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「大往生したけりゃ医療とかかわるな」 中村仁一著
昨今話題の大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)を読み終えた。
老いと死がテーマの本であるにも関わらず、ときには笑わせがら、
また感心させながら読ませる軽い語り口は素晴らしく、話題になるのも頷ける。



内容は大往生のための看取り専門医の経験に基づく死に方の考察と、
著者の人生観死生観宗教観を散りばめた、
老いと死に関するエッセイ風な本である。

今まさに老いを感じている私が、
やがて来る死を目の前で見つめなければならなくなるときが来る。
その準備として読んでみたが、
なるほど、こういう選択肢もあるのか・・と、
死についての或る程度の備えが出来るようにも思えた。
更には自分の死に様だけではなく、
配偶者の老いと死を見つめることにも参考になる部分が多々あった。


よく、「みんなに囲まれて死にたい」と口にされますよね。
しかし、病院での臨終場面を、よく思い起こして頂きたい。
親戚、縁者が大勢ベッドを取り囲んでいるが、
誰一人として死にゆく人間を注視していない。
みんな枕元のモニター画面に釘づけなんだわサ。
昔だったら、脈をとっていた医者が「ご臨終です」といった途端、
「おばあちゃーん」とすがりついて泣けたん」じゃがの。
しかし今は、モニター画面の波がピーと平らになったので、
「おばあ・・・・・・」といいかけると、波がピョコッと出る。
また、しばらくして波が平らになったので、
今度こそと「おばあ・・・・・・」といいかけると、またピョコッと出る。
これを4、5回やられると涙は引っ込むし、後ろの方では遠い親戚が、
「しぶといわねェ」かなんか口走る仕儀になる。
あれは、ほんとに罪な装置だわサ。
これこそまさに、みんなに囲まれながらの”孤独死”と
いっていいのではないんかいの。
P58~59



食べないから死ぬのではない。「死に時」が来たから食べないのだ

今、私たち日本人は、自然な出来事である「死」を、
日常生活の中からほとんど排除して暮らしています。
ですから当然、90歳代の親が死ぬことが、70歳前後の、
その子どもたちの念頭にない、ということが生じます。
自分たちだって、いつ死んでもおかしくない年齢に達しているにもかかわらず、です。
ですから、前述の通り、一部には年金狙いやリベンジがあるにしても、
大部分は、親の死期が迫っているという事実をつきつけられると、狼狽します。
そして、「こんなはずではなかった、こんなことならもっとああしておくんだった、
こうしておくんだった」ということで、延命に走ってしまうようです。
しかし、これまで述べてきた通り、発達したといわれる近代医学であっても、
延命治療で「死」を少しばかり先送りすることはできても、
回避できるような力はありません。
治せない「死」に対し、治すためのパターン化した医療を行うわけですから、
わずかばかりの延命と引き換えに、苦痛を強いられることになります。
まさに、「できるだけの手を尽くす」が、
「できる限り苦しめて、たっぷり地獄を味わわせる」
とほぼ同義になっているといっても、いい過ぎではない状況を呈しています。
これを防ぐにはどうしたらいいでしょうか。
それは、親が一定の年齢に達したら(繁殖を終えたら)、
「死」を頭の片隅において、かかわりを持つことだと思います。
つまり、人間はいつか死ぬ存在ですから、
明日死なれても後悔の少ないかかわり方をする。
そして、その日が来るまでそれを続けるということです。
よく、「点滴注射のおかげで一ヶ月生かしてもらった」などという話を耳にします。
しかし、よく考えてみてください。点滴注射の中身はブドウ糖がわずかばかり入った
、スポーツドリンクより薄いミネラルウォーターです。
「水だけ与えるから、自分の身体を溶かしながら生きろ」というのは、
あまりにも残酷というものではないでしょうか。
また、口から食べるのは自然といっても、
当人の身体が欲しがらなくなっているのにもかかわらず、
無理に口をこじ開けて放り込むのも同じことです。
「脱水」は、意識レベルが落ちてぼんやりとした状態になり、
不安や寂しさや恐ろしさから守ってくれる働きをすることは、
すでに述べた通りです。
それなのに、たとえ善意にしろ、せめて水だけでも、と無理に与えることは、
この自然のしくみに反し、邪魔することになるのです。
赤ん坊が、眠いのにいろいうろちょっかいを出されて
眠らせてもらえないのに似ています。
ひどい仕打ちだとは思いませんか。たしかに、見殺しにするようで辛い、
何もしないで見ているだけなんてことはできないという気持ちも、
わからないではありません。しかし、こちら側の都合だけで、
何かをするというのは、「エゴ」といっていいと思います。
その行為は誰のため、何のためなのか、やった結果、
どうなるかを考える必要があります。
本人は嬉しがるか、幸せに感じるか、感謝してくれるか、
あるいは自分だったらしてほしいことなのかなど吟味してみなくてはいけません。
たしかに私たちは、何もせずに見守ることに慣れていません。辛いことです。
だからといって、自分が苦しさや辛さから免れるために、
相手に無用な苦痛を与えてもいいという道理はありません。
「そっとしておく思いやり」もあるのです。
また、たとえ延命したとしても、悲しみはなくなりも減りもしません。
ただ先送りするだけなのです。
フランスでは「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下できなくなったら、
医師の仕事はその時点で終わり、あとは牧師の仕事です」
といわれているそうです。
(『枯れるように死にたい』田中奈保美著、新潮社)。
残される人間が、自分たちの辛さ軽減のため、
あるいは自己満足のために死にゆく人間に余計な負担を強い、
無用な苦痛を味わわせてはなりません。
医療をそんなふうに利用してはいかんのです。
辛くても「死ぬべき時期」にきちんと死なせてやるのが
家族の愛情”というものでしょう。P77~80




著者は自然死を勧める特養の常勤医師である。
そして、看取りと死亡診断書を書くことが主な仕事?
と思われる老医師でもあるが、これほど鮮やかに
自分の老いと死を見つめられるようになるには、
相当の臨床経験と看取りの経験を積んで来たのだろう。

私自身はといえば、繁殖期もとっくの昔に過ぎ、
またヒトとしての賞費期限もぎりぎりの身であるにも関わらず、
今もノホホ~ン、ボ~ンヤリと怠惰な日々を生きている。(^_^;)

人生の先輩としての著者の死生観については、
100%ではないが共感する部分も多々あった。

ただ、身体の痛みだけは我慢するつもりはないので、
己の確実な死期を悟るまでは、
今後もペイン・クリニック等の医療にはかかわりを持つつもりでいる。

あちこちが壊れて痛む老いの身に掛け声かけて関節励ます
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Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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