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「不幸論」に見る幸福の条件
昔から、相も変わらず「幸せに成る方法」を説いた本が
数えきれないほど出版され続けている。
もし、それらの幸福への道の指導本を読んで、誰もが幸福に成れるのなら、
この世に不幸な人など存在しないはずであり、
あっと言う間に口コミで広がって大ベストセラーになり、
各家庭の神棚にでも飾られていると思うのだが、
それらの本が私がよく行くブックオフの片隅で誰にも見向きもされずに、
なぜ150円で売られているのだろうか?(?_?)

ひねくれお婆の屁理屈はさておき、この世は歴史が刻まれて以来、
幸福な人々は極々少数であり、
大多数の人々は不幸である事実は有史以来何も変わらない。

不幸な中で人々は小さな幸せもどきを探し、
一時的な満足感を得てそれを幸せと呼んでいる。
そして、相も変わらず他人の不幸を見て自分と比較をし、
私はあの人に比べれば幸せだと思いこみ、
不幸な日々の中で幸福という幻覚に束の間酔いしれるのであるが、
薬物投与による幻覚、もしくは脳の病気による幻覚ではないので
残念ながら、すぐに覚める。
そして再び、懲りもせずに在りもしない幸せ探しに没頭するのである。

そこで逆転の発想で「幸福論」ではなくて「不幸論」を再読してみた。

著者である哲学者の中島義道氏が
不幸論」の中で幸福の条件をあげている。
その条件とは、
(P50)
「盲目であること、
怠惰であること、
狭量であること、
傲慢であること
によって成立している。
それが私の基本的考えである。」

と言っている。

賛否はあろうが、
幸福でいるためには真実=本当のことは知らない方が良いということらしい。

例えば、
①福島第一原発の事故で近辺に撒き散らされた放射性物質
除染が進めば安心して家に戻れる。

放射性物質の半減期を見ても判るように、
道路や家屋の高圧洗浄も田畑の土の上下入れ替え等も、
他の場所に放射性物質を移動又は拡散させるだけであって
放射性物質が自然消滅するわけではないが、
そんなことは敢えて考えないことにする。

②福島第一原発の周辺自治体を視察した後に、
「市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形だった。」と発言し、
メディアに寄ってたかってバッシングされた元経産相。

来月で事故後一年になるが、今現在も第一原発周辺は人も家畜も住めない
死の町」であり、「ゴースト・タウン」であることは疑う余地のない真実である。


③国産の野菜や果物類を安心安全と信じて疑わない。

実は国産野菜も果物も農薬塗れであり、
低価格な輸入野菜と比較しても、散布される農薬の種類が違うだけで
決して安心安全ではないが、そのような不都合な真実は見ないようにする。

④ガンは早期発見で治療すれば長寿も夢ではない。

早期発見でも手遅れ状態での発見でも、
統計学上は死亡率は変わらないというガン専門医が増えてきている昨今、
行政、医療機関、ガン発症者、その他の大多数の人々が早期発見が大事!
というのでそれに従う。

⑤腹部に開けた穴に栄養剤を送り込む措置(胃ろう)を受けた患者を
「人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」
と発言した自民党の政治家Ⅰ氏。

彼は彼の脳内で感じたことを素直に表現したのだろう。

私事だが、私が6年前に長期入院していたときに、
同室の意識の無い胃ろう措置の95歳のお婆さんを見て、
いくらなんでもエイリアンとまでは思わなかったが、
こんなにされてまで・・意識も無いのに肉体だけは無理矢理に生かされて、
彼女はこういう状態を望んでいたのだろうか?と思ったことがある。
やがては私もこういう状態で生かされるのは嫌だな・・と思い、
退院後に終末期医療の要望書を記したという経由がある。



この社会では真実を言うことは誰かの気分を損ねる要素も含むゆえに、
純真無垢な幼子のように「ほんとうのこと」を言ってはならず、
嘘で取り繕った言葉で会話をし、嘘で固めた善なる言葉の羅列が良しとされる。

自分にとっての不都合な真実には目をつぶり、
愉快で楽しいとだけに目を向け、
社会の闇の部分や真実は見ないで怠惰で有り続ければ、
幸福という幻覚に酔っていられるだろう。

だが、価値観も人生のスタンスも人それぞれであり、
その人が死ぬまでの間に真実を見ないで嘘で固めた幸せを満喫するのも、
その人の選択した人生であり、誰にも否定はできない。
ゆえに、他人様が「怠惰で幸せ」を選択しても、
「真実を知って不幸になる」を選択しても、
私にはどうでもいいことであるが、
私自身としては生の残り時間も少なくなってきた今、
どうしても「真実を知りたい!」欲求が増してきている。

たいした人生でも無かった我が星霜を振り返れば、
私には幸福とか不幸という意識は無かった。
感覚的にあったのは「なにがしかの希望と大いなる絶望」
という人生の波だけであったような気がする。
そして、今もその波に揺られながも、
今を生きているこの世と、もうすぐ行くことになっている
あの世という異次元世界の真実を知りたくて、
壊れかけたアンテナを張り巡らせて老いを生きている。

