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大揺れで家が潰れて美人薄命?で死ぬかと思った!2011.3.11から、もう3年?まだ3年?で思うこと。
     ひずんだ家族、私はあきらめない 福島・楢葉

 あれから家族はふつうではなくなり、私はそれに慣れてしまった。

 両親の間の溝が決定的に深まったのは、震災の年の夏。暑い日だった。

 4カ所目の避難先だった福島県郡山市のアパートで、
泣き叫ぶ母(49)が父(51)をなじった。

 「大丈夫って言ったのに、大丈夫じゃなかったじゃない」

 父は言い返さなかった。

 何でこんなことになったんだろう。
高校1年だった矢代悠(はるか)さん(18)はトイレにこもり、
声が漏れないように泣いた。

 父は東京電力社員。自宅は福島第一原発の20キロ圏内、
福島県楢葉町にあった。
一家は原発事故で、震災の翌日から避難を迫られた。車で寝泊まりもした。

 父は事故の収束作業に呼び戻された。避難先の家に戻るのは月8日程度。
細い体がさらに痩せ、ほおがこけた。
母は知り合いから口々に「どう責任を取るの」「被害者面して」と言われ、
携帯電話の電話帳から約30人の名前を消した。

 福島県いわき市に避難した祖母までが「おめえの旦那が東電のせいで、
どれだけ世間体を悪くしてるか」と言った。母は泣いた。
若いころ、東電の子会社に勤め、「安定している東電の人と結婚しなさい」
という祖母の言葉通りの選択をしたのに。

 両親は会話を交わさなくなった。父からメールを受け取り、
内容を母に伝える役割を悠さんが担った。

    *

 テレビニュースが「脱原発デモ」を映し出す。

 東京の電気をつくる原発がどこにあるかも知らなかったくせに。
お父さんが頑張っていることは、誰も知ろうとしないのに。
無責任じゃない?

 悠さんは父が責められているように感じて、腹が立った。
でも、「父のことを話せば、軽蔑した目で見られるかも」
と心配する自分もいた。
高校でも父のことを深くは話せなかった。

 高2の夏。被災地の高校生300人を招くNPOや企業の企画で、
米国に短期留学した。
他の高校生や米国の学生とディスカッションを重ねるうち、
度胸がついてくるのがわかった。

 帰国後、被災地の高校生が東北の課題を話し合う東京の集まりにも参加した。
母を津波で失った宮城県の高校生の体験を聞き、決心した。「自分も言わなきゃ」。
緊張で体が震えたけれど、みな泣きながら聞いてくれた。

 被災したからこそ得た機会が自分を強くしていた。

 「震災で減った観光客を呼び戻そう」。
留学仲間の高校生が企画したいわき市を案内するバスツアーにも、
スタッフとして加わった。
悠さんは高2の春からいわき市に移り住んでいた。

 旅行会社の協力で昨年5月に始まったツアーは、第3弾まで実現した。
悠さんは首都圏からの客に父が東電社員として収束作業に当たっていることを話した。
そして、「私たちが楢葉町に住んでいたことを忘れないでください」と伝えた。

 抱きしめてくれる人、「お父さんたちは英雄だ」と言ってくれる人がいた。
震災後はめったに笑わず、口数も減った父。
その父が口に出せないことを、代わりに少しだけ言えた気がした。

    *

 母は今も祖母を許すことができない。
「心穏やかになる日はない。私に実家はない」と言う。
父は福島第一原発4号機の核燃料取り出しに当たり、
週末だけ帰宅する生活が続く。
父母がそろっても、視線が交わることはない。

 悠さんは今月1日、高校を卒業した。4月から県内の大学で建築を学ぶ。
「昔のように、家族でリビングに集まって仲良く話したい。
でもどうすればいいのか、わからない」

 ただ、一つ考えていることがある。

 おばあちゃんに会いに行って話を聴こう。
なぜお母さんにあんなことを言ったか、どんな気持ちなのか。
家族の関係が変わるきっかけになるかもしれないから。
今の私なら、向き合える自信がある。

