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不幸論・・真の幸福は究極の不幸の中に在る?
「婆さんや、もっともっとふたりで今以上に幸せになろうね。」(^^♪
「爺さんや、あなたと連れ添ってウン十年。私はほんとうに幸せ者でございますよ。」(*^。^*)
「独りでも、いつも幸せに生きてるわよ。」v(^^*)

などと、日々お思いの方々もいらっしゃるとは思いますが・・・。

私もそのように「老いて尚、素晴らしきかな我が人生♪」
を送る予定でしたのに、
どこでどう間違えてしまったのか・・
はたまた人生修行が足りないのか・・
ときたま満足感を感じるのはお腹いっぱいご飯を食べたときだけです。
それは脳の満腹中枢が一時的に満たされたという生理的現象ですわよね。
それ以外では心が全然幸福感を感じませんのよ。
いつも飢えておりますの。
この歳ですから、ギラギラした野望の達成に基づくような幸せなんかではなくて、
飢えているのは日々の小さな幸福感にですわ。

この世に完全は在り得ません。
ですから、ほんの少しだけでも・・・・

「それなりの人生だったけど、我が人生に悔いなしだわ。
  ほどほどに幸せな人生だったわ♪」

と、思えるような最期を迎えたいと思ってはみても、
なかなか思うような到達地点まで達することができません。
べつに、、、、幸せのマックスなどは目指してはおりませんが、
このまま、心が乾いたまま、
不幸のどん底?で精神を枯れ果てさせて、
お迎えを待たなければないのでございましょうかねぇ・・・。(-"-)


そこで、なんとはなしに自覚している屈折した自我を正反対の方向から眺めてみようと
読んでみた本です。

世に蔓延する「幸福症候群」。
だがその幸福感は、他人の不幸や「死」の存在を「知らないこと」「見ないこと」で支えられている。
著者は、長年の哲学的考察のはてに―どんな人生も不幸である―という結論に辿りつく。
この「真実」を自覚し自分固有の不幸と向きあうほうが、「よく生きる」ことになるのではないか。
古今東西溢れる「幸福論」とその信者たちの自己欺瞞を鋭く指摘した上で、そう提案する。



青字は引用

P84~85
だいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
彼(彼女)は、まずだれでも幸福になれるという基本態度を押し出す。
次に、この礎石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とはだいそれたものではないこと、
それは考え方を変えることでだれの足元にもころがっている、
という壮大な建造物(砂上の楼閣?)を造りあげる。
幸福論は、第一に、自分が幸福であると確信している人が書く。
そして、第二に、だれでも自分と同じようにすれば幸福になれると説く。
これは幸福教の暴力的な布教である。すべてが、まやかしである。
幸福そのものが虚妄なのではない。
幸福は、厳密に考えると、じつはあまりにも高いところに位置する。
それは、カントの「理念」のように、われわれの手の届かないところに存在している。
幸福が安直に手に入ると思うことが、虚妄なのである。
―中略―
幸福論を一読しただけで幸福を得ることができるのなら、
こんなに簡単なことはない。それは錯覚である。
各人の幸福は、自分の五感で探すよりほかはない。
そして、ヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの人生と格闘した後に、
幸福に到達できないことを知って、絶望するよりほかない。
言いかえれば、ひとは自分が紛れもなく不幸であること、
しかもそれから永遠に抜け出られないことを、身をもって自覚するほかないのである。
こうしたことを悟った者は幸福ではない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。



この本は社会に蔓延する「人は幸福であるべき!というポジティブ志向」
を真っ向から否定し、人間は生まれながらにして不幸な存在であり、
幸福などというものは幻想である。と言い切っている。

幸福ということの分析を、ここまではっきり書いて貰えると、
私は、「ますます今を大事に生きよ!」
と、勇気づけられるているような気がしないでもない。
ゆえに、ある意味、この本は「不幸論」とはいいながらも、
或る人にとっては「究極の幸福論」かもしれない。


私自身に関して言えば、虚構と建前論に裏打ちされた
「幸せになれる本」などはあまり興味はない。
それと、お涙ちょうだいの定番本である「愛と感動で涙溢れる闘病記」や、
「今は不幸でも、明けない朝はない!
だから、いつも前向きに夢と希望を持って生きようよ♪」
の類(たぐい)の本にも興味をそそられない。


残念ながら、この世にはどんなに努力をしても、お金持ちにも成れず、
前向きに!前向きに!と呪文を唱えても、
健康体にも恵まれず、身心の病に苦しむ人も大勢いる。

常に何事にも感謝!感謝!と念仏のように唱えて生きていても、
心から信じていた人に裏切られることもあるし、
若くして不治の病に罹患することもある。
NZ地震で被災された方々のように突然に思わぬ災難に巻き込まれることもある。

それでも、日々感謝!感謝!と念仏を唱え、私は幸せ者です。
この私の病も家族の病も事故も、又その事故により身体に障害を抱えてしまいましたが、
そのことも私にとっての幸せへの道であり、
自分に課せられた人生の修業道なのです。
と、思える人って、怪しげな新興宗教を信仰する人以外にいるのかしらん?

