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ひとりで生きる―― 新しい幸福の形はあるか?「年令だけちょっと多めの若者」=「オタク高齢者」と「ほんものの若者」=「黒子のバスケ脅迫事件被告」に見る孤独と自由の悩ましさ・・。
昨日の朝日新聞の論壇時評で高橋源一郎氏の
「ひとりで生きる 新しい幸福の形はあるか」という、
黒子のバスケ脅迫事件被告と超高齢化社会を
対比して考える記事が印象に残った。

論壇時評(3月27日)より・・

わたしの父は、晩年、
祖母や姉妹がすべて亡くなっていた実家に戻り、
ひとりで暮らしていた。父は2度癌(がん)になり、
最後にまた再発して入院した。
それから少しして、病院の近くの、
小さな中華料理屋に、わたしは弟と共に呼び出された。
死後の始末に関する依頼だった。話し終わると、
父は「肩の荷が下りた。
もう思い残すことはなにもない」といった。

 それから2カ月後、父は亡くなった。
突然のことで、その瞬間に立ち会った者はいなかった。

 通夜の席で、遺品を整理した弟から、1冊の大学ノートを手渡された。
ノートは亡くなる2日前まで書かれていた。
最後のページに、父が生涯で付き合ったと思われる
十数人の女性の名前が列挙されていた。
そこには、父が青春を過ごした
中国・旧満州の女性の名もあった。
それは「ひとり」になった故に記すことができた
秘めやかな思い出かもしれなかった。

     *

 雑誌「週刊東洋経済」は、4週にわたり、
大規模な特集「高齢ニッポンを考える」を組んだ。
4回分のタイトルは順に、「70歳まで働く」〈1〉、
「人口減少の真実」〈2〉、
「ひとりで生きる」〈3〉、「認知症を生きる」〈4〉。
この特集は、わたしたちの社会の「今」を、
これ以上はないほど恐ろしく鮮明に描いている。

 「70歳まで働く」というより、
年金支給開始年齢が遅くなることにより
「70歳まで働かざるをえなくなる」という指摘。
わたしたちが、長い間「ふつう」と思ってきた
「夫婦子どもふたり」ではなく、
もうすでに「単身世帯」こそ最多(標準世帯)である、
という指摘。さらに、その傾向は急速に進み、2030年には
「中高年男性の4人に1人が一人暮らし」となるだろう、という指摘。
そして、その果てに待っているのが「認知症」であり、
その患者と予備軍を合わせるなら約10年後には1千万人を超える、
という指摘。どの一つをとっても、
容易に解決することができない難問が、
いくつもからみあって、
加速度がつくように、この国は、
「超高齢化社会」へと突き進んでいて、
政府の施策は、その後を追うのが精いっぱいであるように見える。

 だが、この特集では、不安と不満を募らせることよりも、
そびえ立つ難問とどう立ち向かうかに焦点が置かれている。

 たとえば、いま「認知症ケア」は、無能者を施設で管理する、
という考えから、
「認知症の人の行動には人間らしい理由が必ず潜んでいる。
人格や人間性が失われる病気ではない」という考えへ移りつつある。
家族だけではなく、医者が、介護士が、あるいは近隣の人たちが、
見つめ、触れ、語りかけることで、
「同じ人間の仲間である」と感じさせることで、
「認知症」の進行を遅らせることも可能なのだ。
それは、「高齢化」の中で、社会が見つけた、
新しい形の「つながり」なのかもしれない。

 都築響一の『独居老人スタイル』〈5〉に描かれている、
「ひとりで生きる」老人たちの生活は、読む者を驚かす。
半世紀近くも、ビル掃除の仕事で生活費を得て、誰にも見せず、
誰からの影響も受けず、自分だけの絵を描き続けてきた人。
閉館した映画館を再開の見込みもないままひとり、
仕事のかたわらメンテナンスし続け、退職してからは、
気の向いた時だけ上映会を行うようになった人。
経済的には恵まれているといえない老人たちの暮らしは、
不思議な幸福感に満ちている。都築は、こう書いている。

 「そういうおじいさんやおばあさんは、
だれもたいして裕福ではなかったけれど、
小さな部屋で、若いときからずーっと好きだったものに埋もれて
(それが本だろうがレコードだろうが、
猫だろうがエロビデオだろうが)、
仕事のストレスもなく、煩わしい人間関係もなく、
もちろん将来への不安もなく――ようするに
毎日をものすごく楽しそうに暮らしてる、
年齢だけちょっと多めの元気な若者なのだった」

 都築の「年齢だけちょっと多めの元気な若者」が、
最後に手に入れたのは「自由」だったのかもしれない。
では、ほんものの「若者」たちは、
なにを手にすることができるのだろうか。

