない惨めな苦しみだ。
同僚の医師らが数えきれないほど何度も私に言い聞かせたのは、
言い方のわずかな違いこそあれ、
「万が一私がこういう状況になったら殺してくれ」というものだった。
彼らの本心からだ。ある医療専門家は「ノー・コード」と
刻印されたメダルを身につけ、
医師らにCPRを施さないよう意思表示している。
同じものをタトゥーで見たこともある。

人々が苦しむ治療を施すことは苦痛だ。
医師たちは自身の感情を表さずに情報収集できるよう訓練されてはいるが、
職務外では医師同士でガス抜きをする。
「誰だって自分の家族にだったらあんなことはできないよな?」
と尋ね合うのだ。私はこうしたことが原因の一つとなり、
多くの他分野の専門家と比較して医師のアルコール依存症や
うつ病の発症率が高いことにつながっているのだと考えている。
また私にとっても10年前より病院治療から身を引いた一因となっている。

どうしてこのような、
医師らが自分自身に対しては決して望まないようなことが
行われることになったのだろうか?
答えは単純だが、それほど単純な問題ではない。
答えは、患者、医師、そして仕組みである。

患者の行う役割をわかりやすくするために、
誰かが意識を失い緊急治療室に運ばれたという筋書きにしよう。
大抵の場合そうであるように、
誰しもがこのような状況を計画したわけではなく、
ショックでおびえる家族は選択肢の迷路に捕われたことに気づく。
彼らは途方に暮れる。医師が彼らに「できる限りのこと」を
尽くすことを望むかどうかを尋ねるとき、彼らの答えはイエスだ。
そして悪夢が始まる。
時として、ある家族は本当に「できる限りのことを尽くす」
ことを意図する場合もあるが、しかし大体においては単に
「できる限り適当なことを行う」という意味に過ぎない。
ここで問題であるのは、彼らが何が適当であるか知る由もなく、
また混乱と悲しみの中、それについて質問することも医師が告げることに
耳をかたむけることもないということである。自分の役目として、
医師は「できる限りのこと」がなし得る全てを行うと告げるが、
それは適当であるものとそうでないものを含む。

ここまでの筋書きはありふれたものだ。
問題を更に肥大させるのは、医師が果たす先行きとして非現実的なものだ。
多くの人々がCPRを信頼できる救命法だと考えていても、
実際には効果は通常乏しい。
私はCPR実施後に緊急治療室に運ばれてきた人々を何百人も見てきた。
正確にたった1人だけ、心臓に何の異常もなかった健康な男性が
(詳細を求める方には、彼が緊張性気胸であったことを伝えよう)、
病院の外に歩み出ることができた。
患者が深刻な病気や老衰、末期症状に苦しんでいる場合、
CPRからよい結果をもたらす勝算は無限小である一方、
苦痛の見込みは計り知れない。
乏しい知識と見当違いの想定から多くの誤った判断が導かれてきた。

だがもちろん、こうした出来事は患者のみによって招かれるのではない。
医師も同様に実際的な役割を担っている。
困ったことに、無駄な治療を施すことを好まない医師が
患者たちとその家族の希望を通す手段を見つけ出さなくてはならないことだ。
いま一度、緊急治療室とヒステリックなほどに深く悲しむ家族を頭に描いて欲しい。
彼らは医師のことを知らない。
そのような状況下で信用と信頼を確立することは非常にデリケートなものである。
人々は、医師が基本的動機から行動しており、
特にその医師が更なる治療を勧めない場合には
時間、金、または労力を省こうとしていることを見抜くことができる。

医師の中には他者よりコミュニケーションに優れる者、
より頑固な者がいるが、彼らが直面する重圧に変わりはない。
私が人生最後の選択肢のある状況に直面するときには、
手順のできる限り早い段階で、自分が (どのような状況下であれ)
適切であると考えるものだけを並べるやり方を採用していた。
患者やその家族が適切でない選択肢を持ち込んだ場合には、
問題となることについてマイナス面を明確にした専門用語でない言葉で話し合った。
もし患者や家族が依然として私が意味がないか有害だと考える
治療を譲らないときには、
彼らの治療を余所の医師や病院へ移転させることを提示した。

より力強い説得が必要だったこともあっただろうか?
いまだに移転させたことを後悔するものも中にはある。
私が最も好感を抱いていた患者の1人はある有名な政治一家出身の弁護士だった。
彼女は重度の糖尿病と血液循環の不良、そして一時、
足にひどい痛みを抱えていた。
病院の危険に対する判断から、
私は彼女が外科手術の助けを求めることのないようあらゆる努力をした。
しかしながら、彼女は私が一切交流を持たない外部の専門家たちを探し出した。
私以上に彼らが彼女を知っているわけではなく、
彼らは両足の慢性的に詰まった血管へバイパス手術を行うことに決めた。
これにより彼女の血行循環は回復することはなく、
手術創傷が癒えることはなかった。彼女の両足は壊疽を患い、
そして両側の脚部切断に至った。2週間後、
これら全てが行われたその名のある医療センターで、彼女は亡くなった。

こういった話の中において医師と患者双方の誤りを見つけることは容易だが、
いろいろな意味で全ての当事者は過剰な治療を
奨励するより大きな仕組みの被害者に過ぎない。
ある不運なケースでは、医師たちは診療ごとの個別支払いモデルを用いて、
それが例えどんなに要領を得ないことであっても彼らのできる限りのことを施し、
金を稼ぐ。しかしより一般的に見られることでは、医師は訴訟を恐れるあまり、
何の抵抗もなく言われたとおりにすることで、
面倒に巻き込まれるのを避けようとする。

どんなに準備が整っていたとしても、
この仕組みは変わらず人々を飲み込んでしまう。
私の患者の1人にジャックという名の78歳になる男性がいて、
彼は長年病気を患っており、大きな手術を15回ほど耐えていた。
彼が私に説明するには、例えどんな状況にあっても、
もう二度と生命維持装置を取り付けたくはないということだった。
しかしある土曜日、ジャックは重篤な発作を起こし、
奥さんを伴わず意識不明のまま緊急治療室へと運ばれた。
医師たちは彼を蘇生すべくあらゆる手を尽くし、
そして彼に集中治療室内の生命維持装置を取り付けた。
これがジャックの最悪の悪夢だった。
私がその病院に到着してからジャックの治療を引き継いだ時に、
私は彼の治療に関する希望の書かれたオフィスノートを示しながら
彼の奥さんと病院のスタッフと話をした。
それから私は生命維持装置のスイッチを落とし、
彼の側に座った。彼はその2時間後に亡くなった。

彼の希望の全てが文章としてあったのにも関わらず、
ジャックは彼が望むように最後を迎えることができなかった。
仕組みが邪魔をした。
看護士の一人は、後になってわかったことだが、
私がジャックのプラグを外したことを殺人の
可能性があるとして当局に報告したりもした。
もちろん、それからは何も起こらなかった。
ジャックの希望は明示的に書き出されてあったし、
そのことを裏書きする筆記作業もなされていた。
しかし警察の捜査されることはどんな医師にとっても恐ろしいものだ。
ジャックの明示した希望に反して彼を生命維持装置につながれたまま残し、
数週間の間彼の生命、
そして苦痛を長引かせる方が私にとってはるかに簡単だっただろう。
さらに私はもう少しお金を稼ぐことができ、
そしてメディケア(公的医療保険制度)には
50万ドルの追加請求が残ることになっただろう。
多くの医師たちが過剰治療の立場を取る誤ちを犯すのも無理はない。

それでも医師が自分自身を過剰治療することはない。
彼らはそうしたことの結末を絶えず目の当りにしているのだ。
誰であれ自宅で安らかに亡くなる方法を選ぶことができ、
これ以上なく痛みを和らげることができる。
ホスピス治療は末期患者に対して無駄な治療ではなく
安楽と威厳を与えることに重点を置いており、
多くの人々がより良い最後の日々を送っている。
驚くべきことに、研究によってホスピス治療を受ける人々が
しばしば積極的な治療を求める同じ病状の人々よりも
長く生きることが明らかになった。
私が最近ラジオを聴いていて衝撃を受けたことは、
有名なレポーターであるTom Wickerが
「家族に見守られて自宅で安らかに息を引きとった」ことだ。
こういった話は、ありがたいことに、
ますますよく耳にするようになってきた。

数年前、私の従兄のトーチ
(懐中電灯、トーチの明かりに照らされて自宅で生まれた) が
脳まで回った肺がんの結果であった発作を起こした。
私は彼のために様々な専門家たちに診てもらうよう手配し、
その後 彼の病状では化学療法のため
毎週3日から5日通院などの精力的な治療を行ったとしても、
おそらく余命は4ヶ月ほどであることがわかった。最終的に、
トーチはいかなる治療も受けないことを決め、
単に脳腫瘍のための錠剤を飲んだ。
彼は私の所に引っ越して来た。

私たちはそれから8ヶ月の間彼のしたがった色々なことをして過ごし、
何十年ぶりかのように一緒になって楽しんだ。
ディズニーランドに行ったのは
彼にとって初めてだった。自宅で何もしないで過ごした。
トーチはスポーツ馬鹿だったので、
私の料理を食べながらスポーツ観戦するのがとても好きだった。
彼の体重が増えたりもしたのは、
病院食でなく彼の大好物を食べていたからだ。
深刻な痛みはなく、元気なままであった。ある日、
彼が起き上がることはなかった。
彼はその後3日間昏睡に似たように眠ったままで、
そして亡くなった。
その8ヶ月間の医療費であった、
彼が摂取していた唯一の薬は20ドルほどだった。

トーチは医師ではなかったが、彼は自身が量のみならず、
人生に質を望んでいることを悟っていた。
私たちの多くもそうではないのだろうか?
終末期医療の最先端があるとすれば、それは、尊厳のある死だ。
私の場合、私の医師が私の選択を持つ。
それを決断するのは簡単だ、大抵の医師にとってそうであったように。
英雄詩ではなく、私はあのグッドナイトにゆっくりと向かっていくだろう。
私の恩師、チャーリーのように。
私の従兄、トーチのように。私の同僚の医師たちのように。

