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「国は信用ならない。他人は頼りにしない。自分で考え決断する。平和を根づかせるのは忍耐と知恵。」ドイツ文学者・エッセイスト 池内紀氏の言葉

戦後70年、暑い夏が巡ってきた。戦争と平和をみつめる試みが、各地で、また人それぞれになされている。私たちはどこへ向かおうとしているのか。あくまで一文学者の歩いてきた道のりを通して、記してみたい。

 生まれは昭和15(1940)年。時の政府が音頭をとり、国民こぞって「紀元は2600年」などと称した年である。もの心ついたころ、戦争は終わっていた。うぶ声をあげたばかりの戦後民主主義のなかで教育を受けた。

 小学校の担任はガリ版刷りの名簿をひろげ、「イケウチ・キー」と大声で呼んだ。「オサム」と読むのだと知ると、「モトエ!」と自分に号令をかけた。礼の仕方が独特で、背筋をピンとのばし、首だけチョイと下げる。ずっとのちに私はそれが、陸軍の下士官に通例の礼の仕方だと知った。

 担任はつっかえつっかえしながら労働基準法やリンカーンや民主主義の話をした。私たちはそれよりもセレベス島のジャングルや連合艦隊の話を聞きたがった。先生もその方がずっと得意なようで、目がキラキラして雄弁になった。

 おそらく戦後教育史のなかで、もっとも混乱していた時期だったのだろう。古い革袋に新しい酒を盛ろうとして、おおかたがこぼれ落ちた。新しい理念を伝えるべき人たちの大半が古い世代だった。いかにもそのとおりだが、「モトエ!」の先生が、いまやまわりへの気づかいなしに、連合艦隊の最期について話ができる。その点で、あきらかに新しかった。教え方は下手くそだったが、とほうもない人生体験をしてきた人たちであり、セレベス島のジャングルは少年の夢をかき立てた。

 わが家では、戦死者こそ出なかったが、まず祖父が死んだ。旧家の当主は地区の役員をしており、戦中は率先して戦時公債を買った。金属類の供出には、蔵の窓の鉄の桟まで鉄ノコで挽(ひ)いて応じた。つづいて祖母が、さらに父が病死した。祖父のあとを継いだ父は、誰よりも熱心に戦後の農地解放に協力した。七割がたを小作にわたし、不便で痩せた田をちょっぴり自家用に取っておいた。

 戦時公債は紙クズになった。蔵の窓が鬼の乱杭歯状になったのは、わが家だけだった。小作人の一人は農地解放で得た土地を、朝鮮戦争の際に鉄工所用地に転用して大儲(おおもう)けした。母はきっと祖父や父のいき方を批判的にながめていたのだろう。しょせんは旧家のボンボンで、「エエ格好シイ」と思っていたのではあるまいか。「国の言うことなど信じるな」とわが子に教えた。「人にたよるな」とも言った。自分と五人の子どもが残されたとき、猛然と働き出した。

 高校に進んだ春、わが家の希望の星だった兄が赴任先で事故死した。家族で遺骨を引きとりに行って、夜行列車でもどってきた。駅売りの新聞には「もはや“戦後”ではない」の大見出しがおどっていた。昭和31(1956)年の経済白書をきっかけにして、そんな言葉が流行した。日本が国連に加盟した。ハンガリー動乱があった。スエズ戦争が勃発した。

 もどりの車中で気がつくと、足元に骨箱がころがっていた。家族全員が眠りこけていた。眠りはいかなる悲しみよりも強いのである。私は骨箱をひろい上げて、膝(ひざ)にもどした。そしてボンヤリと考えていた。高校を出たら、どこか遠くへ行こう。海の向こうの外国がいい。そして日本のことなど忘れてしまおう――。

     ■     ■

 十年あまりのちのことだが、私はオーストリアのウィーンにいた。あるユダヤ系の文明批評家を研究テーマにしていた。国家が武力に訴えて戦争を始めるとき、どれほどウソがまかり通るものか。その文明批評家は第1次世界大戦中に出廻(でまわ)ったウソの記録を徹底して集め、およそ類のない悲劇に仕立てて後世に残した。そのドラマを訳すかたわら、ウソの実証を求めて図書館へ通っていた。

 おりしも隣国チェコで大胆な自由化の運動が進行中だった。「人間の顔をした社会主義」をスローガンに、新指導部が共産党による権力独占の否定を打ち出した。「プラハの春」と呼ばれ、集会と結社の自由、検閲の廃止、出国の自由をうたい、圧倒的な国民の支持のもとに着々と実現へと向かっていた。

 そんなある日、ラジオから異様な音が流れてきた。雄叫(おたけ)びのような群衆の声だが、あきらかにサッカーの対抗戦ではない。あいまにカン高いレポーターの声がまじっている。状況は刻々と変化していた。その証拠のように、ときおりレポーターの声がとぎれ、人の声とも機械音ともつかぬ地鳴りのようなひびきだけが聞こえてきた。

 1968年8月20日、ソ連軍を中心とする東欧五カ国軍がチェコ領に侵入。首都プラハに向かっていた。民衆がプラハの広場を埋めつくした。ウィーンでは時間刻みに号外が舞った。誰もが食い入るように号外を見つめ、ラジオに聴き入っていた。歴史がきしみながら動いていた。ヨーロッパの小国は、とりわけきしみに敏感だ。それは戦車の音とともにやってくる。

