*All archives* |  *Admin*

美しく死ぬということ。
TVやラジオから流れてくる女優の故田中好子さんの
息も絶え絶えの肉声テープ・・。
昨日逢った友人はあんなものは聴きたくないと言う。
つい数か月前に壮絶なガン死をした肉親を持ち、
彼女自身も現在ステージ1の婦人科系のガンを持つ経過観察中の身でもある。
近い将来に訪れるかもしれないガン死という恐怖の対象を、
我が身に重ね合わせてしまって辛いだけだと言うのである。

死期間近でペイン・コントロールモルヒネを打たれ続けていて、
もうすぐ意識朦朧状態に入る直前の人の声をどうしてメディアが流すのだろうか。
被災者へのダイイング・メッセージであるのならば、
活字という媒体でも良かったはずなのにと思えてならない。

断っておくが、死者を冒涜する気などはサラサラないし、
私も、実生活では「スーちゃん」と呼ばれていた時代もある。
一人の人間としての彼女の死を悼む気持ちに変わりはないが、
嫌な気分になる人も少なからずいるのである。
老いと死をメインテーマにこのブログを更新している私とて、
聴いていて気分のいいものではなく、私まで呼吸困難とまでは行かないまでも、
すこし息苦しくなってしまった・・。(>_<)

本人の強っての希望でのメッセージであるならば、
それはそれで、なんら否定はしないが、
どこか、本人の意思ではなく、
無理矢理台本を読まされている不自然さを感じてしまった。

社会的認知度や経済的環境にも差があるのだから、
どんな形の死を演出しようと自由ではあるが、
突き放した見方をすれば、
日本人全員が彼女のファンであるわけでもない。

それでも、演出過剰と思しき葬儀と盛大な葬列の中、
彼女は数多の人々に惜しまれながら美しく死んでいった。

参列者はやがては認めざるを得ない自分の死を思い、
こういう風に「美しく死にたい・・」とのイメージ的願望で、
ただ単に死を美化して考えたいだけのことであろうか・・。



5年前の初夏、入院中であった私は同室のガン闘病中の病友(享年55歳)の
死に至る前の3週間の姿を今改めて思い出している。
やはり、息も絶え絶えになり、次第に声も出なくなり、紙おむつをあてられ、
亡くなる一週間前には、主治医やご主人様の判別もできなくなり、
モルヒネの効果であろうか、ただただ深い眠りに堕ちていたようだった。

そして、彼女も他者から見たら、「美しい死に方」で旅立って行った。

本来的には死にゆく人にとっては、死に方には美しいも汚いもない。
だが、他者がイメージする「美しく死ぬこと」には、簡単な人と難しい人がいる。

津波に呑み込まれ、未だに行方不明の人々が大勢いる。
ご遺体も見つからず、そのうち捜索も打ち切られ、
そのままになってしまうご遺体も多いことだろう。
彼らは誰が考えても美化され得ない死の形で死ぬしかなかった。
残されたご遺族の方々の間には、未だに否認をし、
決して忘れ去ることのできないやりきれなさと切なさだけが残ることだろう。
震災に因る死では責めるべき相手もなく、辛く悲しい死の形と対峙するしかない。
悲しいことだが、それが現実の死の形なのである。

加えて、人は皆、年齢に関わらず、死因にも関わらず、
今まで培った人生のすべてを置いて、
永遠の旅に出なくてはならない事実は消せない。


他者から見て、誰からも惜しまれつつ見事なほどに鮮やかに人生の終焉を迎える人と、
訳も解らないままに瞬時に人生の終焉を迎えねばならない人との差を思うとき、
「人が生きる」とは、なんなのだろう?と思うときもあるが、
偉大な哲学者や宗教者でも知り得なかった答えを、無知、無学な私が知り得るはずもなく、
初めから答えなどは何処にもないのだと、いつも言い聞かせているつもりでも、
それでも何処かでなにがしかの答えを求めている愚かな自分がいる。
そのような、誰にも答えなど見いだせはしない問いであっても、
もう少しだけ納得したい気持ちを消すことはできない・・。