転載終わり----


最近、医療の何を信じたらいいのかが判らなくなってきた。

医師との相性なのか?それとも病院の規模なのか?
立て続けにベストセラー本を出す有名な医師や、
テレビに頻繁に顔を晒す医師の腕は本当に信じられるのか?
また、医師がガンに罹患した場合の抗ガン剤治療アンケートでは、
抗ガン剤拒否の医者が271名中270名だとか・・
しかし、一般のガン患者に抗ガン剤を使わないと
病院経営が成り立たないのだとか。


その医師たちは、職業柄、
終末期や死についての多くのビジョンを持ってはいるだろうが、
それでも、彼らもいずれは死ぬ・・。

やっぱり、医学的知識などない人は、そのときに茫然自失としてしまい、
運悪く「すべて目の前の藪医者にお任せ・・」にならないように、
元気なときにサナトロジー関連の本を数冊でも読んでおき、
また、セカンド・オピニオンも自ら進んで受け、
自分の終末期のことをシミュレーションしておき、
家族(天涯孤独の身なら友人や知人、もしくは役所や役場の高齢福祉課の担当者)に
伝えておくことしか方法はないのかもしれませんわね・・。
130922r
狭庭辺の片隅に咲きし地獄花幻夏の夢が終わらぬままに
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tag : 抗ガン剤治療 病院経営 サナトロジー 終末期

アホ有権者がアホ自民党議員を当選させている。「あまり大きな声では言えないが、選ぶ人がアホでも、選ばれる人は立派だ」と自民党の脇雅史参院幹事長のアホ有権者の定義。
今朝のラジオニュースと新聞で自民党政治屋の下記の本音発言を見聞きした。

http://www.asahi.com/politics/update/0918/TKY201309180494.html
 自民党脇雅史参院幹事長は18日夜、
都内であった同党女性議員の集いでのあいさつで、
選挙制度改革を行う際に女性議員を増やす観点が必要だとしたうえで
「今の制度は政党の段階で候補者の選び方が未熟だ。
政党が本当に正しい意味で国会議員を選べるか。
これさえしっかりしていれば、
あまり大きな声では言えないが、選ぶ人がアホでも、
選ばれる人は立派だ」と発言した。
政党の候補者選びの重要性を指摘したものだが、
有権者を軽視した発言とも受け止められそうだ。

 脇氏はけて「国民のレベル以上の国会議員は出てこないというが、
もっと国会議員の選び方を厳正にする仕掛けが必要だ」とも語った。
会場には十数人の女性国会議員が集まり、
安倍晋三総裁(首相)ら党幹部も出席した。

 脇氏は発言後、記者団に対し、
「発言を撤回するつもりはない」と語った。

引用ここまで....



ラジオのコメンテーターは有権者軽視!と断じ、
新聞記事は有権者を軽視した発言だと受け止められそうだ。
と論評しているが、
私は失言でも有権者軽視でもなく、
本音そのものであり、或る意味合いでの正論であると思った。

このニュースを見聞きして怒った有権者は、
脇雅史参院幹事長のアホ有権者の定義によるアホであり、
苦笑した有権者は「そんなことは言われなくても判ってる・・」と
嘲笑するしかない、普通の感覚の持ち主だと思う。
むろん、自公政権不支持の有権者としての・・。

また各メディアが「選ぶ人がアホでも」の言葉を取り上げて、
揚げ足取りを繰り返し、発言撤回で終わりにするつもりなのだろうが、
撤回すれば発言は無かったことになり、
なんでも赦されるというのも、今回に限った話ではないので
私も嘲笑するしかないが、いったい誰がこんなアホ議員を国会に送ったのか?
と呆れていることしかできない。


次から次に本音を出すアホ自民党議員を選んだのは、
そのアホ議員から『選ぶ人がアホでも』と名指しされたアホ有権者だ。
アホ有権者から「選ばれる人は立派だ」だなんて、
自画自賛できる神経を持つ、脇雅史参院幹事長もまた、
アホ有権者に負けず劣らずの救いようのないアホだ。
こんな人が政権与党の議員に選ばれる国に生きるしかない身としては、
哀しいかな、苦笑することでしか自分を慰める方法はない。





自民党政治とは一部の高所得者や大企業のオーナーとその株主だけが
更に利益を得られるように策略するのが本意である政党であり、
社会的弱者である障害者、高齢者、ニートや派遣社員、
またフリーターたちを
生き地獄に貶めて搾取するだけの政党でしかない。


いつだったかは忘れたが、
いったい誰がそんな自民党の候補者に投票するのかは永遠の謎としておこう・・
と書いたことがあったが、その謎がやっと解けた。


私はアラ還(60代よ。笑)なので、リアル友人、知人たちも
シニアorシルバー世代以上の方々が多い。
その中の約90%はパソコンにもインターネットにも無縁であり、
テレビのニュースと新聞記事を鵜呑みにし、
それらを疑うこともしない善良な人
脇雅史参院幹事長のアホ有権者の定義によるアホアホ)
で在り続けるためには、常に長いものに巻かれていれば安心だ、
的な考え方の人が多い。
それに、死ぬまで給付される年金で、自分は底辺の人間ではない!と
思っている節も伺える。

歳を取れば皆、思うように体を動かせなくなるのは自然の摂理であり、
つまりは、障害者手帳を持っていないだけの身体障害者でもあり、
その上、社会的弱者でもあることをも認めたがらない。

そんな彼らではあるが、皆口を揃えて、
消費増税反対。原発反対。TPP反対。憲法改悪反対。老齢年金減額反対。
後期高齢者医療制度反対。アベノミクス反対。
を叫びながらも、
多くは自民党の候補者に投票していると間接的にだが答えてくれる。

それならば、シニアorシルバー世代は
自分たちを苦しめることが判っていながらも、
なぜにアホ自民党に投票するのか?
なぜ、アホ自民党以外の政党には投票しないのか?
という謎に対する答えは、故遠藤周作の「黄金の国」という戯曲が、
日本人の根底に流れる生き延びるための哲学及び深層心理というものを
抽象的にだが示唆してくれている。


バテレン(司祭職にある聖職者)も隠れ切支丹(キリスト教徒)たちも、
いとも簡単に「踏み絵」を踏み、そして「転ぶ」。



ゆえに、その理由は......○×△□☆●◆★凸凹なのです。(笑)



ゆえに、その理由は......の先はキーワードとして示した
「踏み絵」と「転ぶ」から連想して少し考えれば、
黄金の国」を読まなくても判る人には簡単に判るはず。
逆に全く意味不明な人は幾ら考えても、永遠に意味不明なことでしょうが、
国会答弁ではないので、私に詳細な説明責任はありません。(^_^;)

私がやっと解いた謎の答えなので、
もったいなくてそう簡単にはここには書けませんわ。(笑)


結局は、自公政権が続く限りは、
この国のアホ政治屋とアホ有権者たちのアホサイクルは永遠に不滅である。
ということだけは、確かなようです。
自民党に投票した人たちを、アホ、アホと何回も言うのは、
小心者の私にはさすがに気が引ける。(笑)

そこで、さらに付け加えておこうと思う。
自公政権支持の方々にとっては、
私もマイノリティのアホであることは、
ええ、ええ、よくわかっておりますですわよん・・。(*^^)v

まだ羽根を動かせるのに大空をなぜに翔ばない老いた小鳥は
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tag : 自民党 脇雅史参院幹事長 選ぶ人がアホ 選挙制度改革 社会的弱者 身体障害者 遠藤周作 黄金の国 哲学 バテレン

明日は我が身として考える。「胃ろう 回復見込めない人に6割」の現実と死の自己決定権について
9月13日(金)の朝刊に、
東京五輪決定のお祭り騒ぎ記事とフクイチの汚染水漏れ問題の影に隠れるように
ひっそりと載っていた
「胃ろう、回復見込めない人に6割 研究機関、情報分析 本来は一時的な栄養補給手段」の記事・・。

 口から食べられなくなったお年寄りらの胃に直接栄養を送る胃ろう。
本来、回復する見込みのある人への一時的な栄養補給手段だが、
実際には約6割で回復の可能性がない人につけられていることが、医療経済研究機構の調査でわかった。

 厚生労働省の補助金を受けて、昨年12月~今年1月、全国約800の病院、
約1360の介護施設から回答を得て分析した。
胃ろうにした1467人の患者情報が集まった。約2千人の家族から回答があった。

 胃ろうをつけた時点で将来、口から食べるよう回復する可能性があったのは24%で、
可能性なしは59%を占めた。つけた後にはのみ込みの訓練が必要だが、
訓練を受けた患者は全体の49%にとどまった。

 胃ろうにした時に困ったことを家族に聞くと、「本人の気持ちがわからなかった」が55%、
「時間的余裕がなかった」が31%。胃ろうにしてよかったことは、
「生きていてうれしい」が63%、良くないことは「本人が幸せかわからない」が59%だった。

 胃ろうなどの人工栄養について、日本老年医学会が昨年、
苦痛が増えるなど患者の人生に有益でないと判断される場合には、
差し控えや中止も選択肢とする指針をまとめている。

 調査を担当した飯島節・国立障害者リハビリテーションセンター自立支援局長は
「後先考えずに胃ろうにするのは問題だ。回復の見込みがある場合につけ、
適切なリハビリをするという正しい使い方をしてほしい」と話す。(辻外記子)


新聞の切り抜きの整理をしていたら、「世界の老後及び死の自己決定」に関する
2013年4月の切り抜きが出て来た。

このブログで7月に記事にした、
延命治療を止めて欲しいのですが・・と相談したら、「ミイラにする気ですかっ!」
と医師に怒鳴られたと言う知人のA子さんと彼女のご主人様のことを思い出した。
A子さんのご主人様はもう胃ろう増設をしたのだろうか?
それともまだ鼻腔栄養のチューブから栄養を摂っているのだろうか?
と・・

私はその記事の最後で「もしかして、A子さんのご主人様の治療方針は、
医師個人の死生観から来ているのだろうか?それとも・・・・」
と曖昧さを残したままで締めくくっている。


