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日本には教訓を生かさない「悪い文化」がある。先の戦争での作戦失敗の繰り返しはまさにそのためでした。失敗の原因と責任関係を徹底的に明らかにして制度を変えることをしない。無責任国家とも言えます。60年を経た水俣病も5年を経た福島の原発事故も現在進行形の問題なのです。

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今月、公式確認から60年を迎えた水俣病の問題は、時を超えて人間や社会に影響を与え続ける公害というものの本質を示している。そこから私たちが学びとったものは。


 ■無関心が生んだ、社会の病 永野三智さん(水俣病センター相思社常務理事)

 水俣病の患者相談で最近目立つのは、行政に患者と認定されていないログイン前の続き50代の訴えが増えていることです。子どもの頃、何も知らずに汚染された魚を食べて、今も苦しんでいる人たちがいる現実に、国家や企業、社会、そして私たち一人ひとりが犯した罪を感じています。

 今になって被害を訴え始めたのは、高齢化で症状が顕在化しただけではありません。原因企業であるチッソ(現JNC)を退職して仕事のしがらみがなくなったり、子どもが就職や結婚を終えて、差別を受ける怖さが薄らいだりした影響が少なくありません。背景には、市民に根強く残る水俣病への差別意識があります。

 水俣はかねて「チッソ城下町」で、チッソは今も経済の中心です。チッソに依存し、患者を差別してきた市民も、実際にはチッソのメチル水銀被害を受けています。しかし、救済策を受けても自分の被害は隠し、チッソから補償された他の患者を中傷している。市民の立場により加害と被害が複雑に重なり合い、今も水俣では、水俣病が「タブー」となっています。

 私は水俣市内の水俣病が激発した地域で生まれ、近所の胎児性水俣病患者にも可愛がられて育ちました。

 外の世界が水俣病をどう見ているのか、初めて知ったのは小学5年の時でした。旅先のタイのプールで会った日本人男性が、水俣から来たと話した途端に「うつるんじゃない?」と出て行きました。中学時代には「水俣病がうつる、汚い」と言われました。水俣を恥ずかしいと思い、中学卒業後に地元を離れてからは、水俣出身だということを隠しました。

 20歳の時、書道の恩師が亡き母親の患者認定と謝罪を求めて裁判で闘っていることを知り、水俣病に向き合うようになりました。理不尽な歴史を前に、チッソ、事件を放置し続けた行政、差別を止めなかった自分の存在に気がつきました。

 裁判は2013年、最高裁が国の基準より広く被害を認める判決を出しました。しかし国は認定基準を変えず、かつての水銀摂取を裏付ける客観的資料を求める通知を出しました。これでは、新たに認定される患者は更に限られるでしょう。

 「公害に第三者はない」。公害研究の第一人者だった故・宇井純さんの言葉です。水俣病事件に無関心を決め込む私たちの未来への選択が問われています。当事者と第三者との断絶を埋めない限り、社会がまた新たな病を生み続けることは自明でしょう。

 水俣病は、社会の病を映し出しました。水俣病を知ることが、社会を知り、未来を変えることにつながると信じています。(聞き手・斎藤靖史)

     *

 ながのみち 83年、熊本県水俣市生まれ。08年から相思社職員として患者支援などに取り組み、昨年4月から現職。

 

 ■村は補償金で破滅した 岡本達明さん(民衆史研究者、元チッソ第一組合委員長)

 水俣病の60年は、どの局面をとっても不条理です。不条理の連鎖がどこまでも続く。

 被害者が前面に出た稀有(けう)の公害闘争が水俣病でした。

 1973年、チッソに賠償を求める裁判に勝った原告団は、東京駅近くの本社で座り込みを続ける患者たちと合流して交渉を始めます。要求の柱の一つは年金と療養費。これを拒む当時の島田賢一社長に患者家族の坂本トキノさんが淡々と言いました。

 「病み崩れていく娘を何年みてきたか。あんたの娘を下さい。水銀飲ませてグタグタにする。看病してみなさい。私の苦しみがわかるから」

 4カ月の交渉の末、行政が水俣病と認定したら1600万~1800万円の補償金と年金、療養費も支払うという協定を勝ち取りました。

 実はその5年前、政府の公害認定直後にもチッソの専務と交渉しました。患者はものも言えない。集落から工場へ通う労働者は「会社行き」と呼ばれて別格。まして専務など雲の上の人という意識でした。闘いの中で患者は別人のように成長したんです。