終わりの見えない、また叶えられそうにもない「真実を知りたい欲望」ではあるが、
100人いれば100人の真実=嘘がある。
実のところ、この世では何が真実でなにが嘘かなどは誰にも判りはしないのではないか・・。
と考えざるを得ない部分もある。
それでもなお、私が望む回答に限りなく近く、
なんとなくでも納得できたらそれで良しとすることにしている。


P114
山田洋次監督の「寅さんシリーズ」はわが国では大ヒットしたが、
私の大嫌いな映画の一つである。
不気味な感じすら漂う。みんな寅さんのことを思って、
のべつ幕なしの集団的嘘が画面一杯にゴキブリのようにはい回っているからである。
彼に一度はっきりと「自分を欺くなよ」とか
「もういいかげん自分を甘やかすなよ」と言ってやれば、
どんなに彼は成長することか。
しかし、成長した寅さんではおもしろくないから、
山田洋次監督はいつまでもいつまでも同じところを
グルグル回る絶対に成長しない男を登場させるのだ。
まわりの者が寄ってたかって、真実を直視せず、
みずからの真の姿を見る勇気のない男をつくり上げる。
こうして、彼は何度辛い思いを味わっても、
いつまでも自己反省せずに「これでいいのだ」と思いこむのである。


P115
「寅さんシリーズ」に典型的であるように、
特殊日本人的幸福論者たちは他人を傷つけないためには
真実を曲げても隠蔽しても平気である。
嘘を語っても、いかなる良心のとがめも感じない。
だが、だれかが「ほんとうのこと」を語ろうとすると、
なんと周囲の者がとっさに青筋をたててそれを禁ずることであろう。
言ってはならない、知らせてはならない、という掟は、なんと強烈なことであろう。
みんな、真実を正確に表現することが、いかに平和を乱すかを知っている。
だから、みんなで共謀して真実を見ないようにしているのである。
見ても語らないようにしているのである。
特殊日本人的幸福論者は、こうした共同幻想に陥るところにこそ、
幸福があると確信している。
だが、こうして手に入れた幸福はなんと脆いものであろう。
それは幻想、幻覚であるから、そして人々は薄々それを知っているのであるから、
いったん真実が顔を見せはじめるや否や、ビリビリと破けていく。
幸福でありたいという願望にみずからがんじがらめになり、
手あたり次第に他人を同じ願望の絆でしばりあげ、身動きできなくさせて、
調和的幸福をひやひや維持している状態がみるみる砕け散っていく。
そのとき、真実を見るほうに進むのであろうか。
いや幸福論者たちは、手を携えてこの難局を切り抜けるために、
さらに壮大な嘘をつくことを誓い合うのである。
「こうした試練もまた私を鍛えてくれた。」と。
「この不運によって、前よりもっとひとの優しさに触れることができた」と。


私の知り合い(60代)にもにも幸福教の信者がいる。
既に盲信状態に入っているので周囲は見えず、また聴く耳も持たず、
私にも会う度に幻想の幸福の押し売りをしてくるのでうっとうしくて仕方がない。
「人間は幸せになるために生まれてきたのよ。
○○学会に入れば必ず幸せに成れるわよ。」と言うが、
彼女は○○学会に入会後に異常なほどに信仰にのめり込んだのが原因で、
夫は彼女に愛想を尽かして愛人を作って家を出て、子ども(30代の息子)は
引きこもりで年金パラサイトである。
傍から見たら、決して幸せとは言えない境遇であるが、
彼女にとっては、それはまだまだ自分の信心が足りないのと
功徳を得るための修業を与えられたのだから、
私は幸せ者だと言い張るのである。

それで幸せならば、私にはどうでもいいけど・・・(^_^;)
果たして彼女が存命中に功徳を得て、
「信心が足りた日=真実の幸せを手に入れる日」が訪れるのだろうか・・。


この日本には数多の新興宗教団体が存在し、
人々は現世での幸せとあの世での安寧を求めて入信するらしい。
神の声が聴こえ、交信できるとかいう人々も数多くいる。
果たして、新興宗教の教祖や代表者は本当に神の声が聴こえるのか?
脳の病気ゆえの幻聴なのか?ただの詐欺師なのか?
私には知る由もないが、そういう人々に幸せを与えてもらえることを願って集う、
自分の不幸に気付くことのない不幸な人々のなんと多いことか・・。
瞞(まやか)しの神に縋って、瞞(まやか)し幸せを知覚するのもその人の自由だが、
私には前述の彼女もそうだが、幸福教にコントロールされて、
自らの思考を停止した上に「幸福で在らねばならない病」に罹患した
哀れなクローン人間にしか見えないのである。



不幸論」によれば、
こうした熱病のような幸福教の大合唱の中でも、
真実に目覚める一握りの人がいるらしいので、
できれば私はその一握りの人側に入りたいと考えている。
例え、そのことによって精神的苦痛が増しても、
一度きりの人生・・私は知る喜びのほうが勝るような気がするのである。

知ることは深き悲しみ背負うこと・・教えてくれた君はもういない
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テーマ : 思ったこと・感じたこと ジャンル : 日記

tag : 不幸論 放射性物質 エイリアン 胃ろう 死の町 新興宗教 盲信 神の声 交信

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気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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