今回、その続きはこの新聞の切り抜き記事に集約されていそうな気がしたので、
リンク元が削除される前にここに残しておこうと思います。




  2013年4月18日(世界の老後 最期は:中)オランダ 安楽死、自分貫きたくて

「気が強くて、厳しい人でした」。オランダ・アムステルダムの自宅で、
母アネカ・デネレさんの写真を手に次女ビレミンさん(54)はしみじみと語った
2010年3月、安楽死する母をみとった。89歳だった。

 独立心が強く、夫が亡くなってから十数年、一人暮らしを続けた。
いったん「やる」と決めれば、絶対やり遂げる。
そんな母が、亡くなる2年前、安楽死できる「薬」を集めるよう娘たちに指示した。突然だった。

 持病こそなかったが、75歳ごろから耳が遠くなり、
視力も衰えてきた。家中、手探りで物を捜しながら「どうして見えないのか」といらだった。
人生の一番の喜びだった読書もできなくなっていた。「もうこれ以上、このような形で暮らし続けたくない」

 その言葉にショックを受けたが、気が強い母には、「そのうちに」とお茶を濁すしかなかった。
1年以上たち、「認めるわけにはいかない」とはっきりと告げると、アネカさんは激高した。

 家庭医との面談が始まった。アネカさんは「非常に苦痛を感じる。
この人生はもう完了した。この先も治る見通しはない」と訴えた。

 目や耳が悪くなったという理由だけで安楽死を認めてもいいのか――。
医師の間でも意見は割れたが、最終的に家庭医が引き受けた。

 安楽死予定日の1週間前まで英語のレッスンを受けた。 
最後の3日間。海外で暮らす娘たちも訪れ、親子4人ですごした。
厳しかった母が、ほっとした表情を見せ、初めてリラックスしていた。おしゃべりしたり、散歩したり。

 「母とこれほど楽しいときを過ごしたことはない」

 娘それぞれに「遺品」が手渡された。ビレミンさんには婚約指輪だった。
死ぬ前に聞いておきたかったこともすべて聞けた。「安楽死だからできた特別なこと」だった。

 その日。時間きっかりに家庭医が訪ねてきた。
夫の書斎があった思い出の部屋にベッドを運び、医師から渡された薬を飲んだ。
娘たちが見守る中、徐々にしゃべるのが遅くなった。

 「横になったら?」と声をかけると、「私はまだまだ逝かないわよ!」。
母らしい最期の言葉だった。20分もかからず終わった。

 ビレミンさんは、母には死んでほしくないと思っていた。
だが、安楽死に至るまでに過ごした時間の中で、かたくなだった母から、
思うように生きられないつらさを聞かされるうち、その思いも理解できるようになった。
死期が分かっているからこそ、向き合う機会も出来たと思う。

 慎重に実施する必要があるとは思うが、今、「安楽死には大賛成」と話す。


 ■11年は3千件超、死亡者の3%弱

 オランダの安楽死の報告数は、
安楽死法が施行された02年は1882件だったが、
11年には3695件に増えた。全死亡数の3%弱を占める。

 国民の支持も高まった。

 1970年代から安楽死の合法化を推進してきたオランダ自発的生命の終結協会(NVVE)によると、
70年代の世論調査では支持は75%程度だったが、近年は約95%に達した。
同協会のデヨング事務局長は、宗教離れと個人主義の台頭を指摘する。

 「教会に行く人は減り、命は神から授かったものという意識は薄れてきた。
一方で、全てのことに自分で選べる選択肢があるべきだ、という考え方が強まっている」

 安楽死を求める声も広がっている。
「目が見えなくなった」「人生に疲れた」などを理由とする安楽死の要求が相次ぐ。

 ただ、痛みに苦しむ末期がん患者などと違い、こうした要求に対しては、実施を拒む医師も多い。

 これに対し、同協会は昨年、「生命の終焉(しゅうえん)クリニック」を始めた。
安楽死を家庭医に拒否された人のもとに、医師らのチームを派遣。法的に問題がないか調べ、
要件を満たせば安楽死を代わりに実施したり、拒否した医師に働きかけたりする。
開始10カ月で約600の要請があり、81人が安楽死したという。


 ■「生活改善が先」反対論も根強く

 一方で根強い反対も残る。

 キリスト教系団体、オランダ患者協会の政策担当エリーゼ・ファンフックさんは、
「順番が逆。まずは、よい緩和ケア、QOL(生活の質)の改善を徹底的に模索してから、
安楽死の議論が出るべきだ」と強調する。

 緊縮財政が続く中、福祉予算のカットも相次ぐ。
「QOLの低下した人が『自分の人生に疲れた』と言って死んでいく。
それこそ社会の破産だ」と警鐘を鳴らす。

 91年に安楽死を繰り返し求める女性の自殺を助けて自殺幇助(ほうじょ)罪に
問われたバウドワイン・シャボット元精神科医は、
「大切なのは高齢者に尊厳ある死について選択肢を与えること」と話す。
現在は、自ら食事や水を断つなどの「自己安楽死」を提唱している。

 ただ、シャボットさんは、安楽死法を他国へ導入することには慎重だ。

 「この法律は国民の30年以上にわたる徹底した話し合いの結晶。安易に採り入れられる制度ではない」

 実際、ベルギーやスイスなどで一部認められている以外、世界的には広がっていない。
日本でも裁判で安楽死が容認される要件が示されたことはあるが、法制化に向けた動きはない。

 (中村靖三郎)


 ◆キーワード

 <オランダの安楽死法> 世界に先駆け、
安楽死を明文で合法化する法律を制定し、2002年から施行。
「苦痛が耐えがたく、改善の見込みがない」
「自発的で、熟慮されている」などの要件を満たし、
医師が決められた手続きに従えば、安楽死させても刑事責任を問われない。
象は、医師が致死薬を注射する「積極的安楽死」と、
患者に薬を与えて自分で飲ませる「自殺幇助(ほうじょ)」。
延命治療の中止などは、通常の医療行為とみなされている。

 1970年代から数々の安楽死事件をめぐる裁判があり、ルール化が進んだ。




    2013年4月20日 生の終え方自分で描く

猛スピードで高齢化が進む日本。高齢者の死をめぐる社会環境は、
どのように変わってきたのか? 
家族社会学が専門の袖井孝子お茶の水女子大学名誉教授に聞いた。


 ――日本人の「死に方」はどのように変わってきたのでしょうか。

 「かつては、病気になれば医者に任せ、家族にみとられて逝く、
というのが当たり前の姿でした。
亡くなった後は、近隣の助けも借りながら、通夜から葬儀までする。
それが、日本人の当たり前の人生の終わり方でした。
現在は、こうした『お任せ人生』は難しくなった。
今は家族や地域の絆が薄れ、人生の設計だけでなく、死や死後といった、
もっと先までの設計図を自分で描くことが求められるようになってきました」

 ――医療も介護も「在宅へ」という流れがあります。
今は病院や施設で亡くなる人が多いですが、
自宅で亡くなるのが当たり前になる日が来るのでしょうか。

 「在宅化を進めようという国の方針は財政的な理由が大きいと思いますが、
『自宅で死にたい』というのは、高齢者にとって自然な願いです。自宅では、
あくまでも自分が『主人公』ですが、病院ではそうではない。
ただ、家族のかたちが多様化するなかで、
昔のように家族に介護され、家族にみとられて亡くなる、
というような人は実際はそれほど多くはないでしょう」

 「また、一人で自宅で最期を迎える、という人が増えてくると思いますが、
それには、介護や医療にかかる負担を考えると、
ある程度の経済的余裕がなければならない。
だれしもが『自宅で』というのは、難しい部分もあると思います」

 ――最近は、「平穏死」や「自然死」といった
最期の迎え方にも関心が高まっているようです。

 「これまでの『病院死』がひどすぎた、
ということへの反発が背景にあると思います
。医療が高度化する前には、高齢になれば特別な治療をすることなく、
死を迎えるのが当たり前でした。
80代、90代の人に長時間にわたる手術をしたり、
延命処置をしたりすることは考えられなかった。
現在は、
終末期の高齢者にも、過度な延命治療をしています。
無駄な治療をせずに安らかに死にたい、
という本人の意思は尊重されて来ませんでした」

 ――それは、日本特有の状況なのでしょうか。

 「昨年5月、スウェーデンの老人病棟の視察に行き、
病棟の責任者の医師の話を聞きました。
彼は死にゆく高齢者には、チューブによる
経管栄養も点滴もしないと話していました。
枯れるように死んでいくのが当たり前、ということでした。
家族が延命を希望することは少ないそうですが、
仮に希望があった場合は2日間くらい試してみて、
効果がないことを納得してもらう、と言っていました」

 ――日本では、高齢者の終末期における意思決定で、
家族が果たす役割が大きいようです。

 「スウェーデンでは、患者のQOL(生活の質)を重視して医師が決めます。
米国などでは本人の自己決定が重んじられますが、
韓国などアジア諸国では家族の意思が尊重されるか、
あるいは『家族任せ』という国が多いようです。日本ではさらに、
世間体や『遠くの親戚』の声も無視できない、
というのが実態に近いと思います」

 「ただ、家族や地域に頼ることが難しくなってきている以上、これからは、
日本もさらに自己決定を重んじる方向に変わっていくと思います。
自分の『生』とともに『死』の意味を考える必要性がますます高まる。
高齢者にとって、生の終え方はさらに重要な課題になっていくでしょう」

 (聞き手・立松真文)




最近思うことはといえば、
余りにも断定口調でガン治療はするな!医療を拒否せよ!の類の本と、
逆に、ガンは絶対放置するな!の相反する考え方の本が売れに売れていることの不思議さに
戸惑いを感じることが多々あります。
また、私のような、何にでも洗脳されやすい単細胞の人間は
何を信じたらいいのか判らなくなってくるので、
最近はそういう本は距離を置くようになりました。
なぜなら、それらの相反する思考の本に欠けているのは、
医師である著者たちが患者一人一人の意識変革を迫るだけであって、
医学界、医療界、引いては医師会全体の変革には触れていないことが
私には少しばかり違和感を感じてならないからです。

それらの本の極々一部をアマゾンからリンクしましたが、
リアルな知人、友人間での話では、
ある病院では初めに延命措置を訊かれ、
断ればチューブは付けずに自然死を待ってくれる。
またある病院では余命幾ばくもないことが判っていても、否応なく、
延命チューブに繋ぎ、延命を断れば、
即転院を申し渡す医療機関もあると聞いています。

医学界は今もなお山崎豊子の長編小説、「白い巨塔」と同じ構図であることは
今も昔も変わりはないのでしょうか・・。


加えて、終末期にまで、
患者本人とその家族の日本人としての死生観が大きく関与します。
日本人は死そのものを避けるようにしてきた文化と宗教観が染み付いて、
その志向が離れていかず、更には長いものに巻かれることを好み、
世間的な中庸感覚から抜け出すことを恐れ、世間体をとても気にします。

1.人が死んだらどうなるか?どこへ行くのか?
2.死後や死者をどう捉えるか?
3.生についての人々の考え方や理解の仕方。
4.生きることとは何か?死ぬこととは何か?

