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「死ぬ瞬間」と死後の生①--死にゆく人への禁句
死期が迫っている人は一人残らず、たとえ五歳であろうと九十五歳であろうと、
死が近いことを知っています。
したがって、問題は「私はその人に、死が迫っていることを告げるべきだろうか」ではなく、
「私には彼の声が聞こえるだろうか」です。
たとえば、患者がこう言ったとします。
「あなたの誕生日はたしか七月だったわね。そのころ、私はもうこの世にはいないのよ」。
もしその言葉をちゃんと受け止めることができたなら、
「そんなことを言ってはいけませんよ。快方に向かっているんですから」
などという、自分をとりつくろうための言葉は出てこないはずです。
そんなことを言ったら、患者とのコミュニケーションが途切れてしまいます。
あなたが、患者の言うことに耳をかたむける準備ができていないということが、
患者にわかってしまうからです。
それで、結局、患者を黙らせてしまうことになり、患者は孤独におちいってしまいます。
もしあなたが死とその過程に関して何を言ったらいいかわからなくなったら、
そして、この女性は死が迫っていることを直感で知っているなと思ったら、
ただそばにすわって、彼女に手を触れ、こんなふうに言ったらいいのです。
「おばあちゃん、なにか私にできることありますか?」。
人から聞いた話ですが、ある若い女性が老いた祖母をたずねました。
老人は自分の指から指輪をはずし、何も言わずに黙ってそれを孫娘に渡しました。
これこそが言葉によらない象徴言語です。
老人は黙って指輪を孫娘の指にはめたのです。
孫娘は、「まあ、おばあちゃん、そんなことしないで。
この指輪、気に入ってるんでしょ。ずっとはめていて」
などとは言いませんでした。
彼女はこう言ったのです。
「本当に私がもらっていいの?」
祖母は黙ってうなずきました。
孫娘はさらに「どうせなら・・・・・・」と言いかけました。
「どうせならもう少し待って、クリスマスにもらえない?」
と言おうとしたのですが、やめました。
彼女ははっと気がついたのです。
祖母は、自分がクリスマスにはもうこの世にいないことを知っているにちがいない、と。
そのおばあさんは、孫娘に指輪を贈ることができて心から満足していました。
彼女はクリスマスの二日前に亡くなりました。
これが言葉によらない象徴言語というものです。
「死ぬ瞬間」と死後の生 P27~28

--中略---

あなたの助けを本当に必要としている人たち、それはショックで感覚が麻痺している人たちです。
彼らは、これまで家庭のおかげで外界の荒波から守られ、
すべてが容易で安楽で、順調な人生を歩んできたために、
人生の荒波に対して心の準備ができていない。
「死ぬ瞬間」と死後の生  P29


常に死を見慣れている医療関係者以外では死にゆく人を前にするとオロオロするのが常だろう。
私も例外ではなく、意識があり、なお且つもうすぐ死にゆく人の前で成す術がなかった苦い思い出がある。

数年前、近くに住む親戚の人から入院している彼の妻に逢って欲しいとの緊急招集の電話があり、
急いでお見舞いに駆け付けた。
主治医から逢わせたい人がいるなら今のうちに・・・と促されての電話連絡だったらしい。
彼の妻(当時57歳)の病気は心臓病であり、2日後にはあっけないほど早く訃報の連絡が来た。

彼女の死因はガンではなかったが、日本人の3割がガンで死ぬ時代である。
それに加えて今現在の放射性物質汚染も追い打ちをかけ、
身体への確率的影響で数年後からは
日本人の5割以上がガンで死ぬ時代が訪れるかもしれない。

主な死因別死亡数の割合(平成22年)
h22

ガンは緩慢な死の過程を辿る。
私たちは今まさに死にゆく人々に対して、
患者自身が己の病状を口にしたときなどには、
「大丈夫よ♪」「快方に向かってるって♪」「頑張って!」
等の善意と思しき励ましの言葉をかけるのが常識とされている。
だが、それは死生学の世界的権威のエリザベス・キューブラー・ロスによると
大いなる勘違いらしい。
健康な人が死にゆく人にかけがちな、よかれと思う励ましの言葉は、
家族といえども人間不信を抱きこそすれ、より良く死ぬためには逆効果になるようだ。