まだ、この社会では死を語ることはタブーである。
加えて、震災による津波で未だに行方不明、
身元不明の方々が大勢いらっしゃることを鑑みると、
死を語ることなどは、不謹慎であり、自粛すべきことなのかもしれないが、
無用なタブー重視は、更に死の恐怖を・・
ご遺族の方々には、喪失感と自責の念を煽るだけのような気がしてならない。
私は今こそ、大いに死を見つめ、死を語ってはいけないというタブーを破り、
敢えて死を見つめるほうが良いような気がする。
そのほうが命の大切さを、そして一度しかない生というものをより理解できると思うのである。


さて、今日は震災後49日目らしい。
大きな余震は少しは減ってはきた感じはするが、まだまだ安心はできない。

私はどのような形で人生の卒業式を迎えるのだろうか。
明日か明後日か、はたまた運よく、
また図々しくも数十年後も生きているかどうかは判らないが、
己の終焉の形をイメージすることも、
現在進行形の老いの身にとっては一興のような気がする。

もう、美人薄命も叶わない年齢になった今、哀しいけれど、
ひねくれ者の意地悪婆さんで生きていくしかないのだろうか・・。

(・_・)…ン? はてさて、どこのどなた様でございましょうか?
「もう既に立派な意地悪婆さんの域に達しているんじゃない?」
などと褒めてくださるお方は?
110428r
うつくしく死ぬことよりもうつくしく生きるが花と雛罌粟が笑ふ
関連記事

にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



テーマ : シニア・エッセイ ジャンル : 日記

tag : 田中好子 肉声テープ ペイン・コントロール モルヒネ ダイイング・メッセージ タブー 震災後

Secret
(非公開コメント受付不可)

Re: はじめまして
momoneko様。はじめまして。

> 63歳なのにいまだに会社にしがみついています。

働く場所があるだけ善いではありませんか。(*^_^*)
生涯現役で行けるかも・・ですね。
私にとっては羨ましい限りです。

私はあの世への旅支度を始めたばかりです。
運よく事故に遭わない限りは、
近い将来には嫌でも病院であの世に逝かねばなりません。
ゆえに今という瞬間を大事に生きるしかない。
生きる意味やその答えは最期まで得られない。
という結論に達しつつはあります・・。
はじめまして
お邪魔します。
今日会社にて何気なくブログを拝見させていただきました。
63歳なのにいまだに会社にしがみついています。
なす代様の言葉の数々に納得です。
ただ今義母が最後の旅支度の準備をしてますが
入院中のため点滴で、生きながらえている状態です。
決して決して義母の希望ではないのに、家族としては
どうすることもできず、ただただ見守るばかりの毎日です。
勤めているとなかなか病院には行けないので
毎週日曜日に病院に行ってみますが、意識はなく
ただ寝ているだけの毎日で、見ていてもこちらがつらくなります。
せめて静かに人生を終わらせてあげたい気持ちがいっぱいなのに、なかなか思うようにいかないですね。
いずれ自分もと思うと・・・・・・不安がいっぱいです。

Re: 死とは

山猫軒様。こんばんは。

>あなたよりは僕の方が大分お迎えの近い歳だと思います。

何をおっしゃいますか~?(*^_^*)
私はお迎えの時期は年齢には関係なく、
その人に与えられた「運」だと思いますよ・・。

私は子供の頃に医師から「ご臨終です。」
と宣告されたことがあるそうです。
当たり前ですが、私にはその記憶はありません。
ただそのときの臨死体験の記憶だけは、
今も鮮明に脳裏に焼きついています。
5歳のときの出来事ですので「臨死体験」などという言葉は
もちろん知りませんでしたが、
後になってかなりの数の二ア・デス関連の本を読みました。
そして、やはりあれは本当の「臨死体験」だったと今は確信しています。
そのときに見た光景と感覚はそのうちアップしたいと思っています。