等を、ほんの少し考えて、大まかな意思を家族や血縁者に伝えておけば
問題ないはずなのに、もうすぐ死んでしまうシニアorシルバー世代になってもなお、
明るい話だけに終始し、死の話は縁起が悪いと避けたがる人が大部分を占める。

我が夫を例に出すと、終末期についても、
死後処理(葬儀やお墓)等についても
すべて、あなた(妻である私)にお任せします。と言っている。
自分の終末期の希望ぐらいは自己決定をして、
書面で残しておいて欲しいものですが、
6?歳にもなって、生涯現役にこだわり、死をタブー視する夫に
事前指示書を書きなさい!との無理強いはできません。



まだ記憶に新しい1998年の川崎協同病院事件を鑑みると、
その後においても、世界に類を見ない超高齢者社会を嘆くだけで、
活発な議論が為されるわけでもないままで、今に至っています。

17世紀初頭の仮名草子に「夢の浮世をぬめろやれ、遊べや狂へ皆人」
(ぬめろやれ=意味:浮かれ歩け)というがあります。
まさに欧米の「メメント・モリという意味」
(ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」
の警句)の日本版だと思うのですが・・。


なお、積極的安楽死を認めている国は下記の国々です。
スイス- 1942年
アメリカ(オレゴン州) - 1994年「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」成立
オランダ- 2001年「安楽死法」可決。
ベルギー- 2002年「安楽死法」可決。
ルクセンブルク- 2008年「安楽死法」可決。
アメリカ(ワシントン州) - 2009年

欧米人は一般的に死に対してはシビアです。
例えば飛行機事故などで、
家族等の近親者の死が確定すると、遺体も遺骨も引き取らずに
さっさと母国に引き揚げてしまう人が多いそうです。
逆に日本人は最後の最後まで遺体と遺骨にこだわります。
端的な例では戦後68年を経た今でも、
かつての戦地まで遺骨収集に出かけることが美徳とされています。
そのことが可か不可かはそれぞれの風土、文化、
宗教に根付いている死生観から来るものであり、
死者に対しての畏敬と畏怖の念と供養のためであろうと思いますので、
ただただ、ごくろうう様です。と申し上げることしか言えません。

上記の例はあくまでも端的な死生観の一例ではありますが、
私が重要視したいのは、死後のことではなく、
死に至る前の自己決定権についてです。

日本は尊厳ある死の自己決定については
後進国であるということだけは言えます。


オランダ、その他の国や州の積極的安楽死を全面的に
肯定しているというのでは無いことを言い添えつつ、
急を要さない集団的自衛権の解釈などは後回しにして、
もっともっと、死の自己決定権について論議を深めて欲しいと思っています。

オランダでは、条件はありますが、
安楽死を望む人に対しての薬物投与による自殺幇助は合法であり、
なんら罪に問われることはありません。
実際に安楽死を希望する人の傍で、何の罪の意識も無く自殺幇助をする・・。
私には信じがたいことですが、それがオランダの死に対する現実のようです。
また、安楽死には臓器移植がセットされている場合も多いそうです。
それが、可か不可かは、今の私の中では結論はだせませんが、
日本でも、そろそろ安楽死ではなく、尊厳死としての厳しい条件付での許で、
自己決定によって死を選択してもいい時期に来ているような気がしています。


己が終末期に至ってもなお、死の自己決定権はおろか、
死の直前になっても、死を考えようともしない結果が、
悲劇的な死(老々介護殺人、介護疲れによる虐待死孤独死孤立死
等に密接に繋がっているように思えてならないのです。

齧ってはならぬと知ってる毒りんご甘美な芳香に齧りたくなり
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某広告会社の社訓「もっと使わせろ。もっと捨てさせろ。無駄遣いさせろ。季節を忘れさせろ。贈り物をさせろ。組み合わせで買わせろ。きっかけを投じろ。流行遅れにさせろ。気安く買わせろ。混乱をつくり出せ。
今日も長~い記事タイトル(笑)でありますところの、

1.もっと使わせろ

2.もっと捨てさせろ

3.無駄使いさせろ

4.季節を忘れさせろ

5.贈り物をさせろ

6.組み合わせで買わせろ

7.きっかけを投じろ

8.流行遅れにさせろ

9.気安く買わせろ

10.混乱をつくり出せ


は、誰でも知っている、かの有名な広告代理店、電通が、
かつて社員を鼓舞するために掲げた『社訓』だそうであります。

この電通だけに関わらず、
他の広告代理店全般に広告を依頼している大企業でも、
表向きは温暖化を嘆いている風なCMを流して、
さも環境に配慮しているかのようなエコ企業を装いながら、
裏では電通のように、地球環境のことや、
あと数十年で枯渇すると言われている石油エネルギーのことなどは、
一切考えてもおらず、目先の利益だけしか頭にはなく、
「もっと使わせろ。もっと捨てさせろ」の消費社会
さらに加速させようとやっきになっている様子が,
まざまざと脳裡に浮かびます。

彼らにとっての顧客とは また消費者とは、お客様ではなくて、
物欲と我欲が入り混じったギラギラした目で、
「消費しては捨てること」に明け暮れる快感が止められない
無知な羊の群れでしかないのです。
また、そういう消費者になるように操作されているのです。


私と同世代のそれなりのお顔だちのプール仲間女性が3年ほど前から、
今問題になっているカネボウの
美白基礎化粧品組み合わせセットを使っていたとか・・
彼女は余程面の皮が厚いのか?(笑)
幸いにも、まだら模様の白斑症状は出現しなかったようですが、
3年前と比べて色が白くなった様子は全く見られません。(・・?
宣伝に踊らされ、まさに、『もっと使わせろ。組み合わせで買わせろ。』
の恰好の餌食になっていたのでしょう。


それらの美白基礎化粧品を使用すれば、若く?見られていると思い込まされていて、
そのことが嬉しいのならそれも良いのですが、そういう消費者は
無駄な消費をするように踊らされていることに気づくことはないのでしょうか。


半年ほど前に近所の商店街にヘアカラー専門店が開店したのですが、
腰の曲がった、70歳前後と思しきお婆様方で賑わっております。
近所の知人も通っているらしく、一ヶ月もしない間に再び白髪が生えてきたら、
部分染めに通うそうです。
まさに、電通の社訓での「7.きっかけを投じろ」の愚かな餌食そのもです。



気が向いたときにだけプールに来るM子さんは、
白髪率が約50%程の初老婦人ですが、
素顔であるにも関わらず、顔貌が厚化粧の女優さんよりも整っていて、
若いころはさぞかし!モテモテ
だっただろうと思われる、性格も顔も素敵な熟年美女です。
訊けば、メイクなどはもちろんしたことはなく、
スキンローションも何も塗ってはいないとか・・

外側にベタベタ塗りたくっても、元々の顔の造りの良い人はお歳を召しても
綺麗なままです。そういう人には高価な高級美白化粧品も敵いません。
M子さん曰く、「髪も自分でカットするし、メイクする時間もお金もかからないし、
こんなに楽なことはないわよ。」
だそうです。

元々の顔の造りの良い人は歳を重ねても、何をしなくても美しいままですが、
人生は不公平、不平等そのものですので、
これから配偶者を見つけようと思っているうら若き乙女たちも、
引力に逆らえない「顔のたるみ」をお持ちのお婆様も、
それなりのお顔をお持ちの女性では整形手術をしない限りは
そのお顔は残念ながら、どうすることもできません。
無駄な抵抗と浪費だとは思いますが、日本の経済成長のためにも、
せっせとパラベン及び他の添加物てんこ盛りの美白基礎化粧品を購入して塗りたくり、
自己満足をして頂きたく思います。
そして、更に更に美白にお励みくださいませ・・。(^_^;)




先日、いただきものの香料、着色料、酸化防止剤、合成界面活性剤などの化学物質入りの
合成シャンプー&リンスが切れたのを機に無添加せっけんシャンプー&リンスに切り替えましたら、
以前のようなシャンプー後のかゆみが消えました。

私の今現在の髪の白髪率は約20%程度で軽いウェーブのあるくせ毛の長髪ですが、
過去に白髪染めはへナで4~5回はしましたが、
白髪を染めても、地肌から生えて来る白髪とした境目の見た目が汚さがものすごく嫌で、
カラーリングはもう止めました。
今は素敵な銀髪をなびかせながら、
姿勢を正して颯爽と歩く銀髪の老婦人を目指しているところです。



それでも、女性にとって、化粧品や洋服を買う、
また美容院に行くという「美」に関する消費行為は快感そのものです。
ですが、それらの行為やモノに消費するという行動は
幻覚の美に対する自己満足でしかありません。
一時的な快感でいっときの欲望は満たしてはくれますが、
それはその瞬間だけのことです。

また買い物に行ったら必要なモノしか買わなければいいのですが、
衝動買いは更なる快感をもたらします。

もしかして、家の中に使わないモノが溢れていないだろうか?
と各部屋の押し入れやクローゼットを開けて見てみたら、
モノが溢れていました。(笑)
どうして、あのときにこんなものを衝動的に買ったのだろう?
というモノばかりが・・・(?_?)

