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「スイスへ相次ぐ自殺(安楽死)ツーリスト」を読んで、友人二人の死を考えながら、死から逃げれば逃げるほど、死の不安と恐怖が駆け足で追いかけてきて、死に立ち向かえば向かうほど、不安と恐怖は逃げてゆく・・ような気がしてきました。
今月、友人二人が相次いで亡くなりました。

一人は地域の友人A子さん(60歳)で、
一年ほど前から婦人科系のガンを患っていましたが
抗がん剤の効なく全身に転移したそうです。

一ヶ月ほど前のこと、
A子さんの家のブロック塀を伝うように歩いている老婆を見かけました。
えっ?確かA子さんの家はご主人様とお二人様のはず。
あんなに頭髪が真っ白で痩せこけた
ヨボヨボヨロヨロしたお婆さんなんかいないはず・・
もしかして、実家の御母堂様かお姑様がいらしているのかしら?
などと思い、そのままA子さんの家の前を通り過ぎてから3週間後、
A子さんのご主人様が我が家に訪ねて来られ、
「女房がもう長くないと主治医に宣告されましたので、
できましたら女房と最後のお別れをしていただけますか?」
とのことだったので、翌日すぐに某病院にお見舞いを
兼ねて最後のお別れをしてきました。
お見舞いとは言っても、A子さんは既に昏睡状態で、
話をするどころか、点滴でブヨブヨプクプクになった体をベッドに横たえ、
昏昏と眠っている姿を見せていただいただけで帰途に着きました。

もうひとりはかなり親しくしていたプール友だちのB子さん(69歳)で、
一ヶ月ほど前まで元気にプールに来ていたのに、急に姿を見せなくなったので
心配になりそろそろ電話でも・・と考えていたら、
本人から電話があり、夏風邪をこじらせて軽い肺炎に罹っているので、
しばらくプールは休むけど心配しないでね。とのことでした。

B子さんからの電話が来て2週間後、ご主人様から電話が来て、
「女房の両肺が真っ白状態で、もう長くないと主治医に宣告されましたので、
できましたら女房と最後のお別れをしていただけますか?」
と、A子さんのご主人様と同じことを言うのでした。

早速、他の親しくしている友人のC子さんと某病院に駆け付けましたが、
彼女もA子さん同様、
点滴でブヨブヨプクプクになった体をベッドに横たえているだけで、
目も開かず、意識があるのかないのか分からない状態で、
とても話ができる状況にはありませんでした。

帰り際に同行した友人C子さん(65歳)が言うのです。
「もうすぐ死ぬと判っている人にどうしてあんなに点滴をするのかしらね?
とても苦痛らしいわよ。早く楽にしてあげればいいのにね・・・。
それに彼女、枯れるように自然死で死にたい・・っていつも言ってたわよね。
わたしが死ぬときはあんな状態になりたくないわ。
安楽死が合法化されているオランダにでも行って
薬で苦しまずに眠るように死にたいけど、パスポートも持ってなくて
日本の格差社会の底辺にいるわたしには到底叶わない死の形よね....」
IMG15_0001

確かに、死ぬと判っている人にどうして無駄な点滴をするのか?
それは、病院という処は看取りの場ではなく、病気を治すところであり、
加えて、訴えられないために、最後まで全力を尽くしました!と
家族に見せなければならない処なのでしょう・・。
そして、点滴の中身は鎮痛剤や医療用の麻薬なのでしょう。
59歳で死んだ私の弟も、「時間の問題です。」と言われながらも
最後の最後まで医療用麻薬と思われる点滴に繋がれていました。


74歳の彼女は重い病気のため、安楽死を望んだ模様です。
日本では自殺幇助(じさつほうじょ)は認められていませんが
海外ではそれを手助けする団体もあるようです。
延命について考えさせられる動画です。
LiveLeakより転載。
※日本での安楽死は条件付きで認められているようです。
1995年の横浜地裁の判決では

1. 耐え難い肉体的苦痛がある
2. 死期が差し迫っている(余命6か月以内)
3. 死以外に苦痛緩和の手段がない
4. 患者本人の文書による明示的意思表示

以上4つの要件が認められました。
これらの要件を満たさなければ
基本的に日本では安楽死は認められません。
※投稿者様の説明書きより


そこで思ったのですが、団塊世代多死時代を迎える今後、
普通の病院に一人程度のホスピス医を兼ねた死生学専門医
もしくはあらゆるサナトロジーに通じた内科医か心療内科医が居れば、
死にゆく人も、看取る家族もパニックになることもなく、
少しは安寧な気分で「おくりびと」と「おくられびと」になれるのではないか。
と思うのです。
そして、広島の集中豪雨による表層崩壊で亡くなられた方や
ガザのニュースを見ていると、
人の命は儚いものだとつくづく思います。

人間は年齢に関係なく死の確率は100%なのですから、
高齢者であれ、若者であれ、また、子どもであっても、
死という事象から目を背けて逃げれば逃げるほど、
死の不安と恐怖が駆け足で追いかけて来ます。
普段から一日の数分間でも死を意識すればするほど、
死への畏れと不安と恐怖は逃げてゆきます。

最近、死は決して恐怖の対象などではなく、
人間が抗うことのできない自然の摂理そのものとして受け容れることが
出来たような気がしています。(まだ100%ではありませんが・・・(^_^;))

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テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 安楽死 鎮痛剤 医療用麻薬 団塊世代 多死時代 ホスピス医 死生学専門医 サナトロジー

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(非公開コメント受付不可)

死を思うことは生を考えること、それがいかに生きるかを思い、考え、行動するかにつながっていくことになるか、、、いつの頃からか日常になりました。

生と死は背中合わせ、本当に表裏一体なのだなと思わないではいられないことが、
自分ではどうしようもないことがあるんだ 起きるんだを実感したからこそ、
今日という日は今日だけ。今日を生きる、とか、今日を切に、とかが目に耳に心に飛び込んでくるのだと思います。

自ら断った命は違いますが、その人の死は「寿命」だということが少しずつ受け入れられるようになってきました。

先月にお二人のお友だちとのお別れをされたnasuyoさんのお気持ちは、お友だちご自身は、それぞれのだんなさまは どのようにあるのでしょうかと想いを馳せています。

ご冥福をお祈りするばかりです。

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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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