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戦争を語る…戦争孤児たちの「遺言」。「狩り込み、と呼ばれた行政による強制的な保護収容では、『1匹、2匹』と動物のように数えられました。30人ほどの子どもがトラックの荷台にのせられ、そのまま夜の山奥に『捨てられた‥』
 


戦争で親を奪われた戦争孤児は、戦後史の闇に埋もれた存在だ。自身もその一人である金田茉莉さんは、30年にわたり、孤児たちの証言や資料を集め、未来への「遺言」として伝えてきた。82歳になったいまも、日々パソコンに向かい、孤児の目でみた戦後日本の現実を書き残す。


 ――若いころに右目の視力を失い、最近は左目も悪くされて、細かい字が読めないそうですね。それでも書き続ける。執念に似た思いを感じます。

 「72年前の終戦の後、東京・上野の地下道は浮浪児であふれ、数え切れない子どもたちが餓死し、凍死しました。生きた証しすら残せず、『お母さん』とつぶやき、一人で死んでいった。いま書いている本の題は『なぜ浮浪児になったのか』にしようと思います。歴史の闇に埋もれた実態を明らかにして、汚名をそそぎたいのです」

 ――汚名、とは?

 「浮浪児と呼ばれた子どもの大半は戦争孤児です。学童疎開中に空襲で家族を失った子もたくさん路上にいました。だれも食べさせてくれないから、盗みを働くほかなかった。不潔だ、不良だと白い目でみられた。『浮浪児に食べ物をやらないで』という貼り紙まで街頭にありました」

 ――学童疎開中なら小学生の年代です。親を失った子の心中を思うと、胸が苦しくなります。

 「私が通っていた東京の国民学校では、宮城県に集団疎開中の小学生66人が、空襲で孤児になりました。私の家族は最初は行方不明で、『私の手足がなくなってもいいから生きていて』と毎日必死に祈りました。しかし4カ月後、母と姉の遺体が隅田川で見つかったと知らされて。妹の遺体は見つからぬままです。父は早くに病死していて、親戚宅を転々としました。全国の疎開孤児は、膨大な数だったと思います。孤児施設も極度に不足しており、引き取る親戚がなければ、農家などへ養子にだされました」

 ――いきなり、養子ですか。

 「里親のもとで愛情深く育てられた人もいますが、戦後の混乱期で人心はすさんでいました。働き手を軍隊にとられ、どこも人手不足でした。こきつかわれ、学校に通えないことも珍しくない。文句を言う親も、行政のチェックも、何もありませんでした」

 ――孤児たちはなぜ、路上をさまようようになったのでしょう。

 「当時5年生だった男性は、集団疎開から戻った上野駅で迎えがなかったそうです。パニック状態になり、焼け跡で家族を捜しても見つからず、日が暮れて駅に戻りました。『生きていないと親に会えない』と思い、盗みを始めたと打ち明けてくれました。同じ境遇で一緒に地下道にいた3年生の男の子は、何日間も何も口にできず、『お母さん、どこにいるの』と言った翌日、隣で冷たくなっていた、と。いったん親戚や里親に引き取られても、重労働や虐待に耐えかねて家出をして、浮浪児になった子も数多くいました」

     ■     ■

 ――国は戦争孤児を守ってくれなかったのでしょうか。

 「戦後、戦争孤児の保護対策要綱を決め、集団合宿教育所を全国につくる方針を示しました。しかし、予算も規模もまったく不十分でした。見かねた民間の篤志家や施設が私財をなげうち、孤児を保護したものの追いつかず、街に浮浪児があふれました」

 ――国の支援不足が浮浪児を生んだ、と。

 「そうです。戦争孤児は、国に棄(す)てられた。私はそう思っています。20代のころに、当時の厚生省(現厚生労働省)に戦没者遺族への補償を受けられないか、問い合わせました。生活苦で、わらにもすがる思いで。でも『軍人・軍属の遺族ではないので、対象ではない』と言われた。同じ戦争犠牲者でも、民間の空襲被害者は差別されているのです」

 ――どう、国は対処すべきだったと思いますか。

 「学童疎開は国策として実施されたのに、戦争に負けると孤児たちは放り出されました。せめて義務教育が終わるまで、国の責任で養育すべきでした。食糧難で窮乏している親戚に託したり、急場しのぎに養子に出したりという対応は、無理があったのです」

 ――戦争孤児の総数は、正確にはわかっていないのでしょうか。

 「政府は1946年の帝国議会で、戦争孤児の総数を『3千名前後』と答弁しました。混乱期とはいえ、あまりの過小評価です。48年にようやく厚生省が全国一斉調査をして、孤児は12万人以上いたことがわかりました。病死などとされたその他8万人余りも内訳は不明で、実質的には大半が戦争孤児だと私は考えています。しかもこの調査は、養子になった孤児や沖縄県の孤児、路上にいた浮浪児は含まれていません。実数は、さらに多かったと思います」