最後の身辺整理をいったい何度したことやら・・(;一_一)



日々の朝刊にも、60歳を過ぎたら・・これ!です!のような、
「今始めないと長生きできませんよ。」「今始めないとシワが増えますよ。」的な
健康食品と添加物だらけの基礎化粧品の広告がいっぱい載っています。
歳を取って顔にシワやシミが出きてもすぐに死ぬことはありません。
また、顔にシワやシミがあっても無くても、
再度言いますが、綺麗さは生まれつきの元々の顔の造作が決めるのです。

顔という部分の皮膚表面だけを若く保とうと時間とお金をかけても
皮の下の細胞はお婆でしかありません。(^_^;)

若返ることは無理ですが、今を維持したければ、
継続可能な運動をしてインナーマッスルと遅筋を鍛え、
バランスの良い食事を心掛けたほうが、
お肌にも効果があるように思うのですが・・。





そこで、電通の社訓に対抗?して、私なりの私訓を作りました。

1.どうせそれは無駄な買い物になる、最低限しかお金は使わない。

2.断捨離などもってのほか、いつか使いたくなる時が来るのでモノは捨てない。
 死後は遺品整理後にフリマで売ってもらう。

3.無駄使いはしないで、姥捨て山で生き残るためにもっとお金を貯める。

4.消費によって季節を忘れるより、四季の移ろいを楽しむ。

5.今後、贈り物はしない。
(今年、親戚から高齢を理由に義理でのお中元とお歳暮の虚礼廃止を宣言された)

6.必要な物は単品でしか買わない。

7.TVCMをボォーッと観ていないで、トイレにでも行くかストレッチでもする。

8.流行を追わず、捨てるに捨てられない昔の服はリフォームするか、
 サイズが合えばどんどん着て個性的に見せる。

9.本当に今必要か考えて、結局は買わない方向に意識を向ける努力をして悪魔の誘惑に打ち勝つ。

10.店内で混乱しないように、クレジットカードや必要のない多額の現金は持ち歩かない。


 
先ほど、玄関前の道路を庭箒で掃いていたら、
斜め前の家の80代のお婆ちゃんがお出かけの御様子。
レレレのおばさんのように「お出かけですか?」と訊いたら、
はにかむような、また色っぽい小声で、
「綺麗にしてもたいに行くの..ウフ」と言います。
なんでも商店街のヘアカラー専門店に毛染めに行くとか・・
何食わぬ顔で小柄なお婆ちゃんの髪を見たら、
地肌から白髪が3センチほど見えていました。
年齢的には多分全白髪なのだろうが・・
彼女も、白髪は醜であり、カラーリングをして当たり前。
と思い込まされているのだろう・・と思うと、
腰の曲がり具合とヨボヨボ歩きとシワシワ顔と
カラーリング後の黒髪のバランスから考えて、
とても無理をさせられているように思えて、
なんだか少し哀れに思えました・・。

カラーリングだけはしないと決めた私でも、
もし80代まで生きられたとしたら、いずれは、お婆ちゃんのように腰が曲がり、
ヨロヨロ、ヨボヨボでシワシワ顔になります。

口が裂けても、お婆ちゃんに面と向かって、
銀髪をなびかせているほうが素敵よ。
とは言えません。
「いってらっしゃい。綺麗になってきてね♪」
と言って婆ちゃんをお送りしたのでありんす。(笑)

ほかにも、特養等で化粧品会社の人が、宣伝を兼ねて女性入居者に
メイクを施すと、元気になる。と新聞記事で読んだことがあります。
女性はいくつになっても、電通の社訓から読みとれるように、
「美」という幻想を買わされ、「美」という幻想から逃れられないように
操作されているのでありましょうか・・?
130913r
ユリノキの下で落した片ピアス見つからぬまま夏が過ぎて秋

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tag : 電通 地球環境 石油エネルギー 消費社会 断捨離 身辺整理 虚礼廃止 インナーマッスル

東京五輪開催決定による笑える長寿効果と新刊本の「老人優先経済で日本が破綻」に見る笑えない未来予想図。いっそのこと70歳安楽死法案でも提出してもらいますか?
さてと、本日も訳のわからない超長~い記事タイトルですが、
これには理由があります。
Twitterも登録しているのですが、このブログの更新だけで精一杯で、
Twitterでつぶやく暇などございません。
そこで、ブログとTwitterを連動させて、
記事保存ボタンをクリックすると記事タイトルがTwitterへの投稿になり、
その下部に記事内容のURLが表示されるように設定しているのです。
別に奇を衒っている訳ではございませんので、
またかよ・・(;一_一)とお思いの方々にはスル―していただき、
興味のある方だけお読みくだされば嬉しく思います。




さて、昨日もプールに行き、健康増進というよりも
現状維持に精を出して来たのですが、
いつものように「おはようございまーす♪」と挨拶をして、
ロッカールームに入ったとたん、
10人ほどのシニアorシルバー女性たちの
笑い袋からの笑い声のような大笑いが聴こえてきました。
すぐに話題の中身を察しましたが、
その話題とは、東京五輪が開催される2020年までに、
「自分たちは生きていられるか?」
の話で盛り上がり、大笑いしていたのでした。

「あと7年。頑張って健康増進に努めて、
是非会場まで足を運んで選手の活躍を観るわよ!」60代後半

「もっともっと長生きして、テレビで観るわ。」70代後半

「まだまだ死ねないわ!2020年東京五輪を見るまでは!」70代前半

「2度も東京五輪を見られるとは思っていなかったけど、
私も会場まで行って観たいわ。」60代後半

と皆様、口々に申されておりましたです。

プールに来られる方の中では最高齢?
と思しき人生の大先輩であられる85歳のK子さんは今でも自分で車を運転して
プールに来て軽く5キロを泳いでいかれる元気いっぱいの後期高齢者なのですが、
そのK子さんが、
「わたし、7年後は92歳よ・・生きていられないかもしれないわね・・」
などと気弱なことを言うのです。
そこに、今年、御歳76歳になられたべらんめぇ口調の後期高齢者のU子さんが、
「あんたさぁ、なにを気弱なことを言ってんのさ!
あたしはね。85歳で毎日5キロも泳ぐあなたを目標にプールに来てんのよ。
あんたはね。7年後の92歳でもまだまだ元気で5キロを泳いでるわよ。」
と励ましておりました。

そのべらんめぇU子さんが、突然に何を思ったのか、
「ところでさ、あんた、今いくつよ?」
と、他の人に次々に年齢を訊ね始めました。
中には年齢を言いたくないお婆様もおられるようで、
言いにくそうにしている人には、
「なによ!今さら歳を隠してどうしたいのさ!
まさか、未亡人だからって、その歳でまた嫁に行く気なの?
もしかして、星の王子様じゃなくて、星の金持ちお爺様が現れるのを待ってんの?
こんなね。市営のシニア割引の効くプールには、
そんな金持ち爺さんはプールの底を探してもいないわよ!
いつも底に落ちてるのは傷テープだけじゃないのさ。
と、冗談を言って笑いを誘っておりました。
もちろん、私も年齢を訊ねられたので、素直に「6?歳よ。」と答えると、
「なんだ!あんたは7年後はまだ余裕で生きてるよ!
皆で体を現状維持して、年金の中から少しづつ貯めて、
7年後には冥途の土産に東京まで水泳競技を観に行こうよ♪
ちょっとボケ田さん。あんたも行くんだよ!」
と、べらんめぇ姐さんに命令され、曖昧な約束をしたのでありますが、
他の前期及び後期高齢者の方々も口を揃えて、
「そうよそうよ!長生きできるだけ長生きして年金をもらって、
老後を楽しまなくて何の意味があるのよ。
ここにいる人たちは7年後なんて楽に生きてるわよ。」
と自分たちを鼓舞しておりました。

ほかにも、私と仲の良いプール友だちである
Y子さんの寝たきりの御母堂様(90歳)は、
普段は「早くお爺さんがお迎えが来ないかしら・・・」
と言っていたにも関わらず、
「やっぱりお爺さんのお迎えは、冥途の土産話として、
東京オリンピックを観てからにして貰うことにしたわ。」
とおっしゃって、普段は食欲がないだの、今日は食べたくない
だのと言っていたのが、
今は盛り盛りと食事をするようになったとか。

東京五輪開催による経済効果のような難しい話は
今回は面倒なので無視するとして、
東京五輪開催は高齢女性が2020年東京五輪をライブで観るために、
もっともっと健康増進に努め、皮肉なことに高齢化社会の更に上をいく、
更なる年金受給期間を長引かせる長寿者を増やす、
ウルトラ高齢化社会にも貢献?しているようでございます。(^_^;)

一昨日の2020年の東京五輪開催決定に対して、
朝のラジオ番組に投稿していた高齢者リスナーの方々
(男女を問わず)のご意見とご感想はといえば、
昨日のプールのロッカールームでの
高齢女性たちと同じ様なことを申されておりました。

こちらも、五輪効果だと言えるわけですが、
それらの話を聴いていて、
一昨日の新聞の読書欄で読んだ書評を思い出しました。


書評で取り上げられていた本は、『「老人優先経済」で日本が破綻』

という本なのですが、書評には、下記のように書かれています。
文字起こしが面倒なので切り抜きをスキャナーで取り込みました。(^^ゞ
画像をクリックすると老眼の方でも老眼鏡無しで読めると思いますけど・・(*^^)
IMG0909

なお、この本の詳細な内容紹介はこちらです。
怒りの矛先は老人ではなく、老人を優遇してきたこの国の政治だとありますので、
この国の政治だけに怒りの矛先を向けているのでしたら評価はいたしますが、
数年先には前期高齢者の仲間入りをする立場の私としては、
「年寄りは優遇されている」とはとても感じられないでいます。

