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爆笑エンディングセミナー体験記 其の2。「神も仏も信じていないので、男のロマンでドラキュラの棺(キリスト教式の棺)に入りたい!」
さて、前回の続きですが、
エンディングセミナーの内容にはない入棺体験の例外許可をいただいた
左卜全翁がオズオズとお棺に入り、
一番高い超豪華な布張りお棺(10万円のオプション付き)に仰向けになり、
モソモソと動いていたが、やっと落ち着く定位置を探しあてたのか、
微動だにしなくなった。
それが3分ほど続き、
同グループのオバサマ方が、
次々に寝心地の感想を訊くのだが左卜全翁からは何の返事もない。

或るオバサマは、
「あらやだ、この方、願いが叶ったのでホントに亡くなっちゃったのかしら?
それとも眠っちゃったのかしら?
ちょっとー!生きているなら起きてくださ~い!」
と口々に耳元で声をかけた。

すると左卜全翁が、パチリと小さく細い目を開け、
「寝心地が良くてよぉ、つい居眠りしちまっただよ。
まぁなんだな。寝心地はいいけどよぉ、ホントにおっ死んじまったら、
寝心地なんてどうでもいいっつうことだけは良く分かったからよぅ。
さぁ、彼の世から此の世に戻ることにすっか。」
と言ってお棺から出てオバサマ方を笑わせ、
その後は、お上品な岡田嘉子媼
を筆頭に、次々にオバサマ方が約30秒ほど(時間の制約上)の
入棺体験をしたのであります。
私の感想としては、ただの長方形の箱入ったというだけで、
布団が敷いてあるわけでもないので、
体の背面の骨が痛かった・・ただそれだけでした。(笑)
他のオバサマ方も大した感想は無かったようで、
「死んじゃったら痛いも痒いもないし、あんなもんでしょ・・」
と、入棺前の興奮感はどこへやら、あっさりした感想しか出て来なかった。

皆で急いで、一番高い超豪華な布張りお棺(10万円のオプション付き)
を元の位置に立てかけ、
案内人の指示でグループ員が次の場所へ移動しようしたら、
すると、またまた左卜全翁が、
「この一番端っこにある十字架が貼り付けてある黒いお棺は
キリストさんのお棺なんだろ?」
と案内人に訊いていた。

案内人
「さようでございます。
こちらのお棺はクリスチャンの方のお棺でございます。」

左卜全翁
「さっき入ったお棺は仏式、もしくは無宗教だんべ?
ここは日本だで、は極楽に行くことになるわな・・
するってーと、この黒いお棺に入ると天国に行くことになるんだよな?
オイラのガキの頃の話だけどよぉ。ドラキュラの映画を観て、
一度でいいから、この黒いお棺に入ってみてぇ!と憧れていてよぉ。
どうせ、一度しか入れねぇんなら、オイラこのドラキュラのお棺に入りてぇな。
幾らするんだい?んっ?2万円増しかい?よし!オイラはこのお棺に決めたで、
後で見積もりに入れてくんな。」

案内人
「あの~、クリスチャンでいらっしゃるのですか?」

左卜全翁
「うんにゃ・・オイラの宗旨かい?実家は曹洞宗だけどよ。
徴兵で実家を出て以来、
戦地でな、仲間が次々死ぬのを目の前で見てからはよぉ。
オイラ、天皇さんとこの神さん(伊勢神宮)も仏教も含めてよぉ。
世界中の神仏はどれもこれも信じちゃいねぇよ。
だからよ。葬式の宗教も儀式にもなんの拘りもねぇからよ、
オイラの葬式はドラキュラのお棺で、無宗教で頼むわな。
まぁ、なんだな、ガキの頃に夢見た男のロマンってぇものかもしれねぇな。」

だそうな・・

その後も延々と話を続けたがり、
オバサマ方も面白がって大笑いしていたのだが、
何しろ時間が迫っているらしく、
案内人が割って入って強制的に話を打ち切り、
次のエバーミング室に向かった。

そこには一般家庭の洗面台を横に長~く伸ばした形状の、
シャワーと排水口がひとつづつ付いただけの代物が置いてあり、
案内人が、
「ここでは香りの良いボディソープとシャンプーを使いまして、
ご遺体を丁寧に湯灌させていただき、
ご希望でエバーミングもさせていただかせております。」と言う。

そこでまたオバサマ方がやいのやいのと言い出す。

「ええっ?湯灌もエバーミングも基本料金には入ってないわよね。
オプション費用はいったい幾らなの?」
と事前に渡されていた詳細なパンフレットを開くと、
そこには驚愕のオプション金額が書かれておりましたとさ。

おひとりさまのオバサマA
「ええっ?湯灌だけで○○万円なの?
だってさ、ご遺体を寝かせてシャワーするだけで、
どうして○○万円なのよ?
えっ!技術料なの?それだったら、この場所だけ借りて、
家から石鹸を持ってきて娘にシャワーしてもらうことはできないの?」

夫有りのオバサマB
あのね。あたしの母が病院で亡くなったときは、
看護師さんが丁寧に体を消毒をしてくれてたわよ。
あれだけでいいんじゃない?
○○万円も出して香りの良いボディソープとシャンプーを使って湯灌をして、
更にエバーミングをしても、
どうせ、火葬場で焼かれちゃんでしょ・・
まぁね。若い女性が事故で亡くなったんだったら、
エバーミングも必要と思う遺族もいるかもしれないけど、
あたしはいいわ。もう歳だから・・」

おひとりさまのオバサマB
「このパンフレットに書いてある葬儀の基本料金というのは、
今日亡くなったとして、明日ここで家族葬を執り行ってすぐに
市営の火葬場に移動して火葬にしておしまい・・
という家族葬の基本中の基本プラン。
つまり最低限のプランというわけなのね・・。
でも、葬儀後に近親者で食事ぐらいしないわけにはいかないでしょ?
それに、もちろん、お寺さんへの費用も入ってないし、
香典返しもお通夜料理も精進落とし料理も全部オプションなのよ・・。
あらやだ!ちょっと~!役所への死亡届けもオプションらしいわよ。
それに、もし火葬場が混んでて予約が取れなかったら、
更に遺体安置料として、
一泊○万円の追加料金が必要ってことなるわけね。
結局、安く見積もってもパンフレットに書かれた基本料金の
2倍の費用が必要ってことになるわね。
葬儀社ってさ、なんだか家族の死と遺族の悲しみを利用した
いけずなボッタクリ会社だと思わない?
わたしも、湯灌もエバーミングも必要ないわ。
なんだか・・そう簡単には死ねないわねぇ。
皆さん、もっともっと元気で長生きしなくちゃね!(*^^*)」

そのとき、傍で黙って聴いていたセレブ?な岡田嘉子媼が
案内人に素っ頓狂な質問をした。

「あの~質問がございますの。
その湯灌でございますけれど、
希望した場合は男女どちらの方にしていただけますの?」

案内人
「普通でしたら女性のご遺体は女性が担当致しまして、
男性のご遺体ですと、男性が担当致します。」

岡田嘉子媼
「さようでございますか・・。
わたくし、冥途の土産として、
是非とも若くて美男子の男性に湯灌をしていただきとうございますが、
それは可能ですかしら?」

案内人
「はい。ご希望でしたら可能でございますが、
美男子かどうかはお客様の好みによりますので、
今ここでは、なんとも申し上げられませんが、
見積もりのときにお言いつけくださいませ。」