本当は心の中では、自分は不幸だと認識しているのに、
世間の「幸福であらねば!症候群」に惑わされて、
「前向きに!前向きに!人は死ぬまで夢と希望を持って生きよ!」なんて、
無理矢理に自分の心を常識という虚飾に塗(まみ)れさせるよりも、

「そうよ............私はどうせ不幸な人間なのよ・・・・(-"-)」と、

あっさりと認めてしまったほうが、精神衛生上いいような気がする。
(同じように思う人が、1%はいるはずだけど・・・(*^^)v)


思うに・・・・
地球という惑星では、
神(在るのならば)に選ばれたと錯覚している人間という生き物たちが、
歴史が刻まれたときから何千年にも渡り、似非正義と似非善を振りかざし、
聖戦の名のもとに侵略と殺戮を繰り返し、自然を破壊している。
この進歩のない生き物の生態や現実を見るまでもなく、
個々の人間の人生は決して満ち足りたものではなく、
尽きぬ悩みと日々の葛藤に苛まれ、人間の業(カルマ)に振り回され、
束の間の幸福という幻想を求めながらも、
それが何たるかも知らずに、また得られもせずに、
必ず死んでいかねばならない・・。
このように考えれば、
確かに人間という生き物は不幸の中の存在としか思えない。


人が100人いれば、価値観も幸福感も100通り存在する。
などと結論付けてしまえば身も蓋もないけれど、
絶望の淵にへばり付いていることでしか、
満足感や安堵感を得られない人がいるのだろう。
それが、世間のステレオタイプな常識を重んじる
善なる人々の感じる幸福感とはタイプの違う、
或る意味、真理?に気付いてしまった人の、
絶対不幸の中に身を委ねることで得られる幸福感=安堵感なのだろうか・・。



ある中年女性が、ある本を読み、
「いつも幸せを感じている人は精神の病に犯されている。」
という記述を真に受けて、
「私はいつも幸せなんです。精神の病気でしょうか?」と
精神科を受診したという話を聞いたことがある。
笑い話しのような話だが、精神科ではちゃんとした病名があるらしい。


はたして、その病名は・・?

そうねぇ。
知らないほうが「幸福」だと思われるので、秘密にしておきます。(^_^;)


幸福――他人の不幸を眺める事から生ずる快適な感覚。 byビアス

未だかつて、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった。
もしそんなのがいたら、多分酔っぱらってでもいたのだろう。 byショウペンハウエル

ある人たちにとっては幸福なことが、他の人たちにとっては不幸なのだ。 byラディゲ

幸福感とは一時的に狂気の状態にあるときに脳が創りだす幻である。 byナス代

しあわせはいつもじぶんのこころがきめる。 by相田みつを
110227r
平凡が幸せだなんて言いながら裏では非凡を望んでいたり
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テーマ : 「生きている」ということ ジャンル : 心と身体

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Re: はじめまして
まさやん様。はじめまして。
「まさやんの負けるが負け」のブログ記事を
拝読させて頂きました。
2011.2.22の「目から鱗」の記事中に
「愚痴っぽいブログは読む方も面白くないだろう」
との・・の記述がございましたが、
私は建前ときれいごとを羅列しただけのブログよりも、
むしろ、煩悩のままに「今の思い」を
本音で吐き出しているブログに惹かれます。

アルコール依存症も克服されました由、
どうぞ、これからも煩悩のままに思いのたけを
更新してくださることを期待しています。
コメントありがとうございました。(*^_^*)
はじめまして
その不幸論の本は僕も持っています。2度ほど読みましたが
再々度読んでみようかと思いました。現在は断酒していますが
アルコール依存症の時は幸福でした。頭が狂っているわけですから。
今考えてみると無明の酒に心が麻痺していただけだとわかります。
本当は奈落の底に呻吟していたわけです。正常になった今は煩悩に
塗れていますが数倍幸せです。楽しい毎日を過ごしています。
お邪魔しました。
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プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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