書評の最後に『全世代で話合われるべき問題だが、高齢者は聞く耳を持ってくれるだろうか。』
と問いかけておられますが、
年金支給額は下がり続け、
反比例して国民健康保険料介護保険料は上がり続け、
我が市では、希望する70歳以上の人に公布される敬老パス
(市営バスや地下鉄に提示するだけで乗れる)も
70歳以上でも身体障害者手帳1~4級の人は無料ですが、
健常者は所得に応じて有料となっています。
来年4月には消費増税が、
誰かさん(安倍首相よ!(;一_一))の判断一つで決まります。
歳を取れば医療費もかかります。
そういうわけで、優遇されているというよりも、
逆に年寄りは苦しめられているとさえ感じます。
高齢者といえども、果てなき欲望は存在し、
死ぬまで我欲も消えないものです。
ゆえに、一部の事業主等の富裕層の高齢者の方を除き、
他の数多の年金のみで暮らしている
高齢者の方々の理解を得るのは難しいだろうと思います。

実際には本は読んでないけどね・・(笑)

それとも、なにかあるとすぐにそのドサクサに隠れるように、
とんでもない法案をごり押しして通してしまう自公政権に
人脈のある政治家を使ってSF小説の「七十歳死亡法案、可決」のごときに、
70歳安楽死法案を提案して提出してもらいますか?(笑)



7年後とはいえ、東京五輪を観る!
という些細な楽しみが見つかったことで、
ますます長生きする高齢者が増えて、年金支給額は増え続け、
若者の年金保険料は上がり続ける・・。
端的に言えば、世代間格差は増大し、
不公平で矛盾極まりない構図になりますが、
老若男女を問わず、人間が死ぬ時期は神のみぞ知ることであり、
明日も自分の命があるかどうかなどは、誰も判りません・・。


無能な政治屋集団が政権を握っていようとも、
またどんな社会状況であろうとも、
老人とて、老人になりたくてなったのではなく、
生れる親も生れた家の資産状況も選べず、
運よく今まで生きながらえてきただけのことなのです。
それに、今の若い人でも、生は永遠ではなく、
時間の経過とともに必ず歳を取り、
いずれは100%の確率で死ぬ運命にあることをお忘れなのかしらん?
それとも、そんなことは考えてもいない?



思いますに・・
「余命の短くなったお年寄りを大事にしない社会は、
裏面から視れば、
若者も子どもも大事にしない社会でありそういう国である」
ということは、よほどのアホでない限りは、少し考えれば判るはず。
中にはどうしようもない老害も存在するので、
すべての年寄りを敬え!とは言えませんが、
微々たる年金でつつましく暮らす年寄りを労わらないで
モンスター扱いにする国の未来に何が訪れるのか?
は推して知るべしではないでしょうか・・。

若き日に想い描いた未来花は咲かないままで散ってしまひき
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tag : 年金支給額 国民健康保険料 介護保険料 敬老パス 消費増税 老害 七十歳死亡法案、可決

(゚゚;)エエッ?汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。「現在も将来も問題ない」とプレゼンで安倍首相が・・
早朝、ラジオを聴いていたら2020年の五輪は東京に決定
のニュースが飛び込んできました。

最終プレゼンテーションで安倍首相はフクシマに触れたのかな?
と思っていたら、次のように述べられたとか・・


 東京電力福島第一原発の放射性物質汚染水漏れをめぐる安倍晋三首相の発言要旨は次の通り。

 【招致演説で】

 状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えるようなことを許したりはしない。

 【国際オリンピック委員会(IOC)委員の質問に対し】

 結論から言うと、まったく問題ない。
(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。
汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の
0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。

 福島の近海で、私たちはモニタリングを行っている。その結果、
数値は最大でも世界保健機関(WHO)の
飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ。これが事実だ。
そして、我が国の食品や水の安全基準は、世界で最も厳しい
。食品や水からの被曝(ひばく)量は、
日本のどの地域でも、この基準の100分の1だ。

 健康問題については、今までも現在も将来も、
まったく問題ない。
完全に問題のないものにするために、
抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、
すでに着手している。

 【演説後、記者団に】

 一部には誤解があったと思うが、誤解は解けた。
世界で最も安全な都市だと理解をいただいたと思う。






汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の
0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。』

と、安倍晋三首相は世界に向けて発言(国際公約)されました。
いやはや、どうしてこんな嘘を臆面もなく言えるのでしょうか。




福島第一原発事故をめぐっては、矛盾する報告書が飛び交って混乱を招いてきた。
原子力の専門家たちは、「汚染水が漏れた問題の深刻度については、
誰にも本当のところがわからない」と強調している。
福島第一原発は、2011年3月に発生した地震と津波によって電源を喪失して冷却が止まり、
原子炉のメルトダウンが起きた。同原発を運営する東京電力は、
溶けた核燃料を冷やすべく必死で注水作業を行っている。
汚染水は1日400トンの割合で増加し、発電所に設置された1000個以上のタンクには、
現在合計で33万5000トンの汚染水が貯蔵されている。
そして、これらのタンクのいくつかから、汚染水が地上に漏れ出している。
東京電力は先月、2011年3月の事故以来これまででもっとも深刻な状況として、
敷地内にある貯蔵タンクから300トンの高濃度放射能汚染水が漏れたことを認めた。





ー特集ー原発事故・放射線敷地の山側から1~4号機周辺に地下水が1日1000トン流れ込み、
うち原子炉建屋地下に400トンが流入。高濃度の放射能汚染水になって日々増え続けています。
東電は海に近い地中を薬剤で固める遮水策をすすめていますが、
部分的にしかカバーできていません。地下水が遮水壁を迂回(うかい)して
海洋流出する事態も懸念されています。
東電は「汚染が拡大している可能性が高い」とみて、
周辺の土壌を回収する予定ですが、時期や範囲などは決まっていません。




フクシマのことが嘘であっても、重大な理由がない限り、
いまさら、返上はできない2020年の
東京五輪開催。
(1940年(昭和15年)に東京で開催されることが予定されてい
た夏季五輪が日中戦争のため、日本政府が開催権を返上した。)

7年後に向けて、腹痛を起こしてもすぐには総理の椅子を放り投げずに
良く効くとかいう新薬の量を増やして頑張っていただくしかありませんわね。(笑)
そのときも運良く自民党総裁の座(任期はあるようでない)に座っていて、
首班指名されればの話ですが。

個人的には腹痛でも、痔でもアルツハイマー症でもなんでもいいから、
早く辞めて欲しい!ざます!思っておりますですが・・。

また、五輪誘致関係者以外にも、ビジネス・ビッグイベントである
東京五輪開催によるあらゆる面での収益で恩恵を受ける方には
さぞかし、喜ばしい決定であることでしょう。
今朝、ラジオのリスナーの投稿が読まれていましたが、
「2020年の東京五輪開催の報を聴いて嬉しくて涙が出ました。」だとか・・
その後を聴いていたら、選手が着用するユニフォームを作る会社の方ですとか。(;一_一)
そりゃ、嬉しいでしょうよ。

それでも、IOC委員に対して、金の力で口を封じたり、
安倍首相の放射無脳(笑)で騙せても、未だ高濃度放射性物質を含んだ
汚染水が海側にダダ漏れしている事実は消せません。
また、9月6日、韓国は汚染水問題を懸念して、
福島などの水産物の輸入を全面禁止にしました。
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日本の最高権力者たる人が、
『汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の
0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。』
などと、嘘を平気で付く国なのでしかたがないのでしょうか・・。

安倍首相の言われたことと、
真逆のことを書いてあるリンクした2件の記事・・
どちらが真実かは言わずと知れたことですが、
忘れないためにここに残しておこうと思います。

今に始まったことではないのですが、
安倍首相もその前の政権のトップだった方も、
津波で被災した方々や、津波と原発事故のダブルパンチを受けた方々のことなど、
まったく眼中にはないと断言できます。

前にもこのブログ書きましたが、
『芸術家は真実を伝えるため、政治家は真実を隠すために嘘をつく。』
は、映画(仮面の男 Vフォー・ヴェンデッタ )のセリフですが、
まさに名言そのものだとと言えますわね。

フクシマの旧知人より贈られし甘くて苦き水蜜桃食む
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tag : 東京五輪 高濃度放射性物質 汚染水

安倍首相「汚染水、7年後の2020年には全く問題はない」・・東京五輪招致よりも福島第一原発の汚染水漏れの早期解決が先じゃないの。

首相は出発前、東京電力福島第一原発事故の汚染水漏れについて、
首相官邸で記者団に「国が前面に出て抜本的な措置を講じる。
7年後の2020年には全く問題ないと説明してきたい」と述べ、
五輪招致への決意を語った。




んんっ?この御愁傷様、じゃなくて、御首相様はナニを言っているのかな?(?_?)
アベノミクス、アベノミクスで、
頭の中がますますアホノミクスになってしまったのかな?(・・?

どうも最近ボケてきて良く理解できないわ。(>_<)(笑)


五輪開催による公共事業で経済成長ができる!
と踏んでいるのだろうが、
未だに福島第一原発の汚染水漏れの解決をするための
道筋さえ見つけられないでいる状況において、
もし、本気だとしたら、相当にイカれている。
また冗談だとしても、笑えないブラックジョークである。


以下、福島民友新聞 9月3日(火)17時18分配信から引用

福島第1原発・廃炉阻む“高放射線” 工程見通し立たず
福島第1原発は、30年とも40年ともいわれる廃炉への長い道のりを歩み始めたばかりだ。
水素爆発などでがれきに覆われた1~4号機は、外見こそ処理が進みつつあるように見える。
しかし、1~3号機の原子炉格納容器の内部では、
炉心溶融(メルトダウン)で溶け落ちた核燃料と金属類のくずが熱を発しており、
真水による冷却が続く。溶け落ちた核燃料の実態を高放射線量の中で把握し、
取り出すまでの長期の工程は、いまだ手探りで見通しが立たない。
世界の英知を集めて方策を練る新組織・国際廃炉研究開発機構
(理事長・山名元(はじむ)京大原子炉実験所教授)はようやく8月に発足したばかりだ。



昨日の地震(発生時刻 2013年9月4日 9時19分ごろ)で、
我が地域は震度4でかなり揺れた。

揺れが治まった後にふと頭に浮かんだのは、
福島第一原発の汚染水を入れているタンクが軒並み倒れていないか?
もしかして汚染水が大量に漏れだしたのではないか?
ということだった。
増え続ける強度の弱い汚染水タンク。まさに、トイレなきマンション
いったいいつまで終わりのない汚染水とのいたちごっこをいつまで続ける気なのだろう。
もしかして、日本中が汚染水タンクで埋め尽くされるまで?
なんとノー天気なアホノミクスなのかしら!?