私を含めたセレブとは思えないオバサマ一同が
「あら~!その手があったわね~。
だけどさ、イケメンに湯灌してもらっても、
もう死んじゃってて、感触が分からないんじゃ意味ないわよね。」
それに、○○万円のオプションじゃとても無理だわ。
と大笑いしていると、
彼の左卜全氏が口を挟みたくて、
舌と声帯がウズウズしていたようで、
「オイラもよぉ、是非とも湯灌は若い姉さんにしてもらいてぇな。
それからよぉ、そこの姉さんの言ってた
金のかからねぇ葬儀なんて簡単にできるさ。
そだな・・この○○市では火葬場の予約だけは
個人ではできねぇみてぇだからよぉ。
先ずはどこかの葬儀屋に遺体の搬送とお棺だけを頼んで
自宅に搬送してもらってだな、
その葬儀社に火葬場の予約を取ってもらってよぉ、
予約した日時にまた火葬場まで搬送だけを頼めば
それだけで、いいんでねぇかい?
そしたらよぉ。搬送費とお棺代と火葬費用だけで済むってぇわけだよ。
役所への死亡届けなんざ、家族にしてもらえばよぉ、
10万円もかかんねぇと思うがなぁ・・」

「あら、いろいろなことをよくご存知ですのね。」
と岡田嘉子媼が感心しておりましたら、
左卜全翁がポッと顔を赤らめたのを、私は見逃しませんでした。(笑)

実際、私の知人のご主人様(80代男性)には、
左卜全氏がおっしゃったように葬儀に関する遺言を残した人がいて、
ご遺族はそのようにした・・と言っていました。

世の中、葬儀の形態も様変わりしました。
葬儀社に言われるがままにしなくても、
死者を悼むことは可能なようです。







人間の命は明日、否、今から一秒後にははどうなっているかすら解らない。
ことをも視野に入れながら
私は死をタブー視する我がパートナーのもしものとき・・
のことを考えて具体的な葬儀の流れと費用を知りたい、
と思ってエンディングセミナーに参加したのですが、
参加者の多勢を占めたおひとりさまの方々は、
もちろん、自らの死の後始末を考えて参加されたようです。
いろいろな思いで集まった人たちではありますが、
あまりにも、今を生きている人特有の人間臭い思いに、
涙が出るほど笑わせていただきました。

もちろん、他人様の死を笑うことは不謹慎であり、
また不届き千万なことであることは重々承知の上ですが、
エンディングセミナーに参加された皆様は、
全員が元気で生き生きとしていました。
(多分今現在もお元気のこととは思いますが・・)
我笑うゆえに我あり・・であり、未来の己が死を、
今生きている自分が笑うことは、あの空間では大いに許されていました。

あれから、一週間近く経ちますが、私のノート型日記帳の中では
彼らは、一緒に笑い、一緒に考え、また愉しいひとときを過ごした
己が死を真面目に考える名も知らぬ終活友として、
今も元気に生き続けています。



この後も爆笑エンディングセミナーは続きます。
次回は、遺影、骨壷、後飾り、仏壇等(もちろん全部オプション)
の葬儀と仏事における供養の為の副葬品展示室での笑えるお話です。
31030rr
もう二度と逢うことのなき人なれど幸多かれと祈る秋の日
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爆笑エンディングセミナー体験記 其の1。入棺体験をさせてくれたら、この葬儀社で葬儀をしてもいいけどよ・・高齢者はゴネ得で生きるべき?
今回、生まれて初めて、
葬儀ホールを所有する某葬儀会社のエンディングセミナーに参加してきた。
参加者の年齢層は40代~80代と思しき男女28名(男性10名、女性18名)。
本来は事前予約申し込み制なのだが、或る80代男性は
事前予約申し込み制ではなくて、当日受付でもいいのかと思った。
と飛び込み参加していた。

葬儀会社にとっては事前予約申し込みであろうが、
飛び込み参加であろうが、
80代の男性であれば近い将来において
確実に葬儀という金儲けの対象である。
飛び込み参加を断るわけがないわよね・・。(^_^;)





先ずは、葬祭ディレクターの司会で
厳かな雰囲気で始まったエンディングセミナー
開口一番、講師である葬祭ディレクターは
「人は嫌でもいずれは死ななければなりません・・。
元気なときにご自分や親御様のエンディングの準備をしておくことで、
そのときに慌てなくて済みます。
もし、エンディングに関して何の準備をしていないときに、
ご親族やご家族の方がお亡くなりになって、
気が動転しているときにですね。
病院と提携している葬儀業者にご遺体搬送を任せてしまうと、
そのままずるずると葬儀までお任せして、
後々、とんでもない料金を請求されることが多いのですが、
当社は明朗会計ですので、そういうことは絶対にございません。」
と強調する。

その後、延々と当社は他社に比べて
如何に良心的な葬儀社であるかということや、
他社との違いを繰り返していたが、
参加者はと見渡すと、
ご夫婦で参加した数組も含めて、他の人たちも初対面にも関わらず、
隣り合わせた人とのコソコソおしゃべりに熱心で
半数の人は講師の話など聞いちゃいない。
それでも、30分ほどの直葬家族葬一般葬の基本費用の話の後、
「オプションについては実際に
皆様の目で見てみないと分かっていただけないでしょうから・・」
と、7人づつのグループに分かれて、
ゾロゾロと死出の旅路へのリハーサルを兼ねた
館内見学へと歩を進めることになるのであります。


その飛び入り参加の80代男性は左卜全氏似で、
見た目にはおとなしくて優しそうなご老人に見えたのだが、
テーブルを挟んで私の前に座ったときから、
両隣に座っていたオバサマたちに話かけ、
誰も訊きもしないのに、自分からペラペラと生い立ちなどを話し始め、
風貌とイメージに似合わず、
チャキチャキの江戸っ子で話し好きな人だということと、
年齢は87歳であるということが分かった。
偶然にも飛び入り参加の左卜全翁は私と同じグループに入ったのだが、
彼にとっては身に迫っている真面目?な終活であればあるだけ、
3時間のエンディングセミナー中、
最後の最後まで笑わされっぱなしだったのであります。
そして、本来ならば厳かな雰囲気の中で受講を受け、
行動すべきであるはずの
エンディングセミナーは真逆の方向性になり、
この後も見学先の各部屋で爆笑の渦が巻き起こるのでありました。


ちなみに私が振り分けられたグループは、
男性は左卜全翁が一人で他は50代~80代の
オバサマたちでした。
中には、見るからにシワクチャなお婆様もいたが、
お婆様とて、私にとっては人生の先輩なので
敬意を表してオバサマにしておきます。

そして、適当に振り分けられた私を含むグループの7名は
人生の大先輩である左卜全翁を先頭にして、
館内見学へと出発したのでありますが、
最初に見せられた部屋は見本のお棺置き場だった。

案内人が、「パンフレットに表示してある基本料金のお棺ですと、
このお棺になります。」と桐の棺の説明をする。
他にも布張りの棺が数棺立て掛けてあったが、
布張りお棺になると、
オプションとして1万円~10万円の追加料金が発生するらしい。
そりゃあ、見た目は布張りのほうが高級に見えるが、
オバサマたちは口々に同じ言葉を発した。

「どうせ、燃やしちゃんだから、私はこの桐のお棺でいいわ。
布張りのお棺を選ぶのって
わざわざ、一万円札を燃やすのと同じことじゃない?」

「そうよそうよ!どうせ燃えちゃうんだから、
有り合わせのレースのカーテンでもお棺の上に被せておけばいいのよ!」
とオバサマたちが言いたい放題の賛同の意を表しているとき、
傍らでは左卜全翁が案内人になにやら訊ねていた。

