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元気ハツラツの90歳の肉食婆女子が言うことには、健康寿命を維持しながらの長寿の秘訣は、善人の振りをしてストレスを溜めずに、「自分にとって都合の悪いことは何でも政治家のせいにすること」だとか。一理あるかも。
さて、この泡沫ブログにおいでくださる方々は、
シニアorシルバーの皆様方が多いだろうと勝手に推測しておりますが、
前回の記事でプール友達のC子さん(90歳)に少しだけ触れましたが、
今日は午後からは雨の予報が出ていたのと、
明日は用事があって行けないので、振替日として、
朝一番の時間帯でプールに行ってきました。
ところが、日曜日でもあり、子どもたちが春休みに入ったこともあり、
まるで芋洗い状態。
仕方なく歩行コースで水中ウォーキングだけでもして帰ろうと思っていたら、
そこへ一服を済ませた(匂いで分かる)C子さんが
「ハーイ♪(^o^)/」と片手を上げながら、
元気よく入水してきました。
そこで、二人で世間話をしながら歩いていると、
途中からC子さんが、
彼女の90年に渡る人生における山あり谷ありの一代記を話し始めたのでした。

彼女は娘時代は戦後のドサクサの時代で、仕事は闇市でタバコを売り。
ある日、客が来なくて手持ち無沙汰のときに、
父親から預かった商売物のタバコに手を出して吸ってみたら、
フワ~ッと気持ちよかったとかで、
あれから70年近くタバコを吸っているけれど、
未だに年一回の特定検診では、
肺に異常は見つからず、あまり風邪もひかないらしい。
その後、進駐軍相手のキャバレー?に勤め始め、そこで酒を覚え、
あれから70年。休肝日などなんのその、
毎日、夕食前に酒を飲んでいるのだとか。
そして、健康寿命を維持しながらの長寿の秘訣極めつけは、
毎朝の習慣として、新聞を隅から隅まで読み、社会の悲惨な事件や、
自分にとって都合の悪いこと(介護保険料の値上げや年金減額等)は、
「何でも政治家のせいにすること」だと言ってました。

私は人生の大先輩のC子さんのご意見に、
「誠に持ってごもっともでございます」
と思うと同時に、身近な家族のせいにしないことは立派だと思いました。
また、彼女は魚よりも肉が好きで、一日に一食は、ステーキを食べ、
生野菜は食べず、すべて加熱した野菜を食べ、
戦中にイモとイモの蔓ばかり食べていたのでイモは嫌いになり、
糖質類は老人会の食事会等では食べるけれど、それ以外ではほとんど摂らず、
牛乳、卵等のタンパク質は毎食欠かさないそうです。

髪は美しい銀髪ながらも、90歳にして、
コレステロール値も他の血液検査の値も正常値の範囲内であり、
そして、齢90にして、肺以外のガン検診はお金の無駄と考え、
一切受けないのだそうです。
持って生まれた体質と運命にも因るのでしょう。

更にC子さん曰く。
「わたしね。限りある時間の中で、
やりたいことは全部やったからいつ死んでもいいの。
あなたも私みたいに元気で90代まで長生きしたければ、
体が要求する食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、
他人様から良く思われようと善人の振りをして、気を使わないことよ。
気を使いすぎると、当然ストレスが溜まるでしょ?
そのストレスが人間なら誰でも体内に眠らせているガンの種を目覚めさせて、
ガンを発症させたりするんじゃないの?
それから、歳を取ると、バカの一つ覚えみたいに、
誰彼構わずに感謝!感謝!って言う年寄りが多いでしょ?
わたしね。そういう善良な人を装って、
家族や若い人に媚を売る年寄りが一番嫌いなのよ。
どうせ、年寄りはもうすぐ死ぬし、寝たきりにでもなったら、
国も家族も口には出さないけれど、
心の中では早く死んで・・って思われるだけなのよ。
だから、一度限りの人生を後悔しないためにも、
クソババアと言われようが、自分の思うように、
したいように生きればいいのよ。オーホッホ」

だそうでございます。

私ですか?毎日ストレスで押しつぶされそうな日々を送っています。
若気の至りで結婚してしまった、あれから4?年・・の夫のせいで・・(^^;)

