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「最後だとわかっていたなら」と「最後だとわからないから」
17日の朝日新聞(夕刊)に或る詩が載っていた。
少しだけ気になったので切り抜きしておき、改めて読み返してみた。

タイトルは「最後だとわかっていたなら


作/ノーマ・コーネット・マレック

訳/佐川睦、サンクチュアリ出版


   あなたが眠りにつくのを見るのが
   最後だとわかっていたら
   わたしはもっとちゃんとカバーをかけて
   神様にその魂を守ってくださるよう祈っただろう
   あなたが眠りにつくのを見るのが
   最後だとわかっていたら
   わたしはもっとちゃんとカバーをかけて
   神様にその魂を守ってくださるよう祈っただろう

   あなたがドアを出て行くのを見るのが
   最後だとわかっていたら
   わたしはあなたを抱きしめてキスをして
   またもう一度呼び寄せて抱きしめただろう

   あなたが喜びに満ちた声を聞くのが
   最後だとわかっていたら
   わたしはその一部始終をビデオにとって
   毎日繰り返し見ただろう

   確かにいつも明日はやってくる
   見過ごしたことも取り返せる
   やりまちがったことも やり直す機会が
   いつでも与えられている

   「あなたを愛してる」と言うことは
   いつだってできるし
   「何か手伝おうか?」と言うことも
   いつだってできる

   でももしそれがわたしの勘違いで
   今日ですべてが終わるとしたら
   わたしは今日
   どんなにあなたを愛しているか
   伝えたい
   そして私達は 忘れないようにしたい

   若い人にも 年老いた人にも
   明日は誰にも約束されていないのだということを
   愛する人を抱きしめるのは 
   今日が最後になるかもしれないことを
   明日が来るのを待っているなら
   今日でもいいはず 

   もし明日が来ないとしたら
   あなたは今日を後悔するだろうから
   微笑みや 抱擁や キスをするための
   ほんのちょっとの時間を
   どうして惜しんだのかと

   忙しさを理由に
   その人の最後の願いになってしまったことを
   どうして してあげられなかったのかと
   だから今日 あなたの大切な人達を
   しっかりと抱きしめよう

   そしてその人を愛していること
   いつでも いつまでも
   大切な存在だということを
   そっと伝えよう

   「ごめんね」や「許してね」や
   「ありがとう」や「気にしないで」を
   伝えるときを持とう

   そうすればもし明日が来ないとしても
   あなたは今日を後悔しないだろうから



もし、全世界の人口が100人であったなら、
そして、偶然に100人がこの詩を読んだなら、99人は確実にこの詩に感動し、
また普段は気にもしない家族への思いを改めて再認識し、
共感とともに、素晴らしい愛に満ちた詩だと絶賛するだろう。

だが、私にはすんなりと感動も共感も受け入れられないナニカが残った。

結果的にこの大いなる自己満足感が漂う詩に救われる人がいるのならば、
それはそれで否定はしない、ことを前提に下記のような場合でも
この詩のような愛を行使できただろうか?と考えてみた。

昨年の大震災では数多の人々が津波に浚われ、
瞬時に尊い命を落とさなければならなかった・・。
あの3.11の衝撃を思うとき、
「隣の家の、認知症でおまけに下の世話まで他者に委ねている
寝たきりの100歳の老人は親切な人に助けられて生き延びたのに、
前途有望で、そして輝く未来が待ち受けているはずだった元気で健康で賢い私の子どもが、
何の落ち度もないのに突然に不条理極まりない死に方で命の灯を消さなければならなかったのか?
と、いまもって、なぜ?どうして?の疑問符から抜け出せず、
加えて喪失感に打ちのめされながら、
どうしても我が子の死を納得できない親御さんも多いことだろうと思う。
それらの御家族を亡くされた方々は、この詩を読んで、
はたして素直に感動し、家族の無念な死を納得し、
また共感できるのだろうか?という疑問が残ったのである。

誰しもが、「今日、家族の誰かが死ぬ日であることをわからないからこそ」
明日以降の未来に希望を託し、夢を持って今日を生きることができるような気がする。

私は何度も読み返してみて、
今日という日を精いっぱいに、愛と善のみに生きなさい!
には或る程度は賛同はするが、
詩の中に、キリスト教圏の人々の、なんでも神の意思に委ねれば
救われる的偽善を感じてしまうのである。


その日が、今日か明日か、十年後か、はたまた50年後か?
などは本人はおろか誰にも判りはしない。
毎日毎日、「最後だとわかっていたなら」などと考えながら生きていたら、
発狂してしまいそうな気がする。