「兄さんよぉ。ここでは、
よくテレビで観る入棺体験つうのはさせてもらえねぇのかい?
オイラが死んだら兄さんの会社で葬儀をすっからよぉ。
どうでぃ?特別サービスとして入棺体験をさせてくれねぇかい?
それに、この中ではオイラが一番先に彼の世に逝くことは間違いねぇべ?
今日、ここに来たのも何かの縁だでョ、どうしても入棺体験をしてみてぇんだよ。」
それに、帰りによぉ、オイラの葬儀見積もりを出してもらうからよぉ・・」
と、切々と懇願していたが、
案内人は額に大粒の汗をかきながら、
「申し訳ございませんが、
当社のエンディングセミナー入棺体験は入っておりませんので・・
誠に申し訳ございません・・それは出来かねます。」
とひたすら頭を下げるのみ。
 

その傍で見本のお棺の値踏みをしていたオバサマたち・・

「あらやだ、身長が175センチ以上の人は
普通サイズのお棺じゃ入らないから、
オプションで3万円増しの大型サイズのお棺でなきゃダメらしいわよ。」

「やだ~!なんでもかんでもオプションばかりなのねぇ!」

「大丈夫よ。背の高い男性だって、膝を曲げさせて入れれば
普通サイズの一番安いお棺でも入るわよ。」

「じゃあ訊くけど、死後硬直しちゃってたら、どうすればいいのよ?
無理矢理に膝を折るの?」

などと、初対面にも関わらず、旧知の友のごとくに
ワイワイガヤガヤとやっていたオバサマたちではあったが、
自然に耳に入ってくる案内人と左卜全翁の話を聞き付け、
案内人に向かって、

「あーら、そんなケチなことを言わずに
入棺体験ぐらいさせてあげれば~!」

「わたしたちだって体験ではなて、
いずれは本当に入るのを承知の上でこのセミナーに参加しているんだから、
一番お迎えの近いこのお方(左卜全翁)のご希望を叶えてあげたら!」

などと好き勝手なことを言い始め、左卜全翁の肩を持ち始めた。

そして極めつけは、左卜全翁に次いでの高齢者であろうと推測される
高そうなブランドスーツを着こなし、美しい銀髪を靡かせながら、
常にお上品な風情を醸しだしていて、
今まで言葉少なに理路整然と構えていた岡田嘉子氏似のオバサマが、
「皆さま。わたくしたちは、こちらの会社のご好意で
セミナーに参加させていただいている身分です。
そのような、無理なことをおっしゃってはいけません・・
ということは、重々に分かってはおりますが、
でも・・そうは言いましても、
わたくしもこちらの方(左卜全翁)の次ぐらいに
彼の世にいく身と致しましてはですね、
この方(左卜全翁)はこちらで葬儀をするとおっしゃっているのですから、
生前サービスの一環として、
この機会に入棺体験ぐらいさせておあげになったら・・と思いますの。」
と口を挟んできた。

案内人は、しばらく考え込んでいたが、
主任の地位にある葬祭ディレクターらしく、独断での判断も可能なのか、
「それでは今回だけは特別ということで、
この方だけには入棺体験をしていただきますが、
他のグループの案内人とセミナー参加の方々には
くれぐれもご内密にお願いします・・。」
と私たちのグループに釘を刺し、左卜全翁だけの例外入棺体験が可能になった。

グループの中では、多分・・あの世からのお迎えが一番近く、
また入棺体験をさせてくれたら、
口先では確実にこの葬儀社で盛大な葬儀上げると言い張る
左卜全翁の為にだけ、案内人が基本料金に入っている
一番安い桐のお棺に手をかけたら、オバサマの中の一人が・・・

「あ~ら、あなた、商売っけがないわね。
せっかくだからこのお棺にしてあげなさいよ。」

と言って、壁に立て掛けてある
一番高い超豪華な布張りお棺(10万円のオプション付き)を
勧めるのでありました。

案内人にとっては、煩いオバサマたちと左卜全翁は、
いずれは自分の勤める会社で葬儀を上げてもらうための宣伝を、
エンディングセミナーと巧妙に名前を変えて呼び込んだ餌に、
自ら食いついてきた大事な未来のお客様でもある。(笑)

そのとき、お上品な岡田嘉子媼が、優雅な身のこなしで、
他の人に見られにようにとの配慮だろうか・・
ササッとお棺ルームのドアを閉めた。
さすがに年の功でありますね。(^^;)


案内人は「そうですか・・・・」と既に諦め顔になり、
オバサマたちもウンショ!ウンショ!と掛け声を掛けながら協力し、
超豪華な布張りお棺を部屋の床にそっと置いたのでした。

オバサマたちは、左卜全翁に
「さぁ!早く入ってみて、寝心地を教えてね!」
などと、近い未来に彼が誰かの手で入れてもらうであろう超豪華な布張りお棺に
左卜全翁が靴を脱いでシズシズと自分の足で入棺するのを見守るのでした。

そこへ、彼(か)のお上品を絵に描いたような岡田嘉子媼が、
コホン・・とお品のある咳払いをしたかと思うと、

「この際ですもの・・
わたくしも入棺体験をさせていただきとうございますわ。
お願いできますかしら?」

と言いいだしたからさぁ大変。

他のオバサマたちも「わたしも!わたしも!」
と挙って入棺体験を希望したのでした。
もちろん、私も・・(笑)


この辺から某葬儀社の参加無料のエンディングセミナーに
参加させて頂いているのか?それとも参加してやっているのか?
が分からなくなってきたようで、
偶然私が入れさせられた即席のグループに
ある種の群集心理が芽を吹いたのでしょうか・・。

今回はまだ序章であり、館内見学における行く先々での
大笑いと喧騒の絶えないエンディングセミナーは次回に続きます。

終わりとは始まりの日なのかもしれぬ終活の場は笑顔に溢れし
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tag : エンディングセミナー 直葬 家族葬 一般葬 左卜全 岡田嘉子 入棺体験

まだ使えるものでもさっさと捨てさせろ!新機種を買わせろ!釣った魚に餌はやるな!を地で行く携帯通信会社ってあこぎな商売よねぇ。
約7年程前に白ロムで買ったガラケー電池パックがパンパンに膨らみ、
リアカバーが持ちあがって来て隙間から
電池パックが見えるようになり、充電ができなくなった。

3年程前にも、パンパンに膨らんだ電池パック
無償交換して貰ったのだが、
今回はドコモショップに行く前に
電池パックのことをドコモのホームページで調べてみたら、
既に電池パック提供終了機種一覧の中に我がガラケーも入っている。

携帯端末はどこも傷んでないし、
電池パックさえあればまだ使えるのだが、
電池パックがなければ携帯電話端末はただのゴミ・・。
事前にアマゾンと白ロム店で
互換バッテリーを調べてみたら、
現在在庫切れで入荷は未定との表示がでる。
ドコモオンラインショップでは、電池パックはおろか、
我がガラケーは「検索結果がありません。
検索条件を選びなおしてください。」と表示される始末。

ちなみにもう使えなくなった我がガラケーの電池パックの
過去のアマゾンレビューを読んだら、
「携帯電話の純正バッテリーは使用状況に関係なく容量の減少に加え、
早期から本体の膨らみが発生してしまうため・・云々」
と書いている人が大勢いる。
つまりは、最初から電池パックをそういう風に製造しているらしい。

そこで、仕方無しに3年振りにドコモショップに行くことにしたのだが、
もし良心的なドコモショップならば、
もしかして電池パックの在庫があるかも?
と期待してドコモショップへ行ったら、昨夜彼氏とケンカでもしたのか?
不機嫌でなんとも感じの悪い無愛想なお姉さんに当たってしまった。

在庫があるかも?と微かな期待を抱いて電池パックのことを訊いたら、
案の定、無愛想姉さんは淡々と
「提供は終了しましたのでありません」と言う。
「じゃ私はどうすればいいの?」と訊くと、
「新しい端末を買うしかないと思いますが・・」とそっけない。