そうよね・・アホノミクスに因る、物価高然り、
軍事費には湯水のように血税を使いながらも、
年金は減額、介護保険料は値上げ。福祉は切り捨て。
不満だらけの社会福祉制度も含めて、夫婦生活の不平不満も夫のせいにせず、
健康寿命維持のためには、(実際には体のあちらこちらは痛いのですが・・)
今まで以上にアホ政治屋(自公)に向ければいいのかもね。

それにしても、世の中には一般常識や
想像を超えるスゴ~イ肉食婆女子もいるものです。

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : アホ政治屋 アホノミクス

桜の季節に期せずして両親を亡くした子どもに対する世間の冷たさと人の命の儚さを想う・・「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
40年来の知人から久しぶりに電話がかかってきた。
はてさて?彼女の身に何かあった?と思ったら、
案の定、彼女の身に重大事件が起こっていた。

彼女(A子65歳)は、脳梗塞に因る重度の後遺症で
長年寝たきりだった主人様を今年の2月に亡くされ、
晴れて介護から解放されて「おひとりさま」になり、
我が世の春を謳歌しようとしていた矢先に、
孫3人を引き取り親代わりになるかもしれない・・と悩んでいる様子だった。

事の始めは、
嫁いだ一人娘(K子)が、当時小学生と中学生の子ども3人を残して、
交通事故で3年前に即死した。
それでも、嫁ぎ先の姑(80代)が孫の面倒を見てくれているので、
亡き娘のK子ちゃんのご主人様(S男さん)は会社勤めを継続することができた。

ところが、3ヶ月前のある日、S男さんが、
体調が悪い・・と病院へ行ったら、
すい臓ガンでステージを5を言い渡され、即入院。
3ヶ月後には還らぬ人となってしまった。

両親が亡くなり、
「残された子ども3人の面倒は私がみますからご心配なく!」
と言い張っていた気丈な姑だったが、
如何せん、寄る年波には勝てず、
S男さんの葬儀の前日に室内で転倒して大腿骨を骨折して入院。
A子は亡き娘の家に泊まり込み、
孫たちの面倒と葬儀やら相続の書類集めやらで大忙しの中、
マンションの自治会長から、
「保護者であるご高齢のお姑様の回復もいつになるかわからない状態で、
このマンションに子どもだけで置いておくことは出来かねます。
お孫さん(現在小中高生)を引き取ってください。」と言い渡されたとか。


私は今後どうすればいいの・・?との電話だった。
「ねぎらいの言葉と共にいい方策が浮かんだら電話するわ」で、
その場は電話を切った後に、
20年程前に同じケースがあったことを思い出した。
そのときは、会社の男性上司が突然の病気で奥様を亡くされ、
当時小中高生の子ども3人を育てながら、
5時になると脇目もふらずにすぐに帰宅していた。
奥様を亡くされて一年後、その上司もやはりガンで亡くなった。
そのときにも町会長から、
「子どもだけでこの町内に住んでもらっていては困る。
親戚に引き取ってもらえないか?」と言われたそうな。
一番上が女の子が、「私は来年高校を卒業しますので、すぐに働きます。
弟二人の面倒は私が責任を持ってみます。
今まで通り、この家に置いてください。」と頼み込み、
渋々了承してもらったそうな。

自治会や町会の立場としては、無理からぬことかもしれない・・とは思うものの、
何か手立てがないものなのでしょうか?


ところで、私はA子にはなんと答えたらいいのか?
を模索中なのですが、立場が違えば、価値観も違う、
結局、答えはその人の来し方と置かれた立場の現実にあるので、
私には何のアドバイスもできず、ただただA子の心の内を忖度して、
彼女の葛藤を聴くのみに徹しましたが、
相続時の必要書類と手続きに関しては経験者なので
そういう事務的なことは知る限りのことは伝えたのでした。

それにしても、親を喪った子どもに対する世間の冷たさは、
昔から変わらないのもののようです。


幼子を残し、30代や40代で死ななければならない人もいれば、
私が通っているプールでのプー友のC子さんのように、
90歳の手習いで水泳教室に参加して半年で、
なんとか25Mは泳げるようになった♪と喜んでいる人もいます。