不覚にも私は、本当は土気色の顔色をして骨と皮だけの上記の患者に対し、
「あらぁ、顔色もよくお元気そうね。」
等の心にもない嘘っぱちのお見舞いの言葉を発してしまった。

他の見舞客も同じような言葉をかけていたが、帰り路に考えるに、
もしかして患者自身はすでに死期を悟っていたのではないだろうか?
そして、「誰も私の本心を判ってくれない・・話すだけ無駄ね・・」
と思っていたのだろうか?との思いが脳裏を過ったが、
無知ゆえにそこで思考はストップしてしまった忘れられない思い出がある。
この苦い経験を想うとき、
もうすこし早くこの本を読んでおけば・・と今さらながら思った。

エリザベス・キューブラー・ロスは後には「死への過程」だけではなく、
やがて死後の世界(霊的な事象)にも関心を向けるようになり、
自らを被験者にして幽体離脱の実験したりして、
次第に死後の生(霊的世界)への関心のみに傾倒していった。

彼女が死生学の大家であろうとも、自分の死を経験することはできない。
人は老いとともに、つまり此の世での滞在時間が短くなることを自覚するようになると、
あの世の存在を創りたくなるのだろうか?
彼女の場合は西洋人なので「天国」なのだろうけれど・・・。



私はポスト団塊世代ではあるが、突然死や事故に逢わない限りは、
今後10~30年の多死の時代に私も私の配偶者も死なねばならない。
まだ今の時点では「多分、死んだらおしまい・・」と思っているとはいえ、
老人福祉施設(死にかけ老人が多すぎて入れるかどうかも判らない)
と医療機関と葬祭業者との老いと死による利益追求のためのトリプルタッグによって、
お手盛りの死のベルトコンベアに乗せられるのは安易に想像が付くだけに切なく味気ない。


長年月付き合いのある友人たちの闘病情報や訃報もボツボツ届くようになった昨今、
もうすぐ死にゆく人に遭遇するようなことがあったら、
また逆に私がお見舞いを受ける立場になっても、
少しは相手の気持ちを汲んだ応対ができるような気がする。

死を知らなければ生を知ることはできないと私は思っている。
死から目を背ければ背けるほどより良き生が遠ざかり、
死についてなにも知らないor見ないということこそ限りある生を不幸にするような気がする。

とは思いつつも、所詮、凡人・・・
いざとなれば、そう簡単には己の死も配偶者との永別も想う様には受け容れられずに、
あらゆる手を尽くして延命を願うのだろうか・・。(^_^.)

だが、エリザベス・キューブラー・ロスの唱える「死後の生」があるのならば、
死ぬのは恐怖の対象ではないのかもしれない・・。
とほんの少しだけ思えてきた。


われいまだ死を知らずして死に怯え死を想ひてはまた死を語れり

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tag : 「死ぬ瞬間」と死後の生 象徴言語 エリザベス・キューブラー・ロス 幽体離脱 霊的世界 葬祭業者 死のベルトコンベア

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Author:千風
気が付けば、シニア.........。 老眼鏡無しには新聞も本も読めず、 体の各部位が少しづつ、 壊れゆく 今日この頃、 この世での 残り時間を思うと、気持ちだけはアセアセ、ジタバタ、 ドタバタ。 心に反比例して 体の動きは うだうだ、だらだら、 とろとろ、のんべんだらりん、だらだらりん・・ついでに座布団に つまづいて すってんころりん。 ころころりん・・。 そんな明日をも知れぬ シニア女が老いと死の狭間で 揺れ動く、 切なくも哀しい乙女心。 じゃなかった・・(^_^;) 「お婆心?」を 時には超真面目に、 また或る時はユーモラスに、 独断と偏見思考で綴っています。
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