ついでなので、今後の参考のためにと
スマホの端末価格と料金プランを訊き、
利用料金を計算してください。
とそれとなく頼んだら、
ああ、めんどくさ・・的な態度で
カウンター裏の倉庫に行き見本品のスマホを持ってきて私に見せ、
月々の利用費を一応は計算してくれたのだが、
その無愛想姉さんの言うことには、
「あのですね。ご年配の方々の中には、
携帯電話からスマホに機種変更されても、
使い方が面倒だとか機能が複雑すぎて判らないだとかと言って、
再び携帯電話に戻す方が多いんですよね。
それにお客様が参考になさりたい機種の
らくらくパケ・ホーダイの場合ですと、
月々の利用料が4000円+通話料の支払いになりますよ。
それからですね。スマホって、毎日充電しないと電池が持たないんですよね。
外出先で使わなければならないほど
頻繁に旅行にでも行かれるんですかぁ~?
新しい携帯電話をお買いになったほうが
今までよりも安い利用料金になりますよ。
私としてはそちらの方はよろしいよ思いますが~」と、
変な意味で親切なんだか、意地悪なんだかは判らないが、
この客はスマホを買う気はない!的な上から目線の態度で、
しきりにガラケーを勧める。

端末代よりも月々の料金プランに拘った質問をしたので、
余程の貧乏人に見えたのだろうか?
それとも、初老の女はメカに弱い・・とでも思っているのか?
そりゃあ、髪には白髪が混じり、
老眼鏡をかけたり外したりしている私の姿は、
無愛想姉さんに比べたら、間違いなく年配者ではあるけれど、
同年代女性に比べたら、メカ操作にはかなり強いと自負している。

その無愛想姉さん・・
ますます、面倒くさそうな応対になってきて、
「早く決めてよ!」的な対応と目の色になって来たので、
もし、どこかのオンラインショップにあればの話だが、
もう少し待ってから純正品ではない電池パック、
もしくは端末を白ロムで買って
フォーマカードを入れ替えれようか?
それともドコモショップで端末を買って、
今までの半額になる利用料金プランにしたほうが良いのか?
と超高速で頭を回転させていたのだが、
ドコモショップで端末を買わないと
安い料金プランには入れないという
利用者には意地悪な料金システムになっているので、
一時の端末代金をケチるよりも、
月々の利用料金が今までの半額になれば、
一括支払いの端末代は2年で元がとれる。
と私の直感が、「今ここで買っちゃえ・・」と囁いてきた。

結局はそのドコモショップで一番安い端末であるという、
35000円也の端末を一回払いで購入し、
月々の利用料は1000円以下(無料通話分1050円を含む)
になる契約をしてきた。


それにしても、つくづく思うに、
端末本体はどこも壊れていないにも関わらず、
勝手に電池パックの製造を中止して、
更には訳のわからない利用プランをたくさん提示して、
使っても使わなくても利用者から
金を巻き上げるという仕組みで成り立っている
電気通信事業者、特に携帯を扱う通信キャリアほど
あこぎな商売は無いと思った。


手続きも終わりドコモショップを後にしようとしたら、
無愛想姉さんが、あこぎ商売に追い討ちをかけるように、
「2年以内に解約すると解約金が発生しますよ!」と
「今回お買い上げの機種はドコモminiUIMカード
抜いて他の機種に入れて使うことはできませんよ。」
と、更にあこぎ度を増すことを言う。

「そんなことわかっとるわい!」
と心の中で叫びながらも、表面はニコニコと、
「ご心配ありがとうございます。
この機種の電池パック提供終了がいつかは分かりませんが、
今後10年は確実に使いますので、どうぞご心配なく、
ではごめんあそばせね・・m(_ _)m」
と作り笑顔でお礼を言ってドコモショップを後にした。


家路に着こうと、ドコモショップ近くの某駅前のバス停でバスを待つ間、
私の前に並んでいた10代~20代と思しき男女8人の全員が
スマホという小さな函にに支配されなければ生きていけない
アンドロイドのごとくにスマホに見入っていた。
そのスマホ依存症?と思しき若者たちの姿に、
この世のものではない異様な光景を見てしまったような気がして、
なぜか背筋に言い知れぬ悪寒が走った。

そして、私の前にバスに乗った見るからに頭の悪そうな女子高校生は、
スマホに夢中で定期券と間違えたのか?
どこかの店のポイントカードを見せて座席に着こうと車内を進み
運転手さんに大声で呼び止められて注意されていたのには笑えた。

更には、我が家近くのバス停を降りて家路を急いでいたら、
幼子二人を電動自転車の前後に乗せて、左手に持ったスマホに見入りながら、
右手でハンドル操作をしている若いママさんが向こうからやってくるのが見えた。
私はさっと、道路横の路地に逃げたけれど、ほんと危ないわよねぇ。

それもこれも、あこぎな商売人とそれらを応援するあこぎな政治家たちが
君臨しているこの国では当たり前の光景と割り切るしかないのだろうか・・。

それでも・・私の友人知人の約半数以上はスマホはおろか、
パソコンもケータイも所有していない。
それでも日々の用は足りるし、生きてもいける。
スマホが体の一部と化してしまったかのような若人と、
季節の草花を愛でながら、旬を楽しむ年配者・・
いったいどちらが、人間の本来の姿なのだろうか?
と考えさせられた一日だった。
131026
ケータイを持たぬ友からの絵手紙に描かれた紅葉の朱赤(あかあか)しさよ
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終活に大忙しの団塊女性と終活など一切しない後期高齢者女性・・果たしてどちらが幸せな人生?
昨日、いつものプール仲間4・5人と他愛のないおしゃべりをしながら、
水中ウォーキングをしていたら、
A子さん(団塊世代)が、
「来週ね、○○葬儀社でエンディング講座があるっていうから
行ってみようと思うのよ。
ほら、あたしの主人は脳梗塞の後遺症で軽い半身マヒの体でしょ。
相変わらず血圧も高いし、今後もいつ何時、何があるか分からないから、
一度は家族葬の詳しい話を訊いておかなきゃ・・と思ってるの。
それにエンディング・ノートももらえるって言うし、
家に帰ったら参加申し込みをしようと思うのよ。
あたしもこんな歳になったのねぇ・・」

などとA子さんのシミジミ話を聴いていたら、

途中から一緒に並んで水中ウォーキングを始めたB子さん(団塊世代)が、
「あら、わたしなんかね、この間、エンディング講座よりも先に
○○葬儀社へ家族葬の見積もりをしてもらいに行ってきたわよ。
見積もり書によるとね、参列者は10人前後と想定して
ホール使用料と香典返しから通夜料理、精進落とし料理、
火葬費用を含めて総額で50万円前後だって。
でもね、寝台車の費用は距離によって変わるらしいけど、
お坊さんを呼ばない無宗教なら50万円程度で収まるらしいわよ。
お墓のことも訊いてきたけど、
今はお寺の墓地を買う人はほとんどいなくて、
市営の合祀墓が多いらしいわよ。わたしは散骨希望だけど、
○○葬儀社ではクルーザーをチャーターしない委託散骨なら、
粉骨費用を含めて約5万円なんだって。」