 ウィーンの大通りはひとけがなかった。カフェでは息をひそめたささやきが交わされていた。ハンガリー動乱の流血が頭にあった。「プラハの春」の立役者が殺されたという噂(うわさ)が流れた。正確にいうと「殺されたという噂が流れているという噂」である。噂であるかぎり信用ならないが、噂が流れるからには、何らかの根拠があると主張する人もいた。

 二十代だった私は、そのときはじめて歴史を肌身で知ったように思った。石畳に耳をつけると、はっきりと地鳴りがして、地ひびきが伝わってくる気がした。政治権力のコマ一つがはじかれると、国家がなだれを打つように動き出し、昨日までの秩序が崩壊して、日常が一挙に崩れる。歴史が動く一瞬であって、それを境に、すべてがガラリと変化し、もはや誰の手にもおえない力が前へ前へと押しやっていく。

 私には「戦後70年」という言葉は、あまり意味がない。むしろ戦後20年である。その間にいまの考え方、生き方、人との対し方のおおよそを身につけたような気がする。以後の歳月は本質的に、ほとんど自分を変えなかった。母が口癖にしていたとおり、国は信用ならないし、他人は頼りにしないのがいい。勉強をするのも体験をつむのも自分のため、人の話はよく聞いても、決めるときは自分の考えどおりにする。「戦後50年」を自分だけの目じるしにして、55歳でサラリー生活を切り上げた。

     ■     ■

 ながらく外国文学の教師として、テクストを読む訓練をした。だから自信をもって言えるのだが、人を動かすのは、事実そのものではないのである。事実についての情報、情報をめぐるオピニオンこそ人を動かす。そして情報はいつだって「正しく」なく、オピニオンは永遠に「正しく」ない。それが証拠に、情報はつねに新しくもたらされ、オピニオンは際限なくあふれ出るではないか。

 情報が整理され、合理的に説明されると、「真相」がわかるのか。久しく「読む訓練」をしてきた者からいうと、語られていること以上に、語り方が真意をあらわしているものである。時の権力者、また権力にすり寄る人々の語り口を、少し意地悪く見張っているのも悪くない。気をつける点として、つぎの三つがあるような気がする。

 1、主題をすりかえる。

 2、どうでもいいことにこだわる。

 3、小さな私的事実を織りこむ。

 丁度(ちょうど)いい機会だ。記念年に際して、ものものしく発表される「作文」を採点してみてはどうだろう。

 「ドイツ文学者」を肩書としてきた人間として、ふつうの人より多少は深くヨーロッパとつき合ってきた。厳しい冷戦を含む戦後史のなかで、ねばりづよく議論をかさね、条約を結んで確認し、EC(ヨーロッパ共同体)へと発展させるのを見つめてきた。資源、外交、安全保障をめぐり、半世紀に及んで、たえず話し合って協調を深め、EU(ヨーロッパ連合)を実現させた。ファシズム、ナチズムの暴虐を許した過去への深い反省が基盤にあってのことである。

 さらにもう一つ、哲学者カントの「永遠平和のために」が背骨の役目を果たしている。二二〇年前に世に出た小さな本だが、それは長い歳月を経て国際連合を生み出すもととなり、日本の憲法においては、画期的な「九条」の基本理念となった。

 十年ばかり前になるが、なにやら世の雲行きがあやしくなりかけたのを見て、心ある編集者にせっつかれ、私はこれまでおよそ無縁だったカントにとりくみ、二年がかりで「永遠平和」を日本語にした。哲学用語をいっさい使わず、なるたけ平易な訳語で通した。本になったとき、オビに編集者の手で、「16歳からの平和論」と添えられていた。

 そこには国どうしが仲良くといった情緒的な平和は、ひとことも述べられていない。カントによると、隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって「自然な状態」ではないのである。むしろ、いつもひそかな「敵意」のわだかまっている状態こそ自然な状態であって、だからこそ政治家は平和を根づかせるために、あらゆる努力をつづけなくてはならない。

 そのような平和を根づかせるには、ひとかたならぬ忍耐と知恵が必要だが、敵意のわだかまる「自然な状態」を煽(あお)り立てるのは、ごくたやすい。カントによると、その手の政治家はつねに「自分の信念」を言い立て、「迅速な決断」を誇りつつ、考えていることはひとえに、現在の世界を「支配している権力」に寄りそい、ひいては「自分の利益」を守ることだという。いまさらながら、この哲学者の理性のすごさを思わずにはいられない。

 つい先だって、その小さな本がもどってきた。「16歳からの平和論」のオビも同じ。ただ大きく「復刊」の二字が加わった。戦後70年をめぐるキナくさい時代状況が甦(よみがえ)らせたわけである。だから訳者には、うれしさ半分といったところだが、せっかくだからリュックにカント先生をつめて山へ行き、爽快な森の風をあびながら、わが訳文の語り口を点検した。

     *

 いけうちおさむ 1940年、兵庫県姫路市生まれ。96年まで東大教授。著書に「ゲーテさんこんばんは」「恩地孝四郎 一つの伝記」「戦争よりも本がいい」など。

引用元:http://digital.asahi.com/articles/DA3S11914897.html


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気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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