↓アルジャジーラ(10月25日)より
hukuichi

2020年までに福島第1原発の放射性物質の汚染水問題が収束しているとは思えないし、
放射能汚染水漏れ問題が現在進行形である日本での五輪開催は無謀というものだ。

地震多発国のこの国で再びの原発事故の可能性も皆無とは言えない。
IOC委員に高額な袖の下を包み、
また他にも、遊興飲食の供応等賄賂を積み、
五輪招致請負人に多額のギャラを払い、
難色を示していた宮内庁を説得して、
高円宮妃久子さまに東日本大震災復興支援への
感謝の言葉を述べていただくという大義名分を
むりやりにでっち上げて、政治利用しようとしているが、
万が一IOC委員への高額な袖の下が功を奏して、
2020年の五輪開催国に選ばれたとしても、
その経済効果の恩恵に与れるのは極々一部の経済界の人でしかない。


それにしても・・誰が自民党に投票したのかは知らないけれど、
「汚染水、7年後の2020年には全く問題はない」
の具体的な根拠の説明も無しに、
こんな口から出まかせを言う人をよく選ぶわねぇ。(;一_一)


2020年は今から7年後。
そのときには、原発事故そのものも、
汚染水漏れのニュースにもマヒしてしまっているか、また諦めてしまって、
原発事故も「なかった」ことになっているかもしれない。

東京も私が住む南関東の某市も十分に汚染されている・・のは自明の理。
高濃度の放射性物質を含んだ汚染水がダダ漏れしている福島第一原発から
東京まで約250キロ・・。
金の力で五輪誘致競争に勝ったと仮定して、
海外のアスリートたちが来るのかしらねぇ?


未曾有(みぞうゆう・・笑)の原発事故を起こし、
今もなお収束の兆しも見えない中、
休止中の他の原発の再稼働を急ぎ、
関電の大飯原発活断層はなかったことにし、
放射性廃棄物は日本で引き取る条件付きで、
首相自身が原発のトップセールスに駆けずり回る。

 
そんな国が五輪誘致? (・・?



私は何が何でも東京五輪誘致に反対と言うのではない。
もし、福島第一原発事故の放射性物質の封じ込めに成功し、
福島第一原発近辺の方々が安心して故郷に戻れて、
福島沖での漁も再開できてていたのだとしたら、
東京五輪誘致にも開催にも反対はしない。
もう少し時期を見ようよ・・ということよ。

五輪誘致などという話は、
福島第一原発事故は安全と言えるまでに収束しました。」
と具体的な数字を挙げ、事故現場の状況の画像配信をして、
世界に胸を張って言える日が訪れてから始めるものだ。


ネット上ではまだまだ原発事故に関することに
数多の人が発言や発信をしているが、
私のリアル友人や知り合いには、原発事故に触れる人は一人もいない・・。
福島のことは完全に忘却の彼方に追いやり、
いっときの五輪誘致騒動に浮かれている人さえいる。
友人も知り合いも爺と婆ばかりなので、
死ぬ前にもう一度見ておきたいと言う心理も判らないではないが、
1964年に一度見ているんだからさぁ・・。





日本の今の現状は五輪誘致にうつつを抜かしている時間と金を、
緊急に汚染水漏れの対策に使い、
また、原発難民の方々を早く不安定な環境から、
抜け出だせるようにして差し上げることのほうが、
五輪誘致に税金を使うよりも
優先されるべきことではないのだろうか・・。
フクシマが忘れ去られる前に。

今は、福島第一原発事故の収束のために、
最大限の努力をしなければならない時期だということを、
何も考えていない、世界に恥を晒し続ける愚かな国になってしまった、
の感が否めない。

神話など何処にも存在しないのに信じたがゆえに無間地獄へ
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tag : 五輪誘致 五輪招致請負人 福島第一原発事故 汚染水 大飯原発 活断層 原発難民 トイレなきマンション

「人間は考えるアホである」・・ゆえにバーチャル空間における匿名ブログへの誹謗中傷コメントも、なりすましも当たり前と思うべし・・
学校の夏休みも終わり、
子どもたちの姿と歓声が消えたプールに2日続けて行ってきた。
非日常が日常に変わっただけなのだが、
プールに来るのは相も変わらずの
私を含めての常連の爺婆だけになった。(^_^;)

そんなことはどうでもいいのだが、プール友達・・というよりも
私にとってはまだ知り合いの域であるが、プール仲間でもある
仲好しアラ還3人組(一年前にプールで知り合い意気投合したらしい)
A子、B子、C子が約半年前ほど前から仲良くパソコン教室に通い始め、
先日の話では、やっとこさ、ブログ作成と公開にまでこぎ着け、
今は詳細なブログ運営操作を習っているそうな。

いつも、同じ時間に待ち合わせてプールにやってくる三婆なのだが、
なぜか、今日に限って、その中の一人のC子がロッカールームにいない。
訊けば、彼女はブログに画像をUPするために使う
2台目の高級デジカメを買いに行ったのだと言う。

「あらそうなの・・ブログ運営って楽しそうね。
じゃ、あなた方のブログのURLを教えて。
今度お邪魔するからさ。」(*^_^*)と言ったら、
「URLってなんなの?」と訊く。
「それじゃ、ブログの名前を教えて。」
と言ったら、
「とんでもないっ!教えられないわよ。」
と二婆に声を揃えてあっさり断られた。

しばらくして、B子さんがプールに入る前のトイレに行き、
私と二人きりになったのを見計らって、A子さんが近づいてきて、
小声で耳打ちをし始めた。
何事かと思えば、C子さんの「ええかっこしい」に辟易しているのだと言う。

「C子さんのなにがええかっこしいなの?」と訊いたら、

A子さん曰く、「彼女のブログはね。高級食器やら、高級家具やら、高級家電やら、
豪華な食材やら、ブランド品やらを買ったという見せびらかし画像ばっかりで、
とにかく自慢たらたらの「ええかっこしいブログ」なのよ。
おまけにね。内緒で自宅のパソコンで他にもブログを作ったらしく、
わたしとB子さんのブログの中傷記事を書いているらしいのよ。
テンプレートがダサいとか、デジカメ画像がボケてるのをのせてるとかさ。
もちろん、相手はブログネームを使っているし、
物理的証拠がないから直接C子さんに聞くわけにも行かないけど、
あれは間違いなくC子さんなのよ。
だからって、わたしとB子さんもこのまま黙っているつもりはないわよ。
向こうは一人、こっちは二人。
半沢直樹よ!倍返しよ!
わたしたちの正当性を訴えるために、
他のブログネームでブログを作って今、反撃をしている最中なのよ。
C子もますます応酬してくるし、
売られた喧嘩は買わなきゃね!
それにしても匿名って便利よねぇ。
それからね。C子さんにはね。他にも笑っちゃう話があるのよ。
デジカメ散歩に出かけて、他人様の庭の季節の花を撮っていたら、
泥棒と間違えられて、その家のご主人様が金属バットを持って
家から出てきたんだって!バカよねぇ。(*^^)v
それにね、パソコン操作の覚えも悪いくせに、
自分用の新品パソコンを買ったり、デジカメもよく知りもしないくせに
画素数がなんたらかんたらと知ったかぶりをして、
今日は超高級デジカメを探しに家電量販店に行ったのよ。」




なんだとか・・・(^_^.)



表面上は仲良く見えても、また年齢的にはアラ還とはいえ、
心の奥底には嫉妬と我欲が渦巻いているものなのでございますねぇ・・・。


ヤレヤレ… ヽ(゚~゚o)ノ アキマヘンワ


なるほど・・この仲良し3人組の友情の中身は、
薄っぺらでまやかしの友情だったのね・・。
と思うと同時に、このアラ還3人組の三婆は、
自分のすべきことを知らないか見つけられないで、
時間を有効に使う術もしらない、
暇ですることがない救いようのない、
「我々三婆はなにも考えないアホである」(笑)
と第三者である私に宣言しているように思えた。

もし次回、この三婆に声をかけられても「逃げるが勝ち!」と、
理由を付けて2度と近づかないようにしようと思ったわ。

今後は一応の距離をおいて、
この三婆の似非友情の決裂までの経過観察だけはするけどね。

それから今回、なぜアホという語彙に拘るかと言うと、
私はプールへの行き帰りのバス移動の時間は
読書に当てているのだが、
昨日やっと「アホの壁」副題「人間は考えるアホである」(筒井康隆著)
という本を読み終えたばかりだからである。

昨日から、「人間は考えるアホである」
「人間は考えるアホである」「人間は考えるアホである」
の言葉が頭から離れないのよ。(笑)


第三章 『人はなぜアホな喧嘩をするのか』(P99)
の中にその答えらしきものが書いてある。

以下、「アホな喧嘩はアホが勝つ」P106より抜粋

これは女性に多いのだが、口喧嘩になり、
相手のことばの不合理性を諄諄と説いたりすると、
嘲笑し「ああそう。ああそう。ふうん。それから。それから」
などと言い募り、こちらがあきれて黙ってしまうと、
また無茶な理屈をこねて反撃してくる。
こういうのは法や道徳を嫌っているやくざに法や道徳を説くのと同じで、
相手はそもそも理屈を持たず、正論が嫌いなのだから、
説得しようとするだけで怒るのである。
こういうアホと喧嘩した場合、勝とうが負けようが、
何の益にも損にもならないのが普通であり、
喧嘩しないに越したことはないのだが、
あちらからしつっこく喧嘩を吹っかけてくる場合は始末に悪い。
やたらに人に喧嘩を吹っかけてくるようなアホは、
当然のことながら、孤独であることが多い。
つまり、こういう人種は喧嘩している状態が唯一、
他人とのコミュニケーションの場なのである。
喧嘩することによって孤独を忘れることができるのだ。
しかしたとえ孤独を孤独と思っていないやつでも、
ちょっと親切にしてやると感激したりする。
だからといって、こういうアホを手なずけようなどとしてはならない。
優しくしてくれるというのですり寄ってきて、
のべつべったりとつきまとわれるおそれもある。
そのうちにはこのアホのしでかしたアホなことで
大変な被害を被るかもしれない。
やくざを手なずけて好かれたりしようものなら、
どんなえらいことになるか、言わずと知れたことだ。
アホから逃れる術はないのだろうか。
物理的に逃げているしかないのだが、
逃げてばかりいても、毎日顔を合わせるような相手だと
常に逃げていることは不可能だ。ではどうするか。
「アホな喧嘩はアホが勝つ」というセオリー通りにしようとすれば、
自分が相手よりアホになるしかない。子供がよくやるように、
相手のことばをどこまでも繰り返すという手があり、
大人でもこれをやる人がいるが、
相手が苛立って殴りかかってくることは覚悟しなければなるまい。
----中略----
やはりどうしても、アホな喧嘩ではアホには勝てないというのが、
人類に定められた運命なのだろう。



