*All archives* |  *Admin*

医者がガンになったらどのような考え方とどのような治療をして死を迎えるのか?
最近、とても目を惹く上に断定口調での医療否定本と医療肯定本が新聞広告に載っていることが多い。

記憶に新しいのでは、医療否定本の代表格である医師の近藤誠・中村仁一の共書である
「どうせ死ぬならがんがいい」とジャーナリスト船瀬俊介の「病院で殺される」


医療肯定本の代表格?は「医療否定本に殺されないための48の真実」長尾和弘。
book
それにしても、次から次へとベストセラーになる本を執筆するほどの時間のある医師は、
普段は何をしているのだろう?と疑問に思ったのだが、
近藤誠医師の本はインターネットで調べ上げた欧米の
メディカル系の論文が元になっていると新聞記事(多分)で読んだ気がする。

また、医療否定本や医療肯定本を書いた医師たちとて、決して若くはない・・。
もしご自分がガンに罹患したときには、
果たして、自分の書いた本のような信念を貫き通すのか?
と思い、「医者はどのように死ぬのか」を日本語と英語でググッてみたら、
How Doctors Die
It’s Not Like the Rest of Us, But It Should Be

という米国のサイトに辿りついた。

翻訳サイトの助けを借りて翻訳を試みたが、どうしても上手く出来ない・・・。
そこで、http://www.lifener.net/e3689962.htmlという一年以上更新の滞っているサイトに
簡潔な日本語訳が載っていたので勝手に転載させてもらった。
(もし不都合がありましたら、即削除致しますので、お知らせくださいませ。)


How Doctors Die
It’s Not Like the Rest of Us, But It Should Be

数年前、チャーリー(尊敬される整形外科医であり、よき師でもある)は、
胃にしこりをみつけ、外科医にその場所を検査してもらった。
そして、検査の結果は膵癌であると診断された。
検査した医師は国内でも優秀な外科医の1人で、
生存の可能性を5パーセント〜15パーセント、
5年間の生存の可能性を3倍に引き上げる
画期的な治療法をも考案した人物だったが、
それでもチャーリーは無関心だった。

翌日帰宅した彼は仕事を手じまいし、
2度と病院へ足を踏み入れる事はなかった。
彼は家族と共により心地よく、
出来るだけ長い時間を過ごす事に決めたのだ。
それから、数ヶ月後に彼は自宅で亡くなった。
彼は化学療法、放射線療法、手術療法を行わなかった為、
メディケア(公的医療保険制度)は彼にあまりお金を費やす事はなかった。

それは頻繁に議論される話題ではない。しかし、いずれ医師も死ぬ。
だが、彼らは他の人達と同じように死ぬ事はありません。
他の人が死に抵抗し時間を費やすころ、
彼らは自身の死と直面したとしても驚く程に平静を保っている傾向がある。
彼らはこれから何が起こり、何をするべきか適切な判断を知っているし、
適切な医療への手段も知っている。それなのに、彼らは静かに去る。

勿論、医師も死ぬ事を望んではいない、彼らは生きたがっている。
しかし、彼らは近代医療の限界を知っている。
そして、全ての人々が死にたいして何を恐れているかも知っている。
その恐怖とは苦痛であり、孤独に死んでいく事だ。
彼らはこうしたことについてすでに自身の家族に話をしている。
いよいよという時になれば、彼らは地上に存在する最後の時に
自分がCPR (心肺機能蘇生) により意識を取り戻すために肋骨を
砕かれることの決してないように望む
(適切にCPRが行われた場合こうしたことが起こる) 。

医療専門家のほぼすべてが「無駄な治療」と呼ばれるものが
患者に施されるところを目の当りにしている。
医師が死に瀕した末期患者に最先端の技術を用いるのはそんな時だ。
患者はメスで切り開き、管を突き通し、機器を取り付けられ、
そして薬物に冒されることになる。これらは全て、
1日に何万ドルもの費用をかけて集中治療室で行われる。
挙句に手にするのは、テロ犯罪者でも与えられない惨めな苦しみだ。
同僚の医師らが数えきれないほど何度も私に言い聞かせたのは、
言い方のわずかな違いこそあれ、
「万が一私がこういう状況になったら殺してくれ」というものだった。
彼らの本心からだ。ある医療専門家は「ノー・コード」と
刻印されたメダルを身につけ、
医師らにCPRを施さないよう意思表示している。
同じものをタトゥーで見たこともある。