そこでA子さんがB子さんに訊いた。

「ところでさ、誰の葬儀の見積もりに行ったの?」

B子さん
「もちろん、主人の葬儀の見積もりをしてもらいに行ったのよ。」

A子さん
「ねぇ、とっても聴きにくいんだど、
 あなたのご主人様だけど・・
 今、どこか身体の具合でも悪いの・・?」

B子さん
「ウウン。主人は体も下半身も元気ピンピンよ。」


私を含む一同
「下半身も元気ピンピンよ」を聴いて笑いを堪えつつ、 
「?エッ? (;゚⊿゚)ノ マジで葬儀の見積もりをしてもらいに行ったの~!? 」

B子さん
「下半身が元気ピンピン!の話は冗談だけど、
今の世の中、どうしても女性のほうが長生きするでしょ?
だから今のうちに家から近いあちこちの葬儀社に行って、
葬儀社と葬儀の規模とお墓を決めておこうと思ったのよ。
わたしか主人か、片方が認知症になったり、
体の具合が悪くなってからじゃ自由に動けないし、
遠くに住んでる共稼ぎの息子夫婦に
会社を休ませることもしなくて済むでしょ。
誰の世話にもなりたくないけど、認知症や寝たきりになったら、
嫌でも誰かのお世話にならなきゃいけないし、
ピンピンコロリで死んでも、
最期とその後のことは嫌でも誰かのお世話になるわけでしょ?
だから、都合のいい話だけど、ピンピンコロリで死ぬと仮定して、
最低限のお世話しかしてもらわなくて済むためには、
自分たち夫婦の人生の後始末は元気なうちに自分たちで手配して、
エンディング・ノートに書いておこうと思ったのよ。
あと2件ほど葬儀社に行くつもりだし、
その後は終末期医療に関する講演会にも行くつもりよ。
それから、言っておくけど葬儀の見積もり書は
全部無料で出してくれるわよ。」

そこへ、人生の大先輩であられる御年84歳になられる
故淡谷のり子の歌しか歌わないカラオケ好きな
シャキシャキ後期高齢者のC子さんが口を挟んできた。

「あらやだ・・あなたたちったら、
わたしより20歳近くも若いのに、もうそんなことまで考えてるの?
わたしなんて一度もそんなことを考えたこともないし、
これからも考えたくないわ。
そうよねぇ・・考えたくない・・というか
この歳になると死の恐怖が先に立って、
そういうことを考えるのを避けているのか、
もしくは気力がないのかもしれないわね。
だから、わたしはそういうことは死ぬまで考えないし、
終活なんて絶対しないわ。」

ときっぱりと宣言していた。


元気なうちに死に支度を考える団塊女性と、
そんなことは考えたくもないという後期高齢者女性・・。

人の命の明日は分からない・・は一応無視するとして、
平均寿命から考えると、運良く災害死などに遭遇しなければ、
あと20~30年以上は生きられる可能性が高い団塊女性が
自身とパートナーのエンディングのために行動している。

また、運良く災害死などに遭遇しなくても、
団塊女性よりは確実に生の残り時間短いであろうと思われる
80代の後期高齢者女性はそんなことは考えたくもないという。

笑いを交えながら終活を進める団塊女性と
死はタブーにしている80代女性の
どちらが充実した生の時間を過ごすことができて、
どちらが幸せなのかは私には分からないが、
団塊世代には嫌でも2025年問題が待っている。
名も無き数多の人々にとっても、国家にとっても、
早急になんとかしなければならない懸念材料でもある。

2025年問題
団塊の世代が2025年ごろまでに後期高齢者(75歳以上)
となることにより、医療費など社会保障費の急増が懸念される問題。




それにしても、私とほぼ同世代で終活を行動に移し、
エンディング・ノートを活用している女性が
身近にいることを初めて知ったのは大きな収穫でもあった。
次回、プールで会った日はB子さんの彼女なりの考える
終末期医療についての詳しい話をしてくれるそうである。
多分、適度な笑いを交えながらも大真面目に・・。

さて、私も手始めとして、
新聞のチラシで時々入ってくる某葬儀社主催の
参加費無料のエンディング講座(家族葬について)
に申し込んでみようかしら。
今をより良く生きんがために・・。

エンディング・ノートを独り書き直す窓辺の机に黄昏迫る
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tag : エンディング講座 合祀墓 委託散骨 2025年問題 終末期医療

日本人の死生観はアニミズム信仰のDNAから抜け出せない?・・М様からの「仏教をどうお考えですか」への返答も兼ねています。
北海道のМ様からメールフォームを通して、当ブログの
葬式仏教からの決別宣言には同感の意を表明していただきましたが、
「その昔釈迦が興したといわれる仏教という宗教については
どのようなお考えを持っておられるのか、
何かのついでのときでよろしいですから、
お示しいただければ幸いです。」
との、ご丁寧なお言葉遣いでの真摯なご質問を頂きました。

私は仏教については葬式仏教における死者への儀式程度しか知りませんし
また、仏教史についても、
高校時代に日本史で習った程度の拙い知識しかありません。
それでも最近では歳のせいなのか・・?
「大法輪」という仏教系の雑誌を読みたい特集記事のあるときだけは購入したり、
bible
聖書」「コーラン」「チベット死者の書」も一応は時間をかけて読みましたが、
無知無学の所以でありましょうか、ほとんど理解不可能でありまして、
未だに「仏教を含む宗教とは何ぞや?」に対して私なりの正解は出ていません。


また、今までも仏教について深い思索を重ねたこともなく、
確固たる信仰を持っているわけでもなく、
現在は「人は死ねば無になる、霊や魂は存在しない」
との考え方から抜け出せないでいます。

そういう理由から、拙い知識に因るイメージと直感だけで
私の仏教についての思いを述べさせて頂きます。

私の実家には、私が生まれる以前から古い仏壇があり、
戒名の判読もできないほど色褪せた位牌が仏壇に置かれていました。
私が物心が付いた頃からは母に頼まれて、毎朝、朝炊きたてご飯とお味噌汁と
野菜の煮物やお漬物を仏様に供えるときには、
当たり前のように毎朝仏壇に手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えていました。
ですから、知らず知らずのうちに我が家は仏教徒なのだろうと思っていました。

ところが、今になって遠い記憶を掘り起こしますと、
祖父母も父母も熱心に仏教を信仰している様子でもなく、
お寺に頻繁に行くわけでもなく、
お盆やお彼岸に住職を呼ぶこともありませんでした。
つまり檀家には属しておらず、父が亡くなって初めて、
母が曹洞宗のお寺と檀家契約をしたようです。

今思えば、我が祖父母も父母も敬虔な仏教徒には程遠く、
仏教伝来以前の日本人に古代から連綿と続く、
アニミズム信仰(生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、
もしくは霊が宿っているという考え方)
でしかなかったのだと思えてならないのです。


そして、ここからは、私の仏教に対する思いを、
代弁してくださっているかのような
日本の著名な宗教学者の山折哲雄氏の
著書「地獄と浄土」から一部を引用させていただきます。

ご周知のように、日本人の間に今日も色濃く存在し、
しかも大きな影響力を持っている信仰として祖先崇拝があります。
この祖先崇拝というのは必ずしも普遍的な信仰形態ではなくて、
たとえば世界の文明国家のそれと比較しても考えてみましても、
ヨーロッパ世界におきましては、はるか昔のローマ時代を最下限として、
この祖先崇拝というものはすでに消滅している。ところがこれに対して、
アジアにおいては、祖先崇拝は非常に根強く伝承せられているのですが、
そのなかでも特に日本の祖先崇拝は、その細密な儀礼体系からいっても、
また共同体と深く結びついたあり方からいっても
ある意味で世界に冠たる文化的特徴を
示しているのではないかと思えるほどであります。
 



そういう祖先崇拝の根底には必ずその民族や社会に
特有の霊魂観というものが潜んでいると思うのです。
とすれば、日本に仏教が輸入される以前の日本の社会、
あるいは日本人にとりまして、
いったい人間の霊魂というものはどのように
とらえられていたのかという問題がでてくるわけであります。
端的に申しますと、肉体と霊魂というものは
分離したり結合したりするのだという観念が非常に強くあったと思います。
これは「万葉集」をはじめ「古事記」「日本書紀」などに、
色濃く現れている思想でありまして、
いわば遊離魂に関する問題であります。