例えば、他愛の無いことで夫婦喧嘩をした日に、
家を飛び出した夫が交通事故で死んでしまうことがあるかもしれない。
急激に血圧が上がって心臓麻痺でポックリと死ぬかもしれない。
そのときは後悔に苛まれるかもしれないが、
家族と言えど死の追体験は誰にもできない。
それに、人間が誕生すればいつかは死に移行するのが自然の摂理であることを認めれば、
老若男女を問わず、死は日常では当たり前のことであり、
もっと自然体で考えたほうが、後悔度も喪失感も少しは薄らぐように思われる。

この世で一番のダークな部分とされ、社会から覆い隠される死・・・。
生と死は表裏一体であるにも関わらず、
死は見ない、見せないことで社会を成立させている。
だが、老人であれ、若者であれ、幼子であれ、
明日という未来に生存しているかどうかなどは誰にも判りはしないのである。
それでも私は、私や私の家族の最後の日が明日だなんて絶対に知りたくはない。
最後だとわからないから」こそ、人は明日を信じて今日を生きていられる。

誰の身にも死は突然に前触れもなくやって来ることが多い。
私は同居人(夫)との永別の日が来ることは避けられない事実として既に認めている。
そのことを覚悟した上で、そのときには、いかにして自分を納得させるかしかないのである。




「そうすればもし明日が来ないとしても
   あなたは今日を後悔しないだろうから」

などと言われても、
どんなに聖人君子然とした人であろうとも、
人間として生まれ落ちた限りは後悔のない日々などはない。
それに、人間とは明日という近未来の時間の流れの中に
夢と希望を持たなければ生きていけない儚く弱い動物でもある。

生の残り時間が見えてきている、自称、たそがればーさんの私でも、
まだ秘かに、諦め切れずに追い続けている夢がある。
多分、生きている内には叶わぬであろう夢でも、そのこと自体は問題ではない。
諦めないスタンスが大事なのだと思っているから・・。

人生は好奇心を満たしてくれる台本のないミステリアスな一世一代の大舞台であり、
この地上での唯一無二の存在のヒロインとして、
ステージ上で精いっぱい、歌い、踊り、また歓喜し、悲嘆しながら、
何時が最後の日か判らないままに、ある日突然に、
静かに密やかに最後の人生舞台の幕を下ろしたい。

例え、その日が明日だとしても・・・。

でも・・・やっぱり、よく考えたら明日じゃいやだわ。
せめて、100歳まではヒロインでいたいわ。(^_-)-☆

善という仮面外してみたくなるこんな静かな雪の夜には
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : ノーマ・コーネット・マレック キリスト教圏 神の意思 最後だとわかっていたなら 最後だとわからないから ミステリアス

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Re: ご無沙汰しております
シュンランママ様。こんにちは。

100歳までヒロインを演じられたら、
この世に思い残すことはないかもしれませんね。
でも、100歳になってみないとわかりませんが・・・。(^_^;)


Re: 「最後だとわかっていたなら」

Bunbunbun様へ

私も家族同様の愛猫(家猫でした)の死を2回経験しています。
一度目は15歳の♂のペルシャ猫で、二度目は17歳の♂のチンチラでした。
2匹とも私の腕の中で永眠させましたが、そのトラウマゆえか、もうペットは飼えなくなりました。

私もあのときに「最後だとわかっていたなら」、
近くの獣医師に安楽死を依頼したかもしれませんが、
今になって思うと、私の腕の中で虹の橋を渡らせたことを後悔はしていません。


価値観は人それぞれです。生と死を神の意思に委ねようと、
神を否定しようと、本人が「これがベスト」と思えばそれでいいのではないでしょうか。

Bunbunbun様のワンちゃんも、きっと虹の橋を渡って神の国に迎え入れられて、
死後の生を満喫していると信じましょう。
耳を澄ますと聴こえて来ませんか?ワンちゃんの嬉しそうな鳴き声が・・。
ご無沙汰しております
こんにちは!
いつも楽しく読ませていただいてます。
100歳まで元気なヒロインを演じられるよう、
身体もビシバシ鍛えたいものです~
「最後だとわかっていたなら」
私などは単純に99人の方です。
ここは、カトリックの人間が0.3%の『非キリスト教圏』ですが、永い放浪の後、結局また『神の意思に委ねて』しまいました^^。
それでもこの度、ワンちゃんを亡くし、
「最後だとわかっていたなら」との思いに苦しんではいます。
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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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