 (根岸拓朗)

上記引用元:http://www.asahi.com/articles/DA3S11017754.html?ref=nmail



明後日に迫った忘れもしない3.11という日。
各メディアが挙って大震災特集を組んでいる。
上記に引用したような、
悲劇の家族ドラマが数え切れないほどあり、
そして、あれから3年を経ようとしている今も、
それは続いているのだろうな・・と思う。

人が生きるとは本来は苦の連続そのものであるが、
その連続性から目を背け、数多の人々は人生の拠り所として、
目の前の小さな幸せだけ見つめ続ける。
そして、自分には起こり得ないはずだった災難に
期せずして遭遇したときなどには
必ず「なぜ私が?なぜ私の家族が?」となるのが常だが、
どんなに否定しても、どんなに悔やんでも、
過酷な大震災と原発事故は起こってしまった。


福島第一原発から送られてくる電気エネルギーを使っていた、
都会に住む私とて、今でも、買い物のときなどに見かける
「東京電力」とロゴの入った車を見ると複雑な気持ちになる。

国は口先だけでは速やかな復興を!と繰り返すが、
2011.3.11以降、この3年間で復興は順調に進んでいるか?
といえば、掛け声だけで、福島第一原発の汚染水は今もダダ漏れ状態。
13万人の原発難民は、ふるさとに帰りたい、でも汚染されていて帰れない・・
でもやっぱり我が家に帰りたい・・
の堂々巡りで、何も変わってはいない。


3.11に天皇皇后両陛下の御臨席の下、各界代表の参列を得て、
内閣府主催の東日本大震災三周年追悼式が国立劇場であるそうな。






国民の皆様へ
(東日本大震災三周年に当たって)

政府は、来たる3月11日午後2時30分から、

東日本大震災三周年追悼式」を国立劇場において執り行います。

東北地方を中心とする我が国国土に未曾有の被害をもたらした

東日本大震災の発生から3年を迎えようとしています。

この震災により最愛の御親族を失われた

御遺族の方々の深い悲しみに思いを致すとき、

今なお悲痛の思いが胸に迫ってまいります。

政府は、東日本大震災からの一日も早い復興に向けて、

取組を更に加速するとともに、

この大震災の試練から得た教訓をしっかりと胸に刻み、

将来の様々な災害に備え、

強靭な国づくりを進めてまいります。

この震災により犠牲となられた全ての方々に対し哀悼の意を表すべく、

追悼式当日の午後2時46分を期して式場において1分間の黙とうを捧げ、

御冥福をお祈りすることとしております。

国民の皆様におかれましても、

これに合わせて、それぞれの場所において黙とうを捧げられますよう、

お願いいたします。

平成26年2月25日

東日本大震災三周年追悼式実行委員長
内閣総理大臣 安倍 晋三



東日本大震災三周年追悼式実行委員長の、
「御遺族の方々の深い悲しみに思いを致すとき、
今なお悲痛の思いが胸に迫ってまいります。」
のような耳障りの良い建て前だけの原稿を内閣府のHPに載せても、
自身も同じ体験をしなければ
喪失の悲しみも悔しさも解ることなどはできず、
心にもないことを言っても、通じるものは何もない。


東日本大震災三周年追悼式」の費用は幾らかは知らないけれど、
せめて、被災者や原発難民に少しでも同情する気があるのなら、
もっと復興費と除染費用(税金)を出せ!
としか無力な私には言い様がない。

それに、「強靭な国づくりを進めてまいります。」って?
果たして、日本のどのヒエラルキーに属している人々にとっての
強靱な国づくりなのだろうか?
などとわざわざ考えなくても
国土強靭化で利益を得るのは誰か?
と思い巡らせば誰でもわかるはず。
未だ仮設暮しを強いられている被災者や
原発難民の方々や下々の民である私でないことだけは確かなのである。
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テーマ : 伝えたいこと・残しておきたいこと ジャンル : 日記

tag : 脱原発デモ 東日本大震災三周年追悼式 放射性物質 国土強靭化

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Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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