人々が苦しむ治療を施すことは苦痛だ。
医師たちは自身の感情を表さずに情報収集できるよう訓練されてはいるが、
職務外では医師同士でガス抜きをする。
「誰だって自分の家族にだったらあんなことはできないよな?」
と尋ね合うのだ。私はこうしたことが原因の一つとなり、
多くの他分野の専門家と比較して医師のアルコール依存症や
うつ病の発症率が高いことにつながっているのだと考えている。
また私にとっても10年前より病院治療から身を引いた一因となっている。

どうしてこのような、
医師らが自分自身に対しては決して望まないようなことが
行われることになったのだろうか?
答えは単純だが、それほど単純な問題ではない。
答えは、患者、医師、そして仕組みである。

患者の行う役割をわかりやすくするために、
誰かが意識を失い緊急治療室に運ばれたという筋書きにしよう。
大抵の場合そうであるように、
誰しもがこのような状況を計画したわけではなく、
ショックでおびえる家族は選択肢の迷路に捕われたことに気づく。
彼らは途方に暮れる。医師が彼らに「できる限りのこと」を
尽くすことを望むかどうかを尋ねるとき、彼らの答えはイエスだ。
そして悪夢が始まる。
時として、ある家族は本当に「できる限りのことを尽くす」
ことを意図する場合もあるが、しかし大体においては単に
「できる限り適当なことを行う」という意味に過ぎない。
ここで問題であるのは、彼らが何が適当であるか知る由もなく、
また混乱と悲しみの中、それについて質問することも医師が告げることに
耳をかたむけることもないということである。自分の役目として、
医師は「できる限りのこと」がなし得る全てを行うと告げるが、
それは適当であるものとそうでないものを含む。

ここまでの筋書きはありふれたものだ。
問題を更に肥大させるのは、医師が果たす先行きとして非現実的なものだ。
多くの人々がCPRを信頼できる救命法だと考えていても、
実際には効果は通常乏しい。
私はCPR実施後に緊急治療室に運ばれてきた人々を何百人も見てきた。
正確にたった1人だけ、心臓に何の異常もなかった健康な男性が
(詳細を求める方には、彼が緊張性気胸であったことを伝えよう)、
病院の外に歩み出ることができた。
患者が深刻な病気や老衰、末期症状に苦しんでいる場合、
CPRからよい結果をもたらす勝算は無限小である一方、
苦痛の見込みは計り知れない。
乏しい知識と見当違いの想定から多くの誤った判断が導かれてきた。

だがもちろん、こうした出来事は患者のみによって招かれるのではない。
医師も同様に実際的な役割を担っている。
困ったことに、無駄な治療を施すことを好まない医師が
患者たちとその家族の希望を通す手段を見つけ出さなくてはならないことだ。
いま一度、緊急治療室とヒステリックなほどに深く悲しむ家族を頭に描いて欲しい。
彼らは医師のことを知らない。
そのような状況下で信用と信頼を確立することは非常にデリケートなものである。
人々は、医師が基本的動機から行動しており、
特にその医師が更なる治療を勧めない場合には
時間、金、または労力を省こうとしていることを見抜くことができる。

医師の中には他者よりコミュニケーションに優れる者、
より頑固な者がいるが、彼らが直面する重圧に変わりはない。
私が人生最後の選択肢のある状況に直面するときには、
手順のできる限り早い段階で、自分が (どのような状況下であれ)
適切であると考えるものだけを並べるやり方を採用していた。
患者やその家族が適切でない選択肢を持ち込んだ場合には、
問題となることについてマイナス面を明確にした専門用語でない言葉で話し合った。
もし患者や家族が依然として私が意味がないか有害だと考える
治療を譲らないときには、
彼らの治療を余所の医師や病院へ移転させることを提示した。

