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「死について考える」 遠藤周作


老人になれば

老年を見る見方が、私の少年時代と今では随分変わっているように思います。
私の少年時代には、老人を尊い方というふうぬ見る見方が残っていました。
尊い方と思うのは、人々が老人を向こうの世界の言葉を感じる世代として見たからでしょう。
しかし今では、不用品、厄介者、役に立たぬ者というふうに、ただ効用性のみで老人を
見ているように思えてなりません。
主婦を対象とした雑誌などに「老人の扱い方」などといったような記事がよくあるでしょう。
あれは厄介者をどう扱うかということで、
老人を丁寧に扱うとしても、厄介者として見る目が最初からあります。
老人を尊ぶという考えは、もう今の世の中には毛ほどもありません。
中国では教師である先生を、老師と言うのは「老」には敬意をあらわす意味があるからでしょう。
ギリシャの神々は若々しいけれど、日本の神様は白い髭を生やした老人の姿です。
松尾神社の神像の写真を見ると、おごそかな老人の顔をされています。
東洋では老人が尊ばれるという伝統があったのに、
平均寿命がのびて、老人社会の到来といわれるようになってから、
日本では急速に老人を厄介者視する傾向が出てきたように思えるのです。
(P179)

隠居という言葉が死語になりつつあって、
定年とか、第二の人生とかいわれていますが、
それは退却を転進といったのと似ているように思います。
昔は隠居するということは次の世界を信じ、そこに向かう旅支度だったのです。
隠居生活は今までの生活重点主義を捨てて人生を直視することだったのです。
生活に心を集中していると、本当の人生がボヤけてしまいます。
隠居することによって、人生を考える。
人生を考える上で最も大事なのは死の問題ですから、
死を考えるということになるのですが、
生活の中にまぎれているのは、
死を考えることを避けているように思えるのです。
昔の人は四季の営みもきちっと守って、人生の折り目節目もちゃんと受け止め、
処理していたのではないでしょうか。
死に対しても、ちゃんとした姿勢でそれを迎える習慣があったのではないでしょうか。
(P187~P188)


私の世代(60代)の知り合いの中には、
老いて自分の身の回りのことを自分でできなくなった父母(80代~90代)を抱えて、
自宅介護を選択して、時間的にも体力的に苦労をしている人や、
さっさと老人保健施設や特養に預けて自分の時間を優先している人もいる。
中には、「相性のまったく合わない鬼嫁に面倒を見てもらいたくない!」
と自分から進んで特養に入った80代の姑もいる。
嫁の立場からすれば善い姑ではあるが、姑の立場からすれば、
家族、特に嫁の厄介者にだけは絶対になりたくない!
の気持ちが強くて自ら特養入居を選択したのだろうが、
どんなに嫌でも、死の前には他者の手を煩わせなければ死んでいけないのだから、
なにも自ら進んで厄介者にならなくてもいいものを・・と私は思う。


亡くなった肉親や先祖たちのいる世界に戻るという感覚

日本には現世の利益を願う新興宗教がたくさんあります。
交通安全を授けてくださる神様や仏様もあります。
神様や仏様を信仰していたらいいことがあるという考え方には、
地上に天国を築くマルクシズムと共通したものがあると思います。
キリスト教信者の中にも、現世利益だけを求めて信仰している人が実際にいくらでもいます。
しかし本来の宗教というものはそんなものではない、と私は考えています。
子供が白血病になり、一所懸命に神様にお祈りしたけれども、子供は死んでしまった。
神なぞ何だ、と神を憎む、神も仏もあるものか、
というところから宗教は始まるのではないでしょうか。
神を憎むことも、神の存在をはじめから無視している宗教や無関心ではなく、
憎むということで神を強く意識していることです。
神があろうがなかろうがどうでもいいという無関心より、
神を憎むことの方がはるかに宗教的でしょう。
困るのは「熱くも非ず冷たくも非ず、なまぬるきものなり」という言葉が聖書にありますが、
神があろうがなかろうが、そんなことに関心がないというなまぬるき人です。
仏教でもこういう人は「度し難し」といっていますね。
でもそういう人も老年になり、死が切迫してくると、
はじめて人生の奥にあるものを考えるでしょう。
(P166)


私自身、神も仏もあるものか!と何度思ったかしれない。
そして最近、一度話をしたのが運の尽きで、
キリスト教系の宗教団体が何度も来るので、
インターフォン越しに「今日は神様は間にあってます。」と、
神様の押し売りを断わった後に、
心の中で「神など存在しな~いっ!」と心の叫びをあげたりしていたが、
著者の指摘通りに「神なぞ何だ、と神を憎む、神も仏もあるものか、」
の気分のときもあれば、
心身が少し弱っているときや、ぼんやりと生の残り時間を考えているときなどには、
心の片隅で神仏の存在や来世を意識している自分を発見したりする。

ここ数年、思いもよらない大きな自然災害が多発している。
まさか、地震津波原発事故神の御業とは断じて思わないが、
自身の死は寿命による病死だけとは考えられない時代になってきた。
常にメメント・モリを意識しているわけにもいかず、
新聞やTVとラジオのニュース等で、
見知らぬ人々の不条理極まりない死に方を目耳にする日々において、
それらの他者の死は納得できても、
自身の死も「明日は我が身」だけは今だに納得できていない・・。
きっと、その瞬間まで納得できないのかもしれない。


死というのは、たぶん、海みたいなものだろうな

入っていくときはつめたいが、いったん中に入ってしまうと……

               セスブロンの遺作『死に直面して』より



なまぬるき雨降る夜になまぬるき神思いつつ黙示録閉づ
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : メメント・モリ 地震 津波 原発事故 神の御業 黙示録

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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