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寝たきり90歳女性「もっともっともっともっと生きたいの・・」
友人A子の御母堂様(90歳)は特養の空き待ちで
現在は老人保健施設に入居されている。
昨年までは介助者付きでの車椅子での外出も可能であったが、
今年になってからは徐々に衰弱してきて、
本当の寝たきり状態になってしまったそうな。

以前の月に一度の介助者付きでのデパート等への外出の折りには、
「この歳まで生きたんだから、もういつ死んでもいいわ。
早く、あの世のおじいさんがお迎えに来てくれないかしら。
もう生きるのに飽きちゃったわ。
だから、そのときがきたら無駄な延命なんて絶対にしないで、
静かにあの世に行かせてね。オーホッホ」

等々の軽口を叩いていたのだが、寝たきりになった途端に・・

「まだ死にたくないの・・。もっともっと生きていたいの。
今までなんとなく信じていた冥土極楽なんて場所は
本当はおとぎ話の中の世界なんじゃないかと思うのよ。
きっと、極楽天国も実際には何処にもないのよ。
ワタシ・・焼かれて骨になっておしまいなの?
この部屋の窓から見える桜が全部散ったらワタシは死ぬのかしら・・
嫌よ!そんなの絶対に嫌だわ。
もっともっと、もっともっと生きたいのよ。
お願いだから必ず延命治療をしてね。」

とA子が会いに行く度に懇願するようになったらしい。


母親が寝たきりになる前のA子は、
「ハイハイ、お母さんはもう充分に生きましたです。
平均寿命も過ぎたので、もう生きる時間については元を取りました。
近いうちにお父さんが必ずお迎えに来ると思います。
その折にはいつでもご自由に、
心おきなく彼の世のお行きくださいませ。イーヒッヒ」

などと、冗談風な口調で受け答えをしていたのだが、
今は、「死」という言葉は禁句になってしまったのだという。

御母堂様は今、間近に迫りつつある死という絶対的恐怖の中で怯え、
右往左往している段階なのだろう。
今の段階が過ぎれば、再び死を受け容れ、そしてまた否定の段階に入る。
彼女の場合は、死ぬまでその繰り返しなのかもしれない。

世間では、高齢になればなるほど死への恐怖は消え失せて行くかのごとく
思われている部分もあるが、
何歳になろうと死への恐怖が消滅することは有り得ないと思う。

よく高齢者が「いつ死んでもいい」などと平然というのは、
悟ったわけでもなく、また死を受容しているわけでもなく、
切実な死ではない漠然とした死の不安に対しての
あくまでも他人事としての死であり、
また年長者としてのただの強がりであるだけかもしれない。
もし、何らかの病気で余命を知らされることがあったとしたら、
パニックになって、「死ぬのはいつも他人であり、わたしが死ぬはずがない!」
と死を全否定するのではないだろうか。

例えば明日、自宅で一人でいるときに脳梗塞や心不全で倒れ、
発見が遅れて、残念ながら生き返らない人や、
また、千年に一度の大地震が来て、一瞬にして大津波に吞み込まれ、
海の藻屑となってしまう人もいるかもしれない。

それでも、人間は多くの歳を重ねても、また死に近い身体状況に置かれていても、
自我が正常に働いている限りは、自分という人間が明日にはこの世にはいない。
などとは決して認知しないような都合のいい脳を持った都合の良い生き物なのかも・・。
130324r
無常花がはらりはらりと散ってゆく淡き夢さえ拒否するように
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

tag : 死への恐怖 冥土 極楽 天国

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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