より力強い説得が必要だったこともあっただろうか?
いまだに移転させたことを後悔するものも中にはある。
私が最も好感を抱いていた患者の1人はある有名な政治一家出身の弁護士だった。
彼女は重度の糖尿病と血液循環の不良、そして一時、
足にひどい痛みを抱えていた。
病院の危険に対する判断から、
私は彼女が外科手術の助けを求めることのないようあらゆる努力をした。
しかしながら、彼女は私が一切交流を持たない外部の専門家たちを探し出した。
私以上に彼らが彼女を知っているわけではなく、
彼らは両足の慢性的に詰まった血管へバイパス手術を行うことに決めた。
これにより彼女の血行循環は回復することはなく、
手術創傷が癒えることはなかった。彼女の両足は壊疽を患い、
そして両側の脚部切断に至った。2週間後、
これら全てが行われたその名のある医療センターで、彼女は亡くなった。

こういった話の中において医師と患者双方の誤りを見つけることは容易だが、
いろいろな意味で全ての当事者は過剰な治療を
奨励するより大きな仕組みの被害者に過ぎない。
ある不運なケースでは、医師たちは診療ごとの個別支払いモデルを用いて、
それが例えどんなに要領を得ないことであっても彼らのできる限りのことを施し、
金を稼ぐ。しかしより一般的に見られることでは、医師は訴訟を恐れるあまり、
何の抵抗もなく言われたとおりにすることで、
面倒に巻き込まれるのを避けようとする。

どんなに準備が整っていたとしても、
この仕組みは変わらず人々を飲み込んでしまう。
私の患者の1人にジャックという名の78歳になる男性がいて、
彼は長年病気を患っており、大きな手術を15回ほど耐えていた。
彼が私に説明するには、例えどんな状況にあっても、
もう二度と生命維持装置を取り付けたくはないということだった。
しかしある土曜日、ジャックは重篤な発作を起こし、
奥さんを伴わず意識不明のまま緊急治療室へと運ばれた。
医師たちは彼を蘇生すべくあらゆる手を尽くし、
そして彼に集中治療室内の生命維持装置を取り付けた。
これがジャックの最悪の悪夢だった。
私がその病院に到着してからジャックの治療を引き継いだ時に、
私は彼の治療に関する希望の書かれたオフィスノートを示しながら
彼の奥さんと病院のスタッフと話をした。
それから私は生命維持装置のスイッチを落とし、
彼の側に座った。彼はその2時間後に亡くなった。

彼の希望の全てが文章としてあったのにも関わらず、
ジャックは彼が望むように最後を迎えることができなかった。
仕組みが邪魔をした。
看護士の一人は、後になってわかったことだが、
私がジャックのプラグを外したことを殺人の
可能性があるとして当局に報告したりもした。
もちろん、それからは何も起こらなかった。
ジャックの希望は明示的に書き出されてあったし、
そのことを裏書きする筆記作業もなされていた。
しかし警察の捜査されることはどんな医師にとっても恐ろしいものだ。
ジャックの明示した希望に反して彼を生命維持装置につながれたまま残し、
数週間の間彼の生命、
そして苦痛を長引かせる方が私にとってはるかに簡単だっただろう。
さらに私はもう少しお金を稼ぐことができ、
そしてメディケア(公的医療保険制度)には
50万ドルの追加請求が残ることになっただろう。
多くの医師たちが過剰治療の立場を取る誤ちを犯すのも無理はない。

それでも医師が自分自身を過剰治療することはない。
彼らはそうしたことの結末を絶えず目の当りにしているのだ。
誰であれ自宅で安らかに亡くなる方法を選ぶことができ、
これ以上なく痛みを和らげることができる。
ホスピス治療は末期患者に対して無駄な治療ではなく
安楽と威厳を与えることに重点を置いており、
多くの人々がより良い最後の日々を送っている。
驚くべきことに、研究によってホスピス治療を受ける人々が
しばしば積極的な治療を求める同じ病状の人々よりも
長く生きることが明らかになった。
私が最近ラジオを聴いていて衝撃を受けたことは、
有名なレポーターであるTom Wickerが
「家族に見守られて自宅で安らかに息を引きとった」ことだ。
こういった話は、ありがたいことに、
ますますよく耳にするようになってきた。