いずれにしても記紀・万葉の古い時代におきましては、
日本人に固有の霊魂観のなかに、霊魂と肉体は分離したり、
結合したりするのだという考え方が、
重要な前提としてあったのだと思うのです。

ところが、そういう日本人の霊魂観のなかに仏教の思想が入ってまいりますと、
当然大きな変化が起こるはずであります。
と申しますのは、仏教は言うまでもなく霊魂の存在を、
建て前として認めておりません。
釈尊の教えによりますと、
霊魂があるかないかという問題を単に形而上学的にのみ議論するな、
という意味のことを言っている。
釈尊はけっして、そもそも霊魂は存在しないのだとは
言っておらないのですけれども、
とにかく存在するかしないかということを
いくら議論してもこれは結論は出てこない。
結論が出てこない問題に執着するのは本来の仏教の立場ではない。
こういう見解だろうと思います。
しかしとにかくそういう霊魂というものを建て前として
正面から認めていないのが仏教の根本的な立場であります。
とすれば、そういう霊魂を認めない思想としての仏教が日本に移植されますと、
それ以前から日本人が生活の根底に強く持っていたところの、
今述べましたような霊魂観と、それは激しくぶつかり合うことになる。
異質の文化の衝突が発生するわけでありますが、
そこでは当然日本人の固有の霊魂観も変わってこざるを得ないし、
同時にインドから中国を経て伝来してきた仏教の固有の思想も、
これまたそういう日本の風土において、
その霊魂観とぶつかり合うことを通して変化せざるを得ません。


阿弥陀仏のような超越的な仏が行者の前やわれわれの前に現れてくるのは、
現実のこととしてあり得ない。具体的なこの実在の世界、
現実の世界に阿弥陀仏が近づいてくるということはあり得ないわけです。
現実的には絶対にあり得ないそういうことが、
どうして可能かというと、
夢のごとくに現れてくる。そして夢のごとくに仏と邂逅できる、
というのであります。
ところでこのような考え方がさらに徹底しますと、
われわれの心身が浄められた時、そこに仏が宿る、
映発するという考え方が出てまいります。
仏は外部にあるのではない、われわれの心身の中に内在するのである。
あるいはわれわれの心そのもののなかに存在している。
それはわれわれの外部に超越しているのではない。
われわれの心と身体の統合体のなかに潜在している。
ただ問題なのは、それが実際にわれわれのうちに現れてくるか、
現れてこないかということである。
それでは現れてくるためにはどうしたらいいのか。
そこから、自分の心、全体としての心身の活動を浄化するほかに
方法はないという態度が出てくるわけです。
そしてこのような考え方は、実はインドにおける仏教の発展のなかで、
ずっと古い以前から言われてきたことです。
心が清浄であれば、そこに浄土が自然に現れる、宿るという考え方は、
インド以来伝統的な考え方なのであります。
それを、日常的な経験世界における心理的な事象に結びつけて考えたところに、
この「如想念」という宗教思想の独自性があると私は思うのです。


現代の日本社会は明らか「地獄嫌い浄土好き」の傾向を示しはじめている。
この高齢化社会にあって安楽のうちに死を迎えたいという願望が
うなぎのぼりに高まっているためなのだろう。
癒しという言葉が流行っているのもおそらくはそのためだ。
誰でも地獄のイメージの中で癒されたいとは思っていない。
癒し願望というのは、要するに現実世界を浄土に見立てて、
その中で自己を回復し開放しようとする切実な思いのことなのであろう。


Aなるものは、そもそも存在するのか。
単純な設問である。
それに対する応答の第一はAは存在する、である。
これを有の立場という。
第二のパターンはいうまでもなく、
Aは存在しない、であろう。
これを無の立場という。
そして第三に、Aは存在するのでもなく存在しないのでもない、がくる。
これを非有非無の立場という。



神話や絵画や文学に登場する数多くの地獄の描写は、
一面では永遠を祈求する人間の裏返しにされた意識を表していますが、
他面では醜なるもの、グロテスクなものに対する
切実な関心とコンプレックスを含んでいます。
美の中に醜を見、醜の中に戦慄を嗅ぎわけようとする快感に、
それは似ていないでしょうか。
われわれの心のうちに潜んでいる悪意や殺意や怖れの感情は、
美や極楽の世界ではけっして安定しないのであって、
醜と戦慄の万華鏡のなかではじめて鎮静することができるという洞察が、
東西の地獄学の系譜のうちには底流しているようであります。
引用ここまで----


引用による前置きが長くなりましたが、
他宗教ながら、イエスの逮捕時に逃亡した若者がいる。
墓でイエスの復活を告げる若者は果たして同一人物なのか?
という本も出版されています。

果たして釈迦も実在の人物だったかどうかは疑問の残るところですが、
日本の仏教各宗派による経典の解釈の違いは無視するとして、
私は釈迦は宗教家ではなく、鋭い洞察力と直感力を持ち合わせた
偉大な思想家だと捉えています。


また、釈迦が興したといわれる仏教という宗教ですが、
釈迦が本当に説いた教典が存在しているのかどうかは私ごときには分かりませんし、
一方、現代の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には、
「釈迦は輪廻説を前提としておらず、
インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を
直接的に否定することをせず、方便として是認したに過ぎない」
と主張する者も少なくないそうです。

如何様にでも解釈は自由ですので、
本来の釈迦の教えは歪曲されている可能性も否定はできません。

また、アンブローズ・ビアスは悪魔の辞典の中で、
宗教とは「希望」と「恐怖」の間に生まれた娘で、
「無知」に向かって不可知の性質を説明する。
お前さんや、お前さんの宗教はなんじゃな」リームズの大司教がたずねた。
「お赦しください、大司教様」ロッチェブリアントは答えた。
「お恥ずかしい次第です」
「では、なんで無神論者にならんのかな」
「そんなことはとても。無神論なんて滅相もない」
「それならばじゃ、プロテスタントになるがよいぞ」

他にも劇作家の別役実氏は「当世悪魔の辞典」の中で
宗教とは「結婚式と葬式のためのドラマツルギー」
マルクスは「宗教は民衆の阿片である。」
     「神が人を創ったのではない。人が神を作ったのだ」
レーニンは「宗教は毒酒である。」
ニーチェは「キリスト教は弱者の宗教であり負け犬の遠吠えでしかない」
と簡単に切り捨てています。




M様は「墓の掃除をし、燈明と線香をたき静まり返った
静寂の中で手を合わせしばし墓前に佇づんでいると、
思いかけず心が澄み渡り悠久の時の流れと空間を感じます。
大げさに言えばこれがもしや仏国土とやらを垣間見ているのかも、
と思ったりします。この墓参のときのこの感覚がとても好きです。」
また「仏教という宗教は線香臭いことを抜きにすれば
ひとつの宇宙観を持った宗教であるといえます。」
と述べられています。

確かにM様がご指摘のように、宇宙は全体として、ひとつの生命体です。
そして、仏教の教えの基本は、この世に偶然に起こることは何もない、
すべての原因を変えることでより良い結果を生み出さなくてはならない、
仏教ではこれはカルマの法則と呼び、
現代科学では原因と結果の法則と呼ばれています。

M様のように心身の浄化のために日々精進され、
そして癒され、心が安寧をお感じになるのでしたら、
私のような不信心者には到達し得ない境地であるところの
全体としてひとつの生命体である宇宙そのものになる神秘体験を得る能力を
会得されたのではないでしょうか。

