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「夫の死に救われる妻たち」―安堵感と解放感について
強烈なインパクトのある書名に惹かれて読んでみました。

副題は「When Death Brings Relief」
=「死が安らぎをもたらすとき」


短絡的にタイトルだけを見ると、
「早く夫に死んで貰ったほうが救われる妻たちがいる」
かのように取られかねませんが、決してそのような内容ではなく、
嘆き悲しむべき家族の死に対して、
安堵感と解放感、それに付随する罪悪感等についてを実例を交えながら書かれた本です。



ここからは私の関心事である夫婦間に的を絞ります。

私が若気の至りと気の迷いから、
今の夫と結婚してから約40年の月日が流れ去ろうとしています。
離婚の危機も何度かありました。
それでも未だに夫婦でいる理由は、
ハローワークに行っても、職種を選ばなくても仕事に有りつける年齢では無くなった今、
いずれ夫が残すであろう遺族厚生年金を当てにしているからです。(笑)


それでも、永別の準備もしなくてはならない年齢になりました。


この世で夫婦関係を続けている人たちのすべてが
100%円満な関係を維持していることはない・・
ということは誰でもが承知していることです。
大なり小なりの不平不満や哀切や
愛憎入り混じった葛藤に苛まれながらも夫婦を続けています。

そして、どのような関係の夫婦であれ、離婚さえしなければ、
死に至る形は違えども、永別の日は必ず訪れます。


一般的に、世間的には突然の事故や病気でパートナーを亡くしたら、
遺族は嘆き悲しむのが当たり前とされています。
そのようなときに妻や夫が安堵感を感じたとか、
解放感を感じたとかを口に出したら、
世間からは当然のごとく非難されます。

既に関係が破綻していて離婚寸前の夫婦の片方が
突然の事故で帰らぬ人になったり、
難病等で常時介護を必要とする妻或いは夫や
末期ガンで痛みに苦しむ妻或いは夫を己の無力感を感じながら、
死に至る過程を辛い気持ちで身守らなくてはならないときに、
そのパートナーが亡くなったとき、
妻や夫はただただ喪失感100%のみの感情で嘆き悲しむだけでしょうか?

もしかしたら、心の奥底では、

安堵感ー

解放感ー

自由感ー

などの感情を持つことを想定できませんか?
またそのような感情を持ったことはありませんか?



例えば仮に或る夫婦の夫が亡くなったと想定して、
その夫の存命中に、彼は外の顔(誰に対しても優しく善い人との評価を受けていたり)と
家の顔(精神的虐待や暴力による虐待を常にしているDV夫だったり)
のふたつの顔を使い分けていた場合、
妻は悲惨な夫婦関係を夫の死により解消できて
安堵感と解放感のみに満たされることでしょう。
その妻は葬儀の席やその後の日常生活で称賛、美化されて聞かされる夫の生前の姿に
内心は反感を持っても、その感情を表に出すことは許されず、
心の奥底の感情は微塵も表面には出さずに、
嘆きの未亡人としての役割を演じ続けることになります。


逆に聖人君子のごとき夫で、
相性抜群の仲好し夫婦であった場合は妻の喪失感も大きいと思われますが、
いがみ合ったり、憎んだり、長期間の介護を強いられたり、
さんざん苦労をかけられたと思っている妻の場合は、
「先取り喪失」をしていて、
喪失感よりも安堵感と解放感のほうが大きいかもしれません。

私の知り合いに約20年の長きに渡り、
献身的に難病の夫の介護をしている人(70代前半)がいます。

ある日彼女は私に切羽詰まったかのように小声で囁いたことがあります。


「もう充分に介護したから、今日夫が死んでも後悔はないわ。
もし夫が今日死んでくれたら、夫は長きに渡る病の苦痛から解放され、
私も介護の日々から解放され、私たち夫婦は二人とも自由を得られるのよ。
今の夫はあの優しくて温厚だった私の夫じゃなくなったわ。
別な人になってしまったのよ。
それに私にはもう残りの時間がないのよ。」

彼女は「先取り喪失」をしていたのでしょうか・・。



自分はパートナーの死の時にはこんな感情を味わった。
だから世間の人も同じ感情であるはずだ・・はありません。
100組の夫婦がいれば100通りの永別の感情があります。
それが喪失感、安堵感、解放感、自由感、各一個づつの人もいれば
それぞれの感情を複合して持つ人もいるかもしれません。
身近な人の死に対して、
世間の常識というものは時として冷酷な仕打ちをするものですが、
でも、本人がそう思うのなら、
それはそれで当たり前の感情なのではないでしょうか・・。
人間の感情にも理性にも世間の常識にも100%はあり得ないと思うのです。



私は3年前に約20年近く寝たきりだった母(痴呆症状は皆無)が亡くなった時に、
喪失感と同時に安堵の感情も湧きあがりました。
見るに忍びないチューブに繋がれた母の姿に、
近い将来の私自身の姿を投影していたのでしょうか・・。


「お母さん、これからは、チューブに繋がれて無理やり生かされ、
痛い苦しい思いを強いられることが無くなって良かったね。」

と心の底から思いましたから・・・


家族の誰かの死というものは、残された者に心のざわめきと共に
様々な生きる意味を教えてくれるものなのでしょう・・。
101229ri
早朝にモカ珈琲が香る日はあなたの妻で良しと思へり
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

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Re: NoTitle
こくさん。こんばんは。

研究者間で一般的に言われることとして、
「喪失に一つとして同じものはない・・」らしいです。
更に、伴侶との死別から立ち直ることは、夫婦関係が良好であり、
対立が少ないものだった場合ほど困難である。
そして、相手との葛藤に苦しんだ夫婦の場合は、
悲しみの度合いが低い。」と結論付けています。
ただ、伴侶を失った妻または夫が、
伝統的な悲観行動を示さないからと言って、
夫婦の間に愛がなかったとは
言い切れない。とも言っています。

他人に見せる夫婦関係が親密でなかったように見えても、
そのご夫婦には他人には判らない深い愛があったのかもしれませんね。
逆に表面上は仲好夫婦でも結婚生活においては、
諦めの愛の形で関係を保っていたのかもしれません・・。

結局は、他人様の夫婦関係は第三者の視線からでは
何も解りっこないということになるのでしょうか・・。


私にはカトリックの国であるパラグアイの新年風景って想像もできませんけど、
遥か遠い日本の片隅の町からこくさんご夫妻のご健康とご多幸をお祈りしています。
どうぞ良いお年をお迎えくださいね。(*^。^*)
NoTitle
残り少なくなってきたこの頃、もし片方になった時のことを考えます。
移住地では全部が知りあい。お葬式に何度出席したことか!!
その時いつも思います。あまり親密でなかった夫婦ほど、嘆き悲しむのです。それはポーズでしょうか?
本当によりそって、生活していた人は、素直に、相手の死を受け入れて、本当に穏やかに、天国に送り出しています。
厳しい移住者という環境に、二人で立ち向かったからでしょうか。
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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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