その人の生の時間を決めるのは、神でも遺伝子でも生活習慣でもなくて、
運命というものです。プー友の90歳のC子さんは、
飲酒(日本酒とワイン)は毎晩の喫煙者(一日20本)でもありますが、
認知症も現れず、いたって元気な超高齢者です。


マハトマ・ガンジーの遺した言葉に、
明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい
というものがあります。

私は60代ですが、この年まで生かされていることに意味がある。
と思いつつ、残り少ない生の時間を有意義に過ごしたいと思う
ソメイヨシノがチラホラ咲き始めたある日の午後の独り言でした。

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テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 明日死ぬと思って生きなさい。 永遠に生きると思って学びなさい

マイナンバー法では受診した医療記録に始まり、金融機関ではマイナンバーを聞かれ、銀行口座から資産も国に筒抜けになります。つまり、今後は生きること全てにおいて国家の都合の良いように管理されるのです。

国民一人ひとりに番号をつけて行政サービスの効率化をはかる
マイナンバーを銀行の預金口座にも適用する改正法案が10日、
閣議決定された。
マイナンバー制度は国民一人ひとりに番号をつけ
年金の支給や税金の納付などに利用する制度で、
来年1月から導入される予定。改正法案では、
2018年から銀行の預金口座にも利用者が同意すれば
マイナンバーが適用されることになる。
麻生財務相はマイナンバーが銀行口座に適用されることで、
税金を公平に徴収できるようになることへの期待を示す一方、
登録が義務ではないため、普及の度合いを見た上で
2021年以降に義務化について検討する考えを示した。
引用元:http://news.yahoo.co.jp/pickup/6143255


更に一歩踏み込んだ詳細な説明では下記のようなことになります。

マイナンバー法は、
日本で暮らすすべての人に12桁の番号をつけ、
個人情報を国が一元的に収集、利用するものです。
自民、公明、民主、維新、みんな(分裂前)の各党が賛成し、
可決・成立しました。

 同法の第19条では、
特定個人情報(番号を含む個人情報)の提供を原則禁止。
しかし「その他政令で定める公益上の必要があるとき」
に提供できるとして、
利用拡大に道を開く内容となっています。

 今回の施行令では、この中には、破壊活動防止法(破防法)、
少年法、国際捜査共助等に関する法律などの
調査・捜査目的での提供を認めています。

 破防法をめぐっては、
公安調査庁が日本共産党や市民運動にたいして、
調査を名目に、違法な情報収集をおこなっています。
マイナンバー法の施行令では、破防法27条の
「公安調査官による法の目的の範囲内での必要な調査」
を理由に提供を認めており、
違法な情報収集が拡大する危険性が大です。

 マイナンバー法の導入をめぐっては、政府は「行政の効率化」
「真に手を差し伸べるべき者」への給付の充実など、
税や社会保障の“利点”を強調。

 公安警察による利用について、国会審議では
そういう公安の世界というのはある意味最も比較的遠い世界かなという気がします」
(昨年5月21日、参院内閣委員会で
向井治紀・内閣官房内閣審議官)と答弁していました。

 今回の施行令は、マイナンバー法が国会での説明と全く違う
目的で利用される危険を示しています。

 こうした公安調査などへの情報提供は、
マイナンバーのネットワークを介さずに行われるため、
自分の情報が利用されたことを知ることができません。
また、マイナンバーの悪用を監視する第三者委員会
「特定個人情報保護委員会」のチェックの対象外です。
引用元:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-02-24/2014022401_04_1.html


mn

医療記録を知られるだけならまだしも、
資産も国に筒抜けになるとは恐ろしい時代の到来です。

私はバブルがはじけて金利が下がった頃から一計を案じて、
10年で満期になった定額貯金はすべて、金融機関への預け換えを止めて
タンス預金(私しかダイヤル番号を知らない耐火金庫に現ナマを入れておく)
に切り替え、エンディング・ノートには、相続税がかからない対策を記し、
銀行の定期預金は利子の高いキャンペーンを利用して預け換え、
現在に至ります。

ちなみに、よく友人や知人から聞かされる話で、
預貯金がすべてご主人様名義だったため、
主人様が脳梗塞で倒れ、意識不明になったときや、
急死されたときなどに、入院費用や葬儀費用でアタフタした。
ということを何度も聞いていたので、我が家では預貯金は
夫婦で半分づつ同額を持つことにしています。

大資産家で利子だけで生計を維持できる方は論外として、
今後、小金持ちのシニアの皆様方は、
資産が金融機関を通じて、国に筒抜けになる可能性大です。
もしかして、相続税もかかるのではないですか?