さて、ここからは、私事ではあるが、
コメント欄でブログURLやメールアドレスを入力してくださり、
尚且つ、好意的コメントをくださる方。
及び、ブログURLもメールアドレスも記してはいなくても、
真摯なコメントをしてくださる方のIPアドレスの保存はしていないが、
この泡沫ブログで、ときどき政権批判をすると、
誹謗中傷コメントをくださるアホ様もときどきはいる。(笑)
何度も何度も価値観は人それぞれ!と書いても、解っては貰えないらしく、
男名前だったり、女名前だったり、また名無しだったりといろいろだが、
そのようなアホ様方のIPアドレスは保存しておいて、
後日、IPアドレスのドメイン検索にかけると、
ドメイン名ネットワークサービスネームサーバ
登録年月日接続年月日最終更新日
居住地域もすぐ分かり、微かだが人物像も浮かび上がる。
また、中には、アクセス解析で調べると
この泡沫世迷言ブログにアクセスして中傷コメントをする前に
エロサイトを見ていた幼稚園児の息子がいる若いアホママさんもいる。
(某掲示板の常連らしく堂々とIPアドレスを晒しているので正体はすぐに判った)

著者の筒井氏によると、「アホな喧嘩ではアホには勝てない」らしい。
私はそのようなアホの相手をしている暇はないので、
アホコメントにはホスト拒否設定をして、
一切相手にせずに「逃げるが勝ち」に徹しているが、
それにしても、IPアドレスだけを残して
他人のブログに誹謗中傷コメントを残すことでしか
孤独を癒す方法はないのだとしたら、
老婆心ながら、お気の毒だわぁ。としか言えない。^_^;
また、上記の若いママさんがエロサイトからすぐにこのブログに来られた・・
ということは、孤独な上に性的欲求不満もお持ちなのかしらねぇ。
ホントお気の毒だこと・・。
20130903r
夏椿言い訳繕い散っていく驕り高ぶる花の哀しき
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tag : アホの壁 人はなぜアホな喧嘩をするのか ドメイン名 ネットワークサービス ネームサーバ 登録年月日 接続年月日 最終更新日

「はだしのゲン」の感想を直接子ども(孫)に訊いてみた。
さて、「はだしのゲン」騒動でありますが、
島根県松江市立の小中学校の図書館で漫画『はだしのゲン』に
閲覧制限がかかっていた問題で、
8月26日に同市教育委員会が各校への制限指示を撤回し、
歴史認識、表現の自由などのテーマで物議をかもした
この騒動は一区切りとなったようです。

なお、喜ばしいことに、
書籍は異例の売れ行きを見せているそうでありますね。



夏休みに二人の孫が我が家に来たのですが、
そのときは部活の合宿で来られなかった一番上の孫(高校生)が
先週末に我が家近くの高校に遠征試合に来たので、
夕ご飯を食べに寄ってもいいですか?
とのメールを寄こしたのですよ。
もちろんOK!よ。愉しみに待ってるわ~(*^_^*)
の返信をしましたわ。

約30分後、大きなスポーツバッグを背負って、
青春を謳歌している汗臭い大男がやって来ました。

その汗臭い大男も、振り返れば、私が40代後半のときに生まれた初孫・・
その初孫の母である我が娘の出産の際は、
私の場合は実家が遠いため鮭のごとくに溯上して産んだ・・
と前回書きましたが、娘の家は同市内。
私が有給休暇を取って毎日通い、昼は私、夜はパパさん。
と分業して娘の産後とベビーを看たのであります。

そして今、目の前にいる大男が新生児のときには、
私が紙おむつを変えていたのだぞ!
と心の中でつぶやき、その成長振りに目を見張ったのであります。

私は身長が1センチも縮み、あちこちにガタがきて
退化していくだけなのにね・・・(ーー;)

その初孫も我が夫の身長(175センチ)を追い抜き、
部活で汗を流す、青春真っただ中の高校生・・
ばぁばとしては、感慨深いものがあります。


孫は我が家に着くとすぐにシャワーを浴び、
さっぱりして落ち着いたところで夕食を共にしました。
高校生活のことやら、将来の進路のこと、
また孫の家での家族間の面白可笑しい様子などを話してくれて、
我が夫婦は大笑いしながら訊き、
よくぞここまで大きくなってくれた!と、爺婆ともに一安心したわけです。



そして食後・・
デザートの果物を食べながら、なにげなく孫に訊いてみたのですよ。


「ところで○○ちゃん。「はだしのゲン」って読んだことある?」


「ウン、あるよ。今話題になってるマンガでしょ?
僕は小学生のときに地区センターで全巻を借りて読んだよ。
読んだのは小学4年生のときだったから、
キツイかな・・と思う場面もほんの少しはあったけど、
大人も子どもも含めて、世界中の人々があの本を読んだら、
誰もが戦争の悲惨さと愚かさと核兵器の恐ろしさを思い知ると思うよ。
冬休みにもう一度読もうかな?」
と私が感想を訊く前に答えてくれたのであります。


ついでに訊いてみた・・。
「ねぇ。○○ちゃん。もしもの話として、
はだしのゲンのキャラクターの絵柄がサザエさんや、
ちびまる子ちゃん、また、クレヨンしんちゃん風だったら、どう思ったかしら?」


「えっ?ゲンがクレヨンしんちゃん風の絵柄だったらって?
そうだね。何も伝わらないと思うよ。ゲンはあのままだからゲンなんじゃないかな。」
という答えが返って来たのであります。

ちなみに我が家には結婚を機に家を出た息子が置いていった
ゴーマニズム宣言が20冊ほどあるのですが、
孫たちが遊びに来る度に読んでいるようです。
今度、孫たちが来る機会があったらゴーマニズム宣言の感想も訊いてみようと思う。


それから、我が孫息子と同年代の
ももいろクローバーZ」(私は全く興味はないけどさ)とかいう
グループの娘たちが語った、意外な“戦争認識”を朝日新聞で読んだのだが、
戦った相手は「韓国」であり、終戦の年は1038年と答えたり、
中には1975年と答えた娘もいたそうな。

じぇ!じぇ!じぇ!
なんと!戦った相手は韓国で終戦の年は1038年とな?
インド人もビックリどころじゃなくて、
婆さんもビックリ!よ。・・・εミ(ο_ _)οドテッ…


私にはどうでもいいけれど、
これだけのおバカ娘が将来母親になれるんでしょうかねぇ?
私が言う母親とはですね。
身体的に正常な体であれば「あんなことやこんなこと」をすれば、
誰でも母親にはなれますが、生きていくすべての事象に対して、
応用力のある子に育て上げられるか?
ということです。

この世に完全な人間は存在しません。
私とて不完全な人間であり、不完全な母親ではありますが、
だからこそ、今でも老眼鏡をずり下げながら
いろいろなジャンルの本を読んで歴史を知り、
人の心を慮る努力を続けているのです。



だが、これからは、そのおバカ娘たちと、
こんなおバカ娘に大枚を叩いて群がる男たちが、
この社会を構成し、維持して行くのだと思うと、
「日本に明日はない!」ような気がするのです。
ましてや老人の置かれる状況においても・・・

なお、彼女たちのファン層は10代~50代だとか。
えっ?いい年こいた50代のオッサンもファンなの?

そういう自由は保障されているので、
私の口からはこれ以上のことは言えませんが、
こちらも、じぇ!じぇ!じぇ!だわ。


はだしのゲンには関係ないですが、
今日の午前中のTBSラジオで、女性アナウンサーが、
このアホ娘たちに対して、
「彼女たちのひたむきさに感動しています!是非応援したいです!」
と褒めちぎっておりました。

さすが、TBSでございますわね。
以前に書いた、「テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実。
日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっとるんです」

と発言されましたのは、真偽のほどは定かではありませんが、
TBSの現社長様ということになっておりますから・・

こんなアホ娘たちに目を奪われるように操作しておいて、
言論統制をジワジワと強化させて行くのがマスメディアの仕事なのでしょう・・。

これらのアホバカ娘たちにしてみれば、戦争のあった昭和という時代は、
平安時代や奈良時代、もしくは縄文時代と同じ感覚であり、
遥かで遠~~~い大昔のことでしかないのでしょう。
そして、彼女たちは、
演出によって演じさせられているおバカキャラなどではなく、
稀に見る真性おバカ娘たちであり、
パラレルワールドの日本のごとき、
別な次元の日本で生きているように思えてしまうのです。
そのような、真性おバカ娘たちをアイドルに仕立て上げ、
金儲けに勤しむ大人のいる国って、今までも狂っていたけど、
さらに狂気度を増しているように思えてなりません・・・。


孫馬鹿かもしれないのですが、高校生の孫息子がしっかりと
はだしのゲン」の意味と意義を見出し、
終戦の年と広島と長崎のへの原爆投下の日を、
正確に答えられたことに、少しは安堵しています。

戦争を知らない子どもが子を産みてその子の無知を誰も責められはせぬ
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tag : はだしのゲン ゴーマニズム宣言 戦争認識 ももいろクローバーZ 言論統制 原爆投下

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気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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