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「臨死体験 思索ドキュメント死ぬとき心はどうなるのか」を観て・・臨死体験とは誰もが死の間際に見る可能性がある奇跡的な夢らしい。そして結論は死んでみないと分からない。
録画しておいたNHKスペシャル「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」
(2014年9月14日放送)を観た。

『私』という存在は死んだらどうなるのか、
死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――。
20年余り前、臨死体験について徹底的に取材し
考察を深めてきたジャーナリスト/評論家立花隆さん。
74歳を迎え、がんや心臓の病を抱えて死を間近に感じる今、
再び臨死体験の最新研究の現場を見つめ、
“死”について思索しようとしている。
死の間際に一定の人が見る臨死体験
臨死体験が世界で注目され始めた1980年代以来、
その解釈としては、脳内現象として科学で説明できるとする
「脳内現象説」と、肉体が死んでも“魂(もしくは自我を感じる「意識」)”
が存在し続けるという「魂存在説」―――これら二つの説が互いに相容れない、
激しい議論が続いてきた。そうした中、
立花さんは新たな臨死体験の掘り起こしをすると同時に、
そもそも「意識(魂)」と呼ばれているものの正体とは何なのか、
最新の脳科学・心理学・哲学にいたるまで、
徹底した取材に基づいて正面から挑もうとしている。
科学的に見て、死後の世界があると言える余地はどれくらいあるのか。
死後の世界がないとしたら、『私(自分)』という
意識(魂)はどう生まれどう消えていくのか。
私たちが当たり前と思っている『私』という存在はいったい何なのか。
有史以来、人類が答えを追い求め続けてきた生と死にまつわる壮大な謎―――
その謎に挑む立花さんの思索の旅を通じて、
大震災や紛争などで多くの命が失われる今、
命や『私』の存在する意味を考える。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0914/index.html



ご興味のある方はこちらで全編視聴可能です。

私は幼児の頃に心停止を宣告され、臨死体験をしたことがある。
当時は臨死体験と言う言葉などもちろん知らず、
臨死体験者のほとんどが体験するという
トンネル」も「光の存在」についての知識も見聞も無かった。

それでも体外離脱状態で見た光景は今でもはっきり覚えているし、
トンネル」も「光の存在」も脳裏に焼き付いている。

半世紀以上を過ぎてもなお、「あれは夢だった」
とはどうしても思えないほど鮮烈な体験だったが、
ヒトが死を迎える際に対して「トンネル」や「光の存在」が、
太古よりDNAに組み込まれているような気がする。
番組では、臨死体験とは、どうやら生と死のボーダーラインにおいて、
脳が防衛本能をフル回転して起こす奇跡的な夢であるらしい・・
と結論付けていた。

また、交通事故や脳内出血で数日から6カ月ほど昏睡状態が続き、
生と死の境界を経験した数人の友人知人に
臨死体験があったかどうかを訊いてみたら、
一人もそのような体験はおろか、記憶にも無いと言う。
どうやら臨死体験をする、しないには個人差があるのかもしれない。

番組では「死ぬときの心の行方」をメインテーマに据えていたが、
人が死に瀕するときには
死に至る苦痛と恐怖を回避するために脳内麻薬(エンドルフィン等)
が多量に分泌されて、多幸感に包まれた夢や幻覚を見るという
防衛本能が脳に組み込まれていると或る本で読んだ。

ゆえに、死に至る直前に肉体的には決してもがき苦しむことはないらしく、
あとは、科学も宗教も関係なく、あの世を信じるか?信じないか?
の個人の心の問題だけになる。
そして結論としては、「死んでみないと分からない」
ということになる。

私自身は来世も生まれ変わりもあるとは思っていないが、
否が応でも、もうすぐ確実に逝かなければならないあの世。
皆さま方は信じますか?

それにしても、知の巨人といわれる立花隆氏のような方でも、
生の残り時間が短くなったことを意識するようになると、
オカルト的なものや哲学的なものに救いを求めるようになるものなのでしょうか・・。



『臨終が近づいたら、たまたま地上に生まれさせられ、
いま死んでいかなければならないこのすさまじい残酷さをまっすぐ見つめ、
「わからない、わからない」とわめきながら、もだえ苦しんで死んでいきましょう。』
哲学者:中島義道『ぐれる!』より


『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 
死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候』
曹洞宗の僧侶: 良寛


相反するがごとき死生観ですが、
死に対峙しようとするときの思いは人それぞれ、
そして、生き方も人それぞれです。

人生というものに確たる正解がないように
生きる意味などというものも存在しない。
そして、ただひとつ言えることは「死ぬときは独り・・」ということだけであり
あの世を信じるも信じないも自由である。

また、他人(例えば医師とか宗教家)の言うことには、
或る程度は耳を傾けても、最後は自分自身の決断になる。
元気なときから自分の想う死の形をイメージしておけば、
最期はそれで事が済むのではないかと思う。

私は・・できるならば、多量の脳内麻薬の分泌で多幸感に包まれながら、
全身麻酔で数を5まで数えて意識を失ったような状態で、
この世からおさらばできたら・・と願っている。

最近、己が死については、念じて考える!ことが唯一の救いであり、
受容への近道なのだと思えるようになってきた。
どんなにもがいても、あがいても、死ぬほど悩んでも、
やがてはみんな必ず死ぬ、という事実は老いが深まれば深まるほど、
眼前に迫ってくる。
死の向こう側とは、今を生きている人間には
その瞬間が訪れるまで決して知ることのできない未知の領域である。
あの世があるかどうかは別にして、
臨死体験をした身から言えば、死の瞬間は決して怖いものではなかった!
と今は、はっきり断言できる。
ただ、余計な延命措置がなければ?かもしれないけれど。

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tag : 臨死体験 トンネ 光の存在 体外離脱 脳内麻薬 オカルト的

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Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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