現政権は搾れるところからは血の一滴まで搾り取ることを、
平気でやりますよ!

そうですね・・老後資金を銀行に預けていらっしゃる小金持ちの皆様は、
今、父娘バトルで話題の大塚家具でタンスでもお買い上げになられて、
タンス預金に励まれてはいかがでしょうか。(^^;)

冗談はさておき、現政権下では預金封鎖も視野に入れなくてはなりません。
やはり、「手元に現ナマ=隠し資産」が一番良い方法なのかと思う今日この頃です。

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テーマ : 備忘録的なもの ジャンル : 日記

間近に迫り来る死に正面から向き合っている神経学者の想い・・「がんの転移がわかって 残りの時間、濃密に生きる」(ニューヨーク・タイムズから)
昨日の新聞記事で、死が目前に迫っている米国の神経学者の記事を読み、
自称、生半可なメメント・モリ研究家?としては、
備忘録として残しておくべき文言だと思いました。

1カ月前、私は自分が健康で、至って丈夫だとさえ思っていた。
81歳のいまでも、毎日1マイル(約1.6キロ)を泳いでいる。
だが、運は尽きた。
数週間前、肝臓にがんの転移がいくつもあることが分かったのだ。

 9年前、眼内黒色腫というまれな目の腫瘍(しゅよう)が見つかっていた。
腫瘍を切除するための放射線とレーザー治療を受け、
結局、そちらの目は見えなくなった。
私の場合、転移する可能性は低いと言われていたが、
運がなかったというわけだ。

 がんの最初の診断から9年という、
健康と実りある時間を与えられたことには感謝している。
だが、いまは死と正面から向き合っている。
がんは私の肝臓の3分の1に広がっていて、
その進行を遅らせることはできても、食い止めることはできない。


 残された月日をどう生きるかは、いまや私次第である。
力の及ぶ限り豊かに、深く、生産的に生きなければならない。
この点で私を勇気付けてくれるのが、
大好きな哲学者の一人であるデービッド・ヒュームの言葉だ。
彼は65歳で、死を避けられぬ病と知るや
たった1日で短い自伝「私の生涯」を書き上げた。
1776年4月のことである。

 「あっという間に消えてなくなるのだろうと、
いまは考えている」とヒュームは書いた。
「私は病の痛みにほとんど苦しまなかった。
さらに不思議なことに、私の体は著しく衰えたにもかかわらず、
生きる気力がそがれることは一瞬たりともなかった。
研究にはこれまでと変わらぬ情熱を抱き、
仲間といるときも同じように陽気でいられる」と。

     *

 私は幸運にも、80歳を過ぎるまで生きてこられた。
そして、ヒュームの享年65を過ぎて以降の15年間も、
同じように仕事と愛情に恵まれた。この間、私は5冊の本を出し、
自伝も書き上げた。ヒュームの自伝よりかなり長いもので、
今春出版の予定である。
ほかにも完成間近の本が数冊ある。

 ヒュームはこうも書いていた。
「私は……気質が穏やかで感情を抑えることができ、
開放的で、社交的で、陽気で愛情深いけれど、
悪意を覚えることはほとんどなく、
あらゆる感情が非常に中庸である」

 この点で、私はヒュームとは異なる。
愛情に満ちた人間関係や友情を謳歌(おうか)したし、
悪意を持つことはないけれど、
気質が穏やかだとはとても言えない。
私を知る人で、そう言う人は誰もいないだろう。
それどころか気質は激しく、過激なまでの熱意を持ち、
あらゆる感情がこの上なく過剰である。
 それでもヒュームの次の言葉は、
私にはことのほか真実に思える。
「いまほど自分の人生から距離を置いたことはないだろう」

 ここ数日、私は自らの人生をものすごく高い所から、
まるで景色でも眺めるように見つめてきた。
そして人生のすべての要素のつながりが深まるのを感じた。
これは私が人生を終えたということを意味するわけではない。