          *

 マンガ「黒子のバスケ」関連の商品を
撤去しなければ客に危害を加える、
といった一連の脅迫事件の被告の意見陳述を
ネット上で全文読むことができる〈6〉。

 家族の愛情も友人も仕事もなく、
「生まれたときから罰を受けている」と
感じてきた36歳の被告は、
「自分が手に入れたくて手に入れられなかったもの」
の象徴として
黒子のバスケ」を標的にした。
けれども、彼は同時に、
その怒りに正当性がないこともよく理解していて、
自分に厳罰を与えるよう主張し、
「自分のように人間関係も社会的地位もなく、
失うものが何もないから罪を犯すことに
心理的抵抗のない『無敵の人』」が増えるだろう、
と不気味に予言している。

 「孤独」は、人をより「自由」にすることができる。
けれども、同時に、それは、
人を底知れぬ不安に突き落とすこともできる。都築の描く老人と、
黒子のバスケ」被告の間の差異は、どこから生まれたのだろう。

 やがてやって来る社会で、
わたしたちはみんな「ひとり」になっていくのかもしれない。
そこで、わたしたちは、
どんな新しい「幸福」の形を見つけることになるのか、
いまのわたしには、わからないのである。



「生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、
さすれば、共にはつるなき故なり 」という一遍上人の言葉がある。
瀬戸内寂聴氏に依れば、
人は一人で生まれて、一人で死んでゆく、生活を共にしていたとしても、
心の奥底までも共にすることはかなわない。だから一緒に果てることはないのだ。
というような意味らしい。

さすれば・・・
運良く長生きできたとしても、たかだか70年から90年の短く儚い人生において、
やがてやって来る社会で、私たちはみんな「ひとり」で、
現在も未来も幸福か?幸福でないか?に関わらず、死にゆかねばならない。

そこで、わたしたちは、どんな新しい「幸福」の形を・・・
という問いには、老いても、また「ひとり」になっても、
新しい「幸福」の形を見つけることになるのか?という認識では、
結局は私たちがいるこの3次元世界の何処にも存在しない、
幸せの青い鳥を永遠に探し続けるようなものであるとも言える。

幸福の価値観は人それぞれであり、
それらの価値観の違いを認め合いながら、
日々の喜怒哀楽を友として、その日が来るまではなんとしても
生の欲求に従いつつ、やがて、肉体がもう疲れた・・
と自らの生のDNAが活動を停止するまでは
つつがなく生き延びることに邁進するしかないのではないのだろうか?



「年令だけちょっと多めの若者」=「高齢者」が老オタクとして、
自分だけの趣味の世界や愉しいと思うことに
没頭していれば脳内麻薬が大量に分泌されるので、
その人の価値観に依る幸福感を得ることができるのだろう。

それから、都築氏の描く老人と、「黒子のバスケ」被告の間の差異は、
「年令だけちょっと多めの若者」
は大多数がアナログ世界(現実世界)の住人であり、
特定のコミュニティ(職場や家庭や近所付き合い)関係を維持できており、
社会生活のバランスも取れていると言える。
そのため、多くの時間を趣味等に当てていても、
また、それらを他者に認めて欲しいとか、
有名になろうなどとは全く思っていなくても、
結果として、ジャーナリストの方々に知られ、
ドキュメンタリーやフィクションとして紹介され、
本人が望まずとも有名になってしまう。



方や、「黒子のバスケ」被告は仮想空間という、
自分に都合のいい答えしか認めなくてもいい、バーチャル世界の住人であり、
己に都合よく創作された物語の中から、リアル社会に出るということは
恐怖そのものなのかもしれない。
さらには、リアル社会で生身の人間対生身の人間として
他者と対峙しなくてはならなくなったときなどには、
普通に他者と対応する技術が未発達であるにも関わらず、
彼らは不都合な真実にだけは異常なほど敏感であり、
リアル社会における勝ち組だとか負け組だとか、
格差社会だとか、定職がない人は恋愛もできない・・
とかの、経済至上主義そのものズバリ志向のような、
余分な情報だけは、耳を塞いでも容赦なく入ってくるので、
ますます焦燥感や矛盾や絶望を感じて、
簡単に無敵の人になってしまうのかもしれない。


私的には、「黒子のバスケ」被告の内面の孤独と自由よりも、
年齢的には、「経済的には恵まれているといえない老人たちの暮らしは、
不思議な幸福感に満ちている。」のほうに並々ならぬ興味がある。



私は週に2~3回体力維持のためにプール通いをしているが、
プール仲間たちの年齢層は団塊世代を中心にその前後の世代が一番多い。
そこでの話題は?と言えば、皆、自分たちは病気に罹っても、
早々に病院から追い出され、老健特養にも入れず、
孤独死や野垂れ死にを覚悟していると言う人が多い。(ほとんどが女性)
そして、今という時間を愉しく過ごさなかったら、
あのときもっと愉しいことをすれば良かった!
我慢ばかりで損な人生だった・・と思いながら死んでゆくことだけは避けたい。
と皆が口を揃えて言う。(こちらもほとんどが女性)




私は近未来には経済的には恵まれているとはいえない老人になる。
孤独死や野垂れ死にする前に、
不思議な幸福感に満ちている老人になれるのだろうか・・?
などと、凡庸な脳みそをフル回転して考えているところなのでありますが、
「新しい幸福の形」とは?私には途方もない難問なのでありまする・・。
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気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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