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身辺整理中に思うあれやこれや。
現在、昨年から少しづつ始めている、人生最後?の身辺整理の真っただ中である。
前回は6年前の初夏に全身麻酔での手術と長期入院を
余儀なくされた前に徹底的に身辺整理をしたつもりでいたが、
あれから6年。あれよあれよという間に再び家中に
ガラクタとしか言いようのないモノが溢れかえるようになってしまった。
50代まではお気に入りの家具やモノで溢れた生活の
快適便利な日常に幸福感を覚えた日々もあったが、
人間同様にモノにも耐久年数はあるし、必要としない時期も訪れる。
そして今はモノに囲まれた生活には何の意義も、
ましてや幸福感などまったく感じなくなってしまった。
とにかく、家の中も、人間関係もすべてに渡ってスッキリしたい気分でいっぱいになっている。
これが、生の残り時間の見えてきた人間の脳内変化なのかもしれない。

お気に入りであり、また何世代にも渡っての使用に耐える高級家具等ならいざ知らず、
その時には必要であったがゆえに、取りあえず買ったプラスチック製や
合板の捨てても惜しくない家具やモノばかりしか買えなかった貧乏症の性格が幸いしてか、
捨てても惜しいとは思わない。

私は元々スッキリ、シャッキリした部屋(欲を言えば何にもモノが置いていない空間)
が好きな片付け魔であるが、
如何せん・・夫という、すぐにモノを買いに走り、何でも貯め込むのが好きで、
おまけに居間のテーブルに財布やら家の鍵やら小銭やらを無造作に
置いておくのが常態化している老いた生物と同居しているので、
自分の思う様に片づけたり、また夫のモノは例えもう必要ないと私が判断しても、
夫の所有物なので勝手に捨てられない状況にある。
それに私は今の家の鍵は建築当時(26年前)から持っているが、
夫が家の鍵を失くす度に何回合い鍵を作ってあげたことか・・。
夫婦なんてお互いに赤の他人同士。永遠に判り合うことはないと思うけど、
妥協にも忍耐にも限度があるし、ほんと、結婚は人生の墓場とは良く言ったものね。(ーー゛)

仕方がないので私所有のモノに限定して身辺整理中ではあるが、
モノは買ったら、彼の世には持っていけないので、
いずれは生きている内に処分しなければならない。
死後は残された家族や遺品整理屋さんに任す。という手段もあるが、
私はとにかく片付け魔なので身も心も自分の手でスッキリとしないと落ち着けないのである。
ゆえに、最小限必要なモノだけを残して全部処分するつもりでいるが、
モノを棄てるという行為はモノを製造する際のエネルギーの浪費でもあり、
また地球環境を汚すことでもあるが、
本当にこれで最後にしたいので気合いを入れて整理をしている。
例えば、A4サイズの紙を1枚を作るためには、
テレビ視聴20分相当のエネルギーが必要になるらしい。
また、私は一切買わない自動販売機のアルミ缶やスチール缶飲料の缶を
一個作るために必要なエネルギー量は
テレビ視聴17時間分のエネルギー消費に相当するらしいわよ。
私が毎日欠かさず食べる豆腐や納豆のパックを作るのにもどれぐらいのエネルギーを使うのだろうか?
と考えてしまった。
近所の商店街にあった老夫婦が経営する豆腐屋さんが閉店して約一年が経った。
お鍋やボウルを持って買いに行けば、手作りの味の濃い豆腐が食べられて、
そのうえ、おからまでサービスしてもらった上に、
包装というエネルギーを使うゴミは出なかった。
そのようなお店が近くにあるのが本来の人間の生活の在り方だと思っていたが、
今では、大資本に地域のコミュニケーションも小規模商店も無残に潰され、
営利だけが目的の大型スーパーだけになってしまい、
嫌でもプラスチック製のゴミのでる包装ばかりの食品になってしまった。
魚や肉を買えば、中身よりもパックのほうが嵩がある。
私は野菜屑はすべて裏庭のコンポストに入れて、
家庭菜園の堆肥作りをしているので、生ごみは少ししか出ないが、
一週間に一回しか集塵に来ないプラスチック製ゴミが一番多いという現状・・を思う時、
何かが違う!と思うのは私だけなのだろうか・・。

私自身はもう食品と消耗品以外のモノは買わない!と決めたけど、
夫がねぇ。100円ショップとホームセンターでの買い物が好きなのよ・・。
ホント、困ったものだわ。(ーー゛)


昨夜、録画しておいた映画「おくりびと」(これで3回目)を見た。
何度見ても生老病死を考えさせられる映画である。
昨日はラストシーンでの主人公のセリフが心に残った。
「72歳(多分)まで生きた男の私物が段ボール2つだけかよ・・。いったいどういう人生だったんだ。」
というようなことを嘆いていたが、私はそれで上等じゃないの?と思ったのよ。
所有物の量や残した動産でその人の人生など計れはしない。
人生の価値は、その人がラスト・ブレスのときに心がどう思うか?
つまり、「残念無念な人生だった。」又は、バカボンのパパみたいに「これでいいのだ。」
等々、他にもいろいろなことを思うのだろうが、
残された者には永遠に伺い知ることはできない故人が思ったであろうことを詮索なしに、
また自分の価値観など入れずに全て容認して次の世界へお送りすればそれでいいんでないの?
そんな故人の残したもので、鬼籍に入った彼及び彼女の人生の善し悪しを計るよりも、
先ずは自分が今どう生きているのか?どう生きるべきか?を
見つめ直すほうが先のような気がする。
私自身も、限りある今の生を納得できているのか?それとも納得できていないのか?
を身辺整理をしながら考えている処でありんす。

だけど・・・6年前の身辺整理で焼き捨てた夫への怨みつらみを書き綴っていた
40年間のシークレット日記・・
あれだけは焼き捨てなきゃ良かったと後悔しているわ。
私の死後、夫がどんな顔をしながら私の日記を読むのかを、
あの世から高笑いしながら見物したかったわ。( 一一)
でも・・私のほうが夫より長生きしたら意味がないから、
シークレット日記は焼き捨てて正解だったのかしら?(^_^.)
120107r
煌めきの日々は去りゆきモノよりも思い出欲しき歳になりたり
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テーマ : 思ったこと・感じたこと ジャンル : 日記

tag : おくりびと バカボンのパパ これでいいのだ

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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