それとも・・・私の想像でしかありませんが、
もしかして、お釈迦様とご先祖様の霊に
ご加護される域に到達なされたのかもしれません・・。
その根拠としては、
脳の側頭部の深い場所には神の領域と言われる部位があるそうです。
この部位の神がかりな体験は理性をも制圧し、
恍惚感及び神仏との一体感と思しき確信をもたらすそうです。



例え、イエスも釈迦が架空の人物であろうとも、
私は思想家としてのイエスと釈迦の思想=教えそのものを
否定するつもりは毛頭ありません。

生まれも育ちも日本である私のDNAには、
古来よりのアニミズム信仰がどこかに存在していると思っています。
それに、信仰問題は別にしても、
日本人である私には仏教が一番しっくりくることだけは確かです。

とは言いましても、来世があるかどうかについては今現在は、
超ひも理論による来世という異次元界は存在しない・・
と考えておりますが、もし、今後、命に関わる大病に罹り、
ホスピスに入るようなことがあったら、
来世を信じるかもしれません。
また、そのホスピスがキリスト教系だったら、
あるかないかも解らない天国に行きたいがために、
取引として迷わずに洗礼を受けるかもしれません・・。

チベットの死者の書が言ふ中有(バルドゥ)は己の生前の生き方に在りと
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「水銀による被害とその克服を経た我々だからこそ云々・・」ちょっと、総理!水俣病はまだ克服してないでしょ!?
私は買った本、借りた本、頂いた本はつまらなくても最後まで読む。
だが、読みたいのに最後まで読めなかった本が一冊だけある。
石牟礼道子さんの非常に骨のある鎮魂文学作品の苦海浄土だ。

毎夜、睡眠剤代わりに寝る前に本を読むのを習慣にしているのだが
この本は眠くなるどころか、
読み進む毎にますます頭が冴えてくると同時に
胸が苦しくなってきて、途中で読めなくなってしまうのだ。

完全なノンフィクションではなく、
物言えぬ患者の心情を著者の主観で代弁している
部分もあるらしいが、下記のような文章を読むと、
辛さと切なさと人権を無視された悔しさと虚しさが湧いてきて、
つい読むのを止めてしまいたくなる・・。


「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、
水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。
奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。
そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。
あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」
        
 
それでも、苦海浄土は私の「死ぬまでに読みたい100冊の本」
の中に入っているので、
今読んでいる本を読み終えたら
今度こそは必ず最後まで読むつもりではいる。
生の残り時間も少なくなってきた今、
「読むなら、今でしょ!」と自分を鼓舞しながら・・。

考えれば、深々と更けゆく静かな夜に読むから
読めなくなってしまうのかもしれない。
今度は昼間(バスでの移動中)に読もうかな・・。






さてと・・話は変わり、
安倍首相は、2020東京五輪招致活動の最終プレゼンテーションで、
「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの
港湾内に完全にブロックされている」と発言した。
そして今回、水俣市で開幕した水俣条約採択のための
外交会議に寄せたビデオメッセージで、
「水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、
世界から水銀の被害を無くすため先頭に立って
力を尽くす責任がある」と述べた。

誰も、「福島第一原発の0.3平方キロメートルの
港湾内に完全にブロックされている」
とは思っていない。
また、誰も、「水銀による被害と、その克服を経た」
とは思っていない。

安倍首相の脳内での希望的観測に起因する妄想物語に付き合わされる
下々の者はたまったものではない。

また、安倍首相は2014年から3年間で水銀を中心とした
途上国の環境汚染対策に総額20億ドル(約2000億円)
を支援すると表明し、10日開かれた本会合で採択された。
途上国の環境汚染対策に日本円で約2000億円(もちろん我々の税金)
も支援と称して支出するなら、
なぜ水俣病患者認定被害者救済に使わないのか?
私にはどうしても理解できない。

なお、水俣病を引き起こしたチッソ江頭豊氏は
会長だった1972年1月、千葉県のチッソ五井工場に交渉にやってきた患者や
新聞記者たち約20名を暴力団員に襲わせている。
著名なカメラマンであるユージン・スミスはこのときに脊椎を折られ、
片目失明の重傷を負っている。
この件について、江頭豊氏が謝罪することは一切なかったそうな。

また、水俣病被害者にたちに対し
「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな!」
「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる!伝染るから近づくな!」
「庶民が何を言うか!」
「黙れ貧乏人が!」
と、罵倒及び恫喝したという有名な話もある。

原発は国策であり、フクシマでの放射性物質に因る
影響が判明するのは何年も先になる。
水銀が含まれている工場廃液を垂れ流したチッソも、
東電同様国が守った。
フクシマの今後も水俣病同様に嫌な構図が見え隠れしてる。

水俣病に対する国とチッソの大いなる過ちは、
被害者を人を人として見ず、人権を無視し、
尊厳を持って接して来なかったことに
大いなる原因があると私は思っている。
もちろん、フクシマも然りである。


なお、江頭豊氏は大金持でありながら、
晩年は老人ホームで、孤独に過ごしたとか・・。

更に、江頭豊氏の孫娘は皇太子妃雅子さまであり、
雅子さまのご病気は巷ではチッソの祟り・・と、
都市伝説のごときに、まことしやかに囁かれているが本当かしらね?

人は生きて来たように死ぬと言う。
安倍総理サマは私より数歳年下であるが
潰瘍性大腸炎という難病を抱えていらっしゃる。
平均寿命の男女比率から考えれば、
私よりも早く彼の世にお逝きになる可能性が高い。(^^;)
私は少しでも長生きして、
彼がどのような晩年を過ごし、どのような死因で
彼の世にお逝きになるのか是非とも見届けたいと思う。

水俣病に関心のある方は↓を参考までに・・
http://aileenarchive.or.jp/minamata_jp/index.html

病んでみろ病みきれんぞこの病(びょう)は一生(ひとよ)かかっても二生(ふたよ)かかっても
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テーマ : 今日のつぶやき。 ジャンル : 日記

tag : 石牟礼道子 苦海浄土 福島第一原発 水俣病 患者認定 被害者救済 チッソ 江頭豊 ユージン・スミス

複雑な思いしか湧かない、JR横浜線の川和踏切事故で助けた40歳女性の死と助けられた74歳高齢者の命の価値。
今日の午後2時のラジオニュースで、
新小岩駅と中浦和駅で発生した2件の人身事故の影響での
電車の遅れ状況を放送していた。
毎日、鉄道での「人身事故」のニュースを聞かない日はない今日この頃・・
JR横浜線の川和踏切事故には複雑な思いが交錯する。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/10/02/kiji/K20131002006727600.html

昨夕、亡くなられた40歳女性の葬儀の模様をテレビニュースで観た。

亡くなられた40歳女性に助けられた74歳高齢者については、
新聞もテレビニュースも、なぜ、その男性が
踏切内にいたのかは新聞記事でも触れないし、
ラジオとテレビのニュースでも触れない。


上記のsponichiのニュースでは、

「父親の村田惠弘(しげひろ)さん(67)=同区台村町=によると、
2人の乗った乗用車が踏切北側で停車していたところ、
逆側の遮断機が閉まる寸前に男性が踏切に進入。
線路上に首を置くように、うつぶせに横たわった。」

とあるので、急性の身体的な病気で踏切で倒れたのではなく、
やはり、自分の意思で自死しようとしていたのだろう・・
としか考えられない。


もし、助けられた人物が間違えて踏みきりに入ってしまった
2.3歳の幼児であったなら、
40歳女性の行為は、ご本人には痛ましい結果に終わったとしても、
果敢な勇気を褒め称え、惜しみない称賛に値するだろう。
だが私を複雑な思いにしているのは、
助けられた人物が自死志願の74歳高齢者だということだ。
断わっておくが、自死志願の高齢者なのだから見殺しにしろ・・
と言っているのではなく、
74歳になってもなお、自死を選び、
決行に移さなければならない社会を作りだしている国の在り方と
その無責任さに大きな疑問と猜疑心と憤りを抱いているからだ。
3