>とどのつまりは洗礼まで受けました。

アメリカ同時多発テロ事件も然り、
宗教恐るべしで、
死の恐怖に対して信仰より強いものはありませんが、
今はあまりにも金儲け目的の新興宗教が多くて、
つい、毒を吐いてしまいたくなります。(笑)
ただ聖書は好きで、心が疲れたときなどは壮大な叙事詩感覚で
手にすることはあります。ではまた。(@^^)/~~~








> こんにちは、ナス代さん。
> あなたよりは僕の方が大分お迎えの近い歳だと思います。
> こどもの頃「死ぬ」ということが怖くって、眠れぬ日が(実際は眠っていた)続いたことがあります。それが高じてカトリック教会に行くようになり、とどのつまりは洗礼まで受けました。
> 頭の熱が冷めるにつれて神様に対して不遜な思いを抱くようになり、社会出てから信仰を棚上げして今に至ります。
> 僕はかなり厳しい心臓の不整脈を抱えていて、
> 時折酷い発作に襲われます。
> 長いときは5~6時間にも及びます。
> 血圧低下による意識混濁におちいり、もう、死んでいるのか生きているのかも分からなくなります。その時「ああ、このまま逝くのだな」と
> 薄れる意識の中で思うのです。
> 「これもいいな」
> 時には坂道を上っている自分を見ます。
> 峠の頂上まで行き着く前に意識を無くします。
> 峠にたどり着いたら先に逝った母などが待っているのでしょうか。
>
> 死はそれほど怖いものではないのではないか、
> 今、そんな風に僕は思っています。
>
> 詩もどうしても死を意識したものになりがちですね。
>
> スーちゃんのこと僕も同感です。
> そっとしてあげた方がどれだけいいかと。
Re: 同感です
トントン様。はじめまして。

私はTVの洋画は見ますが、
邦画やTVドラマはあまり見ませんので、
そんなに女優さんとしての関心も興味もなかったのですが、
ああいう状態の人を入院中に実際に目の前で見ていたことがありますので、
あの息苦しさに満ちた声だけは聴きたくありませんでした。

私もトントン様と同様に今はただご冥福をお祈りするだけです。

死とは
こんにちは、ナス代さん。
あなたよりは僕の方が大分お迎えの近い歳だと思います。
こどもの頃「死ぬ」ということが怖くって、眠れぬ日が(実際は眠っていた)続いたことがあります。それが高じてカトリック教会に行くようになり、とどのつまりは洗礼まで受けました。
頭の熱が冷めるにつれて神様に対して不遜な思いを抱くようになり、社会出てから信仰を棚上げして今に至ります。
僕はかなり厳しい心臓の不整脈を抱えていて、
時折酷い発作に襲われます。
長いときは5~6時間にも及びます。
血圧低下による意識混濁におちいり、もう、死んでいるのか生きているのかも分からなくなります。その時「ああ、このまま逝くのだな」と
薄れる意識の中で思うのです。
「これもいいな」
時には坂道を上っている自分を見ます。
峠の頂上まで行き着く前に意識を無くします。
峠にたどり着いたら先に逝った母などが待っているのでしょうか。

死はそれほど怖いものではないのではないか、
今、そんな風に僕は思っています。

詩もどうしても死を意識したものになりがちですね。

スーちゃんのこと僕も同感です。
そっとしてあげた方がどれだけいいかと。
同感です
はじめまして

よく言ってくださいました。
私は芸能界は好きじゃないので
あまり見ませんので、コメントを控えていたのです。が
本当にあのメッセージは、本人の意志?かと疑問でした。
考えれば、一ヶ月もしないで・・なのですから
苦しい時間の日々でしたでしょうに・・・

その後、もれ伝わってくるのはダンナサマというお方
不倫?お子さん?騒動抱えているっていうのは
本当?(ジムで小耳に)
なら、余計に許せない家族の諸行ですね。

冥福を祈るばかりです。
検索フォーム
人気ブログランキング
にほんブログ村
福島は今...
プロフィール
Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
最新の世迷言
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
お気に入りブログ
ブロとも申請フォーム
月別アーカイブ
読書メモⅠ
商品紹介
Twitter
読書メモⅡ
永遠の世界への旅立ちグッズ