     ■     ■

 ――路上の孤児は排除、取り締まりの対象になっていきます。

 「狩り込み、と呼ばれた行政による強制的な保護収容では、『1匹、2匹』と動物のように数えられました。当時10歳で浮浪児となり、上野駅で狩り込みに捕まった女性の証言を聞きました。30人ほどの子どもがトラックの荷台にのせられ、そのまま夜の山奥に『捨てられた』そうです」

 ――信じがたいできごとです。

 「地下道で餓死しても、見て見ぬふりをせざるを得なかった時代。人の命など、どうでもよかったのだと思います。孤児施設も多くが食糧不足で劣悪な環境でした。当時6歳だった女性は『死体の横に寝かされた』と証言しています。さらにこの女性は、施設の柱に何度も自分で頭を打ちつける何人もの子の姿を目にしたそうです。心に異変をきたしていたのでしょう。元気な子どもは、施設から逃げました」

 ――地獄を見て、心に深い傷を負ったのですね。

 「親戚の家や養子先で成長した子どもも、心を殺して生きなければなりませんでした。私は親戚から『野良犬』『出て行け』とののしられ、『親と一緒に死んでくれたら』との陰口も耳にしました。刃物が胸に刺さる思いでした。腐った魚の目、と気味悪がられました。心が死んでいたと思います」

 ――孤児たちは、つらい記憶に長く口を閉ざしてきました。

 「語るには過去が重すぎました。世間の目も怖い。親戚や里親との関係を語れば、『そんなことあるわけがない』『お世話になったのに』と批判されます。私自身、思い出すのも嫌で、夫や子どもにも長く話せませんでした」

 ――それでも、50代になって戦争孤児の調査に乗り出しました。

 「大病をしていつ死ぬかわからないと痛感し、命あるうちに記録を残さねばと思いました。疎開関係の資料や新聞記事などを手がかりに連絡先を調べ、一人一人に手紙を出しました。何人もの人に『話したくない』と断られて。聞き取り中に当時を思い出し、手足が震えだした人もいます。90年代初めにアンケートをとった22人のうち18人が自殺を考えたと答えています。弟が自殺し、自分も青酸カリを持ち歩いていたという男性もいた。私もそうですが、親と一緒に死んだほうがよかったという思いが、消えないのです」

 ――なぜ、多くの人が重い過去を語り始めたのでしょうか。

 「浮浪児の経験や親戚との関係も含めて、人間の真実を伝えない限り、なぜ孤児が浮浪児になったかを正しく説明できません。結果として、国の責任もうやむやにされてしまいかねません」

     ■     ■

 ――戦争孤児は、戦争を実体験した最後の世代でもあります。

 「当時10歳前後だった孤児たちも、すでに80代です。戦争の体験を語り継ぐ催しを力を合わせて開き、定期的に交流してきた『戦争孤児の会』のメンバーも、病気や高齢で半数が参加が難しくなり、この8月で活動を終えます。残された時間は多くありません」

 ――日本の未来を生きる世代に、何を伝えたいですか。

 「特定秘密保護法、安全保障法制、共謀罪など、危うい法律が次々にできています。戦争を体験した世代には、戦争の足音が聞こえる。もし、いまの大人が過去の教訓を忘れ、日本が戦争に巻き込まれれば、必ずまた戦争孤児が生まれます。国は都合の悪いデータは隠してしまうでしょう」

 「いったん平和が失われたら、子どもの命は守れない。いまが正念場です。戦争孤児の問題は過去のできごとではなく、未来の子どもたちの問題です。終わりなき悲しみを子どもたちが二度と味わうことがないように、最後のチャンスと思って、伝えたい」

 ――若い世代に届きますか。

 「世界では、いまも爆撃の下で子どもたちが逃げ惑い、食べ物がなく死んでいく。なのに多くの日本人は、戦争は過去の歴史で絶対起きないと思っている。くらしに追われてゆとりがなく、身の回りのこと以外、あまり考えなくなっている気がします。でも、希望は捨てていません。特に若い親たちはちゃんと耳を傾けてくれて、戦争とは何かを考える芽が出てきている。体験を書き残しておけば、いつか、だれかが気づき、警鐘を鳴らしてくれると信じています」

 (聞き手・編集委員 清川卓史)

     *

 かねだまり 1935年生まれ。集団疎開をしていた小学3年生のとき、東京大空襲で親と姉、妹を失った。著書に「東京大空襲と戦争孤児」など。

転載元:http://digital.asahi.com/articles/DA3S13080270.html?_requesturl=articles%2FDA3S13080270.html&rm=150



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気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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