男女別・年齢別自殺者数
自殺は、日本人の死因第6位になっています。
20~45歳の男性、15歳~35歳の女性においては、死因の第1位です。
日本では、中高年の自殺率が高く、自殺者全体の6割を占めています。



政府からは紅綬褒章と神奈川県知事からは感謝状が贈られたが、
紅綬褒章と感謝状を貰っても40歳女性が生き返るわけではなく、
40歳女性のご遺族の悲しみは消えない。

私にはひとりの勇敢な女性の尊い命が失われた事故を
美談にして終わりにすることで、
大切なものに目を向けさせない政権の意図が垣間見えてならない。
国は自己犠牲を推奨し、全面肯定しているように見える。
メディアはこの事故を単なる美談で終わらせてしまうのだろうか。


助けられた74歳高齢者には、自死決行に至るまでに、
どんな事情があったのかは知る由もないが、
この国では毎日約90人もの人たちが自死で亡くなっているが
有名人でも無い限りは報道もされない。
JR横浜線での自死志願の74歳高齢者は幸いにも
未遂で終わってしまったが、
自死未遂者は自死が成功した人の10倍はいるらしい。

だが、国はそんなことには全く関心が無く、
社会の底辺で生きる者には見向きもせずに、
経済成長とやらにご執心である。


自殺は「追い詰められた末の死」であり、
「避けることの出来る死(avoidable death)」(WHO)です。
自殺率が高かった海外の諸国では、
様々な自殺対策が行われてきています。
フィンランドでは、国家プロジェクトとして自殺対策に取り組み、
10年間掛けて自殺率を3割減少させました。
このように、国家として自殺問題に取り組み、
効果をあげてきている国々は多くあります。




助けた40歳女性の死と自死しようとして助けられてしまった74歳高齢者・・
世間的には良い話であり、美談ではあるが、
そもそも、警報音が鳴っていて、遮断機が降りている踏切に入ることは
如何なる場合であれ、命を失う恐れが大きく、尚且つ違法行為になる。



冒頭に書いた人身事故のニュース・・
首都圏では日常的な当たり前の話になってしまっていて、
ほとんど電車に乗らない私などは、「あら!また人身事故なの?」
程度にしか感じなくなってしまっている。

亡くなられた40歳女性には、ただただお気の毒・・とは思うが、
自らの意思で自死を決行しようとしている人を助けた行為を
「勇気ある行動」と称賛するよりも、WHOが提唱する
「避けることの出来る死(avoidable death)」として、
国をあげて取り組まない限り、
亡くなられた40歳女性は浮かばれないだろう。



痛ましく悲しく、また、なんともやるせない事故だが、
今後、美談の影に隠されて、命を救われた74歳高齢者
及びその縁者にはJRから賠償金の請求が行き、
更なる生き地獄が訪れるのだろうか・・?

映画やテレビドラマならば、危機一髪のところで救出劇が成功して
ハッピーエンドな結末が待っているが、
現実は残酷であり理不尽に満ちているものだ。


昨日行った市営プールでも
40代~70代の人々がいろいろな意見を言っていた。

自死志願の高齢者にひとりの女性の命と未来が奪われたと言う人。
崇高な勇気ある行動だと言う人。
無鉄砲極まりない女性だと言う人。
命の価値は年齢で決まると言う人。
自死に至らしめる社会と政治が悪いと言う人。

私は「命の価値は年齢で決まると言う人。」以外は
全部が正解だと思った・・。

「命の価値は年齢で決まる」などと言われては、
人は老い、やがては死ぬ運命にあることさえも
否定しなくてはならない。

今を生きている老若男女にも明日の命の保障はないが、
ただひとつ言えるのは、なにがなんでも
命あっての物種
《意味・・・命がなくなっては何もできないので、
危険なことはやめ命を大切にしようということ》
でしかないということだけだ。

亡くなられた40歳女性のご冥福を祈りつつ・・。合掌

美しい国なるものの本質は自己犠牲なのか病みし国では
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テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 人身事故 命あっての物種

じぇじぇじぇ!あまちゃんも、半沢直樹も見なかった私は非国民だってさ・・(^_^;)
昨日のプールの更衣室での話は
あまちゃん半沢直樹」の話で持ちきりだった。

その場にいた7人の昔はお嬢さまだった人の中で、
毎日あまちゃんを観ていた人は3人。
「そんなの観てないわよ。」という人が4人。
私も観ていない4人の内の一人に入るのだが、

「あらやだ!あーたたち!
あまちゃん半沢直樹も観なかったの~!?一度も?」
と訊かれたので、
「ええそうよ。私は朝はラジオを聴くのよ。
それに新聞のテレビ欄にあまちゃんの簡単なあらすじが書いてあったから、
一応は読んではみたけど、つまらなさそうだったから、一度も観てないわ。」

と私が答えたら・・

「あーたたちね。半沢直樹はサラリーマンモノだから
私たちには関係ないから別に観なくてもいいけどさ、
国民的ドラマ』のあまちゃんを観なかっただなんて、
それは非国民のすることよ。
今度、再放送があるみたいだから必ず見なさいね!」
と命令口調で言われてしまった。

(゚ロ゚;)エェッ!?あまちゃんを観なかった人は非国民
そりゃあN子さんは戦中派。非国民という言葉を
子どもの頃によく聴いていたのだろうな。
ということは分かるが、
たかが、ブーム?のテレビドラマを観なかっただけで、
非国民という言葉が発せられたことに全員大笑いしたのでありますが、
心の中では、
「なにが非国民じゃ観たくないから見ないんじゃ
余計なお世話じゃ」と思いつつも、
顔も体型もメイクも野村沙知代女史似で、
○○市営プールの客の中では女ボスといわれているN子さんに
面と向かって逆らうと後が面倒なことになるかもしれない。(笑)
半沢直樹じゃないけれど、
半返しどころか10倍返しをされるかもしれない。(笑)

観なかった4人は、一応は口を揃えて、
「そうね・・総集編が放映されたら観てみるわ。オーホッホ(^0^)」
と適当に口裏を合わせたのでありますが、
女ボスだけが早々と更衣室から立ち去ったのを機に、
総集編だろうが再放送だろうが、
御用ドラマ」を見る気なんてさらさらないわよ。
とさらに爆笑の渦になったのであります。


最近の私は、テレビはニュースとドキュメンタリーと
映画(録画しておいてCMを飛ばして観る)しか観ないようになった。



そういう私だが、かつてはNHKの朝ドラを見たことがある。
今から半世紀以上も前になるが、
たまたま母が見ていたので、夏休みだけだったが、
樫山文枝主演の「おはなはん」を一緒に観ていたのだ。
樫山文枝の演技力と爽やかさの印象だけは今も脳裏の奥に残ってはいるが、
内容は何も覚えてはいない。(笑)


それにしても、最近、2020年東京五輪開催を素直に歓迎しない人は
非国民であるかのような、
政府とメディアの無言の圧力をひしひしと感じてならない。

世間の大多数の人々の有言及び無言の圧力に同調し、
みんなと同じでなければ非国民であるかのような、
そして、知らぬ間に危うい感覚を植えつけられているような・・
そんな社会風潮に言い知れぬ不気味さと曖昧模糊とした不安を覚えている・・。

我だけのみじかき秋が終わりゆき枯葉のざわめきに木漏れ日が揺れる
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テーマ : 今日のつぶやき。 ジャンル : 日記

tag : あまちゃん 半沢直樹 国民的ドラマ 非国民 御用ドラマ おはなはん

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Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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