数年前、私の従兄のトーチ
(懐中電灯、トーチの明かりに照らされて自宅で生まれた) が
脳まで回った肺がんの結果であった発作を起こした。
私は彼のために様々な専門家たちに診てもらうよう手配し、
その後 彼の病状では化学療法のため
毎週3日から5日通院などの精力的な治療を行ったとしても、
おそらく余命は4ヶ月ほどであることがわかった。最終的に、
トーチはいかなる治療も受けないことを決め、
単に脳腫瘍のための錠剤を飲んだ。
彼は私の所に引っ越して来た。

私たちはそれから8ヶ月の間彼のしたがった色々なことをして過ごし、
何十年ぶりかのように一緒になって楽しんだ。
ディズニーランドに行ったのは
彼にとって初めてだった。自宅で何もしないで過ごした。
トーチはスポーツ馬鹿だったので、
私の料理を食べながらスポーツ観戦するのがとても好きだった。
彼の体重が増えたりもしたのは、
病院食でなく彼の大好物を食べていたからだ。
深刻な痛みはなく、元気なままであった。ある日、
彼が起き上がることはなかった。
彼はその後3日間昏睡に似たように眠ったままで、
そして亡くなった。
その8ヶ月間の医療費であった、
彼が摂取していた唯一の薬は20ドルほどだった。

トーチは医師ではなかったが、彼は自身が量のみならず、
人生に質を望んでいることを悟っていた。
私たちの多くもそうではないのだろうか?
終末期医療の最先端があるとすれば、それは、尊厳のある死だ。
私の場合、私の医師が私の選択を持つ。
それを決断するのは簡単だ、大抵の医師にとってそうであったように。
英雄詩ではなく、私はあのグッドナイトにゆっくりと向かっていくだろう。
私の恩師、チャーリーのように。
私の従兄、トーチのように。私の同僚の医師たちのように。

転載終わり----


最近、医療の何を信じたらいいのかが判らなくなってきた。

医師との相性なのか?それとも病院の規模なのか?
立て続けにベストセラー本を出す有名な医師や、
テレビに頻繁に顔を晒す医師の腕は本当に信じられるのか?
また、医師がガンに罹患した場合の抗ガン剤治療アンケートでは、
抗ガン剤拒否の医者が271名中270名だとか・・
しかし、一般のガン患者に抗ガン剤を使わないと
病院経営が成り立たないのだとか。


その医師たちは、職業柄、
終末期や死についての多くのビジョンを持ってはいるだろうが、
それでも、彼らもいずれは死ぬ・・。

やっぱり、医学的知識などない人は、そのときに茫然自失としてしまい、
運悪く「すべて目の前の藪医者にお任せ・・」にならないように、
元気なときにサナトロジー関連の本を数冊でも読んでおき、
また、セカンド・オピニオンも自ら進んで受け、
自分の終末期のことをシミュレーションしておき、
家族(天涯孤独の身なら友人や知人、もしくは役所や役場の高齢福祉課の担当者)に
伝えておくことしか方法はないのかもしれませんわね・・。
130922r
狭庭辺の片隅に咲きし地獄花幻夏の夢が終わらぬままに
関連記事

にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : ひとりごとのようなもの ジャンル : 日記

tag : 抗ガン剤治療 病院経営 サナトロジー 終末期

Secret
(非公開コメント受付不可)

検索フォーム
人気ブログランキング
にほんブログ村
福島は今...
プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
最新の世迷言
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
お気に入りブログ
ブロとも申請フォーム
読書メモⅠ
商品紹介
Twitter
読書メモⅡ
永遠の世界への旅立ちグッズ