 チッソに入ったのは57年です。水俣へ赴任して間もなく路上で「うちに来んかね」と声をかけられた。帰郷中だった詩人の谷川雁(がん)さんでした。安保闘争や全共闘の世代に影響を与える思想家とは知らない。家へ行っても左翼思想を吹き込まれたわけでもない。でも会社から目をつけられ、1年半で飛ばされました。

 62~63年の水俣工場の大争議によって組合が分裂する。大卒ではただひとり第一組合に加わり、64年に専従執行委員となって戻りました。会社は日夜、1人ずつ課長室に連れ込んで「第二組合へ来い」と責める。断れば重労働職場に配転です。でも工場内で闘うだけが組合なのか。第一組合は68年、「水俣病患者のため何もしてこなかったことを恥とする」と宣言し、人間として患者を支援しました。

 患者が激発した水俣湾岸の3集落の調査を続け、昨年、「水俣病の民衆史」を出版しました。ざっと300世帯のうち認定されたのは176世帯の331人。低く見積もっても50億円以上の補償金が落ちた計算になります。水俣では人間の評価は住まいで決まる。みんな裸電球一つの掘っ立て小屋に住んでいたから、多くの患者が競って家を建てシャンデリアを付け、ダイヤモンドの宝飾品を買う。そうなると人間が変わります。

 1次産業と工場が支えだったのが、漁業は壊滅、農業は落ち目、工場の雇用は細々。貧しくても助け合ってきた村はなくなった。水俣病のせいで村が潰れたわけじゃない。補償金で潰れたんです。

 命や健康は返らない。補償金を取るしかない。でも今度はカネで村が破滅する。公害は起こしたらおしまいということです。(聞き手・田中啓介)

     *

 おかもとたつあき 35年生まれ。原田正純医師らと水俣病研究会を結成し、患者・家族の裁判も支援。70~78年第一組合委員長。

 ■教訓生かさぬ文化、絶て 柳田邦男さん(ノンフィクション作家)

 10年前、環境省の官僚にだまされました。水俣病公式確認50年が近づく2005年、小池百合子環境相が「水俣病問題に係る懇談会」を設置した時です。委員を委嘱される時、認定基準の見直しを論じるのかたずねました。水俣病と思われる多くの患者が認定されない状況だったからです。担当部長は「別の委員会を設置するから、認定基準は懇談会の議題にしない」と言いました。しかし、その委員会は設置されませんでした。

 水俣病が公式に確認されたのは1956年5月。しかし、政府が原因物質をチッソのアセトアルデヒド廃水に含まれるメチル水銀と認め、水俣病を公害病としたのは68年です。死者が続出していたのに12年間も、政府はチッソを守るために対策を遅らせたのです。経済成長を優先され、人命が軽んじられたのです。

 懇談会は提言書で被害の全容解明を求めましたが実現していません。根本解決に踏み込まず、「政治解決」による補償や水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済策で済ませました。その結果、多くの未認定の被害者は取り残されています。

 日本には教訓を生かさない「悪い文化」がある。先の戦争での作戦失敗の繰り返しはまさにそのためでした。失敗の原因と責任関係を徹底的に明らかにして制度を変えることをしない。無責任国家とも言えます。

 4月の熊本地震でも同じ構図があらわになりました。複数の役所や病院が使えなくなりましたが、95年の阪神大震災で神戸市役所や病院の一部が被災して機能を失った教訓が生かせていない。九州新幹線の脱線現場には中越地震を教訓に設置が広がっているガードがなかった。安全対策を先送りする悪い文化です。

 福島の原発事故も同じでした。東電は事故前に、実際に発生したものより大きい津波が起こりえるとの試算を内部でも出していました。しかし巨額の費用が必要な対策は見送られた。政府も対策を実行させようとしなかった。

 懇談会の提言に盛り込んだ「2・5人称の視点」をもってほしいのです。行政が仕事をする際、被害者や患者の身になって考えることが大切です。冷たい三人称でも感情に走る二人称でもなく、合理性と人間味を兼ね備えた対応こそ新しい時代をひらきます。

 先日、広島での主要7カ国(G7)外相会合で、核兵器のない世界を目指す「広島宣言」が採択された。被爆者の声が世界平和の一つの原点になっている。来日したオバマ米大統領は広島で何を語るのか。一方の水俣病で政治や行政、企業が犯した犯罪的な問題は、悪い文化を絶つために語り継ぐべき原点です。過去のものにしてはいけない、現在進行形の問題です。(聞き手・野瀬輝彦)

     *

 やなぎだくにお 36年生まれ。社会問題を問う著作多数。政府の福島原発事故調査委員会で委員長代理を務めた。
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転載元:朝日新聞(2016/05/27)

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