 その逆で、私は濃密に生きていることを感じる。
そして、残された時間の中で友情を深め、愛する者たちに別れを告げ、
執筆を進め、体力が許せば旅をし、
理解や洞察の新たな次元に到達したいと願っている。

 それには、大胆さや明敏さ、
気持ちを率直に言葉にすることが必要になる。
この世への借りを返そうというのだから。
でも、何か楽しいことをする時間もあるだろう。
何か馬鹿げたことも含めて。

 焦点がピタリと合い、視界がクリアになった気がする。
無駄なことをする時間はない。
心を向けるべきは自分自身であり、仕事であり、友人たちである。

もはや毎晩、ニュース番組を見ることはないだろうし、
政治や地球温暖化の議論に目を向けることもないだろう。

 関心がないというのではない。距離を置くということなのだ。
いまでも中東情勢や地球温暖化、
格差拡大は大いに気にかけているが、もはや私の課題ではない。
未来に属する事柄である。
才能ある若い人たちとの出会いが私にはうれしい。
たとえ、それが私にがんの転移を診断した人であってもだ。
未来は確かな人たちの手に委ねられているように思う。

     *

 この10年ほど、私は同世代の死をますます意識するようになった。
我が世代は風前のともしびであり、
その一つ一つの死に、ある種の剥離(はくり)、
我が身の一部が引き離されるような思いを抱く。
私たちが亡くなれば私たちのような人はいなくなるが、
そもそも、ほかの誰かと同じような人などいない。
人が死ぬとき、その代わりとなれる人はどこにもいない。
人が残した穴を誰かが埋めることはできないのである。
なぜなら人は誰もが、かけがえのない個人であり、
自らの道を見つけ、自らの人生を生き、
自らの最期を遂げる定めにあるのだから。
それが遺伝子や神経というものの運命なのだ。

 恐れていないふりなど、私にはできない。
ただ、私の心を大きく占めるのはある種の感謝の気持ちである。
私は愛し、愛されてきた。
多くを与えられ、お返しになにがしかを与えてきた。
本を読み、旅をし、考え、書いてきた。世界とのかかわりを築いてきた。
それは著者と読者との、かけがえのない交流だった。


 何より私は、この美しい惑星で、感覚を持つ存在であり、
考える動物であった。そしてそのこと自体が、
とてつもなく大きな恩恵であり、冒険だったのである。

 (NYタイムズ、2月19日付、抄訳)


 ◇神経学者 オリバー・サックス

 ニューヨーク大学医学部神経学教授。
映画「レナードの朝」の原作者としても知られる。

引用元:http://digital.asahi.com/articles/DA3S11635046.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11635046







一昨年、弟が59歳で亡くなり、私の友人たちも此の世から、
一人づつ消えていっている昨今、
やがては私を含めて全員が、此の世から消えゆく身なのだ。
ということをなんとなく実感はしているけれど、
どこか他人事に考えているもう一人の私がいることも事実です。

もがいてもあがいても、誰の身にもやがては訪れる死。
だが、その死が目の前に迫って来なければ、
その気持ちは例え家族であろうとも理解はできないと思います。


人体の神経については隅々までを知り尽くしているであろう、
神経学者のオリバー・サックス氏の
迫り来る死を前にしての気持ちを端的に現した記事を読んで、
私の人生の最終段階には、こんな風に思考を持っていけるだろうか?
と考えてしまいました。

此の世で何かを成し遂げたこともなく、今後も成し遂げることもなく、
やり残した研究の続きをせねば!のごとき仕事も欲も探究心ない。
何もない分、此の世への心残りも少ないはず。
と主観のみで自分自身を納得させていますが、
それでも、折に触れてときどき読み返しながら、
「人が死ぬとき、その代わりとなれる人はどこにもいない。
人が残した穴を誰かが埋めることはできないのである。
無駄なことをする時間はない。
心を向けるべきは自分自身であり、仕事であり、友人たちである。」

の言葉を、自身に何度も何度も言い聞かせたいと思います。

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テーマ : 備忘録的なもの ジャンル : 日記

tag : メメント・モリ オリバー・サックス

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、六十路.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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